北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

骨髄移植について(1/5)

2006-07-31 23:48:24 | 骨髄移植について

 今週は全5回にわたって私がかつて経験した骨髄移植のお話をいたします。
 もし読者の皆さんの中で私の経験の時期、場所などをご存じの方がおられても、それらを明らかにする書き込みはどうぞご遠慮ください。

 また本内容については、骨髄移植推進財団からの許可も得ている事を申し添えます。

【骨髄移植のお話】
 もう時効だと思うのですが、私は過去のある時に骨髄提供者となりました。現代医学の進歩は多くの治療法を生み出し多くの人命を救っていますが、それでもまだ人の骨髄移植でしか治癒が臨めない患者が大勢いてまた発病しているのです。
 今回は私が実際に骨髄提供者として経験したことをお伝えして、その事でこの崇高な事業と、それを支える社会についての理解が深まる事を願うものです。

    *   *   *   * 

 私は若いときから献血を数多く行っていました。そのことは自分にとってはボランティア精神を満たすと同時に、送り返される血液データによる健康チェックの手段でもありました。骨髄移植については、それまでも献血センターでは宣伝を目にする機会がありましたが、白血病と言われても実感を伴わず、それほど気にも留めずにいたのでした。
 それがある時、地域社会に大変お世話になったあるきっかけを経て、その恩返しの意味で骨髄バンクにドナー(提供者という意味)登録をすることにしたのでした。

 そもそも「骨髄」とは何かということについてお話ししておきましょう。骨髄とは、骨を輪切りにしたときに固い外側に包まれたスポンジ状の柔らかい造血組織です。

 ここには骨髄液の中に造血幹細胞が含まれていて、ここで赤血球、白血球、血小板などの血液細胞が作られて体中に送り込まれています。白血病などに代表される血液のガンはこれらの造血幹細胞に異常が起こり正常な血球を作れなくなる事から様々な障害が起こる病気です。

 古くは女優の夏目雅子さんや格闘家のアンディ・フグ選手、最近ではアイドル歌手の本田美奈子さんなど多くの有名人が白血病で亡くなっています。そのことはこの血液の難病が有名人に限らず、今日ごく日常にありふれていて、いつ自分の身内がなるかも分からない病気なのだということを教えてくれます。

 そして、確かに誰にでも起こりうる難病なのだとしても、それは社会の力と骨髄移植という現代医療の力で治療をすることが可能になりつつある病気でもあるのです。

 しかし後から述べるように、骨髄移植が成立するためにはドナーと患者の白血球の型が同じでなくてはならないという絶対的な条件があります。患者さんがいくら骨髄移植を希望しても型が合うドナーが現れなければ移植は出来ないのです。幸い日本人はこの白血球の型の合いやすい民族だと言われていていますが、まだすべての患者さんが骨髄移植を受けられる社会環境にはなっていません。

 このことについて、2006年7月7日に骨髄移植推進財団は、前月の6月末時点で日本における骨髄バンクのドナー登録者数が25万人に達したことを発表しました。
 同財団によると、ドナー登録を開始したのは1992年1月のことですが、それから14年6ヶ月を経て今年6月末にドナー登録者数が25万1,040名となり25万人を超えたのだそうです。そしてこれまでに、延べ7,500人に対して骨髄移植手術が行われているそうです。

 しかし読売新聞では、「骨髄移植には移植希望者とドナーのHLA型(白血球の血液型)が一致しなければならず、移植を希望する全ての患者と適合するHLA型のドナーを提供するには30万人の登録が必要とされ、2005年に移植を希望して登録した患者の半数は移植が受けられていない」と報じています。

 テレビで「メンバーが足りません」と訴えているのはまさにこのことです。


 さて、前述のように骨髄移植のためには一人一人の白血球の型が問題になります。単なる献血による血液製剤の利用であれば赤血球のABOタイプとRhタイプの区別さえ合えば利用出来るのですが、白血球にも同じように型があるのです。

 その型の事をHLA(Human Leukocyte Antigen=ヒト白血球抗原)と呼んでいますが、このHLAにはA座、B座、DR座など数種類の型の区分があり、それぞれが数種類から数十種類に分けられていて、全ての組み合わせは数万通りにもなるのです。

 しかもこの型はそれぞれ半分ずつを両親から遺伝によって受け継ぐことから二つのタイプが対になっています。従って同じ親からの子供同士であれば四種類の組み合わせがあり得ることから、子供同士であれば四分の一の確立で適合しますが、両親と子供が同じ型になることはあり得ません。親であっても子供を救えないのが血液の難病です。

 ドナー登録の仕方は簡単で、献血の時と同じようにドナー登録のための数十ccの血液検査で行われます。血液検査ではこの数種類ある座の中からA座、B座、DR座の3つについて、対になった6種類の抗原を検査して登録しておきます。 ここまでがドナー登録の準備です。

 そしてその手紙はある日突然にやってくるのです。つづく

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ご先祖さんを思い出す

2006-07-30 23:44:29 | Weblog
 今日も北海道の夏らしい爽やかな一日です。海へ山へ行楽のシーズンです。

【先祖を思い出すだけで】
 家で帰省している長女を交えて遅い朝食を食べながら家族や子供の事について語り合いました。

 長女は現在学校の先生を目指して勉強中。専門の先生は障害児教育分野の第一人者とのことで、良い先生の下で理論と実践を学んで欲しいものです。

 話はやがて「子供がいくつになっても親は親で、子供の事が心配でたまらない」という話に。

 私は以前にちょっとした手術を受けたのですが、私が「あのときの母親の反応は、『あんた、大丈夫かい~?』という軽いものだったよね」と言うと妻が、「そんなわけないでしょ?お父さんには言っていなかったと思うけれど、それ以外の時には『本当に大丈夫なの?』と随分心配していたんだよ」と言われました。

「お父さんはこうと決めたら頑固だと思っているからそんなに言わなかったんだと思うよ」とも。

 そうか、自分が安易に思っているところで周りには結構心配をかけているものなのですね。親はいくつになっても親でいてくれるのです。

    *   *   *   * 

 それじゃ久しぶりに親の顔でも見に行くか、とばかり実家に電話をして家族で訪ねました。母親は出かけて不在でしたが父がいて迎えてくれました。

 四方山話をしているうちに話題は財政破綻した夕張のことに。私の父は夕張のとある小さな集落出身なのです。

 早くに亡くなった父方の祖父は昭和の初期に当時はまだ活気のあった夕張で和菓子屋を営んでいたのですが、その頃からもう石炭産業に見切りをつけて、樺太へ渡ったのでした。その後は祖父母が早死にした事で父も随分苦労したのですが、そんななか私たちは生まれ育ててもらってここまで来たのでした。

「若いときにさ、占い師に手相を観てもらったんだよ。そうしたら『あなたは幼いときには苦労をするけれど大器晩成型だね』なんて言われてさ。それをどこか心の支えにして生きてきたけど、まあ子供の代になって花が咲いたかな」

 話は夭折した兄弟姉妹に及んで、改めて父の代の激動の時代を思い知るのでした。

 二宮尊徳の報徳の教えを簡便に述べた報徳訓の冒頭には、

 父母の根元は天地の令命にあり
 身体の根元は父母の生育にあり
 子孫の相続は夫婦の丹精にあり

 と述べられていて、先祖から親、自分そして子、孫に至る前後五代に亘る命の繋がりを教えてくれています。祖先のことはたまに思い出すだけでも恩に報いる事が出来るような気がして仏壇に手を合わせて帰ってきました。

 もうすぐお盆の季節です。ご先祖は大切に。

 


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景観法の勉強会

2006-07-29 23:28:30 | Weblog
 北海道の夏らしい爽やかな一日です。自転車で出かけるには最高の一日です。

【景観法の勉強会】
 午後に、景観を勉強している仲間内で「美しい地域・景観作りセミナー」と称して、景観法を活用する美しい地域作りについて勉強をしました。

 内容は基調講演とパネルディスカッションの二部構成で、基調講演には国土交通省で課長補佐時代に景観法の法律作りを担当したMさんにお願いしました。

 Mさんは最近まで北海道にいたのですが、今は春の転勤で関東に戻られています。法律を作ったのも2年ほど前の事ですが、それを思い出してもらって法律制定までの過程やその思いなどを伺おうということにしたものです。

 法律は短いほど重要という何とはないステータスみたいなものがあって、本当に根幹的な法律は憲法、刑法など二文字の法律で、次に重要なものが道路法、河川法など三文字だと言われています。

 ですから「○○に関する特別措置法」などという長たらしい法律はそれだけであまり根幹的なものではないな、と思われがちなものです。

 今回の景観法は国土交通省でも50年ぶりとなる三文字法ということで、本省としても力が入った様子が良くうかがえました。

 そもそも景観法の背景は、当時既に全国で500以上の自治体で景観の事が行政上重要だと考えて景観条例を作っていながら、国民共通の基本理念が確立されておらず、自主条例というソフトな手法による景観保全の限界が感じられていた事が挙げられます。

 そこで国として景観を正面から見据えた基本的な法律を整備して、景観を整備・保全するための基本理念の明確化や、国民・事業者・行政の責務を明確化すること、景観を形成するための行為規制を行う仕組みや支援措置の創設などを打ち出して、地方公共団体に一定の強制力を持たせるということにしたものです。


 実は景観法の成立過程では、農水省や環境省などの他省庁との喧嘩や摩擦を避けるために、最初は都市計画区域といういわゆる国土交通省が主に所管するエリアだけで適用される法律にして済ませようとしたようです。

 ところがその段階で農水省側も、棚田などの農業景観、農村景観の崩壊に心を痛めていたため、効率化だけの農業から景観面での農業についても一定の見解を出しておく事が重要だという判断をして、早い段階から国土交通省と農水省による共管の法律として打ち出すという方針が固まったのだそうです。

 この段階では自然公園はやはり環境省に任せておけばよいだろう、ということだったのですが、最後の最後になって自然公園でも景観を根拠とした行為規制などが必要だということで「適用対象に入れて欲しい」という申し入れがあったのだそうです。

「もう本文もある程度書き上がった段階で申し入れをされたので再度全体の整合を取るのが大変でした」と講師のMさんは苦笑いをされていました。

 しかしこうすることで、都市と農村、林地、さらには自然公園までもがこの法律の適用を受けるという形になり、国家的な景観の理念というものに相応しい法律になったと言えるでしょう。関係者の努力が実ったわけです。

 さて、今回の法律ではその中身を議論したときにも最初の頃は様々な意見があったそうです。まずこの景観法でも「美しい法律とはなにか」という定義はされていません。このことは美しい法律というものは地域が判断すべきものとされているわけで、自治体など景観行政団体と呼ばれる機関とさらには住民の意識が重要になると言うわけです。

 また「国家的な景観というものはないのか」というような議論もあったようで、富士山などが該当するのでは、ということでしたがこれも法律としては潰れました。

 さらには理念として「地域を愛する心の醸成」なども盛り込んでは、という意見もあったのだそうですが、内心の自由との整合が取れないだろうという事でこれも反映はされませんでした。

 今話題となっている教育基本法の行く末が注目されますが、内心の自由と規範となるべき行為との区別をどう取るかも課題ですね。

 さて、景観法施行後の平成17年にこの法律の認知度などに関する調査を行ったそうなのですが、知っていると答えた自治体が67%、関心があると答えたところが78%だったものの、景観行政団体になる意向があると答えた自治体は25%にとどまりました。まだ景観法を使って解決すべき課題がない、と考えている自治体が多いのも事実です。 

 あまり景観に固執すると、いろいろな経済行為に対する制限的な力として働く事から、当然そのバランスを地域の中で考える事が必要で、それこそが地域の民主主義の力が試されるというものです。もはや市民が意見を言わずにまちづくりなどできないのだ、と考える事が重要です。

    *   *   *   * 

 セミナーが終わった後の懇親会では「良好な景観の保全や創出というのは薬でいうと漢方薬のようなもので、じわじわと長い時間をかけて効果が現れるのだと思います。一方経済効果は短期のうちに発現しないと投資を回収出来なかったり、地域の経済が廃れてしまってからではもう遅いという事もあり得ます。このバランスが問題ですね」という意見が出ました。

 まさにそのとおりで、短期には答えのでない問題であるが故に、現代の我々は子孫に何を残せるのかということに真剣な議論をしなくてはならないのでしょう。

 景観法という力を上手に使って、経済と真に豊かな地域社会を実現することが地方自治体の力として求められているのです。


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琴似駅周辺まちづくりの秘密

2006-07-28 23:11:28 | Weblog
 朝晩は涼しいのですが日中は夏らしくなってきました。巷の子供達は夏休みに突入で一番楽しい時期でしょう。

【琴似駅周辺の秘密】
 以前にも書いたのですが、JR琴似駅周辺はスカイウォークで二階の高さで通路が繋がっていて、雨に当たらずに買い物や交通移動が出来るという面白いまちづくりを行ってきていて、コンパクトシティとしての一番の見本なのだと思っているのです。

 札幌は積雪寒冷地と言われていますが、積雪と寒冷地の両方の要素を持っている地区に180万人以上もの大都市として存在しているのは世界でも札幌だけなのです。この特異な

 そこで知人を介して、この琴似駅周辺のまちづくりのキーマンとも言えるAさんをご紹介していただいてその地域の秘訣を伺う事が出来ました。

 来ていただいたのはこの地区の再開発事業組合の方で、この方がもう何年もこの地区の意見交換、対話と会話の最前線で力を発揮されているのです。

 Aさんによるとこのようなまちづくりがこれまで来たのも、決して最初から最後まで見通したわけではないのだと言います。

「よくあれだけの建物群を渡り廊下でつなぐ事が出来ましたね。そのポイントは何だったのですか?」
「やっぱり徹底的な話し合いじゃないでしょうか」

「行政はそのときに重要な役回りを演じられましたか?」
「行政の方にも限界があって民間の方が動きやすいという事があったように思います。例えば二階の空中廊下を整備していっても、その先が空き地だったりすると、民間だったら今は空き地であっても、そこにいつかできるかも知れない建物に接続出来るようにしておこうと思うものです。しかしそれが行政の人たちからは『そこに建物が出来るという担保があるのか?なければそんな仮の話のための用意は出来ない』という事になるのだと思います」

「行政としては間違っていないのかも知れませんね」「おそらく行政の判断としてはそれは正しいのだと思いますよ。しかしその先に地域の幸福を見出そうとすれば、やはり用意をしておくべきです。そして空き地に立つビルの開発事業者と地域の人たちとが十分に話し合って廊下の接続をしていったのです」

「最初からこうやってつないでいこうと考えたわけではないのですね?」
「どんな建物が出来るか分からないのに、そんなことはできません。しかし出来るという事になれば、事前に十分に話をする事で廊下をつなぐ事が建てようとするビルにとっても非常にメリットのある事だという事はすぐに分かってくださいました」

「琴似駅ともちゃんと繋がっていますよね」
「偶然つてがあって、JRの関係者と話すチャンネルがあったのが幸いでした。JRさんの方も、地域が住みやすくなって地域住民が増えれば当然乗降客数も伸びるわけですから、地域作りには協力をしてくださいました。その結果、最初の頃は快速電車が止まらない駅だったのに、今では快速が止まるようになり、交通の便が向上し、ますます地域の価値が上がっているんです」

「最初にやろうとしたときは大変だったでしょうね」
「やはりその必要性を理解してもらうのが大変でした。建物の中の廊下も公共施設として市が管理をしていたときもありましたが、そうすると24時間使えなくてはならないといった条件になってしまいます。すると夜に寝泊まりされたり火を使われるなど、管理の手が及ばない事態が起きてしまい、今では地元に管理が任されるようになり、適正な管理が出来るようになったという事もありました。それも全て地元の人たちとの話し合いの上で納得した結果なのです」

「話し合いが全てという事ですか」
「その通りです。何か問題が起こる事を恐れるのではなく、問題が起きたら話し合いで解決をすると考えるべきなのです」

「なにかやって良かった事例がありますか?」
「隣接する敷地からでる広場を境目を無くして建物群の真ん中に置きました。どこまでがどちらのビルの所有かなどという境目を無くす事で、地域全体の公園になったのです。子供達の遊ぶ声がうるさいという住民がいたら、子供達の声を抑えて静かにするのではなく、ではどうしたらよいだろうかということを地域の皆さんと考えればよいのです」

「なぜこうした動きが琴似地区だけで出来るのでしょうか」
「他の地区の事は分かりません。でも私たちのところでは再開発組合としてごく少数の人間が情報を共有しあいながらとにかく話し合うということを地道に繰り返しています。それしかないのではないでしょうか」
  

 私がこれまで感心してきた琴似駅周辺のまちづくりの陰にはやはりこうしたキーパーソンがいたということが改めてよく分かりました。

 いうべき事はしっかり言う。そのうえで地域の総意を時間をかけてまとめ上げて行く。その結果、冬でも過ごしやすいコンパクトシティが実現しているのです。

 琴似地区にはこれからも注目です。
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大通公園のビアガーデン

2006-07-27 23:28:21 | Weblog
 午前中は東京からの帰庁、夜は大通公園の札幌夏祭りビアガーデンへ行ってきました。札幌もだんだん暑くなってきました。

【札幌ビアガーデン】
 いよいよ始まった大通りビアガーデン。今日は職場の有志でこの札幌の夏の風物詩を味わおうというもの。私自身はあまり行った事がなかったので、改めて札幌を感じる事となりました。

 何人かの先発隊に場所を取っておいてもらったのですが、屋根のついた一角はもう4時半には満席だったよう。大通公園は一町角ごとにそれぞれ異なるビールメーカーがビアガーデンを開いていますが、目的地まで歩いていく途中ではどこもほぼ満席状態。天気がよいと皆外でビールを飲みたいものです。

 ジョッキ一杯500円はもっと安く飲もうと思えばそれなりに安くサービスしてくれるお店はありますが、やはり公園のなかで大きな木々の下で飲むビールの味は格別です。

 今年が第53回となった札幌夏祭り。短い夏を存分に楽しみましょう。
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雪氷マスコミ公開で広報について考える

2006-07-26 23:47:07 | Weblog
 今日は昨日東京へ送った氷を東京で迎えてビルに投入します。今日の東京の最高気温は33℃とか。氷、融けてないかー。

【東京での氷の受け入れ】
 朝の飛行機で東京入り。今回はエア・ドゥも味方してくれたようで無事にトラブルもなく東京へ着く事が出来ました。

 午後まで別な用事を済ませて、夕方には東京港フェリーターミナルへと向かいました。今回は前回よりも港に積み荷が多く、取材陣の車を止めるところを指定してもらうのにも一苦労しました。

 しかしここでもこちらのポートキャプテンに大変良くしていただいて、かなり取材陣に便宜を図っていただきました。本当に感謝するばかりです。

 我々の氷を積んだトレーラーは最後に積み込んだので出てくるときは最初に出てきます。テレビカメラが6台も並ぶとなかなかの壮観で、港で荷役を行っている人たちも何事かと気になる様子です。

 トレーラーが降りてきて、ラッシングベルトという荷物を締め付けて固定するベルトのゆるみがどの程度かを確認すると車は氷の積み替え場所へと向かいます。今回もビルそのものには20トントレーラーが入らないので一度積み替えヤードで3トントラックに小分けして運ぶのです。

    *   *   *   * 

 ビルの前に夜の8時半に集合をし、これからの予定を説明すると地下二階の実験場へと向かいます。

 氷を積み替えてビルへ投入出来るのは夜の9時からです。それまでの間、積み替えヤードでは輸送の間に融けた水の量を量るなどの調査を行うのです。今回運んだ氷の量は10.6トンということでしたが、融解水の量は3立方メートルという事でしたので、約28%の融解量でした。

 前回までが大体20%台の前半でしたので、今回はやや融解量が多いと言えます。やはり気温が高いせいでしょうか。

 氷投入口の周りでビデオとカメラ陣に陣取ってもらった頃トラックが入ってきました。取材陣は今回が初めての人ばかりなので、氷投入の担当者からは「覚悟してくださいね、相当水しぶきが上がりますから」との注意を受けてから二段に積まれた氷が投入されました。

 投入するおじさんも以前より勢いよく入れていたような気がしましたが、予想以上に水しぶきが上がって、取材陣もびっくり。それでもカメラをばっちり防水して臨んだカメラマンは「ばっちり!ばっちり!」と望んだような絵が撮れたようで喜色満面。このあたりはプロ根性です。

 トラック2台分の氷投入を撮影してもらうと、次は担当者へのインタビュー攻勢です。事前の練習なしで「では今回の実験のポイントを教えてください」と質問が始まります。

 こちらもだんだん慣れてきて「ポイントは二つあります。つまり物流のコスト改善と、氷による環境改善です」などと詳しく説明をしたのですが、ある局では「すみません、時間の短い番組なので、今と同じ内容を1分でお願いします」とダメ出しされてしまいました。

 もう一人の担当者のインタビューでは「うちの番組では視聴者に主婦の人たちが多いものですから、主婦の皆さんにも分かるように説明をしてください」と注文されたとか。説明にも結構苦労しているのです。


 しかしここで改めて今回の報道についてよく考えてみると、我々官庁で広報対応の仕事をしているものでもこれくらいワイドショーでも取り上げてくれたネタというのはそうはなかったわけです。
 しかも今まではもっぱら記者クラブなどを通じたニュース系の取材に答える事しかやったことがなかったのが、今回は一般視聴者に受けるようなワイドショーや情報番組の取材が来たという事が特徴的でした。

 これが戦争ならば戦時広報としてもっと戦略的にマスコミに見てもらうような様々な工夫がされた事でしょう。マスコミに映像をサービスして自分たちの見方になってもらえるように導く事は今日非常に大事な役割をもっています。

 改めて我々が普段行っている事業に対する戦略的な広報のこれまでの弱さや、その重要性について考える良い機会であったようにも思います。

 どうせ見せるなら良い絵になるように徹底的にサービスをすること。これこそが戦時広報のあり方ではないでしょうか。
 
 うーむ、なんでも勉強になるなあ。
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2回目の雪氷輸送マスコミ公開

2006-07-25 23:14:45 | Weblog
 連日夜遅くまでの飲み会と出張が立て込んでいて、書き込みが遅れがちです。すみません。 

【2回目の雪氷輸送公開】
 今日と明日にかけては、雪氷輸送のマスコミ公開第2回目なのです。

 前回は7月7日に苫小牧で氷の切り出しと船への積み込みを見てもらい、翌日の8日に東京のオフィスビルへの氷投入を取材してもらったのですが、その後も取材が五月雨式に求められたので、改めて今日から明日にかけて前回と同じように公開をしようというのです。

 前回も民放六社の系列テレビは地元や東京からも各系列が取材に来ましたし、新聞社も一般紙や業界紙などが数社訪れました。

 ところがその後も前回取材したテレビ局を名乗って再度取材の申し込みがあったので、「前回取材をされたのではありませんか?」と訊いてみたところ「前回は別の番組の制作スタッフなので、今回は我々も取材をさせていただきたいのです」とのことでした。

 それが今回は、ニュースももちろんですが「ザ・ワ○ド」「めざ○しテレビ」「スッ○リ!」などの情報ステーション番組や、果てはウェザー・リポートの一コマまで、番組ごとに違う制作会社が次々と取材の申し込みをしてきたのです。

 テレビ番組がいかに多くの下請け制作会社の力でつくられているのか、ということを知る結果となりました。しかし折角の申し出も多い事ですから、なんとか取材に応えようということで改めての作業公開としたのです。

 今日は朝9時半に苫東の氷を切り出している場所に集合して、そこで切り出し、運搬、積み込みを見てもらい、そこから港へ移動して近海郵船さんの「ろーろーえりも号」にトレーラーを積み込んで出向するまでを取材してもらいました。

 天気予報では曇るようなことを言っていたのですが、現場で取材が始まった頃には夏の太陽が顔を出して、爽やかな北海道の夏という雰囲気が良く出ていました。

 取材をしてくれたあるスタッフは「天気が良くて最高ですね。今回のように氷で都市を冷やすなどというのは面白くて良い話なので、スカッと晴れてくれると実によい絵が撮れるんですよ」と実に嬉しそうでした。
「やはりお日様が出ていると違いますか?」

「もちろんですよ。明るい話題らしさが伝わりますし、明るいとレンズを絞る事が出来て、ピントが合いやすくなるという事もあるんです。それに反対に、暗くていやな話だと天気が悪い方が良いと言う事もあるんですよ」とプロらしい説明をしてくれました。
 光ひとつで伝わり方も変わるのです
 
    *   *   *   * 

 氷を積み込んで苫小牧西港へと車が向かいました。

 苫小牧西港では港の責任者である前回と同じポートキャプテンがいて、「また今日もかい、お宅らも大変だね」と優しく声を掛けてくれました。今回は近海郵船さんの特段の計らいで取材には大変協力をいただく事が出来ました。取材陣も大助かりだったことでしょう。

 さて氷を積んだトレーラーが到着をして、船の中に運ばれます。
「出向の定刻は13時20分だったけれど、もう少し早く来てくれれば12半に出られたんだけどなあ」とポートキャプテンがちょっと残念そうに話しかけてきました。

 ここ苫小牧西港は信号制御された港なので、出たいときに出られるわけではなく時間に制約があるのです。今回も我々の氷が最後のトレーラーだったのですが、信号を一つ前にする事が出来れば早く出航出来たというわけです。

「早く出たら向こうの港にも早くつくという事ですか?」
「いや、着くのは基本的に到着の定刻なんだけど、早く出られれば船の速度を上げずに済むんですよ。船の燃料消費量は速度の比の三乗で効いてくるんですよ」 
 つまり単純に2倍の速度で船を走らせたとすると、2×2×2=8倍の燃料消費が元の速度の時よりもかかるという訳です。
「油も結構値上がりしちゃっているからね」こういうところにも省エネのポイントがありそうです。


 トレーラーは無事に船に積み込まれました。ポートキャプテンに伺ったところ、「ろーろーえりも号」は最大で70台のトレーラーが積める船だったけれど、今日は積み込んだトレーラーが66台、そのうち荷物を積んだものが48台で空のトレーラーが18台だったそうです。

 今回はこの空っぽで帰るトレーラーにいつでも氷を積んで返したいというプロジェクトなのですが、確かに空で帰るトレーラーがあるのだ、と改めて実感をしました。

 さて氷よ、今回も融けずに東京まで無事についてくださいな。
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不思議に人に会う日

2006-07-24 23:16:31 | Weblog
 本州が雨の分、北海道は晴れています。まだ初夏のようですが涼しい夏の一日となりました。 

【人に会える日】
 日中席を外していたところ、道東のある町の町長さん、議長さん、課長さんの名刺が机の上に置かれていました。「あらら、来札のおりにわざわざ訪ねてきてくださったのか」と思っていたところ、夜になって電話が来ました。

「先ほど訪ねたらおられなかったので名刺を置いておきました」
「不在ですみませんでした。来られるなら先にご連絡をいただければよかったのに」
「そこでですが、今から出られませんか。すぐ近くのホテルに泊まるので待っていますよ」
「もうだいぶ遅いのですがいいのですか」
「是非お願いします」
「では打ち合わせを一本終えてから伺います」

 …ということで、打ち合わせを終えてから、近くのホテルまで向かい町長さん達と会ったのでした。

 実はこの町長さんとは先週が初対面だったのですが、私が「掛川にいて榛村市長に仕えた」という話をしたところ、「榛村さんの事はよく知っていますよ。今の私の町政はまさに生涯学習でやっているのです」と、生涯学習で一気に盛り上がったことから、会ってすぐにうち解けて町づくりの話題に花が咲いたのでした。北海道で榛村さんの信望者にお会いするとは思わなかったので、非常に嬉しかったのです。そこで今日もさっそく近くの居酒屋に繰り出しました。

 先週お会いしたときに、私が春先に原稿を書いた「生涯学習とまちづくり」の豆本を差し上げたところ、これを気に入っていただけたようで、「いや、本当にそのとおりだなあ、ということが書かれていますよ。議長にも見せたんですよ」とのこと。

 議長さんもなかなかの方で、一辺に仲良くなれました。

 そこでまた話題がそれぞれの知人に及び、町長さんが「○○大学に生涯学習を教えてくれるすごく良い先生がいるんですよ」と言いました。○○大学で生涯学習と言えばすぐにピンと来る方がいて、「それはK先生ではありませんか?」と訊ねると「あ~れ~、知ってたの~」と驚かれた様子でした。人には会っておくものです。

 K先生はある地方都市に住んでいるのですが、町長さんが携帯電話で呼び出して、「今珍しい人と飲んでいるんですよ…」と話し始めたところ、「え?今札幌駅にいるの?こりゃ奇遇だ、じゃあこちらへ来てくださいよ」という会話をしています。

 なんと地方都市にいるはずのK先生が仕事の関係で、丁度今札幌駅にいたのでした。おかげですぐに飲んでいるところへ来ていただいて、楽しかった座がさらに楽しいものになりました。

「こんな偶然もあるものなんですねえ、共通の知人がすぐ近くにいるなんて」
「本当ですね、いや驚きました」

 生きていると、不思議に良く人に会う日があるかと思えば、全く人に会う事のない日が続くこともあるものです。こんな人生を彩る不思議もたまにはよいものです。

 今度はこの道東の町をお訪ねする約束をしました。知らずに訪ねるよりは知人を訪ねる方が面白い旅が出来ます。
 
 秋には必ずお伺いしますよ。


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九州の河川氾濫

2006-07-23 23:59:56 | Weblog
 晴天で穏やかな一日。本州では梅雨前線が居座って各地で甚大な被害をもたらしています。土石流も川の氾濫も本当に恐ろしいものです。
 天災は忘れた頃にやってくるのです。わが家でも改めて市から配られたハザードマップを開いてみました。

【災害から逃げる野生の勘】
 過去に行ったボランティア活動について文章を書き始めたところ途中で止められなくなって、ひいひい言いながら、朝から夕方までかかって原稿用紙で二十数枚の一文を書いていました。

 しかしこのテーマについては、書き足りない思いもあってもう少し推敲を重ねたいところもあります。それに公表してよいのかどうか分からない部分があって専門家に問い合わせをしています。もう少し公表はできそうにありません。殴り書きではもったいない事柄もあるのです。

    *   *   *   * 

 九州地方では梅雨らしからぬ集中豪雨で川内川が氾濫、流域に甚大な被害を及ぼしています。そもそもこうした短時間のうちに集中的に降る雨では日本の場合河川の水かさが一気に上がってしまうのです。

 それなりの大きさの河川であれば、確率的にどれくらいの雨が降ってどれくらいのスピードで川の流量が増えるか、それが河川の断面で計算したときにどれくらいの水位になるか、ということがちゃんと分かっているものです。

 それでもあくまでもその確率とは小さい河川では30年に一度の確率だったり、人口の多い都市で反乱の影響があまりに大きいところでは100年に一度という確率で河川の断面を計算して洪水が起きにくいように防災の備えをしているものです。

 しかしこの降雨確率はあくまでも過去の気象データから計算されるもので、最近のように局所的に極端な豪雨を記録するようになると、一応は見込んである安全率を簡単に突破される事もあるのです。もうそうなったら、人命第一でまずは避難するしかありません。

 滋賀県に琵琶湖博物館というところがありますが、そこの中に江戸時代の民家を再現した展示がありましたが、そこでは家の中に船をつるしてありました。また壁には洪水で水位が上がった後がシミになって分かるという展示があって、天井まで水がついた事が分かるようになっていました。

 昔の人は家の中に船をつるしてまで洪水の際に命を守る工夫をしていたのに、現代に生きる我々は、土木技術の進歩に守られるようにして命を安全に守る野生の勘を失いつつあるようです。

 危ないときはまず逃げなくてはなりません。また家を建てるときは、土砂災害や洪水の危険性についても十分に把握した上で住む場所を決める事も重要です。

 被災者の方々にはお見舞い申し上げますが、他山の石としたいものです。


 
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M:I:3

2006-07-22 23:42:14 | Weblog
 午前中は夏らしい暑さでしたが、午後は一転して気温が下がりました。昨夜から札幌夏祭りで大通公園もビアガーデンの営業が始まりました。もう少し暑くなって流行ってくれると良いのですが。

【北海道は行楽日和】
 職場で映画の割引券を斡旋してくれたので、それを握りしめて今週もうちの奥さんと映画を観てきました。今週はトム・クルーズの「M:i:3」を観てきました。

 今回はスパイから教官として現場の一線を離れたはずのイーサン・ハント(トム・クルーズ)が、結婚したという設定から始まります。

 そこへ「かつての部下が捉えられたので救出して欲しい」という断り切れない要請が来ます。結局新妻には嘘を言って救出に向かうイーサン。昔ながらの仲間達と再びチームを組んで、秒単位の不可能ミッションをこなして救出に成功するが…。

 と、そこから始まって次から次へと事態が展開して行きます。登場する場面も、アメリカ、ドイツ、ローマ、中国と世界を股にかけて繰り広げられます。アクションシーンでのCGもすごいし、さすがはハリウッドという感じです。

 ストーリーもひねりが効いているし、新妻との関係はどうなるの?と思わせつつ最後は…、うーん、そう来たか!という終わり方。娯楽映画としては面白く楽しめる部類の映画でしょう。観て損はしない作品に仕上がっています。

    *   *   *   * 

 夜は内地から知人が遊びに来たので歓迎の飲み会におつきあい。今回は富良野方面へレンタカーで足を伸ばして、「北の国から」を思いきり味わうのだそうです。

 富良野方面はラベンダー真っ盛り。今週は比較的天気が良さそうなので楽しめるとよいですね。せいぜい北海道にお金を落としていってください。

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