北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

今年もお世話になりました

2005-12-31 17:36:56 | Weblog
 やっと穏やかな一日となりました。いよいよあと数時間で年も変わります。今年も良い年になりました。

 今日は
■一年納めの大晦日 です

【一年納めの大晦日】
 今年の仕事もいよいよ今日でお終い。あっという間の一年で、年々時間の進み方が早くなる気がする。

 さて改めて今年の自分なりの出来事ベストテンをまとめてみた。

①札幌への転勤と掛川との別れ
②「掛川奮闘記」の出版
③蕎麦打ち二段取得
④創発調査で二度目のユージン訪問
⑤娘の高校進学
⑥15年乗ったデリカをついにあきらめてセレナ購入
⑦弟に長男誕生で甥っ子が一人増える
⑧道内各地でお話をする機会を多く得る
⑨天塩中川でキャンプ&カヌーを楽しむ
⑩ブログ「北の心の開拓記」を始める

 …といったところだろうか。

 昨年の今頃には想像もつかなかった時間を超えて一年後の今ここにいる事の不思議とありがたさを味わっているところである。

 「チャンスの女神の頭には前髪しかない」という格言がある。前に向かってくるチャンスはつかむ事が出来ても、逃したときに後ろの髪をつかまえる事は出来ないという意味だ。なにかをやり始めたら何かの形で成果を上げておくことが大事なのだな。

 しかし今年一年を通して最もありがたかった事は、なによりも家族全員が大きなけがや病気もせずに過ごす事が出来たことだ。健康と無病息災が何よりで、これもご先祖様や神様のお陰と感謝しよう。

 今年は札幌に帰ってきてからというもの、しばらくは新しい職場に慣れるための努力と、掛川への思いで放心状態が続きました。「掛川奮闘記」に続く札幌でのブログはどうしようかと思いましたが、タイトルを「北の心の開拓記」とした事で、掛川で得た事を改めて北海道でも活かして行こうという方向が定まりました。

 4月末からの書き込み開始でしたが、なんとか穴を開けずに続ける事が出来ました。今年一年ご愛読いただき本当にありがとうございました。

 またご意見やコメントを書き込んでくださった多くの皆さんにも感謝申し上げます。

 来年も北海道でふれあう人たちの固い心が柔らかくなって、明るくて幸せなまちづくりが出来るよう精一杯がんばりますのでどうぞよろしくお願いします。

 それでは良いお年を。

 
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年末余話

2005-12-30 22:25:19 | Weblog
 なんと今日で4日連続25センチの雪が降りました。腰が、腰があぁっ…。

 今日は
■いよいよ大詰め です

【いよいよ大詰め】
 考えてみれば、札幌のこの家を建てたのは掛川にある間の事で、私は満足にここでの冬を経験した事はなかったのだ。

 雪かきも理屈ではなく現実として迫ってきて、さすがに四日連続の雪かきは身体に堪えて、妻からは「『途方に暮れる』という言葉が身体で分かるでしょ」と笑われる。

 年末の休みだというのに、日中の行動パターンは雪かきか掃除か疲れて昼寝か買い物に行くというパターンしかない。もう少し生活にバリエーションを持たせたいとも思うけれど年末なので仕方がない。
 普段出来ていない事を片づけるので精一杯だ。

 数日前の新聞である評論家が「現代人は忙しすぎる」ということを書かれていた。仕事でお金を稼ぐのにも忙しいが、レジャーやテレビを見る事まで忙しくて、それゆえ地域活動などする時間の余裕がないのだ、という趣旨の内容だった。

 全くなにかを思い切って捨てない限り新しい事に挑戦も出来ないと思うし、そもそも今さらまだ何かに挑戦することが必要なのかとも思ってしまう。

 もうそろそろ過去に手をつけた事の中から本当に大事なものを選りすぐってそれに集中するような生き方を始める人生ステージなのかも知れない。

 さてさて改めてこの正月休みの間に自分の得意技は何かをじっくり考えてみよう。

 明日はいよいよ大晦日。大掃除を早めに片づけてあとは蕎麦を打って親戚に配って歩くのだ。

 明日は最高の蕎麦を打って見せよう。一年を締めくくりは気持ちを込めて蕎麦を打つことだ。


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油汚れには

2005-12-29 23:56:05 | Weblog
 今日で三日連続25センチの雪が降りました。雪かきがだいぶ腰に来ています。

 今日は
■年末は掃除 です

【年末は掃除】
 いよいよ年の瀬も押し迫ってきて気持ちも落ち着かない今日この頃。やる事がたくさんで、どたばたしているばかり。

 積もった雪を運びきれずに山にしてあったのを運ぼうとしたときに、スノーダンプのねじがはずれてしまって使い物にならなくなってしまった。

 すぐに気づいてネジは見つかったのだがナットの方が見つからず雪かきは中断。幸い工具箱の中にサイズの合うものがあったのですぐに直せて良かった。

 暖冬だと喜んでいたらやっぱり帳尻は合わせてくるものだ。ご近所とも「もう(雪は)いいね」と苦笑い。

 一年間たまった埃や汚れ、また捨てきれずにいた細かなものなどを整理するのは今しかない。

 掃除などというものは普段からしていなくてはならないものだし、なぜ大掃除なのか、という質問を子供から受けるけれど、答えは「人間の生活には節目節目が大切なんだ。手の届くところに目標を設定してそこまではがんばろう、という思いを奮い立たせる事でメリハリの効いた生活になるんだ」ということ。

 普段目や手の届かないところをこの機会に見てみると、部屋の片隅や換気扇の奥など普段愛情が注がれていなかった場所がよく分かる。年に一度くらいそういうところに自分の気持ちを向ける機会があることは大事な事だ。

 掛川で榛村市長が現場主義と言いながら、市内のどんな片隅の出来事も自分の目で見に行こうと努力している様は、そうやって自分の愛情を地域に注ぐ事に似ていたのだと思う。

 自分の姿を見せるために地域に顔を出す政治家は多いけれど、立派なリーダーが本当にそこはどんな様子でいるのかということに常に関心を持って自分の目で見るということでまちは元気になるものだ。

 狭いわが家にもそんな自分なりを愛情を注ぐのが掃除をすると言う事。さてさて、今年も後二日ですぞ。

 ちなみに油汚れにはオレンジオイル入りの洗剤が本当に良く効きます。もう手放せない~。

   
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御用納めの一日

2005-12-28 23:23:00 | Weblog
 朝から猛吹雪の一日。各地で通行止めも発生してもう大変です。

 今日は
■御用納めの一日 です

【御用納めの一日】
 今年の仕事もいよいよ今日でお終い。4月に掛川から札幌へ帰ってきたときには浦島太郎のような状態で、故郷とはいえ知らない人ばかりに囲まれてのスタートだったが、9ヶ月でどこまで仕事面で貢献が出来たろうか。

 席にいない事が多くて、回りにだいぶ迷惑もかけているし申し訳ないと思いつつも、人生の残り時間を考えると「あれも、これも」とつい手を広げてしまう。一体何を焦っているのやら。

 自分のテーマに対して、一つの事を深く掘り下げるという迫り方もあるし、様々なことに接して違う角度から見てみる事で新しい繋がりを発見してゆくという迫り方もあるだろうと思う。

 僕は多分自分の世界は、広がることで深みを増しその深みがさらに広がりを求めるのだろう、と信じているので、広い方向だろうが深い方向だろうがとにかく好奇心を持ってその一歩を歩むことが大事なのだと考える質なのだろう。

 掛川で世話になったonimasaさんはその後「なだれこみ研究所の一日」というブログを立ち上げて、小さなまちで人々が出会いながら、驚きながら、そして感心しながら何か新しい出来事が起こって行く様を面白く発進し続けてくれている。

 結果の見えちゃっている行動ではなくて、何が起こるか分からないすぐ先の未来にちょっとだけ勇気を持って飛び込んでみる事。それを「なだれ込む」と表現する彼女だけれど、僕もそこにこそ今を超えるチャンスが転がっているに違いないと信じている一人である。

    *   *   *   * 

 年末最後の一日は机の上を始めとして整理をしたい事がたくさんあったのだが、年末の挨拶で訪れてくる人も多ければ「なだれ込む」ようにして訪ねてきてくれる方も多く、こうなるとやはり放ってはおけない。

 ある町の建築系の先生が訪ねてきてくれて、「北の雪国に暮らす」ということがどういうことかをもう一度良く考えてみましょうよ、という話になった。

 私にはすぐに掛川の建築家の人たちと話をした事が思い出されて、「例えば、家を建てるという事は建物を作るという事ではなくて、どういう生活や人生を過ごしたいかということが建て主にまずあって、その思いを形にするのが建築家という創造的職業なのだという話を聞きました」と言った。
「そんな建築家がいるんだったら、それは素晴らしい事ですよ」

僕は少々鼻高々に「掛川にはそういう人が何人もいましたよ」と言った。続けて「どうでしょう、そこにあるのは、住まうという『こと』と住まいという『もの』の不可分の関係なのではありませんか」と問うてみた。

すると先生は「同じ事が都市計画やまちをつくることにも当てはまると思うのです。住まいに自分の生活を合わせるように、我々はまちを作っているのではなくて町に合わせて住んでいるのではないでしょうか」と言う。

「公園を冬の雪捨ての拠点にするという考えはいかがですか」と訊いてみると、先生は「私も昔札幌に住んでいたときに、地域で公園をそのように利用していました。そのときには地域のお年寄りから『公園の奥を踏み固めて、そこから置くんですよ』と教えられました。雪国の雪かきは地域が交流しながら進めなくてはならない冬のイベントで、公園は地域コミュニティを生み出す拠点になるのだと思います。そこでは挨拶やらルールの伝授での世代間交流だって果たせるのではありませんか」
「まさに私の考えと同じです。町をどう使うかを考えて、そう使いたいからこういう町の形にして欲しいという真面目なまちづくりへのアプローチがもっと必要なのですね」

 住まう事と住まいと同じように、我々がどういう生活をしたいかという思いを形にするような町作りのアプローチを考えてみよう。

 なだれ込みの先にはどちらにも出会いがあるものだ。

    *   *   *   * 

 さて、終業後の挨拶回りで今日で退職という隣の課の女性から「いつもブログを拝見していました」と言われ恐縮してしまった。これからも読んでくれる方が元気になるようにがんばります。

 年が明けたらすぐに中国出張が待っています。そろそろ準備をしなくては。
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熱い冬

2005-12-27 23:08:16 | Weblog
 今日も札幌は約20センチの雪。苫小牧へ出張なのに高速道路が通行止めで大変でした。

 今日は
■雪氷輸送の実験開始 です

【雪氷輸送の実験開始】
 今日は朝から苫小牧市の苫東へ向かう。我が課で今年一番のプロジェクトである「雪氷輸送物流システム」の実験がいよいよ始まるのだ。

 このプロジェクトは、苫小牧の冬に氷を大量につくっておいてこれを春先以降に、何も荷物がないトラックに乗せて東京に送り込む事で冷房に使おうというものである。

 今年になってから始めた検討調査では、いままでやったこともないような挑戦に、コンサルタントや大学の先生が集まって知恵を絞り続けてここまで来たのだ。

 氷も単純につくってそのまま置いておくのでは当然すぐに融けてしまう。これができるだけ融けないようにするために一番の方法は、大きな氷をつくる事だということがわかった。

 そこで地上に一片が32mで高さ2mという大きなプールを土でつくることにしたのだが、それがやっと完成して昨日から水を入れ始めたのである。

 それを知った一部マスコミから取材の申し込みがあったのことから、どうせならマスコミ各社にこの機会に現地レクをしようということになり、私も含めた担当者が向かったのである。

 札幌は雪で大渋滞だったが、現地苫小牧は晴れて風も少なく絶好の取材、ロケ日より。マスコミもテレビが3社、新聞社が5社ほどきてくれて、プロジェクトの概要から今回の実験の様子を説明し、熱心に聞いてくださった。

 今日から氷は一日に水を10センチずつはる事にして、少しずつ氷を厚くし、最後には2mまでにする予定である。

 北海道の冬は雪や氷に悩まされてきたのだが、これが冷たいというエネルギーだとして、道外に売れてお金になるようになれば面白い事だ。

 こういう大胆な発想が時として時代のブレイクスルーになるきっかけになるのかもしれない。今年の冬は寒いけど熱いぜ。 


 
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一丁目一番地

2005-12-26 23:25:32 | Weblog
 道内は各地で暴風雪が吹き荒れています。山形ではJRの事故もあって大変です。関係者の皆さんの活躍に敬意を表します。

 今日は
■我々のビジョン です

【我々のビジョン】
 道内もJRのダイヤが乱れて運休が相次ぎ、職場の同僚も出張ができなかった。まったく一度荒れ狂うと、大いなる自然の前に人間の力などは無力なことを感じさせる。

 しかし日本の自然の良いところは、雨が降っても必ず晴れ、晴れていても必ず雨が降ることだ。「万物は流転する」と古代ギリシャの哲学者は言ったけれど、同じ状態はいつまでも続かないものだ。

 そうして人間は、あるときは自然の力に逆らうような社会を作り上げ、もし自然が人間社会を破壊するようなことがあればまた黙々とした作業を続けていつの間にか元に戻してしまうのだ。

 物の有様が変わらない状態を「平衡状態」と言うのだが、前者の「押しても引いても変わらない」という状態は静的平衡と呼ばれ、後者の「一旦変わってもまた元に戻る」という状態は動的平衡と呼ばれ、区別されるべき事柄だ。

 社会の秩序は誰かの力によってこっそり保たれている。それはお掃除のおばちゃんだったり、増水の時に寝ないで堤防を見回っている建設業の人達や消防団の青年だったりするのである。

    ※    ※    ※    ※

 我々が人間の社会に生きるということは、一定の秩序のなかにいることを善と考えるということだと思う。日本人は良く自然の風情を好むと思われているが、そのことと秩序を大切にしないこととは明らかに違う。

 考えてみれば、北海道の開発ということは明治以来様々な時代の要請に応える形で未開の原野に人間の力を加えて人間の秩序を拡大し続けてきた歴史なのだ。農業にしてもダムにしても道路にしても川の整備にしても、一人では何も出来ない人間が集まって力を合わせて少しずつ少しずつ形を変えてきた歴史の積み重ねなのだ。

 我が組織はそのような自然に手を入れることを仕事として存在してきたのであって、私は我々のビジョンは、社会を先人よりも少しずつ良い「秩序あるもの」として作り上げ、できあがったものは秩序ある状態に管理し続けることだと思うのだ。

 ビジョンを共有できているということは、この「手をかける」ということにある種の美学を感じることなのではなかろうか。

 今日上司が中国出張から帰ってきて土産話を聞かせてくれた。「中国の都市部では確かに凄まじい勢いで道路を中心に社会インフラができあがっているが、中国社会には良好にメンテナンスをするという気持ちがあまり感じられない」ということだった。作ったものに愛情を込めて手をかけるという気持ちが薄い社会の未来は決して明るいとは言えないだろう。

 我々自身も、恩恵を受けている身の回りのインフラに感謝をしつつ手をかけて手入れをするという気持ちを持つことが背筋の伸びた組織人としての誇りの様に思う。だからこそ、家の回りの雪かきや手入れを面倒に思うような集団になっちゃあいかんのだ、と考えるのは私だけだろうか。

 我々の一丁目一番地(もっとも大事な事柄)は何なのだと思いますか。
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祝!取手&南

2005-12-25 23:35:00 | Weblog
 三連休も今日でお終いですが、年賀状づくりは滑り込みセーフ。一言書きもなかなか大変です。


【年賀状はラジオを聴きながら】
 今日は朝から年賀状の一言書きに没頭。一枚一枚宛名を見ると、会ったときの事が思い出されるものです。

 本当ならばもっとびっしりと書きたいところなのですが、どうにも時間が足りなくて一言だけ添えました。

 東京FMで土曜日の午後5時から放送しているサントリー提供の「サタデー・ウェインティングバー・アバンティ」を聴きながらの一言書きだったけれど、昨晩はクリスマスドラマスペシャル。

 この番組は、登場する人たちが渋谷にある「アバンティ」というイタリアレストランのウェインティングバーで人の話に聞き耳を立てるという設定で進行する情報提供番組なのだが、なかなかバラエティ豊かで構成も緻密なので好んで聴いているのである。

 番組の中には取手豪州という男性キャラと南由布子という美人でスタイル抜群の女性キャラが登場するのだが、取手豪州はキザでドジで店随一の嫌われ者だが、「美人の南しゃん」が大好きという設定なのだ。

 もう何年もの番組の中では取手豪州が南しゃんを射止めようとしてはドジで失敗して嫌われることの連続で来たのだが、昨夜ついに二人が互いに相手にプロポーズしてOKしあうというハッピーな結末が迎えられた。

 土曜日から日曜日にかけてキャンプへ行くたびに、土曜の夕方はラジオをつけてこの番組を聞いていた事を思い出して懐かしくなった。

「そうか、あの取手さんがねえ、やりましたねえ」

 たかがラジオの中のドラマなのだけれど、いつの間にかファンになっていたようだ。この先どういうドラマが展開されるのかちょっと心配だけれど、とりあえずは祝福したい。

 取手さん、南しゃん、おめでとう。一日遅れだけれどメリー・クリスマス!

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クリスマスイブは年賀状印刷

2005-12-24 23:11:22 | Weblog
 今日はクリスマスイブの日。別にクリスチャンでなくても、もう日本の恒例行事の一つとなった。わが家は家族で過ごしたのだけれど、いつまでそういう日が続くやら。

【クリスマスに年賀状をつくる】
 朝から年賀状の印刷に没頭した。年賀状の裏面はもう400枚を刷り上げていたのだが、名簿の整理をしていてどうやらそれでも足りないようなので追加印刷をして備える。

 表面の宛名の方は、住所データベースで住所変更をチェックしつつ、喪中葉書が届いた方はそのむねデータ入力をしてゆく。

 私は「筆まめ」という年賀状ソフトを使っているのだけれど、ポイントはとにかく基礎となる住所データベースをつくっておくことだ。年賀状はもちろん、もう連絡を取る事はないのだろうと思っても、とにかくデータベースがなくてはお話にならないので、まずは知人の名前と住所などのテータを確実につくる事が一番のポイントだ。

 印刷するのかしないのかや、特定の同窓生などの抽出などはソフトで条件を設定する事で「抽出した結果」として利用すれば良いのだ。

 今回困ったのは、市町村合併で昔の住所がどうやら変わっているらしいのだが、それがよく分からないということだった。

 最新の年賀状ソフトであれば郵便番号から住所変換する機能もついているのでしょうが、ちょっとまえのバージョンのものを使っているのでその変換データが入手出来ていないのでした。

 新しいソフトはそういうことをネタにして売っているので売り上げが伸びている事でしょう。市町村合併だけではなくて、社会が動くときはビジネスチャンスだという事なのですね。

    *   *   *   * 

 一応データチェックを終えていよいよ宛名面を印刷開始。葉書というやつは小さくて少々固めでさらに独特の質感があるものだ。以前のプリンターはこの葉書という紙質に対する対応が悪かった。特に紙送りに難があって、葉書を何枚も駄目にする事があったのだが、今のプリンターは本当に性能が上がったものだ。

 四百数十枚をすりあげて、プリンターのせいによるミスは一枚もなし。紙送りの際に一緒に巻き込んで印刷しないまま送り出すという事が2枚あったけれど、それだけ。あとは自分自身のデータ入力、チェックミスによる駄目葉書が数枚あっただけで、まさに印刷という作業に特化したロボットの面目躍如です。  

 そこで感じる事は、こういった「機能を向上させる」という戦いの中にこそ我々は生きている、ということだ。そのときに必要な事は知恵の積み重ねなのだとつくづく思ったのである。

 ほんの少し前の時期には出来なかった事に立ち向かって、経験を積んで素材を改善し開発する事で「できなかったことをできるようにする」ということこそが現代に生きる人間の戦いの本質なのだ。
 
 だからこそ我々は先人の苦労を学んで、それを当たり前にしたところから出発してさらに高いところを目指して行かなくてはならないのだ。そのために必要な事はやはり勉強であり学習するという行為だ。

 企業が激烈な競争の結果、よりよい製品を作り上げてくるという行為のおかげで便利な現代社会が支えられている。

 年賀状の印刷一つとっても、楽の陰にある努力を忘れてはいけないんだな。

 それでは、メリー・クリスマス!すてきな夜をお過ごしください。 
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パーティは楽し

2005-12-23 23:37:02 | Weblog
 今日から嬉しい三連休。年末に向けた作業はここが正念場。年賀状は書きましたか?

【クリスマスパーティに参加する】
 私のブログによく登場する「知人のSさん」からまたまた誘いがあって、「小松さんの家の近くに住んでいるMさんからクリスマスパーティに誘われたのですが、奥さんと一緒にいかがですか」とのこと。

 私の家の近くに住んでいるMさんとは、道内でちょっとは知られた若手経済人なのだが、私も一度電話で会話をしたことがある程度のお付き合いでしかない。まあそれでもせっかくこうして誘われたということは「なだれ込む」価値のあることに違いない、と心に決めて妻を誘うと「いいですよ」とのこと。なだれ込むことに理解のある奥さんで良かった。

 夜6時の集合時間に地図を頼りに歩きながら訪問。「どうぞ~、いらっしゃい」と温かく迎えてくれたのだが、広い敷地に大きな家で改めてびっくりである。

 普段滅多にホームパーティなどに参加したことはなかったのだが、何本ものワインと奥様の手料理の数々に、お嬢さん達の歌と踊りでおもてなし。(こ、これがホームパーチーっつーもんですかー)と内心驚きながらも、心遣いの数々に感心することしきり。

 今日の参加メンバーは子供を除くと15人ほどのこじんまりしたものだったが、ホスト役のご主人も、紹介やら話題提供にまめまめしく動くし、参加者の一人は厨房を借りて料理を始める。役回りをいろいろと演じると面白そうだ。

    ※    ※    ※    ※

 参加者のなかにブログを構築するのが仕事という方がいて、詳しく伺うとコンサドーレ札幌のオフィシャルブログなのだという。これは面白そう。

「オフィシャルブログということですが、どうやって資金が集まるようなシステムなのですか?」
「まだ立ち上げたばかりで、これから本格的に営業をしなくてはいけないのですが、基本的にはやはりスポンサーを中心とした企業さんからの広告料ですね。」

「なるほど、やはりそこなんですね。ホームページを管理するのは大変なんですか?」
「ブログの場合は、参加者が自らコンテンツを提供してくれるので、自分たちが制作をして作り込むよりはずっと楽ですね。それでいながら、興味のある人はどんどん増えますから、こういう動きが広がると良いですね」

「ブログも数が増えると、良いものとそうでないものを探すのに苦労しませんか?」
「そうですね、大抵はアクセスランキングというのが出るようになっていますから、人気のあるブログは知られるようになるものですよ」

「応援とか批判とかカラーが出てくるんでしょうね」
「批判をするブログも結構あるんです。でもさんざんに悪口を言っていながら、最後には必ずと言っていいほど『…でも応援してるからガンバレ!』って書いていますよね。みんなやっぱりファンなんですよ」 

 コンテンツはお金や手間をかけずに参加者が自ら作り、それを見て、そして見られることが楽しみになるのがブログの面白いところだ。さらにそれが企業の協賛のようにお金を生むビジネスになるというモデルは面白い。特にスポーツならばファンの存在が大きいのだろう。 

 遠回りだけれど、自分たちの事業へのファンや共感者を増やすということが大事なのだろう。ファンは言葉で説明して口説いてなってくれるものではない。磨かなくてはならないのは自らの全人格だ。

 言葉だけではなく、自分の全てが人々を魅了できるかどうかなんだな、きっと。

 こういうパーティも面白い。今度は是非とも蕎麦打ちパフォーマンスをお見せしたいものだ。

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忘年会は楽し

2005-12-22 23:35:50 | Weblog
 さすがにまち中は忘年会シーズンで人通りの多かったです。大いに今年一年を振り返りながら悪い事は忘れて来年へと気持ちを切り替えていきましょう。

【今日は忘年会】
 職場もやっと忘年会。我が課はなかなか全員が揃う日が見つからずに、やっと今日その日程が組めました。

  ちゃんこ料理の一次会とビートルズナンバーの生演奏を聴かせてくれるホールで、この一年間に思いを馳せながら今のチーム状態に感謝していました。今はとにかく変革の時期なので、これまでの経緯は踏まえつつ、変化は恐れずに先取りして時代に耐えられるような準備をしようと思っているのだけれど、そういう願いに応えてくれる前向きな職員が集まってくれているので笑いの絶えない明るい職場になっている。

 我々の仕事は年度の後半に調査業務が集中しがちなのだが、そんな中にあって「今、何のために、この調査を行って、結果としてどういう社会貢献をするか」ということに明るいビジョンを持つことは極めて重要になってくる。

 経営学の先達のカール・アルブレヒトの言葉を借りれば「…多くの点で、今日ビジネス界が陥っている危機とは、意味の危機である。人々はやることばかりに目を向け、その背景にあるなぜやらなければならないのかを理解していない。だから自分に自信が持てない」

「人々は、一生懸命働けば成功するという世の中の仕組みを分かっていない。会社の将来に疑いや不安を抱けば抱くほど、自分のキャリアや将来にも疑いや不安を抱くようになる。会社やその社員が意味の危機に陥れば陥るほど一層深刻である」
 
「…この新しい環境の中で、リーダーシップの役割を目指すのなら、人間にとって意味というものがどれだけ大切かを軽視しないことだ。それは人間の最も基本的で、決して消えることのない欲求の一つなのだ」ということだ。

 来年度の北海道開発予算は今年度より下回ることが確実視される中で、まだまだ与えられている役割を最大限に駆使して、この北海道を幸せの島にするには何が出来るのかを一生懸命に考えよう。

 そういうことに関わって給料がいただけるとはなんと幸せなことか。我々は責任もあるが、これは誇りをもって立ち向かうに値することなのだ。

 一つ一つのことに意味を見いだしていこう。その先に明るいビジョンを形成していこうよ。

 ディズニーランドを作ったウォルト・ディズニーのビジョンは「人々を幸せにすること」だ。

 ビジョンは簡潔でよい。

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