北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

大阪の風景

2008-06-30 23:18:46 | Weblog
 7月の人事で、仲の良い友人のA君が大阪の単身赴任を解かれて東京へ戻ってくることになりました。

 今日はその辞令第一弾で東京に来ているという連絡があり急遽「悪巧み三人衆」が集まって新橋界隈で快気炎をあげました。

 居酒屋で盛り上がった三人は、その勢いでカラオケへ突入。週末にもう引っ越しを済ませていたAは、大阪をさかんにほめまくります。「大阪はいいぞ~、女も良いぜ、へへ」とまくし立てますが、どこまで本気なんだか。

 何曲か歌った後でAは「よし、これ行こう、『大阪で生まれた女』これだーっ!」と演奏を登録。やがて順番が回ってきて画面には海の映像と夜景が映り始めました。

 「おお!これだー!大阪はいいなあ」 …大阪で生まれた女やさかい~♪…

 さんざん盛り上がったいいところでAが飛び上がりました。「なんだよ、これ横浜じゃねーか!歌と映像って合ってねーのか!くっそー!」

 横浜の風景を見せられて、てっきり大阪だと思って悦に入っていたよう。彼の大阪の記憶も大したことはないのでした。

 笑って笑って大いに盛り上がりました。東京生活がまた楽しくなりそうです。 
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粗大ゴミの電子申請

2008-06-29 23:36:56 | Weblog
 朝からずっと雨が降っています。地震の被災地は大丈夫でしょうか。


 さて、こちらで壊れてしまったパソコンのプリンターを処分しようと思っていたのですが、粗大ゴミの出し方がよく分からずに放ってありました。お金を払って処分をするようなのですが、どこにどのように申し込んだらよいのかよく分からなかったのです。

 ところがなにげなく壁に貼った「粗大ゴミの出し方」という市からのお知らせのプリントを見ていると、どうやら電子申請が出来るよう。そこで物は試しとばかり、川崎市の電子申請に挑戦してみました。

 以前印鑑登録をしたときに市民カードなるものはもらってあったので、これを使うようなのですが…、うーん、市役所のホームページがわかりづらい…。

 まずは自分の電信申請のために再度アドレスやらパスワードなどを登録しなくてはならないようなのですが、なかなかその窓口に到達できません。申請の仕方の説明はだらだらと出てくるのですが、その説明書と申請用サイトがリンクしていないので、また一度戻って申請用サイトを探しに行くことになり、この段階でずいぶんと手間がかかりました。

  

 やっとのことで登録申請を終えると、一度登録したメールアドレスに確認のメールが送られてきて、これに答えることで本申請がやっと完了。ここまでで約1時間もかかってしまいました。

 次に粗大ゴミ収集の申請サイトを探してこちらへ飛び込みます。

 捨てるのはプリンターと古いパソコンなのですが、「パソコン」というゴミの分類が見あたりません。とりあえずワープロで代用しておきましたが、これら二つで費用は400円とのこと。

 申請を終えるまでにもう1時間かかり、併せて2時間もかかってしまいました。まあ一度登録しておけば後からのことは楽になる、と思いますが、それにしてもずいぶんと手間がかかるものです。

 こうしたシステムを作る側には、その一瞬一瞬で使う側がなにに悩んでいるかがなかなか分かりづらいのでしょうね。作る方の苦労を思うとつい同情したくなりました。
 一応パソコンやネットに関しては平均以上の使い手を自負するこの私でさえ、途中で(もうやめようかなあ…)と思い、(いや、ここで止めては男がすたる)と葛藤を繰り返すというこの始末。

 市民一人一人がデジタル社会の一員になるというのはまだまだハードルが高いなあ、と改めて思いました。

    ※    ※    ※    ※

 そうしてなんとか粗大ゴミの申請を終えて料金400円は分かったのですが、さてさて、この400円の支払いのためにはどうやら郵便局かコンビニへ行かなくてはならないよう。そのやり方も初めてなのでよく分かりません。
 結局明日電話で聞いてみることにしました。

 デジタルを貫こうと思ったけれど、やっぱり最後はアナログが必要だったというオチ。いや、伝えたいことを全てデジタル化して出したい情報と受け取りたい情報を一致させるというのは至難の業ですね。

 改めて分かりました。今度作り手に回るようなことがあるときは十分に注意をしようと誓いました。

 ふー…… 疲れた…

  
 
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お財布ケータイの実力

2008-06-28 23:45:41 | Weblog
 あるラジオ番組を聞いていたら、お財布携帯の話が話題になっていました。

 ある方が家を出てから沖縄へ行くまでの間、現金を使わずにクレジットカードも使わずに全ての支払いをお財布ケータイで行って帰ってこれるか、という試みをしたというのです。

 家を出て電車に乗って羽田空港へ行き、ケータイで飛行機に乗り、沖縄まで行き現地での移動やホテルの宿泊から買い物までを行うのですが、全てをケータイでこなすことができたのだそう。

 日本もすごい情報社会になったものだと驚いていたらオチがありました。たった一箇所だけお財布ケータイが使えなくて行けなかったところがあったのだとか。それはどこだと思います?

 答えは首里城。

 首里城は国営公園で、私の知人もそこにいたりするのですが、昔から現金でなければ入場が出来ないシステムをいまだに守り通しているのです。しかしもはやそういう感覚は時代の最先端からは大きく遅れているということが非常に印象的に伝わってきました。

 そうかー、こういう感覚でいることに平気だから、国や官がおこなう事業は遅れていると見なされるんですね。恐れ入りました。関係者に改善が出来ないのか聞いてみようと思います。

 それにしてもお財布ケータイを支える日本の社会の仕組みってすごいな。外国からは想像できないかも
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神田やぶ蕎麦にて

2008-06-27 23:36:55 | Weblog
 午後の現場視察が夕方に神田で終了。そこで現地解散となったのですが、秋葉原方面へふらふらと歩いているうちに電柱に「神田やぶそば直進」という看板を見つけました。

 今まで名前だけはずっと聞いていたものの、ついに訪ねて食べることがなかった神田やぶ蕎麦ですが、このあたりにあるということならばと、お店を探して歩きました。

 なんのことはない、路地を曲がってまっすぐ歩けばもう真っ正面にみえるちょっとレトロな木造の屋敷がやぶ蕎麦さんでした。やっと憧れの蕎麦にありつける日がきました。

  

  

    ※    ※    ※    ※

 こちらの神田やぶ蕎麦さんはもともと、幕末の頃に本郷の団子坂下にあった「蔦屋」さんの流れを汲むお店。その頃蔦屋さんの回りに竹藪が多かったことから「やぶそば」という通称で呼ばれていたのを、明治13年に堀田七兵衛さんが蔦屋の連雀(神田のこのあたりの地域名)店を譲り受けて「藪蕎麦」という屋号で営業を始めたのが藪蕎麦の始まりです。

 今の建物は関東大震災の後に再築したものだそうですが、下町の風情を良く残しています。

    ※    ※    ※    ※

 さて、お店に入っての注文はやはり蒸籠が二枚。一枚だけなんて気っ風が悪いじゃねえか、よお。

 蕎麦は濃い緑色をしていて、細く長く仕上げられています。蕎麦の風味が良く出ていますね。さすがに長野や茨城、北海道などから取り寄せた最上級蕎麦を使っているだけのことはあります。

 汁も辛めで、蕎麦をどっぷりと浸したのでは辛すぎる仕立てです。なるほどこれなら蕎麦をちょんとつけるくらいがちょうど良いというものです。

  

 蒸籠が二枚で1400円を高いと思うか安いと思うかはあなた次第。しかし、今や蕎麦研が打つ蕎麦は決して負けていないように思いました。

 決してえこひいきではなく、もう少しコシのある蕎麦を期待していた向きもあって、普段使っているスーパー安曇野という粉の力を思い起こしました。

 こちらではそば粉400g(100g×4袋)を700円で売ってくださると言うことですから、今度は打ち比べてみても良いかもしれません。これまた研究に値するというものです。

 江戸っ子はそば屋で長っ尻はしねえもんさ、とそそくさとお勘定を払ってきましたが、これで場所も分かったし良い経験をしました。

 美味しい蕎麦を食べて幸せな一日でした。
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多田克彦さんの農業哲学

2008-06-26 23:48:01 | Weblog
 時々参加しているローカルデザイン研究会という会合がありました。いつも地域で活躍する多彩な方たちのお話を聞かせてくれるので楽しみにしているのです。

 今日のお話は岩手県遠野市で農業と酪農を営む多田克彦さん。多田さんは、農協に頼らないブランド牛乳を始め、乳製品、野菜、そして最近ではパンからジャムまで多彩な農産品をつくり世に送り出している方です。しかもそれらを農協を通さずに、大都市へ独自の流通ルートを開拓してブランド価値を高めるという、まさに農業に勇気と希望を与える活動を続けている熱い方なのです。

  

  

 岩手訛りを誇りとしながら、語る口調は抱腹絶倒です。そもそもは遠野市役所に十年勤めたのですが、そこで農政を担当して知ったことは農業は相当無茶をしているということでした。

 減反の代償として補助金の鳴り物入りで奨励したビニールハウスでのほうれん草栽培は、土造りへの軽視から三年目で壊滅状態に。多田さん自身は片手間に兼業農家の母親を見ながら市役所からのボーナスで乳牛を飼い始め、6頭くらいを買えるようになったときには結構な小遣いになったのだとか。

 そこで農業は儲かる!と農業の会社を作ることを夢見て、20代の間に片手間農業と節約で1500万円ほどの資金を貯めたのだそう。そこで33歳の時に嫌気が差した市役所勤めを止めて農業者として独立をしたのでした。

 そのときは資金の1500万円でハウス栽培のほうれん草を作ったのですが、土づくりの知識が無くて収穫はわずかに20把だけ。しかも農協の症例品種ではなかったために農協ルートも使えず、農業には土づくりから流通まであるのだと初めて知ったのだそう。

 そんな素人農家でありながら、冬の収入を目指して200頭もの酪農を始め、今度は糞尿の処理でトラブルになったり、作業員が集まらなかったり、やっと雇ったネパール人は滞在ビザが切れていたり…。
 おまけに農業を取り巻く環境も、牛乳の値段が下がったり牛肉の自由化など、次から次へと試練が襲います。

 その度に眠れないほど悩みながら、試行錯誤で試練を乗り越えて来た様はひとつの冒険談のよう。
「岩手って戊辰戦争で最後まで抵抗をした南部藩の血が残っているんですよ。敗戦によってひどい目にあわされましたが、そこから出たのが原敬であり、新渡戸稲造であり後藤新平なんですよ。絶望はしないんです」

 辛さを見せずに明るい語り口がお見事でした。

    ※    ※    ※    ※

 多田さんは会場に今売り出し中や試作中の製品を持ち込んで、途中には味見タイムがありました
  
  

 これは砂糖を使わないプリン。上の黒いところは黒糖を使っていますがその下の黄色いところは甘みにヒエと粟と麹から作り出した甘みを使っているのだとか。一番底からはヒエと粟も出てきましたよ。これは美味しい!

 製品に自分の名前を付けたのは多田さんが初めてだし、いわゆる産直販売で売っている人の顔写真とメッセージを付けたのも多田さんが初めてなのだとか。 
 アイディアは苦しみから生まれることの方が多いようですが。

  

    ※    ※    ※    ※ 

 多田さんには、ほんの少しの成功体験と、天狗になった瞬間のトラブルと挫折、そしてそこからはい上がる根性と知恵と行動力というサイクルが伺えました。

 しかし何より心を動かされるのは、その中心に食べ物や農業に対する哲学があることでした。最近は言葉の元々の意味を調べるのにラテン語まで追いかけるようになったのだとか。

「風土食と言われるようになりました。調べてみたら、風土の『風』はラテン語でプネウマと言って、実はこれは『魂』ということの元でした。そして『土』はラテン語で『フマス』でこれはヒューマン(=人間)の語源でした。風土は魂のある人間って事だったんですよ。言葉の重みや英知に気付いてからもの作りが変わりました」

「土造りも口に入るものも、これからの農業を支えるキーワードは発酵ということじゃないかな、という予感がしています。無駄に捨てていたものを集めてきて発酵させることで、良い土や良い飼料が出来るんです。農業が向かう先は遺伝子組み換えのようなアメリカ的なものではなく、発酵文化のような日本的な指向の方が良いように思います」

「これから後を継げる若い農業者を募って、いろいろな分野を分社化することで任せて責任を持ってもらっています。でも志ある農業者を育てる事って出来ませんね。私は育てるのじゃなくて、出てくるもんだと思っていますから」

「ブランドって言うけれど、食べ物にも物語があるんですよ」とも。

 農業への哲学があふれたお話でした。プリンも美味しくて大満足!
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野菜スティック発祥の店

2008-06-25 23:50:02 | Weblog
 職場の人事異動に伴う歓送迎会のほぼ最終章。今日は大先輩をお送りする集いが新宿で開かれました。

 今日の会場はスタジオアルタの真後ろにある”サントリーラウンジ イーグル”さん。訊けば開店は昭和41年とのこと。ノスタルジックな店内の雰囲気は作り込んだものではありません。
 「10年ぶりに来たけれどなんにも変わっていないんだね」と喜んだお客さんもいたとか。

 ここは基本的にはカウンターバーですが、各種ウィスキーが驚くほど安いのです。ザ・マッカラン18年ものが1200円、ザ・マッカラン12年が600円、ボウモア12年が500円、ラフロイグ10年 500円、サントリーローヤル12年 330円 …といったかんじ。

 調子に乗って、マッカランの12年ものと18年ものを飲み比べさせてもらいました。「全然違いますよ」というのはバーテンダーのお薦めの言葉でしたが…、う~、違いがわかんない…。

  

 さすがに色の違いくらいは分かりますが、味の繊細は違いは私の舌では区別がつきませんでした。修行が足りないようです。また出直してきます。

 そうそうこちらのお店は姉妹店が全部で4つあるのですが、野菜スティックはこちらのお店が発祥なのだとか。特製味噌で食べる野菜スティックは格別でした。

 いろんなものに発祥の地があると知りました。ふーむ。

  
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お客は恥ずかしがり

2008-06-24 23:47:42 | Weblog
 梅雨の中休みか、晴れの一日。気温も上がって夏間近。梅雨ももう少しの辛抱です。

    ※    ※    ※    ※

 さて、一昨日にショッピングセンターの横にある小さなお店の話を書いたところ、共感のコメントをたくさんいただきました。そこで今日は売る側の立場の話をひとつ。

 大学生の時に一度だけ札幌の丸山球場でプロ野球巨人ー中日戦のデーゲームで物売りのアルバイトをしました。観客席を回って「お弁当、いかーすかー」ってやつです。

 アルバイト代は基本給3千円+歩合制で、歩合の分は100円売ると6円もらえるシステム。要するにバイト代がたくさん欲しければたくさん売り上げを上げることですが、初めてなのでちょっと面食らっていました。

 するとそのアルバイトに誘ってくれた友人が私にいろいろとアドバイスをしてくれました。曰く、「とにかく単価の高い物を売ること。それはつまりお弁当を売りまくるのが一番!」というわけ。

 お弁当は幕の内や助六などで単価は800円、600円、450円などの種類がありました。なにしろ当時は年に一度の巨人戦なので、お客さんは午前中から観客席で試合が始まるのをわくわくしながら待っているのですからお腹も空いて当然です。

「いいかい、お弁当を少し売ったらすぐにまた仕入れに走って山のように仕入れてまた売る。もたもたしていたら仕入れのところで売り切れてしまうからとにかく抱えられるだけ仕入れるのが絶対必要だからな」というのが第一のアドバイス。なるほど、売る物がなければお金にはならないのは道理です。よし!

「それと、試合が始まってしまったら観客は試合に夢中になるからもう物を買う余裕がなくなるんだ。だから試合が始まる前までが勝負の時間と思ってそこに集中すること」
 これが二つ目のアドバイスで、これも納得。試合が始まると攻守交代の時にたまに百円のポテトチップスが細々売れる程度で、もうこっちも空いている椅子に座って試合見物です。

    ※    ※    ※    ※

「最後にひとつ。これが肝心なんだが、お客は恥ずかしがり屋だと思うこと。大勢の人の前で離れた売り子に『おおい、弁当二つちょうだい!』なんて声を出せないものなんだ」
「へー、じゃあどうやって売るのさ」

「目を見るんだ。お客さんがなにか買いたいときは、いかにも『こっちに気付いてくれー』という目をするから、そういうときにすかさず近くへ寄っていってその相手に向かって『お弁当、いかぁーすかーっ!』って声をかけるんだ。近くへ行って呼びかけることがお客さんのための一番のサービスだ。相手が気付いて欲しがっている瞬間を見逃すな!」
 これが三つ目のアドバイスでした。

 さすがにこのアルバイトをもう長くやっている友人だけ会ってなんと的確なアドバイス。

 お客さんの側は買ってあげているつもりでしょうが、こちらにすればその買ってあげると言わせる位置取りとタイミングを計っていたのです。このアドバイスのお陰で約1万円を手にした私でしたが、そのお金よりも『お客は恥ずかしがりだ』ということを知ったことの方が価値があると思いました。

 お客さんは恥ずかしがり。それだからこそ、会話が無くても物が買えるスーパーのシステムが人気な訳がある。

 このバランスの中に商売のコツがありそうです。
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ありのすさび

2008-06-23 23:19:34 | Weblog
 帰り道で本屋さんに立ち寄って本をぱらぱらとめくっていると出てきたのが次の歌。

 あるときはありのすさびに憎かりき
             なくてぞ人は恋しかりける 

 源氏物語にも引用されている古歌。その意味は「会っているときはあたりまえになって憎いと思っても、いなくなってみると寂しく思う」ということだそうです。

 何気ない幸せを当たり前に思うことは多いもの。そのありがたみは失って初めて分かるということは古の昔から変わらないのですね。


 今日はこの一言に出会ったことだけでいいみたい。
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小さな店が生きる術

2008-06-22 21:46:16 | 東京ウォーク
 朝からいかにも梅雨らしい強めの雨が降り続いています。九州や東北の地震被災地の苦労が偲ばれます。

    ※    ※    ※    ※

 さて、単身赴任先の家の近くには一階で食料品、地下で衣料品を売っている中規模のショッピングセンターがあるのですが、その30mほど離れたところに家族経営の食料店があります。

 大きなショッピングセンターの近くの食料品ではお客はいないのではないか、と思いがちですがどうしてどうして、これが結構な人気のお店。かくいう私もまずはこちらで買い物をしてからショッピングセンターへ行くのです。

 自分自身がどうしてそういう買い物行動をするかを考えてみました。

 この小さな店には、
①ここで必ず買う安い商品(特に野菜類)がある
②良い品を薦めてくれることがある
③お店の人と会話がある
 という、大きなお店にはない特徴がある事に気がつきました。

 何を買うか迷うくらいに買い物を楽しむ人ならば数多い品揃えのお店の方が良いのでしょうが、野菜など大体買う品物が決まっているなら少しだけ安くて少しだけ新鮮な方が良いというものです。

 先日も長ネギを買おうとしたらレジで「お客さん、これを買うんだったらあの棚の下にある北海道のネギの方を買わないかい?柔らかくて美味しいよ」と話しかけられました。どっちもこの店で売っているのに、こっちのほうが良いよという会話はショッピングセンターではまずありません。

 昨日は常連さんとお店の人がなにやら会話をしたあとで、お客さんが「そりゃ良かった!おめでとうございます!」と喜んでいます。なんの事だろうと思って、「さっきのお客さんはなにをおめでとうと言っていたんですか?」と訊いてみました。

 すると「いや、うちの息子が自衛隊のレンジャーに合格したんですよ」「へえ、大変なんですか」「ええ、三日三晩寝かせてもらえないという試験みたいでね」 
 
 こういう会話を楽しめるのもこのお店に慣れてきた証拠なのかも知れません。小さなお店が大きなお店に対抗して生き延びるにはこういう戦略の違いを際だたせるのが良いということでしょうか。

 ショッピングセンターの袋を持ったままこのお店で買い物をしているお客さんもいたりして、客の側もお店を使い分けているようです。

 商売は単純な経済原理だけでもなさそうだ、という見本のようなお店。商売って難しいものです。
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金融リテラシー

2008-06-21 23:09:52 | Weblog
 今注目されている女性リーダーの一人である勝間和代さんの『お金は銀行に預けるな~金融リテラシーの基本と実践』(光文社新書)を読みました。

 自分自身、金融という分野に関してはよく勉強をしていなかったので、なにかとっかかりになるような話題の本を読んでみようと思ったのです。本を読んでの感想は「うーん、日本人がみんな、特に若い人ほど読むべし」というものでした。金融・資産運用という分野がこれからの時代を生きて行く上でどんなに大切なことかを大変やさしく説明してくれている良書と言えるでしょう。

  

 そもそも著者の勝間和代さんは1968年生まれで、慶応大学を卒業後、マッキンゼー、JPモルガンなどの企業を経て独立。三女の母にして、2005年にはウォール・ストリート・ジャーナル紙から「世界の最も注目すべき女性50人」に選ばれるという大活躍中の女性なのです。
 すごい人がいるもんだなあ。

    ※    ※    ※    ※

 さて、この本の著者の勝間さんのライフワークは二つあると言います。一つ目はこの日本の社会で仕事と生活の調和であるワークライフバランスをもっと上手に整えるように労働時間短縮に向けた仕組み作りを手伝うこと。そしてもう一つはご自身の専門領域である金融・経済・会計の知識を社会に還元して分かりやすく伝えて行くことです。

 特に金融の一般的な知識に関して、日本は同レベルの経済力を持つ諸外国に比べるとその知識レベルが格段に遅れている、と感じているのだそう。

 その背景として著者は、一定の学歴を備えた人でさえも『お金のことを人前で堂々と話すことは恥ずかしいことだ』というある種の美学があることや、資産を運用して得た1万円よりも額に汗して稼いだ1万円の方が貴いという価値観が残っていること、そして学校教育においても金融に関する教育は行っていないということ、などを挙げています。

 まさに、お金儲けは卑しいことだ、という道徳観を持つ一方、時としてそのタガがはずれてしまったように「僕お金儲け好きです。お金を儲けて何が悪いんですか?」という、これまた振り子が振り切れたような発言をするファンド会社の社長が登場します。そしてまた彼が犯罪で罪に問われるようなことになると「やはりお金儲けは悪だ」という漠然としたイメージに包まれてしまうのではないでしょうか。

 これからの日本人が必要なことは、金融に関する健全な知識を持って、労働からの収入を少しだけ助ける資産運用を行い、そのバランスによって労働時間を短縮し豊かな生活をするという明るい社会の実現に他なりません。

 なによりも社会が年金や社会保障などの面で国民全員をいつまでも守ってくれる力が弱まっています。それならば自分自身で資産管理を行る自己防衛をすることで、自分の生活は自分で守れるような社会適応をして行かなくてはなりません。
 そしてそのときに有効なリテラシー(活用能力)が金融に関するリテラシーだというわけです。

    ※    ※    ※    ※
 
 金融のリテラシーを具体的には以下のように説明します。
 ①金融の役割について直感的に理解できる力
 ②金融の基本的な理論、特にリスクとリターンの関係を理解する力
 ③金融情報を正しく入手してそこからコストやリスク、期待できるリターンを見抜く力
 ④これらを組み合わせて自分にあった資産の組み合わせを行える力

 我々は資産運用というとすぐ株を思い浮かべて、「資産が紙くずになるあんな危ない世界よりは低利子でも元本保証が良い」と思いがちです。著者も「株の世界はプロがしのぎを削る鉄火場であり、素人がのこのこと参加できるようなところではないからお止めなさい」と断言します。

 そしてそのうえで、国内、海外の株や債権をベースにする投資信託をバランス良く初めて、リスクを分散しながら実践的に「ながら勉強」で基礎を固めることを薦めます。慣れてきたら一部分だけを使って冒険をしてみることもあるでしょうが、それはずっと先のお話です。

 金融で儲ける五原則が書かれています。
①分散投資、分散投資、分散投資(←打ちミスではありません)
②リターンの目標は5%で上出来
③タダ飯はない(情報と手間にはお金がかかる)
④投資にはコストと時間が必要
⑤管理できるのはリスクのみで、リターンは管理できない

 これらの理解を深めたい方は本書をぜひお読みください。しかし、国民金融資産が1500兆円もある我が国が、その資産を適切に運用できるのと出来ないのでは経済の成長に大きな差が開いてしまうことでしょう。

 もはや学校、社会人、お年寄りまでがこぞって勉強を深めるべき分野だということがよく分かります。私ももっと勉強を深めてみたくなりました。

 問題は実践のための原資ですが…、これだけは、うーん。
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