北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

すすきのに歓楽文化あり

2009-04-30 23:56:05 | Weblog
 昨日から札幌に帰省している私ですが、ちょうど折良く横浜の同僚たちが札幌へ出張とのこと。

 札幌に土地勘がないんですよ、とのことで、私が先頭に立ってすすきの界隈をご案内することになりました。

 一軒目は芸能人、スポーツ関係者などのサインが壁一面に貼られた、知る人ぞ知る有名なお店。「ザ・北海道」というテーマでコースを頼んでみましたが、お魚の「八角」や鮭の「時知らず」さらに毛ガニも一パイつけてくれるなど、食材にザ・北海道を垣間見ることができました。

 あまりに料理の品数を豊かにしたために、逆にお刺身の盛り合わせがちょっと寂しくてそこだけはちょっと残念。次回は刺身を中心にしたメニューで頼んでみようと思います。

 食材が豊かな北海道を改めて実感でした。

    ※    ※    ※    ※

 一次会を終えてもまだ9時過ぎだったので、メンバーの要望に応えてすすきののスナック文化を味わいに。

「すすきのでスナック…」と言えば、もう私の携帯アドレスには一軒しか入っていません。ママに早速電話をしてみたところ、「はいはい、やってますよ。今ちょうどNさんが来てるよ」とのこと。

 もうお店に直接行くのは数年ぶりのことでしたが、昔の仲間もいて時間は一気に過去へとフラッシュバックです。

「そう言えば静岡にいた時にもお友達を連れてきてくれたよね~」
「よく覚えているなあ(笑)」

 すすきのの雑居ビルで、共用の廊下を含めて15坪でのスナック。

「もうこんな形のスナックは私の代で消えるね」「バブルの頃は懐かしいけど、もうあんな時代に戻りたくない」「ちょうどさっき、常連のKさんがしゃことなまこを持ってきてくれたから、食べてって」

 ママの人間関係だけが商売上の財産だということがよく分かる、わが故郷とすすきののスナック文化。

 久々でしたが、チェーン店の飲み屋からカラオケへ、というお気楽コースにはない夜の歓楽街のワンシーン。「こんなスナック、昭和レトロだもんね」と笑うけれど、的確な客あしらいで間をはずさないママがちょっと誇らしく思えたのでした。

「すすきのに歓楽文化あり」

 大人にだけは分かるのだ~  
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我が家で「どこでもネット」

2009-04-29 23:59:09 | Weblog
 ノートブックを家に持ってきました。

 札幌の我が家は長女が自室でインターネットをするために無線LANを組んでいるのですが、私のノートブックに内蔵している無線LANでもできるかを悪戦苦闘。

 親機はBUFFALO社製で、こちらのサイトで調べてみると、簡単につなげられるソフトをダウンロードすればよいことに気づきました。しかしインターネットに繋げられないから悩んでいるのです。

 少し考えて、家のパソコンで必要なソフトをダウンロードして、これをSDカードに保存してノートブックへ移すということにしました。これにて無事に私のノートが家のどこにいてもネットが可能という状態になりました。

 リビングだけでなくベッドで寝ながらでも、やろうと思えばトイレでもできます。さすがにそこまではしませんが。

 受信の強さもネットスピードも十分。しかしこれでいよいよ、リビングのパソコンは次女に占有されることが多くなることでしょう。

 お父さんはノートブックを抱いて、家の隅っこでネットです。
 
 
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帰省前の懇親会

2009-04-28 23:59:58 | Weblog
 夜遅くまで東京近辺でそれぞれ職場を異にする仲間たちと、新年度の顔合わせ会。

 夜遅くまで飲み明かして、しかも明日は朝7時45分の飛行機で札幌へ帰省の予定。どうせ遅くなるだろう事を覚悟して、今日はこのまま帰省出来るように荷物をまとめて持ってきました。

