北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

次女と孫の旅立ち

2024-02-28 22:44:17 | Weblog

 

 旦那さんの中国勤務に伴って、出産から育児まで約3年を我が家で過ごした次女と孫が関東へと旅立ちました。

 旦那さんは既に中国から帰国して、アパートを決め荷物を搬入して受け入れ態勢を整えて新居で待ってくれているのです。

 孫が生まれてからほとんど接することができなかった旦那さんにとってはようやく家族3人で過ごせる時間の到来です。

 旦那さんには申し訳なかったのですが、私と妻にとっては、思わぬところで嫁に出した娘とさらには生まれたての孫と暮らした3年間で、どたばたしながらも楽しい時間を過ごすことができました。

 またこの3年間で、ちょうど単身赴任が続いて次女の思春期に触れ合うことが少なかった私と次女の空白期を埋められたような気もしています。

 そういう意味でも貴重な3年間でした。

 二歳半になった孫は言葉も増えてきて、予想もしないような言葉を発しては周りを笑わせてくれるようになりかわいい盛りです。

 そんな頃の別れなので寂しさもひとしおですが、昨今のことだからいざとなればテレビ電話もあるし、日常の連絡もスマホでできる時代です。

 次に会うときにはどれくらい大きくなっているかを楽しみにしましょう。


     ◆

 
 今日は休暇を取って二人を空港まで見送りに行きましたが、保安検査室に入るときに孫にバイバイをされるとやはり涙が出ました。

 実際のところは寂しさが7割で、3割は無事に娘と孫の世話ができたという安心感のようなところもあるのですが、やはり長の別れとなると寂しさが先立ってしまいます。

 しかし親としてまずは娘たち家族の幸せを祈ります。

 3年間ありがとう。

 思った以上に楽しい日々でした。

 3人で元気に暮らしてまた会いましょう。 
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蝦夷地にとっても大恩人、「高田屋嘉兵衛の全て」を読む

2024-02-27 22:22:45 | Weblog

 

 今年の6月に釧路で「第34回北前船寄港地フォーラムinひがし北海道・くしろ」が開催されます。
 北前船と言うと、大阪や関西から瀬戸内海~日本海沿岸~蝦夷地(北海道)を結んだ主に日本海側の交易手段だったように思いがちです。

 しかし実は日本海沿岸のみならず、歯舞・色丹・国後・択捉や樺太までを含んだ北方の海を舞台にダイナミックな活動をしていた歴史があります。

 そして時は17~18世紀、この頃にロシアが東進~南下政策で、北方四島や樺太、蝦夷地の周辺に出没をしてきます。

 1792年にはアダム・ラクスマンが根室に来航して国交と通商を求め、うやむやにしているうちにラクスマンはなぜか帰国。

 この時はごまかせたものの、1804年にはレザノフが大黒屋光太夫を引き渡すという名目で来日し、開国と通商を迫ります。

 このときも江戸幕府は引き伸ばし作戦でさんざんじらした挙句にゼロ回答。

 怒ったレザノフは部下のフヴォストフに樺太と国後島を襲わせ、日本側の守備隊に死者も出る乱暴狼藉を働きました。

 さすがにこれには頭に来た日本が今度は択捉島にやってきたロシア船ディアナ号のゴローニンを捕縛し松前の牢屋に送り込みました。いわゆる「ゴローニン事件」であります。

 これに驚き、艦長ゴローニンを取り戻したいと考えた副艦長リコルドが仕返しとばかりに捉えたのが北前船で北方の島々への航路を開いた高田屋嘉兵衛でした。

 高田屋嘉兵衛は並みの商人ではなく肝の座った男で、日本を代表してこの事件解決に努力します。

 まずはリコルドとの信頼関係構築に成功し、さらにはフヴォストフの狼藉は個人の犯罪でロシアとしては関わっていないという詫び証文をとりつけ、これを使ってゴローニンをリコルドのもとへ解放し、戦争になったかもしれない日露関係を取り持つ大立ち回りを演じたのでした。

 作家の司馬遼太郎は、「もしもタイムマシンがあれば会ってみたい一番は高田屋嘉兵衛だ」と公言するほど心酔し、「菜の花の沖」という小説を著しています。

 
 私も蝦夷地を戦争から救った高田屋嘉兵衛は北海道にとっても大恩人の一人と信じる一人で、関西旅行の折には淡路島にある高田屋嘉兵衛記念館を訪ねてきたほどです。

 
 今回は縁あって北前船フォーラムの関係者から「高田屋嘉兵衛の全て」という本を借り受けて読んだのでうが、改めて彼が北海道に対して、特に函館に対して果たした功績の大きさを改めて知りました。

