北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

夢はサハリンへ~二年間お世話になりました

2015-03-31 23:49:20 | Weblog

 平成26年度が終わり、機械課長としての任期も今日で終わりました。

 開発局全体の中では、少人数の機械職、電気通信職を束ねるのが任務でしたが、縁の下の力持ちとして目立たない役割をどうやって「見える化」するか、ということに心を砕きました。

 やれたこともありましたが、積み残してやりきれなかったことも多く忸怩たる思いですが、連綿と続く組織の仕事として引き続き後任に託したいと思います。


 夜は釣り仲間による送別会。飛び入りの参加者もいて賑やかに送り出してもらいました。

 話題はもっぱら道北での釣りはもちろんのこととして、「サハリンで釣りをしよう」という企画。

 稚内からは、サハリンのコルサコフまでのフェリー航路が運営されていますが、今年の九月いっぱいで廃止になるという噂があります。

「それじゃあ余計に今年の夏はサハリンツアーだね」

 活動範囲は道北だけではなくサハリンにまで及びそうです。


 さて、明後日の二日からは稚内での勤務となります。どんな出会いがあって目を見張る出来事があるでしょうか。

 現場で見えるものをまたお届けしたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いします。

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印鑑を一本新しく作りました

2015-03-30 23:04:36 | Weblog

 引継ぎ業務はほぼ佳境を迎えようやくまとめあがろうとしています。

 引越しは、明日荷物を取りに来るので今夜が最後の作業時間。どうやら単身パック一つではあふれそうなほど荷物が出てきそうです。なければ買うさ、なんていっているので爪切りばかり何個も増えたりするのです(笑)

 私が普段使っているデスクトップのパソコンも周辺機器を含めて梱包し、イスも分解してしまいました。普段どおりのパソコン環境は数日使えないので家のパソコンを代わりに使用中。

 引越しの荷造りをしてしまうとしばらくは、家が出張先の宿泊所状態です。

  
      ◆   


 転勤という節目にあわせて、認印を一本新調しました。少し太めでやさしい字体の印鑑です。

 印鑑なんてどうでもいい、と思う人も多いでしょうが、私は自分の責任で決済をするしるしはしっかりしていた方が良いと思う性格です。

 春はいろいろに環境が変わる季節です。気分も一新してフレッシュな気持ちで新任地に向かいます。 

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最新掃除機にはやる気を出させる機能がついている

2015-03-29 20:55:43 | Weblog

 妻の方は淡々と私の荷物の荷づくりをしてくれていますが、私の方はなかなか進んでいません。

 いざとなれば会議などで帰省した時に取りに来ればいいや、と思うと切迫感が足りません。釧路より距離はありますが、帰省する機会はずっと多いと思うので。

 
      ◆ 


 荷物整理をしながら、先日新しく買った掃除機を試しに使って掃除をしてみました。

 今回買ったのは東芝製のサイクロン掃除機。手元には強弱やエコモードなどのスイッチがありますが、もう一つ「ゴミ残しまセンサー」というランプがついています。

 これは掃除機がゴミを吸うと赤いランプがつくもので、今掃除機をかけているところが汚れているのか、それとももうゴミはないのかが分かる仕掛けです。

 ちょっと掃除機をかけてみて、この機構がとてもいいなと思いました。掃除というのは、いろいろな家事の中で一番成果の見えない作業だと思います。

 一見したところ埃がないように見えても、一応掃除機をかけなくちゃいけないけど、いつも(ほんとうは汚れていなくて掃除機をかけなくてもいいのじゃないか)という誘惑にかられます。

 やっただけの作業の進み具合とか達成感が見えないのが掃除=掃除機をかけることなのです。ともすると一度かけたのに忘れていてまたかけたりなんてこともあります。

 それが、このセンサーがあることとさらにゴミを集めるケースが透明でゴミがくるくる回りながら増えていく様子が見えることで、やったことの結果が見えるというわけです。

 このセンサーとゴミの集まりが見えることで、「よし、次はどこを攻めてやろうかな」という狩猟本能に火が着く感じもします。たかが掃除機と言うなかれ。見えるかと言うことがいかに大切か、ということです。


       ◆   


 そしてこのことは私たちの組織のあり方にも通じるところがあります。

 道路やダムを作る技術屋さんは自分たちの仕事の進捗が日々わかりますが、事務職で裏方の仕事をしていると、自分たちが関わっている仕事がどんなことになっているかについてほとんど接することはありません。

 組織全体のモチベーション向上のためには、こうした仕事全体が見えていない人たちをもっと巻き込んで自分たちの仕事がこういうことに繋がっているとその目に見せることで、達成感を感じられるようにしてあげることです。

 それがチームの一体感を高め、活性化する一つの方策と言えるのです。

 やらされ感を払しょくして、自らやる気を発すること。何事によらず、活性化と言うことはそういうことですね。

 掃除機のちょっとした機能にも経営者の心が読み取れました。

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朝の連ドラ「マッサン」終了。最後にやられた!

2015-03-28 23:48:33 | Weblog

 NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」が今日で終わりました。

 北海道の余市で世界で勝負できるスコッチウィスキーづくりに情熱を注いだ竹鶴政孝とその妻リタをモデルにしたドラマとあって、大いに期待しましたが期待以上で出来栄えでした。

 特にヒロインエリー役の女優さんが朝の連ドラ史上初の外国人とあって話題性も十分。しかしそんな話題性以上に、エリーを演じたシャーロット・ケイト・フォックスさんの演技に最後は涙の連続。

 ドラマの中でもなくシーンがたくさんありましたが、演技であることを感じさせず感情を込めるのがとても上手でした。

 最後の週で、正式な結婚式を挙げず署名と立会人だけの結婚だったシーンが描かれていましたが、モデルとなった政孝とリタも実際はリタの親族に結婚を反対されて立会人だけの寂しい結婚式だったそう。

 ドラマはかなり実際の政孝とリタの人生物語を取り入れたものになっていましたが、つまりは彼らの人生は本当にドラマチックなものだったのでしょう。

 本当にリタが亡くなった時に政孝は、取り乱すように泣き叫んだと言われています。

       ◆  

 ドラマの最終回は、エリーが残した手紙をマッサンが読みながら涙するシーンが続いきこちらも号泣モード。若い二人が手をつないで長い道を駆けてゆくシーンでエンディングを迎えました。

 15分のこのドラマ枠では最後に日本中の国際結婚をした夫婦の写真を「私たち国際結婚です」と紹介してきてたのですが、なんと最終回の最後の夫婦はマッサンとエリー。二人の一言はドラマで何度も使われてきた「人生はラブアンドアドベンチャー!!」と来て、言葉を発することができません。

(最後にやられた!)という思いで感涙にむせびました。

 


 朝ドラも、放映中は所縁の地元が観光地として人気が出ますが、終わると世間の関心が次に移ってしまいます。

 でも良いドラマに巡り会えた道民や地元だけでも、余市にウィスキーと共に物語を語り継いで行きたいものですね。

 主演のお二人を始め、関係者の皆さんに素敵なドラマを作ってくれたことに感謝いたします。楽しませてもらってありがとうございました。

 

【マッサンと呼ばれた男、竹鶴政孝の夢】 ← これ素敵なサイトです

 http://www.nikka.com/80th/story/tkd/index.html
 

 

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いつか実がなることを信じよう

2015-03-27 23:48:05 | Weblog

 本日私の後任者への引継ぎが終了。現在の課題やこれからやった方が良いことなどを伝えました。

 機械課長というポストで機械や電気通信の仕事を二年間やってきて、思った以上にやれたこともあれば、思う通りにはいかなかったこと、成果を出すにはタイミングが悪かったことなどが頭の中をよぎります。

 仕事でも人生でも難しいと思うのは、「自分の思うとおりにやってみよう」と思っても、「天の時、地の利、人の和」の三つが揃わないとなかなかできないということです。

 それらが揃っていないのに始めてみると、周りの賛同が得られなかったり迷惑をかけたり、期待する成果が上がらないどころか逆にうまく行っていたことまでおかしくしてしまったりするもの。

 所詮私たちは組織の中で仕事をするので、組織としての成果はその時に担当している人があげる、ということになります。

 しかし誰かが成果を上げられたのは、最初に種をまいた人がいて次にそれを枯らさないように肥料をまいて育ててくれた人がいたから。

 だからもし自分の時になにか成果を上げられとしたらそれは先達のお陰であり、後輩の時代に成果が上がるような種を今のうちに蒔いておくべきなのです。

 作物でも、「桃栗三年、柿八年」と言いますが、実がなるまでにかかる時間もモノによって違います。

 いつか誰かのためにその実がなることを信じたいものです。

 
       ◆  


 かつて掛川で使えた榛村市長さんの生業は林業で、かつては長野県との県境まで広がる山林を所有していたそうです。

 林業ともなると、植えた木が材として使えるようになるまでに40年から50年以上もかかるもの。

 当然、今自分が植えた木を自分の世代で刈り取ることなどできません。

 ご先祖が植えた木の恩恵を何代も後の子孫が受け取るという息の長い事業です。

 しかし今成果が見えないからと言って、木を植えることをあきらめたり放棄したりしてはそこから先の繁栄はありません。

 子育ても同じようなもので、自分たちのために子供を育てるのではなく後代のために育てる気持ちで参りましょう。

 歳を取ってきて、世代が連綿と繋がっていることのありがたみが改めてわかってきました。

 よし、今からでも何かのタネを蒔いて行きましょう。

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川に島に樺太に

2015-03-26 23:12:24 | Weblog

 四月に稚内に転勤するとお知らせしたところ、各方面から多くの激励のメッセージ、コメントをいただきました。これまでのご厚情に改めて御礼申し上げます。

 稚内での住まいは指定された官舎に住むことになります。妻帯者用の宿舎なので3LDKの広さがあります。

 歴代の住人が家電などは置いていってくれているのを引き継ぎながら使っているので、もって行くものは身の回りの荷物だけでよさそうですし、シュラフも2、3個持って行こうと思います。

 
 早速「イトウ釣りが楽しみですね」というメッセージをいただきました。そもそもフライの4番程度のロッドでよいのかどうか、システムやフライについて、地元でなれた方と早くお友達になりたいところ。

 これまでもなかなか足の伸びなかったエリアなので、せいぜい支流の先まで入ってみようと思っています。

 また、「利尻、礼文も良いですよ」という声も多く寄せられました。「一度は利尻富士に登らないとね」「礼文の花は6月ですよ」とうらやましがられますし、最後は
「そうだ、サハリンにも早めに行った方がいいですね」

 うーむ、子供のときは島影の見える樺太へ渡るなんて考えたこともありませんでした。

 もっとも、昭和の初期に夕張で炭鉱夫相手の和菓子屋をしていた祖父は、一時樺太に新天地を求めたと聞いています。

 あまりの寒さに健康を害して北海道へ戻ってきたのだそうですが、わが家系のルーツをめぐる物語がこの地域にはあります。

 いろいろと探検してみたいものです。さてさて、まずは荷造りを進めなくては。 
  

 

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4月の転勤。行く先は…

2015-03-25 23:48:08 | Weblog

 春は別れと出会いの季節。われわれ公務員にとっては転勤の季節でもあります。

 釧路市役所から札幌へ帰ってきてから早二年が経ち、そろそろ異動があるのかな、と思っていましたが、本日「4月1日付けで稚内へ行ってもらいます」という内示がありました。

 稚内市はわが国最北の市で人口は約3万6千人。基幹産業は水産業、酪農業などですが、最近は水産も陰りが見えて人口減少に悩んでいます。

 稚内での仕事は宗谷管内の道路、港湾、農業などの公共事業で、管内には利尻島と礼文島が含まれているのですが、こちらには国で行っている事業がありません。

 もっとも、災害が発生したときは災害復旧の支援なども行いますし、観光などの地域振興支援も果たすべき役割の一つということで、広い意味で国土管理対象となります。

 稚内は社会人になってからの勤務経験はありませんが、実は2歳から8歳までを稚内で過ごしていました。

 2歳のときに稚内市内のアパートの廊下で遊んでいて怪我をしたというのが私が覚えている一番古い記憶なのです。小学校入学も稚内市立東小学校ですし、いろいろと思い出の風景が頭をよぎります。

 地図を見ると、国鉄天北線はとっくに廃線になり、昔住んでいた家や通ったお店やお風呂屋さんなどももう姿を消しています。でも思い出の中の世界ですから仕方がありませんね。

 管内には「利尻礼文サロベツ国立公園」があり、季節には美しい花々が咲き乱れる広大な風景が広がりますし、豊富温泉はアトピー性皮膚炎に悩む湯治客が大勢訪れるところです。

 再び札幌を離れて地域に入ってみて、人口減少に抗う地方の姿を見つめてみようと思います。

 お近くへ起こしの際はぜひお立ち寄りくださいね。

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思いを伝えるにはコレが必要

2015-03-24 23:43:31 | Weblog

 どこの組織でも、組織のビジョンや思想を構成員全員に伝えるのは難しいことです。

 たいていの組織は階層構造になっているので、その階層を使おうとします。社長から役員や部長へ、部長から課長へ、課長から課長補佐、係長、係員へ…という順番です。

 それも小さな組織ならいざ知らず、何千人もの社員や職員がいるようなところではどうしても、トップから離れれば離れるほど、熱というか暑さというか、そうした思想の力強さが次第に弱まってしまいます。

 思想を発する直接のご本尊の熱は次の段階で歩留まりを悪くし、それが次第に重なっていくのです。

 ある会社では、社員に対して会社の思想を直接伝えようとするよりも、商品を開発してそれをお客さんに売るという広報活動によって、結果的に社員が自分の会社の商品にこめられた思想を理解した、ということがあったそうです。

 つまり、直接伝える効果よりも一度外へ発信した情報のほうが理解しやすいということがあるのです。

 江戸時代末期の農村救済アドバイザーである二宮尊徳は、日本古来の神道、飛鳥時代に伝来した仏教、そして中世に伝えられた儒教を組み合わせた独特の思想体系で人々を魅了し、疲弊した村々にやる気と活気をもたらして救済を果たしました。

 尊徳先生自身は自分の思想をまとめた書物を著しませんでしたが、後に高弟と呼ばれる人たちが生前の出来事や語録をまとめて書物に著しました。

 「二宮翁夜話」、「報徳記」、「二宮先生語録」などがそれですが、これらは多くの人々を感動させましたが、これなどは尊徳先生に触れた弟子たちがその感動をそのまま閉じ込めた書物であり、自分たちなりにその人となりをしっかり伝えようという強い思いがこめられているので、大いに人口に膾炙したといえるでしょう。

 つまり何段階も経た言葉ではなく、直接触れた熱い思いがあるからです。


 
     ◆   

 

 アインシュタインがこういうことを言っています。

「知識は二つの形で存在する。ひとつは、本の中に、生命のない形で。もうひとつは、人の意識の中に、生きている形で。後者こそがとにかく本質的なものである。前者は絶対必要であるように見えるがたいしたことはない」

 確かに本の中の情報は生命の無い形ですが、そこに熱を感じさせるような書き振りがあれば、いくばくかの熱は伝わるのだと思います。

 孔子でもお釈迦様でもソクラテスでも、真に偉大な人は自らは物を著さないかわりに、人を強烈に感動させて弟子が彼らの放つ熱にいたたまれないかのように書物を著してその情熱を伝えています。

 生きた情報というものには熱がある。何かをちゃんと伝えようと思ったら、手っ取り早いところで組織を使って人づてに伝えようとするのではなく、直接熱さを発しましょう。それが多分一番です。 

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スマホ二日目、疲れるわー

2015-03-23 23:31:33 | Weblog

 スマホを手に入れてから二日目。夫婦してスマホをいじりながら、独り言で「んーーー??」「なんだー?」と言い合っています。

 まず指が乾燥しているせいか、押しても反応しないというのにイライラ。

(こうすればこうなるのか…)という繰り返しを何度もしながら、正しい道筋を頭に叩き込もうとするのですが、何度も同じ失敗を繰り返してイライラ。

 いつの間にか知らないアプリが裏で起動していてイライラ。

 ニュースサイトとワンセグテレビを見るくらいはなんとかできるようになりましたが、登録したり使いやすくしようと思うとまだ道は遠いという感じです。

 あとは家のパソコンで、どんなアプリがあって何ができるのかを確認したうえでスマホを開いて悪戦苦闘する日々。

 これだけ脳が疲れる経験というのは、東京で知らない町を自転車で走りめぐった頃の感覚に似ています。

 知らない情報を大量にインプットされて、脳がパニックになりかけている状態なのですが、経験から言うとやがて慣れれば落ち着くことになるでしょう。

 まずは同じ道を何度でも通ってみる脳の基礎運動から始めてみます。

 ふー、疲れるなあ。 

 

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スマホデビュー

2015-03-22 23:27:28 | Weblog

 遅ればせながら、ついに携帯電話をガラケーからスマホに替えました。

 機種もよく分からないので妻と私とで色違いの同じ機種にして、ついでに移動用のポケットモバイルに家庭用の10.5インチタブレットも同時に購入。

 朝十時にどこもショップへ行って順番を待ち、順番が来てからいろいろな契約内容の説明を受けて、一度預けて用を足し、夕方に再度ショップへ戻って最終の確認を終えたのは午後5時でした。

 何枚もの書類に目を通してサインをしましたが、途中で疲れてしまって何を言われているか分からなくなるほど(笑)

 とりあえず電話帳だけは移してもらったので、妻との電話はできましたがまだメールは使えません(笑)

 いつかは移行しなくてはと思いつつ日延べをしてきましたが、妻の携帯がボロボロになったのをみて決心がつきました。

 通信料も跳ね上がるし、わからないことばかり増えてしまいましたが、まあ習うより慣れろで、いろいろ使ってみます。

 家の無線LAN環境には繋げたので、家ではデータ量を気にせずに練習ができるというものです。

 スマホ先輩の皆さん、とりあえず仲間入りです。よろしくお願いします。

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