北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

皆さんお世話になりました

2007-03-31 23:53:53 | Weblog
 丁度春休みで、旭川にいた娘も帰省してきました。

 私と奥さんの実家の親などを訪ねて、仏壇のご先祖に挨拶です



 今年の年度の締めも終わりました。
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最後の一日

2007-03-30 23:59:59 | Weblog
 日中はあられやら雨が降る荒れ模様の天気。しかし夜には雨も上がりました。今日は開発局最後の一日です。

【お別れ】
 いよいよこの北海道開発局での2年間の最後の一日となりました。

 この春の多くの人事異動は4月1日付で行われるため、人事異動発令は実際には来週の月曜日の4月2日に行われることになるのですが、私は明日の3月31日付の人事異動なので、この日発令の3人で局長から人事異動通知書をいただいたのでした。

 人事異動の内容は3月31日付で大臣官房付発令、同じく3月31日付で「辞職を承認する。ただし退職手当は支給しない」というもの。

 つまり、3月31日付で国土交通本省へ移れ、ということと、そこで国家公務員としての身分ではなくなることを認める、ということ。

 私の場合は東京にある独立行政法人都市再生機構都心支社というところに移るので引っ越しを伴うのですが、東京までの赴任旅費は本省が払うということで、そこで31日付で公務員の身分をなくしておいて4月1日付で都市再生機構が採用するという手続きになるのです。

 昔はこんなときに、自書で「私事都合により辞職します」と一筆入れたものですが、最近はそんなことをしないルールになったよう。いずれにしても国家公務員の身分は離れたようでつながっているのです。
 「身分」という単語を改めて考えるきっかけになりました。

    *   *   *   * 

 辞令を受け取ったあとは恒例の挨拶回り。局内各課を回ったあとは、市内でお世話になったところを回れる限り訪ねてご挨拶をするのです。

 昨夜の大壮行会のおかげで、他のところを回ることができ効率的な挨拶ができました。皆さん、お世話になりました。

    *   *   *   * 

 夜は我が課の送別会。2年間に渡る各種プロジェクトチームの解散式でもあります。

 この2年間というもの、我が課では「雪氷輸送プロジェクト」、「日中韓観光担当大臣会合」という普段にはない業務が降りかかっていたのと、観光関係を一元化して関係業務を一気に拡大をしました。

 そのためスタッフには苦労も多かったろうと思うのですが、こうして振り返ってみるとなんとかこれらも乗り越えることができ、安堵とともに美酒に酔うことができました。スタッフの皆さんには心からお礼を言いたいと思います。

 今回の課の異動では、丁度2年前に私が赴任したときと同時に来た人たちが多く変わるため、この2年間の仕事のチームがそのまま総替わりをすることになりました。

 雪氷チームしかり、観光チームしかり、そして物流・オートキャンプチームもです。

 みんな初対面のときから私は仕事に対する前向きな姿勢を求めていて、「マインドが大事、マインドを向上してゆくんだー」と言い続けていましたが、それも浸透したようです。

 昔海軍兵学校には「五誓」といって、我が身を振り返る言葉がありました。

 この二年間のなかの自分に、不誠実なことはなかったか、恥ずかしい言動はなかったか、気力に欠けたところはなかったか、最善を尽くしたか、そして怠けなかっただろうか。

 過ぎたことは過ぎたこと。こうしたことを省みて、もし反省することがあったなら次への糧にしようではありませんか。

    *   *   *   * 

 送別会は二次会の恒例大ドンチャンカラオケ大会で締めくくり。こういう馬鹿騒ぎも懐かしいなあ。いつかこの年度のみんなで集まって同窓会を開きたいものです。

 それでは皆さん、お世話になりました。

 万感の思いをこめて

 さようなら。
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壮行会に感激

2007-03-29 23:58:16 | Weblog
 今日も最後の仕事の締めを行います。細々したことがあっても、なかなか伝えることができません。もう時間がないのです。

 夜になって、同僚が壮行会を琴似駅裏のコンカリーニョで開くよう企画してくれました。

 この2年間にできた人脈を中心に、「夜なら行けるよ」という皆さんがなんと三十数人も集まってくれて、お酒も食べ物も持ち込み形式で賑やかなひとときを過ごしました。

 なかには今日初めて会うような方もいましたが、ほぼ全員をしっているのは私だけで、いろいろなカテゴリーの会合で会ってきた人たちとのパーティです。

 こういう集いをきっかけにして、知らない同士が知り合うというのもなかなか良いことです。

 今日来てくれた皆さんは、どの方も人生観が前向きで、会話の波長が合う人たちばかりですから、新しい出会いをこれからの人生に是非活かして欲しいものです。

 集まってくれたお礼に下手なギターを披露。

 企画をしてくれた著名ギタリストのH君自身がギターを始めるきっかけとなったという、ゴミ置き場で拾った伝説のガットギターです。

 人前で弾くことがないので緊張しましたが、みんな温かい目と温かい耳で聞いてくれました。お礼にもならなかったけれど、こういうお返しも良いものでしょ。今度会うときはもっと上手に引けるように練習しておきます。

 聞いてくれた中にたった一人だけ、「今弾いた曲って、武満徹がアレンジした奴だろ?俺も昔弾いたけど難しかったよなー」と言ってくれる人がいました。

 武満徹の編曲を知っていたとは、さすが同年代!同じ世代の音楽を続けましょうよ。

 こんなにも大勢が集まってくれて感激です。皆さんの期待に応えられるように、行く先で精進を重ねたいと思います。その思いがさらに強くなりました。

 それではまた会う日までお元気で。
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机の回りの整理

2007-03-28 23:44:56 | Weblog
 仕事の予定をつぎつぎにこなして行きます。

 夜には職場の机回りを大胆に片付け。私がいた2年間に一度も触らなかったようなファイルにはもう用はないので、この機会に片付けてしまうことにします。

 机の回りがだいぶキレイになりました。残り二日です。
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携帯のトラブル

2007-03-27 23:12:23 | Weblog
 今度の仕事に関するいろいろな話を聞かせてもらいました。

 輪島での地震被害を持ち出すまでもなく、大都会での震災に対する備えとして、都市にはオープンスペースが必要なのですが、それを面開発のなかから生み出そうというのがミッションの中心。

 しかし、一方で民間の開発事業者も同じような思惑をもってビジネスとして面開発を行っているため、過度の競合も難しいよう。しかしとにかくやってもらわなくてはね。

 後輩が画策して、「29日に壮行会を開きましょう」とのこと。荷物が作れるかどうか不安を抱えつつ、でもやりましょう。

 電車に乗っている最中に友人知人から頻繁に携帯にメールが入り、それに応えているうちに電池切れ寸前。

 夕方になって霞ヶ関を訪ねて、「ちょっと充電させて」と机の上に置いたのがまずかった。見事に帰るときに忘れていきました。

 幸い明日出張帰りの人がいるというので、その人にもってきてもらうことができそうですが、今日の帰りの道中で携帯電話がないというのは不便なもの。

 またこういうときに限って、電車の駅まで迎えに来てもらったところが電車が大幅に遅れるというトラブル発生。

 「まさかうちの奥さん、あきらめて帰っていないだろうなあ…」とどきどきしていました。

 携帯を忘れると、携帯電話の番号すら分からない状況に追い込まれるのですね。リスクは分散しなくては。

 さて、こちらの勤務もあと三日。明日からは大詰めです。
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初心に帰る

2007-03-26 23:57:43 | Weblog
 今日から明日にかけては東京出張です。先方の方とも会って、仕事の様子などを聞いてみようと思っています。

 東京の最高気温は20度。こちらを出発するときはコートが手放せないのに、東京ではコートなんて来ている人はほとんどいませんでした。

 東京のまちなかには新入社員とおぼしき新しいスーツ姿の若者を多く見かけるようになりました。

 私も25年前はああだったんでしょうかね。

 初心に帰って、気持ちも新たに新しい分野に挑戦することにいたしましょう。

    *   *   *   * 

 長年お世話になった、旧開発庁の麹町研修所が今週の30日で閉所となります。
民間のホテルが充実した今日、福利厚生的な観点の宿泊研修所はもう時代遅れで不必要という判断なのでしょうね。

 いろいろな思い出もありますが、これも時代の流れというべきでしょう。

 ありがとう、お世話になりました。
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残り少ない日々

2007-03-25 23:53:09 | Weblog
 鼻炎が強く出てきました。マスクが欠かせません。
 
 少しずつ引っ越し準備をしてみていますが、なかなか気持ちが入りません。

 単身生活って、シンプルな生活に心がけて、荷物はあまり増やしたくないの

ですが、ついつい小物が増えてしまうんですよね。

 実際生活を初めて見ると、ほんの些細なものだけどあると便利でないとどう

にも落ち着かないという道具があるものです。

 要は整理整頓ができるかどうかなのですがね。

 もう日が少なくなりました。
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引っ越し準備

2007-03-24 23:20:52 | Weblog
 ようやく喉の痛みが消えてきましたが、鼻炎の症状が強くなっています。

 北海道も春が近いのです。
 
【引っ越し準備】
 東京に行く日を1日に決めて、飛行機の予約を行いました。また、運送会社に単身パックをお願いしました。

 今度の宿舎では、大きな家電は借りられそうなので、新たに買ったり持っていったりする必要がなく、助かります。

 引っ越し荷物は、掛川から帰ってきたときの日用品を、段ボールでそのまま保管してあるものを活かしてこれに詰めようと思っています。

 服と日用品と食事、料理の道具、あとは本くらいなものでしょうか。

    ※    ※    ※    ※

 良く雪かきのときに顔を合わせるご近所のご主人にも、また転勤になることを話しました。

「そうですか。お国の方はそれが大変ですよね。私はそれが大変だなあと思ったので札幌市役所に務めたんですよ」とのこと。

「何かあったら相談して下さい、と奥様に伝えておいてね」とも。ありがとうございます。

 私がいないと家の雪かきが大変かも知れませんが、ご近所とうまくやってほしいものです。

 なかなか体調が元に戻りません。皆さんも風邪やインフルエンザにはお気をつけてください。 
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お知らせ~4月の異動が決まりました

2007-03-23 23:19:56 | Weblog
 やっと喉の痛みが引いてきたかと思うと今度は咳がついてきました。おまけにアレルギー性鼻炎の症状も出始め。
 いやはや、なんともつらい春です。

【人事異動の季節】
 本日上司より、4月の人事異動の内示を受け取りました。

 4月からは新宿にある某独立行政法人で勤務をすることになりました。開発局での二年間を終えてまた転勤です。東京では当然単身赴任ということになります。

 人事異動情報についてはいろいろと噂が飛び交う中で、噂レベルでも書けずにいたのですが、ほぼ予定が固まりました。

 この2年間にお世話になった皆様に篤くお礼を申し上げます。ありがとうございました。

    ※    ※    ※    ※

 北海道へ帰ってきてからの2年間というのもあっという間のことでした。またこの間、どれほどのことが出来たかと振り返ってみても、力不足で忸怩たる思いも随分ありましたが、まあとりあえず、これが今の実力の限界と、自分自身を慰めてもいます。

 私の後にはもっと優秀な者がやってきますから、新しい発想と新しい行動力でこれからの社会を切り開いていってくれることと信じています。

 こちらへ帰ってきてからは、掛川での経験や地方自治に関する経験故に知り合えた知人も多く、榛村さんの人脈のお陰でこちらでも得をしたということも多くありました。

 掛川では「生涯学習を得た」と思っていたのですが、この二年間の後半は、報徳を語ることの方が多くなりました。

 しかも4月からの新しい住所は小田急線沿いになるようです。新宿とは反対の方向に乗れば、尊徳先生の生まれた小田原に直通です。尊徳先生に「そろそろ来ても良いぞ」とお赦しが出たのでしょうか。一度は小田原を訪ねたいものです。

 この2年間の総括はまた別な機会に行うこととして、今日は異動のご報告にとどめます。

 4月になればすぐに東京へと向かうため、満足に挨拶もできない方も多いと思います。離任のご挨拶に伺えない失礼は平にご容赦下さい。

 本ブログはできるだけ継続して行くつもりですが、異動の前後で空白ができるかもしれません。ときどき新しいところで書き始めたかどうか見てくれると嬉しいです。

 タイトルは…どうしましょうか。

 4月からもどうぞよろしくお願いします。
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甦る青春

2007-03-22 23:18:26 | Weblog
 喉の痛みは相当質が悪く、なかなか治まりません。インフルエンザだったのかも知れませんね。

【青春の思い出】
 知人のA君の誘いで、旭川の高校の同級生B君と久しぶりに会いました。

 A君とB君は小・中学校の同級生、B君と私は高校の同級生、A君と私は社会に出てから偶然知り合った知人という関係で、三人が一緒になった場面はかつて一度もなかったのですが、A君の気配りのお陰で三人の会食が成立したのです。

 B君と私は、高校の同級生という以上の深い付き合いがあります。実は私は大学受験で一浪しています。

 そしてその浪人時代の一年間予備校に通うために、北大生協の裏にあった一軒の家に高校時代の知り合い4人で間借りをして暮らしていたのです。そしてその時のひとりがこのB君というわけなのです。

 私は高校2、3年生と親元を離れて下宿生活をしていたものの、食事も自分たちで作らなくてはならないような生活ははじめてでしたし、他の三人も親元から離れるのは初めてというわけで、なかなか面白い一年だったのです。

 男が四人で大学浪人…、となると頭に浮かぶのが麻雀です。風の噂で、同じように4人暮らしをして浪人をしていたという人達もいたけれど、その人達は麻雀に走ってしまい全員次も駄目だった、というようなまことしやかな話も聞かれました。

 しかしこちらの4人は極めて真面目で、8畳のリビングの四隅にそれぞれ自分の机を置いて、ひたすら捲土重来を図って勉学に励んだものでした。

    ※    ※    ※    ※

 もちろん、共同生活ですから食事や洗濯、掃除などの家事仕事が発生するわけで、最初のうちは食事をB君、私は洗濯、後の二人は掃除と風呂焚き…、などと役割を決めて生活を始めました。

 ところが一ヶ月経って最初に音をあげたのはB君で、「俺だけが創造的な仕事だ…」というのがその言い分。

 なるほどその他は単純作業なのに対して、食事を作るというのは(昨日はあれを食べたから、今日は…)というように、相当頭を使う作業なのです。そこで、5月からは日替わりで四人の作業が変わるようなローテーション表を作り、これで家事の負担を平等にしたといったこともありました。

 結局、大学進学では四人とも違う道を歩み、B君は今ではある大学の医学部教授として活躍していますし、私は公務員の世界でまちづくりに取り組むなど、それぞれの志を貫いています。青春時代の思い出がよみがえります。

    ※    ※    ※    ※

 実はB君とは、一昨年東京で行われた高校の同窓会の当日に、東京で会ったのですが、そのときはすれ違うようにして3分ほどしか話すことができなかったのでした。

 私はB君に関して強烈な記憶がありました。彼は問題集の問題を解くのに、わら半紙を大量に買ってきて、それにひたすらボールペンで文字を書いて書いて書きまくることで実力を養うという勉強方法を採っていました。そして、書いて書いてインクの無くなったボールペンを全部輪ゴムで束ねて取っていたのです。

 再度の挑戦で医学部に合格した彼は、50本ほどはあろうかというボールペンの束を見つめて、「これは俺の子供に見せてやろうと思うんだ、父さんはかつてこれだけ勉強をしたときがあったんだぞ、ってね」と言ったのでした。 

 私はそれをはっきりと覚えていたのですが、東京の同窓会で会ったときに回りの友人達に「Bはさ、浪人ときに空のボールペンを束にするくらい勉強したんだぜ、なあ、B!」
と言ったときに、Bは「さあ、そんなことあったかな?」といかにも思い出せないようなそぶりだったのでした。

 私は「ええ?あれだけのことを覚えてない?そんなことがあるのかなあ」と、狐につままれたように思ったのです。そこで改めて、分かれてから約29年振りの出会いの中でそのことをBに問いただしました。

「なあ、Bよ、一昨年東京の同窓会に連絡無しに飛び込んできたときに、俺が空のボールペンの話をしたら、『そんなことあったか?』って言ったろう?本当に覚えていないのか?」

するとBは、「忘れるわけないだろう。それはああいう場で言われたことが恥ずかしかったからそう言ったのさ」と言うのでした。

「そうか、ほっとしたよ。おまえは『これを子供に見せるんだ』まで言ったんだもんなあ、忘れるわけがないよな」
「ああ、忘れはしない。忘れはしないけど、俺自身があまりそのことを自慢に思えなくなったんだよ」

「…どういうことだ?」
「振り返ってみると、俺の浪人時代の後半は、ボールペンを空にすることが勉強の手段ではなく、目的になってしまっていたような気がするんだ。空のボールペンを増やしさえすればよい、とな」

「しかしその結果として、成績だって上がったろう」
「うん、確かにな。しかし正直言って俺はあのとき、二浪も覚悟していたんだ」

「本当か、そうは見えなかったけどな」
「いや、回りにはそうそうたる奴らが結構浪人していただろ?Sも、Fも、…みんな高校のときは俺なんかよりは遙かに勉強ができた奴らだ。そいつらも浪人してたくらいなんだから、俺なんかとっても一浪くらいじゃ無理だと思っていたんだ」

「…」
「でも俺は、二浪するにしても一浪のときにここまではやったという証が欲しかった。それが俺の場合は空のボールペンだったんだ。俺はこんなに字を書いた、数字を書いた、英語を書いたんだ、ってな…」

「…それで、あのボールペンの束はどうしたんだ?子供に見せたのかい?」
「いいや」

「なぜだい?」
「大学のときに高校生の家庭教師をしていて、その子はちょっと実力からは高めの大学を志望している子だったんだけれど、その子にあげてしまったよ。『先生は合格のためにこれだけ勉強したんだ。お守りにあげるよ』ってね」

「…その子はどうなった?」
「合格した。お父さんお母さんも嬉しがっていたな…」

「振り返ればいろんなことがあったな」
「ああ、本当だなあ」

    ※    ※    ※    ※

 考えてみれば、その後にあのときの4人が集まったことは今までに一度もないのだった。

「今度は四人でやらないか」
「そうだな。今日君と会えたのも、機が熟したからなのかも知れないな」
「よし、約束だぞ」「おう」

 今度はいつ会えるか分からないけれど、きっといつか残りの二人にも連絡を取って、四人で集まろうと、私とBとの間だけで誓いを立てたのでした。

 そのときは恥ずかしくて思い出したくないような事柄も、時間が経てば熟成した思い出になるものです。まるで若いワインが上質なものにゆっくりと変わるように。

 大事なことは今を一生懸命生きること。結果とご褒美は後からついてくるものなのですね。 
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