北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

やせ我慢の美学

2015-01-31 23:51:14 | Weblog

 

 オートキャンプというものを始めたばかりの三十代初めに、福島県の猪苗代湖へキャンプに行きました。

 友人夫婦と行ったのですが、折悪しく悪天候のキャンプに。風が強く、当時流行っていたタープは吹き飛ばされそうになって心細い思いをしていました。

 するとそれを見かねた、隣でキャンプをしていた50歳くらいに見えたベテランのキャンパー夫婦が声をかけてくれました。

「大丈夫かい?風が強くなるよ」
「いやあ不安なんです」

「予備の紐はないの?なけりゃあこれをお使いなさい」

 そういってタープやテントの張り具合を補強するロープを貸してくれて、最後には「いいよ、それ、あげるよ」とそのままもらってしまいました。

 見ていると風の中でも椅子に座ってゆうゆうとコーヒーを飲んでいる様子がとても経験豊富でかっこよくて今でもその様子が目に浮かびます。

(この先もずっとキャンプを続けてあのくらいの年齢になれば、カッコ良いキャンプができるのだろうか) 

 そう思ってキャンプをしてきて、今では多分あの時のベテランキャンパーよりも歳をとっている自分なのですが、とてもあんな風に悠然とキャンプをしているとは思えません。

 かっこよさとは、ある種のやせ我慢にその要素があるのかもしれません。


       ◆  


 先日、体調を崩して入院しているベテランアウトドアマンのZさんのお見舞いに行ったら、「ジャーナリストは畳の上で死んじゃいけないと思って生きてきたから、こんな入院ってなんだかかっこ悪いんだよね」と苦笑いをしていました。

「なにをまたそんなこと言って!」と悪い冗談だと思いましたが、やせ我慢に美学があると思っていて、それを貫く生き方ってやっぱりあるのかもしれません。

 最近はキャンプへ行ってもやたら暖を取ったり、コテージに泊まったりして"やせ我慢"どころか、すっかり我慢そのものをすることがなくなってしまいました。

「ほら、また楽をして!(笑)」というZさんがたしなめる声が聞こえてきそうです。

 本を呼んだり勉強をしたり、ちょっと辛いことを続けるのもやせ我慢。やせ我慢の美学を少し身に着けてみようかと思うようになりました。  
 

 

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孫の相手

2015-01-30 23:45:11 | Weblog

 今週初めから風邪を拾ったようです。

 と言っても熱も出ないし咳も鼻水も喉も大丈夫。ただ関節が痛くてなんだか油が足りない機械がギシギシいっているようです。

 それでも一日だけ午後休暇を取って家で寝て、その翌日からは産後にわが家に長逗留している娘夫婦と一緒にいる上の孫の相手をして遊んでいるうちに汗をかいて、だんだん良くなってきました。

 小さい子どもって、相手をしていてツボにはまる動作があると何度でもその動きをせがんできます。

 まずは何度でもその動きを繰り返して喜ばせておいて、そのうちにちょっとした変化をつけてやります。すると、最初は戸惑いながらやがてその動きに慣れてくると今度は新しい動きをせがみます。

 そうやって少しずつ動きのバリエーションを増やしてやると、だんだん知恵が回ってくるのが分かって楽しく思えてきます。

 子供との遊びは「忍耐と変化」だと分かっていますが、あと必要なものは体力ですね。子供と遊ぶのは実によい運動です。

 下の孫はだんだん鳴き声が大きくなってきました。日々の成長を感じます。

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プロとしての落語 ~ 食事つき寄席はいかが

2015-01-29 23:43:40 | Weblog

 馴染みの蕎麦居酒屋「たいせつ」さんで開かれる「たいせつ寄席」。今日も用意された二十席はほぼ満員です。

 食事と蕎麦にお酒がついて、食べて飲んで笑っての楽しいひと時。寄席は落語が中心で、今日もメインは「笑生十八番(しょうせいおはこ)」こと原正さんです。

 原さんは脱サラしたものの騙されたりして何もかもがうまくいかない中で、どん底だった人生の活路を高校時代から続けていた落語に求めたもの。

 趣味ではなく、れっきとした職業としての落語家です。もっともプロの落語家に入門したことはなく、ある種苦し紛れの落語ですが、それでも人生がかかっている真剣な落語です。

 そんな原さんの人生が、1月20日付北海道新聞夕刊の「生きる」欄に登場しました。

「記事はインタビューだったんですか?」と訊くと、「えへへ、実は私の人生を書き表した本を出版したんですが、『それを読むといいよ』と言ったら、一冊買ってくれましてね」と笑っていました。

 客席の反応を見ながら、ときには客と丁々発止の会話を展開しながら笑いを取って、いつの間にか気持ちを引き寄せてゆく話術はさすがです。

 市内では西区の「ことに大和屋」さんなどでも食事つきの寄席を開いているようです。

 だんだん常連になりつつあるのもいいものです。

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「OPEJOによろしく」 ~ 情報化施工の広報誌

2015-01-28 20:56:50 | Weblog

 仕事上の立場から、建設機械を扱う人たちの地位向上や情報発信を行っていますが、今回は「情報化施工」という機械を使った最新の施工技術についての宣伝がまたまた漫画で登場しました。

 その名も「OPEJOによろしく」。 タイトルの"OPEJO"とは、機械を操作する女性オペレーターを表す造語で、若い女性でも現場で機械操作ができる時代の到来を期待しているものです。

       ◆  

 ブルドーザーやバックホウなどの建設機械は、平面に描かれた図面を元に、高さや角度を現場で再現して最終的な土木構造物を作り上げて行きます。

 そのためには図面を読み込んだり測量で現場を再現するという技術が必要になるのですが、その最終形の出来形を最初から立体座標で押さえて、現場では衛星を使ったGPS技術で建設機械を動かして完成形を作る、というのが情報化施工のイメージです。

 この情報化施工が一般化されて普及すると、建設機械を操作するオペレーターの職人芸がいらなくなり、割と誰でも操作できる世界になるのではないかという期待があるところ。

 わが開発局や道庁では、情報化施工の技術で施工する工事として指定した工事で発注するなど、建設会社にまずはやってみてもらう機会を設けて、理解を深めたり改善点を探るなどの活動を続けています。

 しかしまだ始まったばかりなので、特にこれから建設事業を志す学生たちなどにも情報が浸透していません。

 そこで、情報化施工についての基礎知識をまたまた佐藤秀峰さんの「ブラックジャックによろしく」のコマを使った漫画で紹介したのが今回作成した「OPEJOによろしく」という冊子です。
 冊子でも配布していますが、今すぐ見たいという方のために、作成者のJCMA北海道支部ではホームページにアップしてくれていますのでこちらをご覧ください。


         ◆    

 

 さすがに漫画だけでは伝えきれない細かな情報はイラストで紹介して内容を補っていますが、この手の情報誌にはないユーモアたっぷりの作りになっています。

 JCMA北海道支部では昨年、除雪機械に対する理解を深めようと「除雪者によろしく」という連作パネルを作り、建設業界に衝撃を与えましたが、柳の下には何匹もドジョウがいるようでまだまだ使えそうな手法というわけ。

 情報化施工を当たり前にするためには、これまでとは違った才能や能力、柔軟な発想が必要です。このような地道な広報活動の継続によって、若い人たちが関心を持ってこの世界に入ってくれることを願うばかりです。

 
 ちなみにJCMA北海道支部のホームページには、同じく情報化施工についてお知らせする連作パネルも掲載されていますので併せてご覧ください。

 


【JCMA北海道支部 Episode-2 情報化施工編】
 http://www.jcmahs.jp/poster/poster_ver2_step1.html

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「OPEJOによろしく」 ~ 情報化施工の広報誌

2015-01-28 20:55:28 | Weblog

 仕事上の立場から、建設機械を扱う人たちの地位向上や情報発信を行っていますが、今回は「情報化施工」という機械を使った最新の施工技術についての宣伝がまたまた漫画で登場しました。

 その名も「OPEJOによろしく」。 タイトルの"OPEJO"とは、機械を操作する女性オペレーターを表す造語で、若い女性でも現場で機械操作ができる時代の到来を期待しているものです。

       ◆  

 ブルドーザーやバックホウなどの建設機械は、平面に描かれた図面を元に、高さや角度を現場で再現して最終的な土木構造物を作り上げて行きます。

 そのためには図面を読み込んだり測量で現場を再現するという技術が必要になるのですが、その最終形の出来形を最初から立体座標で押さえて、現場では衛星を使ったGPS技術で建設機械を動かして完成形を作る、というのが情報化施工のイメージです。

 この情報化施工が一般化されて普及すると、建設機械を操作するオペレーターの職人芸がいらなくなり、割と誰でも操作できる世界になるのではないかという期待があるところ。

 わが開発局や道庁では、情報化施工の技術で施工する工事として指定した工事で発注するなど、建設会社にまずはやってみてもらう機会を設けて、理解を深めたり改善点を探るなどの活動を続けています。

 しかしまだ始まったばかりなので、特にこれから建設事業を志す学生たちなどにも情報が浸透していません。

 そこで、情報化施工についての基礎知識をまたまた佐藤秀峰さんの「ブラックジャックによろしく」のコマを使った漫画で紹介したのが今回作成した「OPEJOによろしく」という冊子です。
 冊子でも配布していますが、今すぐ見たいという方のために、作成者のJCMA北海道支部ではホームページにアップしてくれていますのでこちらをご覧ください。


         ◆    

 

 さすがに漫画だけでは伝えきれない細かな情報はイラストで紹介して内容を補っていますが、この手の情報誌にはないユーモアたっぷりの作りになっています。

 JCMA北海道支部では昨年、除雪機械に対する理解を深めようと「除雪者によろしく」という連作パネルを作り、建設業界に衝撃を与えましたが、柳の下には何匹もドジョウがいるようでまだまだ使えそうな手法というわけ。

 情報化施工を当たり前にするためには、これまでとは違った才能や能力、柔軟な発想が必要です。このような地道な広報活動の継続によって、若い人たちが関心を持ってこの世界に入ってくれることを願うばかりです。

 
 ちなみにJCMA北海道支部のホームページには、同じく情報化施工についてお知らせする連作パネルも掲載されていますので併せてご覧ください。

 


【JCMA北海道支部 Episode-2 情報化施工編】
 http://www.jcmahs.jp/poster/poster_ver2_step1.html

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ちょっとした気遣いがよいのです

2015-01-27 22:07:26 | Weblog

 

 職場である書類の変更の決済をしていたら、決裁書類の一番上に変更内容がわかりやすく鉛筆でメモ書きしてありました。

「これってわかりやすいけれど、肝心なことを手書きで書かないといけない様式なんだね」

 すると決裁書類を作った担当者が、「ええ、でもこの決済専用の書式がないので汎用の様式を使っていますから、そういうところを書く欄がないので」と説明してくれました。

「変更内容は二枚目以降の書類についているから本当はそれを見るとわかるんだけれど、いちいちそれをめくらなくても一枚目を見れば概要がつかめるという気遣いがいいと思うんですよ」
「はあ、ありがとうございます」

 いいと思うことは


       ◆ 


 ときどき「会合に参加しませんか」というメールが来ますが、私は返信をする時にはメールのタイトルに「【参加します】Re:会合に参加しませんか」という風に参加するかしないかの答えを書くようにしています。

 こうすると、いちいちメールを開かなくてもこの人が参加するかどうかが分かるかなあ、と思うからです。

 メールで情報を送るときは、添付ファイルを付けるのも(いちいち開くそのワンクリックが面倒かな)と思うので、添付ファイルの内容をコピーしてメール本文につけたりすることもあります。

 ちょっとした気遣いもまたおもてなしの精神ではないでしょうか。

 

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国際観光都市としての備え

2015-01-26 22:00:20 | Weblog

 

 帰り際に札幌駅前を歩いていたら、タクシーの誘導員に「すみませーん」と話しかけている中年の女性がいました。

 誘導員が気付かずないのをみかねて、「どうかしましたか?」と話しかけると、「プリンスホテル、プリンスホテル」と言います。

(札幌プリンスホテル?このあたりじゃなくてちょっと遠いけどそこかな?)と思い、「マップある?」と訊くと、ホテルの部屋のカードを見せてくれましたが、円筒形のプリンスホテルの絵が描かれていました。

「遠いよ。It's far from here. タクシーを使った方がいいよ。You should better take a taxi.」
「No,no. Walking tour」

 なんだかわからないけれど、どうしても歩いてそこへ行くと言っているようなので、「400m真っ直ぐ歩いて、そこから右へ曲がって700m歩くと見えますよ」と教えてあげました。

 すると「アリガトウゴザイマス。カンサハムニダ」というお礼の言葉。「韓国から来たんですか。どういたしまして。気を付けて」

 その女性は何度も「カンサハムニダ」を繰り返しながら大通公園方向へ歩いていきました。後から思い返すと、せめて簡単な地図をメモに書いて渡せばよかったと反省。

 札幌ともなると、いつでも海外からの観光客の相手ができる様な備えをしておかないといけないのだな、と思いました。


       ◆ 


 家に帰るときに私は小樽行きの高速バスに乗ることが多いのですが、今日途中のバス停から乗ってきた人が運転手さんとなにやら会話をしていました。

「整理券を取ってください」すると中年男性のお客は、「オタル、オタル」と説明をし出しました。

「はいはい、整理券を取ってください、そこに出ていますから」

 しかしお客さんは何を言われているのかまだわからず入り口でしばしうろうろ。みかねた一番前のお客に誘導されてようやく整理券を取って後部座席へと向かいました。

 おそらくは台湾か中国からの方と見受けましたが、考えてみればこのバスには中国語の説明はおろか、英語でも「乗るときには整理券を取る必要がある」という説明がありません。

 バス停の風景を思い出しても英語での乗車方法の説明を見た記憶がありません。

 東京ならずとも、福岡などではもうほとんどの看板に英・中・台・韓の説明は当たり前になっていますが、札幌ではそのあたりが全く遅れていることに改めて気が付きました。

 日本の風景を壊すほどの外国語表記は要らなくても、日常のちょっとした外国語による情報提供をもう少し頑張っても良いのかもしれません。

 もちろん市民一人一人もなにかあれば案内してあげようというホスピタリティとともに、ですが。

 もうすぐ雪まつりが始まります。国際観光都市とは何か、と考えるきっかけとなる出来事でした。

 

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わが家の雪を公園まで運んでみた

2015-01-25 23:12:42 | Weblog

 

 一戸建ての家の大変なことの一つが冬の雪かき。

 融雪槽をつけてはみたものの、やはり使えばお金がかかるわけで、最近はよほどのことがない限り使わないようにして、敷地に降る雪は家の裏の敷地に運ぶようにしています。

 しかし今年はどうも雪が多く、そろそろ家の敷地もあふれかけるようになって、家の前に山積みにしていました。

 このままでは雪山がたいへんになるということで、近くの児童公園まで雪の塊を運んでみました。

 ここ数年、近在の住民が大きなそりに雪を積んで、公園まで運んでくる姿が増えました。

 本来地域の公園は地域の悩みや苦労をオープンスペースとして受け止めるべきだ、と思っているので、私はこれは良い傾向だと思っています。

 私の家には雪を運ぶための大きなそりはないので、スノーダンプでできるだけ大きな塊を運びます。そのためには、雪もふわっと積んだのではだめで、積むたびにぎゅうぎゅうと踏み固めて固くしておく方が良いのです。

 こうしておけば、大きな塊が切り出せますし運ぶ途中で崩れて割れたりもしにくいのです。雪国の一つの知恵ですが。


       ◆  


 そうして何度か雪の塊を運んでみましたが、近くの公園といっても距離にして約100mはあります。この距離を大きくて重たい雪をえっちらおっちらと運ぶのはやってみるとなかなかの難儀です。

 公園はもうここに雪を捨てる人たちによって道ができていますが、このゆるいスロープでも重たい雪となると持ち上げるのが大変。10回ほど運んだところで疲れてしまって今日はそこまで。

 思いのほか重労働だということが分かりました。雪も締め固めるととっても重たいのです。


 公園に雪を捨てることが地域の中で認められるのなら、公園に近いところに住んでいる人は冬が楽に違いありません。

 そのことが地価に跳ね返るかと言うとまだそこまでは行っていないようですが、公園の近くほど暮らしやすいということの一つが除雪なのだと私は思います。

 
 そう思って公園周辺の家々を見てみると、真面目に道路の雪を公園にまで持っている人がいる一方で、何もせず道路の公園側にうずたかく積むだけで道路を広げようとしていない人もいます。

 公園に運ぶことを思いつかないのか、そこまでする気はないのか、体力が伴わないのか、いろいろな理由があると思いますが、まあ各家庭にはそれなりの事情があるのでしょうね。

 まだまだ冬の一番厳しい時期が続きます。地域の暮らしは地域の力で支えつつ春を待ちましょう。

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社会のメリットと個人のメリットは一致しない

2015-01-24 23:03:54 | Weblog

 このまま何も手を打たなければ、人口減少が我々の未来の事実になるということにようやく世間が気づき始めました。

 なんとかしなくては、という機運が出始めています。

 若い人たちには結婚して夫婦になって子供を生んでくれなくては人口は増えません。

 人口減少になると地域の密度が薄れてしまうので、コンパクトなまちづくりが必要になると言われています。いつまでも車が必要な郊外に住んでいるのではなく、歩ける範囲で暮らせるまちなかに住んでもらわなくては効率が悪いのです。

 出産奨励でもまちなか居住奨励でも、この両者に共通する今日の社会の問題は、個人のメリットの方向と社会のメリットの方向が必ずしも重なっていないと言うことです。だから求めるような社会像が実現しないのです。 

 高度成長時代には、人口が増えて足りない家を求める人たちは安い土地と家を求めました。そしてそれに応じて都市は郊外に住宅地を開発しましたが、結果として安い土地に付加価値が生まれより多くの税金が市町村財政を潤すという好循環が生まれました。

 郊外の一戸建て住宅地を欲しがった人たちは喜んで土地を買い求め、個人のメリットを追うことが次の投資を生み出し、社会にとってのメリットになりました。

 子育てでは、子孫を残したいという素直な望みと子供を育てることに喜びを見いだす人が多かったのですが、もう一つの側面は、子供がいないと高齢になったときの面倒見てくれる宛がありませんでした。

 男の子には家の跡継ぎを期待し、女の子には身の回りの世話をしてくれる優しい手を期待したことでしょう。

 苦労はあるけれど子供を育てることは社会のメリットでもありながら自分たちのメリットでもありました。

 個人の努力が報われる良い時代でした。

       ◆ 


 時代が成熟してくると、個人の努力ではどうしようもないことを社会全体で支えようという意識が高くなりました。

 子供たちの食事を安定させるための給食制度、親が身近にいない子育て世代のための保育制度、そして子供がいなくても老いた時に世話をしてもらえる介護保険制度などができました。

 道路が充実して、耐久財としての自動車を手に入れやすくなったことで、無理をして駐車場が高く狭いマンションばかりのまちなかよりも、郊外で庭付きの一戸建てが幸せの対象となりました。
 まちなかにみんなで密集しながら住むことは税金も高くて個人にとってはメリットではなくなりました。だからみなこぞって郊外の安い一戸建てを目指すしあわせを求めました。

 まちなかに住んでほしいと思っても、それは個人の求める幸せとはちょっとかけ離れているように思えます。


 子育ても同じで、子供を育てる苦労と費用が益々増して、子供のいない生活の方が気楽に見えてきます。

 子供を産まなければお金もかからず苦労もせず、それでいておいたときの世話は社会がしてくれるのですから、無理をしなくてもいいかな、と思えます。

 社会が子供を産んでほしいと思っても、それは個人の求めるものではないという声が増えてきました。


       ◆   


 子供を産んでほしい、まちなかに住んでほしい。社会としてはそう思っても、それが個人がそうありたいという方向と違うのではそれは社会全体としてのムーブメントにはなりません。

 こうあってほしい未来のためには、それが個人にとっても喜びや幸せや、あるときは経済的メリットがなくては動かないものです。

 では子育てを個人にとってもっとメリットが感じられるようにするにはどうしたらよいか。住民がまちなかに住みたいと思って、まちなかの住まいにこぞって応募するようなシステムはどう作ればよいのか。
 逆に言えば、子供を持たなかったり郊外に住むことがデメリットになるような制度設計ができて社会がそれを認めるでしょうか。

 しかし考えれば考えるほどそこが難しい。制度を発送する難しさと、それを政治的に納得させて実行するという政治力、この二つが揃うでしょうか。

 財政で言えば、お金の給付と税制でのコントロールが常套手段。それを社会がどこまで容認できるでしょうか。

 そしてそれは多分地方自治体行政の枠を超えて、国としての制度でなければ国民は動かないと思います。

 黙っていれば不幸な未来が訪れるけれど、それにどれだけの人が共感し協力をしてくれるでしょうか。それこそが実は"政治力"ということ。官僚は制度の案は作れるけれど、それを実行に移すのは政治家です。

 本当の政治力が必要な時代だということなのかもしれません。

  
       ◆ 

 
 日経のネットに、『着実な縮小計画を怖がるな』という対談記事がありました。もう議論している時間はあまりありませんね。

【着実な縮小計画を怖がるな】

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OB会の悲劇と言うか喜劇と言うか…

2015-01-23 22:53:34 | Weblog

 職場のOB会の新年交礼会が開かれて、声がかかったので出席してきました。

 退職公務員の皆さんによるOB会は最高齢が92歳で一番若い人で60歳。会員数は120名ほどですが、なんと半数が80歳代で、残りを70歳代と60歳代が半分ずつ。まあ皆さんお元気です。

 会費は年間2千円で、事業と言えば名簿を作ることと、亡くなった時のお葬式に会の名前が入った花輪と香典を送る慶弔事業がほとんど。

 我々が到着した時分にはもう総会は終わっていましたが、会長といろいろお話ができました。

「事業は例年と変わらないんですか?」
「ええ、でもちょっと規約の一部を変更しました」

「ほー、どういう変更ですか」
「実は当会は十年ほど前に当時の規約を変更して、会費を払わなくても良い『名誉会員』をつくろう、ということにしたんです。名誉会員の資格は80歳以上の会員と言うことで、当時は会員総数150名に対して80歳以上が10名いるかいないかでした」

「なるほど」
「ところがその後、皆さんお元気で当時70歳だった人はどんどん80歳以上になるし、その一方で新しい会員は増えなかったために、今では会員の半数近くが80歳以上の名誉会員になってしまって会の運営が難しくなってしまったんです…」

「ええ!それは大変ですね。このあとはどんどん慶弔費が出るでしょうし(笑)」
「はい、それで今度80歳を超える人から、名誉会員資格を85歳以上にすることにしました。当時はこれで良いと思ったんですけどねえ(笑)」
 
 歳をとるほど得をする制度って、高齢化社会ではどうもうまくいかなくなりつつあるようです。

 若者の負担を軽くするような制度で社会に活力を与えたいですね。

 まあもっともこの会では一番の若手が60歳ですが(笑)

 

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