北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

マウンド上の孤独

2013-10-31 22:08:11 | Weblog

 我々が子供の時のスポーツと言えば、まず野球。

 弟と兄弟二人して、父親のノックを受けていると同級生たちもやってきて、一緒に暗くなるまで遊びほうけていました。

 大学生や就職してからは地域の草野球チームに入って、ピッチャーをやるようになりました。

 地肩が強かったのである程度速い球が投げられたのですが、カーブを誰もまともに教えてくれなかったので、単調なピッチングではよく打たれました。

 カーブをちゃんと教えてくれる人が現れたのは30歳も半ばを過ぎた頃で、それも元ジャイアンツの桑田投手のように縦に落ちる球筋は、昔でいうところのドロップ。

 ストレートとカーブの組み合わせで三振が取れるようになったものの、その頃はまだカーブのコントロールが定まらず、またストレートに魅力と未練があって、ストレートでの勝負を挑んでやはり打たれることが多くありました。

 40歳ころになってようやくストレートを見せ球にしてカーブで三振が取れるという投球術が身に着いたのですが、そのときにつくづく思ったのは、(もっと早くカーブを活かした組み立てをしていればもっと勝負に勝てたのに)ということ。

 振り返れば反省する心も出てくるのですが、若かりしその時はやっぱりカーブで勝負をするということができなかったのです。

 それはカーブを投げる技術への不安というよりも、ストレートへの過信と魅力、つまりは若気の至りであったということ。

 気持ちが成長するためには長い時間が必要でした。

 頭を柔軟に切り替えることができればもっと豊かな草野球人生があったかもしれませんが、その反省がこれからは生きるのかもしれません。

 ワールドシリーズを制したレッドソックスでの上原投手の大活躍や巨人対楽天の日本シリーズを観るとやっぱり野球は面白い。


 私が遊んでいたのは高校野球でもリトルリーグでもないただの草野球。

 しかしそんな野球でも、自分が投げないと始まらない、ストライクを投げないとゲームにならないマウンド上の孤独と恐怖を思い出す度に、今でも身震いするのです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今この瞬間を生きる

2013-10-30 23:42:31 | Weblog

 往年の名スラッガーにして読売巨人軍の常勝監督川上哲治さんが亡くなりました。

 私は巨人軍の監督としてしか知りませんが、九連覇の頃の巨人は確かに強かったし、良いところで打ったON砲にも憧れたものです。

 また一人、伝説の人が過去になりました。


   ◆   


 NHKの「歴史ヒストリア」という番組で、札幌農学校のお雇い外国人教師であったクラーク先生の物語りが放送されました。

 武士から農民へならざるを得なかった武士の子弟のやるせなさからか、当初はクラーク先生も辟易するようなやんちゃな子供が多く、入学してすぐに退学させられた学生も数名いたとか。

 それが、クラーク先生の熱意溢れる教育にほだされて次第に感化され、最高の師と弟子になった札幌農学校第一期生。

 わずか8か月の札幌滞在の後、島松での別れの際には学生一人一人に握手をしてくれたのですが、学生は誰ひとり顔を上げることができなかった、と言います。

 共に過ごした時間は短くとも、与える影響の強さには関係はありません。

 離日後も学生と英語での文通をしたといいますが、それほど慕われたのには、大いなる人間的な魅力があったのでしょう。

 川上哲治さんにしても、クラーク博士にしても、その人たちと同じ時間をリアルタイムに過ごしていることの幸せは後から分かってくるのかもしれません。


 流行で言えば、鉄腕アトムに鉄人28号、巨人の星、カーペンターズやピンクレディー、山口百恵にサンダーバードなど、今振り返ると懐かしいけれど当時はそれをリアルタイムで共に過ごして楽しんでいた時期がありました。

 今は今として楽しんだほうが良い。

 後から振り返って、「ああ、そうだったんだ」と知るのはもったいない。

 そうやって時代について行くのは結構疲れることかもしれませんが、人生なんて日々思い出を作る作業にほかなりません。

 エピソードと笑える失敗談と思い出こそが今を生きる私たちの一番の財産のように思います。

 さて、今を一所懸命に生きて行きましょう。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人口減少と機械力の未来

2013-10-29 21:41:39 | Weblog

 

 

 日本建設機械施工協会北海道支部から、「機関誌に寄稿してほしい」という依頼がありました。

 題材は何でも良い、ということでしたが折角なので、「人口減少と機械力の未来」というタイトルで、近未来社会と機械について書いてみました。

 昨日、「機関誌ができました」と事務局の方が持参してくださったので、置いておきます。まずはご覧になってください。


  -----------------


 「人口減少と機械力の未来」

 未来のことはなかなか推し量れないものだが、かなり正確に分かる未来の1つが人口の将来推計だ。

 日本の人口は平成20年の、1億2千8百万人をピークにして減少を始めた。日本人がなかなか結婚をしなくなったり、かつてのように何人もの子供を生むような家族スタイルをとらなかったりする現状からは、我が国の人口はほぼ確実に減少の一途をたどることだろう。

 人口が減少することは将来に悲観的な見方をする向きが多く、日本政策投資銀行の藻谷浩介氏は著書「デフレの正体」のなかで、15~64歳の生産年齢人口と呼ばれる『お金を使ってくれる現役世代』が減少していることが内需縮小の最大の要因だ、と指摘している。

 その一方、消費する人口だけではなく、社会を支える人口という面でみると、もう一つ「労働力人口」という指標がある。こちらは、「15歳以上の者で、実際に働いている人と、働きたいと希望し求職活動をしているが仕事についていない、いわゆる完全失業者の総数」のことだ。

 もちろんこの数も国全体の人口減少と共に次第に減少していき、厚生労働省人口問題研究所の資料では、2007年から2025年にかけて、生産年齢人口は約15%減少し、労働力人口は約5~13%程度減少すると見込まれるとされている。

 これが生産年齢人口と違うのは、こちらではカウント外の65歳以上でも実際にはその2割は働いていることで、こういう人たちは社会保険を支払い年金などを支え、かつまた労働力としても社会を支えている数と言えることだ。

労働力人口は、生産年齢人口ほどには急激には減らないと予想されるが、中身としては高齢化が進んだり女性が増えたりというように質的に変化してゆくだろう。

 これを我々が携わっている公共インフラの世界で考えると、管理する公共インフラをより少ない人間で管理しなくてはならない社会が来るという事が予想される。

今ですら既に地方では機械類のオペレーターの高齢化と人員の確保に悩まされているわけだが、この傾向がさらに続くということだ。そうして必然的に、人口減少やその変質と共に、私たちの社会は否応なく機械力の効率化と技術開発を進めない限り維持することができない社会になるだろう。

 10時間かかった作業を9時間で行えるような1割の効率化のために、除雪機械にはどのような技術開発が必要だろうか。女性や高齢者のオペレーターでも安全で楽に作業ができないか、二人でやる作業を一人でやれないか、人がいなくても遠隔操作や自動でできないかなどなど、まだまだ効率化のためにできることは多いはず。

 決して現状を守るだけではなく、後の世代のために今我々が工夫しておくべきことは山積している。

 機械の老朽化が手当てされないなど日常に憂いは多いけれど、必ずや機械の時代が来るだろう。

 日々誇りを持って、来るべき社会のために地道にがんばっていこうではないか。


  -----------------


 我々の知らないところで、社会の効率化は機械力によって行われています。

 一台で何人分もの人の働きをし、同じ作業を繰り返し、人間の代わりに危ないところで働き、寝ることも休むこともなく働き続けてくれる機械。

 手塚治虫さんが「鉄腕アトム」の中で描いたのは人に似たロボットの物語りでしたが、人の形などしていなくても人間社会のために淡々と働き続ける機械は鉄腕アトムの中の世界のようです。

 そして今日、経済の成長戦略が求められる時にカギになるのはやはり「効率化」と「新しい価値を生むこと」に外なりません。

 人口減少を迎える日本では、今まで10人でやっていたことを5人でできるようにするような効率性と、人口減少=少なくなる消費者を補うような投資と消費を促すような新しい価値を生み出すことが求められています。

 例えば、男の世界と思われるところへの女性の進出、ベテランの世界への新人の進出など、様々な人材が常識の垣根を越えてゆけるようなサポートをするのも機械の力です。

「そういうことができるようになるのだったらお金を払っても良い」と思わせるような新しいアイディアと価値をいかにして生み出すか。

 
 課題があれば必ず解決してきた日本人です。きっとこうした問題も解決してくれると信じましょう。

 そのときにはきっと機械がもっとサポートをしてくれているはずです。

  

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晩秋のアウトドアコーヒー

2013-10-28 23:45:11 | Weblog

 

 知人に案内されていった道南の川で、今年最後の釣り行。

 気温は12℃。かなり冷えてきた天気と時折降るにわか雨に悩まされながらも、晩秋の美しい渓相にときおり見せる青空をバックにした紅葉の綺麗なことといったらありません。

 この川にはサクラマスも頻繁に遡上しているとのことで、自然産卵によるヤマベ(=遺伝子的にはサクラマスと同じ)が豊かな川だそう。暖かくなった時が楽しみな川を紹介していただきました。

 釣果はさておき、案内していただいたAさんとは、仕事やネットやプライベートでもう十数年来いろいろなおつきあいがあるのですが、お互いに「まさか一緒に釣りに行ける日が来るとはねえ」と不思議な縁を感じます。

 もっとも、Aさんはもう二十年来のフライフィッシャーであり、要は私の方が遅れてきたマイブームのためにようやく話が合ったというだけのこと。

 それでも同じフィールドで互いの腕を競い合い、智恵を交換しながらの会話と時間は、人生の印象深い思い出になる要素に満ちています。

 年齢が上がってくると、思い出も質の高いものを求めましょう。そのためには釣りは格好のアクティビティと言えるでしょう。


     ◆     ◆     ◆

 

 さて、釣りを通じていろいろな教訓を得ることができるのですが、Aさんとの会話にもハッとする人生の智恵が伺えました。

 Aさんは「私はいろいろな会の雑用を引き受けることが多いんです」、と笑いますがそんな様々な会でも釣りをする先輩は多いよう。

「ところが、先輩の中でも上手くなってどんどん釣れるようになる人と、いつまでたっても釣れない先輩がいるんです。」
「釣りの腕というわけですか」
 
「はばかりながら私なんかもだんだん釣れるようになった方なんですが、釣れる人と釣れない人の差が分かってきたんです」
「へえ、私も釣れるようになりたいです(笑)」

「実はそのコツは、釣りに行った先の地元の人と会話して、魚や川の様子を聞くということなんです。他愛もない会話をしているうちに、釣りの話になると『今はこの手の魚は砂に潜っているから、タナを長く取って海底を這うようにすると釣れるよ』とか、『今はその魚はこんな餌を食べているからそれに似た疑似餌ならいいかも』なんて教えてくれるんですよ。
 そして言われたようにやってみると、これがやっぱり釣れる(笑)つまり、地元の人たちと上手なコミュニケーションが取れさえすれば、情報がどんどん入ってきて上手くいく、ということがある反面、ある種の先輩にはプライドが高くて、『そんなの人に訊けるか』と頑張っちゃう人がいる…」
「…で、そういう人は釣れないと(笑)」


 本やビデオやネットなど、情報源は様々に広がっているようですが、さらに多様で質の高い情報を得ようと思ったら、人と会話する、人に気に入られる、人とつきあう、という能力が効いてくるモノのようです。

 若くてもそういうことに長けていれば、豊かな人生が歩めそうですね。


    ◆     ◆     ◆


 もうひとつ、いろいろな趣味にも自分の中で気が狂ったようにのめり込む時期があるかと思うと、憑きものが取れたようにパタッとやらなくなってしまうことがあります。

 私も学生時代は狂ったようにスキーをしていましたが、いまはもう時間を割くアクティビティとしては興味を失いかけています。

 Aさんもかつては一生懸命に釣りに行ったと言いますが、「最近は年に2回くらいですよ」とのこと。

 そうなると一体どんな心境の変化が、マイブームを燃え上がらせたり終演させたりするのでしょう。

「そうですねえ、フライを買うようになったらお終いかな(笑)」
「ははあ、まだ私は作るのも楽しいうちですね」

「でもね、だんだん無くさないようになるし、作ってもカディスだけだとか(笑)」
「あ、そうかも(笑)でもやっぱりカディスなら魚も出ますが他だとあまり出なくて(笑)」


「私も若い時は年に150日くらい山にいるくらい登山三昧だった時期があるんです。ところがそれがあるとき、パタッといかなくなってしまう。(もういいかな)と思っちゃうんですね。視力、体力、気力と歳を取るとある程度衰えてくるものですが、やはり釣りに行かなくなったとすれば気力がなくなるんじゃないでしょうか」


      ◆     

 
 私も今年は20回以上釣りに出ましたが、まだまだやるたびに面白さが増える一番楽しい時期だったようです。

 これはどうやらあまりのめり込みすぎて一気に興味を失うようなことではなく、ある程度までいったらゆっくりスローに楽しみを持続させることを意識した方が良いかも知れません。

 男女の間でも、「愛は小出しに末永く」と言いますね。

 楽しさを内に秘めつつ、チャンスが来たら存分に楽しめるだけのスキルとフィールド感は養っておく。

 人生を長く楽しむ秘訣は案そんなところにあるのかも知れません。

 

 釣りもそこそこに、椅子を出して"ピーク1"でお湯を沸かし、落ち葉降る中でのコーヒー談義。

 人生を彩る思い出の一日となりました。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「道展」展覧会を観てきました

2013-10-27 22:04:14 | Weblog

 「道展」を見てきました。

 今年は第88回だそうで、北海道を代表する美術公募展の一つです。

 道展が開かれるともう秋も深いという季節の風物詩ですが、今年は、日本画21点、油彩149点、水彩30点、版画18点、彫刻18点、工芸28点の合計264点が入選し、札幌市民ギャラリーで11月3日まで開催中です。

 鑑賞中に写真撮影をしている人がちらほら見えたので、受付の方に「写真を撮影してもよろしいのでしょうか?」と訊ねてみたところ、「他のお客様の迷惑にならなければ結構です」とのこと。

 こういうことは写真撮影が駄目なものだと思っていただけに、感心すると同時に、これを悪意を持って利用する人もいないでしょうし、逆に美術ファンへの良いサービスだと思いました。

 高校時代に銅板による金属工芸をしていたこともあって、創作活動にはずっと関心がありました。

「芸術はよくわからん」という人もいますが、分かる分からないよりも作品を見てなにかを感じて、「好き」だとか「嫌いだ」ということも含めて、自分の心が動くことを楽しめればよいのだと思います。

 会場には各所に「鑑賞のしおり」という解説シートが置かれていて、ピックアップされた作品と作者自身の言葉が紹介されていますが、読んでしまうとかえってそれに引っ張られるということもあります。

 素直な自分の心のゆらぎを楽しむのが良いのではないでしょうか。

 
     ◆   

 
 【北海道美術協会賞「ここにいたい」】


 
 【芽吹きを思わせるあしらい】


 今回の作品の中で私が一番気になって素敵だと思ったのは、北海道美術協会賞を受賞した札幌の佐藤あゆみさんの「ここにいたい」と題された工芸作品です。

 細い針金を使って大きな円盤を作り、中心部には植物が木の芽が芽吹いたような小さな葉っぱが開いています。

 入ったところで入り口正面に置かれていることもありますが、私としては非常に印象の強い作品でした。


 また今回非常に面白く感じたのが、アニメチックな画風が評価されて入賞する作品があったこと。

 このような画風が入選する時代になったのかと、ある種の感動がありました。

 
 【アニメチックな画風がありました】 

 
 さらに、今年で7回目となる15歳から21歳以下の公募展"U21"も、若い学生さんたちの感性がほとばしるようで好感が持てました。

 こういう子供たちの中から未来の芸術家が育ってゆくことを期待したいところです。

 
 【若い世代の活躍に期待】


     ◆    


 ところでこの道展、札幌での展覧会を終えた後は道内のいくつかの都市で移動展が開催されます。

 しかし受賞作品のすべてが回っていくわけではなく、限られた作品の鑑賞にとどまります。入賞した全ての作品を観られる札幌にいることはやはり幸せだということになります。

 こんなこと一つでも感じる、地方にいるということのハンデ。

 図録や目録では感じきれない、作品から来るオーラを現物を見ることで感じてほしいものです。

 展覧会は11月3日まで札幌市民ギャラリーにて

 ホームページからは割引券がダウンロードできますので、利用をお勧めします。

【道展ホームページ】 http://doten.jp/index.html

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ICTで日本再生~富士通フォーラムより

2013-10-26 23:56:12 | Weblog

 

 大手電気通信会社の富士通(株)が主催するエグゼクティブフォーラムを聴いてきました。

 講師は二人いたのですが、前半に行われた富士通総研相談役の伊東千秋さんが『日本再生のシナリオ ICTと多様性で価値創造経済へ』と題する講演は聴きごたえがありました。

 伊藤さんはここ20年の日本経済について、「我慢の企業経営」→「勤労所得の低下」→「将来不安」→「消費低迷」→「デフレの継続」→「我慢の…(ふりだし)」という負の連鎖に陥っていたと言います。

 日本は2000年からの経過を見ても、輸入物価指数はじりじり上がっているのに輸出物価指数はほとんど横ばい。つまり、安くないと売れないコモディティ(日用品)を売ろうとして、後ろから追いかけてくる後発の新興国と不毛な競争を強いられているのです。

 その結果、株価は低迷。資本コスト以上の収益が上がらない状態が続いています。

 株式にはROEという指標があって、株主資本に対する当期純利益の割合を差しますが、直近の五年平均で言うと企業の65%がこれが0~10%に留まっていて、マイナスという企業も18.5%に上るなど、会社の儲からない時代が続きました。

 そんな中、実は日本企業もがんばっていて、労働分配率は先進国中最大という調査結果があるのですが、何しろ率は高くてもそもそも儲けが少ないのだから労働者報酬は低下する一方です。

 
【日本の産業構造の変化】
 さて、経済の発展が進むと労働力は二次産業から三次産業へ、つまり製造業からサービス業へと移って行きます。

 日本でも金融や不動産はGDP増大に貢献していますが、そこへ移れる人は限られていて、多くの労働者が移動したのが福祉・介護の世界でした。

 しかし福祉・介護分野は低賃金労働が常態化していて、結局労働者の収入は低下。サービス産業が増えたのに経済は沈滞化する一方です。

 アメリカでは、オバマ大統領が「製造業への回帰」を言い出しました。アメリカでも高収入のサービス産業に従事できる人はごく一部に限られているからです。

 ドイツは同じ製造業で食っている国ですが、早くから製造業のための製品づくりに力を入れていて、これは低価格化を強いられるコモディティ生産とは一線を画した、高付加価値を生み出して他に代替性のない製品づくりということ。

 つまり伊東さんは、日本もデジタルの世界の様な、組み立てだけで同じような品質の製品が低価格で提供できるようなリングで戦い続けることをもうやめよう、と言うのです。


     ◆   


 実は日本だって、ビッグネームのブランドにはなっていなくても世界的なチャンピオン企業は枚挙にいとまがありません。

 浜松フォトニクス(浜松)、島精機製作所(和歌山)、東洋炭素(大阪)、マキタ(安城)などは、その分野で世界的シェアが60%を超える様な他の追随を許さない企業です。

 気が付くのはこれらが東京ではなく地方都市に拠点を置いていること。つまり世界を相手にするような企業は別に東京になどいなくても良い。東京で目に付くのはコモディティばかり。直接世界に目が行くのだから、地方都市にいたって良いのです。

 そこまでいかなくたって、東日本大震災で東北地方のサプライチェーンがずたずたになった瞬間、たった一本のネジの供給が止まったことで、世界中の多くの製品づくりが大きな打撃を受けたことはまだ記憶に新しいところ。

 しかしそういう企業たちが大手の下請けでいる限りはやはり利益は低い水準にとどまらざるを得ないのです。

 伊東さんはこの悪循環を断ち切るにはやはり『イノベーション』という新しい価値創造の新機軸を生み出さないといけないと言いますが、実はみなそのことには気が付いていながらできずにいるのが現実。

 そして、イノベーションを起こすためにやるべきだがやっていないこととして、①多様なイノベーションのための経営と、②ICTをもっともっと利用すること、の二つを挙げます。(ほほう、ほらほら、そろそろ富士通の出番のようですぞ)


   ◆   


 ①の多様な経営として具体的に挙げるのがイノベーションを起こせる多様な人材の投入で、例えば女性、若者、高齢者、障碍者、外国人などをもっとチームに入れましょう。

 日本の経営者層をみるにつけても、そこには、「日本人で男性の生え抜き」ばっかりではありませんか。そんな同質性のぬるま湯につかっていると、「そりゃおかしい!」と言うことのできない雰囲気になりさがっているのです。

 世界の優れた企業がCEOに女性を迎える例が増えています。

 それは、同じくらいの能力の男性だって数多くいるはずなのに、そこは敢えて女性であることで、これまでの惰性的慣性力を変えてくれることに大きな期待があるのに違いありません。

 

 
【もっともっと、もっとICTを使おう】
 さて、今時代は「クラウド」の時代と言われています。

 日本語では「クラウド」と言いますが、英単語では"cloud(雲=ネット情報)"と、"crowd(群衆)"の二つのクラウドがあります。

 ネットのクラウドも大切ですが、実はもう一つの群衆によるクラウドの力も大きなものがあります。その代表はwikipediaのような知識の寄せ集めであったり、twitter、facebookのようなSNSでの人々のつながりです。

 つまり「人」こそが知恵、感性、価値観を生み出す源泉であり、これらが関係することの力、そして関係できるようになったことで力が生み出され続けているのです。

 
 一例を上げましょう。

 アメリカにEli Lilly(イーライリリー)という売上高世界第九位の製薬会社があります。

 ここが薬を作る過程でどうしても解決できないプロセスがあったのを、なんと二億円の顕彰をつけてアイディアを世界に公募するということがありました。

 すると二週間で2万件のアイディアの応募があり、その中に問題解決につながるアイディアがありました。

 しかもそのアイディアを出したのが、専門分野を突き詰めた多くの博士を向こうに回したただの素人だったというのです。

 そこでイーライリリー社は、イノベーションとインセンティブを掛け合わせた造語のイノセンティブ(Innocentive)という会社を作り、各企業の課題をより低廉に解決できる知恵集めの会社を作り、これが成功を収めています。

 日本でも石川県と群馬県でバーチャル工業団地が始まり、地域の得意技を公開して組み合わせることで新製品開発に繋げようという機運が出始めています。


 
【シミュレーションは第三の科学】

 科学の世界では、「理論」を第一の科学、「実験」を第二の科学と言いますが、第三の科学それがシミュレーションです。

 ノーベル賞を取るためには、長年の地道な研究とある日訪れる幸運の女神の様な偶然、そしてその偶然に気がついて追及する力が必要だ、と言われます。

 しかしそれならばある日訪れる女神様を、スパコンを活用したシミュレーションで加速させることができるでしょう。
 
 今注目されているのは「人口光合成」を行う技術開発。これができれば炭素循環はコントロールできるようになり、CO2問題は一気に解決されることでしょう。

 また新薬開発の現場では、新しい薬を作るのに約2万種類の化合物を合成しなくてはならないのですが、それを手作業で行うのではなく、スパコンの中でシミュレーションして絞り込みを効果的に行うことができます。

 さらに新薬ではその約40%が心臓への副作用(不整脈)のために失敗するのだそうですが、それならば心臓のモデルをつくってみたらどうなるか、というのが心臓シミュレータという発想です。

 今や心臓のモデルさえ仮想的に作り出そうという試みがなされていて、このことに巨大製薬会社や世界の大学が参加していると言います。

 
【ビッグデータに語らせる】
 最近は判定プログラムを人間が書くのではなく、膨大なデータの解析から判定式をコンピューターに考えさせるという手法が進歩しています。

 富士通では今年の健康データから次年度に糖尿病になるかどうかの、糖尿病予備軍のデータ2万6千人分を解析して、「なる・ならない」を判定させたところ、名医と呼ばれる人でもこの確率は65%程度だと言われる中、正答率が96%に達したのだそう。

 このように、膨大なビッグデータを活用することで効率的で効果的な課題解決ができつつあります。

 こうした技術をさらに活用して、イノベーティブで活性化した明日の日本を描こうではないか。

 医療・福祉・広域行政の世界でも、効率的でかつリスク耐性のある社会を形成しようではないか。

 世界に冠たるエネルギー、資源、環境の誇れる国を目指そうではないか。

 日本はそんなことの目指せる世界有数の国であるはずです。


   ◆   ◆   ◆


 以上が講演の概要ですが、具体的な事例に数多く接している講師の伊東さんの話術に会場は飲みこまれていました。

 伊東さんは政府の委員会委員などの経験もあって、やはり現場を経験している人の言葉には力があると思いました。

 日本はまだまだ技術でも国民の勤勉性、能力、どれをとっても世界出数少ない先進国の一つです。

 これからも自国とその将来のために、そして世界に貢献できるような先進的な活動にまい進してゆきましょう。

 なんだか力が湧いてくるような魅力的な講演でした。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浜野さんとの釣談義

2013-10-25 23:45:40 | Weblog

 

 どうやら台風27号と28号の本体は大幅に東へ針路を変更してくれたようです。

 とりあえず台風の直撃は免れましたが、前線を刺激して遠いところで雨が降るということが多いのでまだ油断はできません。

 道内でも道央の雨が強まっているようですので、気を付けたいですね。


   ◆   


 今やなんと形容してよいのか、ライフスタイルプロデューサーであり、釣りのカリスマでありまちづくり・地域づくり屋である浜野安宏さんと久しぶりに語り合うことができました。

「最近は名刺に生活探検家と書いていますよ(笑)」という浜野さんですが、最近はご自身の人生の総決算という意気込みで映画の撮影に奔走しています。

「昨日丁度北海道ロケが終わって、今日釧路から飛んできましたよ」と言い、「いい映像が撮れましたよ」と大満足の様子。

 映画は、浜野さん自身が主演と監督を務め、せりふ回しも撮影しながら臨機応変に変えてしまうのだそうで、コアの部分は大事にしながら瞬間瞬間のインスピレーションを大事にしている様子がうかがえます。

 釣りを中心にしながら人との出会いを描くと言いますが、「映画を出しにして釣りを楽しんでいるんじゃありませんか?」と持ちかけると、笑いながら「そんなことはありませんよ。ちゃんとシーンとして必要な絵を撮っているんですよ」とのこと。

 追いかける魚は日本最大の淡水魚イトウで、撮影の中でも90センチ級のイトウが釣れたシーンがあるそうです。

 なんともうらやましい限りではあります。


   ◆   ◆   


 私も始めるようになった渓流での釣りですが、北海道の渓流釣りの大きな課題は、生活の安全を高める治水事業や牧場化などの産業的土地利用、漁業などを優先にすると、渓流の魚などは優先度が高くはなかったこと。

 我々にとっては憧れのイトウですら、かつてはたくさんいたものの河川改修や牧場化で生息環境を失い、さらに漁業者からはサケ・マスの卵を食べる渓流の魚たちは「害魚」と邪魔者にされたことで、顧みられることが少なかったのです。
 
 無造作な砂防ダムはその落差で魚の棲息の連続性を絶ってきましたが、それでも河川法の柱として環境が盛り込まれてからは魚道整備が行われるようになり、改修時にもかなり生き物環境が考慮されるようになってきました。

 それでもまだ本州に比べると豊かな自然が身近に残る北海道です。自然環境と人間活動の折り合いをつけて皆が、応分の負担をしながら利益を享受できるような制度ができても良さそうです。


    ◆   ◆  


 それにしても、釣りの話から始まって、浜野さんの世界中をまたにかけた釣り行のエピソードには度肝を抜かれます。

 アラスカで灰色熊に延々追いかけられて、挙句の果てには釣り上げた魚を狙われて襲われた話には度肝を抜かれます。

 釣り上げた魚目当てに熊が襲ってきたのを見て、浜野さんは釣竿を投げ捨てて逃げたそうですが、熊は人間には興味などなく魚めがけてまっしぐら。

 ところが魚には釣針と釣り糸がそのままついていたので、熊が鮭をくわえて引っ張ったところ釣り糸がリールからジーーーと音を立てて繰り出されました。

 それを見た浜野さんとご友人は二人して、「おお、熊が釣れた!」と叫んだとか。

 眉唾とは申しません。まあ愉快で面白い話が満載です。

 
 さて、浜野さんの映画は、来年完成して春にはお目見えする予定だそう。

 北海道がどういう映像になって写っているか今からとても楽しみです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年金は破綻しないのです

2013-10-24 23:45:57 | Weblog

 

 先日、「社会保障を勉強している」と書いたところ、ある方から、「昔の記事だけど」と言って、2012年4月9日付けの朝日新聞「AERA」の記事を教えてもらいました。

 ここでは、朝日新聞の太田啓之記者が「『年金破綻論』のまやかし」という、年金破綻論を掲げて将来への不安をあおった人たちへの批判的な記事を掲載しています。

 その記事自身も面白いのですが、その記事なかの囲み記事で、カリスマ受験講師の細野真宏さんが、「国民全員が『誤解』している年金破綻論は『天動説』」として、やはり年金破綻論にたいする誤解を解くような文章を書かれていて、これが非常に面白いと思いました。