 わざわざ単身の家までタクシーで1万2千円かけて帰るのはもったいないので、今日は新橋界隈で安いホテルに飛び込みです。

 ネットもないし明日は早起き。明日から6日まで帰省中です。 

 
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鳥か…いやスーパーマ…、豚だ

2009-04-27 23:38:16 | Weblog
 鳥か鳥か、と思わせておいて、なんと豚だったとは!インフルエンザウィルスの生き延び方に翻弄されている人類です。

 何しろ遠い国のことで、その実態がなかなか分からないままに、患者が世界中に広がって、各地各国でぽつぽつと患者が現れ始めています。

 日本に用意されている抗ウィルス薬はまだ効く可能性がある(ウィルスに効かなくする遺伝子がない、という弱い言い方)と言われていますが、少なくともワクチンの製造には時間がかかるし、鳥インフルエンザだと思って用意していたワクチンは全く効かないというのですから、怖い話です。

 こうした病気の世界的爆発的な流行をパンデミックと言うそうですが、人間の移動が頻繁なところではなかなか感染の拡大が防げないのが悩みです。

 パンデミックの歴史を紐解くと、ペスト、コレラ、インフルエンザなどが大流行していて、例えば14世紀のヨーロッパで猛威をふるったペストではヨーロッパの人口が三分の一~三分の二が死亡したとまで言われ、農業に従事する人口が減ったためにイギリスでは穀物栽培から羊の放牧へと農業の携帯までが変わったのだとか。

 また同じ時期、海上交易で栄えたエジプトのイスラム国家であったマムルーク朝が衰退して滅びるなど、パンデミックのために国が衰亡した例まであるくらいです。

 幸い日本は海に囲まれているために密入国などを除けば大概の出入国は管理出来ているのですが、それでも入国の際に発症していないだけかもしれず、国際的な人間の交流が多い現代社会では油断はできません。

 そろそろ花粉症の季節は終わった関東地方ですが、いましばらくはマスクと手洗いの励行をしておいた方が良さそうです。

 円高に浮かれて海外旅行をするよりも、パンデミック対策と国内経済循環を喚起するためにも、ディスカバージャパンで国内に目を向けておくのが良いかもしれませんね。
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【番外編】新宿西口のユニクロ

2009-04-26 23:00:32 | Weblog
 先日24日のことですが、都内のニュースで「今日、新宿西口に都内で一番大きなユニクロが開店した」と言ってるのを聞きました。

 新宿西口に新しいビルはないし、テレビの映像はまさに西口のあたりの見慣れた風景…。どのあたりにユニクロができたのだろう、と早速帰りがけに周辺を歩いてみました。

 すると「あった!」

 以前は電気製品の「さくらや」が入っていた部分が改装されて確かにユニクロになっていました。電飾も鮮やかで若い人たちで大にぎわいでした。

 

 Googleには通りからの風景を眺められるストリート・ビューというサービスがありますが、これでみるとまだここの風景は「さくらや」の看板が見えます。

 さすがのGoogleでもフォローアップが間に合わないくらい、東京は通りの店構えやビルの様子が変わって行きます。

 
                   【資料:Goole Street Viewより】

 老舗のデパートが倒産の憂き目を見ている地方都市は街並みの風景が劣化していますが、東京はまた違った意味で今撮った写真がすぐに貴重な過去の記録になるのかもしれません。

 さて、地方都市を活性化する手だてはないものか…。
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パソコンのモニター購入

2009-04-26 22:28:29 | Weblog
 少々お小遣いが入ったので、思い切ってパソコンのモニターを買い換えました。今までは15インチの液晶モニターで、これを約8年間我慢していたのです。思えばよく使ったなあ。

 今回買ったのはBenQという台湾メーカーの24インチモニターで、1960×1080という、フルハイビジョンの映像を写すこともできます。
 
 思いのほか箱が薄くてしかも軽い!技術の進歩で製品の品質が上がっていることを実感しました。

 

