北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

フェイスブック病にご注意

2012-04-11 23:49:54 | Weblog
 明日札幌で開かれる会議のために、夕方のHACで札幌へ飛ぼうと釧路空港へ。

 ところが空港へ近づくにつれて霧がいよいよ濃くなってきて、なんだかいやな予感が…。

 空港で飛行機を待つ内に館内放送で、「北海道エアシステムの札幌行きは濃霧のために着陸できず丘珠空港へ引き返したため、釧路空港発札幌行きは欠航となり…」

 とほほ、せっかく搭乗率を上げられるチャンスだったのに残念です。

 仕方なく一便後のANA便で新千歳空港経由で札幌入りできましたが、対外の濃霧をものともしない機械誘導装置CATⅢbの力を見せつけられました。


      ※     ※     ※     ※     ※


 友人から「フェイスブックでの友達申請をしますのでよろしくお願いします」と会っているときに言われました。

「もちろんOKですが、フェイスブックも『フェイスブック病』にかからないように気をつけないといけませんね」と私。
「え…え、どういうことですか?」

 最近気になっているのがフェイスブックが気になって仕方がないという傾向のこと。

 家でパソコンをつけてフェイスブックを開いていると、誰かが「いいね!」やコメントをくれたサインとして地球マークに赤い白抜き文字で数字が出ます。

 そうすると一応、誰がくれたかを確認しておかなくては行けないような気になって、ついそれをクリックして誰から来たのかを見てしまいます。

 「いいね!」が誰から来たのかを一度知ってしまうと、今度はその人からの投稿やコメントに「いいね!」を返さないと申し訳ないような気がしてしまいます。

 なのでできるだけフェイスブックへのアクセスは時間をおくようにしているのですが、すると今度は「いいね!」をくれた人が大勢に紛れてしまって、やはりなんだか後ろめたさがつきまといます。

 友達の数が増えると言うことは、こちらからの情報が伝わるのと同時に相手の情報も入ってくるということで次第に情報の大波に洗われてしまって収拾がつかなくなることも考えられます。

 「ありがとう」という気持ちと「申し訳ない」という気持ちのループがお互いの心にブレーキをかけさせないという心理もあるかもしれません。


 私はまだ携帯電話をスマートホンに替えていないのですが、おそらくスマートホンにしていたら、一日中アクセスをしているかもしれません。

 フェイスブック病やインターネット依存症に陥っている方は案外多いのではないでしょうか。



  【これが曲者】

      ※     ※     ※     ※     ※


 『ネット断食』という単語がよく聞かれるようになりました。ときどきインターネットから離れてみよう、ということです。

 いろいろな情報が得られることの便利と繋がっていることの安心という快楽も、度を過ぎると依存症気味になっていないでしょうか。

 自分自身を時々は客観視する視点を持っておくことが必要かもしれません。

 
コメント
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