北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

鉄道資産を生かした安平町の道の駅 ~ 都市計画セミナーVOL.2

2019-02-28 23:59:28 | Weblog

 今日は、夜18時30分から札幌市内の会議室にて、都市計画学会の都市地域セミナー「鉄道遺産、鉄道資産を生かしたまちづくり Vol.2」を開催しました。

 「Vol.1」は、昨年11月10日に道庁赤れんが庁舎で開催しましたが、今回は、往年のSLを保存するコーナーを設けて、この4月19日にオープンが予定される、安平町の「道の駅あびら D51ステーション」を取り上げることとしました。

 二人の講師を招いて、それぞれ講演をいただき、その後でコーディネータを交えて三人による鼎談(ていだん)という形で議論を深めます。

 まず一人目の講師は、安平町地域推進課 道の駅経営推進グループリーダーの岡 康弘さん。

 岡さんからは、この「道の駅あびら」の構想とねらいなどについてのお話をいただきました。

 安平町は、千歳市の右側に位置していて、平成18年に追分町と早来町が合併してできた町です。そしてこの追分町はもともと、明治25年に夕張セント室蘭線の分岐点に追分駅ができたことで発展を始めます。

 追分駅には機関区が設けられて蒸気機関車のメッカとなり、国鉄最後のSLが走った場所としてSLファンの聖地でもあるといいます。

 しかし1987年の国鉄分割民営化と時を同じくして、夕張線の石炭列車も廃止され、急激な人口減少が始まります。

 そこで当時の追分町は、鉄道のまちから住宅のまちへとまちづくりの方向を転換し、町内の鉄道用地を買い上げて宅地化して分譲するなどし、一定の成果をあげてゆきましたが、その一方で鉄道文化は次第に町民から薄れていきました。

 そうしたことを受けて、旧追分町時代に「鉄道文化村構想」が打ち出されましたが、財政悪化や、早来町との合併ということもあり、合併後に旧追分町の構想は、政策順位が低いままとなり事業化が先送りされてきました。

 それが前町長である滝町長の時代に、「人口減少を食い止めるためにも、地域の有効資源を集中的に発信して、交流人口を増やし、活性化するため」に、道の駅構想が浮かび上がり、このなかで道の駅と鉄道資料館を一体施設化した「会友・交流ステーション構想」が策定されます。

 しかし町民からは、「今さら道の駅なんて二番煎じだ」「産業道路は観光に不向きだ」などの反対意見も多く、2017年度の当初予算は賛否が拮抗するギリギリの承認となりました。

 岡さんは、「これはこの段階で、もう町民には『鉄道文化』という地域資源の可能性を、行政も議会も町民も持ち合わせていなかったのだと思います」と言います。

 つまり、行政が先行して鉄道文化を残すためのハード施設を先行させても、その先どうしたらよいか、という発想も持ち合わせていなかったのだと。

【救世主登場】
 そんなところへ、謎の男性から一本の電話がかかってきます。電話の主旨は、「国鉄で退役する『キハ183』という車両を購入して道内で保存する計画を進めているのだけれど、安平町で保存してもらえないか」というもの。

 電話の主は誰あろう、今日のもう一人の講演者の矢野友宏さんでした。

 矢野さんはそれまでにも、鉄道観光資源研究会に所属して、クリーム色と赤の組み合わせの往年の名特急おおぞらの車両を保存する活動をしていたのですが、保存先として声をかけた自治体からはことごとく断られていて、心が折れかけていた時期。

 そんなときにテレビのニュースで、安平町が保存しているSLを道の駅に移設すると聞いたことから、(今までSLを保管していた車両倉庫が空くのなら、そこで保存してもらえないものか)と思って連絡をしたのだそう。

 (どうせこんかいもだめだろう)と思っていたのが、「それでは一度話を聞かせてください」という事になり、安平町役場へ行ったところ、教育委員会の担当者だけではなく、道の駅建設部隊の方も同席して一緒に話を聞いてくれ、最後には「どうせなら道の駅に置きませんか」という逆提案まで頂きました。

 どうやら保存場所は確保できそうな雰囲気が出てきましたが、問題はその費用です。

 そこで矢野さんは、北海道鉄道観光資源研究会としてのクラウドファンディングを2018年1月1日から3月30日まで期間で立ち上げ、より多くの方を対象に情報を発信し、共感を得るべくサポートを行いました。

 この運動が始まるよ、ということが知られた初日には、ツイッター上で7000人という、ものすごい数のアクセスがありましたが、アクセス数はすぐに鎮静化。

 しかし、一日数百人というアクセスが続き、第一目標額の610万円は軽々と突破し、二両目保存のための第二目標1100万円も、クリアし、最終的には1386万円を集めることができたのでした。

 この間の苦労については、横から岡さんが「ネットで発信したことで、伝えられる範囲が広がったことと、なにしろマメにほぼ毎日、小ネタをアップして世間の関心を引き続ける努力が実ったのだと思います」と説明してくれました。

 こうして保存するための資金も確保できた昨年、色を現役当時のものに再塗装して現地に運び込もうと思った矢先の平成30年9月6日に、隣町の厚真町を震源地とする最大深度7の北海道胆振東部地震が発生しました。

 この地震の影響で、道の駅の施設にも被害が出て、秋の車両移設は今年の開園後の6月まで延期になりました。

 しかしこれもまたピンチはチャンス。 「ゴールデンウィークの開園直後は大人気になると思いますが、それも下火になるころに、次の話題として特急車両の移設が行えるので、話題性の継続という意味ではこれもまた良かったのだと思います」と岡さんは前向きです。

 安平町では、道の駅での外部からの来客による交流を地域の活性化につなげたい、と考えていますが、さらに、北海道鉄道観光資源研究会と縁ができたことで、鉄道文化の価値を改めてより深く教えてもらう事が出来た、と考えています。

 またさらに、北海道鉄道観光資源研究会のつながりで、台湾で日本統治時代にできた追分という地名のついた小学校との交流も始まりそうだ、という予想もしなかった海外交流の話まで出ているのだそう。

 安平町と北海道鉄道観光資源研究会の思いが合致して、さらに幅広く多くの鉄道ファンにまで情報が伝わり、共感の心が生まれた時に、人の気持ちが動き、お金も動くという新しい交流や経済が発生するという、極めて興味深い事例と言えるでしょう。

 都市計画学会としては、このような多くの事例の紹介が、他の地域での参考になるのではないか、と考えるもので、これからも今日のようなセミナーを開催して、地域に還元して行きたいと思います。

 講師の岡様、矢野様、そして今回も共催という形で陰に陽にご協力いただいた、北海道鉄道観光資源研究会の皆様に心から感謝申し上げます。

 ありがとうございました。


 

 

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交通誘導員が足りなくて…

2019-02-27 23:54:54 | Weblog

 

 舗装業者さんたちが集まる会議があって、話題が『交通誘導員さんが不足して困っている』ということになりました。

「交通誘導員がいないとどのように困るのですか?」
「国道や主要な道道は、一定の資格を持った交通誘導員を配置しなさい、という規定があるので、そういう人がいなければ工事を始められません。とにかく、交通誘導員の絶対数が足りないので、誘導員が配置できなければ、配置できるまで工事が始められません。交通誘導員を確保できるまでに時間がかかってしまえば、全体の工期が後ろにずれてしまって、工程を守るのがたいへんになるというわけです」

「支払うお金を上積みして来てもらうということも難しいですか」
「遠い地域で暇にしている部隊があれば、そういう人たちを連れてきて、宿も提供してしばらく長逗留をしてもらうということが可能です。その場合は宿泊費用の負担分も積算で見てもらえる、と言いますが、実際は積算される金額よりも多く費用を払っていることのほうが多いと思います」

 業者さんの見立ては、『とにかく必要とされるだけの交通誘導員がおらず、不足していることがスムースな工事の着手や工事の進捗の障害になっている」というものです。

 商工会議所とも意見交換をする中で、「それでは、舗装業界と警備業界の方同士で意見交換をする場面を作りましょうか」という話が進んでいます。

 こういう業界同士を仲介する団体があるのは助かります。

 問題や課題をぶつけ合いながら、課題が解決できるような方向性を見出していきたいものです。


 それにしても、業界内部の担い手問題だけではなく、下請けさんや機械のオペレーターさんなど、様々な周辺業界の担い手も不足しています。

 どこかの業界の人が不足すれば、業界全体が麻痺してしまうことも生じるでしょう。

 どの業界も適切なバランスを保ちながら継続していることから社会が安定を続けていられるのです。

 担い手不足の未来は、本当に大変だと思います。

 給料を増やすというような、お金で解決できるのでしょうか。 

 

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いろいろあるけど、ゆうちょ銀行は転勤族の味方

2019-02-26 23:51:09 | Weblog

 

 転勤族にとって一番便利な金融機関は郵便局です。

 全国のどんな田舎に行っても、まずキャッシュコーナーがあるし、その数が多いことと、手数料などもほとんどかからないことがとてもありがたいのであります。

 貯金は通帳やキャッシュカードで下すのですが、先日、このキャッシュカードを機械が読み取れない、と言う事態が発生しました。

 郵便局へ行って「機械で貯金を下ろせなくなりました」と言うと、調べてくれて、原因はカードが割れたことによってデータの読み書きができなくなったことだとわかりました。

 そのカードが割れた原因と言うのは、カードを財布に入れていて、その財布をお尻のポケットに長く入れ続けたことでした。

 割れてしまったことは仕方がないので、「新しいカードを作っていただけますか」と言うと、「通帳と印鑑と本人の証明と、あとは料金が1,030円かかります」とのこと。

「え?お金がかかるんですか?それも1,030円とは結構なお値段ですね」
「申し訳ありません」

 係の方のせいではありませんが、郵政民営化のためか、こういうことに対する料金が高くなったような気がします。

 
     ◆


 翌日職場の女性たちを相手にして、「郵貯カードが使えなくなったので交換しようとしたら1030円もかかると言われちゃっんですよ」と言うと、「それ、知ってます。うちも同じことがありました」と、同じ目にあった様子。

「どうしたの?お金を払って新しいカードを作った?」
「いえ、馬鹿馬鹿しいから、新しい口座を作りました」

「えーー?それなら無料というわけ?へー、それは気が付かなかったなあ」
「専務もそうしたらよかったのに」

「…うーん、でもその口座は給与振り込みとか様々な公共料金の引き落とし先になっているからなあ。その手続き変更の手間を考えると、割に合わないかな。小遣いのやりくりだけの口座だったら、そうするかもしれないけどね。でも何かの時に覚えておこうっと」

 カード交換なら有料だけれど、新しい口座だったらカードはタダなのでしたか。

 そこでゆうちょ銀行のホームページを探してみたところ、確かに、「ICカードの新規発行は無料で承ります」とあり、同時に「ICカードの紛失等による再発行には手数料(1,030・消費税込み)が必要です」とありました。

 ちょっと釈然としないところがありますが、そういうルールなのだそうです。

 でも今や郵便貯金も、ネットに対応していますし、他の金融機関への振り込みもネットでできるのでとても便利に使っています。

 いろいろあっても、郵便局は転勤族の味方であることに変わりはありません。

 がんばってほしいものです。

 

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そうか、失敗する人が多いんだ

2019-02-25 23:41:49 | Weblog

 

 先週の『マイナンバーカードパスワードロック事件』を受けて、今日は区役所でロック解除の手続きに行ってきました。

 区役所へ行って、「マイナンバーのロック解除をお願いします」と言うと、窓口の係りの方が、「ご自宅でなにかやっちゃいましたか?」と聞かれました。

「ええ、e-taxにネットで入ろうとして、パスワードを3回間違えました」

 すると係りの方は、「いやあ、今多いんですよね。何か、e-taxのシステムが変わったようで、『急にそのパスワードを求められたのですが、わからなくてロックしてしまいました』というお客様が増えているんです」と言いました。

 なるほど、確かに昨年は、この4桁を求められなかったのではなかったか。

 年に一度しかかかわらない確定申告ですし、そのシステムとやり方が毎年変わるというのは、思い出しながらついてゆくのもなかなか大変です。

 
 区役所の窓口でパスワードのロックを解除してもらい、家で再度e-taxサイトにアクセスすると、マイナンバーカードの存在をカードリーダーも認識して、4桁のパスワードが求められました。

 確認しながらパスワードを入力して、無事にサイトに入り、16桁の納税者番号を入力すると、ちゃんと私と認識してくれました。

 ここから先は、必要な金額や書式を埋めて入力するだけです。

 そこで作業途中のデータを一時保存して、再アクセスもしてみましたが、一度ここまでやっておくと、e-taxのサイトではマイナンバーカードと、4桁のパスワードだけで中に入れるのでした。

 失敗さえしなければ、以前よりも楽になっていると感じられます。

 しっかり覚えておいて、来年こそはスムースなアクセスができるようにしようっと。

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砂川オアシスパークでのワカサギ釣り ~ 久しぶりの好釣果

2019-02-24 23:38:38 | Weblog

 

 いろいろあって、週末もなかなか行けずにいたワカサギ釣りですが、好天にも恵まれて、今日は砂川オアシスパークまで遠征に行ってきました。

 朝6時に札幌を出発して、現地には7時30分に到着。

 早いほうだろうと思ったのですが、どうしてどうして、この時点で管理棟横の駐車場は満車。

 参ったな、と思ったところ、駐車場の先に、遊水池沿いに作られている道路には左側にはワカサギ釣りの車が縦列でずらりと並んでいました。

 これなら、少しくらい遅くなっても車が止められるので安心です。

 きれいに管理されたトイレがある管理棟に近いほうが、便利は便利なのですが、十分に満足できる状況です。


    ◆


 砂川オアシスパークのワカサギ釣りポイントは、北側の管理棟直下付近と、南側で奈江豊平川が流れ込んでいる付近の、大きく二つのポイントがあるようで、今回は後者の南側のポイントで釣ってみることにしました。

 今日はいよいよ電動ドリルと魚群探知機の本格的デビューということで、これらの道具を使っていかに良い釣りができるかがテーマです。

 先日、ワカサギ釣り名人の知人から、「まずは魚のいるポイントを探すことが一番。だから多少時間がかかっても、いくつかのポイントに穴をあけて、魚探で魚がいるかどうかをチェックして、魚の反応の強いところで釣り始めることです」というコツを聞いて、それを実践してみることに。

 ところが、まず電動ドリルがやっぱり中途半端。

 ドリルの長さが足りなくて、もうこれ以上突っ込めないというところまでドリルを押し込んでもなお氷を突き抜けることができません。

 ドリルの継ぎ手を買えば良いのですが、今回はそれがないので、手動での穴あけに切り替えて、あけた穴に魚探を入れてみます。

 ところが、どうも湖底をうまく探知してくれません。

 水深はせいぜい5mくらいなのですが、その付近で湖底を探知してくれないとなると、魚の探知は及びもつきません。

 穴を6~7か所開けてみたのですが、どこのポイントも魚の群れを捕捉できなくて、そうこうしているうちに、最初に荷物をばらしたところで待っていた妻が、「お隣のテントの子供さんも釣れているよ」と教えてくれる始末。

 結局最初のところにテントを設営して、そこで釣り始めました。


 

     ◆


 ところがそのポイントが今日は絶好調。

 仕掛けを投入すればほぼ底付近ですぐに食いついてくる反応があって、それが途切れません。

 試みに、自分の釣り穴に魚探を入れてみると、反応があって青や赤の色がぐんと濃くなる時間帯があって、魚の群れが来ていることがよくわかります。

 私魚探を見ていて勘違いしていたのが、魚は皆"魚マークで教えられる"と思い込んでいたことでした。

 実際には、湖底や氷の固いところは赤で示されて、ほとんど位置が変わらないのに対して、そこに一時的に青や赤などの色による反応があれば、それが魚がいるということなのでした。

 だとすると、最初に穴開けたところで、湖底が出ないのは今後原因を究明するとして、湖底の反応があったところでは、魚のいる・いないの見極めができていなかった可能性もあります。

 また面白かったのは、これだけ釣れているのに、釣り穴から数十センチ離れたところにあけた魚探用の穴では魚の反応がほとんど見当たらないこと。

 まあそれだけ直下の穴を狭い範囲で探索する機械だ、ということなのですが、いろいろな意味で、早く新しい機械に慣れなくちゃいけませんね。

 
     ◆

 結局9時少し前から釣り始めて、午後2時15分までの釣りで、妻が127匹、私が184匹と、とりあえず自己ベストを更新しました。

 さすがに数が期待できるポイントとして有名な砂川オアシスパークです。

 氷の緩むのが早くて、釣りができるのは今月末までということですが、最後に行けて良かったです。

 十分に楽しませていただきました。

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さて、e-taxでもやろうかな…カタカタ…、あちゃーー!

2019-02-23 23:41:57 | Weblog

 確定申告の時期となり、医療費還付やふるさと納税の申告手続きe-taxでしようと思って、パソコンに向かいました。

 昨年はだいぶ使い勝手が良くなった、という印象のあったe-taxでしたが、思いのほか手間取っています。

 まず、e-taxは推奨ブラウザが"Internet Explorer ver.11"で、毎年まずそのことを(ああ、そうだったなあ)と思い出すのでした。

 次に、手続きのために国税局提供の最新のソフトをインストールして準備を進めます。

 OSはWindows10で最新ですし、一応こちらの準備は万端なはず。

 最近は、税務署へ行って、本人確認ができる書類を持参して、事前にIDとパスワードを登録すれば、マイナンバーカードとカードリーダーのセットがなくてもe-taxで申請ができるようになりました。

 便利になったというか、マイナンバーカードが不評なのか…。

 まあ私は慣れた、マイナンバーカードとカードリーダーのセットでやりましょう。

 
     ◆


 国税局のe-taxのサイトでは、申請書を作成する段階で、申請書を作るのに個人認証をしてから作成するということで、マイナンバーカードで個人認証をする方法を選択します。

 すると…、あれ? 去年はうまくいったのに、今年はマイナンバーカードを認識してくれません。

 30分くらいもがき苦しみましたが、以前から僕のカードリーダーがSony製のRC-S330という、もう古いタイプの機種であるのがちょっと気になってきました。

(機種が古くてOSと合わなかったりするのかなあ)と思って、ネットで、「e-tax マイナンバーカードが読めない」で検索をかけると、同じ悩みで苦しんでいる方はいるもので、その方が解決策を教えてくれました。

 その方によると、「このカードリーダーでマイナンバーカードが読めないときは、『PC/SC アクティベーター for Type B』というソフトがインストールされていないことが原因であることが多い」とされていて、そういわれると、昨年もそんなソフトをインストールしたことがあるような気がしてきました。

【PC/SC アクティベーター for Type B】


 https://www.sony.co.jp/Products/felica/consumer/download/pcscactivator.html

 このことは国税局のサイトには全く言及がなくて、やはりまだパソコン能力に長けた人でないと、サクサクと申請には至らないのだなあ、と残念に思いました。

 おまけに、これをインストールしたおかげでマイナンバーカードを認識してくれたのですが、そこで4桁のパスワードを求められたときに、3回入力ミスをしてしまったーーー!

 3回ミスをすると何が起きるかと言うと、マイナンバーカードが使えなくなって、それを復活させるためには区役所へ行って手続きをしなくてはいけないのです。

 今日は区役所は休みなので、結局、私個人のサイトに入れなくて今日は全く作業になりませんでした。

 なんと情けない…

 毎年定期的にやっている作業にもかかわらずこの体たらく。

 自分なりの作業手順を、メモにしておかないとだめですね。

 セキュリティを大事にするあまり、結局作業に著しく手間がかかるという、この矛盾。

 誰もが使えるe-taxってのは夢でしょうかねえ。

 ふー…、ちょっとショックな土曜日でした。

 

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道路の大切さを絵本で知って

2019-02-22 23:45:07 | Weblog

 

 舗装業界では、道内随一の事業を行っている㈱道路工業さんが、創立70周年・創業95年の記念事業として、絵本を作成しました。

 この本は、2017年4月からプロジェクトが始まり、ほぼ2年の歳月をかけてつくられました。

 内容は、動物三人組が道路を作り、直している大人の姿を見て、道路の大切さを知るというものです。

 作者は道内出身の絵本作家の「すずきもも」さん。

 ほのぼのとした絵ですね。

 この絵本は、札幌市内すべての児童館に贈られるそうで、子供たちに楽しんでもらいながら、道路への関心が生まれるとよいですね。


    ◆


 子供たちはあらゆる業界にとって、将来の担い手ですが、その子供たちが職業を選ぶ時の関心ごとに、どれだけ食い込めるかは、この業界にどれくらいの人が入ってくれるかを大きく左右します。

 そういう意味では、絵本もそのツールの一つですし、またこれからの時代を考えると、デジタル化したり、スマホを使ったりするというようなこともあるかもしれません。

 楽しみながら、憧れの職業にするためにはどうしたらよいでしょう。

 知ってもらうということも一つですが、やはり給料の問題や、休暇・休日の取得で働きやすい職場にすることも大切でしょう。

 いよいよこれからは、人材を取り合う、大変な時代がやってきそうです。

 

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名もなき人々の力だ ~ 蝦夷地の歴史とBOSSのCMと ~

2019-02-21 23:12:32 | Weblog

 本日の舗装事業協会の総会は無事に終了しました。

 総会の後で、1時間という時間枠をいただいて私が講演を行いました。

 タイトルは『松浦武四郎の150年前 蝦夷地の出来事』というものです。

 昨年は松浦武四郎によって蝦夷地が北海道と命名された150年ということで、様々な記念事業が行われました。

 多くの方が、北海道という名前になってからの北海道の歴史や物事について学んだり楽しんだりする機会も多かったことでしょう。

 今回の私のテーマは、そういう時だからこそ、『では松浦武四郎が登場するまでの蝦夷地の150年にはどういう歴史があったのだろうか』というものでした。

 歴史のはざまに埋もれた無名の探検家、家族と離れて北辺の寒さに非業の死を遂げた東北の藩士たち、日本とロシアと言う国の間に挟まれて翻弄される人々、かたやでその困難な問題を解決しようと命を懸けて奔走した志士たち…。

 蝦夷地が北海道と名を変えるまでの間にも、歴史が全くなかったわけではなく、いやそれ以上に、開国を迫るロシアとのドラマチックな物語があるのです。

 長く鎖国を続けて、外国との接触に消極的だった江戸幕府は、船が漂流してロシアに流れ着いた漂流民たちを返しに来た、という人道的な名目で、開国と通称を迫る大国ロシアを目にして初めて、『国民とはなにか、国土とは何か、国家とは国民と国家に何をすべきなのか』という問いを突き付けられます。

 そしてそれらに対する答えを導く中で、近世ナショナリズムの萌芽の姿がそこにみられます。

 特に千島列島を舞台にして、ロシアに取られるのか、それとも日本の領土として守れるのかは、そこに住むアイヌの人たちがどちらの国に属したいと思うのか、ということに焦点が当たってきます。

 そうしてみると、巷間知られているような、場所請負人たちがアイヌを虐げて略奪を図るような振る舞いは実にマイナスであったわけです。

 18世紀後半には複数回にわたる蝦夷地や千島、カラフトへの探検を通じて、和人とアイヌの実態を知るための調査が行われ、あるべき方針を定め実行に移さなくてはならない。

 そしてそこに中央政府の政変や憎しみや恨み、災害などが複雑に絡んだ人間模様が浮かび上がってきます。

 今日の講演の主題はそうしたことの中から、歴史に埋もれた人々を蘇らせてみたい、という思いでしたが、いかがでしたでしょうか。

 この講演の中身については、いずれ一定の文章にしたいと思っていますので、しばしお待ちください。


      ◆


 で、今日は、そんな総会や講演会が終わった後の懇親会でのお話。

 大同舗道という舗装会社の社長さんが、周りから「BOSSのCMを見ましたよ、除雪を担当している裏方の物語で、クレーマーがいたり、仕事へのやりがいが感じられたりして、グッときますね」と話しかけられて、壇上に立って、その裏話を紹介してくれたのです。

 曰く、「サントリーから札幌市の雪対策室に相談があって、実際に除雪をしている私の会社(大同舗道)の社員に白羽の矢が立ったんです。私も良いストーリーで感動しました」とのこと。

 私は全然知らなかったのですが、ネットで3分7秒バージョンが公開されていて、感動的でした。

 このCMを見て、缶コーヒーを買いつつ、市民の多くから除雪への協力が得られるとよいのですが。

 皆様、舗装関係の会社の多くが冬は除雪をしています。

 名もなき人々の奮闘努力によって社会は成り立っています。

 それは歴史の中にいて、今の私たちの周りにいます。

 そんな名もなき人々に、どうか思いを寄せてくださいませ。

【ボス『冬の北海道×BOSS』篇 3分7秒 サントリー】
 https://www.youtube.com/watch?v=NLcUnssRhXo&feature=youtu.be

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一回死んだ!

2019-02-20 21:28:26 | Weblog

 

 職場について、「さて、明日の講演のパワポの最終作成をしようかな」と、パソコンのファイルを開くと…、あれ?おかしいな…。

 昨日一生懸命に作ったスライドが見つかりません。

 それに、部分修正をしたところが修正前に戻っている…。

 (なぜ…?)

 タイムスタンプを見ると、深夜の0:06になっているので、自分がこの時間に保存したファイルに間違いありませんし、ほかのフォルダーにもこのファイルが見つかりません。

 そういえば…、昨夜パソコンを閉じるときにおかしなことがありました。

 それは作ったファイルを保存して閉じて、パソコンをシャットアウトしようとしたときに、さっき閉じたはずのファイルが出てきたのです。

 閉じようとすると「保存しますか?」と聞いてきたので、「はい」を押してパソコンを閉じたのですが、どうやらそのときにトラブルの元があったよう。

 なぜかわかりませんが、同じ名前のファイルが同時に開かれていたようなのです。

 なので、私が作りこんで保存したファイルの上に、作りこむかなり前のバージョンが上書きされて、結果的に古いバージョンのものが最終保存されていたのです。

 「ま…、まずい…?」

 この状態では、明日の講演時間までに再度作りこむことは不可能です。まずいぞ、これは…。

 血の気が引いてゆく感じがしました。


      ◆


 私の場合、ファイルをdropboxというクラウドサービス上に保存していて、それで職場でも家でも作業ができるのです。

(職場のパソコンでは見られないけれど、家のパソコンなら重ねる前のバージョンが残っていないものか…)と一縷の望みを託して、家にいる妻に電話してパソコンを開いてもらいましたが、電話での指示では何をどうしたいのかがまったく伝わりません。

 仕方なく、かなり落ち込みながら、意を決して一度家に帰ることにしました。

 家についてから部屋のパソコンを操作してみましたが、やはり前のバージョンはいつも保存しているフォルダーには残っていません…。

(困ったー!)

 さんざん操作して、何かが残っていそうなフォルダーを探して探して探して…、そしてようやく見つかりました!

 フォルダーを保存していたdropboxのなかに、隠しファイルがあって、そこに非表示のファイルとして、昨夜の23時40分というタイムスタンプの同名のファイルがありました!!

 恐る恐る、そのファイルを復元してみると…、戻ったー!

 最後の20分ほどの作業は反映されていませんでしたが、それくらいなら何とかなります。

 とても1日費やした作業は復元できませんが、これならなんとかできます。

 良かった、本当に良かったー!

 その瞬間なぜか、子供の頃、本当に驚いたときに、「一回死んだー!」と叫んでいたのを思い出しました。

 まさに今日はその、「一回死んだ!」という感覚です。

 そういうことを思い出して、なんだか可笑しくなって自分で噴出してしまいました。

 皆さんも、大事なファイルの保存にはお気を付けください。

 一回死んだりしないように。

 

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近世の蝦夷地の歴史は、冒険談の宝庫なり

2019-02-19 23:46:45 | Weblog

 

 今週、私の協会の総会があります。

 その際に、協会の偉い方から、「総会の時間は早く終わるし、懇親会が始まるまで1時間くらいあるので、小松さん、【なんでもいいから講演してちょうだい】」という依頼がありました。

 この【なんでもいいから】というのが、何でも良いようで、実は一番難しくて考え込んでしまいました。

「なんでもいいんだから、小松さんなら引き出しがいっぱいあるでしょ?」

 引き出しはあっても、そこから愚にもつかないようなものが出てくるのでは困ってしまいます。

 ちょっとは教養になって、少しは舗装とか道路に関係のあるような話題は…、と考えて、『近世の蝦夷とロシアの関係史』というテーマにすることにしました。

 蝦夷地は長く辺境の地とされて、松前藩に任されて、江戸幕府からは顧みられることなく過ぎていった、となんとなく思いがちですが、近世においては息をのむような、ロシアとのギリギリの交渉などもあって、歴史ドラマがないわけではありません。

 昨年は「北海道命名150年」という記念の年に浮かれ、蝦夷地を北海道と命名した松浦武四郎がやたら持ち上げられていたものです。

 しかし松浦武四郎が蝦夷地探検を試み始めた1844年ころの蝦夷地は、一時のロシアとのつばぜり合いが一応収束した安寧の時期でもありました。

 この1844年からもう100年ほど遡ったあたりの頃から、1800年代初頭に蝦夷地を舞台にした数々の歴史ドラマを通史的にお話してみたい、というのが今回の私の講演テーマになりました。

 道内の各地もこの時期にルーツを持つところは多いのです。

 場所で言えば、平取の義経神社、厚岸の国泰寺、当時の蝦夷の首都である松前、エトモと言われた室蘭、探検家が越冬しきれなかったソーヤ、ロシアに襲われた、クシュンコタン(現在の樺太のコルサコフ)と利尻島、そしてこの時期に北海道で初めて道路が開削された、という歴史もあります。

 人物で言えば、賄賂政治家として評判の悪い田沼意次、寛政の改革を行った松平定信、北方の島々を探検して歩いた近藤重蔵と最上徳内、伊勢から江戸へ向かう船が難破して漂流し、大変な冒険をした大黒屋光太夫、ロシアとの争いを胆力で防いだ高田屋嘉兵衛、日本に開国を迫った、アダム・ラクスマンとレザノフ、北方にとらえられ松前で牢獄に入っていたゴローニンなど、教科書に載っている人たちも数多くいます。

 さらに、政変のごたごたに巻き込まれ、歴史からは抹殺された蝦夷地の探検家たちも登場します。

 歴史のない北海道、なんて誰が言いますか。

 蝦夷地はこんなに面白い冒険談の舞台なのですがねえ。

 さて、一品物のパワポを仕上げるとしますか。

 

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