 

 しかし大きなモニターと言えども、このサイズで映し出すと15インチだったときと文字の大きさが余り変わりません。画面が大きくなった文か絵って文字が小さく見えたりもします。

 まだメガネを掛けてはいませんが、そろそろ視力に自身がなくなってきたところなので、表示サイズを1600×900に設定して、少し大きくなった文字で目が楽になりました。

 これでお値段が2万3千円ほどとは本当に安くなりました。一年前に買おうかどうしようか悩んだ時は約3万円でしたからね。

 次の世代はいよいよモニター27インチ時代に突入でしょうか。27インチでも韓国のLG社などでは3万数千円のものが出てきていますし。

 下手なテレビよりもパソコンのモニターの方が大きな時代がやってきそうです。

 

【以前はこのサイズが…】
 

【画面の面積が二倍になりました】
 
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子どもみたいなパソコン

2009-04-25 21:13:46 | Weblog
 先月買ったノートパソコン、いろいろなソフトを入れて作業環境を改善するのはパソコン好きにはたまらない楽しみの一つ。

 パソコンで何をする、というよりもパソコンが成長して行くのが嬉しいという感覚です。まるで子どもを育てるのと同じような感じかも知れません。

 ところが、これがひとたび狂うとまさに子育てと同じように心に重苦しさが募るというもの。今回は、ウィルス対策ソフトを入れて、さらにFMラジオを聴くためのソフトを入れたところ、なぜかインターネットへの接続ができなくなりました。

 夜中に作業をしていてこういうことになると、解決しない状態でいると気になって胃の調子が更に悪くなります。

 しかも、こういうことはうまくいっている時は何でもないことが、一度歯車が狂うとなかなか立て直せなくて、ずるずると悪い方、悪い方へと事態が悪化して行くもの。今回も、インターネットを見るソフトの文字が出なくなったりして不調の極み、もうだめです。

 いろいろな方法を駆使してリカバリーを試みましたが、今日はついに断念。パソコンを「買った時の状態に戻す」という最後の手段で復帰させることにしました。

 パソコンを買った時の状態に戻すということは、これまで積み上げてきた環境改善の努力が全て無駄になることなので、できればやりたくない手段ですが、もうどうしようもありません。

「起動時にF3…」 これがこのパソコンを元に戻す合図。一月半の積み上げとサヨナラです。

 カラカラカラ…

 パソコンは今まで覚えていたことを全て忘れて、まっさらになりました。

 また必要なソフトを入れ直したりダウンロードしたりすることを最初からやり直しです。

 パソコンが真っさらになる間の時間に、子育てと同じようだ、と思いながら、実は何度でもやり直しのきくパソコンと、一度きりでやり直しのきかない子育てとは違うんだな、と思ったり。
 
 パソコンを相手にするのもいろいろなことを考えさせられるのです。  
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悲しい幼児虐待死

2009-04-24 23:12:38 | Weblog
 大阪でまた悲しい養女虐待死事件が起きました。

 例によって学校の記者会見の様子も映し出されていて、教育長の「学校がもっと強く踏み込んだ対応を取っていれば、最悪の事態は避けられたと思う」と苦渋をにじませた、という声が紹介されていました。

 しかしいろいろと記事を読む限りでは、この担任の先生は学校を休みがちだった聖香ちゃんの家を二度家庭訪問していて、内縁の夫の小林容疑者によって「和歌山の実家に預けた」と白を切られてそれ以上踏み込めなかったのだとか。

 ひとたび事件になれば、「なぜ保護出来なかったのか」と後知恵で批判する人が現れるものですが、『最悪の事態』は本当に避けられたのか?いや、最悪の事態が避けられたということは、事件になっていないのだから、なにがどのように功を奏しているのかまでは分からないのではないか、などと思うのです。

