北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

パラダイス鎖国

2007-09-30 22:01:39 | Weblog
 朝から雨で、一日を整理と読書に費やしました。週末はできるだけ現場に出たいのですが、たまには見てきたことを整理することに当てる時間も必要なのかも知れません。

 さて、今気になっている単語があります。それは「パラダイス鎖国」という単語。これはシリコンバレーで活躍中の海部美知さんという女性が開設している「Tech Mom from Silicon Valley」というブログで初めて述べた単語で、いまブロガーの間では話題になっています。
(初出はこちら → http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20050728/1122535870)

 海部さんが夏休みに日本に帰省するたびにぼんやりと感じていたことが「日本はどんどん住みやすくなっていくな…」ということだったのだそう。それが年々その思いを強くして、2005年の夏のときにはついに「日本はもう住みやすくなりすぎて、日本だけで閉じた生活でいいと思うようになってしまった」「つまり誰からも強制されない『パラダイス的新鎖国時代』になってしまったように」感じたのだそうです。

 その昔アメリカに行くと言うことは、必死に英語を勉強して、アメリカで働いたり生活できることで日本にいるよりも良い生活ができるという憧れがあったはずなのが、今ではアメリカで生活する苦労よりも日本の生活の方が質が上だと感じることが多くなった、というのです。

 デジタル製品の品質は日本の方が上、コストも同じくらい、治安は良いし、美味しいものがちまたにはあふれ、商品やサービスを売るのでも、無理をして外国へ売らなくても国内だけで採算がとれるようになった、と多くの企業が感じているのではないか?

 それならば無理をして難しい英語を身につけて、わざわざテロや戦争のある海外などへ行かなくても、幸せに生きることはできる。
 もはやかつての世界に日本製品を売り歩くモーレツ商社員の姿は遠い歴史になったかのようだと。

 「しかし本当にそれでよいのだろうか」と海部さんは問いかけます。このブログの中では「パラダイス鎖国」というキーワードがいくつもの記事に登場しますが、その中で彼女は「日本が世界からrelevancyを失って行くのではないか」ということをしきりに心配しています。

 ”relevancy”とは、「重大な社会問題との関連」などという意味ですが、つまり何か世界に事件や出来事があったときに、日本という国の姿やイメージが浮かばない時代になってしまうのではないか、という心配をしているのです。

 別な記事では「文化のガラパゴス諸島」などという表現も登場します。ガラパゴス諸島とは、天敵もいない、狭い世界だけで天国的独自の進化をしたためにここだけにしかいない生物に満ちた島を、鎖国の中で世界を見ずに独自進化をする世界を言い表したもの。

 ジャパンアニメや漫画文化、世界一わがままな消費者のニーズに応えるべく徹底的に機能が満載されたデジタル機器の進化などはその典型。

 その世界だけで過ごす分には確かに天国なのだろうけれど、それまでは島にいなかった犬などの天敵が一匹入ってくるだけで生物が全滅するかも知れないほどの危うさを一方で抱えているのではないか。
 日本が住みやすくなることは、それはそれですばらしいことだけれど、それが世界から孤立していくという生き方には不安を感じるというのです。

    ※    ※    ※    ※

 そう言われてみると、自分自身も「世界に飛び出して活躍する人は頑張ってくれればよいし、すごいと思うけれど、自分はそうなるつもりはないし、そういう人とも関係ない。自分は自分の小さな幸せを大事にしたい」と思うことが確かにあります。

 しかし「グローバルスタンダードの世界に飛び込め!」というスローガンやグローバルスタンダード教の信者にならずに、自分たちの持っている能力や文化を他に伝えることで、良い国(地域、町、人たち)だと思われるように頑張ろう、という気持ちを持つべきだし、それに向けて努力もしよう、という見方を海部さんはアメリカから伝えようとしてくれています。
 
 そしてそれが日本の外の視点であり、常識なのだ、ということも。

 「汝、狭き門より入れ。滅びに至る門は広くて大きい」そんな言葉を思い出しました。

    ※    ※    ※    ※

 彼女のブログの中で「パラダイス鎖国」というキーワードを検索してみてください。もっと多くの記事が出てきて国内外の見方の違いが分かりますよ

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青山の表参道ヒルズ

2007-09-29 23:22:38 | 東京探検
 朝からときどき霧雨が降る天気。気温も昨日から比べるとぐっと下がって、20℃の前半。気温の急激な変化で体調を崩さないように注意が必要です。


 今日は雨なので自転車をあきらめて、地下鉄の一日乗車券で都内を巡ってきました。営団地下鉄の一日乗り放題券は710円。元が取れますかどうか。

 まずは表参道駅で降りて表参道ヒルズという再開発ビルを見学。今まで名前だけは聞いていたものの、ちゃんと中を見ていなかったのです。

  

 再開発と聞いていたのに高さはわずか三階建てという低さ。しかも近くへ寄ってみると古くさいビルを一部利用しています。この古いビルをよくよく見ると「同潤会」と書かれています。
 なるほど、かつて関東大震災の後に集合住宅の走りとしてここ南青山に建てられた同潤会アパートのビルを一部に活かした作りになっているのですね。

  

 玄関なんかも昔を意識して残していますが、それぞれの部屋はブティックとして利用されています。レトロとファッションがマッチしてとてもオシャレです。うーむ。

 この建物と一体化されて横長の建物は近代建築による建て替え分ですが、今度は中へ入ってびっくり。中は地下三階になっているのです。
 表から見ると三階建てのビルが、中は地下三階に地上三階で6階建てのビルの容積をもっています。

 中は吹き抜けで、各階は緩やかなスロープで結ばれています。化粧品のイベントなのか紫の絨毯が目に映えて印象的な空間です。

  

 中は商業テナントがたくさん入っていて格好のデートコースになっているようです。家で調べると設計は安藤忠雄さんと森ビルの共同なのだそう。表参道は明治神宮ができた当時に植えられたケヤキ並木が立派に育っていて有名ですが、その雰囲気にマッチしていて、しかも新しい地域文化を提供しているというところが面白いですね。

  

  

 豊かな発想を、こうして形にして見られるというのは嬉しいですね。

 ちなみに、その後もいろいろ回って、乗り放題券の元は取れました。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池袋の横丁風景

2007-09-28 23:52:18 | 東京探検
 仕事で同僚と池袋へ行きました。仕事を終えてから池袋でちょいと一杯。

 駅前にはチェーン店が多いので、そういうところは避けて一件飲み屋を探して歩きます。

 「あった、あった!」駅の南側に昔ながらの密集の香りがする屋台街がありました。『美久仁小路』に『人世横丁』、大衆酒場の雰囲気満点です。

  

 その中の一軒に入って席に着くと、次から次からお客さんが入り始めました。さすがは金曜日の夜です。タイミング良く入れて良かった。

 ビールを頼んで料理を頼んで四方山話に花が咲きます。

「ユーミンが、昔不二家の宣伝で『まぶしい草野球』という歌を歌って、最後に『ソフトエクレア~♪』って歌う好きなCMがあったんですよ」
「ふんふん」

「でもユーミンはそれを忘れてたんですよ『なんだったっけ、忘れちゃった』って。俺好きだったんですよ~、そのCM…」はは、もう酔っぱらってます。

    ※    ※    ※    ※

 お酒の種類が一風変わってます。

 焼酎瓶詰 それって一体なんだろう?頼んだら緑の瓶に詰め直した焼酎が出てきました。

  

 「割り方はどうしますか?」とお店の女性。「僕はお湯」「すみませんそういうのないんです~」「お湯がないの~?」
 割るエキスも瓶詰めで売っているのです。「じゃウメ」「僕はホッピー」

 こうして池袋の夜は更けて行く。各駅ごとの横丁の風景も情緒がありますね。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝統と現代の融合~日本工業倶楽部会館

2007-09-27 23:29:24 | 東京ウォーク
 知人と夜に東京駅界隈を歩いていて、不思議な形の建物を見つけました。

 昔風の煉瓦造りの建物の上に覆い被さるように現代的な高層ビルが建っています。場所は東京駅の丸の内北口から皇居に向かって一町角歩いた右側の建物です。

 なんとも不思議な建物ですが、聞けば元の伝統的なほうは日本工業倶楽部会館で、大正9年の建築だそうです。

  

 しかしそれが老朽化し耐震性も劣るということから立て替えを決め、様々な検討を加えた結果、それでも何とか一定の規模で伝統的建造物を保存しようと言う試みがなされたのでしょう。

 この建物の上に高層で立っているのは三菱信託銀行本店ビルでビルの完成は平成15年。85年の時間差の組み合わせです。こちらはもっときれいな写真とともにホームページがありますからそれをご覧いただくのがよいかも知れません。

 http://www.citta-materia.org/?itemid=95

 今度完成する虎ノ門の文部科学省のビルもそうですが、伝統的建造物の一部を残しながらその敷地の中で高層~超高層化されたビルを組み合わせるという手法があちこちで見られるようになってきました。

 伝統の継承と都会での効率的な土地利用の両方を満足させる手法として、次第に日本ならではの新しい景観を生み出して行くのかも知れません。

 見慣れないと不思議な感覚かも知れませんけどね

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸五色不動尊

2007-09-26 22:47:25 | 東京探検
 今や東京は一大観光都市として日々発展しています。

 しかし物の本を読んでいると、明治大正の頃はまだ名所旧跡というものもあまり確立しておらなくて、いろいろな工夫があったことが伺えます。

 名所旧跡とはいうものの、人がとにかく集まれば「名所」と呼べるが、旧跡の方は古さをどう自慢するかが工夫のしどころ。大正の頃には『江戸以来』などと言って、旧跡を演出するも、三百年続いた江戸の一体どの当たりかということをまあ適当にさらりと流して旧跡らしくふるまったよう。
 そういう曖昧さも日本人らしくていいような。

「江戸時代は寺社をもって装飾とした。泉石花木がそこに集められ、市民四時の遊観は、必ず神詣で・仏参りであったのだ(三田村鳶魚・みたむらえんぎょ著 「江戸の旧跡・江戸の災害」)」

 三田村鳶魚(1870~1952)は江戸時代に関する多くの著作を残し、「江戸学の祖」と呼ばれる江戸文化・風俗の大変な研究家。この人が言うには「渺茫(びょうぼう)たる武蔵野の一角に開かれた江戸市だけに自分を装飾する者は、建築美よりほかにはなかった」とのこと。

 実はその江戸を飾った多くの寺社も何度も襲った火災によって多くが失われているというのは実に残念なお話。今我々が見ているのは本当の江戸に栄えた文化のほんの何パーセントにしか過ぎないのですから。

    ※    ※    ※    ※

 しかしそれでも寺社仏閣に注目しながら町を巡っているといろいろなものに出会えたりします。

 先日文京区の駒込界隈を自転車で走っていてみかけたのが「目赤不動」という看板。お寺名前は天台宗南国寺。
 『目赤』という表現はなかなか珍しいと思って中を拝見すると、確かに目赤不動尊のお堂がありました。

  

  

 掲げられていた看板によると、もともとはもう少し東の動坂というところにあった『赤目不動』が、三代将軍家光が今の土地を与えて「目赤不動尊とするように」との一言で目赤不動になったのだとか。

 目赤以外にも目黒、目白、目青、目黄という五色の不動尊があって、この五色は東西南北と中央を表すというのが陰陽五行説。

 家光が天下太平を祈願して江戸五色不動尊とした、ということになっていますが、「そう呼ぶようになったのは明治期以降だ」というような説もあるよう。
 火事で不動尊もあちらこちらに移っているので分かりづらくもなっているのでしょうか。

 この中では目黒不動尊が一番有名ですし、地名としては目白も残っていますね。目青不動と目黄不動も一応どこにあるか、ということはわかっているので、こういう曰く因縁をたどって町を巡るのも面白いですね。

 歴史的に著名な権力者が強権を発動することで、かえって名所旧跡ができあがるということはよくある話。顔の見えない民主主義の時代は歴史に名を残す偉大な事業を残すことが難しいかもしれません。

    ※    ※    ※    ※

 ○○長者などと呼ばれて時代の寵児になった人ならその財産を、くだらない見栄に使うのではなく、後世に残る社会の財産として残してくれればよいのにね。 
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社叢(しゃそう)学会

2007-09-25 23:13:34 | Weblog
 夕方に、緑化関係のある団体で勉強会の講師を頼まれていて出かけてきました。

 その勉強会の始まる前に、会の代表と四方山話をしていると話が神社の杜の話題になりました。

「そういえばこままささんは、神社がお好きだと聞きましたが」
「はい、週末は東京を自転車で神社仏閣、庭園などを中心に巡っていますが、神社は地域の歴史や文化を理解する上で良いところですね」

「なるほど、そういう理解があるのなら、実はシャソウ学会というのがあるのですが興味はおありですか?」
「シャソウ学会というと、神社の森の『社叢』ですか?」

「そのとおりです。都市の緑を語る上では神社や仏閣の森を覗くわけには行きません。ですからこの社叢を対象に、植物学や生態学、造園から建築、土木、環境など様々な分野からアプローチをして日本人の文化や環境に対する意識を醸成しようというものなんです。パンフレットを持参してきましたので是非ご一読ください」
「それは興味がありますねえ」

「組織の形はNPOですが、各界のそれなりの方々が共感してくださっていますよ」とのこと。

 なるほど、今日こちらへ講師をしに来た意味はこのことにありましたか。

 早速パンフレットをいただいて見ました。学者から文化人まで多士済々の方が名前を連ねています。うーむ、これは楽しそう。

 また新たな世界が広がりそうです。

  
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分のためのエコロジー

2007-09-24 23:51:27 | Weblog
 今日は一日家の中で根詰めた作業をしていました。朝から涼しくて秋の風が吹いています。北からの空気を感じましたよ。


 さて、今日は本を一冊ご紹介します。タイトルは『自分のためのエコロジー』で、著者は甲斐徹郎さんという方です。

  

 甲斐さんは、元々建材や住宅のマーケティングをお仕事にしていたのですが、『その延長に住みやすい環境はない』という確信から独立をして環境共生住宅のコンサルタントを始めたという方です。

 実はこの本は造園の世界の先輩から薦められたのです。その先輩からは「こままさ君、あなたはグリーンカーテンをどう思う?」と訊かれました。

 グリーンカーテンというのは、家のベランダなどにキュウリやゴーヤなどのツル植物を育てて、日陰を作りながら収穫をするというものです。

 私としては、どうもこれはすばらしい、とも思えず、「やらないよりはやった方がよいのでしょうが、それほど劇的な効果があるとも思えません」と答えました。すると先輩は「そうだろう、そうなんだ。造園を専門にしているなどという人に限って、そういうある種見下した感想を言うものなんだ」とおっしゃいます。

「そうじゃないんですか?」
「まあ、この本を読めば目からウロコが落ちると思うよ。緑とは何か、そもそも熱とは何か、ということがね」

 そんなわけで借りてきたのがこの「自分のためのエコロジー」という本なのです。

 一読して感心しました。甲斐さんは、我々が家の中で暑く感じるのは熱があるからだけれども、実は感じやすい熱と感じにくい熱があるのだといいます。

 空気のもっている熱は暑さとして気温で測れます。しかしこの熱は実は人間には伝わりにくいものです。空気は熱伝導率という熱を伝える力が弱いからです。

 これに対して水は熱伝導率が高いので、同じ温度でもより暑く感じます。空気の0℃は耐えられるけれど、水の0℃では耐えていられないでしょう。これが熱伝導率の性質です。

 そしてもう一つ、熱の伝わり方で重要なのは「輻射熱」というものです。これは物自体が暖まって、そこから直に発せられる赤外線を感じる温かさです。

 で、実は夜になっても都会が涼しくならないのは、実はこの輻射熱が原因なのです。日中の間暖められたビルやアスファルトの道路などが夜になっても熱を発するので夜も暑いのです。

 だから家だって同じ。いくら家の中でエアコンをかけても、家の外のベランダや外壁が暖まってしまえば、夜窓を開けてもその熱が入ってくるので涼しくならないのです。

 だ・か・ら、植物によるグリーンカーテンでベランダや外壁に日陰を作り、家自体が暖まらないようにすれば、輻射熱はぐんと減り、涼しくなるというのが、グリーンカーテンの最大の効果だと、著者の甲斐さんは言うのです。

 なるほど、今までは日中の植物からの蒸散作用でその日陰を涼し、くするとは知っていましたが、その日陰が夜の輻射熱を下げるということは初めて知りました。不勉強でした。

    ※    ※    ※    ※

 そのうえで甲斐さんは「一人一人が都市レベルの環境をどうこうしようというのは無理だ」と断言します。だから「自分だけが良い環境で過ごせるようなエゴイスティックに考えよう」と言います。

 ただしそのときには「周りに影響を与えるような考え方も同時に持とう」とも言います。つまり、自分の家の中だけ涼しければよいのではなく、自分の家の中と自分の家の周りの庭くらいは一緒に考えて涼しくなるように働きかけてみよう、というのです。

 それはお隣の家の樹木から冷気を借りるのでも良いですし、それを自分の家を仲立ちにして反対側の家につなげるような考え方をしてみよう、そうして一人一人が外に働きかけるようなことがつながっていけば、それは都市の一部から始まる環境の連携になるのだろう、ということなのです。

 キーワードは「自分のためのエゴだけど、外に働きかけてみよう」ということでしょうか。

 面白い!どこか西洋的ではない、東洋的な思想が込められているような気がします。やはり環境問題は、東洋思想が鍵になりそうです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恩人たちの墓参り

2007-09-23 23:17:58 | 東京探検
 時間が遅くなると雨が降るという天気予報なので早めに行動開始。今日も文京区の春日から出発する自転車旅です。

 今日は近場での北方面に焦点を当てて出発。本郷通りを北へ駒込方面へ向かうと、立派なお寺が見えました。ここが諏訪山吉祥寺。かつては駿河台にあったとのことですが、火事で焼けて今のところへ移ってきたのです。

  

 実はその際に、下のお寺の周辺に住んでいた人たちが移住してできたのが今の武蔵野の吉祥寺というわけ。だから今の吉祥寺には「吉祥寺」というお寺はないのです。

 お寺はやはり立派だったのですが、気になったのは、このお寺の前にあった駒込地区周辺の「文化と歴史の散歩道」を表す地図のほうです。なにげなくこれを見ていると、周辺のお寺に、最上徳内と近藤重蔵の墓があることが分かりました。

 最上徳内は蓮光寺、近藤重蔵は西善寺に墓があるというのです。この二人は当時ロシアが南下を始めた択捉島に渡って、「大日本恵登呂府」という標柱を立てた冒険家です。近世の蝦夷地の対ロシア外交と北方領土開拓に関しては、北海道の恩人とも呼べる人たちです。

 考えてみると今日は彼岸の中日ではありませんか。何の因果なのか…、しかしこれはお詣りして線香の一本も上げなくてはなりますまい。早速お寺を探してみることにしました。

    ※    ※    ※    ※

 最初の最上徳内のお墓のある蓮光寺も今日はお彼岸でお墓参りの人たちでごった返している状態。おずおずと参拝の受付にいた女性に「最上徳内の墓があると聞いたのですが…」と訊いてみると、早速近くまで案内してくれて、「アクリルのケースに囲まれていますから分かりますよ」とのこと。

 行ってみると、本物は小さくてアクリルのケースに覆われていました。早速、受付にて浄罪と引き換えに譲っていただいた線香の束を供え手を合わせました。

  

    ※    ※    ※    ※

 次は近藤重蔵の墓所である西善寺です。こちらは太い道路に面したところが再開発でビルになっている変わったお寺。ビルをくぐってそれほど広くはない墓所の中を探してみると、こちらはちゃんと東京と指定文化財の看板と屋根付きの囲いがついていてわかりやすくなっています。

 以前広尾で近藤重蔵が開拓した北海道最初の道路を探し回ったことを思い出しました。なにかと縁がありますねえ。こちらも線香を供えて合掌です。

  

  

    ※    ※    ※    ※

 その後は豊島区の染井霊園へと向かいます。ここは東京都指定の広域避難所になっているので、防災担当としては一度見ておきたかったのです。ここは明治時代に宗教に依らない共同墓地として開設されたもので、都営墓地の中では一番小さいのだそうです。この染井は園芸で栄えた地区で、ここで改良された桜がソメイヨシノというのは有名なお話です。

 さて、近くの本妙寺で明暦大火の供養塔があったのでこちらにも手を合わせてきました。なんといっても火事の多かった江戸時代でも最も大きかった火事が振り袖火事とも呼ばれた明暦の大火。

 このときに江戸城天守閣も燃えて以後再建はされませんでした。このときの死者は3万人から10万人ともいわれています。ですからこの供養塔に手を合わせると、この悲劇を二度と起こさせるわけにはいかないという防災の気持ちも新たになりました。

  

    ※    ※    ※    ※

 さて、染井霊園は古いだけあって著名な人たちのお墓もあるようです。もう帰ろうとして、出口近くの看板を見ていると…、なんとここに松浦武四郎お墓もあるというではありませんか。

 松浦武四郎といえば、伊勢国松坂生まれの探検家。彼は、それ以前の蝦夷地が海岸部しか測量されておらずほとんど様子が分からなかったものを、その内陸をアイヌ人たちとともに探検し、川の様子や多くの地名が書かれた地図を残しました。

 彼の幕府への報告書は、和人たちに虐げられていたアイヌ人たちへの暖かいまなざしと、悪徳商人たちへの憤りと正義感にあふれたものです。また蝦夷地を「北海道」と名付けたのも彼。
 現代の北海道がどれだけ彼の財産の上に成り立っているかと思うと、本当に偉大な北海道の大恩人なのです。その松浦武四郎のお墓ならなんとしてもお詣りをしなくてはなりますまい。

 区画を探してたどり着いてみましたが、看板が出ているわけでもなく静かなたたずまいです。

  

 墓石に掘られた彼の戒名は「教光院釈遍照北海居士」。お線香の香りに包まれながら、北海道に思いを馳せました。 
  
 それにしても、行く先を決めないままに町を巡ってみると不思議に寺や墓所巡りに行き当たり、北海道の恩人の墓を三人もお詣りすることができました。

 今日は彼岸の中日。三人の偉大なる冒険家に招かれた一日でした。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武蔵野の樹々に感動

2007-09-22 23:10:34 | 東京探検
 今日が暑さのピークでしょうか。それにしても暑い。今日の東京の最高気温は32℃でした、ふー。


 今住んでいる百合ヶ丘からちょいと北へ行けばもうそこは武蔵野。というわけで、今日は武蔵野を訪ねてみました。

 まずはJR南部線に乗って府中本町駅へ。ここでまずは大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)へお詣り。この神社は、武蔵国の総社(そうじゃ)だったのだそうです。

  

 「総社」というのは、いくつかある神社をまとめたお社のこと。律令時代以来、国司が新しい任地へ赴いた場合は国中の神社にお詣りをするのが仕事だったのですが、神社をいくつも集めてしまいそこへ参ることで巡回したことにするようになり、その神社を総社というのです。そんなことが許されていたのですからのどかなものです。

 そういうわけでここ大國魂神社は武蔵の国の総社というわけ。創祀は西暦111年といわれていますから、歴史も長く荘厳な雰囲気が伝わってきます。

 大國魂神社を出たところから始まるケヤキ並木がまたすばらしい。武蔵野の木はとにかく立派なのです。

  

    ※    ※    ※    ※

 そこからはバスで中央線の国分寺駅へ向かい、今度は吉祥寺へ。ここで井の頭公園へ向かいます。ここは神田川の源流部にあたっているのと、水質が良いことから「井(戸)の頭」といわれたのです。

 公園の中には大きな水面があって、貸しボートで賑わっています。水面まで張り出した桜が満開の頃はさぞきれいなことでしょう。

  

 さて、この公園の南側の一角には宮崎駿さんの三鷹の森ジブリ美術館があります。外から見ると、宮崎アニメに登場するデザインの建物で不思議な空間です。

 でも入場するのは入場予約が必要で、休日の前売り券は早々と売りきれるそうですから飛び込みで行っても入ることはできませんでした。チケットはロー●ンで手にはいるそうですよ。興味のある方は、予約を忘れずに。

  

    ※    ※    ※    ※

 最後は中央線沿いの阿佐ヶ谷駅前の中杉通りというケヤキ並木を見学。ここのケヤキ並木もまた樹高といい樹冠の広がりといい立派なのです。

 街路樹に一見の価値があるというのは品のあるまちづくりです。街路樹をこれだけにするのにかかった時間はどれくらいの価値になるでしょうか。

 それに、道路沿いのお店や住民の皆さんが一生懸命落ち葉などの維持管理をしているのですから、そうしたコミュニティの価値も大きいことでしょう。

 今日は武蔵野の樹木に感心した一日でした。


  
 

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

環境問題を明るく楽しく乗り越える

2007-09-21 23:59:41 | Weblog
 今日はまたちょいと違った勉強会に参加しました。東京にいるといろんな勉強会に誘われて、すごい人にたくさん会えるのが魅力。
 都会の魅力はこの情報量こそです。


 今日の先生は、東北大学大学院の石田秀輝先生。先生は伊奈製陶株式会社(現在のINAX)に入社され、その後同社の研究開発部門を歩まれつつ、セラミックスによる技術開発、製品開発に多大な成果を上げられた方です。
 石田先生のご専門は地質・鉱物学をベースとした材料科学ということになっていますが、先生のユニークな視点は、『自然のすごさを賢く活かす』ものづくりを提唱しています。

  

 「科学による技術開発の扉」は二通りに開かれていて、一つは「これまで地球になかったものをつくる」という扉で、もう一つは「自然の中にあるもののすごさを考えてものをつくる」という扉だ、と先生はおっしゃいます。

 しかし新しいものを作る科学は、それが良い面と同時にどのような悪影響を世間に与えるのかが長い間分からないという側面も有しています。フロンが発明されたときには画期的な冷房用の冷媒としてもてはやされたものですが、それがオゾン層に穴を開けるということがしばらく分からなかったのは記憶に新しいところです。

 そうして石田先生は後者の自然にヒントを得るのが科学の賢いアプローチだと信じていてそれを実践されているのです。

 先生の大発明は、「カタツムリはなぜ汚れていないのか」という問題意識から誕生した汚れを雨で流してしまうタイル。カタツムリが汚れないのは殻とよごれの間の微少なエネルギーの差で、殻と汚れの間に水が入ることで汚れが流れるという原理が分かったのだとか。
 今ではこの技術を使ったタイルがINAXから「エコタイル」として商品化されていて、「汐留の高層ビル群はこれを使っていますから近くを通ったときはご覧になってください」とのことでした。

  

     ※    ※    ※    ※

 さて、そんな先生は環境問題にも警鐘を鳴らしていて、2030年までに環境問題は「二重の制約に苦しむことになる」とおっしゃいます。

 二重の制約の一つは、「資源やエネルギーなどの投入量が多すぎて、地球がきれいにしたり元に戻せる能力を超えてしまっているのに、それでも投入がやめられない」という問題で、もう一つは「そもそもその投入できる資源やエネルギーがもうすぐ枯渇してしまう時期に近づいている」という制約です。

 しかしだからこそ、その問題と正面から向き合って、楽しく乗り越えて行こう、というのが石田先生の立場です。先生の語り口を聞いていると、暗い話も聞いていて元気が出てきます。

    ※    ※    ※    ※

 先生がクイズを一つ出しました。「今日の皆さんの中で、お金持ちになったらディズニーランドを借り切ってたった自分だけで楽しみたいと思う人はどれくらいいますか?」
 
 結果は、約30人いた中で一人の手も上がりませんでした。
 
「ね、そんなことまでしたくない、というこれが日本人のメンタリティなのです。これはつまり自分が勝者で他は敗者という区分けをしたくないという農耕民族ならではの考え方なのではないかと思うんです」

 先生によると、西洋では逆にほとんどの聴衆の手が上がるそうです。
「みんな勝者になりたいんですね」

「私はこの日本人的メンタリティを一言で言い表すと『粋』なのではないかと思うんです。スローもロハスも『もったいない』も、みんな粋なんですよ」

「でも日本人は外からいわれないと自分たちの良さが分からない民族でもありますから、心を尽くして省資源でつましく生きる日本人の国民性を世界に対してアピールしたいものです。環境問題をリードできるのは日本人しかいない、と私はそう思っています」

 明るく楽しく環境問題を乗り越える。私たちには謙虚でつましく、そして逃げない態度が必要なようです。
 
  
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする