北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

自分なりの楽しみの追究 ~ 皆様、良いお年を

2023-12-31 22:59:48 | 蕎麦打ち

 

 先日漫才の賞レースであるM-1を観ました。

 決勝は勝ち残った3組による二本目のネタ勝負で、私はヤーレンズの方が上かな、と思いましたが審査員の票は令和ロマンに軍配。

 どちらが勝ってもおかしくない勝負でしたが笑いと共に緊張が広がる"勝負"という感じがしました。

 1本4分のネタで勝負し、審査員の点数による勝ち負けなど独特のレギュレーションの下で戦うのですが、令和ロマンは自分たちの順番が先だったり後だったりしたときにどうするか、という作戦や戦略があったというネット記事がありました。

(なるほど、ただ面白いだけではだめなのか)と改めて、ルールを熟知したうえでの勝負に臨む心構えのようなものを知らされてハッとしました。

 ある審査員は「競技漫才」という表現をして、ある敗者の芸人に「競技ではなく劇場でのネタを見てあげて欲しい」と言っていましたが、ルールの中での勝負ではあるのでしょうが、本当に面白いものを見るならば制約のないフィールドで勝負させてあげたいとも思います。


      ◆


 実は蕎麦打ちにも似たようなことがあって、プロではない素人の蕎麦打ちには段位認定試験があります。

 全国麺類文化振興協議会(通称全麺協)という団体が認定する蕎麦打ちの技術を段として認定するもので、初段は700gの蕎麦粉(+割り粉)を40分以内に細い蕎麦にする技術を問う、ということから始まって、技術的には五段位が最高で、今は名誉上位段として「八段位」まであるようです。

 これらも特定の粉を使って指定の量を制限時間以内に打つことで技量を試されるのですが、私は二段まで取ったところで転勤で北海道から離れてしまったために連続して段位認定試験を受けることがなくて、次第に段位取得から離れて行きました。

 自分自身の価値観も、指定の粉で制限時間以内に打つということよりも、より美味しい蕎麦粉を探してそれを上手く細切りの蕎麦にすることや美味しい蕎麦汁を作ることを合わせて、美味しい蕎麦を食べることに関心が移って行き今に至ります。

 私の場合は「細く長くコシのある蕎麦」が好みなので、生地の長手をできるだけ長くしてできるだけ薄く熨すことで"細く長く"を実現させます。

 コシは、できるだけ挽きたての蕎麦粉を使うことが大事なので、ここが旨いと思う馴染みのお蕎麦屋さんから自分で打つ直前に粉を分けてもらって調達しています。

 蕎麦汁も蕎麦研究会で馴染みの鰹節屋さんから薄削りの本枯節と宗田鰹を仕入れて食べる直前に出汁を取り、半年以上寝かせている"返し"を合わせて作ります。

 余計なものを一切使わずに使っているものは全部自分で納得の安心の材料で、結果的にはお店へ行くよりも格安で美味しいお蕎麦が食べられます。

 段位認定の蕎麦打ちからはある意味脱落したのですが、自分的にはこの到達点で十分だな、と思っていて良い趣味を持ったものだと様々な出会いをありがたく思います。

 今日も午前中に両親などに配る分と自分たちで食べる分を打ち、午後には歳前の挨拶と共に、汁と一緒に蕎麦を配って歩きました。

 
 振り返ると今年もいろいろなことがありましたが、大晦日に蕎麦を打って美味しくいただいて年を越せ、平和で安寧な時を過ごせるということにも感謝です。

 多くのお世話になっている皆さま、こんなブログを読んでくださっている皆さまにも感謝です。

 今年もお世話になりました。

 来年が皆さまにとっても健やかな年になりますようお祈り申し上げます。

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大谷選手と報徳の徳目「推譲」について

2023-12-30 23:42:10 | 報徳

 今年を振り返ってみて、格別に印象が強かったのはやはり野球メジャーリーグの大谷翔平選手の活躍だったのではないかと改めて思います。

 春先のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)でも投打にわたってエース級の仕事を成し遂げたことはもちろん、その後のメジャーリーグでも日本人で初めてのホームラン王に輝き、投げては二桁勝利と本場メジャーリーガーたちも脱帽の一年でした。

 さらに古巣エンジェルスに別れを告げて、より大舞台を目指せる球団として同じロサンゼルスながらドジャースへFAで移籍。

 その契約額が10年間で7億ドル(1ドル=145円換算で約1015億円)というこれまでのメジャー最高額だったことも驚きですが、さらにはその大半を繰り延べして契約終了後にもらうことにして、これからの活躍の時期には大谷にしては非常に安い年俸でプレーすることになります。

 この「繰り延べ払い」については、あまり大谷が年俸をもらいすぎるとチームとして払う総額の契約金に対するぜいたく税がチームに課され、その結果ほかに有力な選手の獲得のために使えるお金が減ってしまうことを心配して大谷サイドから提案されたものだとのこと。

 大谷にすれば、自分が我慢することで有力な選手がチームに加わってくれればそれだけチーム力が向上してワールドシリーズでの優勝の可能性が高まるという思いがあるのだろう、とマスコミは書いていますが、「チームへの気遣い」とすればちょっとスケールが違いすぎる感じもします。


      ◆


 ここで思い出されるのが大谷選手の母校、花巻東高校での教育です。

 高校一年生の時に時の野球部の監督の指導により大谷選手が作成した「大谷曼荼羅シート」は有名ですが、そこには最終目的である「ドラフト1位指名8球団」をかなえるために八つのより細かい必要条件が書かれています。

 そしてその一つが「人間性」ということで、それを構成する8つの必要事項として「計画性・感謝・継続力・信頼される人間・礼儀・思いやり・完成・愛される人間」を掲げています。

 まあ高校一年生という年齢でよくぞここまで自己分析をして目標のための計画を作成し、それを実行できているものだと感心するばかりですが、改めて強く思うのが、この花巻東高校では学校の方針の一つとして「報徳思想」を掲げていることです。

 報徳とは江戸時代晩期の農村指導家であった二宮尊徳が行った村々の立て直し実践方法です。

 主君であった小田原藩主大久保忠真(おおくぼ・ただざね)公が「そちのやり方は論語に言うところの『以徳報徳(いとくほうとく=徳をもって徳に報いる)』であるな」というお褒めの言葉に感動して、以後自分でも「報徳仕法」として用いるようになったもので、二宮尊徳のまちづくりの進め方を表す表現です。

 そしてこの報徳を少しでも勉強したものが、報徳の教えを掲げる花巻東高校を卒業した大谷翔平選手の振る舞いを見れば、決して気遣いとか人に優しい、などという表現ではなく、(ああ、これは推譲(すいじょう、という徳目)だな)とわかります。

 疲弊した村を救うために村民を指導した尊徳は、人々に四つの徳目を示しています。

 それは「至誠・勤労・分度・推譲」というもので、誠/まごころを尽くして、真面目に働き、分をわきまえて、自分の余裕は他に譲れ、というのがこの四つの徳目です。

 花巻東高校が自校を紹介する中では「3つの柱」として勤労・分度・推譲が示されていますが、一般には四つの徳目と言われています。


         【花巻東高校のホームページより】


      ◆


 これらの徳目の中でも特に「推譲」は報徳の特徴的な考え方です。

 その前提として「分度」という、分をわきまえることが求められていて、稼ぎが少なければ分をわきまえてその稼ぎよりも少なく使うことで余剰を生むだろうということがあります。

 そうやって生み出した余剰は、自分自身では「今日使ってしまわずに明日に推譲する」ということだし、「今年作った米を今年のうちに消費してしまわずに来年に推譲する」、その考えを広げて行けば、自分の余っているものを子孫に推譲し、他人に推譲し、郷土に推譲し、国家に/世界に推譲するところまで行きつくでしょう。

 実際に大谷選手が、日本の全ての小学校にグローブを寄付したこととか、背番号を譲ってくれたドジャースの選手にポルシェをプレゼントしたことなどを、お金持ちの寄付と捉える向きもありますが、報徳を理解していればそれらは「推譲」という概念でストンと腹落ちします。

 尊徳さんは「推譲をすることで人間は安寧の心を得られ、幸せが得られる」と言います。

 大谷選手のような巨額の富を使った推譲ももちろんすばらしいのですが、庶民には庶民なりの推譲があるはずです。

 自分の分度を定めて生まれた余裕を推譲する。

 その徳目の実践があれば、人口減少に悩む地域ももう一度救いの道に導けるのではないか、とすら思えます。

 大谷選手に憧れるのをやめましょう、実践の徳目は誰にも開かれています。

 あとは実践するかしないか、の違いだけなのです。
 

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「人はどう老いるのか」(久坂部羊著)を読む

2023-12-29 23:43:24 | 本の感想

 

 久坂部羊(くさかべ・よう)著「人はどう老いるのか」(講談社現代新書)を読みました。

 著者の久坂部さんは麻酔科医、外科医として活躍された後に外務医務官として外国に長く赴任、帰国後は医療の最前線での活動を諦めて高齢者医療に携わりつつ小説家としても活躍されている方です。

 長く高齢者の生き方に寄り添った経験を基に、文筆家として現代の高齢化社会に対して警鐘を鳴らすのがこの本です。

 著者の主張は本の帯にある通り、
・老いの現実を知るべし
・医療への幻想を捨てるべし
・健康情報に踊らされないこと
・あきらめが幸せを生むと知るべし、と言うことに尽きます。

「そんなことは知っている」と言う人がいますが、知識としてそのことを知っていても次第に老いが進む中で心構えとしてそれが身につけないと「不幸な老人になりますよ」と久坂部さんは言います。

 大体が老いて不幸になる老人は「事前の準備が足りない」のだと。

 長生きということはどんどん老いが進んでゆく日々を過ごすことであり、老いが進むことで体には筋肉、内臓、記憶、思考などに様々な不具合が生じます。

 それを「まあこの歳なんでそんなものでしょう」と老いの現象と付き合える人は"幸せな老人"で、「こんなはずではない、まだまだ自分は若さを取り戻せる」と現状に甘んじることができず抵抗する人ほど"不幸な老人"なのです。

 もちろん人には個人差がありますから、歳を取るにしたがって見た目にも運動能力にも健康の度合いにも差が出てきます。

 しかしいつまでも若々しい人を見て、「自分も努力やお金をかけて食事やサプリや薬を飲めばそうなれるはず」という理想を追い求めすぎることにはどうしたって無理がある、と。

 老いとともに生じる病気や不具合も医療がなんとかしてくれるはずだ、というのも幻想だと著者は言います。

 それらを称して著者は「下手に老いて苦労している人は"油断"しているのだ」と断じます。

 大切なことは老いるとどうなるか、ということを予習しておくことで、この先に起きることをあらかじめ知ったうえで、最悪にならなければ良し、最悪になっても「まあ今生の人生はこんなものか」という境地に達することが幸せへの道なのです。


      ◆


 最近は朝早起きをするようになって、早朝にやっているラジオ番組を 聞きながら朝の用意や食事をして出かけるのですが、朝の番組にはもちろんやらないよりはやった方が良いような情報に交じって、「これを飲めば健康が続く、維持される(のではないか)」と思わせるような商品の情報がさりげなく散りばめられています。

 歳を取ると案外お金を使わなくなるので、心の安寧を得るための出費と思えばそれもそうかもしれませんが、はたから冷静な目で見ると「そんなことにお金を使うんだ」と思うようなことも結構あるものです。

 そう思わせるのが上手なビジネスだという側面もあって、他人を見て憂うよりは「せめて自分だけは冷静でいたいものだ」と思うようにしたいものです。


      ◆

 著者は「老いたら欲望が不幸の元だ」と言います。

 あるお年寄りが「もう終活で家の整理をしたいんだけれど、体力がなくてそれもままならない」と嘆く姿を見て、「それも欲望ですね」と言い、言われた相手が驚いた、という場面を描いていました。

 欲望とは「健康を取り戻したい」とか「若々しくいたい」というようなものだけではなく、「家の整理をしたい」、「〇〇したい」ということも欲望なのだと。

 全ての欲望を取り去ったお釈迦様の境地に至ることは凡夫たる我々には土台無理なことかもしれませんが、そこだけは「そうありたい」と願いたいものです。


      ◆

 人が死期を迎えれば最後はもう静かに見守ってあげましょう、ということも著者は強調します。

 死期を迎えつつある人に「ガンバレ」ほど意味のない言葉はありません。今さら頑張って死を先延ばしにすることは往々にして苦しみを長引かせるだけと言う現場を数多く経験している著者だから言えることでしょうが、その経験こそ、人生の予習の素材としたいものです。

 高齢化が進む社会を生きるための教科書の一つになり得る本だと思います。

 

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年の瀬に新しい挑戦始めました ~ 結果は来年

2023-12-27 23:31:22 | Weblog

 

 年の瀬も迫り今年もあと数日になりました。

 そんな慌ただしいときなのですが、私こと新しいことに挑戦を始めました。

 一昨年は船舶免許を取得し、今年は介護初任者研修を終了して介護の資格も得ることができました。

 概ね一年に一つずつくらいは新しいことに挑戦して自分を高めたいと思っています。

 なので本当であれば来年に始めれば良いようなことなのですが、年齢のこともあって少しでも早く始めたいと思って年内の今頃にそれに着手したというわけ。

 結果が出るのは年が明けてからということになるので、来年の挑戦案件ですが今という時期もちょっと大事だったりするのです。

 結果が出たらお知らせしようと思いますが少々お待ちください。

 
     ◆


 この挑戦に思い立ったのは、介護の資格を取った時と同じように「言行一致」がなければ自分の説に説得力がないと思ったからです。

 介護の時は「まだまだ若い高齢者がもっと年かさが上で弱っているお年寄りを介護するような『前向きな老老介護』を目指そう」と言っていて、それでいてもう前期高齢の自分が介護の資格を取らないようなら全く説得力がないと思ったのが大きな理由でした。

 今回もほぼそれに近いようなことで、私なりのまちづくり論に説得力を持たせるには新しい世界に飛び込んでおかないといけないなあ、と感じたのが理由です。

 人に言うからには自分もできるようになっている方が良い、と思いました。

 詳しい内容は年明けにお伝えできる日が来ると思います。

 さて、どうなりますやら。

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職場は今日が仕事納め ~ 普段はやらないキーボードの掃除

2023-12-26 23:26:15 | Weblog

 

 わが社は今日12月26日が仕事納め、昼前に一斉に大掃除をして新年を迎える準備をしました。

 机、いす、電話、パソコンモニターなど普段は掃除をしないようなところまで入念にきれいにしたのですが、最後の最後でキーボードに到達です。

 多分仕事上で一番お世話になっている道具はキーボードだと思うのですが、意外にその恩を忘れて、最後まで汚れに気が付きませんでした。

 改めてじっくり見てみると多くのキーに指の脂汚れがついています。

 洗剤をつけたぼろ布でごしごしと汚れを落としてやりますが、多角形なので汚れた面がたくさんあります。

 丁寧な作業で結構きれいになったのですが、そうなると今度はキーの下の汚れが気になり始めました。

 実はキーボードのキーの一個一個は先の平たいペンナイフなどを差し込んで持ち上げると取れるのです。

 そして実際に取ってみると案の定ホコリや髪の毛などが入り込んでいます。

 しかし気をつけたいのは、面白くなってキーをどんどん外してはならないということ。

 後々どこに入れるのか、正しい位置が分からなくなっては困りますので、せいぜい2~3個ずつ取って、きれいにしては戻すことを繰り返します。

 作業は地道に行いましょう。

 これでキーボードもきれいになってすっきり。

 今しかやらない節目の掃除を始めましょう。 

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人口減少のまちづくり ~ キーワードは「多能工化」と「参加型労働」

2023-12-25 23:49:26 | Weblog

 

 先週の土曜日の北海道新聞に、厚生省人口問題研究所が公表した人口動態が大きく生地になりました。

 曰く、「厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所は22日、2050年までの全国の地域別将来推計人口を発表した。道内は、前回国勢調査が行われた20年と比べて26・9%減の382万人となり、全道179市町村すべてで減少、67市町村では人口が半分以下になる…」とあり、全道の市町村の現在の人口と2050年の推計人口が示されていました。

 もはや人口が減ることは確実で、その先はどのような地域の絵姿になるのか、もはや猶予はありません。

 とはいっても人口を増やすことは非常に難しいので、人口は減りながらどのように地域を管理し暮らしを守ってゆくかが課題になります。

 先日ある自治体からお声がかかり、「施設の運営のための人材を確実に確保するために民間企業はどのような貢献ができますか」と訊ねられました。

 もちろん、企業として利益が出ればそれなりの人材を確保して充てるということが当面はできるでしょうが、やがて高齢化とともに働き手が退場してゆき、少子化によりその補充ができないという事態を招きます。

 ギリギリまで効率化と省人化を目指し、それでも限界が来たら施設の管理を諦めるということにもなるのでしょうが、もはや目標はどこまで粘れるかになりかけています。

 「人口減少下のまちづくり」として私が考えるキーワードは「多能工化」と「参加型労働」の二つです。

 「多能工化」とは、一人ひとりがあまり専門的になり過ぎずそれでいて大抵のことは自分でできるというたくさんの能力や資格を身に着けている社会を目指そうという事です。

 専門家がそれで職を得て収入を得られるのはおよそ都会だからであって、そうしたニーズのないとこでは専門家は食ってゆけません。

 代わりに地方で役に立つのは、ちょっとしたことを何でもできる人材です。

 車に乗れて作業もできて修繕も管理も自分でできる人こそが重宝されます。

 なので各種の運転免許を始め様々な資格を早めに取っておくことが大切です。

 
 次が「参加型労働」で、これは特に高齢者などが月~金で9時~5時で席職員として働くのではなく、好きな時に好きなだけその労働に参加して社会の求めに応じてゆくという暮らし方/稼ぎ方です。

 これにより労働者として厳しい時間制約に追われるのではなく、社会が求める仕事をやれるときにやってあげることでいくばくかの収入と社会参加を果たすということができ、いきがいであると同時に暮らしにメリハリを得て感謝される存在になれるという事です。

 高齢化の進展とともに少しずつ働ける時間は少なくなるでしょうけれど、それにしても65歳で年金暮らしになれば何もしない、というような生き方ももう日本では期待しない方が良いでしょう。

 あまりにお金持ちであればそういう暮らし方もあるかもしれませんが、それもなんだか虚しい感じがします。

 社会と何らかの関わりをもちつつ、感謝し/感謝される存在であり続ける方が幸せなのではないでしょうか。

 そしてそのためには自分自身が「多能工」であることが有利に働きます。

 最近はリスキリングなどといって新しいスキルを身に付けましょう、などと言われるようになりましたが、なにも歳を取ってからではなく若いうちからそういう生き方をしておく方が、地域では重宝されるのです。

 人口減少の地域では、誰かがやってくれるのを待つのではなく自らがなんでもやる人こそが求められるのです。

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お蕎麦の本を捨てました ~ これは新しい旅立ちか

2023-12-24 23:52:26 | Weblog

 

 年末が近づいて部屋の片づけをおずおずと始めています。

 捨てられるものはないかと整理をする中で、一年で溜まった雑誌を整理しましたが、さらにないかと本棚も物色。

 もう何年も開いていない本を整理することにして、お蕎麦や料理関係の本をごそっと捨てました。

「もう蕎麦に関して本から学ぶものはない」というつもりはありませんが、実際に本を開いて何かをすることは全くなくなりました。

 それだけ自分のやれる範囲が決まってしまっているのが現実で、悪く言えば「お蕎麦ではこれ以上の発展性・拡大性はない」ということであり、良く言えば「まあ僕の人生ではこんなものだろうというところまでは来た」ということでしょうか。

 そもそもこの手の料理や技法の情報も、以前は本から手に入れるしかなかったのですが、今ではネットや動画が中心になり、情報収集のあり方そのものが変わってしまっています。

 手技って目で見て体を動かしてみて、初めて動作が身について行くものですが、本からの写真の連続では物足りません。

 一番は道場で実地にやってみて指導を受けるというのが一番ですが、最近は動画を見てコツを教わることもごく当たり前になり、良い時代になったな、と思います。

 本の価値も、買った頃の思い出でしかなくなってしまったような気もします。

 逆に言えば、これらの本を捨てることでその世界からの呪縛から解き放たれて、さらに新しい世界にチャレンジするという決意/予兆なのかもしれません。

 今年は介護の世界にチャレンジしてみたので、来年はまた新しいことに挑戦してみたい気もします。


      ◆


 さて、私の人口減少下のまちづくりにおけるキーワードは「多能工」です。

 一人ひとりが「やってくれる誰かがいなくなってしまう」と嘆く暇があれば、自分でその役を買って出られるような能力を身に着ける準備をする方が良いのではないか、と思います。

 その実践が積み重なるのが社会なのですから。

 まだまだ部屋の片づけは続きます。

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年末の机整理で紙とはおさらば

2023-12-21 22:36:48 | Weblog

 

 いよいよ年末が近付き、ようやく机回りの整理に着手しました。

 資料の整理で悩むのは、どのジャンルで整理するかということで、それによってファイルの作り方が変わります。

 資料には会議の種類や資料の中身など、いくつかの側面があるので、土のファイルに入れて整理するかに迷って困る。

 そして迷うために、(まあ、決めないでちょっと置いておくか)となり、机の上が書類の山になるというわけです。

 資料の多くは後から読んだりすることがほとんどないのですが、捨ててしまうのも心配でそれで残ってしまいます。


 ところが最近は資料配布の仕方も変わってきました。

 気の利いた会議では、アジェンダという"今回はどんな内容の議論をするか"を示したペーパーがまずあって、それに沿った資料も全部事前にメールで配布されてきます。

 その会議のフォルダーを作っておけば、そのファイルに資料はすべて収まります。

 また会議の中で資料に書き込んだメモは、スキャンしてPDF化してそれを同じフォルダーに入れておけばそのメモがなくなる心配もありません。

 そんなわけで、新しい形の会議では資料はすべて電子化されて紙のファイルに閉じることはなくなってきました。

 今回改めて机の整理をして、その多くが実は電子化されてフォルダーの中にあるということがわかりました。

 なので、紙ファイルで保存していた資料は一気に廃棄することにしてかなりファイルを減らすことに成功しました。

 逆に言えば、紙のファイルで資料が残っているようなものは会議そのものが昭和の色合いを残した古い体質のやり方だということでしょう。

 いまだにファックスでやりとりをしている団体もあります。

 いつだったか、ある会合で一度参加表明をしたのですが、別な予定が入ったためにキャンセルのファックスを送ったことがあります。

 ところがそのファックスを先方が確認ミスで、「キャンセルの連絡をいただいていないので会費は納めてください」という連絡が来ました。

 こちらは送ったファックスの写しとファックスの機械の送信記録をなんとか引っ張り出して、「キャンセル連絡しましたよね」と打ち返し、先方から「すみません、こちらの確認ミスでした」ということで一件落着でした。

 しかし(ファックスに加えてメールでも確認を送っておいた方がよかったかな)と反省した次第。

 事務局が高齢の方なので致し方ないか、とも思いますが、新しい技術についてきてほしいな、とも思います。

 年末の整理を機会にして紙とはおさらばしたいものです。

 

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北国にはナビに「冬モード」の設定が必要か

2023-12-20 23:16:11 | Weblog

 

 日本海沿いの北側にある羽幌町から南下して札幌へ戻ってきました。

 昨夜羽幌町へ向かうときに、ナビに従って運転していたところ、ナビは走る距離の短い近道を選択しがちで道道へ誘導されました。

 すると道路の積雪量が国道とは違って深く、あやうく埋まって動けなくなるところでした。

 冬は国道以外は危険です。


     ◆


 さて、羽幌町から帰ってくる途中に、豪雪が全国ニュースでも流れた留萌市へ立ち寄って現地の後輩たちに挨拶をしてきました。

「わざわざ来てくださってありがとうございます」という後輩に、「はい、目的の1/2は年末挨拶ですが、1/4は豪雪のお見舞い、そして1/4は豪雪の現地を見てみたいという好奇心、ってところですかね」と言うと苦笑いをしていました。

 実際留萌の市内の雪の量は大量で、夏は片側一車線の市道は両方向で一車線しかなく、対向車同士はちょっとした雪はねされた場所でようやくすれ違うありさま。

 いやはやここでも国道など太い道路以外は走れないことを改めて実感しました。

 アイディアですが、ナビにも冬モードというものを設定して、雪国の冬では近道ではなく国道を第一優先に選択するような仕様にした方が良いと思いました。

 車での移動に躊躇する季節になりました。

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今日は羽幌町で宿泊です

2023-12-19 23:47:43 | Weblog

 

 旭川で年末あいさつをしてから北上し、霧立峠を経由して今日は羽幌に宿泊しています。

 昨日まで留萌エリアでは大変な雪が降り、道路の除雪が間に合わず各所で交通がマヒし、市民生活も除雪で大変な苦労をしています。

 深川から分かれて西へ向かう深川留萌自動車道も、今朝11時まで通行止めになっていました。

 羽幌へ着くにも日本海沿岸を走るのは危険と判断して、一旦北上してから朱鞠内湖の南と霧立峠を経由するルートを選びました。

 今日の午後からは吹雪も落ち着くという天気予報と、霧立峠はここ数日の雪でも通行止めにはなっていないとのことで、安心感を抱きながら峠を快走。

 しかし峠を越えて日本海側に近くなったころから、風はないものの深々と雪が降り始めました。

 こういうときはとにかく国道を選択して走りましょう。

 その判断の良さで、なんとか夕方に羽幌に到着、道の駅でもある「はぼろ温泉サンセットプラザ」で今日は宿泊です。


 夜は地元の友人を呼び出して、地元の深い情報を聞きだすのが目的です。

 吉田類さんも来たことがあるという地元の旨い店で地元の海の幸で一杯やりながら美味しい時間が過ぎてゆきました。

 ここのところの留萌の豪雪では現地の除雪が間に合わないために急きょ羽幌からも機械を留萌に貸し出して除雪に当たっているそうです。

 
         ◆     


 羽幌って位置的に稚内へ行くときの中継地的な存在で、稚内~札幌間の都市間バスでもここの道の駅で休憩し、ドライバーが交代するという場所になっています。

 そのためなかなかここで宿泊をするという機会がないままに来たのですが、今回は旭川周辺での仕事があったために首尾よく来ることができました。

 様々な魅力についても教えてもらい、今度はまた違った形でこの地を訪れなくてはなりますまい。

 実は案外ファンの多い羽幌町でした。 

 

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