東京都における東京湾北部地震の新想定が発表されました。
これまでの想定を上回って、最大震度が7になったうえに震度6強の範囲も広がって、都内がより強い揺れに見舞われるというショッキングな予測が出されたのです。
より詳細に見てゆくと、地震が発生する季節や時間帯などによって被害想定の数字はいくつか示されていますが、『冬の夕方18時にM7.3の首都直下地震が発生した』とすれば、死者は9,641人とされ、一番被害が大きかったこの数字をマスコミが大きく取り上げています。
【東京都の北部地震による消失棟数分布】
ところでこの場合の死者がでる原因は約5,400人が揺れによる建物の全壊で、約4,100人が地震による火災とされています。
いまどき地震で建物が全壊するというのは、地方都市の方が却って理解できかねますが、東京の場合は環状6号線と環状7号線の間に広がる木造密集地帯がその大きな原因になります。
ここは、関東大震災で家が焼け出された多くの都民が、都市計画がないままに当時郊外だった地域を無秩序に市街化して生活を始めた地区の名残で今日に至っていて、多くの都市防災上の問題を抱えた地域とされています。
例えば、現在の建築基準法では幅4m以上の道路に接していなければ家を建てられず、道路がそれ以下で狭ければ家の敷地を削ってでも道路幅を確保して家を建てなくてはなりません。
ところがこの木造密集地帯では、この法律が却って邪魔をして、「それなら家を建て替えるのをあきらめる」という方向に考えが進み、いまだに木造モルタル二階建ての耐震基準も満たしていない住宅が建て替えられずに残ってしまっているのです。
建物自体は明らかに地震にも火災にも弱く、おまけに道路が狭くて消防自動車や救急車などが入ってゆく道路も脆弱。
これではとても災害が防げないのですが、それでも家賃が安くて良い、という人や家を建て替えるお金のない家主たちが日々を暮しています。
面白いのは、住人達は道路が狭いために車を持つ人が少ないながら、近隣で買い物をする需要は旺盛なために、昔ながらの商店街が非常に活気あふれる地区が多いこと。
【日本一長い戸越銀座の商店街】
都内でも有名な木造密集地区の京島や東向島、十条などといった地区を自転車で走っていると、道路は車が走らないから地区全体が静かで、家の中のラジオが聞こえ、犬や猫の鳴き声が聞こえるような、とても閑静な住宅街である種の昭和レトロな幸せすら感じるくらいです。
しかしながら、この安寧が一たび大災害を受けると脆いことは明明白白。そしてそれでいながら、この地区の防災度を高めるような街づくりがもう何十年もできて来なかったという現実が重くのしかかります。
【東向島の路地】
※ ※ ※ ※ ※
パターナリズムという単語があります。
語源となったラテン語の"pater(パーテル)"とは、英語のfatherの語源で、父親という意味。
そこから来るパターナリズムとは、父親的温情主義とも訳されて、『強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、弱い者の意志に反してでも行動に介入・干渉すること』をいいます。
上記の木造密集地域に照らして言うと、『危険なのはわかっているのだから、私権や財産権を制限してでも移住や建て替えを強制して安全な町に作り替えてそこに住まわせる』ということになります。
しかし、現代の行政によるまちづくりはそこへ踏み出すだけの力はとてもありません。
都市計画決定という形で世間的な合意を獲得しているはずの道路整備ですら、用地交渉が不調になった場合、最終手段である土地収用法の手続きで強制的に取得するには多くの資料作成や裁判手続きなどに二年程度の時間を要するのが現実です。
たった一区画の土地を取得するのですらそのような状況なので、これを多くの地権者、その上の家の取得者、さらにはそこに住む住人という多くの関係者全員の合意を取り付けるのは考えただけでも途方に暮れてしまいます。
従って、災害が来て一番困るはずの住人たちが納得しないような事業を行うことはとても不可能というわけです。
※ ※ ※ ※ ※
災害の被害想定を示すことで、住人の行動様式は変化が起きるでしょうか。
自分たちの安寧が隣人を危険にさらしているというこの相互の関係性に気持ちが向いてもらえないものでしょうか。
公共性とはどこまで強制力を持てるのでしょうか。
いくらあるべき理想の姿を説明しても、ごくわずかでも理解しない人がいると物事が進まない悲しさをおおくのまちづくり担当者は味わってきたことでしょう。
災害の被害想定が大きくなったことをただ恐れるだけではなく、そこから自らが、地域が、市民一人一人が変わるきっかけにすることに本当の意味があるように思います。
【東向島の路地2】
これまでの想定を上回って、最大震度が7になったうえに震度6強の範囲も広がって、都内がより強い揺れに見舞われるというショッキングな予測が出されたのです。
より詳細に見てゆくと、地震が発生する季節や時間帯などによって被害想定の数字はいくつか示されていますが、『冬の夕方18時にM7.3の首都直下地震が発生した』とすれば、死者は9,641人とされ、一番被害が大きかったこの数字をマスコミが大きく取り上げています。
【東京都の北部地震による消失棟数分布】
ところでこの場合の死者がでる原因は約5,400人が揺れによる建物の全壊で、約4,100人が地震による火災とされています。
いまどき地震で建物が全壊するというのは、地方都市の方が却って理解できかねますが、東京の場合は環状6号線と環状7号線の間に広がる木造密集地帯がその大きな原因になります。
ここは、関東大震災で家が焼け出された多くの都民が、都市計画がないままに当時郊外だった地域を無秩序に市街化して生活を始めた地区の名残で今日に至っていて、多くの都市防災上の問題を抱えた地域とされています。
例えば、現在の建築基準法では幅4m以上の道路に接していなければ家を建てられず、道路がそれ以下で狭ければ家の敷地を削ってでも道路幅を確保して家を建てなくてはなりません。
ところがこの木造密集地帯では、この法律が却って邪魔をして、「それなら家を建て替えるのをあきらめる」という方向に考えが進み、いまだに木造モルタル二階建ての耐震基準も満たしていない住宅が建て替えられずに残ってしまっているのです。
建物自体は明らかに地震にも火災にも弱く、おまけに道路が狭くて消防自動車や救急車などが入ってゆく道路も脆弱。
これではとても災害が防げないのですが、それでも家賃が安くて良い、という人や家を建て替えるお金のない家主たちが日々を暮しています。
面白いのは、住人達は道路が狭いために車を持つ人が少ないながら、近隣で買い物をする需要は旺盛なために、昔ながらの商店街が非常に活気あふれる地区が多いこと。
【日本一長い戸越銀座の商店街】
都内でも有名な木造密集地区の京島や東向島、十条などといった地区を自転車で走っていると、道路は車が走らないから地区全体が静かで、家の中のラジオが聞こえ、犬や猫の鳴き声が聞こえるような、とても閑静な住宅街である種の昭和レトロな幸せすら感じるくらいです。
しかしながら、この安寧が一たび大災害を受けると脆いことは明明白白。そしてそれでいながら、この地区の防災度を高めるような街づくりがもう何十年もできて来なかったという現実が重くのしかかります。
【東向島の路地】
※ ※ ※ ※ ※
パターナリズムという単語があります。
語源となったラテン語の"pater(パーテル)"とは、英語のfatherの語源で、父親という意味。
そこから来るパターナリズムとは、父親的温情主義とも訳されて、『強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、弱い者の意志に反してでも行動に介入・干渉すること』をいいます。
上記の木造密集地域に照らして言うと、『危険なのはわかっているのだから、私権や財産権を制限してでも移住や建て替えを強制して安全な町に作り替えてそこに住まわせる』ということになります。
しかし、現代の行政によるまちづくりはそこへ踏み出すだけの力はとてもありません。
都市計画決定という形で世間的な合意を獲得しているはずの道路整備ですら、用地交渉が不調になった場合、最終手段である土地収用法の手続きで強制的に取得するには多くの資料作成や裁判手続きなどに二年程度の時間を要するのが現実です。
たった一区画の土地を取得するのですらそのような状況なので、これを多くの地権者、その上の家の取得者、さらにはそこに住む住人という多くの関係者全員の合意を取り付けるのは考えただけでも途方に暮れてしまいます。
従って、災害が来て一番困るはずの住人たちが納得しないような事業を行うことはとても不可能というわけです。
※ ※ ※ ※ ※
災害の被害想定を示すことで、住人の行動様式は変化が起きるでしょうか。
自分たちの安寧が隣人を危険にさらしているというこの相互の関係性に気持ちが向いてもらえないものでしょうか。
公共性とはどこまで強制力を持てるのでしょうか。
いくらあるべき理想の姿を説明しても、ごくわずかでも理解しない人がいると物事が進まない悲しさをおおくのまちづくり担当者は味わってきたことでしょう。
災害の被害想定が大きくなったことをただ恐れるだけではなく、そこから自らが、地域が、市民一人一人が変わるきっかけにすることに本当の意味があるように思います。
【東向島の路地2】
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