北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

盛り上がるのは"その後"だ ~ 久しぶりの都市地域セミナー

2023-08-31 23:05:08 | Weblog

 

 昨日は参加している日本都市計画学会北海道支部の都市地域セミナーがありました。

 現地会場に対面で参加した人は10名ほどで、あとは約10名がweb上での参加。

 今回のテーマは「地方小都市から考えるこれからのまちづくり」というもので、二人から話題提供をいただきました。

 一人は北海道開発技術センターの竹口さんから「人口定住にかかる評価指標とは?」という話題で、白老町をフィールドとして、この町にい続けることの要素は何か、というお話。

 興味深かったのは、住民へのアンケートを分析する中で、住民の意向を「定住したい」←→「定住したいと思わない」を縦軸に取り、横軸に「「定住できない・転出せざるを得ない」←→「定住できる・転出を回避できる」という指標を取った図でした。

 このように位置付けることで、住民の現状が

 定住を望むが  |  定住を望み
 定住できない  |  定住できる住民

 --------+ーーーーーーーーー
         |
 定住を望まず  |  定住を望まないが
 定住できない住民|  定住できる住民            


 …という四象限に分類できるということを示してくれました。

 こうした分類を考えることで、定住の意向を高めるということに重点を置いた政策だけでなく、せっかく定住をしたいと思っていても転出せざるを得ないという人に目を向けた「転出回避」方策を検討すべきではないか、という視点です。

 転出せざるを得ない、ここにはいられない、ということを年代別に深めると、ヤング・ミドル・シニアという各世代の問題意識は異なるだろう、という予測や、転出の理由として「進学」「教育」「就職」「結婚」「交通の便」「病気・医療環境」「介護の受け入れ」「町内会」などの人生イベントが大きく関わってくることがわかります。

 各年代層に向けた政策の見直しやこれまでの政策のさらなる充実などもこうした分析を加えつつニーズを考えることが必要でしょう。


      ◆


 もう一人は北大の小篠先生からで、ずっと関わっている東川町でのまちづくりのお話。

 こちらも私個人的には面白い話題でした。

 しかしこれらのセミナー内での話題提供はネタフリです。

 会場ではその後50分ほどの討論が繰り広げられましたが、どうしても時間が足りなくて深堀りはできません。

 真に面白いのは場所を変えて行われる懇親会でのお酒を飲みながらの意見交換です。

 
 一人が「その町から出ないまでも、住んでいる住民が点在して疎になってゆくと行政のコストは増えるので、コンパクトシティが提唱するように小さなエリアに密集して住んでもらえるとありがたいがどうしたら良いか」と言います。

 すると産炭地での暮らしを調査研究しているサカイ君が夕張での事例を教えてくれました。

「夕張で、『ここを離れてあちらに移ることには抵抗がありますか』と訊ねると、『俺は三菱だからなんで北炭のところに行かなきゃいけないんだ?』という話になるんです」
「それは元の炭鉱夫さんの働いていた場所という事ですか?」

「そうです。夕張は沢ごとに財閥や資本が入って石炭を掘っていてそこで働いていた人たちは"夕張で働いていた"のではなく、"北炭や三菱や三井"で働いていた、と思っているんです。帰属意識の原点はとにかくお世話になった山にありますね」
「それは面白いけど、もうどうしようもありませんね」

「そうですね。夕張石炭の歴史村を博物館にしたときも『あれは北炭の博物館だろ?』と言う人がいましたからね(笑)」


 帰属意識がごく狭い範囲にとどまると、もっと大きな帰属の意識は希薄になりそうで、それゆえ、時代が変わっても説得するのはますます難しくなりそうです。

 昨夜は随分遅くまで盛り上がりました(笑)。

 

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「赦し」が必要な世の中

2023-08-29 23:04:00 | Weblog

 

 以前後輩の職場でせっかく国家公務員として採用されたのに辞めてしまった子の話を書きました。

 その子が公務員を辞めたのは、「自分は洪水の被害を見て、これをなんとかしたいという思いで公務員になり、河川行政をやりたかった。しかし人事の綾で道路行政に配属になり今後は道路技術者として仕事をすることになりそうだ。しかしそれは自分の本意ではないので辞める」という理由でした。

 そのことに対して上司は、「道路行政も河川行政も、予算作業や仕事の発注、監督、調整事務などは似ているところがあるから、まずは仕事の仕方を学んではどうか。その中で河川の仕事ができる道を探ることもできる」と説得しましたが、その子は「自分はそんな悠長に構えてはいられません」ということで説得に応じずに退職して行ったのだそう。

 私はこの話をいろいろなところで紹介して、「現代の若者像をどう思うか」ということについて様々な意見を聞いてきました。

 多くは、「やはり最近の若者は以前よりも我慢ができない」とか「仕事に対する考え方が変わった」などといった反応でしたが、先日ある方が「それは上司が悪いと思いますね」と答えてきました。

「どういうことですか?」
「私は上司の方が、もっと辞めて行った子に寄り添う姿勢を見せるべきだと思いました」

「『少し我慢をして仕事を覚えた方が良い』というのは説得になっていないと思いますか」
「それは上司の方が自分の考えを押しつけた形だと思います。もうそういう価値観を持っていない若者には、『じゃあ背番号を変えてやろうじゃないか』という取り組みを行ったり、少なくともそういう姿勢をみせてやるべきだったのではありませんか」

「ハナからそういうことは難しいと分かっていても…ですか」
「そうですとも!本人の希望には全く応えてくれないんだ、と思った時にもうその上司について行く気持ちが無くなったのではないかと思います。もっと真剣にその希望を叶えてやれないものか、という寄り添う気持ちがあるべきでしたね」

 聞いていて、私も今ではそういう考えも必要なのかもしれない、と思いました。

 例え結果的にダメだったとしても、それに向けて努力してくれる姿勢を見せるべきだったということが本質をついています。

 寄り添う気持ちがなければもうその人についていって付き従ってみよう、という気持ちにさせることは無理なのだと。

 結果ではなく過程を見られているということでしょうか。

 
      ◆


 その意見を教えてくれた方に「あなたの会社では辞めて行く人はいませんか」と訊いてみました。

 すると「いえ、やはりいますよ。でもそういう人に対しても避難や罵詈雑言を浴びせるのではなく、今は縁がまだ繋がらなかった、と思うようにしています」とのこと。

 続けて「うちの会社を辞めて行ったのに、ちょっと世間を見てまた戻ってきたという人もいますしね」

「そういう人も受け入れるんですか?」
「うちは受け入れます。うちの会社が辛いとか合わないと思いこんで外へ出てみたところ、世間はもっと大変だった、ということに気がついたんですよ。だからそういう過程を経て戻ってきた人は逆に恩義に感じてものすごく頑張りますよ」

 
 私は聖書にある「放蕩息子の帰還」の話を思い出しました。

 家を飛び出して放蕩の果てに身を持ち崩した弟に対して、兄は親を大切にして付き従っていました。

 しかしそんな弟が悔い改めて両親の元へ戻ってきたときに父は喜び、一番良い服を着せ盛大な祝宴を開きました。

 それを見た兄は父に不満をぶつけますが、父はそんな兄をたしなめて「お前はいつも私とともにいる。しかしあの弟は死んでいたのに生き返った。いなかったものが見つかったのだ。祝宴を開いて喜ぶのは当たり前ではないか、と。

 そこに示されているのは神の哀れみ深さだと解釈されていますが、一方で「兄」は律法に忠実な人を指しているとも解釈されています。

 自分が正しいと思う人はそうでないものをむやみに批判する傲慢さがあるがそうではない、そこに許しが必要なのだ、というのです。

 ネットでは不貞を働いたような芸能人を非難し叩く風潮がありますが、どこかそれに似た構図があるようにも思えます。

 自分は罪を犯していないことが批判をしてもよい免罪符になっているということはないのだ、と聖書は教えます。

 景気が悪くなったり物価が上がったりと、世の中は一向によくならないように感じるというストレスを他人にぶつけすぎるのもどうでしょう。

 ちょっと冷静になって、こぶしを振り上げる前に考える時間をもってみてはいかがでしょうか。
 

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オレンジか青か

2023-08-28 21:57:37 | Weblog

 

 先週、稚内勤務経験者の集いがあって、その会には稚内在住の方も来てくれていました。

 昨日の日曜日までは札幌も猛烈に扱ったのですが、先週は稚内も高温に苦しめられたとか。

「稚内にはエアコンのある家なんてないし、職場も断熱性能が良いから暑い外気が一たび入ると、魔法瓶の中にいるみたいに暑くて苦しい思いをしました」

 何と先週の最高気温は31.3℃になったそうで、ちょっと私としては経験がありません。

 釧路にいたときもそうでしたが、釧路の25℃は札幌の30℃くらいに暑苦しい感じがしていましたが稚内も同じように気温と暑さの感覚が狂う感じがあります。

 なので、稚内での31℃超えというのはさぞ苦しかったろうと思います。


 そんな稚内在住者からの話題はローソンがついに稚内に進出した、ということでした。

 それまでは配送の拠点が作れなくて、稚内で営業をしているコンビニはセイコーマートだけでした。

 そこにローソンが稚内市内に2店舗をオープンさせたというので地元は大興奮。

 今まではコンビニサンドイッチやコンビニコーヒーと言えば、セコマさんのものしか味わえなかったのが、これからはローソンのものも選べるという自由度が高いことがそれだけで嬉しいのだそう。

 当日そこに来ていた別の稚内在住者に、「あなたはもうローソンに行きましたか?」と訊いてみると「まだです」とのこと。

「どうしていかないの?」
「だって、今はいつ行っても駐車場が満車なんだもん」

 稚内市民にすれば、まず一度は行ってみなくてはならないスポットの誕生です。

 一方で、それまでは稚内でコンビニの品々を提供してくれていたセコマさんへの恩義もあるでしょう。

「私はこれからもそうそう行かないと思います」という稚内在住者もいました。

 その理由はやはり「ある意味採算を超えて、稚内はもちろん果ては利尻・礼文にまで出店してくれているのは男気だと思って、その恩義は大切にしたいと思います」ということで、そういうファンも一定の数がいることでしょう。

 ただ、「ローソンが来たことで、セコマのアルバイト賃金が高くなったという話は聞きましたけどね」とも。

 やはり切磋琢磨することでこそ良い競争の効果が表れるということでしょうか。


      ◆


 ある人に「豊かさって何ですかね?」と訊いてみたところ、「ものをどれにしようか、と選べる自由度が高いという事だと思います」という答えが返ってきました。

 物はあってもそれしかない、ほかに選びようがない、というのはやはり不自由です。

 他と比較ができて初めて自分の良いところも劣っているところも見えてくるのだと思います。

 稚内のコンビニも良い意味での競争を果たしてほしいものです。

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我が家の「宿題家電」を一つ解決 ~ WI-FI中継器を買いました

2023-08-26 23:00:40 | Weblog

 

 「いつか買わないといけないんだけどなあ」とずっと思っている家電を私は「宿題家電」と呼んでいます。

 リビングのある2階には取り付けたエアコンですが、この暑さで1階の寝室にも着けなくちゃ、というのが大物の宿題家電。

 一方で小物の宿題家電もあって、ずっと頭にあったのが"WI-FI中継器"です。

 今日は娘が「買い物をしたいので家電量販店に連れて行って」と言われたことで、重い腰を上げて宿題を解決しようと思い立ち購入をしてきました。


     ◆


 我が家は2階リビングで、2階にインターネットの取り出しをつけてそこにルーターをつけ、メインパソコンをその横に据えてあります。

 家は木造なので、家の中でWI-FIを使う分には2階に無線のWI-FIルーターを取り付ければ大丈夫だろうと思っていました。

 ところが、家の端にある玄関付近やお風呂あたりで電波が途絶えがちで特にお風呂でのつながりが悪いというのが気になっていました。

 今やインターネットにつないだテレビからは映像が、またインターネットに繋いだビデオデッキからは録画の映像も専用ソフトがあればスマホで見られる時代です。

 スマホのインターネットさえ繋がればお風呂でもテレビも音楽もビデオも楽しめるので、やはりWI-FIが接続により強い安定性が求められます。

 
 そこでずっと導入したいと思っていたのが"WI-FI中継器"。

 これをWI-FI電波が弱くなるところに置けば電波の強度を上げてくれて繋がるようになるすぐれモノです。

 機種もいくつかのメーカーから様々なタイプのものが出ていてなかなか絞り込めないのですが、家にあるルーターがBuffalo社製のものなので同じメーカーのものを買い求めました。

 家のルーターと中継器を同期させるのは実に簡単…です。

 中継器をルーター近くでコンセントに繋げて、指示通りのランプが付いていることを確認して、ルーター本体のAOSSスイッチを入れれば自動的につながります。

 実は最初にマニュアルの指示通りのランプが付かなかったのでリセットしたりちょっと苦労をしたのですが、そこを超えたら後は本当にAOSSのスイッチ一つでした。

 これで中継器からは本体ルーターとは異なるSSIDによるWI-FIの電波が発信されてそれを捕まえればOK。

 スマホとの接続を確認して、1階のど真ん中の壁のコンセントに中継器を差し込んで、これで1階の隅っこでももちろんお風呂でも強い電波をとらえることができるようになりました。

 今までは車庫でバーベキューをしたり屋外で作業をしたりするときには家からのWI-FIが繋がらなくて残念だったのですが、これからは中継器を活動場所の近くに移動させることで、家周辺でWI-FIを使える範囲が大きく広がります。

 もっと早く買えば残念な思いをすることもなかったのですが、なかなか機会がないと踏ん切りってつかないものですね。

 家電店ではついでに寝室用のエアコンのカタログももらってきて、これから検討を進めようというところです。

 皆さんには、踏ん切りのついていないことってありませんか?

 思い立ったが吉日、とちょっと勇気を奮ってみてはいかがでしょうか。

 

 


 

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「お父さんはお日様が好きなんだよ」 ~ 陽の光を浴びると元気になる

2023-08-24 22:57:30 | 介護の世界

 

 父の話の続き。

 先日の通院のときのことですが、そろそろ迎えに来る時間だということで、母に促されて父は家の外でワゴン車が来るのを待っていました。

 ところがなかなか車は来ません。

 今年の北海道は例年になく暑くて、家の中から見守っている私と母は「お父さん暑くないのかね」とフウフウ言っていました。

 見ていると父は家の日陰からいつの間にか陽の当たるところへ出て、帽子も被らないまま陽の光を浴びています。

「父さん、日向に出ちゃったよ」

 そう言うと母は「そうなんだ、お父さんお日さまが好きなんだわ。今も夏だから暑いと言っているのに、朝起きたら東のカーテンを開けて『おお、お日様が昇ってきた』と嬉しそうなんだよ」

「そうなんだ、知らなかったよ」
「太陽が南側に来て居間に日が差すようになったら、わざわざそこに座るんだよ、この夏の暑い盛りでもね」

 でもまあそれが一つの救いかも知れません。


 医師で高齢者に対して日頃の暮らし方や人生への考え方などについて多くの本を著して人気の和田秀樹さんは、「『心の老い支度』のための実践行動として、幸せホルモンのセロトニンを分泌させるために、とにかく外に出て日の光を浴びなさい」と日光に当たることを勧めています。

 さすがにこの酷暑の夏の炎天下に外に出ろ、ということではないでしょうけれど、日の光を浴びること、お日様が好きということは決して悪いことではないようです。

 実際、父の場合も時間感覚が分からなくなることがまだらに生じてはいますが、食事、トイレ、入浴、服を脱ぎ着するなどの日常動作にはなんの支援も必要としていません。

 そして和田秀樹さんが警鐘を鳴らす「老人性うつにだけはなるな、それは高年者の病気の中で最も恐れるべき病気だ」というようなこととは縁遠く、声を荒げたり腹を立てたりすることもなく普段はニコニコしています。

 母も「それだけはありがたいよね」と言います。

 歳を取った人の話として「自分のお金を取っただろう!」とか「(本当はもう食べたのに)食事を出してくれない!」と怒り出す人がいると聞きます。

 心の奥底にネガティブで怒りの感情が潜んでいて、それを抑制していた脳の機能が弱くなると本性が出てくるのかもしれません。

 本性がネアカで感謝の気持ちに満ちている人は幸せだと思います。

 
 先日の病院の付き添いでは、診察が終わって病院の隣の薬局で薬ができるのを随分長い時間待たされました。

 薬を待っている間に、日の当たる席に父と私が二人で隣り合って座っていると、「随分長い時間付き合わせて悪かったなあ」、「息子がいるってのはありがたいもんだなあ」と繰り返しつぶやいていました。

 僕ももっと歳を取ったら日の光を浴びようと思います。

 ただしそのときはエアコンの利いた室内からだろうと思いますが。
 

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認知症が疑われる父に付き添って病院へ行った話 ~ ちゃんと話せなくちゃダメなんだな

2023-08-23 21:13:29 | 介護の世界

 

 先日実家の両親を訪ねた時のこと。

 家に入ると私の顔を見た途端に父が開口一番笑いながら「いやいや、いま水だけの昼ご飯が終わりました」と言うのです。

「ええ?昼ご飯が水だけって体力持たないよ」
「はは、俺も笑っちゃうよ、水だけだもんな」

「母さんは?」
「トイレかな、今来るよ」

 やがて母が居間に入ってきたので、「昼ご飯が水だけって、随分耐乏生活になったね」と言うと母は「ええ?お父さん、そんなこと言ってるの?いやいや…」と渋い顔。

「え?なに?」

 父がテレビのドラマを大きな音を出しながら見ている後ろで母が言うには、「昨日の夜は地域の夏祭りがあって、出店で焼き鳥だとかいろいろ買ってきたんだよ。で、それをさっきお昼に食べたんだよ」

「はあ、じゃあ食べたんだ」
「で、さんざん食べて、最後に水を飲んだのさ、そしたら最後に食べたものしか覚えてないんだよ」

 母は、「お父さん、さっきお昼に焼き鳥食べたでしょ!?」と思い出させようとしますが、父は「えー?思い出せない」と怪訝な顔をするばかり。

「母さん、もういいよ。何か言えばなんとかなるわけでもないからさ」

 ついさっき食べたものがもう思い出せないとは、やはり記憶の障害が進んでいるようです。


     ◆


 そんななか、「何か買い物や用事はあるかい?」と母に電話したところ、翌日が父が月に一度の通院の日と知りました。

 母が「こういう思い出せないようなことに良い薬ってないんだろうかね」と言うので、「じゃあ僕が父さんに付き添って病院へ行って先生に相談してみるよ」ということにしました。

 母はそもそも父が何の症状で病院へ行っているかもよくわかっていないし、父自身も今ではわかっていないのではないかと思われます。

 いつも父は病院から来る迎えのワゴン車に乗って病院へ行き、診察と点滴を受けて、生きと同じく病院の車で送られてくるので通院そのものには困難はないのですが、なにしろ医師とどんな会話をしているかなどは全く話してくれることがありません。

 そこで私が付き添うことにして、事前に家での記憶障害や時間の概念があやふやになる見当識障害についてメモにしてこれを医師に見せるつもりでいました。

 診察では医師から「お変わりありませんか?」という質問に対して父が「変わりありません」というやりとりから始まります。

 医師は私がいることも意識して、「腎臓の数値がやっぱり悪いのでそれを改善する点滴とお薬を継続しましょうね」と説明してくれましたが、黙っているとそこで診察は終わるところでした。

 そこでタイミングを見計らって、「先生、実は最近父が夜中に起きて服を着たりする見当識障害や、食べたものを忘れる記憶障害なども目に付くようになっているんです」と説明とメモを渡しました。

 医師は「そうですか、それじゃあ以前もやりましたが記憶テストと脳の萎縮状況をMRIで見てみましょうか」と言って、すぐにその準備を手配してくれました。

 診察室を離れて先に記憶テストを実施。

 これはMMSE(ミニメンタルステート検査)と呼ばれる認知障害を測定するために普通に用いられているテストが行われました(私の立ち合いはなし)。

 その後にMRIで脳の状況を検査し、再び医師の診察を仰ぎます。

 
 医師からは「認知障害のテストなんですが、30点満点の24点でした。このテストでは23点以下だと認知症と判定されて24点というのは境界線上と言うところですね。
 
 それとMRIの結果ですが、全体的に脳の萎縮は見られますが特に記憶をつかさどる海馬の萎縮が大きいことが見て取れました。先にも行ったように24点では認知症と言う判定ではないのですが、ご家族から見当識の障害が訴えられたという事で、脳の萎縮を抑制する薬を出しましょうか」という診断が下されました。

 やはり父を一人で診察させている分には本人からはこうした訴えはありえないので、やはり私が付き添って良かったです。

 帰りには今までの腎臓の薬の外に脳の薬を足した包みを一か月分出してもらってお中元かと思うような紙袋一杯の薬を持って帰ってきました。

 とりあえずはその報告で母のモヤモヤした気持ちも少しは晴れたようです。

 思ったことは声に出してみないといけませんね。

 反省しつつ、これからも推移を見守ってゆこうと思います。

 

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20年来のウッドデッキの撤去工事 ~ 素人は業者さんにかなわない

2023-08-22 22:19:19 | Weblog

 

 我が家の一階部分にあるウッドデッキ。

 家の土台が部分のコンクリートの高さが70~80センチほどあって、そのままでは一階の部屋から庭に出られないので、家を建てた時に施工会社の勧めもあって作ったものです。

 材料には一片が20センチ以上の断面の枕木を使用してとても頑丈なものを作ってくれたのですが、さすがに20年が経ち老朽化が目立ってきました。

 あまりに頑丈すぎて、素人が修繕するには手を余すもので業者さんにお願いをして全面撤去することに。

 デッキの床に使った材木は太いのでまだまだ大丈夫なのかな、と思っていましたが、大丈夫なものと腐ってしまっているものとがありました。

 またとくに土台となる部分にも枕木を使っていたのですが、地面と接する部分は水が溜まりやすくて腐朽が早く進みます。

 連結していた木ねじも、頭が腐ってしまっていてドリルではらちがあきません。

 大きなバールでこじ開けて引きはがしながら一本一本をバラバラにして運びます。

 昼過ぎに3トン平ボディのトラックがやってきて廃材を積み込んで持って行ってくれました。

 廃材はどこに捨てるのですか、と訊くと「南幌町に受け入れてくれる業者さんがあります」とのこと。

 枕木はクレオソートなどの腐朽防止剤を塗っているので受け入れてくれる業者さんは限られているとのこと。

 きっちり正しく処分まで行おうとするとやはり素人作業では無理ですね。

 今日の札幌も炎天でしたがその下で丁寧な仕事をしていただきました。

 空いた空間をどうするかは今後考えます。 

 

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今年はキュウリの当たり年 ~ 穫れすぎちゃって困る

2023-08-21 21:58:05 | Weblog

 

 家の敷地にごくわずかながら畑にしているスペースがあります。

 土地を譲っていただいた元の住人の方はきれいなお庭にしていたのですが、今の家を建てる際に良い土は皆はがされてしまいました。

 そうしなければ家の工事ができなかったのでしょうが、良い土がなくなったのは惜しいことをしました。

 単身赴任生活が解消されてからは雑草だらけだったところの草を抜き、新しい土を入れて少しずつ家庭菜園などを試みています。

 隣の家との距離が近くて潤沢に日光が当たらないのですが、それでも植えた作物はそれなりに頑張って実をつけ始めています。

 今年はなんといってもキュウリが当たり年です。

 例年、葉っぱが白くなるうどん粉病が発生して収穫があまり得られなかったのですが、今年は豊作で4本しか植えていない苗の全部からこの時期は毎日のように収穫が得られます。

 キュウリって、日本では中国から渡ってきたものが平安時代から食べられていたそうですが、江戸時代などは熟してから食べて「美味しくない」と言われていたそうです。
 
 それが明治期から、まだ未熟な青いものを生野菜として食べるのに適したものが登場して人気を博し今に至っているのだとか。

 特にこの時期はちょっと目を離すとたちまち30センチくらいにまで巨大化してしまって大味になるので、ちょうどよい加減のサイズで収穫をしないと大変なことになります。

 夏野菜はでき始めると簡単に食べられる以上に採れてしまうので、ピクルスや漬物などにして保存して食べられるようにしなくてはなりません。

 それにしても毎日キュウリというわけにもいかず、飽きてくると大変です。


     ◆


 さて、私はここ何年かビールをやめていました。

 お酒を飲むと下痢をする原因が、どうやら冷えた水分の大量摂取らしいということがわかってきて、その典型である冷えたビールは最もダメな飲料の一つでした。

 それが最近、「冷えすぎていないビールなら飲めるのか?」と思い、冷蔵庫に入れていない常温の缶ビールや、冷蔵庫にあったものでも手で温めたりして冷えすぎない状態で飲み始めてみています。

 すると案外飲めるもので、1缶くらいであればお腹が痛くなることもなくビールの苦みを味わえます。

 妻は「冷えていないビールって飲んで美味しいの?」と疑問を投げかけますが、それに慣れてしまえば「こういうものだ」と思って飲めるものです。

 そしてぬるくてもビールに会うのはキュウリのピクルスと漬物です。

 そろそろ同じく植えた枝豆も膨らんできました。

 採れたて野菜とぬるいビールもなかなかおつなものですよ。
 

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清里町さくらの滝 ~ 試練を乗り越えてこそ

2023-08-17 23:09:38 | Weblog

 

 旅の最終日、斜里町来運の水の学校を離れて札幌へ帰る道は元来た遠軽経由ではなく、摩周阿寒道東道経由にしました。

 すると滝が好きだという妻が、「帰る途中に『さくらの滝』というところがあるよ」と言います。

「ん?その名前は聞いたことがあるね」

 調べてみると、清里町にあるさくらの滝では毎年この時期に遡上してきたサクラマスが滝のぼりを見せるというので話題の滝でした。

 今年はまだフライフィッシングも一度しか行っていないので、元気な魚の姿も見てみたくて行ってみました。

 国道から左折して林道を4キロほどゆくと駐車スペースがあって「さくらの滝」の看板がありました。

 看板には「毎年約3000匹が戻ってきます。6月から8月下旬にかけて、特に日中の暖かい時間帯にサクラマスがこの滝を飛び越えようと力強くジャンプする姿が見られます」とあります。

 駐車場からは100メートルほど川に近づいたところにその滝はあり、滝の手前には超望遠のカメラを構えた人が二人いてジャンプの瞬間を狙っています。

 時間は朝9時過ぎくらいでしたが、何十匹もの大きなサクラマスが繰り返し滝の上流めがけてジャンプを繰り返しているのが見えました。

 これはすごい! 壮観です。

 滝の高さは3.7メートルとのことで、見ていると一匹もこの滝を超えることができません。

 ある者は滝の落ち口から、ある者は全く遠くからジャンプを繰り返しますが、空しくも見えます。

 カメラを構えていた結構なお歳の方に「これってジャンプが成功する魚なんているんですか?」と訊いてみました。

 すると「いますよ。割合は少ないですけど、何しろ数がいますからね」とのこと。

「ジャンプが成功するのは水が少なくて穏やかな感じの時ですか?」と訊くと「いいえ、雨が降って水量が多い時の方が超えて行きますね。水かさが増すと滝の落差が小さくなるんです」

 なるほど、彼らには水の流れの速さなど問題ではなく、落差が小さくなる時こそチャンスと言うわけです。

 この日も少しは水かさが多いそうですが、成長して屈強なサクラマスたちでも簡単に越えられないのがさくらの滝です。

 なかには明らかに体の小さな魚がサクラマスと一緒になってぴょんぴょんと跳ねているのが見えましたが、これは海に下って大きくなってはいない川魚のままのヤマベでした。

 しかしこうやってこの試練を越えたものにこそ強い子孫を残す権利が与えられるのでしょう。

 越えられない魚が可哀想というのではなく、自らの命をより強い形で次世代に繋ぐ崇高なチャレンジなのですね。

 清里町のさくらの滝に、試練を超えることの崇高さを見せつけられました。

 人生もかくあるべし、かと。

 

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来運 水の学校(らいうん・みずのがっこう) 斜里町来運地区の元小学校施設を利用した宿泊施設

2023-08-16 23:36:54 | Weblog

 

 今回宿泊したのは、斜里町来運(らいうん)地区にある「来運 水の学校(らいうん・みずのがっこう)」という宿泊施設。

 元々は来運小学校だったものが20年ほど前に閉校になり、その後改修を行って学校施設を拠点にしたライダーズハウスと、校庭は駐車場とテント場、そして教員住宅を別荘的な宿泊施設にしているという面白い施設です。

 校庭の真ん中にはキャンパー用の炊事場と火床があるほか、バイクを雨から守るテントも張ってあります。

 学校の建物を宿泊拠点にしている例は聞いたことがありますが、教員住宅を宿泊施設にしているというのは初めてでした。

 その教員住宅も、間取りや室内の調度などがいかにも"昭和の時代の官舎"という感じで、私などはとても懐かしい雰囲気が満載。

 元校舎の中にはライダー用の寝泊まりできる部屋もあり、いびきをかく人たち専用の部屋もあるのだとか。

 もっとも、あまりにひどい人はテントを選択するようですが(笑)。


     ◆
 
 入り口近くに40代くらいの男性がいたので話しかけてみました。

 どちらから来られたのかと訊くと、「名古屋からです」とのこと。

 しかも、7月中旬にこちらへきて9月一杯こちらの施設の管理のお手伝いをしているのだとか。

「この時期限定のアルバイトですか?」と訊くと「…というよりは、居候が管理のお手伝いをして寝泊まりさせてもらっている、というくらいの感じでしょうか」という答え。

 聞けば、夏に北海道のバイク旅行を何年もする中でライダーからの情報で、こちらが良いと聞きつけ、もう何年もこんなスタイルで夏を過ごしているのだそう。

「なんか、こういう暮らし方が性に合っているんだと思います。7月から9月には名古屋からいなくなるという前提で、10月からはまた元の会社で働かせてもらって、また来年のこの時期もきっとここにいるんだと思います。会社もその点は理解があって、『戻ればまた働きに来て』と言われています」

「普段は管理の手伝いで、皆さんがチェックアウトしたらシーツ類の交換や室内の清掃などをしています。それにここに何年もいると、9月には農家さんから声がかかって収穫のアルバイトをすることになります。農家さんも収穫時期には人手が欲しいのですがなかなか人がいなくて、僕らみたいなのでも毎年やれば慣れて来るし、誰かを連れて行けば紹介料もくれるくらい人手を欲しがっていますね」

「僕なんか、もちろんいい人がいれば結婚も良いですけど多分結婚もしないまま年をとってもいいかな、と思ってます。それに20代には車を始めお金を自分の好きなことにじゃんじゃん使っていた時代があるので、もう今は物欲もほとんどなくなってしまったので、焦ってお金を稼ぐという気持ちももうないんです」

「僕はSNSでの発信ってあまり興味がなくてやっていないんですが、この時期ここにいると、毎年訪れてくれる知人も増えますよね。道内もいろいろ巡りましたが僕はここ斜里が気に入っちゃったので、多分ずっとここに来るんだと思います」

 私が、「急に思い立ってネットを探したら、こんな時期なのにここの宿泊棟が空いていたのですぐに予約を取りましたよ」と言うと、「あ、それはここに4連泊される予定のお客さんがいたんですが、台風のために北海道に来れなくなって急きょキャンセルになった空きですよ。こちらの教員住宅別荘は収入として大きいのでキャンセルが出てがっかりしていたんですが、そうですか、道内の方が来られたんですね」と内幕を話してくれました。

 
 今や必ずしも決まった職場に就職をして縛られながら給料をもらうという生き方ではない選択肢もあって、それを実践している人が実際にいるというのが非常に興味深く思われました。

 バイク旅のライダーたちも別れ際にスタッフと記念写真を撮って出発します。

 夏の旅ってやっぱりいいですね。


     ◆


 さて、この施設のすぐそばには来運公園と来運神社という名所があります。

 ここのなかには名峰斜里岳からの伏流水が湧いている場所があり、そこで名水が汲めるというのが有名な場所です。

 羊蹄山の周囲にも伏流水の湧き水を汲めるところがありますが、斜里岳の水も素晴らしく旨い!

 宿泊施設の入り口にはこの水を使ったカフェが開かれていて、宿泊するライダーやキャンパーの交流の場にもなっています。

 まだまだ北海道にも知らない素晴らしい場所があることを痛切に感じる旅となりました。

 来運 水の学校、面白いです。

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