 しかし最近は函館に行っても、石川啄木や新選組の土方歳三などは観光のコンテンツとしてもてはやされている一方で、高田屋嘉兵衛の話が相対的に軽んじられているような気がして仕方がありません。

 ウクライナ問題が影響してロシアとの関係も決して良好とは言えませんが、200年ほど前にはこんなことがあって、高田屋嘉兵衛が活躍したということを知っておきたいものです。

 
 なお、松前に捉えられたゴローニンは帰国後に「日本幽囚記」という本を書き人気を博したのですが、岩波文庫でも訳されたものがあって先の司馬遼太郎は「日本人はこういう良い本を読まなくてはならない」と言っています。

 囚われの身でありながら、憎しみや恨みつらみではなく実に自然な目で当時の日本人の性格や文化を書き記した良書でお勧めです。
  →「日本幽囚記を読む」2007-08-23ブログ http://bit.ly/e1ZGN4

 故郷の歴史、知っておきましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

確定申告で頭の体操

2024-02-26 22:14:16 | Weblog

 

 昨年分の確定申告を終えました。

 夫婦そろって病院通いと薬剤費が増えているので医療費還付を求めるのと、わずかながらふるさと納税をしているのでその分の寄付金控除を申請するものです。

 例年通りマイナンバーカードによる身分証明と、e-Taxを使っての資料作成と申請です。

 もう7~8年はe-Taxを使っていますが年々使い勝手がよくなっている印象を持ちます。

 私の場合は医療費還付と寄付金控除だけなので、用意する資料はたったの三つ。

 会社から発行される昨年の収入に関する①源泉徴収票と、国税サイトで提供されるエクセルの医療費フォームに医療費の領収書の数字を書き入れた②医療費データ、そしてふるさと納税で利用している「ふるさとチョイス」が発行する③寄付金証明書の三つです。

 源泉徴収票は、会社のホームページからダウンロードしてなかの数字を書き写すだけなので苦労知らず。

 医療費データも会社の健康保険のサイトから医療費通知をダウンロードして取得して、e-Taxと連動させることができます。

 しかし、2月20日時点では昨年の12月時点の医療費が反映されていないことと、これに登録される医療費に加えて薬局で購入する「セルフメディケーション」対象商品を加える必要があります。

 この手の薬を購入した際には、良くいく薬局では領収書に「◆」のマークがついているのでわかります。

 妻はこの手の薬を買ったときの領収書をちゃんと取ってあるので、それも足し上げたデータを作るので、職場からのダウンロードは参考にしながら自分でエクセルで資料を作りこんでいます。

 そして最後の寄付金証明書は、ふるさとチョイスのサイトで証明書交付を申請すれば、2~3日でメールで届きます。

 これを保存して読み込ませればOKです。

 ふるさと納税では納税先の自治体からの寄付金受領書も郵送で届くので、それも一応保管してあるのですが、このシステムを使えば実は受領書を保存しておかなくても良いくらいです。

 自治体も受領書をメールで送るようにすれば郵送の手間が省けて効率化されそうですが、最後のところで現物を郵送しなくてはいけないのが日本という国の効率化の限界なのでしょうかね。


     ◆


 これらの資料を用意して、あとはマイナンバーカードをカードリーダーに読ませて本人証明を行ったうえでネット上での資料作成を行います。

 本人証明のためにはマイナンバーカード作成時に登録した4桁の数字だけが必要で、それだけは分かるようにしておかないといけませんが、システムは安定しています。

 一つだけ不満なことがあります。

 それはe-Taxの申請に「e-Taxソフト」と「e-Taxソフト(web版)」という二種類があって、単語が似ているので非常に紛らわしいことです。

 「web版ではないソフト」でも、パソコンの推奨環境に適合しているかどうかの確認をすることと、「事前準備セットアップ」ツールと「拡張機能」をダウンロードしなくてはならないので、その手間が結構面倒くさいのです。

 このあたりがもう少し楽になってくれるとありがたいのですが、毎年の改善に期待したいところです。


      ◆  


 e-Taxでの確定申告は、時代の最先端についていこうと思って敢えてパソコンでやってみるという頭の体操のつもりではじめたことでした。

 しかし社会のDX化の流れを受けて、ネットでの申請がどんどん便利で使い勝手がよくなっていることを実感する場面でもあります。

 わからないことに敢えてチャレンジして頭の体操にするというのもなかなか良い経験です。

 今年も無事に頭の体操を一つクリアしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセンシャルワーカーにもなれるように

2024-02-25 23:17:38 | Weblog

 

 冬将軍の粘り腰に会って連休中は、毎朝除雪で明けました。

 おまけに今日は母の買い物サポートで実家へ行って、車を停められるように実家の前に積まれた雪を片付けるのにも汗をかきました。

 実家では母が父に、家の前を除雪しておいてほしいと伝えたようですが、「お父さんにはもう言われたことが何なのかわからないんだね」と母。

「朝も顔を洗ったかと思ったらまた洗ってるんだよ(笑)。でも食事もトイレもお風呂も自分でできるし徘徊はしないし、そうそう最近は夜も起きなくなったよ」

 まあさすがに93歳の父に人力の除雪をやらせようとは無謀のように思いますが、父は足腰がまだしっかりしているので体力的に無理には思えないから大したものです。 

 それでも私のことは息子だと分かっているし、おそらくはまだら模様の認知症なのでしょうが、生活に不自由していないというのはありがたい限りです。


 私も体が動くうちは実家の雪かきサポートなどもするつもりですが、これも半分は老老介護の入り口のような感じかな。

 でもかねてより思っているのは、もう老境に至る自分としては年寄りに対してもそうですが、もう少し若者のサポートもしてやりたいということです。       
 
 それには経験をひけらかして上から目線の指導や教育をする、というよりは、一人静かにエッセンシャルワークを担って、若者がそんな仕事をしなくてもよいような労働参加をしてはどうか、と思うのです。

 そういう思いが高じて年末に大型特殊免許を取ったところですが、実は大型特殊免許って「機械が公道を走るための免許」であって、機械を使って何か作業をしようと思うと、使う機械なりの技能講習を受けなくてはいけません。

 この冬はバックホウとホイールローダーが運転できる建設車両系の技能講習を修めましたが、使える機械を増やそうと、この週末にフォークリフトの技能講習の受講を申し込んできました。

 折角大特免許を取得したのですから、まだ体と頭が動くうちに人生でやれることを増やしておこうという「目指せ多能工」作戦。

 今度はどんなことになりますやら。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理系の雪かき

2024-02-24 21:38:28 | Weblog

 

 まあまあまあいいだけ雪が降りました。

 先日は暖気が入って春の陽気になったことで、「もうそろそろ春が近く感じます」なんて書いたのですが、ここへ来て札幌は今冬一番のドカ雪です。

 連続で45㎝の雪が降ったというお天気情報ですが、まあそれくらいは降ったでしょう。

 昨日は朝から3時間、今朝は早朝から2時間と一休みしてからもう1時間ほど雪かきに汗をかきました。

 先日の暖気で家の前に積んであった雪があらかたなくなったと思ったのに、この二日間の雪でもう捨てる場所にこまるほどの雪になりました。

 
 筋向いにお住いの年上の奥様も日頃から一生懸命に雪かきをされているのですが、顔を見合わせて「もう少し頑張りましょう」と励まし合っています。

 暖気が入る前までは壁際に積んだ雪の塊をスノーダンプで公園まで運んでいたのですが、暖気が入ったことで雪が固くなって削りだすのが難しくなったのでもう公園まで運ぶことも諦めて、この先は町内会の運搬排雪が入るのを待つばかりです。

 筋向いの奥様に、「シーズンの盛りは公園まで運んでいましたがもう諦めました(笑)」というと、「なんかも見ていて、整然と雪を積んだり効率的に運んだりしているのがとても真似できません。積み方がかっちりしているのを見て『理系の方なんだろうな』と思っていました」と言われました。

 雪もただ漫然と積み上げていては斜めになってすぐに積み上げられなくなりますが、フワフワの雪を転圧して密度を高めたりできるだけ垂直に積むようにするなどやり方ひとつで、後々運搬しやすくなったりよりたくさんの雪を積み上げることができるものです。

 それなりの工夫をしながらの雪かきですが「理系ですね」という評価をいただけていたとは思いませんでした。

 さて週明けの運搬排雪で春を呼び込むといたしましょう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美しい国

2024-02-21 22:18:14 | Weblog

 

 最近地方で車を走らせていると、様々な施設やインフラの老朽化が目立つことに気が付きます。

 わが国では戦後の高度成長期に、経済が順調に拡大しまた様々な工学的技術が進歩したことで農業でも建設業でも質の高い施設をつくることができるようになりました。

 そのことで一気に生産力が向上し、大量のインフラ施設・モノづくりができるようになり社会は大いに便利になりました。

 しかし年月の経過とともに、コンクリートは脆くなり鋼材は錆び、塗装は剥げ、木材は腐朽し溌剌とした美しさは失われてゆきます。

 私の心の師匠である林業家にして元掛川市長だった故榛村純一さんは、「インフラの中で作った時からより良くなるインフラは樹木だけだよ」と笑っていましたが、その樹木だって適切に剪定をし枝葉を整えなければ乱暴に暴れて行きます。

 下枝も掃われずにただただ漫然と大きくなった樹木を見て「自然で美しい」と言う人が多くなったのは、真に美しい樹木の姿がわからなくなった人が増えているからかもしれません。

 
    ◆


 かつて長野県の安曇野で公園を作っていた時に、用地買収を終えてもう水稲の植えられなくなった棚田がありました。

 元の地主さんと話をしていて、「雑草だらけになるのを見るのがつらい」という話を聞いて、「じゃあとりあえず水だけでも張りましょうか」ということになりました。

 同時に畔の草刈りもしましょう、ということで初めて真剣に田んぼの畔をじっくりと見たのですが、そこにはキジムシロなど背の低い可憐な花が残されていました。

「肩掛けの機械で刈り取ると一気に草は刈れるんだけれど、手で草取りをすればあっちゃいけないものと残しておいても良いものを分けられるですよ」と元の地主さん。

 二宮尊徳は「米でも麦でも雑草でも広くあまねく育てようとするのが"天の道"だが、そこから米麦を残して雑草を取り除くのが"人の道"である。我々は人の道を生きなくてはならん」と言っていますが、単なる米の生産場としか見ない田んぼも、そうやって手間暇かけて心ある管理をすれば豊かな生態系をもった農業空間になることを初めて知りました。。

 「管理」というのは、人間にとって都合の良い取捨選択をすることですが、そこにもう少しゆとりを持たせれば、経済として都合の良いだけではなく、より豊かな環境も残すことができるのです。

 日本の国も、インフラや公共財、私的財も量が少ないうちは質の高い管理ができていましたが、持っている財産が増えすぎて適切な管理の手が及ばないところも出てきています。

 欲しかったのに自分たちでは作れなくて、ようやく税金で作ってもらえた道などは、かつては地域の人たちは喜んで「道普請」として草刈りや補修を自らしたものですが、今ではその管理も税金でするのが当然と考える人も増えてきました。

 かつての商店街でも自分の見せの地先の清掃を行うことは当然のことのようでしたが、今では商店街もシャッターが下りて主のいない地先が増えました。

 管理というのは「手入れ」ということでもありますが、人口減少で手を入れるその手が減ってしまい、地域を美しく保つような管理をする力が少しずつ失われています。

 そこへきて地域の人口が減っているようなところでは、インフラの存在自体も「費用対効果」の名の下に存在が疑問視されるようになりました。

 人口が少ないところに施設をつくったり、そこで管理にお金を投入することの経済性を問われれば、それは人口の多いところにかなうはずがなく、つまりは「投資は都市にせよ、田舎にはするな」という極論に結びついてゆき、美しい地方などはもうこの国からはなくなってゆくことでしょう。


      ◆


 人口減少下で地域が求める労働力を支えるには、「機械化」で省力化も大切ですが、少しでも多くの人に参加してもらえるような仕事っぽい活動があって、リクルート研究所は「ワーキッシュアクト」と名付けました。

 かつての町内会や自治会活動のようなものですが、こうしたことの再認識とそこには現役世代よりもシニア世代の参加が大切になってくるでしょう。

 そして私が思うところの一人がいろいろなことができるようになる「多能工化」ということも求められます。

 様々な力を結集して、地域を美しく保つ手入れを行うような活動がやはり大切だという価値観をもう一度呼び起こしたいものです。

 「美しい国」は、言葉ではなく実践なくしては得られないのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暖気到来

2024-02-20 22:46:54 | Weblog

 

 先週末から今週初めにかけて札幌は暖気が入って暖かい日が続きました。

 そろそろ「三寒四温」の季節で、春と冬が交互に訪れながら雪が解けて春になる季節です。

 とはいえ、突然10℃を超えるような暖気が入ると、積んである雪が融ける前に、それまでは寒気で凍っていた道路の雪が支持力を失ってしまいます。

 北海道では「ぐさぐさ」と表現しますが、厚く固められた道路の雪が緩くなるのですが、こういう道路に車が突っ込むと車体のお腹がつかえてしまい動けなくなります。

 いわゆる「スタック」というやつです。

 振り返ると、昭和の最後から平成初期のころにスタッドレスタイヤが普及し始めた頃にもそんな記憶があります。

 車が雪に埋まった時のために「スノーヘルパー」というタイヤにかませる金属の板が売っていて、それをタイヤの下に当てて脱出をするというのがこの季節の風物詩でした。

 それがあまりにもひどいというのでその後は道路の雪をできるだけ削り取る除雪に切り替えていたのですが、ここへきて財政が厳しくなり除雪の予算も増えない中で雪を取り切らずに厚く残す除雪のやり方が多くなってきたのです。

 それでも厳寒期ならば雪が固く凍っているので実害がないのですが、ひとたび暖気が入ると一気に道路の雪が緩んでそこここでスタックが発生します。

 
 多くの市民が除雪作業への不満を言い立てますが、できるなら道路に面した地先の住人が目の前の道路の除雪を薄く管理すればよいのです。

 私の家の地区では公園に持ち込んでよいことになっているので、私もこの冬はえっちらおっちらと積んだ雪を公園まで運んで道路の雪の薄層管理に努めました。

 文句を言っても雪はなくならないので、報徳の「積小為大」と推譲の精神で、スノーダンプとソリで一塊ずつ何度も運ぶだけです。

 
 さて、この暖気で家の周りの住宅地の道路もぐさぐさになり、それを整えるための除雪車が入ってくれました。

 もう壁際に積んである道路の雪も暖気やら雨やらですっかり重たくなり、また路面も一部はアスファルトが出たりするともう公園まで雪を運ぶのにも適さない季節になってきます。

 昨年の記録を見ていると、パートナーシップ除雪と言って町内会で大掛かりに運搬排雪をしたのが3月2日で、家の周辺の道路の雪が消えたのは3月12日とありました。

 もちろんその後も雪が降って積もることはあるのですが、そこから先は大掛かりな除雪もせずに雪が自然に融けるに任せるようになります。

 そろそろ春の足音が近付いているようです。  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老父と孫の別れ

2024-02-18 22:09:24 | Weblog

 

 同居している娘の旦那さんが中国赴任を終えて無事日本に帰国しました。

 それに伴って、娘と孫は関東で旦那さんと一緒に過ごすことになり、来週に札幌を離れることになりました。

 寂しくなりますが、ようやく家族が一緒になれるのですから仕方がありません。

 引っ越しの準備を進めながら、今日は私の実家と妻の実家に挨拶に行ってきました。

 
 実家へ着くと、父が外に出ていて駐車場のカーポートの雪を下ろそうとして手こずっていました。

 認知症が進んできていてかなり短期記憶が怪しくなっている父。

 しかし母によると、「こだわるところはすごくこだわるんだよ。例えば年金が下りたらもう『通帳に記帳しなくちゃいけない、行ってくる』って聞かないのさ。もうATMの前まで行っても操作もできないのにね。それにカーポートの屋根の雪が積もるともう『下ろさないと危ない、下ろしてくる』って言うんだよ。まあそれが気になって仕方がないんだね」とのこと。

 以前からそんな話を聞いていたので、(ああ、それか)と思って父に近づいて「屋根の雪下ろしなんて危ないよ」と声をかけました。

 そう言われると父は「そうか、年寄りにはもう無理か、はは、そうだな」と案外素直に作業をやめてくれました。

 こだわってみたものの、父もやってみると実際にはできないことに気がついていたのでしょう。

 でもそれもすぐに忘れてまたこだわり始めるのかもしれません。

 母は「朝に二回顔を洗っていたよ」と言い、ちょっと前のことももう忘れちゃうことが多いのだそうです。

 

     ◆


 
 もうすぐいなくなる孫ですが、孫がビーチボールを持ち出してくると嬉しそうにして、ビーチボールを転がし合って笑っていました。

 でも孫は今二歳半、この年齢なら多分この日のことを覚えていることはないでしょう。

 孫も老いた父のどちらも、今日のことは覚えていないんだろうな、と思いながら動画を撮りました。

 過去に生きるのはやめて、その一瞬一瞬を大切にしたいものです。

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「氷上ワカサギ釣り」の未来

2024-02-17 21:56:09 | Weblog

 

 釣り友達が本州から来たお客さんと阿寒湖までワカサギ釣りに行ったのだそう。

 阿寒湖では大いに釣れたそうで皆大満足だったようですが、そのお客さんから聞いた本州のワカサギ釣り事情に驚いたとのこと。

 関東近傍では、会津磐梯山の北側に檜原湖という湖があって、そこが氷上ワカサギ釣りのメッカになっています。

 ここで氷上釣りを楽しもうというお金持ちは、定宿があってスノーモービルを預けていて、さながら冬のマリーナのようになっているとのこと。

 ところが例年は冬に楽しめるはずの湖が昨年、今年と凍らなくてスノーモービルが乗れないような状況が続いているのだそう。

 温暖化の影響ということになるのでしょうが、北海道も似たような状況です。

 糠平湖は下から噴き出すガス穴のために1月一杯でワカサギ釣りはクローズになりました。

 また暖かい日が続いていることから、阿寒湖や金山湖も例年よりは早くクローズになるかもしれないとのこと。

 釣り友達は、「ワカサギ釣りが北海道でも年明けから2カ月しかできないレジャーになっちゃうのかなあ」と不安そう。

 氷上ワカサギ釣りなどという言葉自体が、過去のものにならないように少しでも環境に配慮した暮らし方をしたいものですね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「マルハラ」とは驚いた

2024-02-15 23:23:45 | Weblog

 

 「マルハラ」という言葉があると知りました。

 何のことかと言うと、チャットやメールで言葉の最後に「。(マル=読点)」をつける文章が、若い世代には「叱られている」ように取られるというのです。

 そのため読点の「。(マル)」をつけた文章を見るとストレスを感じて、それがハラスメントになるかもしれないのだと。

 なぜか。

 2000年前後に生まれた、いわゆるZ世代に代表される若い人たちは、LINEやチャットでやりとりするときに、もはや文章の最後には「。」をつけずに会話をするのだそう。

 昭和世代の私などは、レポートや文章を書くときには必ず文末に読点(「。」)をつけるのが当たり前の感覚ですし、どこに句点(「、」)を打つかもかなり考えます。

 しかし若い人たちは対話を流れるようにスピード感をもちながらやりとりするのに対して、例えば「分かりました。」という文章を見ると、そこで流れが断ち切られるように感じるらしいのです。

 ならばどうすればよいのか。

 先日はラジオでもこの問題を取り上げていて、司会に訊ねられた専門家は、「分の最後にビックリマーク「!」をつけるか、「ー」で伸ばすのが効果的」だと言っていました。

 つまり「分かりました。」ではなくて、「わかりました!」とか「わかりましたー」となればソフトに感じるのだそうです。

 私などはメールでこういう文章は違和感がありすぎてとても書けない感じがしますが、それはつまり若者とメールでのやり取りが難しい世代だということにほかなりません。

 自分が変わるべきなのか、若者に「いやいや、ビジネスマナーとしてちゃんとした文章を書くことを覚えなさい」と指導すべきなのか。

 下手に指導をするつもりで対応をすると、若い世代はぷいと逃げ出してしまうかもしれませんね。

 若者の日常がそういう会話で成り立っているのだとしても、つまりは学校でも家庭でも社会でも若者に正しい(?)、いや美しい(?)、いや品のある(?)文章を書くことを教えていないし、教わっていないということではないのか、と思ってしまいます。

 ハラスメントは全て受ける側の感じ方ひとつだといいますが、それでいいのでしょうかねえ。


      ◆


 最近、金曜日の夜に放映されているドラマ「不適切にもほどがある」にはまっています。

 昭和時代の当時のコンプラ感覚を笑いものにしながら、現代のコンプライアンス至上主義への強烈な皮肉が伺えます。

 ここでは世代間のギャップを楽しめるのですが、さて日常で世代間のギャップがあるときはどうしたらよいものか。

 なんともやりにくい時代になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする