北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

【おまけ】地域のソウルフード

2010-09-30 23:58:59 | Weblog
 根室での仕事の帰り際に、根室の人たちのソウルフード(魂の食べ物)と言われる喫茶店「どりあん」の「エスカロップ」を食べてきました。

 このエスカロップという料理は、タケノコ入りバターライスの上に、薄いとんかつを乗せ甘めのデミグラスソースをかけた独特な料理。ここどりあんはこの料理を発案した老舗の喫茶店として知られていて、エスカロップと言えばどりあんと言われているのだとか。



               【これがエスカロップだ!】


 根室市民にはあまりに一般的なのですが、根室以外ではほとんど知られておらず、根室の人たちは外へ旅行などに行って初めてエスカロップが根室限定料理であることを知った、というエピソードもあるのだそうです。

 ここどりあんのエスカロップは、まさに他にはない独特な味わいですが、美味しくいただきました。こういう地域限定グルメは食べにゆきたくなりますね。今度根室へ行くときは必ずもう一度食べることにします。

    ※     ※     ※     ※     ※

 さて、根室のソウルフードはエスカロップだとして、「では釧路のソウルフードはなんですか?」と何人かに訊いてみたところ、異論もあるでしょうけれど、泉屋さんのスパゲティという答えが多くありました。

 泉屋さんのスパゲティは私も一度だけ食べたことがあるので「私も食べました。ナポリタンが美味しかったですね」と言うと、「泉屋でナポリタンですか?ははは、それはソウルフードではありませんよ。泉屋と言えば、①泉屋風という塩スパゲティ、②ピカタ、③スパカツの三つですよ、この三つ!」と言われてしまいました。

 特にスパカツは、大盛り、大、大大、大大大と強烈な盛りのオプションがあるそうで、「高校生の時は大大を早食いしたもんだなあ」と地元の人たちで大いに盛り上がっていました。

 こういう会話には参加できませんね。おまけに食べたものも違ってちょっとションボリ。あと三回は泉屋さんに行かなくちゃ。
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港をもっと使ってほしい

2010-09-30 23:44:21 | Weblog
 今日は根室までポートセールスに行ってきました。

 ポートセールスというのは、「もっと港を使ってください」という売り込みのこと。港って必ずしも近くの港を使ってもらえないところが難しいのです。

 まず釧路という位置から考えると、この港を利用する背後圏は、釧路圏のみならず根室、十勝、網走など東北海道全域にわたります。



             【釧路の後背圏は広いのです】


 北海道全体の、第三次産業と建設業を除く生産額は約8.4兆円ですが、この後背圏での経済規模は約2.5兆円と約3割を占め、主要産業は、農水産業、食料品製造業、パルプ・紙産業などです。

 この地域では、日本のジャガイモの約60%、小麦の44%、ホタテ貝・サケの60%、昆布の50%を算出します。まあ一大食料供給基地であることに疑いはありません。

 ところで、では釧路港に着目した場合、実際どれくらい使ってもらっているのだろうかということが気になります。

 ちょっと古くて平成16年の港湾統計から引っ張り出してみたところ、この地域へ物を持ってくる移入の場合釧路圏はほぼ100%、その他の地域でも少ないところで50%くらいが釧路港から上がってくる荷物を利用していることが分かりました。



             【移入はこの港から】

 ところが、では地域で産出されるものをどれくらい釧路港を利用して外部へ移出しているかを調べてみると、釧路の99%は良いとして、網走地域で57%、十勝地域では32%、そして根室地域に至ってはわずかに1%程度しか利用されていなかったのです。

 根室の水産物はその83.5%を苫小牧港から出していました。延々と苫小牧までトラックで陸送しているというのです。

 そのあたりの港の利用先をなんとか釧路に変えてもらいたい、というのが今日のポートセールスの一番の眼目なわけですが、実はいろいろな課題も。実はここが『物流』というものの持つ一筋縄ではいかないところなのです。



             【移出はこの港から】


    ※     ※     ※     ※     ※

 釧路港を使って盛らない理由もどうやら一つではなく複数の要因が絡んでいるよう。

 たとえば荷物の運び方。荷物を積んだトラックをそのまま乗せて運んでくれるのはフェリーと言いますが、もう一つのやり方として荷台とそれを引っ張る運転部分(ヘッド)に分けて、船には荷台だけを運びこんでヘッドは運ばないRORO船という形もあります。この場合はついた港でヘッドが待ち構えていて二大と連結して目的地まで運ぶというやり方です。

 このどちらをどれくらいの割合で使うかというのはひとえに運輸会社さんの事情によるわけで、船会社との関係や持っている車の種類、お付き合いの深さなど事情は様々。おまけに荷主からすると、できた荷の輸送は「築地まで○○日までに運んでね。お代はこれだけでお願いします」と運輸会社に一任する形態がほとんどなので、「どこの港を使ってください」という指示はあまり意味がありません。

 釧路の場合、かつてあったフェリー航路が現在はなくなってしまいRORO船の航路しかないのが選択の幅を狭めています。

 次にその定期航路の時間帯と船の便数の問題。釧路から出る船が14時となると、朝とれた魚をセリにかけて梱包して運んできても間に合わない可能性が高く、そうした時間帯の都合も影響してきます。荷が付くのが15時になり、次の船が18時だとしたら、もう少し苫小牧まで走って便数の多い船に乗せることも計算の範囲内になりそうです。

    ※     ※     ※     ※     ※

 そしてなにより大きいのが『片荷』の問題です。

 物流というのは効率的に行いたいもので、荷物を積んで北海道を出てゆくトラックや荷台は、帰りに北海道への荷物を積んで帰ってくれば往復で仕事が取れるので効率的です。これが帰りは荷物がないとなるとトラックをただ運んで帰ってこなければならないので往復を片道の仕事で稼がないといけません。

 ところが北海道の場合、道内から出るのは水産物にしても農産物にしても秋の収穫時期に集中していて、この時期ならトラックが足りないくらい産物を運び出したいものの、そんなにたくさんのトラックが返ってくるときに積んでくるほどの荷物はありません。同時に秋以外の季節では北海道から出すものがなくて持ってくるばかりになりがちです。これが北海道の物流における『片荷』という構造的な問題なのです。

 しかし後背地に大都市を控えているところの港であれば、まだいろいろな荷物が発生する可能性が高く、それに一番近いのが道内では札幌を背負う形になっている苫小牧港であるわけで、物流の世界で最も優位にたつ立地というわけ。

 こうした事情にさらに、高速道路の無料化や鮮度保持技術の向上など様々な要因が重なって、地方港湾を使うよりも定期航路や便数の多い太い物流機能を有するところに集中しがちになります。

 これでは有利なところはますます有利になり、不利なところはますます不利になるばかりです。

 まずは港湾の機能を強化しつつ、いかに荷を集め地域で産出・消費ができるかという大きなサイクルを描く必要があります。地域で人口が減るというのはこうした経済も縮むことなので恐ろしいこと。

 なんとか新しい産業を誘致し、産物を増やし消費を増やしてゆきたいところですが、農水産業がなんとか頑張っている地域性をこれからも生かしたいものです。
 
 物流ってなかなか奥が深いのです。
 
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中国相手に売れるのは

2010-09-29 23:46:24 | Weblog

            【大きな中国、相手にとって不足なし】


 中国ビジネスに精通したAさんをお迎えして、今後の釧路の産物をどのように中国ビジネスに組み入れるかについて意見交換をしました。

 こちら側から「やはりビジネスになるブランド産物と言えば、秋サケやサンマなどの水産物ではありませんか」と訊ねると、「いや、私は乳製品だと思います」とのこと。

「水産物の場合、一つには検疫の問題があるのと、二つ目にはそもそも中国の人は自分の家庭であまり料理をしないので、素材で提供しても売れないだろうと思うのです」
「それでは外食産業に売るというのはどうでしょう」

「日本の水産物+日本酒という組み合わせが中国には浸透していません。それに比べるとワイン文化は圧倒的に浸透しています。なにしろフランスのワイン工場を手に入れてそこから入れさせたりもしているくらいです。ですからワイン文化に合う食材とすると乳製品だと思います。考えてみてください、アジアで高い品質の乳製品が作れる一大供給源と言えば北海道と長野県の一部くらいなものです。この乳製品をブランド化して付加価値をつけることがきわめて現実的な取り組みだと思いますよ」


     ※     ※     ※     ※     ※

「たとえばお土産品のパッケージの仕方一つでも、安い500円の紙製パック、ちょいと高い金属製パックで3千円、最高級品は桐の箱で5万円と値付けをすると、案外最高級品が売れたりするものです。彼らは身内ならば安いもので済ませるけれど、行政の幹部などには最高級品をお土産にする文化がありますから」
「しかしそんな最高級品を買う人は少なくありませんか」

「来日、来道する全ての人にこちらで買ってもらう必要もありません。こちらでは地域限定のブランド製を高めつつ、中国本土にブランド価値を高めた製品を送り込めば良いのです。富裕層は限られていますが、例えば1800万人いる上海市民の1割である180万人に欲しがってもらえば十分ではありませんか。漠然とした北海道の知名度向上イベントの時代は終わりました。これからは売る物と売りたい相手というターゲットを明確にして、きっちりとそこに結び付けるルートを開拓してゆくことが大切です。ロゴだとか物語だとかパッケージなども、そうした明確な戦略の下に作り上げてゆかなくてはなりませんよ」

 幸い釧路管内には、白糠の酪恵舎さん(http://rakukeisya.jp/ )や、鶴居村の酪楽館さん(http://raku2tsurui.jp/)などの高品質なチーズ工房が続々と登場しています。

 これをいかにブランド化して神話にまで高められるでしょうか。

 地域の発展の種まきを始めます。 
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コンパクトシティのエンジンは福祉だと思う

2010-09-28 23:53:41 | Weblog
 釧路市では昨年都市マスタープランを見直しましたが、その中では新たな方針として「コンパクトなまちづくり」を謳っています。

 そこでコンパクトシティのまちづくりに向けた実現方策を探る庁内研究会が始まっており、次回は私も呼ばれることになっています。

 コンパクトシティの問題はその正反対である広がった市街地にあります。

 つまり、だらだらと広がった市街地では、①自動車交通が利用出来る住民は良いけれど、自動車が使えない住民には非常に不便になること。②市街地が広がってしまうと上下水道や道路、除雪などのインフラの管理費が高くなり維持出来なくなること。③しばしば中心市街地の空洞化を招き、町の活力が低下すること、などの問題が現実に起きているのです。

 コンパクトシティの概念は、それらに対する揺り戻しとして、都市の郊外化の拡大を抑制し、市街地の規模を小さく保ち、歩いてゆける範囲を生活圏と捉えて、コミュニティの再生や住みやすいまちづくりを目指そうとするものです。

 そのメリットは、まさに上記の反対なわけで、町がコンパクトであればインフラも効率的に維持管理ができるし、徒歩圏の町であれば自動車は必要ではなく地域の商店街もシャッター街にならずにすみそうです。コンパクトシティはこれからのまちづくりが目指す理想像のようです。 

    ※     ※     ※     ※     ※

 しかしながら、この考えには批判も多くあります。

 その一番のポイントはなんと言っても『我々は過去から独立ではいられない』ということに尽きます。つまり、『もう広がってしまった市街地を縮小させることができるのか?』という問題です。

 コンパクトシティをWikipediaで調べると、次の四点を課題として挙げています。

 ①既に拡大した郊外をどう捉えるのか。
 ②郊外の発展を抑えれば中心市街地が再生するのか
 ③都市計画をツールとして有効に活用できるか
 ④自動車への依存を克服できるのか

 まさに、問題の中心はどうやって実現できるのか、という方策を求めることに外なりません。


 人口が減少しても、都市の市街地は自動的に小さくはなりません。郊外の住宅地などは地域が高齢化して住む人が少なくなれば、空き家と空き地が増えて質が劣化した地域が増えて広がって行くばかりです。

 そのときの問題は土地や家屋の値段が下がることであり価値が毀損することだと思います。苦労してお金を稼いで買った4千万円の家と土地は、人口減少化では1千万円の価値しかもたなくなるかもしれません。ここでは3千万円の価値が消えています。

 原野だった土地が住宅地となって価値を増やした時代から、時計が逆回りに回り始めて価値を下げる時代となりますが、こういうときには拡大の圧力を調整してまちづくりに繋げた従来の都市計画法による誘導は全く無力です。民間の財産を行政が何とかするわけにはいかないのです。

 都市計画の専門家やインフラ整備の専門家だけが集まってもコンパクトシティは実現できないような気がします。

 私がわずかに期待するのは福祉の分野です。エネルギーをこれから拡大するニーズに求めるとすると、やはり高齢者福祉(特に健常な)や介護福祉であり、福祉に携わるNPOの力や医療施設、公営住宅などのニーズを拾うことで都市の中の人口の移動につなげられないものかと考えます。

 お年寄りが持ち家を売って郊外住宅地を離れることに、どのようなニーズや障害があるのでしょうか。

 住んでくれる子孫がいない家はどのように継承されるでしょうか。売れなくて主のない空き家はどのような末路をたどるのでしょうか。質が低下する地域における財産の行く末を思考実験してみることが必要ではないでしょうか。

    ※     ※     ※     ※     ※

 そのため釧路のコンパクトシティの次回の研究会では私が冒頭で問題意識を講演することになるのですが、福祉分野の担当者にお願いをして一緒に入ってもらおうと思っています。

 できるならば、高齢者の方たちの意識などにも触れてみたいと思います。地域は地域の理想像を持つことと、英知を結集した都市経営を行わなければうまくいかない時代になってきたように思います。

 高齢者問題と福祉と都市計画が融合したコンパクトシティ論が作り上げられるかに挑戦してみたいと思います。



【「コンパクトシティ」が抱える3つの課題】
 http://d.hatena.ne.jp/trivial/20090528/1243438237
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【おまけ】 中国完敗という悲観的ブログ

2010-09-27 23:59:34 | Weblog
 先日、海外のブログコメントの中に、日本も結構やるじゃないか、という論調のものがある、という記事をお届けしましたが、中国国内にも「中国完敗」という内容のブログがあるという記事がありました。

 おなじみ中国ブログを紹介するサーチナからの記事です


---------------≪ ここから引用 ≫--------------

【サーチナ/中国ブログ】尖閣諸島問題、船長釈放でも「わが国完敗」の理由 2010/09/27(月)
 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0927&f=national_0927_106.shtml

 中国ではこのほど、那覇地検が24日下した、沖縄県尖閣諸島沖での中国漁船と海上保安庁巡視船との衝突事件における中国人船長の釈放処分に対する関心が高まっている。また、一部では、釈放された船長の「尖閣諸島にはまた機会があれば漁に出る」などという発言を報じ、「戦勝ムード」を盛り上げるメディアもある。

 しかし、中国国内在住の中国人ブロガーは、「それでも中国は完敗」などと、中国の対応の“手ぬるさ”をバッサリ「斬って」いる。

 ブログ「張小潔の幸福生活」では、「同文章が削除も覚悟の上」として、今回の衝突事件を「日本が完勝した5つのポイント、中国が完敗した4つのポイント」などと分析。日本の「完勝ポイント」については、◆尖閣諸島での日米間の安全保障や日本の領有権の主張において、米国から「確約」を引き出した◆尖閣諸島における中国政府の「出方」を探ることができた◆衝突問題における船長の釈放が検察庁の判断であり、日本政府の判断ではないことから「外交問題ではない」との日本の姿勢が強調された◆日本国内の反中感情をあおることに成功した◆自国社会における様々な矛盾に対する、中国人の「鈍感さ」を日本人に知らしめた――などを挙げ、日本政府の“したたかさ”を強調している。

 一方、中国の「完敗ポイント」は、◆領有権の侵害という最も大きな主権侵犯に対して、大使の召還や国交断絶などの厳しい措置を取らなかった◆経済制裁を発動しなかった◆同問題に対する国内の世論をコントロールし切れていない◆日本政府から謝罪や賠償を引き出せない上、船長をチャーター機で自ら迎えに行っている――などとし、中国政府の対応を「手ぬるい」と厳しく指摘した。(編集担当:金田知子)

---------------≪ 引用ここまで ≫--------------


 外交にはヒートアップする国民感情や国民世論を上手に対外的な武器として使うとともに、ときには相手国の国民感情からそちらにしか動けないという状況を自国の利益に繋げるようなしたたかな力量が必要ですが、日本はどうでしょう。


 中国では「勝った勝った!」という論調が多く、日本では「負けた負けた」という論調が強いのですが、それぞれ中には世の中の論調とは正反対のことを言いたくなる天邪鬼もいるということだけなのかもしれませんが。

 ギリシャ神話では、トロイの王プリアモスにカサンドラという娘がいましたが、彼女はアポロンに愛されて予言の力を授かったもののアポロンに冷たくしたことで、その予言を誰にも信じてもらえないという呪いをかけられました。

 往々にして正しいことを言う予言者は世の中に信じてもらえないという呪いを背負ているのかもしれません。 
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エリートとは何か

2010-09-27 23:26:21 | Weblog
 私の「なでしこU-17の応援とツイッター」という記事を読んで、知人のKさんから、「福島のJFAアカデミーでは全国から集まっているサッカー選手、なでしこの卵たちが頑張っていますよ」というコメントをいただきました。

 紹介されたJFAアカデミーのサイトを見ていると「エリート」という単語が出てきました。ともすると鼻につく特権意識と見られがちな「エリート」という単語をあえて使うことで、JFAアカデミーでは選手の育成に対する確固たる哲学を示しています。

 素晴らしいのでちょっとだけ引用を。

---------------≪ ここから引用 ≫-------------- 
JFAアカデミー 「はじめに/フィロソフィー」より
 http://www.jfa-academy.jp/philosophy/





 私たちは、現代の日本であまり使用されることのない「エリート」という言葉を使っています。

 私たちは、この言葉に対し、日本では強い抵抗感があると感じています。しかし、そこを敢えて使っているのです。

 現在の抵抗感は、本来のこの言葉の持つ意味を離れたところで生じていると感じています。本来のエリートとは、決して特権階級を指すのではなく、先頭に立って社会に貢献する義務を負うリーダーを指しているのです。

 また、日本の教育は戦後、大衆化、平等化の方向をとりました。これはある時期必要なことであったと思いますが、現在、社会的なリーダーの不在およびその育成の必要性がうたわれ始めており、国を挙げてエリート教育に取り組む国も出てきています。

 ボトムアップとプルアップという言葉があります。ボトムアップとは、文字通り底上げです。プルアップとは、エリート教育の成果を還元し、社会全体を引き上げていくという考え方です。

(…中略…)

 私たちは、サッカーという競技の特徴を把握した上で、子どもの発育発達の特徴を研究し、「長期的視野に立った育成」という観点から、それぞれの年代ごとに重点的に取り組むべきこと、適した方法等について、検討を重ねてきました。サッカーについて、そしてサッカー以外の部分について、子どもの頃にこそ取り組ませたい大切なことがたくさんあるという認識に至りました。子どもは小さな大人ではありません。子どもにはそれぞれの年代で子どもに合った取り組みがあります。それを踏まえ、それぞれの年代で最適な環境・指導を与えることが重要です。

 また、いわゆる「ぶつ切りの強化」、小学校、中学校、高校でそれぞれがばらばらにそれぞれの時点で完成されたチームをつくって勝とうとすることは、ともすれば、選手の長期的な育成の観点からは、弊害になる場合があります。せっかくのポテンシャルを生かしきれずに終わってしまう選手が実にたくさんいます。本来であれば皆が同じビジョン、コンセプトのもとで子どもがチームを移ろうとも長期的視野に立った育成がなされていけばいいはずですし、私たちは常にそれを目指していますが、それはなかなか簡単なことではありません。そこに一貫指導の意義があります。

 私たちは、若年層の育成に長年にわたり積極的に取り組んできて、若年層であればあるほど、可能性を持ったタレントが実にたくさんいることに気づきました。その子どもたちに、是非とも良い環境と機会を与え、持ち合わせた可能性を開花させることができるようにすることが重要であると感じています。

 エリートに対する抵抗感のもうひとつには、選ばれなかった者の抱く差別感があると思います。

 子どもは時間をかけて、さまざまな刺激を受けて、個人によりさまざまなスピードで成長していきます。若年層でたとえ選ばれなかった子どもがいても、もちろんそれで終わりではありません。それがその子が将来大成しないという判定を下すことでは決してありません。その中からも将来の日本を担う人材が育つと考えています。また、若年層で選ばれた子どもが、将来を保証されたわけでもありません。このプログラムに選ばれたからといって、全員がプロになれるわけではありません。このことは、本人も周囲の大人も、必ず理解しておいていただきたいことです。だからこそ私たちは、サッカー以外の面でも世界に通用する人材となるようなプログラムを組み込んでいこうと考えています。

 また、プルアップの考え方で、一部のレベルを上げることによって、周囲のレベル、全体のレベルを引き上げることが可能であると考えています。それによって、ベースを含めたサッカー界全体の幅と厚みが広がり、それが単に直接的な意味だけではなく、世界トップ10を目指す日本代表の活躍につながる大きな力となることを、大いに期待しています。

 子どもが育っていく上で、それぞれ重要な若年層のある一時期において、良い環境と良い指導を与える機会をつくりたいと考えています。そのことを是非ともご理解いただきたいと、強く願っています。


---------------≪ 引用ここまで ≫--------------



 JFAでは、2006年4月よりJFAアカデミー福島を開校し、2校目の展開として2009年4月よりJFAアカデミー熊本宇城を開校しています。

 この中ではロジング(寄宿舎)形式という形で中高一貫教育を行っています。人生のはやい段階で高度な刺激を与えることで、可能性のある芽をさらに伸ばそうというのです。こうして育ったU-17があんなに強い理由の一端が分かりました。

 エリート教育とは、エリートであることがどういうことかを含めて高いレベルの刺激を与えて育成しつつ、高いレベルの自覚を求めるということです。

 そのためのスキルは長い時間をかけて多くの指導者のメガネにかなう者だけが選ばれてゆく。リーダーというものは突発的に選ばれるのではなく、長い時間とすぐれた眼力によって選ばれるものだというのは、今日の日本を見ると示唆に富んでいるように思います。

    ※     ※     ※     ※     ※

 今日釧路市は、管内の厚岸町との間で定住自立圏形成のための協定を締結しました。これからは互いの役割を自覚しつつ、効率的で活力ある地域づくりに向けて協力してゆこうというのです。

 釧路市は昨年12月に定住自立圏構想における中心都市を宣言しました。

 地域の中ではエリートである自治体としての、高い能力と強い自覚がますます求められることになります。

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なでしこU-17の応援とツイッター

2010-09-26 23:24:59 | Weblog
 朝早くにFIFA U-17女子ワールドカップ大会決勝の対韓国戦が行われました。

 放送はCS放送のフジテレビNEXTで今日の朝6:50からあったらしいのですが地上波ではなし。CS放送が映らない私の家ではもちろん見ることができません。

 そういえば朝決勝戦があったんだ、と思い出したのは朝8時くらい。一たび思い出すと試合状況がどうなっているかが気になって仕方がありません。

 (そうだ、こういうときに役立つのがtwitterだ!)と気が付いて、twitter上でU-17の決勝を応援しているつぶやきを探しました。すると「#nadesiko」というハッシュタグをつけたつぶやきが、テレビ放送を見ている方からの実況中継を流してくれていることを見つけました。



          【ツイッターで次々につぶやきが寄せられます】


 リアルタイムで「○○がボールを持ち込んでシュートするも右に外れる!」と次々に実況がつぶやかれていきます。

 次々と寄せられる声の中に「こんな緊迫した試合が見られないなんて残念だ!なんで地上波放送しないんだ!」という声がありました。するとすかさず「ここで観られますよ http://jterevision.blogspot.com/…」と、決勝開催国の地元トリニダードトバゴでインターネット実況放送のアドレスを教えてくれる人が登場しました」

 おお、これはありがたい、と早速そのアドレスにアクセスしてみると、見事にこの生放送を見ることができました。皆が知っていることをつぶやき、それを皆が見ることで知識や情報が広がってゆくのがツイッター。

 参加者は知っていることをつぶやくだけで集合知が形成されてゆくのです。この瞬間だけは見知らぬ人とでも助け合う仲間意識が働きますが、これまた面白い現象です。

    ※     ※     ※     ※     ※ 

 現地の放送はスペイン語らしく、「ドラマティカ・フィナーレ!」(たぶんドラマチックな決勝だ!か?)などとアナウンサーが叫んでいます。

 試合は終始押し気味に進めながら3-3で延長戦に入り、それでも決着がつかずにPK戦に。PK戦では残念ながら敗れてしまいましたが、この世代で世界有数の実力があることが明らかになりました。これは将来が楽しみです。 



          【とてもなめらかな映像。なでしこ選手は皆カワイイですね】
 
 それにつけても、こうしたツイッターやストリーミングで観られるサイトがあって、それをネットの世界で共有できると楽しみ方も多様になります。

 既存のテレビ放送が追いやられてゆくのも仕方がないのかなあ、と思わせる朝でした。


    ※     ※     ※     ※     ※

  
 昼からは釧路市内のイベントや観光施設を巡って歩きました。

 夕方ちょうど幣舞橋あたりで釧路へ来て初めて夕日が沈むところに遭遇。

 とってもきれいな夕日でしたが、釧路川に日が沈む方向って実は海ではなく遠くに陸地があるんだと初めて知りました。

 夕日の観望ポイントを探しておこうっと。



          【釧路の夕日は船や港など添景物に風情があるのです】
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【おまけ】 尖閣問題、別の視点で見ると

2010-09-25 23:58:57 | Weblog
 尖閣諸島の船長釈放問題で、マスコミもこぞって地検や政府の対応を批判に回っています。

 「中国様がさらに拳を振り上げたぞー」と早期釈放を煽ったのもマスコミのような気がしますが、まあ国民の多くが船長を処分保留で釈放という結果に釈然としない感情や、後々に禍根を残したという思いをもったことは事実でしょう。

 この状況で「これで良かった、大人の対応だ」と言うのは親中派のスパイか、民主党信者くらいなものだ、というレッテルが貼られそうです。

 しかしひとたびネットの海を泳ぐと、実にいろいろな情報があるわけで、ムカムカする感情をちょっとだけ抑えて、現政府批判一辺倒からはちょいと離れた視点を持ってみるのも一興ではないでしょうか。そこでブログで拾ったネタをちょっとご紹介してみます。

    ※     ※     ※     ※     ※


 私が時々読むブログの一つに、三橋貴明さんという経済評論家の「新世紀のビッグブラザーへ」というものがあります。その9月25日版の記事のタイトルは「中国と北朝鮮へ感謝を」というもので、防衛意識や国家意識などが薄れてしまっている日本人を覚醒させてくれた中国と北朝鮮に感謝しようという、皮肉を込めた政権の判断に対する批判でした。

http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/day-20100925.html

 こちらのブログには読者からのコメントが多数寄せられていて、それを読むのも結構面白いのですが、三橋さんの記事に賛同する声が多い中、ちょっと変わった視点を持った読者からのコメントがあり面白いと思ったので引用させていただきます。


 ---------------≪ ここから引用 ≫--------------


22 ■無題

三橋様
素晴らしい数々の記事、いつも拝見させて頂いております。毎回、目からうろこの気分です。

さて、今回の尖閣諸島の件の結末について、海外サイト(といっても英文のみ)を幾つかざっと目を通してみたのですが、なかなか面白い傾向がありましたので、コメントさせて頂きます(初コメントです)。
まぁ~、マスゴミは、どこの国も同じですので、つまらない行き当たりばったりの記事が殆どだったのですが、それらに対するコメントが非常に興味深いものがありました。
もちろん、マスゴミが報じるように、「勝った、勝った!」と喜び勇んでいる中国系と思われる方々や、「日本の負け」をどこか歓迎する雰囲気の方々もいらっしゃるのですが、以外にも以外、日本の今回の対処を冷静に大きく評価する方々の知的なコメントが多かったのにびっくりしました。これらのコメントを纏めると以下の通りです:

1.日本側は、国内法に則って、粛々と時間を掛けて船長を取り調べた
2.その間、中国側はありとあらゆる手法で、日本側に圧力を掛けてきた
3.日本側は、中国を少し挑発しながら、中国側のカードを出来るかぎり引き出すことに成功した
4.日本側は、二回目の拘束期限ぎりぎりになって、しかも中国がこれでもかというぐらいカードを出し終え、さらに米国が日本側を支援することを確認したその時、まさにサプライズで、船長の釈放を決定した(一応、前向きは、超法的措置ではなく)
5.その結果、どうなったか。まず、中国側は、自らの遵法性のなさと、その専制的な恐怖を世界にさらけ出した。
6.かつ、中国側が、「勝った、勝った」と喜んでいるのを見て、これから世界中の人々は、中国という専制国家の後進性をさらに目の当たりにするであろう
7.一方、日本側は、一見負けたように映るが、実際は外交上何も失っていない
8.それどころか、日本側は、国内の中国に対するカントリーリスクというものを再認識し、民間が国際ビジネスの多角化をスピードアップさせることを促進できる
9.さらに、安全保障でも、戦略・戦術的な構想を立てる上で、ひとつの指標を設定できた
(続く)

クーン 2010-09-25 11:36:21 [コメント記入欄を表示]

23 ■無題

10.日本側にとって、何よりも、大きな成果は、今回の事件を最初から最後まで日本側が主導する形で行われ、他国のサポートを一切受けていないこと、さらには米国側の支援を取り付けた後すぐに解決させたことで、日本の独立性を主体とした戦略作りを推進できたこと

とまぁ、全般的にこんな感じで、なかなか的を射ているなと、感心してしまいました。
結局のところ、今回の対処で明らかにバカを見たのは中国であると思います。今後どうなるかは、色々と想定できると思うのですが、少なくとも、単純に日本側が悲観するような状況にはないように思えます。
突然の訪問失礼いたしました。


    ※     ※     ※     ※     ※


79 ■中国側の内情も勘案する必要が

※今回はソースのつけられない伝聞も混じっていますので、とりあえず話半分に。

ひとくちに中国政府・中国軍といっても、上海など各地の地方閥から送り込まれて、その意に沿った行動をとる人間も多いわけでして。
で、今回の件については「血の気の多い現場の暴走」+「外国からの批判を利用して北京政府を(中国国内的な意味での)政治的窮地に追い込みたい地方閥の思惑」+「地方閥が独自にオルグした日米国内の分子の独断専行」が重なった結果という話もあります。
三橋さんの著書でも何度か言及されていますが、中国とは決して一枚岩の国家ではなく、各地の軍閥の寄り合い所帯を北京政府が何とか宥めすかし、脅して統率している、いわば「中華人民共和国連合(とても連邦とは呼べません)」であるわけです。

で、キナ臭い話としては、この件既に米中(ここで言う「中」とは温家宝主席)の間で話がついたシナリオ通り(ただし船長釈放はタイミングが早過ぎた)との噂があります。
ただし米中密約とはいえ、別に日本を嵌め込もうということではなく、むしろ地方閥と現場の暴走を取り繕うために、中国政府側がアメリカにとりなしを頼んだという形のようです(中国側の声明がエスカレートしていったのは、国内向けのポーズに過ぎません)。
とりあえず義憤は横に置いておいて、今回の件について関係各組織の得失を冷静に評価してみると、なかなか面白い構図が見えてくるのではないかと。

#もっとも、今の日本政府がその構図をうまく利用できるかどうかは別の話ですが……困ったもんだ。


少額納税者 2010-09-25 23:47:15 [コメント記入欄を表示]


 ---------------≪ 引用ここまで ≫--------------

 いかがでしょう? 視点の立脚する場所は偏ったソースに依るべきではなく、多様に持っていた方がよさそうです。

 ネットを使わず、テレビや新聞という狭い情報源に頼ると、ますます情報弱者になってしまいそうですし、語学を勉強しなくちゃいけない理由もこんなところにあるわけですね。

 

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釧路湿原一周ドライブ

2010-09-25 23:46:46 | Weblog
 


 うちの奥さんが釧路にいるのはこの週末まで。今日は二人で釧路湿原を反時計回りにドライブです。

 旧釧路川はもともと河道断面積が小さくて水害を起こしていたのですが、特に大正9(1920)年の洪水被害は大きく、これをきっかけに新釧路川を作って治水を安定させることにしたもの。

 岩保木水門はその際に新釧路川と旧釧路川とを分ける水門になっているのですが、昭和6(1931)年に完成した旧水門と、新しく1990年に完成した新水門とがあります。

 実は新釧路川を作った時も、旧釧路川へ川を利用して木材を運ぶ構想があったものの、鉄道が発達したために下線を使って木材を運ぶことはなく、この水門も一度も開けられたことはないのだそう。これ豆知識ね。


          【新岩保木水門】



          【旧岩保木水門】


    ※     ※     ※     ※     ※


 続いては釧路町細岡地区にある細岡展望台へと向かいます。こちらは湿原の東側の高台ですが、釧路湿原はかつて東側が沈降して西側が隆起したことから大きな川が東側に集まっていて、川が大きく蛇行する湿原の警官が最も楽しめるのがこの細岡の展望台です。通称「大観望」と言われ、文字通りもっとも湿原が豪快に見える場所。

 早くこの川をカヌーで下りたいものですが、実際にカヌーで下ると案外川岸の樹木が高くて湿原景観は楽しめない、とも。でも流れが穏やかで楽しそう。

 カヌーの乗り降り場所もそこここに整備されていて、地元でのガイドサービスも充実しています。短い体験コースから長いツアーまでお好みと力量に合わせて選んでみてはいかがでしょう。



          【細岡展望台からの風景 川の蛇行が見事です】

    ※     ※     ※     ※     ※

 さらに車を走らせてコッタロ湿原展望台へ。

 こちらは湿原の北の方に位置する高台で、ヨシやスゲからなる低層湿原が広がり、川幅も狭まりきらずに沼が点在するところ。

 釧路湿原の太古の姿はこんな風だったのではないか、と言われるような、また一風変わった湿原景観。湿原と一言で言っても、実に多様な景観があるのです。



          【コッタロ湿原展望台からの風景 沼が多いのです】


 帰路に着く途中にはトウキビ畑の片隅で親子のタンチョウヅルが見られました。まだ子供タンチョウの羽は真っ白にはなり切れておらず茶色ぽさを残しています。

 タンチョウヅルが簡単に見られることが普通のことになりかけているとは贅沢だなあ。


          【タンチョウの親子 こんなに簡単に見られるなんて】



 日没の夕焼けもひときわきれいでした。湿原で見るともっとすごかったろうな。



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福祉の一歩は場づくりから

2010-09-24 23:35:10 | Weblog
 空いた時間を利用して、市内の施設を見学。今日はNPO法人地域支援ネットワークサロンさんが関わっている地域起業創造センター「まじくる」を見学してきました。

 ネットワークサロンさんはもともと障害を持つ子供さんのお母さんたちが集まって顔を合わせながら悩みを語り合う会としてスタートし、そこから地域の悩み事を地域が解決する会として、任意団体として独立してスタートしたのだそう。

 今では行政から様々な福祉予算を獲得して、様々な悩みを語り合う場づくりのベースとなる建物まで取得して活動を広げています。

 今日お訪ねした「まじくる」はもともとコンビニだった建物を買ってNPOの拠点としつつ、障害者や失職者に対する事業を行っています。





 今日訪ねた時には、現在政府が行っている「社会的企業人材創出インターンシップ事業」の研修が行われていました。

 こちらでは就労希望コースというコースの研修で、就労希望者がまずは働くことの理念や基礎を学び、実務の知識やスキルを身につけます。そのうえでネットワークサロンによって協力してくれる企業にインターン就労を行い、企業は人となりを見極め、就労希望者は企業を下見し体験的に働けるというわけ。





 ハローワークではそうしたきめの細かい就労体験はできず、就労希望者側でも自分のスキルで足りない部分に気付くという機会がありません。

 こちらの研修は国の研修を実践していると言いながら、そもそもはこちらが始めていた失職者の場づくりを国が事業として取り入れたというのが本当のところ。それまで細々とやっていたことに予算がついたということに外なりません。

 もともとこちらが始めたわけですからその理念は確たるものがあります。

「まずは悩みを語り合う『場』が必要なんです。その『場』で悩みを語り合うことで自分に足りないものや自分ができること、してあげられることに『気が付き』ます。そこに悩みやニーズがあるということは、誰かがやってほしいことがあるということで、それは事業の種だということです」
「なるほど」

「悩みを抱えると、人は誰にも話せず家に引きこもりがちになります。そういう人たちをまずは社会に出て来られるようにした方が良いのですが、そのためにはまず物理的な『行き場所』が必要になるんです。私たちはその場所を提供しているだけで、そこに集う人たちが語り合う中で自分たちで足りないことや気が付くことがたくさんあるんです」

    ※     ※     ※     ※     ※

 同行してくれた福祉の担当者は、「見ているとここに来る人が笑顔で、どんどん元気になってゆくことが分かります。なかには生活保護の方もいますが、そういう人たちでも社会に参加して就労しようとします。仕事につけても収入は少ないことが多いです。でも社会に参加できて収入が得られれば、『半就労、半福祉』で良いのです。そうすれば社会として元気になり福祉のための予算は収入の分少なくて済みます」と言います。

「なるほど、生活保護世帯率は高くても、かかる費用は半分ということだってありうるわけですね」
「そうです」

    ※     ※     ※     ※     ※

 こちらの建物には知的障害を持った人たちが集う部屋もあったり、認知症のお年寄りを一時預かるサービスも行っていて、そうしたサービスも介護保険としておこなっているわけではありません。





「そうした行政サービスを行うと、サービスを提供できる人とできない人がはっきりと線引きされてしまいます。こちらでは地域の人たちが困ったら相談してきて福祉サービスで救われない人をどうするのか、ということの方を大切にしたいと思っています」とはNPOの方。

 困りごとやニーズは事業の種、というのがこちらのNPOの一貫した姿勢です。

 そのためにもまずは困った人たちが集まれる場を作るということを大切にし、その意味が良く分かりました。

 釧路には福祉のモデルとなる最前線の活動があるのです。

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