北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

背中で見せる教育 ~ バスの運転手は元校長先生

2024-03-31 23:20:34 | まちづくり

 

 ネットニュースに、読売新聞の発信で「元小学校長、第二の人生はバス運転手…人手不足を知り『子供たちのために地域の足守る』」という記事がありました。 (→ https://bit.ly/49jQRcr )

 青森県の元小学校校長だった方が、退職後に「地域の足を守るための一助となりたい」ということでバスの食卓運転手として働いているとのこと。

 青森県のみならず、地方都市では学校の統廃合によって通学のエリアが広くなり、スクールバスを利用せざるを得ない地域が増えています。

 この元校長先生は、記事では「資格取得が趣味で、偶然、バスの運行に必要な大型2種免許を持っていた」とありますが、私の推測ですがきっと将来何か地域の役に立つという思いがあったのではないでしょうか。

 教職員の方の中には、校長先生を終えて退職した後も再任用などで何らかの形で教育に携わるという道を選ぶ方も多いことでしょう。

 教員の世界も人出不足で、教職員自体の補充も求められているところですが、この元校長先生は教育と言う形での貢献ではなく、その周辺で通学を支援するというエッセンシャルな仕事で地域貢献をしようとしているところが立派です。

 私も年寄りは歳を取ったら、経験を振りかざして老害に至る前に、現役の人たちが仕事をしやすくするためのエッセンシャルワークに身を置いて、若者の盾になるような生き方があるのではないか、と考えるものです。

 現役の仕事は、最新の情報や技術を取り入れた若い人たちの土俵であるべきで、年寄りが昔の経験をいかすというよりも時代の変化を受け入れる方が良いのではないでしょうか。

 策もなく、ただ「担い手不足は深刻だ」と嘆いているよりも、行政はこの方のような、地域住民の高い志に訴えかけて、元気な年寄りが地域の課題解決のために"ワーキシュ・アクト(仕事的な活動)"に参加することを促すような取り組みをもっと推進すべきだと思います。

 しかし地域貢献をするのにも、様々な資格などが必要な場面も多くあります。

 地域に貢献できる年寄りになるために、資格やスキルを平時に修めておくのが良いと思います。

 この元校長先生の生きざまこそ、背中で見せる教育であるように思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平均余命と地方発スタートアップの記事 ~ 今日の日経新聞より

2022-12-09 23:14:21 | まちづくり

 

 今日の日経の記事から、一つ目は中央大学准教授松浦司さんの「やさしい経済学⑥」の「平均余命で見える異なる光景」。

 記事の趣旨は、
①労働力の減少を補うには女性と高齢者の労働参加が必用
②日本は世界指折りの高齢社会だが、単なる年齢で見ては間違う

③1960年の65歳男性は平均余命が11.6年だったのに対して、2010年のそれは、18.7年。
④平均余命で考えると高齢化率の上昇は緩やかになり、平均余命から見ると高齢者就業の余地は十分にある。

⑤日本の高齢者は他の先進国と比べて労働力率が高く、就業意欲も強いと言われる。
⑥政府も70歳までの就労機会確保を企業の努力義務とするとして高齢者の就労を促しているが、高齢者の雇用を守ることで新卒採用が抑制されることには注意が必要。

 
 高齢者をいつまで働かせるのだ!という声がある一方で、社会参加という刺激で緊張感を保ちつつ少しの収入につながる効果は大きなものがあります。

 そのため就業を求める高齢者も多くいるのが実態。現役を支えるという役割で社会への参加と貢献ができる余地は十分にあると思います。

 ただ現役時代の職業や立場と同じ道を延長して走っていると、ともすると老害になりかねません。

 ここは今までの流れを断ち切って、「リカレント教育」という形で今までとは異なる新たな時代の需要を受け止めるように頭を切り替える方が良いのではないか、とも思うところ。

 まあ勉強と共に実践なのですが。


      ◆


 日経新聞よりもう一本。お次は「エコノミスト360°視点」のコーナーで、ちばぎん総合研究所社長の前田栄治さんの「スタートアップで地方の課題解決を」という論文。

 趣旨は、
①スタートアップは岸田政権が掲げる重点投資分野の一つで、スタートアップ5か年計画も策定された。
②最近は日本でも起業意欲が高まり、大学発ベンチャーの数は21年度に3300社にのぼり、5年前の8割増。

③スタートアップは東京の事と思われがちだが地方でも可能性があり、医療・介護、子育て支援、農林水産業の後継者養成など地域の課題解決に貢献することが期待される。
④ある地域の成功事例が他の地域でも展開されれば日本全体の課題解決につながる。

⑤地方の動きで注目されるのは、先行企業化が後続者に学びの場を提供する「イノベーションベース」という支援の取り組みだ。
⑥地方のスタートアップも民主導であるべきだが、地域の課題は公的部門が多いことから、自治体や大学はそうした動きを支える連携の仕組みが大切。

 …というもの。

 確かに民間の自由な発想で新しい課題に対して新しい情報技術などで取り組むことは行政主導では難しいでしょう。

 自治体が行うと、コンセンサスづくりや予算取りに年単位の時間がかかってしまい、スピード感が伴いません。

 しかし逆に、民間はトライ&エラーはこなせても、最後には儲からないとなるといとも簡単に撤退してゆくものでもあります。

 行政は儲からなくても最後まで面倒を見る存在ともいえ、根底で地域を支える行政の力も侮れません。

 地方都市のヒアリングを重ねていると、除雪から業者さんが手を引いて行くことへの嘆きが聞かれます。

 儲からないということもありますが、なにしろ担い手がいないというのが事業継続の大きな障害です。

 こればかりはお金をつけて儲けてもらってもどうにもならない、という業者側の声も切実です。

 私などはこのようなどうしても必要なエッセンシャル・ワークには最後は再び行政が直営舞台として職員を雇用するしかなくなるのではないか、とすら考えます。

 民間主導を推すのは、まだまだ若い人材がいる地域でのみ可能なできごとなのでないでしょうか。


     ◆


 ここでまた余談なのですが、ある町ではやたら若い人たちが結婚していると聞きます。

 その理由を尋ねると、「まちにあるスナックに遠くから若い女性がやってきて働いていて、そこに集う男性客と次々に結ばれているんです」という驚きの答えが返ってきました。

 ここでもよりどころとしてのスナック効果が発動されているようです。

 この際、自治体が経営するスナックで若い女性を集めるという政策も案外冗談ではなくなる時代も来るかもしれませんね。
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分の町は将来こうなるという強い予想 ~ 変わらなきゃ!

2020-12-09 21:30:32 | まちづくり

 私こと、北海道開発局からの依頼で「地方自治体から見た北海道開発局」というテーマで職員研修講師を引き受けています。

 研修内容は、社会状況の変化を背景に、地方自治体が抱える課題と地方自治体と国との関わり方の実際、自治体から見た国(開発局)と、国の職員として地方自治体にどのような目線を持つべきか、といったことです。

 問題意識は、そもそも国の職員は仕事が組織として与えられて、その仕事を淡々とこなしていれば職務を遂行したことにはなる事。

 しかし職務を遂行することで、どのような効果と貢献を最終的な国民に与えられているかを考えることが大切だという事。

 そして、「国民のための国の仕事」と言いながら住民の日々の暮らしに直結した行政サービスを与えているのは市町村という地方自治体であることを考えると、市町村という存在そのものを考えるきっかけを持つことが大事だろう、という事です。

 それになにしろ、国家公務員とはいえ必ずどこかの市町村の住民なわけですし、住民という立場でも市町村のことを考えるきっかけが必要だと思っているからです。

 
 私自身が掛川市と釧路市という二つの市で助役・副市長を経験しているということから、「自治体から国の仕事・組織そして職員はこう見えているんだよ~」という話ができるわけですが、講義はおおむね好評で、「そういう視点は初めてでした」という声を多数いただいています。

 しかし研修の中で触れる、『自分たちの住んでいる町がどうなるのか』ということは、職務上の教養に留まるものではなく、自分の人生の重要なテーマであるに違いありません。


    ◆


 そんなわけで、暇を見つけては自治体をめぐる話題や問題に関するレポートを探しているのですが、今回改めて目からウロコの落ちるようなレポートを見つけました。

 それが『自治体戦略2040構想』というキーワードのレポート。

 地方自治体行政を所管する総務省に設置された自治体戦略2040構想研究会が2018(平成30)年に公表した「第一次報告」と「第二次報告」は、その後の第32回地方制度調査会の諮問文に反映されています。

 その諮問文とは、「人口減少が深刻化し高齢者人口がピークを迎える2040年頃から逆算し顕在化する諸課題に対応する観点から、圏域における地方公共団体の協力関係、公・共・私のベストミックスその他の必要な地方行政体制のあり方について」というもので、これからの地方制度をどうするかという議論のたたき台になっているものです。

 ここで示された「第一次報告」とは、2040年ころにかけて迫りくる我が国の内政上の危機を浮かび上がらせたうえでそれへの対応案を示し、「第二次報告」では、「新たな自治体行政はどうあるべきか」ということへの基本的な考え方が述べられています。

【自治体戦略2040構想研究会
    第一次・第二次報告の概要】
  https://www.soumu.go.jp/main_content/000562116.pdf 

【自治体戦略2040構想研究会 第一次報告】
  https://www.soumu.go.jp/main_content/000548066.pdf

【  同上  第二次報告】
  https://www.soumu.go.jp/main_content/000562117.pdf

 ここで前提となる問題意識はなんと言っても人口問題です。

 人口が減ることと、質的に少子高齢化が進むという確実な未来を受けて、それを行政・制度としてどう変えなくてはならないか、ということを詳細に論じたレポート。

 これは地方自治体職員ならばもちろんのこと、個々人の立場でも、自らの備え方や考え方をどのように変えなくてはならないかに重要な視座を与えてくれるものです。

 このデータを見ていると、2015→2040にかけて試算されている人口変動は、縁のある静岡県掛川市がマイナス20%ほどで、北海道釧路市はなんとマイナス30%。

 「迫りくる危機」のリアリティを感じつつ、今何を変え、どう変わらないといけないかを考え、そして行動に移すことが求められています。

 行政もなにもかも今のように面倒を見ることはできません。何かをあきらめ、何かを捨てて、これからの身の丈に先んじて合わせるような改革が断固として必要。

 これだけのレポートがタダで読めるのだから霞が関のシンクタンク能力ってすごいな、と思います。

 (くだらないと思われるものがある)国会質問の答弁調整や、思いつきのような施策のフォローに追われずに、霞が関官僚の能力は志の高い業務に当ててほしいと思います。

 真面目な行政担当者にはぜひご一読をお勧めします。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リモートワーク時代の地方都市を考える ~ 都市地域セミナー

2020-10-28 23:42:24 | まちづくり

 

 今年度最初の都市計画学会北海道支部主催の都市地域セミナーが無事終了しました。

 北海道新聞社の建物の2階に今年の夏オープンした「SAPPORO Incubation hub DRIVE」さんをお借りしてのセミナーは、この施設の管理者サイドの藤間さん、利用者代表の大久保さん、そして都市計画学会支部幹事の窪田さんによる鼎談の形で始まりました。

 こちらの施設は、貸し切りのシェアオフィスやテーブルを皆で利用するコワーキングスペースなど様々な作業環境が用意されています。

 藤間さんの話では来訪者のうち自分のリモートワークための利用者は4割で、そのほかは何らかのつながりや情報を求めている人ではないか、という感想。

 こちらはただ場所貸しだけではなく、利用者のニーズを聞き取ってマッチングができるようなコミュニティマネージャーを配置しているのが特徴なのだそう。

 そして週に4回はこの施設を利用するという大久保さんは、「ここが札幌の人たちが集まるコミュニティスペースになっているのは想像通りでした。東京と比べるとずっとコンパクトな札幌は、面白い人をしている人は限られていてぎゅっとここに集まっている印象です」と語ります。

 藤間さんも、「ここは大通りにすぐ近いという立地の良さが自慢ですが、これからは自宅で仕事をする人も増えそうで、そうなるとただ立地場所が良いというだけではなく、そこへいけば誰かに合わせてくれるというマッチングソフトの魅力が大切になるだろう」と言います。

 また大久保さんは、「北海道には起業をするという学ぶべきロールモデルが少ないために企業者が少ないように思う。最初の日が付かないのでその火が広がらない印象だ」とも。

 ただ、「漫然とここにきているだけではだめで、やはり最後は人と人とのつながりがビジネスに繋がっている」とのことで、最後は人か、という感じ。

 地方都市にも面白い人材がますます必要な時代です。


     ◆


 また、今回はオンライン配信をウェビナーというソフトで実施しましたが、全員システムに慣れていなくて裏ではドタバタしていました。

 MC役の窪田さんに進行の注意を伝えるには、専用のホワイトボードやカンペが必要だったね、といって参加した幹事で笑いました。

 さて、二回目は地方都市に伺います。

 オンライン併用かとは思いますが、地方都市に赴いて地域で頑張っている人たちの声も聴きたいところ。

 次回もまたご参加ください。ありがとうございました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地元民アピールグッズで自粛警察に対抗せよ

2020-08-26 21:48:17 | まちづくり

 出張の二日目は、快晴の網走から一路北上して稚内方面を目指す営業旅。

 北上を続けて浜頓別町までやってきました。
 
 ここで事務所を訪ねて所長さんと札幌から会えましたが、4月の人事異動後すぐに来られなかったことをお詫びしました。

「なにしろコロナのせいで、地方へ伺うことがはばかられました。コロナ騒動が盛んだった時には地方へ向かった札幌ナンバーの車が『ナンバー狩り』にあってパンクさせられたという話を聞きましたよ」

 そう言うとその所長さんは「そうだ、私も転勤してからナンバーを変えていないからこれで釣りに行ったりすると危ないかなあ」と不安顔。

 そしてそう言いながら、「そういえばすぐそこの道の駅で、『私は地元に住んでいます』とアピールするマグネットステッカーが売っていましたよ」と教えてくれました。

 そこで、事務所を辞去したのちにすぐに「道の駅はまとんべつ」へ。

 売店の女性に「地元民アピールのマグネットステッカーがあると聞きました」と話して、マグネットを探し当てて買い求めました。

 なるほどこれですか。

 書かれていたのは「私は浜頓別町に住んでいます」という一言。

 これをナンバーの横のバンパーにでも取り付ければ、ナンバーを地元に変えていなくても、地元住民であることがアピールできそうです。

 ただし浜頓別町以外では使えないかな(笑)。

 地元民アピールグッズで、自粛警察に対抗しましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地域の人材は表舞台に

2020-08-25 23:32:51 | まちづくり

 

 今日から網走~稚内にかけての二泊三日道東挨拶回り旅。

 1日で12か所を訪問するのはなかなか大変で、ちょっと予定を詰め込み過ぎたかな。

 網走にはここを地元としてわが社の製品を扱って、隅々まで販売と搬送をしてくれている地域商社があります。

 「製品を作って売る」と言えば簡単に聞こえますが、作った製品が消費者の手元に届くまでには多くの人たちの手を煩わせてようやく届けられるのが実態。

 いくら自分たちが頑張ったところで、最終需要家へのラストワンマイルは彼らの手を借りているのです。

 今日はそうやって地域で頑張ってくれているAさんと共に開発局関係を同行営業してきました。

 営業の目的は自分たちの製品を紹介することもありますが、地元の彼を紹介することもそのひとつです。

 自分たちの仕事営業だけならすぐに終わってしまうのですが、同行のAさんにはもう一つの顔があって、それが地元サイクリング協会の役員という顔。

 この時代、全道各地で地域振興を考えるときにサイクリングは非常に可能性の高いコンテンツとして注目をされています。

 しかしそれはただインフラを作るだけではなく、地元自治体の受け皿や活動を担ってくれる人材の力が必要なわけで、まさにその中枢を担っている方を官庁の皆さんにも紹介できたのは今日の収穫でした。

 もう僕が何かをできる歳ではないけれど、今そしてこれからを担っている人を様々なチャンネルに繋ぐことは歳食った自分の使命の一つでしょう。

 世の中はコロナで落ち着かない日々が過ぎていますが、それでも地道な活動を続けている人たちはいて、そんな人たちに光を注ぎ続けたいものです。

 今日の網走は夜まで暑かった。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自転車によるまちづくり in 恵庭

2011-08-17 23:45:58 | まちづくり



 道央の恵庭市の方から、「今度自転車によるまちづくりに関するシンポジウムをしようと思っていて、講師をお願いできませんか」と相談を受けました。

 この方はどうやら私の掛川時代の活動をずっと覚えていてくれたらしく、東京での三年間にわたるポタリング生活の中でお会いしたこともあったのです。

 恵庭市では既に市民委員会を作って自転車のまちづくりに関する報告書もできつつあるようですが、それをさらに発展させたいというお考えのよう。

 掛川では生涯学習とその帰結としてのスローライフ運動に三年間携わることができましたが、その一環として自転車によるまちづくりにも加わることができました。

 掛川の自転車によるまちづくりには、先に『自転車ありき』ではなく、わがまちを良く知りわが町を誇れるようになる生涯学習運動がその底流にあります。

 そのうえで、わがまちを良く知るためのツールとして自転車を使ったまち発見やサイクルツーリズムというイベント、さらにはロコ・サイクルガイドという観光的要素を加えるという形で進化してきました。

 掛川などは自転車道が整備されているとか、ハード的に優れたことをやっているわけではなく、あくまでも地域の事物を巡るツールとしての自転車がその出発点になっているわけです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 自転車によるまちづくりを考える上で陥りがちな大きな間違いが二つあります。

 一つは、自転車道を整備するために自転車によるまちづくりをしなくてはならないといったハードを先行させてしまう考え方です。
 これは畑を耕す前に種を植えるようなもので、本末が転倒しています。自転車に乗ることを楽しみとする人たちがいるからこそハードが生きると考える方が発展性があるのです。


 そして二つ目の間違いは、自転車の楽しみを一つに統一しようという考え方です。

 今日自転車は、9,800円のママチャリから何十万円もするスポーツバイクまで性能面での幅も広く、乗る方の意識も大まかに言って、①通勤・通学・買い物用の日常生活で便利な乗り物、②まちを巡って観るためのポタリングと呼ばれるような街乗りの乗り物、③何キロもの長距離を速いスピードで走り体を鍛えるためのスポーツとしての乗り物、などのカテゴリーの違いに分けられます。
 
 だから本来は、これらのカテゴリー別の自転車によるまちづくりがあるべきなのですが、しばしばこれを一つの方向にまとめあげようとして委員同士での意見の統一ができなということがおきがちです。

 私自身はまちを見物するポタリングの道具としての自転車に重きをおいていますが、これだって他の人から見れば変わった趣味に見られても不思議ではありませんね。

 自転車に乗る目的をまずよく考えておくことが必要です。


    ※     ※     ※     ※     ※


 さて、今回の講演依頼ですが、そんなわけで生涯学習まちづくり的なアプローチでの自転車によるまちづくりの理念について語ることは私でもできるのですが、それを実践する事例紹介となると最近の掛川からは離れてしまっているので私が話すのは適切ではないと考えました。

 そこで逆提案として掛川でそれを実践しているサトー君も招いてくれないでしょうか、とお願いをしたところ前向きに考えてくださるとのことで、サトー君とのダブル講演あるいは対談や鼎談形式にしようかと検討してくれることになりました。

 実はサトー君は「静岡空港を使ったサイクリスト交流という話も進めたいですね」という考えを持っていて、夏は内地のサイクリストを涼しい北海道で楽しませて、冬は北海道のサイクリストを温かく歴史的な事物も多い静岡で楽しませるという交流にも夢を膨らませています。

 以前著名な自転車専門誌の編集長だったMさんと話した時には、「掛川の自転車まちづくりは他の町の5年くらい先を走っているんだよ」と言われましたが、ハード論を先行させるまちづくり論ではおそらく永遠に掛川には追いつかないようにも思います。

 まちづくりの理念を市民の多くが共有するって案外難しいものなのです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 さて、恵庭市でのシンポジウムは10月10日(月・祝)になりそうです。

 自転車に乗る人だけのイベントではなく、その楽しみ方、使い方を知らない人にも聞いていただけるようなものにしたいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

集約型の都市に、というけれど

2007-10-24 23:00:26 | まちづくり
 今日水曜日は職場の定時退庁日。できるだけ残業はせずに帰りましょう、という趣旨の日です。
 こういう日には、外で勉強会に参加するのが良いでしょう。

 今日の勉強会は、国土交通省街路課から担当官をお招きして、「集約型都市構造への再編を目指す都市・地域総合交通戦略」についてのお話。

 つまり、人口減少や少子高齢化という来るべき時代に供えるために、今までの外へ外へと広がっていた都市構造を改めて、機能を集中させるような方向にしなくてはならない。

 それを『集約的都市構造』と言い表して、中心市街地の活性化や自動車に頼らないような都市生活ができるように都市を再編しようという理念なのです。





 今までは「自動車に依存した生活になる」→「道路混雑を緩和するために道路を整備し、自動車に便利な都市作りをする」→「自動車が便利なので公共交通を使わなくなる」→「自動車に依存した生活になる」→…、というサイクルが繰り返されて、公共交通システムがどんどん低下をしてきました。

 自動車社会を便利にすることが住民のニーズだったわけですが、その程度はもう一線を越えてしまっていて、地方都市ほど公共交通が衰退して自動車中心の都市になってしまいました。

 人口減少は特に地方都市に容赦なく襲いかかってくる社会現象なので、もうそろそろ未来を見据えて、コンパクトで便利なまちに都市構造を変えて行かなくてはならない、と皆が思い始めているのですが、この実現はなかなか用意ではありません。

 いまそれを公共交通の地位向上をキーワードに進めようと言うのが今日のお話です。

 実際には集約型の都市構造にすることが公共交通の整備だけで行えるものではなく、同時に都市計画を上手に運用して、むやみな開発をさせないという市街地整備に対する強い姿勢も同時に行わなくてはなりません。

 そしてそのためには、行政、地権者、市民、交通関係者などが、目標を共通に定めて総力戦で挑まなくてはならない、という宣戦布告でもあるのです。
 敵は人口減少と高齢化社会というわけです。

    ※    ※    ※    ※

 しかもそのために残されている時間はあまりありません。公共交通が成立するために必要なインフラ整備は行わなくてはならないし、実行不可能な都市計画であればさっさと見切りをつけるという決断も必要です。

 公共交通には一般に民間事業で行っているので、これに対しては軽々しく補助を出すべきではないという考えが一般的でしたが、それにこだわるあまり結局公共交通が完全に撤退するという事態になると、単純に民間企業が撤退するのと同じと考えるわけにはいきません。なんらかの支援策もそろそろ考えなくてはならない時期が近づいているようです。

 また、中心市街地に車を入れやすくするために市民が公共交通を使わなくなると言う側面もあるでしょう。それに対しては、駐車場をまちなかには作らないとか、利用料を高くする、あるいはまちなかからは自家用車を閉め出す、などという方策だって考えられます。
 あらゆる手だてを尽くさなくてはなりません。

    ※    ※    ※    ※

 しかしこういうやり方には問題もあります。まず、そうした中心市街地だけを見て、公共交通の充実とともにそちらへ誘導しようとしても、まちなかを不便にすると逆にお客さんは郊外のもうできているショッピングセンターにいってしまうのではないか、ということも当然考えられます。

 そのためにはまちなかが魅力ある場所になっていなくてはならず、単に公共交通と自動車だけの問題ではないのです。

 これまでの都市計画法の体系は、拡大しようとする都市をいかにコントロールするか、ということに主眼が置かれていたので、縮小しようとする社会に対して有効に機能しなくなっています。

 都市が拡大するということは経済が拡大するということ、持っている資産の価値が上がる社会だったと言うことです。

 それが持っている資産の価値が下がる社会に向かっていくというときに、どういうやり方だと市民が『喜んで』参加してくれるようなことになるでしょうか。

 人口減少社会での事業は難しい局面に向かうことが予想されるのです。

    ※    ※    ※    ※

 都市計画の事務の多くは地方自治体の自治事務に変わりました。自分たちの街の将来は自分たちの責任で決めなくてはなりません。民主主義の実力が一番試される場面です。

 これまで以上に、自分たちのまちの行く末に一人一人が関心を持たなくてはなりません。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道央の道の駅巡り

2007-04-29 23:39:01 | まちづくり
 四月の転勤後に壊れて、修理に苦労した我が家のパソコンのいよいよ最終調整。いやあ、苦労しました。

【道央の道の駅巡り】
 パソコン修理の最終調整とは、ふっとんでしまった各種のソフトの入れ直しです。

 何枚かの肝心なソフトが旭川の娘のところにあるために、一度旭川へディスクを取りに行くことにしました。ついでに娘がまた旭川へ行く際に持ってゆかなくてはならない荷物などを積み込み、帰り際にはゴミなどを持ってくるという親バカな旅でもありますが。

 急ぐ旅でもなし。どうせなら先日話題になった道の駅巡りと参りましょう。まずは国道275号線沿いは雨竜町の道の駅「田園の里うりゅう」

 以前はこじんまりとしたレストランとトイレしかなかった印象ですが、いつの間にやら増築をして、おみやげコーナーが充実していましたし、ソフトクリームや揚げたてのかまぼこなど、空いたお腹に強烈に訴えかけるアイテムも取りそろえ、お客さんを呼び寄せる魅力も充実です。

 ドライブの途中で揚げたてのかまぼこはとても魅力的。妻や娘はソフトクリームかもしれませんが、私はかまぼこ派。うん、美味しかったですよ。

 「道の駅の情報コーナーボックスが改善されましたよ」とは聞いたばかりの話ですが、なるほど四カ国語に対応しています。ここではこの機械そのものが隅っこにおかれている感じだったので、もう少し宣伝を強化してほしいところです。

 雨竜町といえばなんと言っても北海道遺産でもある雨竜沼が有名。道の駅では地元の写真家のすばらしい写真を展示して、その魅力の紹介が行われていました。

 本当の魅力は行ってもらうことですが、実際は登山をしてもあまりお金が落ちるところではないので、こういうところで町の知名度と魅力を訴える作戦の方が効果が大きいかもしれませんね。

 「田園の里うりゅう」、お薦めです。

  *    *    *    *    *

 旭川で用事を済ませた後は、今度はこの春に晴れて道の駅として登録された美瑛町の道の駅を訪ねてみることにしました。

 ここは、昨年の9月17日にも訪ねた、石造りの蔵を生かした物産館なのですが、遅い時間だったのでご自慢のピザを食べ損ねて、それが心残りだったのです。

 当時はまだ道の駅にする構想などなかったのですが、旭山動物園の人気が逆に災いして、丘の風景を見るだけの通過型観光になってしまっている、という話を聞いたのが昨年の暮れのこと。

 美瑛の美しい丘の風景を見るだけ見ていながら、どこにも立ち寄らないためにお金も落ちなければ、このまちの魅力にも触れられないというのは残念なことです。そこで立ち寄り型の施設としては強力な力のある道の駅にしてはどうですか、とアドバイスをしたところ、町の中で素早く検討を進めて、この春に晴れて「びえい『丘のくら』」として道の駅の認定を受けたもの。

 私も多少の関わりがある以上、その動向に少なからず責任もあるのですが、なにしろピザを食べたかったので立ち寄ったのでした。

 「丘のくら」は、札幌軟石でできた蔵で、内部をきれいに改修して趣のある空間に仕立てています。我々家族四人はさっそく「カフェ&クラフト PUU」に向かい、ポテトグラタンとピザを二枚注文しました。

 我々が入ったときにはお客さんが一人もいなかったのですが、我々の後には続々とお客さんが続いて入ってきました。福の神と呼んでほしいくらいですね。 
 さて、ここでは石釜でピザを焼いている様子を見ることが出来るのも面白い造りになっています。こういう姿を見ると家にも石釜が欲しくなるくらいです。

 やってきたポテトグラタンはもちろん美瑛産。ジャガイモがこんなに美味しいとは、改めて知りました。

 ピザもグッドです。うちの娘は黒豆茶を頼んだのですが、これも面白いお味。聞けば、「自分たちでやってみたけれどやっぱり駄目で、黒豆の焙煎はプロの珈琲屋さんにやってもらっています」とのこと。なるほどー。

 さて、美瑛といえば、農産物は山のように出来るのですが「これだ!」という名物お土産がないのが残念なところ。

 そんな美瑛が町をあげて開発し、強力に送り込んだ秘密兵器がこれ、「じゃがたわーとちょこの木」

 なんとも不思議なお菓子ですが、地元産のジャガイモを生かしたお土産です。ゴールデンウィークぎりぎりに間に合って、最初のロットの最後の数個が残っているとのことでしたので、慌てて一箱買いました。

 うーん、なんとも不思議なテイストですが、小麦粉やカレーうどんなど直接的なものよりは雰囲気というかオーラがありそう。これは期待できそうですぞ。

 なにはともあれ、お客さんでいっぱいの道の駅「びえい『丘のくら』」。是非一度訪ねてみてくださいな。 
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道の駅と景観のお話

2007-04-27 23:55:03 | まちづくり
 午前中は、親類巡りをして帰省の挨拶。義理人情は大切に。 
 
【道の駅と景観と】
 夕方にかけて、転勤前に道の駅に関するある会合で一緒だったメンバーの集まりがあって、それに参加してきました。

 話題は、道の駅のこと。今の道の駅に期待されている役割は、トイレ、地域物産のおみやげ購入ということが中心となっていて、確かに利用は増えているものの、さらに地域に役立つ施設として活用できるのではないか、という発想です。

 そこでは、地域からの情報発信を強化することで、地域に対する関心を呼び起こすことができないだろうか、そしてそれでは情報発信を強化するためにはなにをすべきか、という議論を熱く語り合いました。

 また、そうしたここの道の駅でがんばって努力している事例をとにかくたくさん集めて、他の道の駅への参考にしようという試みもあって、昨年度末には道内に約100カ所ある道の駅をほぼすべてを現地調査もしてもらったのでした。

 この間、北海道開発局もがんばって、現在各道の駅におかれている情報提供装置の画面内容を一新して、この3月からなんと日本語はもちろん、英語、韓国語、中国語にも対応した画面を提供しているとのこと。

 おまけに、地域から提供された情報をモニターの画面内で紹介もできるようにしてあるとのことで、これからはやる気と能力のある道の駅とそうでないところの差がついてくるかもしれません。

 ここで得られたユニークでおもしろい情報は、今後公開されてさらに道の駅の改善に役立つことでしょう。

 道内旅行をするときは、道の駅の情報提供ボックスに注目です。

  *    *    *    *    *

 その後はいつものことながら、懇親会へとなだれ込み、会合では言えなかった思いなどについてお酒も交えて語り合いました。

 開発局の研究機関で景観を担当しているAさんは、道の駅にも景観にも情報にも詳しいスーパーマンみたいな人。

 このAさんが「おもしろいですよ」と言っていたのが、『失われた景観』(松原隆一郎著 PHP新書)という本。

 Aさん曰く「その本の中で、『空中電線がホワイトノイズだ』という話があって、おもしろく読めましたよ」とのこと。

 (どこかで聞いたことのある本のタイトルだな)と思って家に帰ってから書棚を見てみると、やっぱり! ありました。以前興味を持って買っていたのですが、最初の十数ページで読むのが止まっていたのです。
 
 Aさんから紹介を受けたのを機会に改めて読み直してみましたが、なるほど興味深い事が書かれています。

 なかでも引かれたのは、日本では当たり前の空中の架空電線のお話。

 筆者の松原さんは、「生活圏の景観」というキーワードを出して、こう書いています。
「生活圏における景観は、偶然によって現在のような形をとるに至ったのではない。景観とは歴史的建築物や伝統的街並みや自然環境のことだと狭く解釈すると、それからはずれた生活圏から見た情景は、いかように変化させられようと保全の対象とは見なされない」

「そこで国民に電力会社に電線の地中化を求めるよりも電気料金引き下げを望む傾向があり、土地所有権に関して個人の自由な処分を重視する法的な判断があり、地域の景観よりも経済振興を重視する国と自治体の住宅政策や都市計画があり、幹線道路脇に点在する派手な外観を持つ小売店を指示する消費者行動があり、家の外観をどうすべきかという公共意識があって、日々の暮らしで目にする景観は、めまぐるしいほど作り替えつつある」

「すなわち景観は全体として経済状態の反映であり、国土開発の帰結であり、都市計画の結果でもあるのだが、とりわけ生活圏における景観は、高邁な理想からは漏れるものであるだけに、戦後日本の達成したものが集中的に映し出されているのである」

 いや、まさにその通りであって、生活圏の景観の乱れの要因を一言で言い表しています。

  *    *    *    *    *

 さて、架空電線の話。

 この本で紹介されているのは、あるインターネット上のサイトでやりとりされた意見交換で、そのなかで「・・・ある人が、空中架線は普段は意識されないがいったん気づくと気になってしようがない『ホワイトノイズ』なのだ、と述べたのである。『ホワイトノイズ』というのは秀逸な表現で、冷蔵庫やエアコンの出す音のように、意識の周縁でかすかに不快と意識されるようになった、それが生活圏の電線類だ、ということだろう」と書かれている。

 また、電線地中化先進国であるヨーロッパやアメリカの歴史の中でも意外な事実を明らかにしていて、これらの国でも景観保全を第一目的として電線が地中化されたという言い方は必ずしも正確ではない、ということなのだそう。

 たとえばイギリスでは、十九世紀末に街灯をつけることが重要な社会的政策になったのですが、その際にガス灯と電気の街灯との競合が起き、ガスは必ず埋設にするため不利なので、電線も地中化して競争を公平にするということとし、架空線が禁止されるということになったのだとか。

 またアメリカでは、1880年代のニューヨークなどは今の日本などより遙かにひどい蜘蛛の巣のような架線の風景だったのですが、その多くが『裸線』で絶縁状態が悪く、人がふれて感電死する事故が続発し、それゆえ行政が主導して地中化を行ったという経緯なのだそうです。

 翻って日本では、電力供給が盛んになった時期がアメリカよりも半世紀ほど遅れたために、電線を被覆する技術が確立してしまっていて、空中を張り巡らしても電線の安全面での問題がなくなってしまっていたのだそうです。

 今でも電力の安定的で安価な供給が至上命題とはいえ、変圧器も小型化されるなど技術も進歩しているはず。

 今でも幹線道路などから順番に電線の地中化を進めているとはいえ、その歩みはきわめて遅いものです。「美しい国日本」を実現するためには景観は重要な要素のはず。

 景観面でも防災面でも豊かな国になれるのはいつのことやら。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする