北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

当別町で二宮金次郎のDVD映画鑑賞会が開かれます ~ 私も少しお話します

2024-07-02 22:49:03 | 報徳

 二か月ほど前に、知人から「当別にある有限会社亜麻公社会長の橋本さんをご紹介したい」という連絡がありました。

 その後橋本さんから連絡があり、「実は小松さんにお願いしたいことがありまして…」とのこと。

 そのお願いというのが「今度当別町で二宮金次郎のビデオ映画鑑賞会を開催することになっているのですが、鑑賞会の冒頭で二宮金次郎とはどういう人なのか、ということを紹介する講話をしていただきたい」ということでした。

 まずは一度お会いしましょう、ということで数日後に橋本さんがわが社を訪れてくれてお話をすることができました。

 橋本さんは、あるときに二宮金次郎に触れて上映権付きのビデオ映画があることも知りました。

 そしてそれを買い求めたうえで、このビデオを当別町民に見せたいと考えたのですが、やはり最近は二宮金次郎とか尊徳とかいってもあまり一般的ではありません。

 そこで少しでもこの映画に入りやすくするために、映画上映に先立って二宮金次郎について話題提供をするのがよかろう、と思い立ち、ネットなどを調べているうちに、ときどき報徳についての話をしている私が引っかかったというのです。

 ただ直接の知り合いではないので、知人を介しての紹介という形で繋がろうとしたのだそう。


 今日、二宮尊徳についてこのような形で広めようとしてくださっている方のお話を聞いて、もちろんお引き受けをした次第ですが、その上映会が今週土曜日の7月6日に開催されることになっています。


     ◆


 橋本さんが携わっている有限会社亜麻公社は、現在当別町で植物の亜麻を栽培してこの付加価値化を目指している企業です。

 亜麻は北海道開拓使の榎本武揚が栽培を導入したのが北海道での亜麻の始まりです。

 札幌では北区に亜麻の工場が作られそれが現在の麻生(あさぶ)っという地名の由来になっています。

 また札幌駅北口にはかつて帝国製麻の本社・工場がありましたが、帝国製麻はその後"帝国繊維"と名前を変えました。

 亜麻はその後化学繊維が台頭したことでビジネスが難しくなり、帝国繊維工場の跡地にテイセンと言う名のボウリング場が建設され、イベント会場にもなるテイセンホールも作られました。

 テイセンボールはその後その役割を終えて、跡地は今では高層のマンションになっています。

 1960年代に一度廃れた亜麻ですが、21世紀になってから、改めて復活しようと某コンサルタント会社が調査を開始し、栽培技術を復活させ、栽培に協力してくれる農家さんを探すなどの努力を続けたとのこと。

 その努力が実って栽培に協力してくれる農家さんが見つかり、なんとか無農薬での栽培方法を確立できたのだそう。

 現在亜麻は、そこから取れる亜麻仁油やそれを使ったサプリやドレッシング、石鹸などの商品ラインナップを揃えて、ビジネスに挑んでいるところです。

 
 農業で地域を興すということで思い出されるのはやはり報徳の仕法で飢饉に苦しむ村々を救った二宮尊徳です。

 橋本会長は、町民自主企画としてこの上映会を企画し、少しでも多くの町民にこの映画を見てもらい、町に元気を与えたいと考えています。

 私も上映会の冒頭で、わかりやすく二宮尊徳の人となりやその今日的意義についてお話をしようと思います。


     ◆


 ときまさに、新紙幣が発行されて1万円札に渋沢栄一の肖像が使われるとのことで、ちょっとした渋沢栄一ブームや彼の著した「論語と算盤」ブームが来ています。

 日経新聞が「超渋沢論~私はこう生かす」という徳州をはじめ、第一回は野球監督の栗山英樹氏を迎えて、選手たちに「論語と算盤」を読むように勧めた、と言う話題が取り上げられていました。

 しかし彼の思想をたどると、渋沢栄一は大蔵省在籍時に西郷隆盛に対して「二宮尊徳のやり方による相馬藩財政改革の四か条である《至誠・勤労・分度・推譲》にならい、国家の財政も尊徳の四か条を遵守すべき」と提案したといわれるように、二宮尊徳の「経済・道徳の一円融合」を支持していたことがわかります。

 二宮尊徳は農業の人でしたが、その思想を受け継いで実業の世界で花を咲かせたのが渋沢栄一であると。

 渋沢栄一ブームから本質的な二宮尊徳の報徳思想への理解が進み、分度・推譲が実践される社会になれば良いのですが。

 小さな一歩でも歩みを止めずに実践を続けていきましょう。 

【亜麻公社】  https://amakousya.co.jp/

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根元の力 ~ 見えない力の働き

2024-05-23 22:22:17 | 報徳

 経営の神様と言われた松下幸之助は、ある意味宗教的な見えない力を信じていたようです。

 彼が座禅を組んで瞑想をしていた時、ある人に「何をお祈りされているのですか?」と訊かれて「一つは根源に対する感謝や。今自分がここに生まれているということも根源の力のお陰げやからね」と行ったという話はつとに知られています。

 彼は昭和37年2月に京都の真々庵(しんしんあん)の一角に「根源の社」という宗教施設を建立しました。

 この「根源の社」はさらに1981年に松下電器本社の敷地に建設された創業の森の一隅にも設けられ、その設立の趣旨については社前の掲示に、下記のように説明されています。

 「宇宙根源の力は、万物を存在せしめ、それらが生成発展する源泉となるものであります。
  その力は、自然の理法として、私どもお互いの体内にも脈々として働き、一木一草のなかにまで、生き生きとみちあふれています。私どもは、この偉大な根源の力が宇宙に存在し、それが自然の理法を通じて、万物に生成発展の働きをしていることを会得し、これに深い感謝と祈念のまことをささげなければなりません。
  その会得と感謝のために、ここに根源の社を設立し、素直な祈念のなかから、人間としての正しい自覚を持ち、それぞれのなすべき道を、力強く歩むことを誓いたいと思います」

 物を作って売ることで利益を得る会社の創業者が、物の充実だけではなく、精神的な充実こそがより良い社業と社員教育に繋がると考えていたことがよくわかります。


     ◆


 ところで松下幸之助は、二宮尊徳の報徳の教えを良く学んだことでも知られています。

 その報徳には二宮尊徳が作った「報徳訓」という唱え文があります。

 漢字108文字からなる構成ですがこれを訓読みにして、常会ではまず参加者一同がこれを唱えてから会議が始まるというのが習わしで、ここには二宮尊徳の報徳の精神が凝縮して込められています。

 この報徳訓の一番初めに登場するのが「父母の根元は天地の令命にあり」という一文です。

 今私がここに存在するのは父母がいたからこそなのですが、その父母がいたことの根源が天地の令名だというのです。

 「令名」という単語を辞書で引くと、今では名声だとか良い評判というような意味しか出てきませんが、ここでは「天地の計らい」と理解すべきでしょう。

 その運命的な計らいによって父母が存在し、続いて「身体の根元は父母の生育にあり」と親の恩が述べられ、「子孫の相続は夫婦の丹精にあり」と子孫のために自分たちも夫婦になって子孫を育てるのだ、と述べられます。

 報徳訓では「根元」と言い、松下幸之助は「根源」と表していますが、その意味は「物事の一番もとになっている始まり」ということでは同じです。 

 物事が始まるという不思議とその力を信じることができるでしょうか。

 
 だんだん若者が結婚しなくなり子供が生まれなくなり人口減少社会が進んでいますが、自分を生んでくれた両親がいたという不思議な始まりの力を「信じる気持ち」も薄れているのかもしれません。

 学校に置かれていた二宮金次郎の銅像を学習すれば、その奥には「父母の根源である天地の令命」にまでたどりつくのですが、もはやそのような教養が失われつつあるようです。


 

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「学校の金次郎像が売却される」という記事に接して思うこと

2024-05-09 23:35:20 | 報徳

 

 ネットのニュースに、「閉校した小学校の二宮金次郎像が入札で売却されることに」という記事がありました。

 元ネタは毎日新聞の記事で、売却されるのは兵庫県三木市で閉校した市立旧東吉川(ひがしよかわ)小学校に残されていた金次郎像。

 高さ100センチで重さは23キロ。まきを背負いながら(正しくは柴なのですが)本を読みながら歩くお馴染みのスタイルのものだそう。

 設置されたのは1959(昭和34)年とわかったそうですが経緯は不明とのこと。

 ニュースになったのは、一般には廃棄などで処分されていつのまにかなくなるのが、今回は市側が「移設(や処分)するにしても費用がかかるので、廃棄するのであれば購入した方に活用してほしいと考えた」というのが珍しいということでした。

 明治大正を通じて自らの勤行によって苦しい経済を立ち直らせるという報徳の教えは教育界にも影響を与え、学校報徳社などと言うのも作られた時代がありました。

 幼い金次郎像が普及したきっかけは、1929(昭和3)年の9~11月に開催された御大典奉祝名古屋博覧会だったと言われています。

 このときに愛知県岡崎市の石材業者が薪を背負った金次郎の石像を出品し、さらに小学校を対象にその建立を働きかけたといいます。

 これに続き、富山の鋳造業者も銅像の販売を始めたとのことで、ある意味民間商業者がこれらの像の普及に一役買ったというのは面白いことです。


      ◆


 戦争と報徳の関係ですが、実はアメリカ軍は戦時中から尊徳の存在に注目しており、B29からの撒かれた降伏勧状には損得を民主主義者として評価する文章も載せていました。

 戦後はアメリカ軍の民間情報教育局の新聞課長であったダニエル・インボーデン少佐が報徳を評価したことが知られています。

 彼は幼い金次郎の勤倹力行のみを強調した修身の教科書を「危険な学び方である」と批判し、成人後の報徳仕法に取り組んだ姿までも学ぶべきだと述べています。

 そして報徳の徳目の一つである「推譲」をして、「推譲には二つの道がある。一つは『おのれの将来ための貯蓄』であり、もう一つは『他の足らざるものに融通する他への推譲』である」とさえ述べています。

 現代の日本人よりもよほど報徳の考え方に通じているではありませんか。


 またある研究者によると、1950年代に金次郎の銅像が増えていることを指摘しています。

 その背景として、①復興が進み道が自由に使えるようになったこと、②1955(昭和30)年に二宮尊徳百年祭があったこと、などを揚げていますが、今日話題になった廃校になった小学校の銅像もまさにその頃におそらく父兄らによって寄付されたものでしょう。

 二宮金次郎の勤倹力行は第二次大戦に人々の心駆り出したというネガティブな側面を批判する向きもありますが、それにしても今や二宮尊徳のことが教育界でも取り上げられることが少なくなり、その銅像を見ても馳せる思いすら浮かんでこないというのが現状なのでしょう。

 いわゆる「徳目」や「規範」といったことを抽象論で語るよりも、それで疲弊した村々や人々の心を救済した歴史や事実を語ることのほうが教育的効果がありそうなものですが。

 さて、金次郎の銅像を買うほど関心のある方は現れるでしょうか。

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大谷選手と報徳の徳目「推譲」について

2023-12-30 23:42:10 | 報徳

 今年を振り返ってみて、格別に印象が強かったのはやはり野球メジャーリーグの大谷翔平選手の活躍だったのではないかと改めて思います。

 春先のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)でも投打にわたってエース級の仕事を成し遂げたことはもちろん、その後のメジャーリーグでも日本人で初めてのホームラン王に輝き、投げては二桁勝利と本場メジャーリーガーたちも脱帽の一年でした。

 さらに古巣エンジェルスに別れを告げて、より大舞台を目指せる球団として同じロサンゼルスながらドジャースへFAで移籍。

 その契約額が10年間で7億ドル(1ドル=145円換算で約1015億円)というこれまでのメジャー最高額だったことも驚きですが、さらにはその大半を繰り延べして契約終了後にもらうことにして、これからの活躍の時期には大谷にしては非常に安い年俸でプレーすることになります。

 この「繰り延べ払い」については、あまり大谷が年俸をもらいすぎるとチームとして払う総額の契約金に対するぜいたく税がチームに課され、その結果ほかに有力な選手の獲得のために使えるお金が減ってしまうことを心配して大谷サイドから提案されたものだとのこと。

 大谷にすれば、自分が我慢することで有力な選手がチームに加わってくれればそれだけチーム力が向上してワールドシリーズでの優勝の可能性が高まるという思いがあるのだろう、とマスコミは書いていますが、「チームへの気遣い」とすればちょっとスケールが違いすぎる感じもします。


      ◆


 ここで思い出されるのが大谷選手の母校、花巻東高校での教育です。

 高校一年生の時に時の野球部の監督の指導により大谷選手が作成した「大谷曼荼羅シート」は有名ですが、そこには最終目的である「ドラフト1位指名8球団」をかなえるために八つのより細かい必要条件が書かれています。

 そしてその一つが「人間性」ということで、それを構成する8つの必要事項として「計画性・感謝・継続力・信頼される人間・礼儀・思いやり・完成・愛される人間」を掲げています。

 まあ高校一年生という年齢でよくぞここまで自己分析をして目標のための計画を作成し、それを実行できているものだと感心するばかりですが、改めて強く思うのが、この花巻東高校では学校の方針の一つとして「報徳思想」を掲げていることです。

 報徳とは江戸時代晩期の農村指導家であった二宮尊徳が行った村々の立て直し実践方法です。

 主君であった小田原藩主大久保忠真(おおくぼ・ただざね)公が「そちのやり方は論語に言うところの『以徳報徳(いとくほうとく=徳をもって徳に報いる)』であるな」というお褒めの言葉に感動して、以後自分でも「報徳仕法」として用いるようになったもので、二宮尊徳のまちづくりの進め方を表す表現です。

 そしてこの報徳を少しでも勉強したものが、報徳の教えを掲げる花巻東高校を卒業した大谷翔平選手の振る舞いを見れば、決して気遣いとか人に優しい、などという表現ではなく、(ああ、これは推譲(すいじょう、という徳目)だな)とわかります。

 疲弊した村を救うために村民を指導した尊徳は、人々に四つの徳目を示しています。

 それは「至誠・勤労・分度・推譲」というもので、誠/まごころを尽くして、真面目に働き、分をわきまえて、自分の余裕は他に譲れ、というのがこの四つの徳目です。

 花巻東高校が自校を紹介する中では「3つの柱」として勤労・分度・推譲が示されていますが、一般には四つの徳目と言われています。


         【花巻東高校のホームページより】


      ◆


 これらの徳目の中でも特に「推譲」は報徳の特徴的な考え方です。

 その前提として「分度」という、分をわきまえることが求められていて、稼ぎが少なければ分をわきまえてその稼ぎよりも少なく使うことで余剰を生むだろうということがあります。

 そうやって生み出した余剰は、自分自身では「今日使ってしまわずに明日に推譲する」ということだし、「今年作った米を今年のうちに消費してしまわずに来年に推譲する」、その考えを広げて行けば、自分の余っているものを子孫に推譲し、他人に推譲し、郷土に推譲し、国家に/世界に推譲するところまで行きつくでしょう。

 実際に大谷選手が、日本の全ての小学校にグローブを寄付したこととか、背番号を譲ってくれたドジャースの選手にポルシェをプレゼントしたことなどを、お金持ちの寄付と捉える向きもありますが、報徳を理解していればそれらは「推譲」という概念でストンと腹落ちします。

 尊徳さんは「推譲をすることで人間は安寧の心を得られ、幸せが得られる」と言います。

 大谷選手のような巨額の富を使った推譲ももちろんすばらしいのですが、庶民には庶民なりの推譲があるはずです。

 自分の分度を定めて生まれた余裕を推譲する。

 その徳目の実践があれば、人口減少に悩む地域ももう一度救いの道に導けるのではないか、とすら思えます。

 大谷選手に憧れるのをやめましょう、実践の徳目は誰にも開かれています。

 あとは実践するかしないか、の違いだけなのです。
 

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