北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

北海道分県論は古くて新しいテーマ

2012-04-13 23:45:16 | Weblog
 「地域主権を考える」という大上段に振りかぶったような勉強会に参加しました。

 技術士という資格を持った人たちによる自主的な勉強会の場ですが、一人一人が普段考えているまちづくりや地域の在り方について自由闊達に意見をかわそうというのです。

 この勉強会、普段は札幌で行われているのですが、道東からはなかなか参加できないということで座長が釧路へ来た際に集まる、という形で釧路での開催となったのでした。

 冒頭に話題提供として、何度となく沸き起こっては忘れられてゆく『北海道分権論』について、昔の論文を読み起こして現代的感覚で語り合う時間が取れました。

 今では内地の県を束ねて道州制にしてより効率的な行政を行おう、という風潮が強くなりつつあります。

 たとえば東北六県をまとめて東北州にして一人の州知事で地域行政を行おうというのです。

 しかし、かつてこれに正反対の意見を出していたのが『北海道分権論』です。



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 北海道分権論とは、要は『北海道は大きすぎるからいくつかの地域に分けてそれぞれが自由競争で切磋琢磨するような環境を作るべきだ』という主張です。

 よく北海道の面積78千平方キロメートル(北方領土除く)は、九州と四国を足したのと同じくらいと言われます。

 つまり九州に7人、四国に四人の知事がいて切磋琢磨したが自分たちの県を都道府県間競争の勝ち組に導きたいと頑張っています。

 九州では新幹線を誘致しよう、というようなテーマで九州が一丸となれば、7人の知事さんたちが日替わりで国に対して要請や要望を繰り返し、地域の盛り上がりを伝える力になります。

 それに対して北海道では一人の知事が一度来ておしまい、ということになり、同じような盛り上がりであったとしても、外に出る姿に派手さはありません。

 ひとりの知事という効率的な行政スタイルは、逆に地域の思いを中央に伝えるエネルギーにはなっていないともいえるのです。

 
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 私も北海道が一つの行政体になっていることで損をしていると感じるのが、地域の呼ばれ方の問題です。

 例えば、釧路へ来た方でも函館へ行ったことがある人でも、皆さん「自分は北海道へ入ったことがある」という思い出を抱くでしょう。

 方や九州はどうかというと、「私は福岡には行ったことがあるけど、熊本はないのよね」とか、「長崎には行ったけど、宮崎には行ったことがない」という会話に出てくる都道府県は北海道に比べると実に小さなエリアを代表する呼称になっています。

 そういう意味で、私が今住んでいる地域を端的に言い芦原推移方は何か、と言われれば「道東」、「阿寒・釧路地区」、「釧路地方」などいろいろな言い方があることに気づきますが、どれもが帯に短かくタスキに長く、適切にエリアイメージを伝えきれていない恨みが残ります。

 道東と道南がライバル関係で切磋琢磨したり、連携を図って観光客の移動でタッグを組む、などといういろいろなくみあわせもこれまた魅力になるかもしれません。

 大きいことのメリットデメリット、もし分けた場合のメリット・デメリットはなにか。

 頭の体操としては面白いテーマではありませんか?
コメント
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