北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

出番を待つ杉玉~福司酒造を見学

2010-11-30 23:44:12 | Weblog
 地元の造り酒屋「福司(ふくつかさ)酒造」さんを訪ねて、今まさに行われている新酒の仕込みを見学してきました。

 福司酒造さんは大正8年に敷島商会を設立し酒類などの卸売をはじめ、大正11年に現在の土地に酒造蔵を新築、同12年に税務署から酒造免許をいただき、銘柄「福司」の醸造を開始し今日に至っています。

 この間、太平洋戦争中の原料不足にもまけず一度も休造することがなかったと言いますからご立派なものです。

 こちらでは原料米に酒造りにはこれ以上ないという酒専用米の山田錦を使うほか、最近では道産酒造米「吟風」などもつかっており、吟醸・純米・本醸造などの品目で年間約270キロリットルを生産しています。

 生産量の8割は道東で消費されますが最近は札幌や東京などへも出荷され始めているそうで、見かけたらぜひお試ししていただきたいもの。


 初めに蒸した酒米に種麹をつけて麹を作っているところを見せていただきました。気温7℃のひんやりとした一角に静かに置かれている麹はまるで赤ちゃんが寝ているかのようで神聖な感じがします。


                 【寝ているかのような麹】

 創業当時に建てられたという木造の酒蔵には大きな金属製の樽がいくつも置かれていて、このなかで麹がお米のでんぷんをブドウ糖に変え、できた糖を同じ樽の中で酵母がアルコールに変える「並行複発酵」が行われています。


                 【この中にお酒が仕込まれています】


 糖をアルコールに変えるのは割と簡単。しかし、でんぷんから糖を作りそれを同時に絶妙のタイミングでアルコールに変える並行複発酵でなければ、20度近い高いアルコール度数は実現できないのだそう。

 それは度数を高くしようとすると糖分を多くしなければならず、糖圧と言って糖分が多くなると微生物は活動ができなくなるからです。作り出す糖を次々にアルコールに変えることで、どんどんアルコール度数が高くなるというのは日本酒を生み出した祖先の知恵なのです。

 仕込みを終えた樽のなかでは発酵による炭酸ガスがぶくぶくと出ていて、静かにしているとたくさんの樽からサワサワ…という音が聞こえてきます。「これが酒蔵の音ですよ」とは案内をしてくださった梁瀬社長さんの言葉。

 酒の神様がささやいているようです。

 
 そろそろ新酒ができた印である杉玉(すぎだま)の用意もされていて、これは新酒ができた時に、酒造りの神様である奈良県の三輪明神大神神社へお酒を寄贈すると、神社から送られてくるということで、それを使われているのだそうです。

 そろそろ年末が近づいて、今年の新酒の恵みがいただけそう。

 お正月は日本酒でお祝いと健康祈願をしたいものですね。 


                 【出番を待つ杉玉】


【福司酒造】
 http://www.fukutsukasa.jp/contents.html

【日本酒ほろ酔い健康法】
 http://www.japansake.or.jp/sake/horoyoi/index.html
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自分だって案外他人を支えている

2010-11-29 23:08:00 | Weblog
 高速道路建設の現場を見てきました。

 北海道横断道は現在その東端が本別ICまできていますが、計画では釧路までが認められていて、今は本別IC~白糠IC~阿寒IC間の工事を実施中。

 工事現場の最前線の話はいずれまた書くことにして、その現場までの道すがら沿道を見ながら思うことも多かったのです。

 途中の国道沿いには今はもう営業をしていないガソリンステーションやコンビニなどが結構たくさんあって、ロードサイドでの商売の栄枯盛衰を伺わせます。


                 【写真は本文と関係ありません】


 高速道路ができると、長距離移動の何割かはこの国道から高速道路に乗り換えてゆくことでしょう。

 もちろん高速道路に乗ることで長距離の国道を走らずに時間短縮ができるならそれが効率化されたということになります。まして高速道路が無料あるいは無料に近い安い定額となると、支出が少なくて済むので効率化は万々歳です。

 でも今現在道路を使っている人たちのうちでも結構な数が道路沿いにあるお店を何らかの形で利用しているわけで、その経済効果は景気が悪いとは言いながら相当大きなものがあるはず。道路利用者の流れが変わると地域の経済のありようも大きく変化するのです。

 社会の進歩と効率化って恩恵を受ける人と困る人が違うから悩ましいところ。そして社会の変化で困る人のことを指してしばしば「既存の非効率なシステムにぶら下がっている」などと言って見下す人たちも多いのはどうにかならないものかな。


    ※     ※     ※     ※     ※

 
 日本人は悲観論者が多いのか、「人生我以外皆師」などと言って自分を卑下して謙遜する思想を好む人が多いように思います。

 しかしそれって、自分自身が他人によって支えられているという感謝の念を植え付けるのには成功しているけれど、『自分だって結構他人を支えているんだ』という自分自身の存在意義や自己肯定感を育てることになっていないようにも思います。

 自分を支えてくれる人への感謝と同じくらい、傲慢にならない程度に『自分を頼りにしている人』や『自分がぶら下げている人』、『自分がいなければ困る人』のことを考えてみるのもよさそう。

 自分が今ここにいるという、そのことだけですごいんだと思うように心がければ、多少叱られたりしてしょげるようなことがあっても立ち直りが早くなるかもしれません。

 まああくまでも傲慢で不遜にならない程度が重要なんですが。  
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炭礦(ヤマ)の話を聞く会

2010-11-28 23:44:15 | Weblog
 釧路市立博物館で開催された「ヤマの話を聞く会」に参加してきました。

 これは「炭鉱(ヤマ)のくらし・マチの記憶~『炭鉱文化』集積継承・交流促進事業」の一環で、文化庁の「平成22年度美術館・歴史博物館活動基盤整備支援事業」に採択されたもの。

 「ヤマの話を聞く会」の趣旨は、釧路市立博物館のホームページに、「太平洋炭砿から釧路コールマインへ引き継がれた日本唯一の坑内掘り炭鉱には、世界屈指の先進的機械化・保安技術があり、その確立までには多くの炭鉱マンたちの努力がありました。
 また、雄別炭砿や尺別炭砿など、閉山していったヤマにも優れた技術と炭鉱マン、そして人々のくらしがありました。
 釧路市立博物館では今年度より文化庁支援も得て、炭鉱マンの奮闘、ヤマのくらし、そして釧路の「技術資産」としていま一度見直すことも目的に、経験された方々にお話を伺う『ヤマの話を聞く会』を開始しました」とあります。

 消えゆく炭鉱の記憶を、先人たちの話を聞き留めて記録に残すことで生き生きとした形にしておきたいというもので、釧路の歴史を博物材料とした地域素材に根差した立派な博物館事業だと思います。


                 【ヤマの話を聞く会】



 今日は昭和40(1965)年に雄別炭鉱に入社した三輪紀元さんと松下泰夫さんというお二人に当時の思い出話を伺いながら、雄別炭鉱とは何だったのかを浮き彫りにしようという企画です。

 雄別炭鉱はお二人が入社した五年後の昭和45(1970)年の2月末に突然閉山をしてしまいました。そのためお二人にとっては二十代前半のわずか5年間だけの思い出でしかないのですが、今でも生き生きと当時の記憶がよみがえるようです。


【三輪さんの思い出】
 三輪さんは慶応大学をご卒業後、「なにか一番の技術を持っている企業は強い」という確信から縁のない雄別炭鉱に就職されました。多くの年上の工夫たちに交じった本社経営部の若者は早くからエリートとしての職場経験をさせられます。

 事務職で本当は企業の多角化の仕事をしたかった若い三輪さんでしたが、「まずは企業の商品を知るように」ということで二ヶ月は坑内で採掘の経験をしたそう。

 炭鉱での採掘は8時間勤務の三交代で行われたのですが、三輪さんは一番方と言って朝7時に入坑して午後3時に上がるチームでした。


「3時に仕事が終わってからその後が長かった。4時からの宴会も多かったが、3時45分の電車に乗ると釧路へ夕方に出て来られたもので、北大通りの人込みをよく味わったし、給料の2~3割は山下書店で本を買って売り上げに貢献した。夜12時半に寝るまではかなり勉強もできて、雄別の前半は自分の人生で最も勉強をした時期なのではないかと思います」

「また釧路にはキャバレーもあって、給料の相当をキャバレーやバーに投資した。後に山下書店やキャバレーが潰れたのは私が行かなくなったからではないか、と思っている(笑)」


    ※     ※     ※     ※     ※


【松下さんの思い出】
 また松下さんの思い出は、ガス抜きの現場へはいったときのこと。初めてそんなところへ行ったのだが、炭鉱は工員だけで行くことはなく、かならず係員がついて行く。

 「係員の松下がいるから行け」ということだったが、40人くらいいる行員に対して係員は4名で、私は中でも最年少の21歳。工員は私がガス抜き現場のことは知らないということを知っていたが、そのときは工員の協力で盛り立ててもらってなんとか勤め上げた。

 また次には発破屋としての仕事をしたこと。発破の仕事をしていて恐ろしかったのは、ドラムカッターで石炭を掘るのだが、カッターで切った上部の石炭が落ちるはずなのが落ちそうで落ちないときに発破を仕掛けて爆破で落とすこと。今思えば、そのときにガラッと来たら死ぬという危険と隣り合わせの仕事だった。


    ※     ※     ※     ※     ※

【閉山というショック】
 勤めて五年後の閉山話は昭和45年の正月明けに突然降ってわいたようにでてきたのそう。

 実はこの前年44年の四月に系列の茂尻炭鉱でガス爆発事故が起き、その再建を図っていたのだがうまくいかず7月に閉山になっていました。この資金繰りに苦労していたことに加えてこの時期の通産省は、第四次石炭政策として閉山するなら有利な交付金を出すという政策を打ち出したために会社としては経営継続よりも閉山の道を選択したのでした。

 三輪さんはその閉山処理業務に従事する中で再就職にあたふたする情けない上司やその一方で責任感にあふれる幹部の姿をつぶさに見たのだそう。その後の処世訓としても「責任感あるものを信用する」ということをよく学んだのだそう。

 一方松下さんの方は閉山できっぱりと酒を止め、測量会社に再就職した後も今日まで一滴もお酒を飲んでいないのだそう。それだけショックであったわけでもあります。


【これからの夢計画】

                 【今掘らなくても将来への宝の地図に】


 そんな二人が学芸員の石川さんを介して再び出会ったときに出たのが、「雄別炭鉱をもう一度掘りなおすとしたらどんな計画になるだろうか」というテーマ。

 三輪さんの発想を測量会社にいた松下さんが具体的な計画として図面を起こし、いつかこれが実現しないものかと密かに温めているそう。

 もちろん初期投資はかかるでしょうけれど、大いなるエネルギー危機が発生したとしたら、まだ6千万トン以上の埋蔵量が期待され、現実に掘っても3千万トンは期待できるであろう雄別炭鉱の技術的可能性をもっておくことは将来への宝の地図になるのかもしれません。

 
 釧路市立博物館では12月に全国炭田交流企画展が開催されます。

 地域の歴史の風景を大事にしたいものです。 http://bit.ly/idfAkS


                 【夢の計画、あくまでも夢ですが】
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冬月荘デビュー

2010-11-27 22:54:31 | Weblog
 今日はコミュニティハウス冬月荘で時間を過ごしてきました。

 冬月荘とは、もともとある優良企業の福利厚生施設だったのですが、売却されようとしたときにNPO法人地域生活支援ネットワークサロンが購入して地域の集いの場として運営をしているものです。

 この冬月荘では月の第2、第4土曜日に、中学3年生を中心とした学習支援「Zっと!Scrum(通称:スクラム)」を実施しています。この事業は中学生が集いながら塾の代わりにチューターと呼ぶ周りの人たちが受験勉強やイベントを通してさまざまな体験をしていこうというもの。

 現在、チューターとしては地域の大人(中年男性、大学教員、飲食店オーナーなど)や学生(大学院生、大学生、高校生など)がチューターとして活躍しています。

 私も新しいチューターとして自己紹介。「ギバちゃんに似ていると言われるんだけど…」と言うと結構受けてました(笑)

    ※     ※     ※     ※     ※


                 【子供たちのたまり場として】


 このスクラムという事業、もともとは塾へ通えない子供たちのたまり場として始まったものでしたが、子供たちが集まってくることで様々な問題が明らかになったり解決に結びついたりして、困りごとと解決が日々発生する素敵な現場になっています。

 この事業ももう4期目となりました。最初に始まった1期目を卒業して高校へ通っているOBの中にも、ここへ遊びに来て後輩に勉強を教えたり、仲間たちと語り合ったりしている子たちもいます。

 担当のTさんによると、スクラムは中学3年生を対象に募集しているので中学生は常に新しい子たちが来て、そのふるまい方は年によって変化が大きいのだそう。

 最初の時は乱暴な子がいたりしてほとんど勉強などはしなかったとか。ところが今年はみな勉強が大好きで、チューターと一対一で一緒に勉強をする子が多いのだとか。でも見ている限り、お昼の後には席を立っておしゃべりに興じる子たちもいて、まだまだ遊びたい盛りだという感じです。

「今はまだ火がついていませんからね。年が明けて受験が間近に感じられればもっと真剣みが増しますよ」とはあるチューターの弁。
「年明けには回数が増えるんですか?」

「今でも火曜と金曜の16時~18時にここで勉強の場をもって、さらに月2回の土曜日にやっているのがスクラムです。年明けの冬休み期間中は1月5日から10日間くらい毎日ぶっ続けでやりますよ」

    ※     ※     ※     ※     ※

 事業の担当者によると、昔は全然人と会話するのが嫌いだった女の子がすっかり変わって笑顔のカワイイ娘になっていたりもします。

「何か問題があったら語り合おうよ、と決めています。問題があってそれを指摘することも、言う側は批判的だったり怒りの感情が入ったりしがちでつい『言わずに我慢しておこう』という風になりがちなんです。なんでだろう、と思います。ただ意見を伝え合うことにも臆病になったり、意見を言われると怒られたと思って沈んでしまったりするんです。対話には価値観も感情も加える必要などなくて、ただ伝えさえすればいいのに、そういう対話が下手な子たちが語り合ううちにだんだんに慣れてくるんです」とはTさんの言葉。現場の生々しさが伝わります。

「子供たちの中には、学校では全然しゃべらない子がここでなら話せるという子もいます。クラスの中では馬の合う友達もいないような子が、『年上の大人の人たちと話すことに慣れてきた』と言うんです」とも。

 学校って同じ歳の友達しかいないけれど、ここにはおやじから先輩からお姉さんまで多様な人たちが平気で会話をして笑いあっています。そういう雰囲気が良いのです。

 またTさんは「ここは、貸館で時間を決めて勉強だけするというのではなく、厨房があって調理師さんが昼飯を作って出せるのがいいんです。食器洗いは子供たちに順番に手伝ってもらいますし、なにしろ暖かいお昼をみんなで食べると幸せになりますから」


                 【暖かい昼ごはんは幸せの源】


    ※     ※     ※     ※     ※

 最近はここでの活動を聞きつけて、たくさんの取材の申し込みがあるんだそう。しかしそれらの中には「かわいそう」とか「暗い」、「ボランティアの成果」など、先に語るべき内容を決めつけてくる人が実に多いのだそう。

「こちらも忙しいこともあって、おかしな形で報道されるとその後の反響も変な形になるので勘弁してほしいと思って、先にどういう取材方針かを十分に意見交換するようになりました」
「変な反響って?」

「『ボランティアで頑張っているんですね』といって、おそらく同情されているのでしょうけれど、訳のわからないアクセサリーを現物で送ってきて処分に困るなんてこともあります」
「ははあ、なるほど」

「マスコミさんの報道は、かわいそうな子供たちをボランティアが助けているという図式でしか捉えられていないんです。ここで何が起こっているのかという現場から真実を求める気持ちがないところが多いですね。だから内容も決まりきったものにしかなりません」
「現実はそうではないと」

「日々こちらも気づくことがたくさんあります。子供たちが年々成長している姿や、指導しているつもりの大人の側にもいろいろな事情の人たちがいて、それらが【みんなで語り合う】という行為を通じて、大人の側だって変化して成長しているんです。その結果、小さな困りごとが解決してそこにいる人間は成長している。それってものすごく小さな変化でしかなくてテレビ映えしないのでしょうけれど、私たちにはその小さな変化の積み重ねがここの場の意味だと思うのですけれど」 

 この日は札幌からST●がやってきてテレビ取材をしていました。放送は12月14日前後の「どさん●ワイド」だそうです。そこでどのような切り口が語られるかに注目したいところです。
 (もしかしたら私の後ろ姿も映るかも(笑))


                 【どんな切り口の放送になるでしょうか】

 

 一応新しいチューターとして認知されたので、また行けるときに参加して、全てを受け入れようという『包摂(ほうせつ)』の実践をつぶさに見てみたいと思います。

 真実は現場にしかないのです。



                 【この靴の多さを見よ(笑)】
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北の商人塾~個点をもっと流行らせよう

2010-11-26 23:55:05 | Weblog
 まちなかで志の高い商売を目指している商店主の皆さんが参加しているのが「北の商人(あきんど)塾」という勉強会。

 今夜は『商売醍醐味満喫と価値負けしない店人づくり』を掲げるT先生をお迎えして、6つの会社の店主の皆さんが集まって意見交換会という名のお酒入り懇親会をされるとのことでした。

 町なか活性化は一応私の守備範囲ということでもあるのですが、とにかく最前線で頑張っている商店主の皆さんのことを知りたいという思いで、この会合に(無理やり)乱入させてもらいました。

 参加されていたのは、陶器屋さん、紙と文房具店、写真屋さん、ブティック、模型屋さん、そして水産物の塩乾物やさん。

 物があふれ競合するお店が多い社会の中で、どのようにして自分の店を選んでもらい、なおかつ納得したうえで買ってもらえるのか。商店主の悩みは深まるばかりですが、自らの信じるスタイルを貫きつつ買ってもらわなくてはなりません。

 ただ今日の商品とは、物を売るだけではなく物を買ってくれることによる幸せを売るところまで考えなくてはなりません。

 その幸せとは何でしょう?

    ※     ※     ※     ※     ※

 私が子供の時は戦車の模型が欲しくて仕方がありませんでした。しかしあまり小遣いもなかったのでやっとのことで一台を買えただけ。(欲しいなー)という思いだけが募ったものです。

「今は模型を買う子供が少なくなっているのではありませんか?」と訊いてみると、「そうですね。昔は一クラスに3人くらいは模型ファンがいたのですが、今はそういう子が少なくなりました」とのこと。

「売れ筋はやはり戦車とか戦艦とかなのでしょうか」
「いえいえ、今はガンダムのプラモが根強い人気です。それにアクセサリーを作りたいという女性も増えています」

「まずはファンを増やすことでしょうが、どういうきっかけを与えられるでしょうか」
「こども遊学館などでプラモデルを作るイベントなどをやって、そこでとにかく触ってみてもらうことですね」

「山好きの女の子を山ガールなんていますけれど、女性のプラモファンだったら、プラガールでしょうかね(笑)」
「プラガールですか、いいですね(笑)」

    ※     ※     ※     ※     ※

 参加していた陶器屋さんは、Y写真屋さんの良いお客さんなんだそう。

「ここのYさんは写真を撮るのに2時間くらい話しをするんですよ」とのこと。
「へえ、なぜですか?」

 するとYさんは「写真を撮られるというのはそれなりにテンションの波もありますしね。その波をとらえなくてはいけないのですが、まずは待合室にいるときから、どういう話にどう乗ってくるのかという雰囲気を見せていただいています」
「まず、そこからですか!」

「はい、そのうえでどういう言葉を投げかけたらどういう表情をするか、という予想がだんだんできるようになってきて、そこでシャッターを切ります。『写真を撮る』と言いますが、撮っているのはその人の持つ空気感全体だと思って撮っています」

 その思いをお客さんに伝えたいものですねえ。

    ※     ※     ※     ※     ※

 文房具屋さんとも愉快なお話ができました。

 紙を使うには印刷に使ってくれるのが一番良いと思うのですが、昔の話でプリントごっこが出た時は衝撃的だった、という話になりました。

 なかでも陶器屋さんが、「そうですよね!私のところは今でもプリントごっこで年賀はがきを作っているんですよ。あの味わいがいいんですでもインクがなかなか見つからなくて…」と、ここにもプリントごっこのファン。

 すると文房具屋さんが、「なんですか、うちへ来てください。プリントごっこの本体は生産中止になりましたが、消耗品だったら置いてありますよ。はばかりながら当店はかつてプリントごっこの道東総代理店だった時があるくらいで(笑)」
「あらー、それを知らなかったのでずいぶん探して歩いていましたよ、なあんだこんな近くにお店があったとは(笑)」

 
 こんな小さな話でも、皆が一緒になって笑いあう中から情報やアイディアが出てくるものです。

 ファンがつくような個店の頑張りをこれからも応援したくなりますね。

  
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海外からの飛行機を受け入れたい~高速移動体系を考える

2010-11-25 22:11:34 | Weblog
 先日、ある外国の航空会社の関係者が市役所を訪ねてきました。

 用件は、今後自国からのチャーター便を釧路空港めがけて増便したいと考えているので協力して欲しい、ということでした。こちらとしては大歓迎で、どのような協力が考えられ、また向こうの求めるのは何かを検討し始めていたところ。

 ところがいろいろ聞いてみると、空港の現場ではハンドリング(発券業務や機体整備など)を担当する会社にも人や設備などいろいろなご苦労があるよう。

 観光振興に関しては飛行機に期待するところが大きいので、是非とも良い方向になるように関係者の努力が実ることを期待したいところです。

    ※    ※    ※    ※

 今日はどうやら飛行機がらみの一日のようで、北海道エアシステム(HAC)関連で道議会でのやりとりが新聞に載り、市長への取材申し込みがありました。

 地元からの出資も期待されているようですが、情勢はなかなか厳しいものがあります。これまたうまく解決して欲しいものです。

 
 大都市圏から遠いところに位置する都市としては、高速交通網の整備と維持は大きな関心事で、距離の不利をどうするかは死活問題。なにしろここへ来るのに時間もお金もかかるというのは大きなハンデなのです。


 例えば高速道路で言えば、釧路にはまだ高速道路が1mもなくて、人の流れや物流は国道を使って動いています。こうした高速度路ネットワークの整備などは国が国民に対して行うナショナル・ミニマムとしても重要なサービスであるはず。

 今後とも高速輸送体系の充実を要望すると共にそれを使った産業振興やサービスの向上に努めて行かなくては。
 
 「インフラはもう十分だよ」というのはもうできてしまった先行者の言い分で、後発組の状況も分かって欲しいものです。
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都市の衰退を語ろう

2010-11-24 23:15:57 | Weblog
 市内での会議の後にふらりと札幌市役所を訪ねて、コンパクトシティを考えているエース級のA部長さんと意見交換をしてきました。

 Aさんによると、すでに内閣府が音頭を取る形で地方都市における郊外住宅地問題を語り合う検討会ができているのだとか。なるほど、そんなのがあるのだったら私も参加したかった。

 ここでの郊外住宅地問題とは、地域の高齢化であったり空き地・空家の増加であったり、またフードデザートの問題などが語られているよう。

 『フードデザート』とは聞き慣れないけれど、「フード=食べ物」で「デザート=砂漠」ということ。つまり、大規模ショッピングセンターができる反面、地域の生鮮品を売る小規模なお店が消滅して車のない高齢者は満足な食材を買えない「食材が得られない砂漠のような状態」の地域が出てきているのだそう。

 新鮮な野菜や魚を食べられずにインスタント食品が多くなったりすることで健康を損ねて、それゆえ家から出られなくなるなど、健康な生活から負のスパイラルに陥るのが健全な食材を買える環境が損なわれつつあるというのは恐ろしい話です。

 A部長は、「地域によっては折角買い物ニーズはありながら、都市計画法上の規制でそうしたお店が作られないという状況もあるかもしれず、そういうところは都市計画法の取り扱いで対応できるかもしれない」と語り、都市計画の延長線上での郊外住宅地問題を語ります。

    ※     ※     ※     ※     ※

 しかし札幌はまだまだ土地に対するニーズや建設に対するニーズがあるのに対して、札幌以外の道内地方都市では急激な人口減少局面を迎えていて、もう土地に対するニーズが極めて小さくなりつつあります。

 典型的なのが、わが市にもある『主なきビル』の問題。家がなくなって空き地になるのならまだましですが、家主が夜逃げをして主なき空き家も増えて、その処分にも困り始めています。

 空き家ならば処分をするのでも数十万円くらいで済むのですが、空きビルを買ったファンドが倒産してだれも継承しないような規模になると、解体処分をするのにも数千万円もかかるような物件が出始めています。

「ううむ、札幌ではさすがにそういうケースは考えたことがありませんでしたねえ」とA部長。

 本来、そうした主なき建物は一定の手続きによって国のものになる、と聞いていたのですが、それでも土地が売れれば解体費用を賄えるというのが前提です。

 しかし土地が売れないようなところで建物解体費も出ない物件はどうなるのでしょう。おそらくこれからの地方都市ではそうした物件が次々にでてくることになるでしょう。

 そうした都市の衰退によって起こるであろう問題を、まず共有した方が良いね、という点でAさんと私の意見は一致しました。

 都市の問題はその規模は条件によって発生の仕方に差があります。コンパクトシティというのは、そうなれば問題が解決するように見えますが、そこへどのようにして持ってゆくのかが問題。

 そもそも今ある都市を、コンパクトシティにするというのはどのような状況のことを言うのかという定義も曖昧です。

 問題意識の高い人たちが集まって勉強会をやろうか、ということですが、物理的に集まれなければネット上での議論でも良いかもしれません。

 さてそうしたことを語れる人はありや?

 
 人多き 人の中にも 人はなし
   人となれ人 人となせ人 (上杉鷹山…だったかな?)
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清々しい一日

2010-11-23 23:50:46 | Weblog
 明日の会合のために昨夜から札幌入り。

 今日は娘の婚約者のお母さんと我が家族との初めての顔合わせ昼食会をしました。とっても明るいお母さんで、ちょっと年上の優しい姉ができたような感じです。

 我が家は娘が二人で、お相手は息子さんが三人のご家族。だからこちらには新しく息子ができて先方には娘ができるというわけで、良いご縁をいただきました。

 ふつつかな娘ですが末永く宜しくお願いしたいものです。

    ※    ※    ※    ※

 顔合わせ昼食会の帰り際に、近くの琴似神社へお詣りをしてきました。

 こちらには以前から「報徳神社」というお社があって、以前から二宮尊徳さんとの関わりが気になっていました。ちょうど社務所に人がいたので御由緒について伺ってみました。

 するとこちらの報徳神社は旧会津藩から開拓に入って亡くなった方達の御霊を治めるための神社で、実は琴似神社の発祥のお社だったとか。後には開拓で命を落とした方も祀られているそうです。

 二宮尊徳とは関係がありませんでしたが、地域の歴史を知る良いきっかけとなり清々しい一日となりました。
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よし、中国でチーズを売ろう

2010-11-22 23:43:53 | Weblog
 昨日会った中国ビジネス専門家の講師お二人によるセミナー本番が開かれました。
 まずOさんからは中国の富裕者像についての説明。具体的な数字が物語る中国富裕者の実像は、

①82万5千人とは、資産が1千万元(=1億3千万円)以上ある富豪の数。その内訳は北京17%、広東16%、上海14%など、沿岸部に7割以上がいます。

②5万1千人とは、資産がさらに十倍の13億円以上の資産持ち。その極端さは日本では理解出来ないでしょう。
   
 世界のブランド品は中国でも大人気。日本の化粧品は中国人に人気があるので、中国人観光客を目当てに売り場を広げる国内デパートが多くて、Oさんにも拡張計画を相談に来るようですが、かなり拡大したつもりでも、実はもう日本国内の化粧品売り場は中国デパートの継承品売り場の1/3位の広さしかないんだそう。

 つまりそれだけ中国のデパートの化粧品売り場は大きな存在になっていてそれを目当てに買いに来るお客さんがいると言うこと。もう日本の方が進んでいるというのは思いこみに近くて、いつまでも上から目線で物を考えては行けないのだそう。 ううむ、頭を切り換えなくては。

    ※    ※    ※    ※

【旅行関連の話題】
 日本でも海外からのお客さんを受け入れるために日本政府観光局(JNTO)という事務所を中国の北京、上海、香港の3箇所に置いています。

 このJNTOの資料によると、2009年度の海外からの観光客で一番多かったのは韓国で159万人、続いて台湾が102万人、さらに中国が101万人と肉薄。もう第二位になるのは時間の問題です。

 世界的な不況下にあって、他の国が対前年で数字を落としているのに対して中国は一貫して+の伸びを維持しています。2009年では主要アジア市場からの来訪が65%で、主要北米・欧州・オセアニア市場からは22%に留まっています。アジア市場が急速に拡大しているのです。

 最近特徴的なのは、十年前よりも年齢層が若い層の伸びが著しいこと。20~30代の女性が来日客の30%以上を占めていて、これからの要注意セグメントであるようですよ。

 20~40歳の方若い人でも親が金持ちという人は多く、ジャニーズのチケットさえあれば300人は軽く集まると言われているんだそう。なかにはジャニーズの公演チケットをネットオークションで10万円で落札し、親にねだって週末日本へ来るという高校生もいるんだとか!!


が多く日本を訪問するようになっている。
 商用→観光、団体→個人、経済力が向上、

 訪日中国人の3/4は東京通過。リピーターに対する訴求、旅行造成がもとめられている
   
 またゴルフ関連では、ゴルフ経験者が日本では1600万人なのに対して現在の中国では300万人(人口の0.0023%)とのこと。しかしこの数は2015年には日本を追い越すとの予測があるんだそう。すごい伸びです。 


 Oさんは、「中国のスピード感に日本はついて行けていない。中国は2ヶ月先を即断即決で行って行く。考えは良くても決断が遅れれば他に取られる。中国では海外に1300万人が出国しているけれど、そのうち日本に来ているのは100万人に過ぎない」と警鐘を鳴らします。

「世界との競争で、世界中が中国人誘致で動いているのに日本ではタイにもフィリピンにも負けている。セブ島はもう中国アイランドですよ。誘致合戦に負けて良いわけはありません。地方行政における一体化が大切だし、日本が国として一体となれるかではないでしょうか」

「観光のリソース、受け入れ態勢などがリピーターに繋がる本物の質です。今来てもらおうと場当たり的な補助をしたところで、長期的にはもちません。自治体も一つで頑張っていずに、地域の連携で受け入れを強化したほうが良いです」



2.物流、物産 

 上海1920万人、こうそしょう7724万人、せっこうしょう5180万人、こうそしょうでるたで1億5千万人

 日本企業は上海市内に7994社(2010.6現在)あって、昨年の在留邦人数は48000人、出張で一時滞在している人を入れるとつねに10万人いるといわれます。

 上海市には30万人の台湾人がビジネス中でこの人たちは日本をよく分かっています。上海では日本の投資額よりも台湾企業の方がおおきな投資をしている、台湾人の駐在の人数も多いです。

 上海には巨大な富裕層のマーケットがあって購買力は桁違いです。台湾人など商品説明をする必要のない良い客が存在している。水産品は人気の高い商品なので強く入れて欲しいニーズがあります。

 ところが水産加工で進出を希望するところは日本全国にあって、差別化ができないまま出ては潰れています。9月末では199店舗を確認。
 水産品と言っても、釧路、宮城、長崎…といった国内の競争相手との差別化をどう図るかということへの戦略が必要で、これが結構たいへんです。

【乳製品が穴場】
 しかし、チーズはほとんど中国では作られていません。日本への信頼も高い。釧路では乳製品がよいのではないか、と思っています。乳製品でいちはやく釧路ブランドをたちあげて、そこで流行らせてそこに水産品を入れればよいのでないか、と思う。

 水産では競争が激しすぎる。ワインを飲む人は高所得でチーズが合う。ヨーロッパからは輸送コストだって安い。物産成功のロードマップを作るとしたら第1フェーズはチーズではないかと思う理由がそこにあります。

    ※    ※    ※    ※

 Oさんからは、地域の発憤を大いに望むとしめくくりました。

 先にチーズで乗り込んで、水産も市場を開拓する。居酒屋に続いてはチーズの可能性が見えてきました。早く決断をしなくてはね。 
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よし、上海で居酒屋をやろうか

2010-11-21 21:43:59 | Weblog
 明日の講演会の講師として、対中国ビジネスの専門家をお二人お招きしたので今夜はおもてなしの宴会。

 講師の一人は日本人で、9月に上海へ行った際にいろいろと教えていただいたOさん。そしてもう一人は上海政府の旅行部門にお勤めで、日本留学の経験もあり日本語がペラペラのKさん。

 Kさんは共産党青年団(共青団)出身で将来の中国を担うエリート。まだ39歳ながら様々な仕事を精力的にこなしており、Oさんとは十年来の付き合い。

 Kさんの奥さまはイギリス留学の経験があって今は上海特別区の中の一つの区の副区長ということなので、まさに夫婦そろって中国指導層に属している超エリート夫妻なのです。こんな人たちがごろごろして富裕層となっているのが中国の現実なんですな。

    ※     ※     ※     ※     ※

 Oさんは月に何度も上海を往復していて、現地で日本の様々な地域からのビジネスの手伝いもしています。しかしもともと北海道出身のOさんとしては、北海道にシンパシーがあって、他の地域の熱心な取り組みを見るにつけ「北海道はなぜこんなに感覚が鈍いのですかね」と不満も多いよう。

「北海道の対極は九州ですよ。あそこはJR九州が中心となって九州観光推進機構をつくり、知事を筆頭に各県での誘致活動もありながら九州一円でエリアブランドを確立しようとしています。で、この機構では上海に現地事務所を作りました。現地事務所は北海道でも作りました。まあこれはいいでしょう。で、次に九州が何をすると思いますか?」
「うーん、なんでしょう。物産展ではありきたりか…」

「物産展なんてやらないよりはましでしょうけれども、いくらやったところでビジネスになかなかつながりません。九州がやろうとしているのは上海に居酒屋を作るなんですよ」
「居酒屋ですか…?それは九州の物産を売るということですか」

「そうです。上海の富裕層は日本の食材が安心で美味しいというのはもう常識になっていますから、お客は来ます。そこで九州各県の名物や産物を売ることでアンテナショップとしてお客さんの反応を見ることもできるし、九州のブランドを刷り込むことだってできます。また居酒屋経営で事務所経費のいくばくかを儲けたっていいでしょう。実に具体的なビジネス活動です。ところがこういうことを北海道はやろうとしないんです」
「やれば売れるでしょうね」

「もちろんです。北海道の食材がおいしいことは知れ渡っているし海産物の料理も楽しみです。偽物の日本居酒屋だって大繁盛しているくらいです」
「なるほど」

「中国ではビジネスをするパートナーを慎重に選ぶ必要がありますが、今日ご一緒のKさんは最高の一人ですからね。いくらでもお手伝いできますよ」


    ※     ※     ※     ※     ※

 北海道は九州と四国を足したのと同じ面積を有していながら、これを一人の知事で担当していることになります。逆に言うと、九州と四国で11人の知事さんがいてそれぞれ自分のエリアを売り込もうと必死になっていることに比べると、道内各エリア個別の売り込み努力が弱いとも言えそうです。

 上海での居酒屋進出を北海道がやらないんだったら、地域で有志が出資してやってしまおうか、という大きな話も出ました。

 何もしなければ地方都市は沈没するのみです。中国は尖閣問題やレアアースなど、一面だけでとらえることのできない多様性を持った国ですから、慎重にターゲットを見据えた戦略的な攻めをしてゆくべきで、地方都市自らの頑張りも試されているようです。

 一口百万円で100口で一億円の資本で居酒屋経営。いいんでないかい!



【九州観光推進機構】
 http://www.welcomekyushu.jp/about/
 
コメント (2)
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