 まずはそれをご覧ください。

  --------【以下引用】------------

 カリスマ受験講師が読み解く
 「国民全員が『誤解』している年金破綻論は『天動説』」

      経済解説者 細野真宏氏  AERA 2012.4.9


 なぜ年金に関する誤解や誤報がここまで多いのか?それは「極めてよくできた引っかけ問題」が入り込んでいるからです。

 例えば「保険料の未納が増えると年金が破綻する」という説が、数年前まで当たり前とされていました。私自身も、2008年に政府の社会保障国民会議の委員になるまで、「抜本改革をしなければ年金はもたない」と漠然と考えていました。日本経済新聞は日本の年金学者を結集し、「保険料の未納増加で破綻する可能性が大きい」として、抜本改革案を提案していたくらいです。

 ただ実際は、未納者が増えても年金は破綻しないことが08年5月の社会保障国民会議のシミュレーションで判明しました。未納は国民年金の一部で起きていることで、制度全体に影響を与えている規模ではない。

 そして、そもそも国民年金は半分が税金から払われる仕組みなので、未納者は将来年金がもらえないばかりか、単に「税金の払い損」になるためです。

 この「未納が増えると年金が破綻する」のように、誰もが「疑う余地のない論だ」と思ってしまうほど見事な引っかけ問題というのは、私は16世紀まで遡らないと見つけることができません。

 その「伝説的な引っかけ問題」とは「天動説」です。これは、子供の時に誰もが経験していることだと思いますが、最初は「地球ではなく空が動いているのだ」と信じていたはずです。

 ところが、教育で「それは誤解だ」と知ることになる。まさに、それと同じことが年金で起きていて、そもそも「国民全員が誤解から始まる」という、信じられないような背景が根本にあるわけです。

 そして、それが誤解だと証明されると、破綻論を唱えていた人は「そもそも我々は、そんな破綻論を唱えたことはない」とトーンダウンし、また別の破綻論を唱え始めるのです。

 例えば、出生率が低下したり、経済が低迷したりすると、「このままの状態で推移すれば破綻する」という具合に「予言」を始めます。

 ただ、出生率が下がっても、さすがにゼロまで下がることはないでしょう。事実、出生率は05年に底を打ち、現在では回復基調にあります。

 そして、経済についても、リーマン・ショックや大震災といった大きな危機的な状況もあり、悲観論が蔓延し、多くの日本企業の株価はPBR(株価純資産倍率)が1倍を下回るような異常な事態にまで下がっていました。

 しかし、そもそも日本企業が全滅するはずもなく、株価を見ても、ようやく平成を取り戻し、底を打ち上昇局面にあります。このような「短期間の下げ」を利用し、「長期間の悲観」をあおるのが、現在の破綻論の特徴になっているようです。

 破綻論者のもう一つの特徴として、「御用学者」や「官僚に取り込まれた」という表現を多用することが挙げられます。

 これは、人を思考停止に陥れる「魔法の言葉」ですが、実は単なる「レッテル貼り」で、「論理」からはかけ離れています。安易な「レッテル貼り」で他者の信用を落とし、自説を信用させるのはチープな霊能者が行う典型的な手法です。

 もし論理がしっかりしていれば、こんな無意味な表現を使う必要は無いはず。つまり表現から、その発言者のレベルも分かります。

 年金など社会保障の分野は引っかけ問題が多い分、冷静に情報を見極めるのが重要になるのです。

 ---------【引用終わり】------------


 年金保険には、自営業、無職者等の一般住民を含む全国民が基礎年金として加入する国民年金 と、企業や国・自治体などがそれに加えて2階建てで掛け金を拠出する厚生年金と共済組合(長期給付)があります。

 公的年金は、賦課方式という、働く現在現役の人が払い込んだお金を現在の高齢者に支給する仕組みをとっていて、この賦課方式によって「世代間扶養」が実現できるかたちとなっています。

 また積立方式(つみたてほうしき)は、若い現役時代に払い込んだ金を積み立て、老後にそのお金を受け取る仕組みで、これは民間による任意の私的保険として考えられます。

 最近は、「どうせ年金なんかもらえないんだから払わない」という考えで払わないという年金未納者が増えているとされていますが、これは実にもったいない話です。

 それは上記の細野さんが書いているように、「国民年金は半分が税金から払われる仕組みなので、未納者は将来年金がもらえないばかりか、単に『税金の払い損』になるため」です。

 本来は国民の義務として国民年金には入らないといけないのですが、それでも払わないという人は、払った額に応じた年金をもらえませんし、もらえる額には税金が投入されていていてその分の税金はやはり負担させられているからです。

 
 また公的年金制度は、決して十分とは言えないまでも、遺族年金や障害年金など若い世代にも起こりうる所得喪失のリスクにも対応できる仕組みであり、社会経済変動にも対応できる仕組みでもあり、さらには寿命の不確実性をカバーする終身保障であることなど、様々なリスクに対応した制度となっています。

 ですから年金に入らないというのは損だということなのですが、問題は年金を払うほどの余裕がないような労働賃金環境に置かれている非正規雇用者が増えているということのように思います。

 企業が社会保険に入れずに済む非正規雇用者を増やしたいという思惑は分かりますが、それでは結局年金支払者が増えないという、年金財政をボディブローのように次第に悪化させる要因でもあると言えるでしょう。

 やはり我が国は、適正な賃金が受け取れてしっかりと社会保険に入れるような社会作りを目指すべきだと思いますし、そうして一人一人が社会を、そして後代を支えるような制度への理解を深めたいものです。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前進、前進、また前進

2013-10-23 21:28:47 | Weblog

 

 人気クイズ番組だった『クイズダービー』なんて覚えていますか。

 この回答者の一人として、一世を風靡したフランス文学者篠沢秀夫教授という方がいました。

 現在篠沢先生は、難病のALSに侵されて声を失い、動くこともままならない状態なのですが、それでも病魔と闘いながら前向きに執筆活動を続けています。

 そんな篠沢先生の記事が昨年3月の「致知」に掲載されていました。


  ---------------------

 致知2012年3月号
 「我が闘魂は尽きず」 篠沢秀夫


 この病気の徴候が表れたのは、平成二十年の春頃と記憶しています。舌がもつれて次第に発音が不明瞭になり、原因が分からないまま検査を繰り返していました。そして翌年の一月に東大病院に検査入院した時、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という初耳の病名を宣告されたのです。

 ALSは筋肉を動かすための神経が麻痺し、手足がしびれるなどして体が徐々に動かなくなる病気です。毎年十万人に一人が発病するといわれていますが、原因も治療法も不明の難病とされています。

 私の場合は早い段階から呼吸機能に障害が出ていました。自力での呼吸が困難になる前に、手術で人工呼吸器を付けました。更に食べ物が気管に入ってしまう誤嚥(ごえん)を防ぐため、気管と食道を分離する手術を受け、完全に声を出すことができなくなりました。

 …病名を告げられた時はショックでしたが、すぐに心を切り替えました。入院中、窓外の空を見つめる日々を送りながら、情報の無い時代に身の回りだけを見聞して生きていた古代人のことを思ったのです。明日を憂えるのではなく、過去を嘆くのでもなく、いまある環境だけを見つめる古代の心 ー それを「新古代主義」、フランス語で「ネオアルカイスム」と名づけました。

 病気になったことを悔やんでいたら、心は沈みます。いまある姿を楽しみながら前進を続けよう。そして少し前進した人生の中で得た気づきを、同じ日本人に伝えよう。そう覚悟を決めて、毎日夕方の2時間は、入院中に習ったパソコンで、自著の執筆やフランス文学の翻訳をしています。

 人差し指が少しもつれているので主に親指を使います。この執筆活動が、生きる支えとなっています。

 
     ◆     ◆ 


 …長女が生まれて沸き立っていた昭和五十一年の十二月、知り合いから「『クイズダービー』に出てくれ」との依頼がありました。五人の回答者を競馬の馬に見立て、誰が正解するかを当てるクイズ番組です。

 それまでは視聴率十五%前後を推移していた番組が、私がレギュラー出演した十一年間は、年間平均視聴率三十%の「お化け番組」に育ちました。

 私は正解が少なく勝率が低い。けれども大学教授が当たらないというのが面白くて人気なのだと言われました。

 実は出演を打診された時、番組のプロデューサーに「先生が当たらないような問題を出しますので、よろしくお願いします」と言われ、かえって出演への意欲が高まったのです。

 クイズと学問は違います。クイズという場では分野を問わず、細々としたことを訪ねてきます。けれども知識とは構造的に考える手がかりに過ぎません。

 入学試験や資格試験などの三択問題は、細かい知識を暗記するのが勉強という恐ろしい誤解を生み、何でも知っていなくてはいけないという強迫観念を社会に蔓延させました。この学問とクイズとの混同から脱却してこそ、あるべき知性の姿となると示したかったのです。


 もう一つ、私には番組出演を通して発信したいことがありました。
「不得手なことはできなくとも笑っていればいい!」。このメッセージを全国の視聴者、とりわけ若い青少年男子に伝えたかったのです。

 大学で教鞭を執りながら、男子学生が年々男っぽくなくなっていることを危惧していました。ここにいる自分を認めてほしがる。格好を気にする。上手くできそうにないことには手を出さない。

 そんな彼らに対し、「他にできることがあればカッコ悪くなることを恐れるな」と、口では言えなくとも、テレビでそのありようを映像化してみせれば良いと思いました。

 テレビ出演から全国的な知名度が上がり、講演などの依頼が増えると、不思議なことに気づきました。私が呼ばれるのは東北と越後の地方都市ばかりなのです。

 ある時、東北での地方公演の後の会で、「キョージュが外れても外れてもニコニコ笑ってる、あれがいいんだよなあ」と涙ぐんだ一人に皆が同調するのを見て、はっと思い当たる節がありました。

 東北・越後は、一八六八年の戊辰戦争で列藩同盟を組み、西から攻め入ってきた官軍に敗れた地域です。賊軍の汚名を堪え忍んできた心が今も残り、負けても笑い続けている私への共感を呼んでいるのではないかと思ったのです。

『クイズダービー』での私の姿が「負けて辛いのに耐えて笑っている」と捉えられていることは予想外でした。私自身は勝率にはこだわらないという姿勢は保っていましたが、クイズの矢が飛んできたその場では問題を真剣に考えており、外れた瞬間にはもう一歩考えれば解けたのにと焦ります。解答が外れることを気にしないから笑っているのではなく、気にしても笑顔でいるのです。

 一々他者に認めさせなくても、「いまに見ていろ、オレだって」と目前の屈辱に耐え、人に見えない努力を続ける。自己のアイデンティティを温めて心に保ち、小さな自分を超える一歩を重ねればよい ー それこそが、映像を通して私が伝えたかったメッセージでした。


    ◆     ◆    

 (中略)

 人生、何事も上手くいくとは限りません。一時の成功も振り返れば大したことではないと気づいたり、失敗して打ちひしがれることもあります。けれども心の苦しみについては、語らないことで耐えるしかありません。

 悲しみは口にしないでじっとこらえ、やり直して明るく前へ進めばいいのです。困難に遭うたび、私は自分にそう言い聞かせて乗り越えてきました。

「前進 前進 また前進」はいまも昔も私の行動原理です。しおれそうな心を引き立てるこの考えは、子供の頃聞いた「歩兵の本領」という軍歌が元になっています。

 退く戦術我知らず
 見よや歩兵の操典を
 前進前進また前進
 肉弾届くところまで


 いまある環境を楽しみながら、一つ、また一つ。一歩、また一歩。一日、また一日と、前進を続けていきます。
 明るい心で。


  ---------------------

 いかがでしょうか。クイズダービーを覚えている人には、答えが外れても「愉快、愉快」と笑っていた篠沢先生の姿が思い出されることでしょう。

 その裏にこんな思いがあり、また今は難病の身でありながらなお前向きな人生を歩まれている篠沢先生に敬意を表したいと思います。

 人生前向きに参りましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社会保障を勉強してます

2013-10-22 22:40:54 | Weblog

 

 私は最近、社会保障の問題について勉強をしています。

 元々の関心事は、福祉関連の予算はまず優先されるのに公共事業予算はなぜ後回しになるのか、ということや、財政上の規模の違いをどのように理解するか、ということでした。

 しかし社会保障の分野については、勉強すればするほど、この問題について自分が無知であり、年金、医療、介護など社会的再配分の問題は、少子高齢化や若年労働者への支援など世代を超えた大きな国のありようそのものだ、ということが分かってきました。

 社会保障問題は、議論について行くための背景情報が膨大で、日々の新聞を読むくらいではなかなか理解しきれないほど難しくもあります。

 しかしだからこそ、ないがしろにせず、ちゃんと勉強しておきたい話題なのです。


    ◆     ◆     ◆


 さて、今の我が国の社会保障制度の進むべき方向をしっかりと示した教科書は何か、となれば、今年の8月5日にまとめられた、「社会保障制度改革国民会議報告書」ということになるでしょう。

 これは、内閣に社会保障制度改革国民会議を設置して、平成24年11月から平成25年8月にかけて20回にわたり社会保障の有識者が集まって行われた会議の集大成です。

 その冒頭には、この報告書の内容を国民に対して訴えた「国民へのメッセージ」というページがあります。

 そのメッセージとは、
「日本はいま、世界に類を見ない人口の少子高齢化を経験しています。65 歳以上の高齢人口の比率は既に総人口の4 分の1となりました。これに伴って年金、医療、介護などの社会保障給付は、既に年間100 兆円を超える水準に達しています。

 この給付を賄うため、現役世代の保険料や税負担は増大し、またそのかなりの部分は国債などによって賄われるため、将来世代の負担となっています。

 そのこともあり、日本の公的債務残高はGDPの2倍を超える水準に達しており、社会保障制度自体の持続可能性も問われているのです。

       (…中略…)

 社会保障制度の持続可能性を高め、その機能が更に高度に発揮されるようにする。そのためには、社会保険料と並ぶ主要な財源として国・地方の消費税収をしっかりと確保し、能力に応じた負担の仕組みを整備すると同時に、社会保障がそれを必要としている人たちにしっかりと給付されるような改革を行う必要があります」


【社会保障制度改革国民会議報告書】
 http://bit.ly/17dSY1z


     ◆     ◆     ◆


 レポートはこのメッセージにも込められた問題意識について、46ページにわたって述べています。

 社会保障の基本的な考え方、改革の方向性、改革の道筋、そして社会保障4分野と言われる、少子化対策、医療、介護、年金というそれぞれについても改革の方向性が述べられています。

 本当は本編全部を読むのが一番ですが、何しろ分量が多いのでとっつきにくくもあります。


 さて、ではそれでも少しくらい勉強しようかな、と思うときはどうするか。

 それは信頼できる先達を見つけて、その人の説明を見るのが良いでしょう。私の場合は、それが慶応大学商学部の権丈善一教授です。

 権丈ファンの間ではおなじみなのですが、権丈先生はかつて一度だけテレビに出演したことがあります。

 フジテレビ系列で日曜日の朝7時半から放送されている「報道2001」がそれですが、私が偶然テレビを付けた時に、まさに権丈先生と民主党の岡田さんとの間で福祉を巡る対談があって、岡田さんの主張をことごとく論破する姿に、「こ、この人誰?」と思ったのが最初でした。

 その後、福祉を勉強しようと思ったときに権丈先生がブログを使って、ご自身の主張や各種講演会や審議会などでの資料、やりとりなどを積極的に発信していることを知り、追っかけの一人になったというわけです。

 そんな権丈先生は、昨年4月に、全国地方銀行協議会の月報に「持続可能な中福祉という国家を実現するために」という文章を寄せられています。

 2012年春当時までの社会保障を巡る政治上の動きを解説し、図や表を使ってこれからの日本が取るべき姿を説明しています。

 これならまだ読みやすくて、現代日本を覆っている社会保障の問題を分かりやすく理解することができます。

 
 私が印象的だったのは、権丈先生は将来的には消費税を20%近くまで上げなくてはならないと述べて、現代日本財政の病状を説明した次の下りです。


「ところで、なぜ、消費税を20数%まで上げても、ささやかな中福祉しか実現できないのか。
 少し立ち上まって考えれば分かるように、今や世界一に達した高齢国家日本は、高負担・高福祉国家と言われる北欧諸国より、今も、そして将来も、はるかに高い高齢社会を迎えることになる。
 そして、国・地方の公債等残高の対GDP比が200%に至る日本は、将来世代に多額の公債の元利払い費を負わせてしまった。
 それゆえに、この国の将来は、仮に北欧諸国のような高負担を実現できたとしても、国民一人一人はそれらの国々のように高福祉を享受できるわけではなく、分相応な未来としては、「高負担で中福祉」、「中負担で低福祉」という選択肢しか残されていない。
 残念ながら、我々が次世代に残した未来とは、すでにそうした社会でしかないのである。
 日本の国民負担率は、先進国の中ではきわめて低い。そうした状況であるのに、永らく日本は「中の下」程度の社会保障を展開してきた。それが、他国と比べて圧倒的に高い公債等残高を残してしまった原因である」
 

 国の財政の有り様は、社会保障で決まると言っても過言ではありません。

 我が国の現状をまずしっかりと理解すること無しには、賛成も反対もできそうにありません。

 まずは私も我が国の社会保障を生涯学習しようと思います。
 

【持続可能な中福祉という国家を実現するために】
 権丈善一 『地銀協月報』2012年4月 http://bit.ly/18GjHli

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする