北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

大晦日に一年を振り返る~今年もお世話になりました

2006-12-31 23:59:59 | Weblog
 朝方少し雪が降りました。夜遅くに除雪車が入ってくれたようで、家の前の道路の雪がはねてありました。ありがたいことです。

【一年納めの大晦日】
 「北の心の開拓記」を始めてから二年目も無事に終わろうとしています。

 こうした書き物を続けていると、昨年の記事を検索したり読んだりすることで、何があったかを思い出すことが出来て便利です。日々の積み重ねのおかげですね。

 そこで「昨年の大晦日の記事は何だったっけ?」と思い、大晦日の記事を読み返してみると、一年の出来事ベストテンを書いてありました。

 なるほど、そういう一年であったかと思い出しつつ、それではと今年の十大ニュースを考えてみました。

①骨髄ドナーになった
②瀋陽~ハルビン~大連と中国訪問
③IBM「富士会議」に出席
   ~40代のリーダー達の姿を垣間見た
④雪氷輸送の仕事で力を尽くす
⑤日中韓観光大臣会合の仕事に力を尽くす
⑥ブックレット「うぉんつ」で『生涯学習とまちづくり』を発行した
⑦掛川に里帰りでスローライフ講演会を行う
⑧日中の古典を読み始める
   ~陽明学、言志録、明治時代などの名作に出会って心震える
⑨幌加内新そば祭りで、一日17kgの蕎麦を打つ
⑩高校時代の友人達と同窓会で盛り上がる

 …といったところでしょうか。

 今年の自分の出来事第1位は、やはり「骨髄ドナーになったこと」でしょう。自分も含めた人の生き死にやボランティア、公を支える精神などについて考えさせられた、非常に印象深いできごとでした。

 第2位の中国訪問は、雪氷輸送の仕事に関連して中国の雪氷利用状況を視察したもので、1月上旬にでかけたのでしたが、ブログ上はアップされていません。

 一週間分も溜まってしまったために、つい書ききれなかったのですが、中国という国を目の当たりにして、その懐の奥深さや大きさ、国民性などが印象的でした。

 勝海舟が氷川清話のなかで「支那は戦争には不向き」と書いていますが、なるほど、日本という島国にいて考える中国と、大陸で感じる中国の差を感じました。

 仕事上の話題として「雪氷輸送プロジェクト」と「日中韓観光大臣会合」の二つが入りました。どちらも組織を上げてのプロジェクトでしたので、これらに関わることが出来て感慨もひとしおです。

    *   *   *   * 

 さて、今年も多くの新しい知人との出会いがありましたが、同じくらい多くの本との出会いもありました。

 本との出会いとして、とりあえず感動したベスト3だけを書いておくと、

①『言志四録』
②『逝きし世の面影』
③『ローマ人の物語』シリーズ、といったところでしょうか。

 感動した本はもっとたくさんありますが、これらの本を読んでいて、文章中に触れられているために気になって読み始め、そのことで読む本が増えるという事がどんどん増えてきました。

 これも本の出会いのなせる技と言えるでしょう。真剣に求めれば、求める相手が向こうからやって来てくれるのですね。
 来年もさらに多くの書物に出会いたいものです。

    *   *   *   * 

 さてこうして今年一年振り返ってみると、大したことなどなかったように思っていたのに、実に多くの出来事がありました。

 しかしそれも、家族や身内が皆無病息災で元気でいてくれたからこその十大ニュースと言えるでしょう。

 今年一年を支えてくれた家族や多くの皆さんにあらためてお礼を申し上げます。

 一日一日、その瞬間瞬間を大事にして、感動と出会いを求めながら、来年も過ごしたいと思います。

 それでは皆さん、よいお年を
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掃除、掃除、掃除

2006-12-30 23:32:05 | Weblog
 日中は少しずつ雪が降ってきました。今日も家の大掃除です。 

【ひたすら肉体労働】
 今日は一日大掃除です。

 ネタを拾うことも考えることも出来ません。

 頭を使わずにひたすら体を使うというのも、ストレス解消になりますね。

 細かいところの掃除で指の先が痛くなりました。

 明日は大晦日。身内のために蕎麦打ちです。

 お正月の準備は出来ましたか?
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もうすぐお正月

2006-12-29 23:16:45 | Weblog
 穏やかな一日。今日から家の大掃除です。 

【もうすぐお正月】
 常連のmotoさんからコメントをいただきました。

>ところで、神社フリークのこままさ様、お正月が迫って
>おりますが、「正しい初詣の仕方」というのはあるので
>しょうか?あるいは、「よくある勘違い、間違った振る
>舞い」など初詣に関わるうんちくを教えていただけますか?

 おぉ!これはまた時宜にかなったご質問ですね。しかしこの簡単そうな質問にはいろいろな答え方がありそうです。

 例えば【参拝の仕方】という限定的な事で言えば、神社本庁のホームページをごらんになって、「手水の取り方」「参拝(二礼二拍手一礼)の仕方」などを勉強されると良いでしょう。

 よく神社で参拝者を見ていると、皆が必ずしも二礼二拍手一礼をしているわけではなくて、ただ手を合わせてお祈りをする人を見かけることが確かにあります。

「おいおい、それはお寺さんでしょう?」と思ったりもするのですが、まあ神様は寛大ですから、作法が間違っているからといって罰を下すようなこともありませんし、些末な作法よりも、そうやって神社へ来てくれる気持ちの方を嬉しく思ってくださることと思います。

 細かいことを言うと、参拝の際は神社の境内の真ん中を歩かないとか、時計回りに左側を歩くとよい、などと言われます。
 境内の真ん中は「正中」と言って神様がお通りになるところなので、下々の者は通るべきではないと言われます。

 また、真ん中を歩かないとしたら行くときは左側を歩き、参拝の後帰ってくるときも左側を歩いて戻ってくると、境内を時計回りに回ってくることができるということです。
 もっとも、ぎゅうぎゅうに混んでいるときにはそんなことはできないかもしれませんがね。


 作法は「そのような所作で行うと品がありますね」くらいの気持ちで行えばよくて、「俺はやり方をしっているのだ」と驕り高ぶらないこと、そしてお願いなどではなくこうしてここでご挨拶が出来ることに感謝をするという気持ちを大事にすればよいのだと思います。

 【初】詣と言いながら、それっきり神社に行かないという人もいるかも知れませんが、その年の節目節目にご挨拶に行かれるとよいでしょう。

    *   *   *   * 

 それよりも、神道を考える上でもっと肝腎なことは、実は『神様は普段は神社にいない』という意外な事実を知っておくことではないでしょうか。

 今でも開通式や結婚式などで神事を行いますが、その流れはまず、『修祓(しゅばつ)』で参列者を清め、その後で『降神(こうしん)の儀』により神様に降りてきて頂くのです。

 降りてきてくださった神様には、依代(よりしろ)にしばらく御滞在頂いて、その間に『献餞(けんせん)』と称して、供えてある『種々の味物(くさぐさのためつもの)』を味わって頂きます。

 そして祝詞のなかでお願い事を述べると、神様のお食事の時間も終わりで、これを『撤餞(てっせん)』と言います。神事の後にくださる御神酒や食物に撤餞と書かれているのは、神様に食べて頂いたものを分けてもらっているという意味。

 そして『昇神の儀』によって神様にはお戻りをいただく。これが神事の一連の流れです。

 『神様が普段はいない』というのは神道にとって基本的な考え方で、原始神道では神聖な場所やものに神様が降りてくる、と考えたようです。やがてそれが仏教の伝来によってお寺の建築に影響を受け、建築物としての神社という形が成立したというのが定説です。

 つまり神社と言えども普段は神様がいないのです。そして何か神事を行う度にお越しいただく専用の場所が神社なのです。これって案外知られていないのではありませんか?

    *   *   *   * 

 「神道の逆襲」(菅野覚妙著 講談社現代新書)という本があって、この中で著者は、「人々にとって神様はある時、突然、どこからかやってくる者であった。神様がやって来たことがわかると、人々は神様をお迎えし、適切な応対をした後に、再びお帰りいただく。これが日本人が古くから行ってきた、神様とのおつき合いの基本であった」と述べています。

 かつて三波春夫さんは「お客様は神様です」と名言を残しましたが、実は「神様はお客様です」ということもまた真理なのです。

 新しい年を迎えるということは新しい神様をお客様として迎えるということ。

 家を汚くしておいてお客様に見られるのは恥ずかしいでしょうから、きっと人間のお客様を迎えるときも、家は掃除をして片付けをするはず。

 神様を見えないお客様として迎えるとなれば、家を見られて恥ずかしくないように大掃除などして清らかな家と気持ちになっておくことは、ごく普通のことだということがわかるというものです。

 「初詣の仕方」にこだわるよりも、初詣やお正月を迎える気持ちのお話になってしまいました。

 さあ、明日も大掃除の残りをしなくては。   
 
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御用納めにかける気迫とは

2006-12-28 23:58:01 | Weblog
 今日で官公庁は御用納め。今年一年も小過はあれど大過なく無事に終えることが出来ました。
 このブログもたくさんの方に読んで頂きました。ご支援に感謝します

【気迫を込めるべき日】
 御用納めの一日は穏やかに過ぎて行きました。

 かつては御用納めと言えば職場では各課ごとに夜遅くまで酒を飲んで、他の課を挨拶回りしながら一年を振り返るということが恒例でした。

 しかし今では慣例として若干の宴は催されるものの、かつてのように賑やかに、しかもしばしば乱れるというような事がほとんどなくなりました。

 予算時期に忙しい課などは、忘年会をこの日に併せて行うような所もあって、挨拶回りをしようと思って訪ねても、もうがらんどうで誰もいない、ということもあり、少し残念に思います。

 今日ばかりは、この一年に普段の付き合いの中で、お世話になったり迷惑をかけたところに対するお礼の挨拶を行うべき日であり、そうすべき時間です。

 普段は付き合いのない他の課の人など、すれ違っても話をしないような人とさえ、こういう機会にお酒の力を借りれば話すことができるものです。

 これこそ、ともすると組織病に侵されそうな大所帯の職場におけるコミュニケーションを強化をする上では、年に一度しかない極めて大切なことで、まさに重要な行事なのだと私は思っているのです。
 
 幹部の皆さんも心得たもので、このときばかりは下っ端でも幹部の部屋になだれ込んでも無礼講で迎えてくれて、普段はなかなか言えないようなことを話したり、記念写真を撮ったりまでして、不足しがちなコミュニケーションを取ることに気を配ってくれるものです。

 普段はあまり接する機会の少ない幹部の皆さんですが、こういうときに部下であろうと他の部所の人間だろうと、分け隔てなく迎えて何気ない言葉で慰労してくださるということに、人間性の大きさが伺えるというものです。

 自分が楽しみたいように楽しむだけではなく、勇気を奮って近づきたいという他者に対する【施しの心】が少しだけあれば、職場の人たち同士の関係も良くなり、仕事ももっと柔軟でスムースに進むようになることでしょう。

    *   *   *   * 

 他者との関係性は見えないもの。

 だから余計にその重要性を感じる気持ちを養って、関係を良好にするという能力と行動が必要なのです。


 御用納めという終業後のこのわずかな時間を、「こうして過ごすものだ」という気迫のこもった感覚も年々歳々失われていくようです。

 節目ということの重要性を改めて感じる一日でした。

 それではお仕事でお世話になった皆様、今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
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藤原紀香、陣内智則結婚報告の爽やかさ

2006-12-27 23:47:48 | Weblog
 朝から強い雨。こんな年末に雨が降るなんて、昔の北海道では考えられなかったのですが、これも温暖化の一つの証なのでしょうか。

【男気と品性】
 見るときっと羨ましくなるので我慢してみないようにしていた、お笑い芸人の陣内智則さんと女優藤原紀香さんとの婚約会見をついに朝のワイドショーで見てしまいました。

 藤原紀香さんはやっぱり綺麗だったし、陣内智則さんもしっかりしていて、やっぱり羨ましくなったのですが、見る前に予想した感情よりもずっと爽やかさが残りました。

 それなりに年齢を重ねた二人なので、落ち着いているということもあるのでしょうが、「恋」や「愛」の一時的な感情だけでなく、お互いを思う「敬」を感じ取れたからかも知れません。

 芸能生活ではかなり格が上の紀香さんの方が格下の陣内さんを立てていたから、という見方をする人もいるでしょうけれど、それ以上に結婚生活にはいるということへの覚悟が見て取れたような気がするのです。

 そんな紀香さんの姿に私は、女らしさよりも男気を感じました。紀香さんの綺麗と言うよりは男らしいカッコよさ、という感覚。これはもう男気そのものであるように思えたのです。

 二人とも、自分たちだけのことなのではなくて、親だとか世間だとか社会だとか、もっと広いところへの気遣いや視点がありますね。

    *   *   *   * 

 二人のプロポーズが伊勢神宮で、結納と結婚式が生田神社というのがまた良い。

 神社フリークの私としては、こういう形で神社を身近に感じてくれる二人だというのが嬉しいですね。目には見えないものへの恐れと敬いの心が感じられます。

 私も神様に「…この新たなる夫婦の縁を末遠永に守り導き給へ」と恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まお)したいものです。
 
    *   *   *   * 

 何気ない振る舞いや言葉に品を感じます。こういう品はなかなか一朝一夕に教えられて備わるものではありません。

 日頃からの考え方の品性そのものが顕れているようで、実に爽やか。これっておじさんの感じ方でしょうか。

 ともかく!この羨ましい二人に幸あれ!

 年末に明るい話題をありがとう。
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年末は第九

2006-12-26 23:41:04 | Weblog
 いよいよ今年も後一週間となりました。年々歳々、一年が短くなりますね。

【年末は第九】
 知人のSさんに誘われて、札幌交響楽団による第九を聞いてきました。

 演奏会の会場は中島公園のキタラで、演奏会場はほぼ満員の入りです。

 札響では今回、第九のために市民から公募して札響合唱団を編成したのですが、Sさんの奥さんは声楽を勉強していたのだそうで、そのオーディションに見事に合格してコーラスに参加したのでした。

 この演奏会は札響合唱団のデビュー公演でもありましたが、なかなか素晴らしいコーラスでした。

 指揮は尾高忠明さん。全身を使った熱い指揮が印象的でした。

    *   *   *   * 

 味気ない話ですが、音楽の音の要素を考えると、人間の耳に聞こえる音は、聴覚上の性質から音の「高さ」・「強さ」・「音色」の3要素とそれらの「長さ」という4つの要素で定義付けることができてしまいます。

 これらのうち、高さ、強さ、長さは数値上のデータで表してしまうことが出来ます。

 音色は、弦楽器のように引き続けると連続して音が出続けるものや、ピアノや打楽器のように最初のアタックから音が減衰して行くものなど、楽器ごとに特色があります。

 しかしこの楽器ごとの音色も、各楽器の特性を音の特性を出すことの出来る音源機器にインプットしておくことで「何番の音」として定義することが可能です。

 これがMIDI(ミディ、Musical Instrument Digital Interface)と呼ばれる規格として、コンピューター音楽の進歩に大きく貢献しています。

 今ならば、この音源の機械とこれらを正しく動かす音楽ソフトがありさえすれば、だれでもが極めて簡単に作曲や編曲が出来てしまいます。もちろん音の配列や和音などに関する知識は必要ですが。

 一度パソコンソフトと音源で演奏をさせると、ドラムは(当たり前ですが)機械のように正確にピッチを刻んでくれますし、同じフレーズならデータをコピー&ペーストすれば何度でも同じ演奏を繰り返してくれます。

 苦労して弦楽器や管楽器を習わなくても、極めて精巧に演奏を再現することができます。これがいわゆる「打ち込み」と呼ばれるデジタル楽器による演奏です。
 
 音の強弱だってデータ化できますし、その変化だって自由自在。ピアノと琴と三味線のコラボレーションだってやり放題。まさに「個人オーケストラ」を自由自在に操れる指揮者になった感じが味わえるのです。

 しかしそれはまた、生の演奏を聴くのとはまた何かが違います。

 大人が楽しむ玩具としてはおそらく最高の部類の一つでしょうが、いくら表現を豊かにしても、どこか生きた音楽という感じがしないのです。

 何年もかけて練習を重ねて出せるようになった楽器の音は、デジタルで簡単に出せる音とは当然違うのですが、音源機械の進歩で私も含めて音楽の素人にはほとんどその区別がつかないところまで到達しています。

 そしてこのようなデジタル音楽技術の発達が、「音楽というもの」を、安く大量に生産出来る安易な趣味に引きずり降ろしてしまったのかも知れません。

 しかし、もはやこのような技術の発達を後戻りさせることは出来ませんし、これらを時代の発展と前向きにとらえるしかありません。

 ならばその事を前提にしたうえで、音楽の味わいとは何かをじっくりと考えてみることの方が建設的でしょう。

 自分で簡単に作れるプラモデルのような音楽と、プロによる本格的な造作としての作品を区別出来るような、『耳の眼力』を持ちたいものです。

 札響による生演奏には感動がありました。

 観客のいつまでも終わらない拍手がそれを物語っていました。

 
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蕎麦粉の評価

2006-12-25 23:43:56 | 蕎麦打ち
 融けては凍る道路の雪。一日たてば日常生活は平穏なものになりますが、これも人間の力です。

【蕎麦粉の評価】
 もう一箇月以上前に、ある経済団体の方から「こままささん、蕎麦粉をもらったんだけど、打ってみて評価を聞かせてもらえませんかね」という依頼を受けたのでした。

 なんでも知人を通じての依頼だという事だったのですが、いただいたのは札幌でも老舗の部類のY製粉さんの蕎麦粉でした。

 蕎麦粉には「氷冷華」と書かれていて、製粉から流通の過程をずっと低温を維持しながら行うことで、風味の逃げない蕎麦粉になるのだとか。

 これをいただいて実際打ってみたのですが、なるほど黒々として田舎蕎麦の様子を良く出しています。また打ってみるとふれこみ通り、粘りが良く出る蕎麦粉で、二八で打ってみたところ、薄く伸して細く切ってみてもまったく切れずに長い蕎麦が出来ました。

 しかしながら、食べてみたところコシや風味に一抹の物足りなさを感じました。

 そのあたりの感触を先週やっとレポートにして、頂いた相手に正直にお届けをしたところ、「いやあ、ありがとうございました。レポートは早速製粉会社の方に届けておきますよ」と返事をいただきました。

 そしてなんと早速今日、その製粉会社の営業の方が訪ねてこられたのでした。

「詳細なレポートをありがとうございました。正直な感想を聞かせて頂いて助かりました」とのことです。
「いえ、こちらも珍しい蕎麦粉を打たせて頂いて、面白く感じました。お礼のつもりで書いたレポートですから」

 するとその営業の課長さんは、「前回お届けした粉は、新蕎麦ではなかったので風味に書けたのではないかと思いまして、今日は新蕎麦の粉をお持ちしましたので、今度は是非これを打ってもう一度試して頂きたいのです」とおっしゃいます。

 この粉は、素人でも十割蕎麦が打てるほどの粘りが出る、ということをウリにしている粉です。私も十割蕎麦を打ってみたくなりました。

 しかしY製粉さんは大手の製粉会社です。小売りなどするのでしょうか。

「ええ、今はこの粉と打ち粉、つなぎの小麦などをセットにしてインターネットで販売もしています。しかしもっと個人ユーザーの方に選んでもらいたいものだと思って、試みのつもりで売り出しているんです」

「素人蕎麦打ちは増えていますからね。そういう人たちが選んでくれて評判になると良いですね」
「はい、しかしうちの会社には蕎麦を打つ者がいないものですから、どんな粉なのかという評価が出来ないんです」

「おや、それは意外ですね。私の友達にも宣伝しておきますよ」
「それはありがたいことです。それ以外にも蕎麦打ち講習会などを自分たちで開いて、粉の良さを広めたいのですが、そう言う活動をしている方はいらっしゃいますか」
「私もやりますけど、それなりの友人、知人も多いですからご紹介も出来ますよ」
「助かります。それではそのときはまたお力になってください」

    *   *   *   * 

 どうやら大手の製粉会社の方ともお友達になれたようです。仕事でも人間関係は広がりますが、自分のプライベートな力で得た友人・知人は本物です。

 北海道の粉の良さを実感している人間こそが最高のセールスマンのはず。

 これからも北海道の地粉を宣伝して歩くことにしますが、他の製粉会社さんも粉の評価をして欲しければ是非ご一報ください。懇切丁寧な評価をして差し上げますよ。

 そろそろ年越し蕎麦の時期ですし…。 
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急いては事をし損じる

2006-12-24 23:39:24 | Weblog
 朝起きると、50センチの積雪にびっくり。除雪車が入ってくるのを待ちましたが、家の前は細い道なのでなかなかやってきません。人力が一番早かった。

【急いては事をし損じる】
 実際、昨夜もそれほど雪が降っていたわけではなく、油断していたところへ突然の積雪で戸惑いました。

 地区の皆さんとの挨拶は「いやぁ、ついに来ましたね」

 それでも私の住んでいる地区は、皆さん真面目なので朝早くから自分の家の前の道路の雪だけは家の方にはねて、道路だけは開けるということを実践してくださいます。

 道路事業に多少とも関わる身としては、これこそが道路に対する隣接住民の模範であると感動しながら、自分も汗をかくのでした。

 実際そういう身になってみてよく分かるのは、身近な公共施設の手入れや管理を自分たちのことと思っている人は確かにいるものですし、また逆に「それはお役所がやるべき仕事だ」と全く構わない人もいるということです。まずは自分自身の実践から、ということなのでしょう。

 雪かきに時間を取られながら、年賀状の添え書きの追い込み。

 住所録のメンテナンスをしばらく怠っていたために、印刷してから住所の違いに気づく事が多く、あらためて「段取り八分」ということを思い出しました。

 準備を入念に行っておきさえすれば、後の作業を大幅に軽くすることが出来るのに、焦って作業に取りかかってしまうと手戻りになってしまって帰って時間を食うということが多いものです。

 名将小早川隆景は、急ぎのものを書記に書かせるときに「これは急ぐのだから、ゆっくり書け」と命じたという話が伝わっています。考えさせられますね。

    *   *   *   * 

 今夜はクリスマスイブ。

 もはや宗教を通り越して、日本の年中行事になった感がありますね。

 わが家でも軽くクリスマスパーティです。

 それでは皆さん、メリークリスマス!
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蕎麦の生き証人

2006-12-23 23:25:23 | 蕎麦打ち
 昨日は冬至でしたね。カボチャ入りのお汁粉を食べました。妻に感謝です。

【年末の一日】
 ときどきこのブログ上に登場する知人のSさんがご夫婦でわが家を訪ねてくれました。

 一緒に自然食品の買い物に行く約束をしたのですが、その前に私の蕎麦を食べてもらおうと思ったのです。

 蕎麦を打つところから見てもらって一緒に食しました。

 私が蕎麦を打つという話を知っている方は多いのですが、実際に食べたことのある人は案外少なくて、「口で蕎麦を打つ男」というあだ名が付きかけていたのですが、これでなんとか生き証人になってくれそうです。

 お客さんが来ると、家の中が綺麗に片付くのが副次的な効果です。

    *   *   *   * 

 近くの自然食品のお店に行って、ご主人にお話を聞いてきました。

 農業の話かと思いきや、神秘主義に話が向かって意外でした。風水から古事記まで多岐にわたるお話を聞かせてもらいましたが、なかなかついて行けなかった気がします。

 でも置いてある品物はなかなかの絶品揃いです。

 今日はこれから年賀状の添え書きです。まだまだ残っている~

 
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地デジ化が意味すること

2006-12-22 23:27:19 | Weblog
 新聞ではこの冬も今のところ例年より暖かいのだそうです。雪が少ないと良いのですが。

【地デジ化が意味するもの】
 ある経済団体が主催する勉強会に参加してきました。テーマは北海道の高速デジタル化の促進ということです。

 参加したメンバーは、通信事業者や放送事業者、行政の関係者などなど。

 話題の中で、地上波デジタル化ということの意味について説明を受けましたが、このことは実は民間放送事業者にとっても相当の投資を必要とされていて、辛く感じていることが分かりました。

 しかしながら、現在の地上波テレビの方式は50年も前の技術であり、今や先進国の中では後れた技術なのだそうです。

 世界の先進国ではこのような地上波でテレビを観ている国はイギリスくらいなもので、大抵はケーブルテレビによる配信が多いのだとか。

 現在の日本の方式は電波帯という限られた資源をかなり無駄に使っているので、これをデジタル化して、電波を有効に使うという政府の方針が打ち出されたのですが、そのことで電波資源の有効活用は図られるものの、その結果、どういう便利な社会が到来するのか、ということはまだよく見えていないのが実体のようです。

 例えば双方向になるとか、地方からの発信が増えるとか、画像が綺麗といったような事が良く言われますが、まだ具体的な方向は暗中模索なのです。

 しかし、だからといってもはや後には引けず、2011年には地上波デジタルの時代が来るのですから、まずは日本中がどこでも見られるという状態にすることが第一で、次にそのことが過疎地などにとってのメリットにつながるような方策を考え出すことが必要なのです。

 ともすると、我々はテレビの買い換え需要を増やすために、地デジ化をして、そのことは見られないかも知れない地方の切り捨てにつながるのではないか、という被害者意識を持ちがちですが、放送事業者の皆さんは決してそのようなことは考えていないようです。

 それよりはこの社会の変化をどう地方が前向きに捉えるか、という方向に頭を使うべきなのです。

 遠隔地医療の充実や、観光情報の配信などの実験などが進んで、このことで地方の暮らしが少しでも良いものになるようにしたいものです。

 地デジ化が、都会のためだけであってよいわけはありません。さて、知恵の出しどころですぞ。

 
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