 学校での先生たちの普段の活動がどれだけ最悪の事態を予防しているのかが分からないままに、悲劇が起きた時には「もう一歩踏み込んでいれば…」というのは、マスコミ的にはお約束の発言のように思えます。

 虐待と判断して家庭の中に踏み込むなどということは、先生だけではなく児童相談所の対応も含めて相当の覚悟が必要ですし、後々の親との関係や子どもへの影響だって計り知れないことです。

 事件前に踏み込んでも、踏み込めずに事件になっても批判されるのは学校というおかしな構図になっています。

 そもそも一番に責任を負わなくてはならないはずの人たちの責任こそが問われるべきであるはずで、悲しみと怒りに振り上げた拳の降ろし処を間違えてはいけないように思います。

 こんなことにならないように、学校だけではない地域全体での取り組みが必要。では自分もその一人として行動出来るのか?問題は簡単ではありませんね。

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方丈記と防災

2009-04-23 22:52:05 | Weblog


 日本が生んだ三大随筆の一つが鴨長明の「方丈記」。

 行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。
 世の中にある人と栖(すみか)と、またかくの如し。

 玉敷の都のうちに、棟を並べ、甍(いらか)を争える、高き・賤しき人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、むかしありし家は稀なり。或は、去年焼けて、今年造れり。或は、大家(おおいへ)亡びて、小家(こいへ)となる。
 住む人もこれに同じ。所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかに一人・二人なり。朝(あした)に死に、夕に生まるる習ひ、(ただ)、水の泡にぞ似たりける。

 知らず、生れ・死ぬる人、何方(いづかた)より来りて、何方へか去る。また知らず、仮の宿り、誰が為にか、心を悩まし、何によりてか、目を悦ばしむる。その主と栖と無常を争ふさま、言はば、朝顔の露に異らず。或は、露落ちて、花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は、花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つことなし。

 暗誦したい名文の一つですね。

 (逐語訳はこちらをご参考に http://www13.plala.or.jp/hosonag/hojyolifetop.htm)

   *   *   *   *   *

 この方丈記、随筆全体は十二編からなっており実は全体でもそれほど長くはなく、すぐに読めます。全体を貫いているのは、人と栖が永遠ではないという無常観と、これらの心悩ます人と栖から脱却しようとしてやはりできない自分を見つめる様、ということになるでしょうか。

 興味深いのは、これらの人と栖が廃れ行く原因として長明自身が生涯に体験した五つの厄災を挙げて、それらの災害のによって人と栖が荒れて行くはかなさを描いていることです。

 五大厄災とは
 ①安元三年(1177)四月(新暦では6月)の大火 (長明二十三歳)
 ②治承四(1180)年卯月の辻風・竜巻
 ③治承四年水無月の福原への遷都
 ④養和年間(1181~1182)頃の飢饉
 ⑤元暦二(1185)年七月(新暦8月)の大地震 (長明三十一歳)

 のことで、こうした厄災・災害の実相を克明に描き、その結果人の命も豪華な家も、跡形もなく失われてしまうものだと書き記しています。

 たとえば安元の大火のところでは、いったん大火となれば、人は炎にまかれて倒れ、どんな宝も取り出すことなく灰になってしまう。人間の生活のための仕事は道理も分からずするものだが、その中で、これほどまでに危険な都の中に家を作ろうとして財産を消費し、心をあれこれと労するのは非常に無益ではないか、と述べています。

 また治承の辻風では、竜巻を受けた家々は大きいのも小さいのもみな被害を受けたばかりではなく、その家々を修理する間にわが身に怪我をして不具になった人々の数が知れないとあります。

 福原(今の神戸市)への遷都は、平清盛の思いつきで実行されたものでしたが、突然都が移ることになり貴族から平民までが引越しをすることになったものの、移ろうとして頑張る人や引越しができず悲嘆にくれる人、家々は分解されて河に筏となり運ばれる様子が描かれます。
 しかしながら行く先の福原は土地も狭く、まともな都市基盤のないところなので、土地を失った人々やこれから土木工事をしなければならない庶民が嘆いています。
 ちなみにこの福原遷都は、その都市の冬にはまた元に戻されるという始末で、まさに人災の極みと言えましょう。

