北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

女性の活躍する時代~幌加内新そば祭り名人戦

2014-08-31 23:29:40 | Weblog

 大人のクラブ活動、北海道蕎麦研究会での出店の二日目です。

 年寄りは朝早いのはもちろんですが、今日は今年の北海道チャンピオンを決める北海道名人戦に参加する人もいるので、気合が入って皆早起きです。

 朝4時には起きて蕎麦打ちの練習をする人と、あとは今日売る蕎麦を打つ人たちで、朝早くから蕎麦打ち会場はごった返しています。

 名人戦に出ようという人が、とりあえず我々が売る蕎麦を練習用にと売っていましたが、さすがに上手です。

 でも正直言うと、茹でてみるとなお一層腕の違いが出てきます。皆同じ粉で打っているにもかかわらず、短くなったり腰がしっかり出ていたり。蕎麦の世界は微妙なのです。

       ◆   

 さて、昨日時間を食ってうまくいかなかった配膳のシステムを今日はいろいろと変えてみて、今日は昨日よりも多く売ることを狙います。

 今日は不思議に天ぷらつきの蕎麦が売れて、天ぷらが間に合わないためにお客さんを待たせるという時間ロスが発生しました。

 それでもとにかくお客さんがたくさん押し寄せてきて、茹で方に上手な人が来てくれたことで、数は売れました。

 結局目標の1,200食をはるかに上回る1,300食が売れたそうで参加者一同歓喜の声、達成感に充ち溢れました。

 座る間もなく食べる暇もなく、それぞれの持ち場を守って得た成果です。実に爽快な気持ちになりました。


       ◆   

 
 さて、別会場で行われていた北海道チャンピオンを決める名人戦ですが、わが蕎麦研究会の保住トヨが女性としては初めての名人になりました。会にとっても名誉なことですし、努力を重ねた結果と心から敬意を表します。

 この女性、実は昨日は一緒に蕎麦稲荷を詰めたり、天ぷらを揚げたりしていたのですが、今日は一躍時の人です。

 なんでも一つの事に打ち込むということは人生を豊かなものにしますね。

 新そば祭りに来てくれた皆さんありがとうございました。そして参加してくれた会員の皆さん、お疲れ様でした。 

 

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大人のクラブ活動~幌加内新そばまつり

2014-08-31 22:04:35 | Weblog

 朝4時に札幌の家を出発して車は一路幌加内町へ。今日は幌加内町最大のイベント「幌加内新そばまつり」。

 私は北海道蕎麦研究会のメンバーとして、蕎麦を売る出店のスタッフとして参加するのです。

 幌加内新そば祭、例年道内各地の名だたる蕎麦打ち愛好会のみならず全国から自慢の蕎麦を売るためにはるばるやって来ます。

 地元幌加内高校のブースも人気ですが、道外では福井県、兵庫県、福島県からもはるばる参加してくれています。

 私の参加する北海道蕎麦研究会は、素人手打ち蕎麦愛好会としては道内で最も最初に結成された会で、歴代北海道名人を何度も出している中心的な会です。

 毎年、この幌加内では蕎麦を売っていますが、だんだんただの蕎麦を売るだけでは飽きたらず、最近は普通の"もり"、"かけ"以外にてんぷらをつけた"もり天"、"温天"、さらには"そば稲荷寿司"も提供するようになり、事前準備にとても時間がかかるようになりました。

 私は転勤してしまう関係で、毎年参加とはいかないのですが、今回は参加できました。出てみれば昔からの知人と再会し、また新しい方との出会いもあって楽しい時間です。


 しかし蕎麦を売るイベントは過酷です。朝早くから蕎麦稲荷やら天ぷらを仕込み、9時に蕎麦売りが開始されてからはお客さんが長蛇の列になるために戦争状態。

 客足がまばらになる14時過ぎまで立ちっ放しで昼も食べずに働きづめで足が棒になりました。

 ときどき知っている人が並んでいるのを見かけるので声をかけると「あれ?なんで小松さんがここにいるの?」とびっくりしています。まあそういうのも楽しい瞬間です。

 今日の土曜日で出た蕎麦は950食だそうですが、明日は1200食をめざそうとさらに気合が入っています。


   ◆   

 今日の売り方が終わると夜は懇親会。世話役がバーベキューから飲み物まで用意をして今日一日の疲れを癒します。まあ大人のクラブ活動という感じですが、年に一度くらい会っていれば繋がっていられる付き合いです。

 もっとも、一緒に談笑している人が過去の北海道チャンピオンだったり女流名人だったりと、蕎麦打ちの技術ではもう遠く彼方を走っている人たちばかりだと思うと、ちょっと緊張もします。

 しかし大人の友達というのは利害打算がないのでこの場限りの濃すぎない付き合いができます。

 肩書など関係なく、何かトラブルがあればすぐに片づけるスキルがあってそのように振る舞えるかどうかがポイント。

 そうやって皆が蕎麦を売るという名の下に協力し合う。こういう時間って良いものだと思います。

 

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明日から幌加内新そば祭りに参加してます

2014-08-29 22:07:28 | Weblog

 明日は数年ぶりに幌加内新そば祭りに参加してきます。

 段位取得はありませんが、昔からの蕎麦打ち仲間の友人たちと一緒に、蕎麦を打って…ならぬ売っていることでしょう。

 明日参加するのは、「北海道蕎麦研究会」というところのテントです。

 もちろんそこ意外にも全道各地から蕎麦打ち愛好会が集って、それぞれ自慢の蕎麦を食べさせてくれます。

 今年は13店舗が出店するそうですが、多くの方から「小松さん、中でも美味しいお店はどこでしょうか」と良く聞かれます。

 実はこのイベントでは、使う蕎麦粉は実行委員会から提供される幌加内の蕎麦粉だけ。

 なので、蕎麦の味はほとんど変わりません。違うとすれば蕎麦の太さや長さでの微妙な違いと、あとはそれぞれがつくる蕎麦つゆの違いでしょう。

 もちろんわが蕎麦研の汁は自慢の汁で、私はいつも一息ついたところで冷たい蕎麦を食べますが、まあイベント参加は幸せの極致です。なんせ身内はお金を払わずに食べ放題ですからね。

 幌加内新そば祭りでは札幌からのバスツアーも出ていて、妻はそちらに参加してやってくるそうです。

 
 明日と明後日の新そば祭り、働き手が多いようでしたら、途中で失礼して雨竜川へ魚を追い求めるのも良さそうです。

 天気も何とか持ちそうです。皆さん、こぞってご参加ください。


【幌加内新そば祭り】 http://bit.ly/Z04iLK

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生き方も心がけと練習一つ

2014-08-28 23:49:49 | Weblog

 この時期、ほぼ毎週のように妻とフライフィッシングに出かけているのですが、最近は妻の方が大きな魚を釣るようになりました。

 先週も川幅が数メートルの優しい川へ入ったのですが、そこはヤマベの生息地。

 魚体が10センチにも満たないような小さなヤマベが、この辺りがポイントと思われる場所へキャストすると、実に正直にそのフライに思い切り飛び掛かってきます。

 フライへの反応は実によくて楽しくなるのですが、なにしろヤマベはフライに食いついてから「あ、しまった、これは虫ではない」と判断するのが早く、食いついたと思ってから竿を引き上げるのではまず間に合いません。

 そんなヤマベを上手に釣り上げるコツは、「ここで出る」と思うこと。

 思いもよらずに出るのではなく、「ここで出る」と用意をしているところへ出るのなら反応がほんの一瞬早くなって釣り上げられる確率が上がるのです。

 妻も最初はヤマベの素早さに翻弄されていたのですが、半日もやるうちに少しずつ慣れてきて、最後にはちゃんとヤマベを釣り上げました。

 おまけに、滝壺で大物が狙えそうな大きなたまりでは私よりも大きな20センチほどのニジマスを釣り上げてご満悦。

 しかも「そこにはいないんじゃないの?」と私が言ったポイントへ投げ込んでのヒットなので、なお一層嬉しかったようです。

 狙った場所にフライを投げ入れて、それをほんの数十センチでも川の流れ通りにナチュラルな流れに見せて食いつかせ、タイミングを合わせて釣り上げるのですから、まあ一つの形になってきたということでしょう。

 何事も数をこなしていれば、見えていなかったものが見えて来るようになるということを目の当たりにした思いです。

 
       ◆   


 人生も場数を踏んで、自分の振る舞いにどんな反応が返ってくるかを体で覚えることです。

 しかしおそらく、ただひたすら誠実に尽くすことが一番間違いがない生き方です。

 吉田松陰は「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり」と言っています。

 まさに生き方の練習を積み重ねてどんなときも誠実に生きるということができるようにすることが人生の練習の成果と言えるでしょう。

 その練習も半端な気持ちではなく、全人生を投入するような生き方の練習であるべき。

 さて、釣りも人生も練習練習。人生の残り時間はどんどん少なくなっています。

 

 

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御前崎茶の親善大使になる

2014-08-27 23:50:20 | Weblog

 静岡県中部で太平洋に突き出しているのが御前崎。

 そこにあるのが御前崎市ですが、今日この御前崎市長から私を含めて7名が「御前崎茶アンバサダー」に委嘱されました。掛川市で助役をしていたことがここまで繋がりました。

 アンバサダーとは「親善大使」という意味ですが、求められる役割は、「緑茶のある暮らし、美味しさ、愉しみ方などを折に触れて紹介するというもので、任期は二年。静岡の人になったように緑茶を飲んでほしい」というもの。

 あまりきつい縛りではなく、静岡らしくゆるゆるした協力依頼と言ったところです。

 宣伝をするために年4回、お茶が送られてくるというので、飲んでよし配って良しのお茶三昧。アンバサダーの名刺も配られましたが、これからは名刺代わりに御前崎茶のパックを手渡すことになるかもしれません。

 緑茶と言うと静岡茶の外に狭山茶、宇治茶が三大産地で、最近では鹿児島茶、知覧茶、八女茶などの産地が攻勢をかけています。

 しかし御前崎茶が他と違うのはお茶の品種。緑茶の多くが「やぶ北」という品種で作っているのに対して、御前崎では「つゆひかり」という品種に切り替えて、これで勝負しようというのです。

 その違いはやぶ北に比べて渋みが少なく、水出しでも爽やかに飲めるということと出した時の緑色が鮮やかで美しいということです。

 コーヒーならブルーマウンテンだとかモカ、紅茶だったらアッサム、ダージリン、アールグレイなどの品種の違いを楽しむのに、なぜ緑茶はやぶ北だけなのか、それで良いのか、という現状へのアンチテーゼだと言えるでしょう。

 
      ◆   


 御前崎の茶商さんたちが、北海道をターゲットにしてお茶を売り込もう、ということになったいきさつを、今日のアンバサダー就任者の一人であるフォトジャーナリストの残間正之さんが紹介してくれました。

 残間さんが御前崎茶の関係者と釣りに行って、その帰りに美味しいと評判のカツ丼屋さんへ入ったところ、水しか出なかったのだそう。

「ここはお茶は出ないのですか」と訊くと、「うちは商売を百年やっているけれどお茶を出したことはありませんね」と言われ、改めて北海道はお茶を飲む主幹がないんだなあ、ということを実感したといいます。

 そしてそこで、「お茶を飲む習慣がないのだから売れない」と考えるか、それとも「お茶を飲む習慣がないのだから新しい提案が受け入れられれば売れるかもしれない」と考えるかの二つの道があるわけですが、御前崎では後者のように考えました。

 よく営業を考えるときのたとえ話で、靴屋がアフリカへ行った時に、「皆裸足で靴を履く習慣がないから売れない」と考える人と、「皆裸足だから靴を履くようになれば売れるに違いない」と考える人がいる、ということが言われます。
 今回はまさにそのお茶版であるわけです。

 
       ◆   


 お茶は食事につきものの飲料ですが、お米の消費と平行に推移していて近年は米の消費量が下がるのに伴って売れ行きが下がっています。

 その一方で旅のお供には砂糖の入ったドリンクよりはお茶が良い、と思う人が随分増えてきました。そしてペットボトルとはいえ、お茶を飲むのにお金を払うのが当たり前というところまでも来ました。

 どうせ飲むのだったら、煎じるか水出しにするか、あるいは粉茶を溶かすかの違いはあれど、ちゃんとした信用できる茶葉を使うというライフスタイルが北海道にできあがるかどうかがカギと言えるでしょう。

 本当に美味しいお茶とは何か、ということがわかる目利きを増やしたいところです。

 私も微力ながらどうせ飲むなら、国内産100%のお茶を、そしてそのなかでも御前崎の「つゆひかり」は美味しいよ、ということを伝えていきたいと思います。

 お茶のあるライフスタイルこそ健康長寿の近道です。

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組織経営は職人芸

2014-08-26 23:35:51 | Weblog

 職場において「組織を活性化させ職員にやる気をもってもらうこと」は組織経営上大変重要なテーマです。

 そのために、「マネジメント」の手法を取り入れて具体的で体系だった指導が行われています。マネジメントとはつまり「組織や職場の目標を達成するために」、「ヒト・モノ・カネ・情報・時間などの経営資源(リソース)を、「効率的、効果的に活用する」ということです。

 マネジメントを学びその手法を使えるようになれば、多くの職員、特に管理職において(上司として)組織を経営することができる、そういうことが期待されています。
 しかし「誰でもできる」ということは可能なのでしょうか。

 人によってはマネジメントの手法を学んでもそれを実践できないと嘆く向きもあります。ウシオ電機の牛尾治朗さんは「企業経営の七割は職人芸だ、指導力と言うのは職人的技術が七割くらいだ」と言っています。

 そしてその職人的技術はどうやって身に着けるかといえば、「徒弟奉公に近いようなたゆみない訓練によるしかない」と牛尾さんは言います。

 この職人技とは何かといえば、人の心を察したり、誠実な心根をもち、それが相手にも通じて畏敬の念を生じる、利害で動くのではなく部下自身の誠の心が”やらずにはおられなくなる”というような人間的な魅力つまり徳目を育て「人間力を磨く」ということなのではないかと思います。

 この人間力を鍛えずにスキルの部分を学ぶと、スキルは身に着いて教えられたとおり実践したとしても、人はなかなか心からは動いてくれないものです。


   
 人はしばしば、「上司になれば部下は命令を聞く」と思っていますが、それは半分正しく半分間違っています。

 もちろん職務上の命令は職務として遂行しますがそのときの態度には二通りがあります。一つは、心から命令権者の喜びを我が喜びとしてともに喜びを分かち合うような最高の成果を共有しようとする態度。

 そしてもう一つは、内心はいやだけれども仕方がなく、叱られない程度に最低限の成果は出しておくという姿勢です。

 人間力を磨き上げて、部下が上司を誇らしく思い「敬う」と言う関係になってこそ、組織は一体化し命令も指導も本当に力を発揮することでしょう。


       ◆ 


 森信三さんは「修身教授録」のなかで、「人は単なる理論だけで立派な人間になれるものではない」と言っています。

理論が真に生きるのは、それが一個の生きた人格においてその具体的統一を得ることで、つまり理論を実践している実際の人を目の前で見ることで、あるいはその生き方を読書で学ぶことによって初めて真の力となるのだ、と。

 では「敬う」ということ一つを取ってみて、どうやったら人から敬われる、尊敬されるということができるのでしょうか。

 森先生は、「人から敬われたかったら、まず自分自身が尊敬する人格を持つということだろう。実際人から尊敬されるような人は、必ず自分より優れた人を尊敬しているものだ」とおっしゃっています。

 牛尾さんがいうところの「職人芸」とは、こうした生き方ができて常に学びながらひとりの人格として振る舞うことができる能力であることのように思えます。


       ◆ 

 
 組織をマネジメントするには、マネジメントする意思と能力がなくてはいけませんが、真にそれを果たそうとするならば、多少迂遠な道ではありますが、スキルとしての能力を鍛える一方で、読書や勉強会などを通じて徳目としての意思と能力という自らの人間力を鍛えるというところから始めるのが結局は一番早い道なのだと思います。
 

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「縁」なんだなあ、と思うこと

2014-08-25 23:43:32 | Weblog

 

 職場での新規採用作業が続いています。

 来年卒業見込みの人たちは皆、国土交通省以外ではないところへ行くことを決めたとのことで、残念ながら縁がありませんでした。

 今回は女性を三割目標に採用をせよ、というお達しがあったので、女性を採用しようと努力しましたが、残念ながら女性の合格者たちからは色よい返事はもらえず、それならそれで、次は男性の合格者に対して「北海道開発局へ就職しませんか」と電話をしています。


 電話の相手のうち多くは、「別なところを志望していますので申し訳ありません」と放してくれるのですが、中には「あー、北海道なんていく気ないしー」という、いかにも馬鹿にしたようなけんもほろろの対応をするような人もいたそうで、一筋縄ではいきません。


       ◆   ◆ 


 公務員試験合格者はわが機械職種では全国で120人以上にもなるので、とても全員になど電話はできません。

 誰に電話するかは担当者の直感で、あとは数打つことで確率を上げるしかないなあ、と思っていたところ、やはり数多く電話をするうちに、「詳しいお話を聞かせてください」という人がポツポツと現れて来たとのこと。

 採用に意欲のある人がいれば、具体的な仕事や処遇の内容などを実際に会って説明して、それでなお希望するのであれば採用面接という手順です。

 こうしてみると、試験の合格点数がただ高ければ良いわけでもなく、ある種の縁の力があるとしか思えない状況もあるものです。

 わが身を振り返っても、当たり前にある今が過去の多くの偶然と縁によって導かれているかのように思えます。

 何かの失敗や挫折も全てはこのためだったか、という導きを感じたりもするのです。

 この世で起こることは全て今に繋がるためのおぜん立てと思えば、喜びも悲しみも栄光も挫折も、素直に受け止めて驕らず朽ちず、そこからいかに自分を律するかという未来に目を向けることの大切さも分かってくることでしょう。

 さて、縁のある人たちにどれくらい会えるものか。できるだけの努力をしたうえで、訪れる未来の縁を楽しみたいと思います。

 皆さんはそんなことはありませんか。

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災害対策に国も支援

2014-08-24 23:45:41 | Weblog

 連日報道されている広島市での土砂災害。死者行方不明者を合わせて約90名にもなる大きな惨事となりました。

 幼子や新婚生活を始めたばかりの夫婦なども犠牲者に名を連ねていますが、亡くなられた方たちのご冥福と、被害に会われた方たちには心からお見舞いを申し上げます。

 地球温暖化のせいなのかどうか分かりませんが、以前に比べると雨の降り方が変わって、降らなければ旱魃、降ればどしゃ降りというような天気模様がどうも目につきます。

 北海道も例外ではなく、8月上旬に北海道北部を襲った大雨では各地に冠水被害が発生し、昨日から今日にかけてもまた北海道北部で大雨となっています。

 旭川では自治体からの要請を受けて排水ポンプ車が洪水対応に駆けつけているという情報が入りました。

 今回は礼文島や利尻島という離島でも土砂災害が発生しているよう。

 離島まではすぐには我々の力は及びませんが、地方自治体からの支援要請にはできるだけ応えるような心構えができています。


       ◆   

 さて、そもそも災害対策は地方自治の仕事です。

 地方自治法2条で「基礎的自治体は何をするのか」が書かれて、ここには「法律又はこれに基づく政令により処理することとされるものを処理する」とされていて、法律で決まったことはやりますよ、と言っています。

 そして災害に対しては災害対策基本法というのがあり、このなかで、「当該市町村の地域並びに当該市町村の住民の生命、身体及び財産を災害から保護する…計画を策定し、これを実施する責務を有する」とされています。

 そして都道府県は災害対策法と地方自治法により、「広域的な見地から市町村が処理する から市町村が処理する とができない事務、市町村が処理することが適当でない事務を行い、区域内の市町村の総合調整を行う責務」を有しているとされています。

 つまり災害対策は基本は市町村が行い、それが広範囲で市町村の力量を越えた時は都道府県がこれを支援するということが原則なわけ。

 ここでは国については法律的な関与はほとんど書かれていませんが、実際災害対策車両などを有し災害に対する対処も慣れているということから、最近は積極的に地方自治体への災害支援として機械類を出動させるという事例が増えています。

 元より国は、国が管理する施設での災害対策として機械を備えていますが、国の余力で地域を支援せよ、というのはある意味自然な流れだと思います。

 いざというときに国が出動して支援しやすいような受け入れ態勢やオペレーターの確保、現場の相互確認など、普段からやれることは多いはず。

 秋は災害が多く発生する季節です。今年は何もないように祈っていますが、いざというときには開発局にもご相談していただきたいと思います。

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ちえりあ寄席~伝統的話芸を堪能しました

2014-08-23 23:19:13 | Weblog

 札幌市西区の生涯学習センター「ちえりあ」での催しとして、「ちえりあ寄席」があるというので今日の夜の部へ行ってきました。

 事前にはトリは桂歌丸さんということだったのですが、健康上の理由により出演できなくなったということで、急きょ代役として総領弟子(一番弟子)の桂歌春さんの出演となりました。

 寄席の内容は、若手からベテランまでの落語を中心に漫才、寄席文、太神楽(だいかぐら=曲芸)までバラエティ豊かです。

 今回は、札幌出身の春風亭べん橋改め、春風亭柏枝(しゅんぷうてい・はくし)さんの真打昇進の口上がありました。

 柏枝さんは、札幌市の清田区出身だそうで故郷に錦を飾る形となりました。連日親御さんが会場に来てくれているんだそうで、親御さんとしては誇らしくもあり心配でもある心境のことでしょう。

 
 さて落語は久しぶりに生で聴きましたが、プロの話芸を本当に楽しめました。

 そしてなお、前座、二つ目そして真打という格と力量の違いを感じることにもなりました。

 特にトリを務めた春風亭小柳枝さんの出し物「八五郎出世」は、とぼけた兄の笑いから妹を思う人情場面への切り替えの妙がすばらしく、ホロリとしました。

 力量のある話し手にはどんどん場面の中に引き込まれてゆくのが分かります。

 たっぷり3時間楽しめて、これで2,500円はリズナブルな木戸銭と言えるでしょう。

 日本の伝統的話芸の世界。たまにはこんな時間を過ごすのも良いですね。

 

【写真は「ちえりあ寄席」のホームページより】

 

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逃げるな、戦え!~ 山で熊に出会ったら

2014-08-22 23:49:46 | Weblog

 ここのところ、北海道新聞の夕刊に『私のなかの歴史』というコーナーで、動物学者の門埼允昭(かどさきまさあき)さんによるヒグマ研究の聞き取り記事が掲載されています。

 今日の夕刊はその5回目で、タイトルは「襲われたら『死んだふり』より応戦」というもの。

 門埼さんは動物学者としてヒグマをもう45年も研究していて様々なヒグマの生態を調査してきました。

 そしてその結果として人に対するヒグマの行動を以下の9種類に分類しているのだそう。

 それは、
①人と遭遇しないよう、注意しながら行動する

②人が来たら、身を潜めるか移動する

③人と遭遇したら、すぐに身を翻しはなれていく

④その場でしばらく人の様子をうかがう。立ち上がることもある。

⑤少し近づいてくることもある。人の様子をうかがい、なかなか離れていかないこともある。

⑥前記の⑤で、その後瞬時に身を翻し去る場合と、ゆっくり離れていく場合がある。

⑦脅しに、瞬時に人に突進して人の数メートル前で止まり、一瞬ほえるなどする。また、瞬時に後退し、やおら歩いて去ることがある。

⑧熊の以前からの生活地で、今も周囲に草木があり、しかも人が危害を加えないと分かれば、平気でその場にいて離れようとしないことがある。

⑨まれに人を襲う。瞬時に襲いかかかるのと、にじり寄る場合とがある。

 という9項目です。なんだかドキドキしますね。


       ◆   


 さて、これらに対して人間はどう対応したらよいでしょうか。

 門埼さんは、「距離が30メートルあれば、まずは安心で、不意の出会いを避けるため早く人がいることに気づいてもらうのが肝心。見通しの悪い道では『ホッ、ホッ』と声を上げましょう」と言います。

 ④、⑤、⑧などは、しばしばマスコミで「人を恐れぬ新世代グマ」と言われますが、それは誤解で、昔からあるヒグマの振る舞いの一つなんだそう。

 
 そして、実際にクマが⑦のような行動に出たら、走って逃げるなどの大きな動作は禁物。ゆっくり後ずさりするのは良いとしても、もうそうなったら気を強く持ってナタを構え戦う覚悟を決めろ、と言います。

 ⑨の場合も「死んだふり」は有効ではないと言います。死んだふりをしてかじられた事例はいくつもあり、またかじられたことで観念して起き直り、ナタをクマの顔面にたたきつけると熊は逃げた、という事例もあるそう。

 なるほど、危機に陥った際に自ら努力をせず危機が去ってくれることを祈るよりも、自らの力で危機を追い払う自助努力をせよ、という教えと読み取りました。

 今まで釣りに行くのでも、重いナタを下げてゆくのは嫌っていたのですが、最後に頼りになるのは手近な武器としてのナタだ、というこの記事を読んでナタを下げてゆくことにしようと思います。

 北海道のアウトドアは、フィールドをクマとシェアしているのだと思いましょう。

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