喉の痛みは相当質が悪く、なかなか治まりません。インフルエンザだったのかも知れませんね。
【青春の思い出】
知人のA君の誘いで、旭川の高校の同級生B君と久しぶりに会いました。
A君とB君は小・中学校の同級生、B君と私は高校の同級生、A君と私は社会に出てから偶然知り合った知人という関係で、三人が一緒になった場面はかつて一度もなかったのですが、A君の気配りのお陰で三人の会食が成立したのです。
B君と私は、高校の同級生という以上の深い付き合いがあります。実は私は大学受験で一浪しています。
そしてその浪人時代の一年間予備校に通うために、北大生協の裏にあった一軒の家に高校時代の知り合い4人で間借りをして暮らしていたのです。そしてその時のひとりがこのB君というわけなのです。
私は高校2、3年生と親元を離れて下宿生活をしていたものの、食事も自分たちで作らなくてはならないような生活ははじめてでしたし、他の三人も親元から離れるのは初めてというわけで、なかなか面白い一年だったのです。
男が四人で大学浪人…、となると頭に浮かぶのが麻雀です。風の噂で、同じように4人暮らしをして浪人をしていたという人達もいたけれど、その人達は麻雀に走ってしまい全員次も駄目だった、というようなまことしやかな話も聞かれました。
しかしこちらの4人は極めて真面目で、8畳のリビングの四隅にそれぞれ自分の机を置いて、ひたすら捲土重来を図って勉学に励んだものでした。
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もちろん、共同生活ですから食事や洗濯、掃除などの家事仕事が発生するわけで、最初のうちは食事をB君、私は洗濯、後の二人は掃除と風呂焚き…、などと役割を決めて生活を始めました。
ところが一ヶ月経って最初に音をあげたのはB君で、「俺だけが創造的な仕事だ…」というのがその言い分。
なるほどその他は単純作業なのに対して、食事を作るというのは(昨日はあれを食べたから、今日は…)というように、相当頭を使う作業なのです。そこで、5月からは日替わりで四人の作業が変わるようなローテーション表を作り、これで家事の負担を平等にしたといったこともありました。
結局、大学進学では四人とも違う道を歩み、B君は今ではある大学の医学部教授として活躍していますし、私は公務員の世界でまちづくりに取り組むなど、それぞれの志を貫いています。青春時代の思い出がよみがえります。
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実はB君とは、一昨年東京で行われた高校の同窓会の当日に、東京で会ったのですが、そのときはすれ違うようにして3分ほどしか話すことができなかったのでした。
私はB君に関して強烈な記憶がありました。彼は問題集の問題を解くのに、わら半紙を大量に買ってきて、それにひたすらボールペンで文字を書いて書いて書きまくることで実力を養うという勉強方法を採っていました。そして、書いて書いてインクの無くなったボールペンを全部輪ゴムで束ねて取っていたのです。
再度の挑戦で医学部に合格した彼は、50本ほどはあろうかというボールペンの束を見つめて、「これは俺の子供に見せてやろうと思うんだ、父さんはかつてこれだけ勉強をしたときがあったんだぞ、ってね」と言ったのでした。
私はそれをはっきりと覚えていたのですが、東京の同窓会で会ったときに回りの友人達に「Bはさ、浪人ときに空のボールペンを束にするくらい勉強したんだぜ、なあ、B!」
と言ったときに、Bは「さあ、そんなことあったかな?」といかにも思い出せないようなそぶりだったのでした。
私は「ええ?あれだけのことを覚えてない?そんなことがあるのかなあ」と、狐につままれたように思ったのです。そこで改めて、分かれてから約29年振りの出会いの中でそのことをBに問いただしました。
「なあ、Bよ、一昨年東京の同窓会に連絡無しに飛び込んできたときに、俺が空のボールペンの話をしたら、『そんなことあったか?』って言ったろう?本当に覚えていないのか?」
するとBは、「忘れるわけないだろう。それはああいう場で言われたことが恥ずかしかったからそう言ったのさ」と言うのでした。
「そうか、ほっとしたよ。おまえは『これを子供に見せるんだ』まで言ったんだもんなあ、忘れるわけがないよな」
「ああ、忘れはしない。忘れはしないけど、俺自身があまりそのことを自慢に思えなくなったんだよ」
「…どういうことだ?」
「振り返ってみると、俺の浪人時代の後半は、ボールペンを空にすることが勉強の手段ではなく、目的になってしまっていたような気がするんだ。空のボールペンを増やしさえすればよい、とな」
「しかしその結果として、成績だって上がったろう」
「うん、確かにな。しかし正直言って俺はあのとき、二浪も覚悟していたんだ」
「本当か、そうは見えなかったけどな」
「いや、回りにはそうそうたる奴らが結構浪人していただろ?Sも、Fも、…みんな高校のときは俺なんかよりは遙かに勉強ができた奴らだ。そいつらも浪人してたくらいなんだから、俺なんかとっても一浪くらいじゃ無理だと思っていたんだ」
「…」
「でも俺は、二浪するにしても一浪のときにここまではやったという証が欲しかった。それが俺の場合は空のボールペンだったんだ。俺はこんなに字を書いた、数字を書いた、英語を書いたんだ、ってな…」
「…それで、あのボールペンの束はどうしたんだ?子供に見せたのかい?」
「いいや」
「なぜだい?」
「大学のときに高校生の家庭教師をしていて、その子はちょっと実力からは高めの大学を志望している子だったんだけれど、その子にあげてしまったよ。『先生は合格のためにこれだけ勉強したんだ。お守りにあげるよ』ってね」
「…その子はどうなった?」
「合格した。お父さんお母さんも嬉しがっていたな…」
「振り返ればいろんなことがあったな」
「ああ、本当だなあ」
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考えてみれば、その後にあのときの4人が集まったことは今までに一度もないのだった。
「今度は四人でやらないか」
「そうだな。今日君と会えたのも、機が熟したからなのかも知れないな」
「よし、約束だぞ」「おう」
今度はいつ会えるか分からないけれど、きっといつか残りの二人にも連絡を取って、四人で集まろうと、私とBとの間だけで誓いを立てたのでした。
そのときは恥ずかしくて思い出したくないような事柄も、時間が経てば熟成した思い出になるものです。まるで若いワインが上質なものにゆっくりと変わるように。
大事なことは今を一生懸命生きること。結果とご褒美は後からついてくるものなのですね。