 そして元暦二年の大地震では、世間並みの地震ではなく、山は崩れて来て河を埋め、海は傾むいて陸地を一面にぬらした。地面は裂けて、そこから水が沸いて出、巌はいくつかに割れて谷に転げ込む・・・とあり、寺院の全ての建物が一つとして完全なものはない。あるものは崩れ、あるものは倒壊してしまう・・・とそのすさまじさを物語っています。

 その余震はだんだん少なくなりながらも三ヶ月は続いたとのこと。そして人々は、地震の当座は皆家を作ることの無意味なことを口にして出して言って、すこしは心の汚れも減るかと思われたが、月日がたって年数が経った後では言葉に出して言い出す人さえいない、と日が経つにつれて災害に対してまた無自覚になってゆく人間の弱さを嘆きます。

 和漢混交体による災害の描写は一級の文体です。

   *   *   *   *   *

 人の命はともかくとして、災害で家を失うことに対しては都市防災の営みがされてきたものの、本当の意味でそれが機能するようになったのは近代のこと。江戸時代はまだ火事は破壊消防でしたから。  

 建築基準法は昭和25年にできましたが、耐震基準が見直されて現在のものになったのは昭和56年のこと。実際阪神淡路大震災でも新耐震基準で建てられた家は無事でした。

 建材や施工技術の発達で、地震でも竜巻でも火事でも大丈夫な家が建てられるところまできたのです。

 大正12(1923)年の関東大震災は、地震による火災の怖さを知らしめ、都市計画が進んだ反面、そのときに郊外に居を移した人たちによって、いまだに東京の環状7号線周りには木造で建て替えが進まない木造密集地域が存在しています。
 
 阪神淡路大震災で延焼被害が出たのもそうした密集地区でした。密集地区は建築をするのに必要な道路幅4メートルを確保できないために、地震が来たらおそらく倒れるだろうということが分かっていても、建て替えが進みません。現代日本のそれも首都のおひざもとにまだそういうところがある、これが現実。

 万人が住む家に心惑わなくなるのはいつの日のことでしょうか。


 ちなみに三大随筆の残りの二つは「枕草子」と「徒然草」。いつかじっくり読んでおきたい古典文学です。

 
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逆食

2009-04-22 23:32:06 | Weblog
 二ヶ月前の人間ドックで胃カメラを飲んだ際に、食道と胃の境目に見つかったのがちょっとした炎症。

 お医者さんがカメラを抜きながら「あ~、これが見えますか?これは逆流生食道炎ですねえ」と説明をしてくれました。通称、「逆食」というのだとか。もやもやした胃の不調は、カメラで見るとはっきりと調子の悪い部位が分かったのでした。

 胃カメラが終わった時に、お医者さんからは「お薬を出しておきますか?」と言われたのに、軽く考えて薬をもらわずにいたのですが、そrが失敗。その後も不調が治まらず、ついに病院で診てもらうことにしました。

 二ヶ月前のドックの診断から、胃酸をブロックする薬を一ヶ月分処方してもらい、今日から治療です。

「胃酸が逆流しますから、食べた後にすぐ横にならないことと、食べ過ぎ、飲み過ぎは避けること。特に強いお酒は止めておいた方が良いですね」とのこと。

 胃が悪いと思っている場合でも、実際は逆流性食道炎ということも多いそう。もっとも治療薬は同じです。

「薬を飲めば割と早く楽になるんですけど、すぐに薬は止めずに少し長めに飲んでくださいね」とのこと。治ったと言っても、なりやすい体質があるということなので、長い目でつきあっていくしかないようです。

 健康は早めに取り戻しましょう。
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