北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

北海道を花で元気に、GIH

2005-05-31 23:49:07 | Weblog
 5月も今日で終わりで、札幌へ戻ってから早2ヶ月。そろそろ今年度の仕事が本格的に始動し始めてきたようです。忙しくなるぞ~。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、

■室蘭工大を訪ねる
■ガーデン・アイランド北海道 の2本です。

【室蘭工大を訪ねる】
 我が課では今年と来年に掛けて「雪氷冷熱輸送システム検討調査」というプロジェクトを動かそうとしている。

 このプロジェクトの基本的な問題意識は、北海道と首都圏とのいわゆる「片荷輸送」の問題である。

 「片荷輸送」というのは、首都圏からは荷物を満載にしたトラックが主に船で北海道まで様々な物資を運んでくるのだが、来るときはよいけれど北海道を離れるときに首都圏に持って行く荷物がしばしばなくて、帰りの船賃を払いながら実はトラックはからっぽということである。

 北海道の場合、夏から秋にかけて農作物が実った頃には空車率も次第に少なくはなるものの、なくなってしまうわけではなく、帰りも安いながら運賃を払わざるを得ないために物流のコストが上がってしまう、という物流を考える上での不利がありのである。

 それには、首都圏に帰るときになにか首都圏がほしがるような荷物を積めばよい、ということで北海道では簡単に作ることができる氷に目をつけ、この冷たさを夏の冷房に使うことで、片荷輸送解消に貢献したいと考えたのである。

 もちろん事はそれほど簡単ではない。首都圏では単独のビルだけでなく地域が一体となって冷暖房をするシステムがすでに確立していて、夏は夜の深夜電力を利用して氷を作り冷熱を蓄え、昼にそれで電気を使わずに冷房をするエコアイスというシステムが広がっている。

 ここにそのまま氷を入れれば良さそうなものだが、敵はコストにあり。

 とにかく、深夜電力でできる氷の値段に匹敵するくらいの低コストで北海道の氷を保存して運搬しようと言うのだから、簡単な構想でできるものではない。

 また同時に、机の上の計算で「できない!」と決めつけるのも早計過ぎるというわけで、二カ年の実証実験付きのプロジェクトが認められたというわけである。

    *   *   *   * 

 このプロジェクトは委員会形式でガンガン検討を進めて行くこととしているのだが、今日はその委員に室蘭工大の先生にご就任いただこうとお願いに来たのである。

 実は室工大には私と高校、大学が同期のK君が助教授として現在勤務をしているのである。

 K君はもともと国家公務員になったのだが公務員としても主に研究畑を歩むようになり、6年ほど前からこちらで迎えられ、今では大学の助教授になってしまったのである。 

 彼に会うのは約20年ぶりくらいかも知れないが、約束の先生とのアポの前の時間に控え室を訪ねた。

 一目見た瞬間に青春が甦る思いがするが、K君は昔の面影そのままである。

 挨拶もそこそこに、お互いの近況などを話し合う。

 「今は大学も独立行政法人になってしまったけれど、公務員としての身分はどうなったんだい?」
 「ああ、昔なら『文部省に出向を命ずる』で済んだけど、今はそれは難しくなったなあ」

 「それじゃもう公務員に戻ろうという気もないのかい?」
 「僕の場合は早くから研究職という立場が長かったからなあ。それに君たちだってあと十年もすれば、この先どうやって第二の人生で食べて行こうかと悩むでしょ。僕はそれが10年早くに選択のチャンスがあったと言うことかな。」
 「なるほどね」
 
 今でもまだ大学の先生は定年が65歳ということになっているようだが、世の中の動きは速いし、成果主義が勢力を増している。

 どこの世界にも楽な安定などもうないのかも知れないけれど、新しいチャンスを逃さなかったK君の生き方には共感できるものがある。

 K君、お互いにがんばろう。

    *   *   *   * 

 そうそう、目的の先生とも無事に会えて、プロジェクトの説明をして委員の就任もご了解いただくことができた。

 北海道の氷の研究家大集合である。


【ガーデン・アイランド北海道2008】
 夜には「ガーデンアイランド北海道2008(通称GIH)」の会合に参加した。

 GIHとは、2008年を一つの目標として花と緑で北海道を元気にしようと言う有志の集いである。

 大学の先生から、園芸家、造園建設業者、お役人、コンサルタント、芸術家、市議会議員まで集まっている人のバックグラウンドは様々である。

 この会合、もともとは淡路花博のような大きな花の博覧会をしたい、というところに主眼をおいていたのだが、今さらそんなに大きな夢も非現実的だということから、現実的で実現可能なことを積み重ねようと言うことに方向転換をしたのだそうだ。

 そこで、一つの会場でドカンと華々しく行うのではなく、北海道中のどこでも花と緑で周りの人たちを元気にしようと言う道民運動に展開しようと言うことになった。

 ここでのガーデンという単語は、もう庭だけではなく、農村風景から大自然のお花畑までも含めた大きな緑の空間を意味している、ある意味壮大な計画でもあるのだ。

 まずはホームページの解説あたりから情報発信や情報収集に努め、平行して様々な同志を募ることから始めようというものだが、2008年というのもスケジュールを組んでみるともうすぐ目の前に迫っているようである。

 今日は約40人ほどの人たちが集まって意見交換をしたが面白かったのは某市の市議会議員のNさんの発言。

 「北海道がこれだけ大きな可能性のある土地を有していながら、市街地の住宅地はやはり70~80坪しかない。これではガーデニングなどはとうてい無理で、植物に囲まれて美しい住宅地などはできはしません。一軒分の土地が150~200坪くらいの住宅地で、そこに住む人は必ずガーデニングでその土地を飾ることを義務付けるようなことをすれば、全国から見学者だって訪れると思うんです」

 Nさんの主張はそこで農地の転用と住宅地開発を当局が決定すればよい、ということになるのだが、市役所もなかなかそこまで踏み切れていないようだ。

 私などは逆に、都市公園のあり方とセットで語ればそれもできそうな気もする。

 つまり、四方を道路に囲われて住宅地から引き離された公園ではなくて、住宅地の後ろがすぐに公園に隣接するような作り方をすればよいのではないか。

 管理は公園内に遠路を作れば良くて、公園を管理することと家が公園と隣接すると言うことは矛盾しない。

 おまけに、公園に隣接する家の家主には家に隣接する一定の面積の公園をアダプト(管理の養子縁組)制度で、自由にガーデニングをしてもらえば良いのではないかと思うのである。

 住宅地は無秩序に売られたりして地域を壊さないようにするために、その権原は公共が保持して定期借地権で貸すというやり方だってあるだろう。

 地区計画や住民協定などの既存の制度を縦横に駆使することだけでも、花と緑にあふれたすばらしい住宅空間ができそうだ。

 公共的緑地はこうして地域に貢献できるという見本にもなりはしないか。北海道という、霞ヶ関とは違った現場における公共的オープンスペースが地域に貢献するあり方について、北海道からの発進が不足している。

 現場の悩みを現場で解決するという思考マインドを高めて、今それをしておくことで明日の子孫に豊かな社会を残したい。

 それが公共事業の存在意義だ。思考停止している様な暇はないのである。

    *   *   *   * 

 Nさんによると、誰でもが見て歩けるような家の庭を言うオープンガーデンの中でも有名なところになると、年間に10社以上もツアー客が訪れるのだという。

 ところがそれだけの来客圧力を想定した作りにはなっていないので、庭が荒れたりツアー客のマナーが地域問題になったりしているところもあるらしい。

 「それだけのことを最初から想定して、元々見られるために作られたオープンガーデンとして作ればよいのですよ」とは先のNさんの弁。

 北海道ならではの幸せな花に囲まれた住宅地が実現すれば、移住希望者も殺到するかも知れない。なにしろ土地が安い北海道ならではの地域の魅力となるかもしれない。

 さあ、北海道の可能性について知恵を出そう。

    *   *   *   * 

 大きな話から小さな話まで、花と緑が好きな連中が集まって懇親会でも大いに盛り上がった。

 道内では有名なガーデンをお持ちのSさんに「3月まで掛川にいました」と自己紹介したら、「掛川ですか!?じゃあ加茂さんの…」というのでびっくり。

 加茂さんとは地元で花菖蒲園や花鳥園という観光施設を経営している掛川の有名実業家である。

 「良く存じ上げています。大変お世話になりましたよ」と言うと、Sさんとのおつきあいもなかなかのものらしい。

 ここでも繋がった。やはり何でもなだれ込んでみるものである。

 さてGIH、多くの皆さんの参加とご協力をお願いしたいと思います。ホームページはもうすぐ立ち上がる予定です。

 そのときはまたお知らせしますよ。  

  

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シーニック・バイウェイ北海道フォーラム

2005-05-30 23:02:12 | Weblog
 今日の北海道は快晴で気温が上がりそう。もう初夏の陽気でしょうかね。

 今年のライラックはライラック祭りが終わった今が満開。春先の低温で植物のサイクルがちょっと遅れているようです。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、

■シーニック・バイウェイ・フォーラム
■懇親会での一コマ の2本です。

【シーニック・バイウェイ・フォーラム】
 シーニック・バイウェイ北海道では、これからの6月、9月、来年の2月を集中強化月間と称して、活動を積極的にPRすることにしている。

 今日はそのシンボリックな意味合いとして、札幌市内の会場でシーニック・バイウェイ北海道フォーラムが開催された。

 午前中は、今回指定を受けた三つのルートと二つの候補ルートの地域の皆さんが一堂に会して、現在考えていることやこれからの豊富、様々な工夫などを語り合うセッションが行われた。

 午後は道商連の高向会長から今回認定された三つのルートの認定証がそれぞれの代表者に手渡されると共に、それぞれのルート紹介プレゼンテーションが行われた。

 プレゼン能力はなかなかのもので、綺麗な映像と上手な説明に感心した。

 基調講演は筑波大学の石田東生(いしだはるお)教授と、NHKの女性アナウンサーの目加田頼子さんのお二人。
 
 石田先生からは、シーニック・バイウェイを通して道路事業の一歩外へ支援ができるような枠組みを作るようがんばれ、という応援のメッセージであった。

 また目加田頼子さんは、私がちょうど北海道にいなかった3年間を北海道で過ごして、この3月に東京へ帰られたのだった。まさに私とちょうど入れ替わりだったのである。

 しかもこの間、シーニック・バイウェイには注目をしてくださっていて、陰に日なたに応援をしてくださっていたとのこと。

 目加田さんからは「北海道の皆さんはばんえい競馬に行ったことがありますか?私はあれはすばらしい北海道文化だと思うのですが、皆さんはいかがですか」ということで、ばんえい競馬をダシにして地域文化を馬鹿にする風潮をアジるお話であった。

 まさに私が掛川で地域文化を知ろう、とアジったそのままなのだが、私自身もばんえい競馬には行ったことがなくて、地域文化を知ろうとしていない者の一人であったのだ。

 まあそれだけ地域の文化を本気で知ろうとはしないものだ、という心理だが、外から来た者ほどそう言うことを感じるのだから、そういうことに気づいた人間はそれを言い続ける義務があると思って、叫び続けるのが良いだろう。

    *   *   *   *  

 講演の後はパネルディスカッション。地域作りにも熱心な林美香子さんをコーディネーターにして、我孫子健一北海道観光連盟会長、石田先生、目加田さん、そして写真家にして女満別町の商工観光室長という山本勝栄(かつえ)さんの4人で、北海道観光の魅力やシーニック・バイウェイの可能性などについて意見を交わした。

 中でも元道庁の副知事までされた我孫子さんからは、「シーニック・バイウェイは北海道開発局54年の歴史の中で最高の取り組みだ。大いにがんばってください」というエールが送られ、会場を沸かせた。

 山本さんからは、地域の外郭団体がなかなか動いてくれないのが残念という思いや、せめて自分だけはやろうとしている活動などが紹介された。

 特に、地元の観光案内などは休日にお客さんが訪ねてくるのだけれど、そういうときには観光協会も休みで、問い合わせに答える体制ができていない。そこで仕方がないので、自分の携帯番号をパンフレットに載せて、自らが観光案内をしている、というエピソードを教えてくれた。

 すばらしいマインドだが、組織で考えると後に続く人が大変だろうな、というのも正直な気持ちである。
 組織というのは安定しているが、パフォーマンスはなかなか上がらないものだ。

 会場には全道各地から地域活動をしている人たちも集まってきてくれていたので、大勢の方と挨拶をすることができた。

 「友達の友達はみんな友達」の精神があれば、北海道中が友達のようなものだ。それくらいの気構えで望まなくてはやれないのも、シーニック・バイウェイである。

 いよいよこれからが正念場である。


【懇親会での一コマ】
 続いては懇親会。お酒も少しはいると舌も滑らかになって普段は聞けないような話も聞けるのでこういう時間が大切である。

 ニセコでペンションを経営しながら地域活動をしているYさんと一月ぶりにお会いしたが、「今年は農作物が3週間遅れていますよ」とのこと。

 早く盛り返して欲しいものだ。

 「ペンションだと悪天候のときなどは大変でしょうね」と訊くと、
 「いえ、そう言うときの方が僕らにはチャンスだと思っています」とのこと。

 「おや、それはどうしてですか?」
 「事故や災難の時って、お客さんは誰かに頼りたくなるじゃないですか。だからそういうときに、『大丈夫です。安心してください』って対応をすると、それだけお客さんに僕らの印象が強くなるんです。そうやって仲良くなって何度も来てくださるお客さんが多いんですよ」

 「なるほど、ピンチはチャンスなんですね」
 「ええ、もっともそれだけ対応するのは確かに大変なんですけどね」とも。

 そう「ピンチはチャンス」なのだ。

 ピンチの時に頼られる存在が次に生き残るのだ。「逆境の時の友が本当の友」とも言う。不遇を天に向かって嘆いている暇があったら、そのときに自分以上に不幸な人を助けることだ。

 その信頼こそが明日に繋がって行くのだ。

 シーニック・バイウェイもなんだかんだ言って、結局地域をつなげているのは信頼でしかないのである。

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道の駅掛川はにぎわっていました

2005-05-29 23:12:07 | Weblog
 掛川の皆さんの歓迎を受けた二日目。今日も掛川は快晴です。普段の行いが良かったようで。

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 さて今日は、

■道の駅繁盛記
■蕎麦屋のメニューに思う の2本です。

【道の駅繁盛記】
 蕎麦研の仲間たちに囲まれて、ひさびさに市内を見学して歩く。

 まず行きたかったのは、4月26日にオープンしたての「道の駅掛川」の様子である。

 道の駅は平成5年に制度ができて以来全国に広がって、ドライバーの休憩所と地域の物産機能とがうまくマッチングして人気の施設となった。

 現在は全国に785カ所になったそうで、地域のやる気がそのまま営業に反映することもあり、地元自治体の経営努力が試される施設でもあるのである。

 さて、平成5年頃の道の駅は、既設の物産館などのトイレを24時間化した「便利な休憩所」という面が強かった。

 しかしその後、第2世代の道の駅では建設途中のものを道の駅として機能させるように工夫したものが出始め、現在の第3世代になるといよいよ「その道の駅にはどんな特色、他の施設との差別要因があるのか」という、いわゆる「コンテンツ重視」の道の駅が出るようになった。

 北海道で言えば、お米で売り出している道の駅深川や、一時は落ち込みながらも名物料理で盛り返した道の駅白糠などがそれらの代表選手だろう。

 道の駅が出始めの頃は、「道の駅は都会では流行らない」と言われたもので、その理由は「トイレに立ち寄るのであればコンビニにかなわない」ということであった。

 だからコンビニのないような、田舎などの人口の少ないところに有名な道の駅ができたのである。

 ところで掛川は、天下の国道一号線バイパスに隣接したもので、どちらかと言えば都会の道の駅と言える。

 かつてのトイレ機能での客寄せであれば、危なかったかも知れないが、そこは知恵を働かせて、地元の取れたて新鮮野菜やとろろ蕎麦、手作りソーセージなどの商品で来場者の心をくすぐり、開園1ヶ月の売り上げは上々とのこと。

 この日も、バイパスから進入してみたが朝10時だというのに、小型車の駐車場は長蛇の列となっていて、少し遠い大型車の駐車場に止めることとした。

 店内も客でごった返していて喜ばしい限りである。地元の婦人会の知った人たちがお店の中で忙しそうにしていて、「あら、助役さん」と声を掛けてくれるのがうれしい。

 ここの駅長のKさんにお会いして様子をうかがったが、「いまのところ駐車場が不足していて、利用者からはお叱りばかり受けますよ」とのこと。

 とりあえずはうれしい悲鳴のようだが、都市型で成功する数少ない道の駅としてこれからも奮闘していただきたいものである。

 とりあえずは成功で良かったなあ。


【蕎麦屋のメニューに思う】
 お昼には近傍の島田市へと向かい、手打ち蕎麦を食べることにした。

 言ったのは「そばの花」という、地元ではちょっとは知られたお店である。

 メニューを見て面白いと思ったのは、普通の盛りそばに加えて、「太打ち麺」というメニューがあること。

 そば打ちの技術の中では作業工程の「水回し(くくり)」「のし」に続く「切り」は比較的簡単な技術とされていて、「くくり三年、のし三月、切り三日」と言われる。

 このことは実際にやってみても納得のいくことで、適切な加水とこねる作業が一番難しいものだ。

 「切り」の際に、蕎麦研のメンバーに言い続けたことは、「とにかく長く細く打てるようにせよ」ということで、それは長く細く打てれば短く太く打つことは簡単だからである。 
 
 ある意味そばを打つ究極の技術は細く打つことなのだ。

    *   *   *   * 

 それがここの「そばの花」では「太打ち麺」が立派にメニューとして独立しているのであった。

 我々がイベントをするときは、細いものを持って上等としていて、打ち手の技術が不足していて太いそばを出すときは、なにやら申し訳ないような気持ちになったものだが、なんと別に気にすることはなかったのである。

 蕎麦は太くても、太い蕎麦を食べたいお客さんにとっては立派なごちそうというわけである。

 客の方で細い蕎麦を食べて幸せと思えば良し、同時に太い蕎麦を食べて幸せと思えばこれも良しなのである。

 要は出す側、供給者側の理屈や思いとは別に、受け取る消費者の側が幸せかどうか、と言うことが要は問題なのである。

 おまけにここのお店では細い蕎麦よりも太い蕎麦の方がわずかにお値段が高く、いかにも「限定特別品」という風をあしらってもいる。なんとも憎い限りである。

 そうか、これからは蕎麦が太いことを情けなく思う必要もないのだ。太い蕎麦はそのままに、特別品として献上すればお客さんの方で喜んでくれるという図式である。

 行政も全く同じで、政策を供給する側の理屈がどうあれ、市民が中長期的に幸せならばそれで良いのではないか。

 もちろん、目先の幸せにとらわれるのではなく、あくまでも「中長期的な」という点がポイントなのだが。

 これからは客の好みに蕎麦の太さを合わせるということで、メニューに一品追加をすることにしよう。

 おっと。もちろん太いのと細いのが混ざっているような切り方は言語道断。あくまでも切りそろっていることが重要であるので、念のため。

    *   *   *   * 

 15時過ぎの新幹線で掛川を離れて羽田~新千歳~札幌と移動する。家に着いたのは22時なので、やはり7時間はかかっている。

 早く静岡空港ができればこんな苦労はしないのにね。

 掛川の皆さん、ありがとうございます。またいつか会う日までお元気で。さようなら。  
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掛川で榛村さん宅を訪問する

2005-05-28 23:00:44 | Weblog
 今日と明日の一泊二日で約2ヶ月ぶりに掛川を訪問。とりあえずの積み残しを片付けに行ってきます。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、

■掛川駅での出迎え
■榛村元市長宅を訪問 の2本です。

【掛川駅での出迎え】
 朝9時の新千歳発エア・ドゥで東京へと向かいました。今日はこれから掛川を訪問して、榛村元市長に会うのである。

 今回の訪掛の目的は、昨年度掛川で実施した国土施策創発調査「テーマの豊かなまちづくり」のこれからの展開について、榛村さんの意向や気持ちを確認に行ったのである。

 もちろん、選挙後のお見舞いという意味もあるし、その後の掛川の様子を定点観測するという意味もあるのかも知れない。

 まあ、一つの町がどういう風に変わりうるのか、というのをこの目に焼き付けておきたいとも思ったのである。

    *   *   *   * 

 飛行機は順調で羽田空港から品川へ向かう京急もタイミングが良く、最初の予定の品川発11時30分のこだまよりは一本早く、11時4分発に乗れたので何気なく乗ってしまった。

 乗ってから掛川の知人に「一本早く乗ったから」とメールを打ったのだが、返信メールがどうも慌てている様子で、「本当に乗ったのですか?」とか「熱海で降りて蒲鉾を買ってきてくれませんか?」という変なメールが相次いで来る。

 「変だなあ」と思いながら掛川駅に降り立ち、ホームに降り立つと約20人ほどのお出迎えの軍団が日の丸の小旗を振って登場。
 
 明らかに周りからは浮いている!とはいえ、歓迎してくれたことに変わりはない。

 それだけの出迎えがあったので、私が何気なく電車を一本早めたために連絡をするのが大変だったらしい。これはどうも「すんづれいしました」

    *   *   *   * 

 夜はIさんのお宅で仲間がさらに集まってくれるというので期待も高まるところ。

 こうして忘れずに出迎えてくれるというのもありがたいことだ。とりあえずまだ2ヶ月くらいなら覚えていてくれていたようではありますね。


【榛村元市長宅を訪問】
 まずは先に用事を済ませるために、掛川で合流したシンクタンクのNさんと共に榛村さんの宅を訪問する。

 榛村市長のお宅は駅から車で約10分ほどのところで、築180年という庄屋屋敷である。

 お宅へつくと榛村さんは椅子で書類に目を通していたところで、「よく来たね」と招き入れてくれた。

 時候の挨拶から四方山話、そして話題は選挙の話へ。 

 「選挙事務所では誰も負けるなんて思っていなかったからねえ」
 
 それでも負けは負け。大衆選挙とはそういうものだ、ということなのだが、このことで様々に人生が変わる出来事ではある。

 勝ちがあって負けがある。勝ち組につくか負け組につくかの悲喜こもごもの数々。選挙はやはり現代の戦争なのだな、と思った。

    *   *   *   * 

 さて、それはそれとして今日のテーマは、昨年調査の「テーマの豊かなまちづくり」で出された行動計画のような結論を、今後世に問うて全国的な町作りにしようとする意志が榛村さんにあるのかどうか、である。

 結論から言えば、「やることは構わないよ」というもので、これからは掛川市長ではなく、まちづくり実践かとしての榛村純一として広く世の中に言論活動を展開しようと言うことにした。

 まずは昨年の成果を本にしたり、勉強会や講演会を開催するような企画を立てることで宿題をもらってきた。

 昨年の調査がどれだけ世の中の自治体の心に響くものか、試してみたいものである。

    *   *   *   * 

 それにしても、まだまだ榛村さんからはいろいろなことを会話の端々から教えてもらえるものだ、と感心する。

 「日本人は『教養』というものを嫌うんだけど、『教養のある人』というのは、『文化論ができる人』で、それはつまりトータルな責任感と文化、政策情報、情報の加工力、そしてそれがどうだったかをフィードバックする力、そういうものがある人のことなんだよ」

 「地域の力は『トータルの力』なんですよ。都会は専門的と言う縦割りにすぐに逃げ込んで、専門的と言うことはつまり『扱う領域が狭い』と言うことですよ。地域は縦の専門をまとめ上げるトータルの力が鍵です。地方の政治家が中央から馬鹿にされるのは、良質の情報と教養が足りないからなんだな」

 「北海道や九州と言った、どこか貧しいところに政治家が出やすいのは、彼らが『貧しい』と言うことをトータルで見ることができるからです。都会の政治家は専門家面してしまって、世の中をトータルで見ることができないんですよ」

 こぼれ落ちる言葉の中には、まだまだ知性と教養が満ちあふれていますよ。さすがですねえ。


 ここで私から以前から訊きたかった質問を一つ。「榛村さん、昨年の創発調査で元気な町をかけずり回って気づいたのは、中山間地でありながら元気な町には『山持ち』の首長さんが多かったのです。『山持ちは自分が民を幸せにすると言う気概と覚悟において、他の人種より強いものがある』と考えますが、いかがでしょうか?」というもの。

 すると「それは確かにあるかも知れませんね。榛村家の初代は1572年にこの地に入ってきたという記録があるんだけど、そのときに杉の木を5本植えて、これが我が家のご神木になっているんですよ」
 「はい」

 「子供の時に親から言われて覚えているのは『山は総有物だと思わなくては行けない』ということでした。私有でも公有でもない、みんなのものという総有物ですよね。子供の時には『何を言っているのかなあ』と思ったけれど、今はそれを僕が息子に言っていますよ」
 「なるほど」

 「さっきの五本の木は、『これを切るときは家がつぶれるときだと思え』とも言われましたよ」
 「その木はまだ残っているのですか?」
 「台風で一本倒れたので、土間のテーブルにしてあるよ」

 なるほど、あのテーブルがそうでしたか。


 「満鉄の株が大暴落して、日本中の土地持ちが没落した。戦後農地解放で農地持ちが没落した。そして残ったのは山持ちだけ。それが今日はこの始末。こういうことを本当に分かって伝えようとしたのは、柳田国男と宮本常一(つねいち)までだったなあ…」

 ううむ、まだまだ話しかければいろいろなことが教えてもらえそうである。時間が来たのでこの辺で今日の訪問は終わってしまったが、榛村さんも暇そうにしているので、掛川の人は塾でも開いてもらって教養を教えてもらってはいかがだろうか。

 榛村さんの家で、都会の雑音がいっさいしない空間で、聞こえるのは風邪の音と、蛙の鳴き声だけ。

 同行のNさんも「すばらしいですね。こういうところに住むのが僕の夢ですよ」と感慨深げである。


 別れ際に榛村さんが、「今考えているんだけど、要請に応じて一泊二日でその町の進むべき道をコンサルタントするというのはどうだろうかと。一日目はその町を見て歩いて、二日目にいろんな人に会って、コンサルティングをするんですよ」
 「たった一泊二日でですか?ちょっと無理なのでは?」

 「ははは、もうほとんどの町へは行っているからできると思っているんだけどね」
 「二宮尊徳が回村して行ったコンサルティングは何というのですか?」

 「うむ、それは仕法と言ったんだ」
 「平成の一泊二日の仕法ですか、なにか良い言葉があると良いですね」
 「考えておいてくださいよ」
 「そうですね」 

    *   *   *   * 

 そうして榛村さん宅の訪問は終わった。私もこういうゆったりとした時間の中でもっと榛村さんと語り合っていたかったなあ、とつくづく思った。

 そう言う意味ではもったいない3年間。掛川にはまだまだ市民の知らない財産があるんですよ。

 裏山の雑木が黄緑色に変わって明るくなっている。ああ、榛村さんの後ろで山が笑っていた。
 
 いつかまた来ます。それまでお元気で。

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まよわず成仏してくだされ

2005-05-27 23:20:35 | Weblog
 今日もなんとか日中は天気も良くてすがすがしい陽気でした。北海道の春はこうありたいですね。

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 さて今日は、

■調整という仕事 の1本です。

【調整という仕事】
 私の所属する課には「調整」という文字が入るくらいで、他の課や局、外部機関と調整をする案件が実に多い。

 また他の特定の事業部門に属さないものや複数の事業部門にまたがる案件も当課の所掌事項であるので、実に様々な案件が持ち込まれるのである。

 こういうときには「これは取りに行くべき」とか「これはつっこむと危ない」と言った判断が実に大事になる。

 この判断を誤ると、無用の苦労を背負い込んだり、消極的な姿勢を批判されたりするので、いずれにしても「上司から叱られる」という面白くない立場に立たされるからである。

 確かに公共事業を一手に引き受けるわが官庁であるので、中には批判的に見る方もおられるだろうし、期待が高ければこそ期待がはずれたときの思いも複雑になることだろう。

 私としては基本的なマインドとして、「仕事はまず幅広く受けてから、情報収集と情勢を見極めて判断するのが良いのではないか」と考えている。

 案件が発生したときにまず「うちの課に属す仕事かどうか」で他の課とやりとりをするのはあまり生産的ではない、と思うたちなのでまず受けてから考えるというやり方で8割はカバーできるというのが、今までの感覚である。

 すると当然残りに2割程度はやや、もしくは大変危ない内容を含んでいるものもあるのだが、「デッドボールや三振を恐れてバッターボックスには立てない」と思う気持ちを大事にしたいものである。

 私が常々思っているのは、「仕事とは成仏できない迷える霊」のようなもので、これを成仏させる霊能力者の周りには霊が集まるように、「この人にとりつけば成仏させてもらえる」と仕事の側が思った人に集まるようにできているのである。

 だから仕事を一つ片づけたときは仕事が「ありがとうございました」と感謝しながらあの世へ成仏して行く姿が見えるような気がするものだ。

 逆に「この人にとりついても成仏させてもらえない」と思われれば仕事の方がその人を避けるようになるので、忙しい人はますます忙しく、暇な人はどんどん暇になるような気がするのである。

 迷えるかわいそうな仕事を今日も成仏させてやろうではないか。

    *   *   *   * 

 それにしても、ある特定のところから持ち込まれる仕事はたちが悪くて、なかなか成仏させることはおろか、除霊まで持ち込めずに苦労するものが多い。

 誰からも好かれない仕事というのも因果なものだ。

 おっと、あなたの背中にも仕事が張り付いているのが見えますぜ。でもご安心をどうやら質の良い仕事のようですから、楽しみながら成仏させてあげてくださいまし…。 

    *   *   *   * 

 明日、明後日は掛川に行っています。私用があるのですが、昔の仲間にたくさん会えると良いのですが。 
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まちづくり最前線

2005-05-26 23:36:54 | Weblog
 今日はすかっと快晴。そろそろ農産物も遅れを取り戻さなくてはいけませんね。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、

■都市計画審議会
■掛川からの訪問客 の1本です。

【都市計画審議会】
 上司の代理で札幌市都市計画審議会に出席をする。

 面白かったのは、ある住宅団地での地区計画変更提案に対する札幌市の判断について、である。

 これは、ある住民の方から「地区計画を変更して欲しい」という申し出があったものに対して市が回答をするというものである。

 申し出の場所は市内のある住宅団地で、札幌市が開発分譲した住宅団地である。

 都市計画としては第一種低層住宅専用地域が広がる、良好な住宅団地である。

 ここには都市計画による制限に加えて、地区計画によってさらに制限が加えられていて、飲食店や喫茶店もできないようになっている。

 それをこの提案者は「現状でできるものとして『兼用住宅で趣味の手作り作品のお店、飲食、喫茶店の用途を兼ねるもの』を加えて欲しい」という申し出をしたものである。

 申し出者は、近隣の26人の地権者に対してこの申し出の説明を行って、24人から同意を得ており、周辺の理解も得られていると主張している。

 これに対して札幌市は、団地全体に対してアンケートを取り、現状の地区計画を変更することを望まない住民が約4割に達しているとして、当該申し立てに対して現在の計画を変更することはできない、と判断したのである。

 この結果は、この都市計画審議会の前に申し立て者には伝えられており、申し立て者からは「納得できない」という不服の声も上がっているようである。

 今回の審議会では、各委員から「他の地域でも手作り作品の店などは流行っているところがあるが、駐車場などの施設が不備で地域に迷惑を掛けている例がある」として札幌市の判断を了とする意見が多かった。

 私からも「全体のアンケートを実施した結果、地区計画を変更しないという判断だが、再審理まで一定の期間を空けると言った運用上の制約はあるのか?」という質問をした。

 答えは「そういうことはない」ということだったが、申し立て者がより広範な地域の理解を得て同様の申し立てを行うことも考えられるため、一応問いただしておいたものである。

 地域の住宅地兼用商店は、地域を活性化するのに役立っている事例もあるので、地域住民の幸せについてのコンセンサスをどう取るかという意味では、格好の良い材料にも見受けられた。

 この団地にはまちづくり会議も設立されているというので、これからもまた議論が行われることだろう。

 作ってしまった決まりにとらわれることなく変更提案をした方も立派なので、地域での議論を行って、活力ある幸せな地域作りを目指して欲しいものである。

 また札幌市のまちづくりへの努力もよく分かったので、これからも地域活動への支援をお願いしたいと感じた。

 なかなか興味深い事案ではありますねえ。教科書の問題みたいです。
 




【掛川からの訪問客】
 静岡県から石川知事を筆頭に、観光キャンペーンの一行が昨日から北海道を訪れている。

 今朝の北海道新聞ではなつかしい石川知事のお顔が紙面を飾っていて、「北海道知事と懇談」とある。

 静岡県からは各地の観光協会をはじめとする各種団体、県庁職員、県議会議員などが羽田からチャーター便の飛行機で北海道を訪ねてきたのである。

 この飛行機に第二の故郷掛川からも観光協会の役員が同乗して、札幌を訪ねてきてくれた。

 すすきの近くで待ち合わせをして近くの居酒屋へと向かい、その後の掛川の話で大いに盛り上がる。

 友が遠方から訪ねてきてくれるのはうれしいことだ。

 私も今週末は掛川を訪問します。どれどれ、変わったかな? 


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広報マインド

2005-05-25 23:57:19 | Weblog
 やっと久々の晴れの一日です。もうレンギョウも葉ばかりになり、紫木蓮も大きな花びらを路上に落としています。
 今年の春は短かったなあ。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、

■広報マインド の1本です。

【広報マインド】
 今日は「広報」について、仲間と意見を交換しました。

 やれどもやれども、なかなか成果らしい成果の見えない世界でもある広報ですが、やらないと成果が期待できないけれど、やったから成果が出たのかどうかも分からないという、なかなか難しい分野ではあります。

 「相手(マスコミや一般の国民)の立場に立って、欲しい情報を提供しよう」とか「マスコミとのネットワークを大事にしよう」などと言った、やるべきことや、伝達スキルは当然にやらなくてはならない。

 一方で、「この情報は早く多くの人に知らせてあげたい」という何か意欲のようなものがあって、このような「広報マインド」みたいなものも醸成しなくてはならないのだろうな。

 「広報マインド」と「広報スキル」、ここにも「意志」と「能力」がかいま見えますね。


    *   *   *   * 

 ついでに述べておくと、良く進歩派のニュースキャスターなどが政府が説明責任を果たしていないという態度を批判するのに、「『民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず』と昔の人は言いましたが、まさにその態度だ。もっと情報を公開しなくてはならない」と言うことがあります。

 この原文は論語なのですが、「子曰、民可使由之、不可使知之」で、読み下し文は「子曰わく、民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず」とされます。

 これは一見、「べし」を英語のshould、つまり「~すべきである」と解釈するのでそう思えるのですが、この「べし」の正しい解釈は英語のcan、つまり「~できる」という「可能のべし」なのです。

 だから正しい解釈は「(政権は)人民に信頼をされることはできても、(説明しても)分かってはもらえないものだ」ということになります。

 信用できない方は、本屋さんへ言って論語の該当箇所の日本語訳をご覧になってくださればよいでしょう。

 まさに広報活動のある意味限界を示しているとも言えるのですが、人民全体に分かってはもらえなくても、信頼を得るための広報がやはり必要です。 

 最近の行政は、心を尽くして情報を提供しているのだが、分かりづらかったり表現の稚拙さ、一方的といったことで、まだまだ短時間に理解してもらうのが難しい状況が脱却できないでいるのも、一方の現実である。

 広報の目的として私は「認知→共感→参加→情熱」という近さの4段階がここでも適用されると思っていて、まず知ってもらい、そのことで「ああ、彼らも彼らなりにがんばっているのだな」という共感・シンパシーを呼び起こす。

 そこで初めて、「もっと勉強してやろう、いっしょにやってやろう」という気運が高まり、最後には「これはやらなくてはダメだ」という確信を持った情熱になる、というのが私の考え方である。

 関わった人たち全てが情熱を持ってくれるわけにはいかないが、せめてある広報の目的が「認知」なのか「共感を得ること」なのか、によっても作り方やターゲットの相手も変わることだろう。

 そういう作り方で、わが組織も少しでも多くの人の共感を得たいものである。

 少しでも「民は知らしむべからず」に挑戦する広報マインドを忘れてはいけませんね。
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ある朝の訪問者

2005-05-24 23:28:26 | Weblog
 今日もまた朝から霧のような小雨が降ってすっきりしないのである。一応雨で気温が低いのも今日まで、と天気予報は言うが、当たって欲しいものである。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■朝の訪問者 の1本です。

【朝の訪問者】

 掛川から夜にメールが来て、「朝9時に『NPOスローライフはこちらでよろしいですか?』と青年が事務所を訪ねてきました」とのこと。

 そのいきさつを聞けば、「小松さんの本(掛川奮闘記)を偶然T書店で見つけて読んだらハマってしまって、自分もNPOなり、まちづくりなりの活動に参加したいと思ってきました」というのだそうだ。

 そこで応対したサトさんが、「今週末に小松さんが来ますよ」と言うと、「是非会いたい」とも。

 勤めは市内なのだそうですが、政治や地域づくりに大きな関心があるのだそうです。

 サトさんが「とにかくNPOの活動や会合を見学したり、呑み会に参加したりしてみればどう?」と誘ったところ、「わかりました。なだれ込みをすればよいのですね。」と返してきたそう。

 「んーコイツ、読み込んでるなー・・・(^-^;)」というのがサトさんの感想。

 一冊の本から、こうしてつながりが生まれるというのも面白いですね。

 ブログで書き殴った文章の力と、本という現物としてそこに手に取れる形になった文章の力の差を感じました。

 さて、そろそろ二冊目の構想でも立てるとしましょうか。

    *   *   *   * 

 昨日の帯広で北の屋台を成功させた坂本さんのお話の追加。

 今坂本さんは北の屋台の成功に至った本を執筆中で、夏には出るとのこと。

 タイトルは「北の屋台奮戦記」だそうで、うーむ、どこかで聞いたことがあるような。

 この本を注文しようとして、間違って私の本を買ってくれないかな(笑)
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北海道観光サミット

2005-05-23 23:13:05 | Weblog
 今日も朝から霧のような小雨が降って、すっきりしないのである。あ゛ー、もういや!

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■北海道観光サミット の1本です。

【北海道観光サミット】
 北海道観光を、関係する多くの機関に呼びかけて一体的に推進しようと、高橋はるみ北海道知事の呼びかけで各機関のトップが集まって、北海道観光サミットが開催された。

 開催場所は道庁赤レンガの建物で、小雨がぱらついているのが残念だが、なるほど観光を語るには風情があってぴったりである。

 観光サミットへの参加者は、高橋はるみ北海道知事、吉田北海道開発局長、内山北海道経済産業局長、上田札幌市長、南山道経連会長、高向道商連会頭、坂本北海道JR会長、我孫子道観光連盟会長、上野北海道市長会会長(登別市長)というそうそうたる皆さん。

 なお、当初予定されていた伊藤北海道運輸局長は急遽別件が入ったとのことで、残念ながらご欠席であった。

 知事が述べる、今回のサミットの趣旨は、「これまで観光分野に関わって事業を展開してきた行政機関や民間団体等のトップが一堂に会して、観光に関する戦略や施策の方向性を議論し、課題の認識や目的の共有化を図り、連携して効果的な取り組みを推進することを目的とする」というものである。

 その認識としては「北海道はこれまで豊かな観光資源を生かし、有数の観光地として成長してきた。しかし激化する観光地間の競争に打ち勝って、北海道観光が今後一層発展していくためには、観光にかかる地域の基盤を整備し、多様で個性的な観光の魅力を高め、事業者のイノベーションを促進し、ホスピタリティあふれる観光地を形成していくことが不可欠である」というものである。

 知事からは問題提起として、食と観光に関する思いを述べられたが、開発局に期待する点として「開発局さんではシーニック・バイウェイをおやりになられていますが、こういう取り組みへの期待は大きい…」という趣旨の発言がありました。

 これは事前の予定のシナリオにはなかったもので、一応知事の頭の中にもシーニック・バイウェイという単語が入っているようだ。

    *   *   *   * 

 続いて参加者一人一人から、それぞれの機関を代表しての言葉をいただいた。

 我が親分、吉田局長は二番目の発言で、「北海道観光における開発局の役割は、高規格道路ネットワークなど基盤を整備することと、基盤整備を通じた地域づくり」と決意表明。

 「シーニック・バイウェイ北海道では、道をきっかけに『美しい景観作り』、『活力ある地域づくり』、『魅力ある観光空間づくり』を総合的に進めていくこととしていること」や「道の駅の情報発信」、「わが村は美しく運動」などについても触れていただきました。

 開発局がこの2月から始めた若手を集めた懇談会である「北海道夢未来懇談会」では、ある方から商売のコツとして「客をリピーターに、ヘビーユーザーに、そして熱狂的ファンにすること」という言葉が出され、これこそ観光にも当てはまると思った、とエピソードも添えられました。

 開発局としても、できる範囲で関係機関と連携しながら取り組んで行きたい、という決意のほどが示されました。  

    *   *   *   * 

 並み居るトップの中ではJR北海道の坂本会長のコメントが印象的であった。

 「JRでも四つの取り組みをしています。①観光地のブランド化、②既存の観光地に付加価値をつけること、③東北との連携、④海外からの観光客対策」である。

 「『観光客』と、来道者を十把一絡げに扱うのが問題で、実は観光客一人一人は多様な存在である」

 「こちらから、あれをやる、これをやる、という対策は多いが、そもそも来る人の気持ちを汲み取る努力が不足しているのではないか」

 「多くの人の意見を聞くと、『首都圏において北海道は露出が少ない』と言われる。観光客の嗜好は周遊型から目的型に移行しているのに行った先に付加価値がつけられていない」

 「情報発信が遅い。旭山動物園は有名だが、もう『旭川は旭山動物園だけ』と言われる」

 「自然とカニが前面に出る観光には飽きた」
…と北海道観光の現状にはかなり厳しいものがある。

    *   *   *   * 

 ところがこれに対して正反対の姿を示しているのが沖縄なのだそうだ。

 すなわち、「医療地・保養地」としてのイメージの確立で、リピーターは60%に及ぶというし、「ちゅらさん」による露出も見事だし、食材もオリジナリティがある。

 北海道もこれくらいの差別化を図るべし、というのが坂本会長のメッセージである。心すべし。

    *   *   *   * 

 また道経連の南山会長からも、「過去二年間来道刊行者数が減少していて、これが一過性なのかトレンドなのかが問題だ」

 「観光は北海道振興の柱にしなければ【ならない】のにそうなっていない根本的問題は何なのか」

 「認識を改めなくてはならないのは、①我々は観光地間の競争にさらされているという現実、②観光客の目は世界を見て肥えてきている」

 「我々はホンモノを提供してきたのか?もてなしの心をもっているか?景観の調和を作ってきたのか?皆でそれを作り上げているか?単なる『情報提供』ではなくて、旅行者に役立つ情報を提供しているか?」

 「心と知恵の組み合わせで乗り越えて行かなくてはならないのです」

 南山会長は小柄な方なのだが、なかなか言葉に迫力がある。

 敢えて二宮尊徳風に言えば、「いいことは多くの聖人君子が言い尽くした。我はただ実践あるのみ」ということかな。

 迫力を出して、北海道観光王国を実現したいものである。 
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床屋談義

2005-05-22 23:24:24 | Weblog
 約一ヶ月ぶりの床屋さん。やはり床屋談義スローライフだ。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■床屋談義 の1本です。

【床屋談義】
 約一ヶ月ぶりに、いきつけの床屋さんへ行く。

 床屋さんの良いところは、日頃の四方山話が聞けることで、10分で千円という安くて早い床屋さんにはない醍醐味である。

 「最近変わったことはありましたか?」と私。すると
 「先日北海道神宮に花見に行ったんですよ。でも今年は寒くてひどい目に遭いましたよ」

 「それは大変でしたね。バーベキューでもすれば良かったでしょうに」
 「それが神宮では規則で、火を使えるのが5月15日までと決められているんですよ」
 
 「普段の年ならいざ知らず、こんなに寒い年なんだから良さそうなものですがね」
 「なかには知ってか知らずか、火をたいている人もいたんですけど、すぐに警察が来るんですよ」

 「見張っているんですか?」
 「いや、あの辺には外国の領事館なんかが多いから、そこで番をしている警官が飛んで来るみたいですよ」

 なるほど、例年であれば5月15日というのは一つの標準なのだろうけれど、今年の北海道の春は例年にない寒い春。

 こういう年回りにもかかわらず、一度決めたことは現場の事情がどうであろうと変えられないものなのだ。

 これを変えることができるとすれば公園管理者の権威と言うことになるのだろうけれど、権威を引き下ろしてしまった今日、大衆は自らの内なる反対者に勝てずに、一度決めたことを墨守して「事足れり」としてしまうのである。

 世の中には時として善良なる権威が必要な所以である。

    *   *   *   * 

 「最近のおそば屋さんの話ですけどね」とご主人。
 「ほうほう、蕎麦屋さんの話題ですか」と私。

 「なんでも60過ぎくらいのおじさんが、『蕎麦打ちを覚えたいので、日中はただで働くから蕎麦打ちを教えて欲しい』と言って弟子入りを志願する年寄りがいるんだそうですよ」

 「へー、それは初耳ですね。でも年を取ってから習うんじゃ大変かな」
 「その蕎麦屋の店主も言っていましたよ。『今から習うんじゃ、自分が食べる程度ならいいけれど、プロにはなれませんよ』ってね」

 それにしても、団塊の世代の進出恐るべし。若者よ、今から蕎麦を打っておかないと、年を取ったときの弟子入りはライバルが多そうですぞ
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