北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

今年もお世話になりました

2008-12-31 17:19:43 | Weblog
 精魂込めた掃除も終わり、年越し蕎麦も打ち終えました。今日はこれから私の実家で年越しです。

 振り返れば今年はサブプライム問題に象徴されるように、持ち上げすぎた経済が急速に縮小し世界的な大恐慌になりました。

 民間主体の優劣を競う自由経済は、時として相手が降りるまでは自分も降りられないというチキンレースになりがちです。
 「『全ての経済はバブルに通じる』を読む 2008/11/06」
http://blog.goo.ne.jp/komamasa24goo/s/%A5%D0%A5%D6%A5%EB%A4%CB%C4%CC%A4%B8%A4%EB

 これをどう反省しながらも、目先の経済の立て直しができるかが国を挙げての大問題となりました。

 外需系の民間セクターががたがたの今、公的セクターと円高を活かした内需系の企業のがんばりが期待されます。

 わが日本はそう簡単に沈む国ではありませんが、みんなでこの逆境を乗り越えて参りましょう。

 この一年もお世話になりました。

 来年もまたよろしくお願いします。

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汚れという敵相手の戦争

2008-12-30 23:13:05 | Weblog
 普段はなかなかやらない、やれない場所の大掃除が続いています。

 私の掃除のイメージは、汚れを落とす作業は3割で、後の7割は片づけと整理整頓というもの。仕事をする上では「段取り八分」という言葉があって、準備をしっかりとすれば本来の作業の八割は終わったのと同じ事、とは良く教えられました。作業の上流部を押さえておけば下流部の仕事は圧倒的に効率的になるのです。

 戦争を遂行するにあたっては「戦略」、「戦術」、「戦闘」という三つのカテゴリーがあります。このなかでは戦略が最も上位の概念で、戦闘は一番下の概念。戦略を立てたら、それを果たすための戦術を編み出し、それを遂行するための戦闘があります。

 これらは上位概念の誤りを下位の概念では補えないとされていて、戦略の失敗は戦術では挽回できず、戦術の失敗は戦闘では挽回できないのです。

 戦争など争いごとで言えば、そもそも争いになる前に勝つということができれば良いのであって、孫子の兵法でも「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」と言って、百戦百勝するよりもそもそも戦わずに勝つことこそ最上だと言っているのです。

  *    *    *    *    *

 さて、掃除を戦略的に勝つためには次回以降に汚れにくいような環境を構築するのが一番。

 一番身近なところで汚れが目立つのはパソコン周りです。なかでもたくさんあるケーブルが床を這っていると付着する汚れが掃除しづらいもの。そこで今回は意を決して配線の改善に努めました。

 改めて数えてみるとコンセントから電源を取る機械がなんと12個。どうしたってたこ足配線になるわけです。

 ケーブルは床を這わさずに、机の横や板の下にフックをつけてぶらさげるように工夫をしました。一度こうしておけば、床の拭き掃除は簡単になるし見た目もすっきり。ケーブルがこんがらがることももうありません。

 約3時間もかかりましたが、手をつけてしまうと終わるまで徹底的にやらなければならないという点では、掃除も汚れという敵に対する戦争です。

 まずは局地戦で一勝ですが、敵の数はまだまだ多くて先が思いやられます。ひー。 
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効率性が問題

2008-12-29 09:33:48 | Weblog
 今日からいよいよ本格的な家の掃除の始まり。

 まずは交換する蛍光灯を買ってこようと電気屋さんへいったものの、渋滞にはまって3時間もかかってしまいました。雪の季節は当たり前と思いつつも、なんとも効率が悪い。

 日本もいよいよ人口が減る時代になり、それでもなお国力を維持しようと思うと、一人あたりの効率性と生産性を上げて行かなくてはならない、という議論がよくあります。

 その一方で、それだけ効率性を上げても人口減少には追いつかないので移民をしやすくさせて国内に住んでいる人間を維持しようという動きもあります。
  
 私は前者の生産性と効率アップは理解できますが、後者の移民政策には消極的な考えです。結局生産性を維持することを目的として海外からの人たちを招き入れると言うことは賃金格差を食い物にする面が強いように思うからです。

 主として言葉の問題から、異文化との相互交流もなければ地域にとけ込むこともないコロニーができあがってしまうケースも多いとか。

 1+1が2よりも多くなるようなコラボレーションができると良いのですが。

 そんなことを渋滞の車の中で考えながら雪道のノロノロ運転が続くのでした。これはスローライフとは言わないなあ・・。 
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年越し蕎麦はプロに

2008-12-28 23:45:51 | Weblog
 大掃除の合間を縫って、いつもゆく蕎麦屋の「一心」さんへ、うちの奥さんとお昼を食べに行きました。

 温かいかき揚げ蕎麦と冷たいかきあげ蒸籠を頼んで美味しい蕎麦を堪能しました。

 こちらでは美味しい蕎麦を食べるのともう一つ、蕎麦粉を売ってもらえないかとお願いに上がったのですが、「子供たちへの手打ち蕎麦教室があって蕎麦粉がぎりぎりなんですが・・・こままささんじゃ仕方がありませんね」と苦笑いをしながら蕎麦粉1kgを売っていただきました。

 ありがとぅー!これで年越し蕎麦が打てます。

  *    *    *    *    * 

「ところで最近の景気はどうですか?」と私。すると「はい、10月頃からお客さんが少し少なくなってきましたね」と景気の波をもろに感じているよう。

「年越し蕎麦の注文も受けているようですが、そちらはいかがですか」
「こちらも昨年の6割くらいと少なくなっていて、ぎりぎりまで読めませんね」

「年越し蕎麦も減っているとは・・・」
「注文に来てくださるお客さんは同じなんですが、食数を減らしてこられる方がいらっしゃいますね。4人のところを3人前にするとかですね」

  *    *    *    *    *

 外食のお店は景気の波を一番感じやすい職種です。一食に掛けるお金を節約しようと思うと外食をコンビニでのおにぎりに変えれば良いのですから。

「最近は趣味で蕎麦を打つお店が出てきて、そちらは安く売られるので店を構えている身としては困ります」と苦笑いのご主人。

 そうか、趣味で打つ分にはよいけれど、それが安い商売になってしまうと本職の技も影響を被るというわけですか。素人の手打ちも趣味の領域にとどめて満足しているのが無難なのかもしれません。

 こちらでは地域の子供たちを対象に、手打ち蕎麦教室も開いて地域にとけ込む努力を重ねています。「冬休みの課題にぴったりみたいで、親御さんがビデオやカメラを持って付き添ってこられますよ」とも。うーん、なるほど。

 年越し蕎麦はご近所のプロに注文をいたしましょう。 
 
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果報は寝て待て

2008-12-27 23:34:25 | Weblog
 昨日は北日本の日本海側は大荒れの天気。飛行機で帰省しようとしていた同僚は羽田空港で8時間もひたすら便を待っていたとのこと。さぞ大混乱だったことでしょう。

 そんな日の翌日の札幌帰省。飛行機の便の成り行きを心配しましたが、羽田を20分遅れで出発し、新千歳には30分遅れで無事到着しました。

 千歳空港の天候は風こそ強かったもののピーカンに近い晴天で一体どうなっているのやら。なんだか狐につままれたような感じです。

 空港からはJRに乗って札幌に向かったのですが、途中の南千歳駅に停車したところで車内放送があり、どうやらこの先の踏切でポイントの故障があったとのこと。「ただいま保線担当が現場に向かっております」ということで詳細は不明。乗客もこれくらいなら平静です。

 20分くらい経ったところで再び車内放送があり、今度は「現場の担当より、復旧には相当時間がかかりそうだ、という連絡がありました」ここでさすがに一部の乗客から「うーん」というどよめき。
「大変申し訳ございませんが、お急ぎの方は別の交通手段で移動されますようお願い申し上げます。なお、南千歳駅前には○○分に札幌駅行きの高速バスが止まります」

 この連絡で私の乗った車両の50~60人くらいいたお客さんのうち、数名を残して皆慌てて電車から降りて改札へと向かいました。

 私のほうは、どうせ慌てて帰っても仕方がないので本など読みながら電車に留まっていたのですが、放送からわずか数分後に「現場からただいま復旧が終わり、前の電車から順に走行を開始したとの連絡が入りました」

 まださきほど降りたお客さんたちはバスに乗ったか乗らないか、くらいの時間です。電車とバスでは電車の方がはるかに早いので、これは乗っていて正解。

 放送から5分後には電車が動き出し、札幌駅には1時間遅れで到着をしました。それがバスより速かったであろう事は言うまでもありません。

  *    *    *    *    *

 よく急いでいるときほど道路の渋滞にあったりしてイライラするものですが、こういうときには焦った方が負け。

 どうせ抜け道を走ったところで、結局目的に着くときは同じくらいになることの方が多いものです。

 慌てているとその分危険性も増すわけで、焦るときほど落ち着けというのはどうやら鉄則のようです。まさに「果報は寝て待て」でした。

 なんとか無事に大雪の札幌にたどり着きました。明日からは大掃除です。 
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エコノミック・アニマルは褒め言葉だった

2008-12-26 23:57:22 | Weblog


「『エコノミック・アニマルは』ほめ言葉だった」(多賀敏行著 新潮新書)を読みました。副題は「誤解と誤訳の近現代史」とあります。

 日本人は外国コンプレックスがあるのと自意識過剰、おまけにマスコミは悲観主義の傾向がある、といった組み合わせから、海外でのさまざまな発言や意見に対して、つい「馬鹿にされた」とか「批判された」と思いがちです。

 その代表例として著者は「エコノミック・アニマル」と「うさぎ小屋」を挙げています。

 まず「エコノミック・アニマル」です。この言葉は「あっと驚くタメゴロー」などとともに、1969年度の流行語に選ばれた言葉。現代の日本の辞書類で調べても、「経済的利益ばかりを追い求める動物。国際社会における日本人の行動を批判的に形容した語」(学研国語大辞典 1980年)だとか、「経済大国にのし上がった日本人への蔑称」(現代用語の基礎知識2004年版)などとされているよう。

 著者はこの言葉の原典を調べてゆくうちに、どうやら1965年6月28日付の日経新聞夕刊に掲載されていた当時のブット・パキスタン外相の発言であろうということにたどりつきました。

 しかし著者が周りの英語をネイティブにする多くの人たちに訊いても「エコノミック・アニマル」に侮蔑的な意味はない、というのだそう。逆にウィンストン・チャーチルが"politics animal"と呼ばれたことを引き合いにして、経済に関してはずば抜けた才能を持つ国だ、と意味だと解釈に至りました。

 なにしろ当時のブット外相はオックスフォード大学を卒業してその後同大学で教鞭をとったこともあるなど、完璧なイギリス英語を話す人だったからです。

 そのインタビューの時の雰囲気を知りたいと、著者はこの記事を書いた記者を探り当てて訪ねようとしたのですが、すでに鬼籍に入られていたとのこと。

 その侮蔑的ニュアンスを完膚無きまでに払拭するには至らなかったのですが、随分後々まで日本人自らが自虐的に使うようになっている現実はなかなか変わりません。

    ※    ※    ※    ※

 そしもう一つ、日本人の生活を否定的に表現しているのが「ウサギ小屋」という言葉です。

 これは日本人の住居の狭さを表す言葉としてすっかり定着した感がありますが、この言葉が登場したのは1979年のEC(欧州共同体)の報告書の中でした。

 ここに、「日本人はウサギ小屋のような住居に住んでいる」という趣旨のことが書かれていることが分かり、日本で報道されるにいたって物議を醸したという事件でした。

 朝日新聞はこの年の4月1日の紙面で「日本はウサギ小屋に住む働き気違いの国 EC秘密文書で決めつける」というタイトルの記事を掲載しています。

 では原文は一体どうなっているのでしょうか。著者はジャパン・タイムスに掲載されたテキストの中から「ウサギ小屋」が出てくる箇所とその前後を訳してみました。すると

「…1955年において、日本の輸出は米国の6%ほどであった。ところが、1976年には米国の三分の一まで上昇した。そしてこの急速な拡張はしゅとしてごく最近封建的過去から脱出してきた過密な且つ高い競争心を有する島国の人々の精力的な労働、規律、会社に対する忠誠心そして経営能力によって担われたものである。」

「日本は、西欧人から見るとウサギ小屋(rabbit hutches)とあまり変わらないような家に住む労働中毒者(workaholics)の国であり、そこでは、管理職幹部は、会社が自分の努力を必要としていると思うがゆえに自分の家庭をあきらめるし、ストライキを始めた労働者たちは、『日本のイメージ』を傷つけていると言われればストライキを注視するのである…(中略)…」

「…かかる国からの競争に直面することは、平等主義、社会的慈悲、環境保護主義、国家の干渉及び一生懸命働いて金を稼ぐことは反社会的だとの考えの広まりによってプロテスタントの労働の倫理が根本のところで大きく浸食されている欧州にとっては、容易ではない。」とありました。

 筆者は、この文章を一読して、欧州への現状への慨嘆こそあれ、日本への口を極めた侮蔑とは思えないように読み取りました。また、英語としてみたときに余り出来の良くない文章のように思えたことが気になった、とも。

 するとこの文章のオリジナルはフランス語であったことが分かりました。そのうえで「ウサギ小屋」の"rabbit hutches"が原文ではどうなっているかというと、"cage á lapins"といっているのですが、これをフランス語の辞書で調べてみると慣用句として「画一的なせまいアパルトマンの多くからなる建物」という意味があったのでした。

 つまり部屋の上に部屋を重ねて行くような都市型集合住宅のことを「ウサギ小屋」と呼んでいたのです。そしてそれは別段褒め言葉ではないにせよ、侮蔑の意味もなさそうです。

 後に日本人新聞記者はECの対外総事務局長の弁明も載せていますが、事務局長も一体何に日本人は怒っているのかが分からないままの弁明であったのかも知れません。

    ※    ※    ※    ※

 どうやらこうした誤解が生じるのは、日本人の中に常に欧米に対する劣等感があって、批判的な意見を言われることに対する恐怖感があるような気がします。
 同時に、意見に対してこちらからの意見を述べるという議論が出来ず、議論=ケンカという風にみなす風潮も影響しているのかも知れません。

 内外からの批判に対して議論を通じて双方の妥協点や意見のすりあわせを行うという基本的な討論の姿をまだまだ日本人は持ち得ていないようです。同時に、伝聞に対して丹念に原典に当たるという基本的な形も出来ていないよう。

 マスコミの言うことを鵜呑みにする時代からの脱却はいつできるのでしょうか。 


 さて、今日で今年の仕事納めも終わりました。明日の午前中の便で北海道へと帰ります。札幌は大雪だそうで、私の雪かきの割り当ては残されているそうです。
 やれやれ。

 飛行機飛ぶかなー
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ハウスはホームじゃない (A house is not a home)

2008-12-25 23:44:44 | Weblog
 私が大好きな、作曲家にして自分でも歌う往年のヒットメーカー、バート・バカラック。

 彼の代表的なヒット曲の一つに"A house is not a home"という曲があります。
直訳すると「ハウスはホームじゃない」となります。 http://www.lyricsmode.com/lyrics/b/burt_bacharach/a_house_is_not_a_home.html (←このサイトは歌も聴けます。すごいな!)

 A chair is still a chair
 Even when there's no one sitting there
 But a chair is not a house
 And a house is not a home
 When there's no one there to hold you tight,
 And no one there you can kiss good night.

 A room is still a room
 Even when there's nothing there but gloom;
 But a room is not a house,
 And a house is not a home
 When the two of us are far apart
 And one of us has a broken heart. (以下略)


 (歌詞抄訳)

 椅子は座る人がいなくても椅子だけど
 椅子だけでは家じゃない
 そして家も家庭じゃないではない
 あなたを抱きしめる人がいなかったり
 お休みのキスをする人がいなければ

 部屋はただ暗がりであっても部屋だけど
 部屋だけでは家じゃない
 そして家も家庭じゃない
 僕たち二人が離ればなれで
 片方の心が張り裂けていれば…以下略

    ※    ※    ※    ※

 "house"と"home"って似たような単語ですが、家(house)があってもそこに住む人の営みがなければ家庭(home)にはならないんだ、と歌うちょっと悲しい恋の歌。

 この曲は作・編曲のバート・バカラック自身も歌っていますが、ディオンヌ・ワーウィックを始め数多くのアーティストもカバー曲を歌っている往年の名曲です。

   *   *   *   *   *

 この曲を思い出したのは、時々回ってくる住宅政策専門誌に社団法人に本住宅協会が発行する「住宅」という機関誌を見たためです。

 11月18日発行のこの「住宅」の2008年第57巻に、「地域の社会資源を活用したホームレス支援とハウジング」と題する記事が載っていました。筆者はNPO法人ほっとポット代表理事の藤田孝典さんという方です。

 このNPOほっとポットは、ホームレスの人たちや生活困窮状態の人たちに対する支援を2004年から行ってきた団体。

 一般に大阪や東京などホームレス数の多い自治体では、緊急一時保護センターや自立支援センターなど、数十人から数百人規模で収容できる施設を設置して、社会福祉法人やNPO法人などに運営を委託する公設民営型の支援施設です。ホームレス居住支援の現状はこうした施設中心の支援で、民間の賃貸住宅や小規模グループホームの活用は進んでいません。

 しかしこのNPOほっとポットでは、さいたま市をベースに地域で空き家になっている一般民家を借り上げ、6畳~12畳の個室を一時的に提供する地域生活サポートホームという支援事業を行っています。

 普通の民家なので、台所やお風呂、キッチンなどは共同のシェアハウスで、2万円~4万7千円の利用料を設定しています。

 ホームレスの人たちは一般に生活力がなかったり多重債務を負ったりしているので、このサポートホームにいる間に対処支援を行い、おおむね1年をめどに民間の賃貸などへ移ってもらうことにしているのだそう。

    ※    ※    ※    ※

 地域の空き家を利用したホームレス支援のメリットには、人数は少ないものの逆に①軽微なコストで開設出来る、②余剰家屋が多量に存在する、③人間らしい生活空間を提供出来ること、などが挙げられます。

 しかしながら課題も確かにあって、一つには「なぜこの地域でホームレスの支援を行うのか」という地域住民との摩擦が生じること。地域の理解は欠かせません。

 また単に屋根の下に住んでもらうだけではダメで、在宅福祉サービスなどを初めとして保健、医療、労働支援などと連携しながら生活そのものを支援して行く取り組みが必要です。

 第三に、ホームレスの多くは「経済的貧困」と同時に「社会関係の貧困」を抱えているので、社会関係や人間関係などの関係性の回復も支援しなくてはいけないと言うことです。

    ※    ※    ※    ※

 北九州市でホームレス支援を行っている奥田知史氏は「私たちは『ハウス』を物理的概念として理解して『ハウスレス』を『物理的困窮状態』と理解しました。これに対して『ホーム』は『関係の概念』であり、帰属の場所、共同体を指す言葉であることから、『ホームレス』は『関係における困窮状態』を示す言葉と位置づけました」と言っています。

 奥田氏の定義によると、物理的な困窮状態を解消しても関係性の困窮状態を解消出来なければ、どこにいようともホームレスなのだ、ということになるのです。

 このNPOほっとポットの試みは2007年4月からの試みと言うことで、まだ歴史も浅く十分な知見を得ているとも言えませんが、従来の大規模入所施設による居住支援と就労支援という形態が本当に適切なのか、という問題に一席を投じていることは事実でしょう。

    ※    ※    ※    ※

 バート・バカラックの"A house is not a home"の歌詞の最後はこんな感じです。

 I'm not meant to live alone. turn this house into a home.
 When I climb the stair and turn the key,
 Oh, please be there still in love with me. 
  
 一人で生きていきたくはない、ハウスをホームに変えよう
 僕が階段を上がって鍵を回した時
 どうかそこに僕を愛したままでいてくれないか

 
 いよいよ年末が近づきました。良い年越しになりますように。 
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世界で最もマシな日本

2008-12-24 23:47:28 | Weblog
 今日はクリスマス。少しは元気の出る記事がないかな、と思っていたらブルームバーグという経済専門のサイトに日本が世界を倒すかも知れないという記事がありました。
 11月17日の記事なのでちょっと古いのですが、ご覧ください。訳が見つからなかったので自分で訳しました。文責は私です。

 内容は、欧米に比べると日本の金融は堅調、企業体質もリストラを進めてきたために健全、家計にはたんまりと預貯金がある。これに政府の景気刺激策があれば日本人はそれほど消費を落とさないのではないか、という楽観論が展開されています。

 そのうえで、そうした堅調な財務体質で世界のライバルたちを買収してシェア確保に乗り出せるのではないか、という趣旨です。1ヶ月後の今としてはもう少し状態は悪そうですが、大きな目で世界を俯瞰すると「まあ一番ましなんじゃないの?」ということでしょうか。


    ※    ※ 【以下拙訳】 ※    ※

『日本の「最も醜くない」経済は危機にあるアメリカと欧州を倒すかも知れない』       by Jason Clenfield 11月8日
 原文はこちら→http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601109&sid=aq0Je8ySdG3A&refer=home

 日本が最近宣言した不況は世界で二番目に大きな経済が最終的には欧米欧を上回ることを示すチャンスになるのかもしれません。

 西側諸国が大恐慌以来最悪の経済危機に直面するのに対して、来年の日本の経済はほんの少し縮むだけでしょう。

 ほぼ20年にわたる標準以下の低成長と、ビジネスと消費における負債に対する嫌悪感はほとんど余分なもののない経済をもたらしました。国の銀行は現金が有り余っていて貸し出すことが可能で、トヨタ自動車のような輸出企業は効率を高め、家計資産は経済の下降局面でも出費を抑えるべきというくらいたくさんの貯金を持っています。

 富士通研究所の主任エコノミスト、マーチン・シュルツ氏は「経済、企業と家計はリストラのプロセスを経てきたのです」と言います。「日本経済は他の国々と同じように再調整をする必要がありません、なぜならそれほどバブルになっていなかったからです」

 OECDは、国内総生産はアメリカが0.9%、欧州が0.5%も縮むのに対して日本では0.1%の縮小で棲むだろうと予想しています。それはイギリス工業連合によるイギリスのGDPは1.7%下がるだろうという予測とは雲泥の差なのです。

 昨日日本の内閣府は、GDPが9月30日までの第2四半期に、第1四半期に比べて0.1パーセント縮小したと述べました。これはユーロ圏15カ国の0.2%相当、アメリカにおいては0.1%に少しとどかないくらいの収縮に匹敵します。


【美人コンテストではなく】
 「もはや(どれが一番良いかなどという)美人コンテストではなくて、一番酷くないものを選んでいるのです」と、東京に拠点を置くヘッジファンド、TRJタンタロンの最高経営責任者ジェスパー・コル氏は言いました。
 「日本には周期的な不況はありますが、アメリカは構造的な不況なのかも知れません」

 日本の相対的な健康は過去の酷い時期から生じています。日本企業がニューヨーク・ロックフェラーセンターというすごいものを買うような20年前のブームが去った後、日経225株式指標は9年間で67パーセントもの価値を失い、地価は半分に下落し、不良債権は銀行を壊滅の縁まで追いやりました。

 日本は10年にも及ぶ不調に苦しめられ、2001年には " Can Japan Compete?(日本はまだ参加出来るのか?の意味)" (邦題「日本の競争戦略」) という本が出たほどでした。そこで国は企業に対して負債の処理と共に投資と雇用の抑制を促しました。

 今や余剰生産能力を計る主要中央銀行指数は9月に2を示し、これは2002年3月に33のうち12が年初来高値を示したのに対しています。

 東京証券取引所の企業リストのうち約4分の1は10年前に負債が6%あったのに対していまや負債のない企業となりました。敢えて名前を挙げるとすれば、ゲームメーカの任天堂や日本で最大の製薬会社である武田製薬などです。

【ローンの保証金】
 日本の銀行は、彼らのローンの三分の一以上の保証金を持っています。1990年代鋼板の銀行と証券会社倒産の後ではバランスシートの改善に忙しかったため、貸し手たちもウォール街を壊滅させた危険な投資には近づこうとしませんでした。
 
 日本の銀行のサブプライム関連の損失は合計でもせいぜい155億ドルで、バンク・オブ・アメリカ資本でノースカロライナに拠点を置くシャーロット銀行に単独で登録されているものの半分ほどにしか過ぎません … さらには、ブルームバーグによれば世界全体の2%ほどでしかないのです。

「銀行はグローバル化されませんでした。それは彼らにとってはまぐれ当たりのようなものですが、全ては相対的なものです」と言うのは「Can Japan Compete」の共著者でもある一橋大学商学部教授の竹内弘高教授です。
「日本の銀行はその結果有利になるかも知れません、まさに『ウサギとカメ』のようなお話です」

【海外を買う】
 国の貸し手が比較的強いことで、彼らはアメリカや欧州のライバルの中で権益を安く買う立場になりました。三菱UFJフィナンシャルグループはリーマンブラザーズ社の崩壊後価格が4分の1下がったモルガンスタンレーの21%を買いました。

 確かに銀行は10月以来日経平均の24%急落を受けました。株式投資に関する損失のために三菱UFJとみずほフィナンシャルグループ(国の最大手銀行二社)も資本補充のために株式を売却せざるを得なくなりました。

 ブルームバーグによると、今年のこれまでの価格急落と円の上昇によって、日本企業による外国企業乗っ取りの価値は、3倍以上となりました。武田製薬に至っては、マサチューセッツ州にあるケンブリッジ社を買い取るのに89億ドル(=8千億円相当)を現金で購入したのです。

 金融会社と製薬会社が買い込みに浮かれているのに対して、メーカーは世界的な減速という大変な時期と折り合いをつけながらライバルたちからマーケットシェアを奪いつつあります。

【自動車ローン】
 AAAの格付け債権を持つ唯一の自動車メーカーであるトヨタ自動車はその信用を利用してアメリカの自動車購入者に対して無利子のローンを提供しています。ゼネラルモーター社とフォード社、クライスラー社が資金調達コストの上昇に伴って縮小しつつあるのを横目に、このトヨタの戦略はアメリカにおけるシェアを2%押し上げて10月までに18%に達しました(オートデータ社調べ)。この間GMはシェアを五分の一下げました。

 しかし日本といえども世界的な不況から逃れることはできません。過去6年間に渡る成長のほとんどは輸出によってもたらされたものであり、欧米の減速はやはり被害をもたらしています。

 「日本もかなり直接的な問題を受けています。輸出偏重による不況を経験している真っ最中といえるでしょう」というのはマッコーリー証券チーフエコノミストのリチャード・ジェラム氏。「確かにそれは酷いのですが、特別に込み入った問題と言うことではありません。なにしろそれ以外の世界各国はその上に金融システム災害が差し迫っているのですからね」

 日本の消費者には他の国々よりも不況の度合いが浅いかも知れないもう一つの理由があります。預貯金のクッションとインフレが下がっていること、さらに政府による2兆円もの刺激策は日本国民の家計がアメリカ国民ほどにはそうそう消費を落とさないことを意味するでしょう。
 日本の消費が年間ベースで落ちたのは過去15年間でたった一度きりなのです。

 1997年以来賃金が10%以上も低下した後だというのに、OECDによれば日本の家計は昨年収入の3%を貯金出来たというのです。売り上げの低下で家伝小売業者のサーキット・ストアズが倒産をしたアメリカでは預貯金率は0.4%なのです。

 「日本には本当に預貯金があるのです」TRJ証券のコール氏は言います。「アメリカが本当に怖いのは、典型的な中下流階層にはそうしたゆとりが全くないことなのですよ」

    ※    ※ 【訳終わり】 ※    ※

 相対的に一番ましな感じが出ている…というよりは、世界はもっと酷いんだという視点の紹介でもあります。

 日本人は世界の人たちがみんな日本人と同じだと錯覚しがちですがどうやらそうではなさそうです。日本人の内側からの評論よりも世界から見た日本の評論の方がどうも信じられそうなのですが。

 それでは、メリークリスマス! 
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東京タワーの思い出

2008-12-23 23:43:15 | Weblog
 今日は75歳になられた天皇陛下のお誕生日。少し前に体調をお崩しになられたようですが、無事に今日もお姿を見せていただき良かったです。
 日本経済も、一刻も早く陛下の憂いから回復して欲しいものです。

 そんなこの日の出来事が、東京タワーの開業50周年記念日。営業開始を今上天皇のお誕生日に合わせたのは偶然なのか、それとも意図的なのか分かりませんが、お目出度が重なったようです。

    ※    ※    ※    ※

 東京タワーには20年くらい前に一度しか上ったことがありませんが、上から見た時に周囲が低い建物ばかりだったのに驚いた記憶があります。こんなに都会のど真ん中なのに、高い建物がないんだなあ、という思いです。

 それでいて、東京は人たちの住まいがどんどん遠くなっていて、満員電車に長時間揺られて通勤する人たちが実に多いもの。都会の土地利用とは何だろうか、と考えたものです。

 友人にそのことを話すと、「そうなんだよ。特に都内にはリタイアしてもう動くことがない人が多くて、子育て真っ最中の通勤世代は都内には住めなくて郊外の遠くから通うことになる。これってものすごく時間とお金の無駄に思えるんですよ」とやはり憤慨していました。

「そうは言っても、今いる人にどいてください、とは言えないでしょう」と私。
「そこに日本人の家に対する棲家感が強くあるように思うんですよ。つまり、自分の家というものを所有したいという思いが非常に強くて持ち家志向が強いんです。マンションだって、昔は仮の住まいだったのが手放したり住み替えたりということをしなくなって終の棲家になってしまいがち。住まいはいつの時も柔軟に考えて、資産としても流動化が進めば売ったり買ったり住み替えたりがもっと自由になるのに」

「それがいいのかね」
「もちろん持ち家を持ちたいという日本人的欲望はそれはそれとして、問題は土地や地域に執着が強すぎて、新しい道路や周辺開発を行おうとすると、ここを移るのがいやだというので反対運動になりやすいんです。そこで問題なのは、確かに土地や家は個人の資産ですが、都会の土地というのは私的財産の側面が強いのか、それとも多くの人にとっての共有財産として有効に使うべき公的財産の面が強いのか、という問題です」

「今はやっぱり私的財産の側面が強いですよね」
「そう、そのために土地を譲り受けようとすると土地の移転には地権者さんと建物の所有者と借家人の三者の同意を一軒一軒取り付けなくてはならず、これにものすごくて手間と時間がかかるんです」

「それは仕方ないのではないですか」
「土地の私有制が日本では強すぎるような気がしますね。土地は公有で使う権利だけが渡され、それは公共的な利用がなされるときには全体の利益が優先というところが多いですからね。日本の都市はもっともっと有効な土地利用がなされて良いように思いますけれどね」

    ※    ※    ※    ※

 こんな会話をしたのがもう20年くらい前のこと。その後、バブルが弾けて、不況になりまた実にバブルが続いたあとに現在の世界大不況が押し寄せているというわけ。

 土地の好不況は十年単位で繰り返すなあ、というのが実感でもあります。

 そして都市は少しずつ成長を繰り返して今に至っています。今東京タワーの上から眺めたら、少しは周りに高い建物ができたのでしょうか。

 (東京タワーのある)芝のあたりはあまり変わらないかも知れないなあ。 


■やっぱりかっこいい東京タワー
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【番外編】勝者と敗者の差は

2008-12-23 19:14:12 | Weblog
「Geekなページ」というサイトで、「勝者と敗者の違い」という記事がありました。人のちょっとした考え方や行いの違いが勝者と敗者を分けているのかも知れません。

 こちら → http://www.geekpage.jp/blog/?id=2007/8/29
 
    ※    ※ 【以下引用】 ※    ※

「The Big Difference between Winner and Loser」という記事がありました。面白かったです。


(1)勝者は間違ったときには「私が間違っていた」と言う。敗者は「私のせいではない」と言う。

(2)勝者は勝因は「運が良かった」と言う。例え運ではなかったとしても。敗者は敗因を「運が悪かった」と言う。でも、運が原因ではない。

(3)勝者は敗者よりも勤勉に働く。しかも時間は敗者より多い。敗者はいつでも忙しい。文句を言うのに忙しい。

(4)勝者は問題を真っ直ぐ通り抜ける。敗者は問題の周りをグルグル回る。

(5)勝者は償いによって謝意を示す。敗者は謝罪をするが同じ間違いを繰り返す。

(6)勝者は戦うべきところと妥協すべきところを心得ている。敗者は妥協すべきでないところで妥協し、戦う価値がない所で戦う。

(7)勝者は「自分はまだまだです」と言う。敗者は自分より劣るものを見下す。

(8)勝者は自分より勝るものに敬意を払い学び取ろうとする。敗者は自分より勝るものを不快に思い、アラ捜しをする。

(9)勝者は職務に誇りを持っている。敗者は「雇われているだけです」と言う。

(10)勝者は「もっと良い方法があるはずだ」と言う。敗者は「何故変える必要があるんだ?今までうまくいっていたじゃないか」と言う。


    ※    ※ 【引用おわり】 ※    ※

 いかがでしょう?勝者はなんとなく前向きで、敗者は後ろ向きのような気がしませんか。

 勝者のエッセンスを分析すると、謙虚さと矜持(きょうじ)ではないかと思います。日本人ならなんとなく分かりそうな気もします。

 何かの参考になれば幸いです。 
コメント (1)
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