北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

コンパクトシティの本質と戦略

2005-11-30 23:45:52 | Weblog
 昨日の嵐で道路には木の葉が落ちて一面の絨毯です。やっと冬らしくなってきたようですよ。
 
 さて今日は
■コンパクトシティの本質と戦略 の1本です。

【コンパクトシティの本質と戦略】
 午後に北海道経産局主催の中心市街地活性化フォーラムに参加した。

 会場は全日空ホテルでフォーラムの副題は「まちづくりに必要なものは何か?~いま求められる自立と戦略」である。

 広い会場には約300人ほどの聴衆が集まっている。今日の講師は日本投資政策銀行参事役の藻谷浩介氏と、タウンマネージャーとしてご活躍中の村橋保春さんのお二人で、なかなかの人気ぶりだ。

 私のお目当ては前半の藻谷浩介さんで、まだ40代前半という若さにもかかわらず日本中を股にかけて年間370件以上の講演会を行い、政府の各種委員も歴任しつつまちづくりの真実を説いて回っている、いま日本でも有数の元気ある講師である。

 藻谷さんの自慢は、およそ日本中の自治体を自費で何回も回っているということである。だから講演の端々に自治体という自治体のちょっとした小ネタが挟まれていて、「良くそこまで知っているなあ」と感心するばかりである。

 藻谷さんは私が掛川にいた間に一度講演に訪れてきてくださった事があって、その時にも講演会場までの短い時間を利用して市内や周辺を回られたと聞いた。

 そういう地道な現場主義が彼の信条であり、それととともにデータから見た都市間比較によって、まちづくりのもっともらしい噂を排除して、「正しい見方をせよ!」と説いて歩く伝道師のようである。

 会場は約300人ほどの聴衆が集まっている。歯切れの良いトークパフォーマンスが今日も楽しみだ。

    *   *   *   * 

 講演はたいてい質問を聴衆にするところから始まる。今日の質問は、「正しいのはどれとどれ?」と題して、聴衆に質問を出して正しいと思うかどうかを尋ねるやり方から始まる。

 質問は例えば「少子化が進んで『失われた10年』と言われる90年代には毎年の出生者数が2割も減り、これが原因で年金の破綻が懸念される」というようなもので、一応巷(ちまた)で言われていそうな事柄になっている。

 「これを正しいと思う人は挙手をしてください」「これが間違いだと思う人は挙手をお願いします」と壇上から質問をしたところ、「二択なのにどちらかに手を挙げた人は3割しかいません。そういう参加意識のないような事ではまちづくりはつとまりません!出張で来られた人は出張旅費をお返しなさい!」と厳しい言葉から始まった。

 特に北海道に限った事でもないだろうが、我々は講演会などで人の話を聞くというときに、半分は興味を持っているがもう半分で馬鹿にしている部分があるようで、壇上からの質問にも真剣に答える人は案外少ないものだ。

 しかしそういう参加意識が足りないようでは「一事が万事」であり、なにごとにおいても成功はおぼつかないだろう。藻谷さんはそのあたりの聴衆の心情をずばりと指摘してくれた。

 事において真剣になれなければ聞かなければよいのだ。そのくらいの真剣さが、まちづくりの場面においても必要なのだ。

    *   *   *   * 

 今日の講演会はコンパクトシティの本質というタイトルであったが、いつもながら市の経済状況と町の現状は必ずしも一致しないという典型的な例として、景気の良い愛知県刈谷市と長崎県佐世保市の例が示された。

 前者の刈谷市はトヨタ自動車関連の本社がいくつもある町で税収はものすごく多くて豊かな町なのに、中心商店街が廃れて死んでしまった町の代表である。

 逆に佐世保市は造船などというやや時代から取り残された斜陽産業しかないのにもかかわらず、まちなかには1キロにわたる商店街がいまでも元気に残っているという点で面白いのだ。

 藻谷さんによると、佐世保市でも商店街に歩いているのは周辺の商圏のわずか1/20だという。つまり5%の人に指示してさえもらえば、商店街は生き残れるのだという。

 むやみにターゲットも分からず大衆を相手にしたような商売では郊外のショッピングセンターにかなわないのだが、まちづくりの形がそれを可能にするという。

 それを藻谷さんは「シナジー効果」つまり、「相乗効果によるにぎわい効果」だと説明してくれる。すなわち、病院、学校、役場、デパートなど多様な施設
が狭い範囲にぎゅっと詰まっている事が相乗効果を生み出してにぎわいを生むのだという分析である。

 日本の行政は縦割りになってしまって、それぞれの都合で傘下の施設を郊外へ郊外へとばらまいた結果、それらが互いに近くにある事で生じていたにぎわい効果を殺してしまったのだという。

 日本はいよいよ人口減少社会に突入するのだから、これまでのような人口が増えるという前提によるまちづくりから早く脱却して、お金がかからず安心して投資出来るようなコンパクトシティづくりを目指さなくてはならないというのが藻谷さんの主張である。

 まちづくりの一つの面は「富蓄の問題」で、財政的に豊かな内にしっかりといつまでも残るような財産となりうる施設にしっかりと投資をして置くべきなのだという。

 小樽の運河や倉庫群はその代表事例で、そのお陰でいまの小樽観光があるし、逆に豊かだったときに安普請の炭住しか作りえなかった多くの炭坑町は悲しい惨状を呈している。

 つまりコンパクトシティとは、投資家たちが「ここならば維持運営が確実で投資するに値する」と考える狭い範囲を決めて、そこだけはしっかりやり続けるということなのだ、と氏は言う。その安心感がまちづくりを促進するのだと。

     *   *   *   * 

 そして現在の中心市街地でその動きを一番邪魔する3文字があるという。
「なんだと思います?この三文字とは…、それは地権者なのです」というのが彼の答え。

 つまり「郊外から戻って来たい人や事業者を受け入れられない、市街地の地権者の無知・無自覚・無能」こそが商店街の活性化を阻む最大の要因であり、これを行政も放置して責任も放棄しているのだという。

 その悪循環から脱出する方法として藻谷さんは、「土地は買わずに、地権者に少ないけれどもメリットを発生し続けるように借りる」ということが良いと言い、またどうでも良いと思っている地権者は放っておいて、少しでも目先が利いて話の通じる地権者を相手にして、先にそういう人たちに対するメリットを見せつけてやるやり方を続ける事で、替わってもらうのを待つのが一番、なのだそうだ。

 要は資格も能力もある人に志が足りないのが現在の中心市街地・中心商店街の問題だし、また客のニーズに応えようとする努力の不足もまたそれに拍車をかけている。

 地域との関わりが薄れてしまった財産家はあるいみ質が悪いと言えるだろう。そのためにも、切れてしまった関わりを取り戻すところから始めなくてはなるまい。

 結局冒頭の挙手をしない精神が蔓延している限り、まちづくりの成功などおぼつかないということだ。

 目の前の一瞬に積極的に関わって行く精神とその継続こそがまちづくり成功のための秘訣のようだ。

 久しぶりに藻谷節を腹一杯聞かされて、終わった後の質問タイムのための質問を考えそびれてしまった。

 別の席に座っていた知人のSさんからは、「質問タイムに小松さんの手が上がらなかったので、『今日は来ていないんだな』と思いましたよ」と皮肉を言われてしまった。

 しかし今日は久しぶりに余計な事を考えずにトークパフォーマンスを楽しんでしまったのだろう。

 ははは、言い訳かな。でも本当に面白かった。今度はまた道内の別の町でもお願いします。また聴きに伺います。 


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観光問題の推進組織とは…

2005-11-29 23:30:02 | Weblog
 朝から北海道は猛嵐。風と雨と雷で大変な天気となりました。この時期に雨とはねえ…。
 
 さて今日は
■観光戦略会議~誰がやるんだ! の1本です。

【観光戦略会議~誰がやるんだ!】
 午後に道庁赤レンガの二階で、観光に関する関係者約30名が一同に集うての観光戦略会議が開催された。

 会議の冒頭道経連の南山会長からはこの戦略会議の下部組織である企画部会の議論を評して、「通常この手の会議はシナリオ通りに終わることが多いのですが、私も出席して訊かせてもらったり会議録を読ませていただきましたが、最前線の皆さんが非常に活発な議論をしていただいたと感じております」という挨拶をいただいた。

 実際企画部会に参加して大いに発言した身としては、分限を超えた部分もあったかも知れないが、参加者一同、それぞれの立場を超えて意見を大いに述べた活気あふれる会議であった事は事実である。

 今回はそれらの意見を伏島部会長が説明するところから議事が始まった。

 北海道の観光を巡る市場の変化を踏まえて、北海道観光の展開方向、そして戦略体系と重点施策をコンパクトにまとめた資料で、今後の方向を説明してくださった。
 説明の最後には「先般一部新聞に道観連を解体してNPO化するという話があったが、そういうことは企画部会では議論されていないので誤解の内容にお願いします」という一幕もあって、組織の有り様についての気勢がそがれた感じ。

    *   *   *   * 

 説明を聞いてからの各委員の反応は概ね良好で、「骨子には大事な事は網羅されていますね」という意見がほとんど。
 しかし、委員の大部分が「この先に大事な事は、これらの考えをどういう推進体制や組織で行うか、と言う事ではないでしょうか」というもの。

 しかし事前の企画部会でもそこまでの推進組織についての詰めた話をして根回しをしているわけではないので、誰一人としてそのレベルから抜き出た発言が出来るわけではない。

 一部からは道観連擁護の発言も出るし、一方で「解体して新しい組織を作らないとダメだ」といった強い改革論が出るわけではない。
 
 理念や処方箋を語るのはよいから、実行してくれ、というのは誰もが言う言葉なのだが、組織や権限や予算を与えずに「さああとは君たちの実行です」と言われても竹槍で飛行機を落とそうというようなものだ。

 その発言の力のなさに気づいていないのか、まだまだ評論家の立場を脱していないのか、なんとも中途半端な会議になってしまった印象である。

 肝腎の道庁も「財政は厳しいものがある。観光では道内客も大事にしたい、また推進体制が重要だという認識では同じ気持ちである」という発言にとどまっていて、組織論にまで深く話が出来るような状況ではないようだ。

 やはりもう少し戦略的な根回しをして、変える部分と方向についてしっかりとした事務ベースのコンセンサスを取らなくてはなるまい。

 今までは「あそこはまとまらないよ」と言われていた九州が、JR九州の求心力によって7県で5億円を拠出して九州観光推進機構を作ったという話に比べて、なんとも残念な会議だった。 

 我々は時間という要素を無視した議論は出来ないのだ。

    *   *   *   * 

 夜にある会合に出席したところ、隣に座ったのがJR北海道の幹部の方だった。

「北海道開発の組織も大変なのではないですか?」と言うので
「JRが民営化したときほどではないと思います」と答えた。

すると「JRの民営化をしたときは50代以上の指導層は全員が民営化反対で『そんなことをしたら会社をまたいだ列車は走れない』と訴えて、そういう資料を作れ、という指示を出されたものでした」
「はあ」

「ところがその世代の直下の40代後半くらいの人たちは民営化賛成派で、そうしないとダメだし、民営化したって列車が走らないわけがないという意見を強く持っていました。丁度私はそのころ40代になるかならないかでしたが、やはり民営化には賛成でしたね」とのこと。

「ヨーロッパの列車をご覧なさい、会社をまたぐどころか国をまたいででも運行されているではありませんか。だから出来ないわけがないとみんな思っていたものです」とも。

 経営学の本を読んでいても、改革は常に必要な事だというフレーズが随所に登場する。どういう改革方向があるのかくらいは常に考えていないと行けないのかも知れない。

    *   *   *   * 

 案外改革の波は来るときはすごい勢いで来るもである。普段から自分の強みと弱みを知り尽くした上で、変えるには何をどういう方向に変えるべきか、ということまでシミュレーションしておく事は決して無駄な事はあるまい。

 さてさて、観光推進組織はいかにあるべきだろうか。既存の枠組みをいろいろと考えた上で具体的な案を考えておく事も有効だろう。

 少し飲み過ぎたなあ。今日はここまで。

   
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ハードから自分たちの手作りへ

2005-11-28 23:30:38 | Weblog
 いててて、身体が痛いっ。でも翌日に痛みが来るのはまだ若い証拠かも…。
 
 さて今日は
■ハードからてづくりへ の1本です。

【ハードからてづくりへ】
 夕べ掛川の前市長の榛村さんからわが家に電話があって、「先日農水大臣から農地林道整備の貢献者と言う事で表彰を受けたんですよ」という電話があった。

「それはおめでとうございます」
「いや、それはそれだけのことなんだけどね、そこで同じく表彰されていた北海道の栗沢町の町長さんにお会いしたのですよ」

「おや、そうですか」
「ご先祖が入植された頃のお手本は報徳だった、と言っていましたよ。だから、僕のところにいた若い助役が戻っているので何かあったら相談に行ってください、と言っておいたよ。はは」
「そうですか、それはありがとうございます」

「僕もとうとう表彰されるようになってしまったなあ。ずっと推薦する側だったんだけどね」
 榛村さんにとっては大臣表彰でもなんでもないのかもしれないな。それもまたすごいことだけれど。

    *   *   *   * 

 ある温泉地でまちづくりに取り組んでおられる方の話を聞く機会があった。

 その温泉街では3年前に年間97万人の宿泊があったのだが、それが今年は85万人にまで減ったのだそうだ。

 聞けば航空法の改正があったために、航空会社が飛行機の小型化などで運ぶ座席数を減らしたことが大きく響いたという分析をされていた。

「座席がたくさんあるときは、アロットといって旅行代理店へまとめて割り当てる座席があって、旅行代理店は将来の便の座席数が割り当てられているので一生懸命その枠を埋めようと努力してくれていたのです」
「なるほど、埋めないと損になるですね」

「そうです、しかし運ぶ座席数が少なくなるという事は、アロットがもらえなくなるので、逆にお客さんを集めても席が取れなくなるというリスクが大きくなるのです。そうすると旅行代理店の側は、そんなリスクのある場所へのお客さんの誘導は止めてしまって、当然アロットが取れているところで客を確保しようとします。だからうちへお客さんを運ぼうという気持ちが少なくなってしまったんですね」
「それは大きい事ですねえ」

「確かに。しかし我々も反省しないといけないのは、お客さんの質の変化を見ぬいて体質を変える事が出来なかった事です」
「お客さんの質ですか?」

「そうです。私たちの温泉は1991年にピーク利用者を迎えて、今ではそのときの約四分の一にまでお客さんが減りました。おみやげ屋さんへのお客さんもスキー客も約四分の一です。我々はそれは景気のせいだと思っていました。『景気さえ良くなれば戻る』と言っていたんです」
「なるほど」

「しかしそうではありませんでした。減ったのはアロットをよく利用する、いわゆる格安ならどこでも良い、というお客さんだったのです。そうして残ってくれていたのはリピーターのお客さんでした。我々は格安客ばかりを相手にしていたので、サービスのあり方や土産物屋の品揃えなどが対応出来ていなかったのです」
「格安のお客さんとリピーターではそんなに違いますか」

「面白いお話があります。私の旅館に泊まってくださったお客様がロビーで故郷のご家族に電話をしていたのを後ろで聞いていたのですが、『今北海道の○○にいるのよ』と言っているんです。そうしたらご家族は『○○のどこにいるの?』と訊かれたのでしょう、そのときにお客様は『どこだか分からないけれど○○にいるのよ』という返事をされていました。この温泉地にいるのであれば、どこに泊まっているのかなんてどうでも良かったんです。これはショックでした」
「ホテルはどうでも良かったんですね」

「そうなのです。土産物屋だって、初めてくるお客様はご近所や親戚に配る物をお買い求めになりますが、何回も来れば自分が欲しいアクセサリーや身につける物をお求めになるでしょう。しかしそういう品揃えが出来ていなかったのです。面白いのはそういう変化について行けないのが地元で何十年もやっているお店なのであって、東京や関西から来た新参の業者さんはそういう流れの中で立派に商売をしている事です。我々もそこに学ばなくてはなりません」
 
 確かに変化について行くのは、在庫を抱えている状況では踏ん切りをつけるのが難しいのだろう。それが出来るところが変化の波に乗れるという事なのだ。

「まちづくりも同じなのです。入れ込みの数だけを頼りにすると、下水道施設などのインフラも過剰なものになってしまうのです。今まではそういうハードが出来れば大丈夫だと思いこんだ、ハード中心のまちづくりでした。これからは自分たちが出来る事からやる手作りのまちづくりが必要です。そしてそれを多くの人に知らせる情報公開です」
「何か変化はありますか」

「少し前の住民アンケートでも、この地元が『変わった』、『少しは変わった』という人がようやく半分を越しました。その後のみんなの努力でこれはもう少し増えていると思います」

 相変わらず情熱あふれるお話を聞いて、ハード整備はあくまでも手段である事を改めて感じた。目的を明確にして、その手段としてハードがあり、ハードは上手に活用されてこそ初めて意味を持つ、ということだ。

 ビジョンを支えるハードの役割の意味を深く考えよう。しかしまだまだできることはあるはずだ。

 もっともっと考えなくてはなるまい。






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頼もしい限り、なお話

2005-11-27 23:51:21 | Weblog
 今日はおやじの会の「女子バレーボール交流戦」である。運動らしい運動をするのは本当に久しぶりだ。
 ストレス解消には無心に身体を動かすのが大事だと感じましたよ。
 
 今日は
■たのもしい限り の1本です。

【頼もしい限り】
 今日は午後から二時間、おやじの会での女子バレーボール交流戦である。

 琴似中学校の女子バレーボール部は札幌地区予選を勝ち抜いて全道大会まで駒を進めたなかなかの強豪なのである。

 今日はおやじの会からは奥様、子供さんなども合わせて18名が集まってくれた。バレーボールならという事で参加してくれた、私も初めてお会いするお父さんもいて、嬉しかった。

 おやじチームはA、Bの2チームを編成。子供たちのほうは3年生で1チームを作り、後を引き継ぐ1,2年生合同のレギュラーチーム、それに1年生の補欠チームを編成してなんとなく総当たり戦を行った。

 おやじAチームはかつてはだいぶならした人たちが集まって、豪華メンバー。Bチームのほうは楽しむタイプのチーム編成だ。

 女子バレーは男子と違って繋いでくるので、結構ラリーが長続きして精神力が問われるシーンが多いのだ。おやじたちも「昔取った杵柄」とばかりに、格好良く見せようなどと思うと、逆にミスを連発して点数を相手に与えてしまう。

 3年生ともなると結構体格の良い選手もいて、どんどんスパイクを打ち込んでくるあたりは頼もしい限りだ。

 現役レギュラーチームは3年生との交流戦でジュースの末にセットを取って大喜び。これまた頼もしい。

 1年生の補欠チームは、6人集まってもまだフォーメーションなどの動き方も分からないくらいだが、初めて試合らしいことができてこれもまた嬉しそうだった。

 おやじたちはと言えば、久しぶりの運動で汗を流し、知らないおやじと友達になり、楽しそうな子供たちの姿を見てこれまた幸せ、というわけ。
 
 こういう地域の力が続くとまさに頼もしい社会になるのだが。

    *   *   *   * 

 掛川のそば研究会の後輩J1君からメールで、「今日のイベントで、総勢15人のスタッフの協力を得て201食を提供する事が出来ました」と喜びと誇りに満ちたメールが届いた。

 私がいれば上手に指導してもらえたのに、などという甘えを振り切って、自分たちしかいないのだからしっかりこのイベントを継続していこう、という強い意志を持ち続けてくれた事が改めて分かって、感動した。

 こういう経験の一つ一つが自分たちの人生の1ページを作って行くのである。恥や苦労や笑い話や感動に満ちた人生は生きるに値する。
 
 総括役を買って出たJ1君も感無量の様子だが大いに自慢していいよ、良くやったな。やればできることをこうやって形にしてゆけるのは実に頼もしい限りだ。

    *   *   *   * 

 遅ればせながら、我が国の宇宙航空研究開発機構(宇宙機構)の探査機「はやぶさ」が3億キロメートルという気の遠くなるような遠くの小惑星イトカワから岩石採取に成功という朗報に歓喜。

 3億キロメートルというのは、地球から太陽までの距離の約2倍の距離である。地球からの指示の電波が向こうに届くまでに約16分かかるという状況では、最後に着地して弾丸を撃ち込んでそれで舞い上がった岩石を採取するというのは自動ロボットの果たす役割である。

 いつもテレビでロボコンを見て、こういう自動制御の力が蓄積して次の時代を作るのだろうなと思っていたが、まさに探査機「はやぶさ」の成功はロボット技術の粋だろう。

 日本の宇宙技術はここのところ失敗が続いてややしょぼくれた感じであったが、まだまだ日本の技術力が世界に貢献出来る姿を見せてもらって、頼もしく感じたのである。あとは無事に地球に帰ってくるようにひたすら祈るだけである。

 今日はそんなわけで頼もしい話題が三つだった。

 奢らず高ぶらず、背筋を伸ばして頼もしく生きて行こう。  
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緑の探検隊シンポジウムに参加する

2005-11-26 23:29:13 | Weblog
 今日は旭川で「緑の探検隊」主催のパネルディスカッションです。これまた神様のご縁がありましたよ。


 今日は
■緑の探検隊パネルディスカッション の1本です。

【緑の探検隊パネルディスカッション】
 緑の探検隊は10年前に旭川で結成された、緑に関わる思いで集まった団体である。

 初めは地元NHKが市民に参加を呼びかけて、駅周辺の緑の現状や周辺の山々、ガーデニング、公園等を巡ったのだそうだ。

 今では「緑の視点でまちづくりを考える」をキーワードにして「緑あふれる街」を目指して文化都市、健康都市づくりを目指そうと考えている。具体の活動としては緑の見学会、学習会などを定期的に行い、「緑を視点にしたまちづくり」の意義を多くの人たちと共有したいと考えているのである。

 そしてこの間、市内の緑のマップなどを精力的に作るなどした活動が評価されて、今年第十六回みどりの愛護の集いにおいて、功労団体として大臣表彰まで受けたのだそうだ。いや、ご立派です。

 今回はこの緑の探検隊が10周年を迎えるにあたって、記念事業を行いたいという事になり、普段お世話になっている専修大学の小林昭裕教授にお願いをしてパネルディスカッションを行う事になったのだ。

 小林先生は大学の講座の二年先輩で、「小松君、よろしくね」と言われると中身が何であろうともう断る事は出来ないのである。

    *   *   *   * 

 今日のパネルディスカッションは午後2時からということなのだが、市内の緑を案内してくれるというので10時に旭川駅に集合して車で市内を移動する。

 常磐公園ではポプラが先の台風で倒れてしまったのだそうだ。大きな木がなくなると景観は随分変わるのだが、それでも人はすぐに見慣れてしまうものだ。

 続いて案内していただいたのは上川神社の社殿林だ。上川神社は神楽岡というところにあって、かつて私が旭川を離れるときにもお礼のお参りに行った場所だ。

「お参りしていきましょうか」と事務局長のSさんに誘われ、当然のようにお参りに行く。緑のお仕事で神社に巡り会うとはこれもまたご縁だろう。

「ここは昔皇室の持ち物の御料林だったんです。あの台風18号のときにも、この山はほとんど木が倒れませんでしたよ」
 なるほど、霊験あらたかなお話だ。

 お参りをするほどに、ついつい私の話題は神様や神道の話になる。見学を終えて、昼食を食べながらの打ち合わせの場所でも、「神様の話が面白いなあ、それ話してくれませんか」とコーディネーター役の小林先生からのご要請。

 パネルディスカッションと言いながら、基調講演として「仙台市の百年の杜づくり」を仙台市役所の方にお願いした後は、私を含めて三人のパネラーから各30分くらいで話題提供をせよ、とのこと。

 大体、今日のパネルディスカッションも時間配分や話す話題などをどうするのかは事前に全く聞かされていないのでまあ乱暴な話ではあるが、ネタはその場で何とかするしかあるまい。

 そもそも今日のタイトルは「パートナーシップによる都市の緑化を考える」というものだったが、緑のお話は地元東海大学の石田先生にお願いをして、私はパートナーシップの話、そしてもうお一方の杉原先生には緑による園芸療法のお話が割り振られた。

    *   *   *   * 

 最初のつかみの部分で、上川神社にお参りもした事だし、折角なので神道のお話で興味を引こうと思い、神事はなにをしているのか、という話で盛り上げる。

 立ったり頭を下げたりまた座ったり、一体あの神事の最中には何が行われているのかという事は日本人なら誰でも知っていそうで知らない人があまりにも多い。

 修祓、降神の儀、献撰、祝詞奏上、玉串奉奠、撤撰、昇神の儀と続く一連の儀式の中に日本人の神観が如実に表れている。

 そんな知識自体はそれだけのことだが、実はそんなちょっとした事を教えてもらうだけで興味がわいたり、その世界への共感が沸くという事は多いので、緑の活動もさらに多くの人たちの共感を得るようなちょっとした話題を振りまいて欲しい、というお話。

 あとはパートナーシップとしての生涯学習や報徳のお話で、持ち時間の30分はちょうどというわけ。最近時間だけはしっかりと守れるようになってきましたねえ。

    *   *   *   * 

 終わった後の懇親会で、探検隊の皆さんとさらに意見交換をしたが、皆さん一様に感心していたのはやはり神事の事だった。

「今まで全然考えた事もありませんでした」とか「なんだか自信が沸いてきました」と、特にご年配の女性には大変受けが良かった。みんなそういう話題や知識に対して触れる機会が少ないし、それでいて知らない事に漠然とした不安もお持ちなのだろう。

「親戚に神主さんがいるのですが、今まで一度もそういう話は聞いた事がありませんでした」
「そうでしょうね。神道は布教という事はしませんからね。しかしそういう日常の常識は本来家庭や地域活動の中で自然に身に付いていたもののはずですが、今はそういう力が本当に弱くなったのが残念です」  

 神主さんはお務めをするのが本来なので、このような知識は外部の人間が話すしかあるまい。講演の話題の初めには日本人として知っておくべき「たしなみ」が良いのかも知れない。

    *   *   *   * 

 ご一緒にお話をしてくださった先生の話題では、石田先生の「樹木による微気象の話」が非常に興味深かった。

 また若くて美人の女性の杉原先生の「緑による園芸療法」も興味深かったが、「お年よりが緑によって元気になるという要素と、若い美人が優しく接してくれる事による療法効果は区別出来るのでしょうか」と言ったら笑っていた。

 友達が聴きに来てくれていて、終わった後は市内の中心部へなだれ込み。そこでもまた不思議な縁がいっぱい。

 今日も面白い縁がたくさん出来た。世の中は知らない世界になだれ込んでみるもんです、はい。
 
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気力の衰えということ~「ローマ人への20の質問」を読む

2005-11-25 23:37:59 | Weblog
 今日も千客万来。根を詰めた話が多くて、ストレスがたまってきました。ため息が多くて笑われています。

 「気」は胸に溜めるとため息になるので、へその下の丹田(たんでん)に溜めるのが良いそうです。臍下丹田(せいかたんでん)って言いますよね。

 今日は
■気力が衰えるということ の1本です。

【気力が衰えるということ】
 北海道新聞の朝刊に、国土交通省に置かれる国土審議会北海道開発分科会での議論が掲載されていた。

 一つは平成20年から始まる次期計画づくりに着手した、という話。そしてもう一つは北海道開発局の存廃論議である。

 ヘッドラインを「自民、北海道開発局の存廃論議を警戒」とした記事では、道選出議員の思いとして、先の経済財政諮問会議の基本指針に北海道開発が公務員削減の重点項目としてあげられた事に対して不安を感じつつも、あからさまに反対を叫べば「抵抗勢力と言われかねない」というジレンマを持っているという。

 記事の中ではこの日の会議の中で分科会会長の丹保先生が「廃止されるときは廃止されるのだから、度胸を決めてやっていかないといけない」と発言されて、「開発局の存廃を含めた将来の道開発のあり方を議論するよう求めるなど逆風は強いままだ」と述べられていた。

 今日の午前中には、長期計画はどうあるべきかという中堅職員の議論の場があって、そこでも上記の新聞記事が話題になった。

 しかし、東京から送られてきた情報の中の速記録にはあまりその点は強調されていなかったようで、人の発言も、そう聞こうと思う人には聞こえて、聞こえない人には聞こえないものなのかも知れない。

 自分たちの行動や考え方に自信があれば他人の発言も余裕を持って聞けるが、自分たちの自信が揺らいだときにはちょっとした一言が心に刺さるものだ。

 自分たちの自信を裏付けるものはなんなのか。多分「世間から信頼されているという確信」だと思うのだけれど、世間が多様化して確信が得られづらくなっているのだろう。喜びも悲しみもありがたみも、人はすぐに世の中の当たり前には慣れてしまうものだから。

 その真実を伝える事は難しい。

    *   *   *   * 

 塩野七生(しおのななみ)さんという女性の小説家が人生のライフワークとして取り組んでいるのが「ローマ人の物語」である。

 この本は1992年から全15巻の予定で執筆を開始して、現在14巻までが刊行されているのだが、私の中では人生の中で三本の指に入る名著だと思っている。

 このローマ人の物語をベースにして、文春新書から塩野さんの著書で「ローマ人への20の質問」という新書が出されていて、これがまた本編を読んでいる者には面白い。なにしろローマの歴史の中には本当に人間の真実がいっぱい詰まっているのだから。

 質問の2は「ローマ人の諸悪なるものについて」である。

 質問者は「『ローマ文明は帝政時代に入るや一段と爛熟し…、戦争、貪欲、浪費、堕落、買収、快楽、退廃などなどで、ローマ帝国の滅亡はこれら諸悪の総決算であって、避けようのない当然の帰結とするしかない』と書かれた歴史書がありますがこの評価は正しいのでしょうか」と質問をする。

 それに対して著者は、「これを書いた人は、人類全般の歴史に思いをはせた事があるのかと思うと、笑ってしまいます。キリスト教が勝利してから千七百年、ローマ帝国が崩壊してからも千五百年が経ぎている現代、人類はこの悪のうちの一つでも、過去のものにする事が出来たでしょうか」と一刀両断である。

「…しかしローマ人がこれらの悪徳に無縁であったわけでもないでしょう」
「…もちろん諸悪だって健在だったでしょう。しかし古代のギリシア人やローマ人が最高の【徳】と考えていたのは、【根絶】ではなくて【節度】のほうなのですよ。言い換えれば、悪の根絶を目指すのではなく、悪との節度ある共存です。ソクラテスもペリクレスも、カエサルもアウグストゥスも、葡萄酒を飲まなかったのではない。酔っ払わなかっただけなのです」

「つまり、バランス感覚によってコントロール下に置く事にさえ成功すれば、諸悪の根絶などという人間の本性を無視した偽善に訴えなくても、ホモ・サピエンスである人間の生活は成り立つのです」

 どうです。こんなことをちゃんと教えてくれる本が他にありますか?

    *   *   *   * 

 最後の20問目の質問が「なぜローマは滅亡したのか」である。これは古今の歴史家が好んでテーマにした話題だが、極めつけの答えにはなかなかお目にかかれない難しいテーマでもある。

 ローマ帝国衰亡史を書いた18世紀の歴史家エドワード・ギボンによれば「なぜ滅亡したのかと問うよりも、なぜあれほども長期にわたって存続出来たのかについて問うべきなのである」と述べていて、塩野さんも「まさにその通りなのですが、彼以後の歴史家たちの間で、存続の要因の検証よりも滅亡の要因を探る事のほうが大勢になってしまいました」としている。

 そしてローマの滅亡の理由そのものについて著者は「常に書いている時代に生きているつもりで書いている自分にはまだそんな未来のことは仮設でさえもお話し出来る状態にはない」として自分自身の明確な答えはまだ述べていない。

 しかし「想像なのですが…」と条件を付けた上で「所詮はローマ人の気力の衰えに帰すのではないかと思う。覇気が失われたと言い換えても良い。悪行でも、それをするにはエネルギーを要します。ローマ人は、あれほどの規模で善悪ともに発揮されていた、バイタリティーを失ったのではないか。そして、それが自信を失った結果であるならば、なぜローマ人はある時期を境にして、自信を失うように変わってしまったのか」

「ローマはなぜ滅亡したのか、に答えるには、ローマ人はなぜ、いつ、何が原因で自信を喪失してしまったのか、に答えればよいとさえ考えています」

 本の最終章を紹介する事でこの本への興味を半減させてしまったかも知れない事には申し訳ないと思いつつ、あのローマ帝国が滅亡した遠因として自信の喪失を掲げている事に、いまの北海道の状況が重ねられるのである。

 北海道で厳しい冬に耐えてこの大地に生活する者としての自信を我々は持っているのだろうか。

 我々は自分たちの故郷に、仕事に自信と誇りがあるのだろうか。

 せめて自分だけでもそれらを生み出して持ち続けたいものだと思うなあ。

 

  
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郷土愛の実践~観光ボランティアガイド

2005-11-24 23:11:15 | Weblog
 千客万来、打ち合わせが段々重なるようになってきました。体が二つ欲しい~。

 今日は
■郷土愛一徹 の1本です。

【郷土愛一徹】
 昼前に市内の某企業をお訪ねした。中国で氷による冷熱施設を作ろうとしたという噂を聞いたのである。

 しかし実際にお訪ねして状況を聞いてみると、現地でのビジネスはまだ道半ばだとのこと。

 行政や商習慣も日本とはかなり様子が違うので、戸惑うことも多いようだ。中国でのビジネスは余程腹を据えてかからなくてはならないようだ。

    *   *   *   * 

 その帰り道に旧道庁の赤レンガ前を歩いていて、「さっぽろ赤レンガカフェ」という看板を目にした。

 以前友人から、札幌の観光案内をするボランティア組織が出来た、という話を聞いていたのだが「これがそうか」と思って、中を覗いてみた。

 中にはオレンジのジャンパーを着た中高年の男性と女性の二人がいて談笑している。

 おそるおそる「あのう、こちらが札幌の観光ボランティア案内をしてくれるところですか?」と訊いてみると、そうですとのこと。

「そもそも、観光ボランティアになるには資格があるのですか?」と訊いてみると
「商工会議所が認定する観光ガイドの資格がありますが、それがなくてもボランティアは出来ますよ」とのこと。

そこで「観光ガイドの試験は難しいのですか?」と訊くと、嬉しそうににんまりして「こういう教科書がありましてねえ…」と厚さ1センチほどの札幌の観光案内のいわゆる教科書のような本を取り出して見せてくれた。

「この中から質問が出されて、紛らわしい答えが混じっている中で答えをチェックして行くんです」
 どうやら設問方式は四者択一か五者択一らしい。

「たとえば、北海道神宮には三柱神様が祀られていますが、このうちお酒の神様は誰かご存じですか?」
「(うっ!神様といえば私、のはず。しかし北海道神宮にお酒の神様なんていたっけか?)オオナムチノミコトが祀られているのは知っていますが、後二人はどなたでしたっけ?お酒の神様…ですか?うーん…」
 なんともなさけないことになった。

「へへへ、それはですねえ、この教科書の中に書いてあるんですよ、えーと…あれ?どこに書いてあったかなあ、うーん…」
 まあ向こうも少しあやしいものだ。

 教科書をやや調べてから、「あ、分かりました。違う本でした」とこれまた小さな冊子を取り出した。

「これはこの大きな教科書が出る前に、私たちのグループが作った本なのですよ」と嬉しそうに語り始めた。

「だいぶ苦労して作ったんです。ええと、お酒の神様は…そうそう、スクナビコノミコトですよ」
「そうでしたか、私もまだ不勉強でした」

「観光ボランティアをするからには、紹介される施設を実際に見て回らないと行けないので、これが結構大変です。でも自分自身が見ていないと案内をすることなんか出来ませんからね」
「外国のお客様も多いのですか?」

「時々いらっしゃいますが、まあ写真を撮って差し上げるくらいなものですね。会話まではなかなか出来ませんよ」
「これはまったく無料での奉仕活動なのですか?」

「そうです。私たちはもうリタイアした世代ですから、なにか地域にお返しをしたくてやっているんです」
「私は少しくらいならお金をもらっても良いのではないかと思いますが…」

「お金をもらってしまうと、相当の質が要求されますから、そこまでのことにはしないでおこうと思っているのです。だからただでしてあげられる範囲のご案内だけです」
「市は皆さんに協力的ですか?」

「最近やっとテレビ塔へ案内する時にガイドはタダになりました。それまではお金がかかるので、その前まで連れて行っても『どうぞ、いってらっしゃい』だったのです。それがやっと、お客さんは自身の分を払って、私たちは無料で登ってガイドをすることが出来るようになりました」とのこと。

 行政がこういう活動に対して素早く反応するというのはなかなか苦手なものだ。札幌ではこれらの活動の仲介をまちづくりTMOがやっているので、行政との連絡がスムースなのだろう。

「でもですね、まだまだ市には言いたいことがあるんです」
「おや、なんでしょう?」

「大通り2丁目に『ベンソンの水飲み』というのがあって、これは姉妹都市のポートランドから贈られたものなのですが、これが今は水道管が繋がっていなくて水が出ないのです。姉妹都市友好の意味が分かっていなくて恥ずかしい限りなんですよ。水道行政と観光行政と姉妹都市行政の狭間なのでしょうか」

 こういう形で市の行政を見てくれている市民はありがたいものだ。やはり自分たちの地域の財産が何であるか、という視点を自分の中に持った人達は、世間や身の回りの社会にどんどん敏感になって行くのだろう。

 こういう声に素早く応えられる身軽な行政であるのか、それとも官僚化してしまって素早く対応出来ないか、札幌市はどちらなのだろうか。

 これからは大通公園を歩くたびに、この水飲み場から水が飲めるかどうかを確かめて歩く楽しみが出来た。ちょっと皮肉に過ぎるかな。

 私も観光ガイドの試験を受けてみようかなあ、と思うのであった。
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職業への信頼

2005-11-23 23:26:28 | Weblog
 構造計算を偽造した建築士の話題で世間は持ちきりです。なんとも職業への信頼を裏切る行為です。

 今日は
■信頼を守る方法 の1本です。

【信頼を守る方法】
 首都圏のマンションを中心に、震度5で東海のおそれがあるマンションがあることが判明して、世間は騒然としています。

 構造計算や、それを行う建築士の能力と職業への信頼、そしてそうは言っても犯すかも知れないミスや過ちに対するチェック機能がなぜ働かなかったのか、など質さなくてはならない問題が一気に押し寄せてきたと言えるだろう。

 基本的にはミスをチェックするという前提には、少なくとも意図的なミスはしないはずという暗黙の了解があるはずだ。だから、敢えて意図して数字を偽造されたのでは、これだけの数の建築申請をさばきながらミスを見つける事はかなり難しいということだろう。

 そもそも職業意識として偽造などを行えば、職業人としての一生を棒に振る事などは分かり切ったはず、という思いが強いけれど、インタビューに答えた当の建築士の応えぶりはまったくそんな良心の呵責が感じられないものであった。

 普通はそもそも事務所内で設計したものに対して事務所の別の誰かが精査を行ってそこでチェックをかけるはずなのだが、そこまでも内部処理の段階で飛ばされてしまっていたのではどうしようもあるまい。

 問題はこうしたことから何を教訓にしてどういう対応を取るか、ということだろう。

 願わくばこれらのことを二度と発生させないためと称して、余計な精査をもう一段階かけるような組織や制度を創設しないで欲しいものだ。

 少なくとも、今回の設計不良のミスも結局は施主に責任がかぶってくるということを前例に出来れば、施主の責任において問題が解決されるのが望ましいことだ。
 そうすれば、従来の制度においても十分に機能を果たせると信じたい。

 いやしくも損害は全て偽造した本人にかかってくる事は言うまでもない。

 私としては、こうした事態はミスによるものなどを含めると決して根絶は出来ないのだ、という冷徹な視点が必要なのではないか、と思うのである。

 ただしそのミスの代償はあまりにも大きいということであり、正当な義務を行使した被害者に損害を与えることなく、加害者側が責任を取るという明確な前例を作る事が一番大事な事だろう。

 世間もあまり感情的にならずに、世の中に絶対をつくろうとしてどれだけの経費や労力が費やされているかを冷静に考える方が良いのではなかろうか。

 保証や保険という形で「リスクを社会的な常識レベルに下げる」ことを現実的な目標に据えて、感情的な「悪い事は排除して、絶対に起こさせない」という解決策を求めない方が良いのではなかろうか。

 もちろん、今回の問題の建築士への厳罰は言うまでもない。これは単に建築基準法に反したという罪だけではなく、職能に対する信頼、社会に対する信頼を揺るがしたという意味で罪一等重くするような事さえあって良いのではないか、と思うのである。

 そうしなければ社会の信頼を大事にしようと思わなくなる人が増えるような気がするのだが。
 
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ザ・タワーに昇る

2005-11-22 23:24:09 | Weblog
 宿泊先の富良野からの戻りです。なんとか雪もほどほどに治まって良かったです。

 今日は
■アルテピアッツァの雪景色
■ザ・タワーに登る の2本です。

【アルテピアッツァの雪景色】
 一夜明けてすっかり雪景色の富良野市。

 積雪はホテルの回りで約20センチと言ったところ。富良野スキー場は人工降雪機をフル稼働して11月20日からオープンしているそうですが、これでスキー場も少しは楽になったことでしょう。

 雪景色の富良野を後にして、車は滝川を目指しそこからは高速道路で美唄市のアルテピアッツァへと向かう。

 アルテピアッツァとはイタリア語で「芸術広場」の意味。私自身は3回目だが、雪のアルテピアッツァは初めてである。

 現地では、実は蕎麦打ち仲間でもある美唄市役所の皆さんにご案内していただいて、昔の小学校の施設を利用した体育館や校舎、校庭に置かれた安田侃(やすだかん)さんの作品に触れることができた。

「これからフィルムコミッションもしてみようと思っているんです」とは案内して下さったOさん。昔ながらの木造校舎はほぼ原型に近く保存されていて、市立栄幼稚園としていまでも利用されているほか、二階はギャラリーとしても市民に活用されている。

 ここまで昔ながらに残っている建物はもうほとんどないだろうから、こんな施設を使って綺麗な映画やドラマが誕生してほしいものだ。

 このアルテピアッツァは施設の維持管理を今後、今年誕生したNPO法人に委ねることとしていて今はその準備をしている最中だとか。どこでも施設の維持管理にお金がかかるのは頭の痛いところだろう。

 昨日の富良野の「森の時計」でもドラマが評判になり、この喫茶店を目指して多くのお客さんが列をなして訪ねてきたのである。
 美しい景色を維持するといつかそれが感動にもなるしお金にもなる、というような展開は一つの理想型だ。

 富良野でも天才倉本聡さんがいたからだし、どこでも成功するわけではない。大ヒットなどしなくても良いから地域が宝として勝手に楽しめばそれが評判になる。

 評判のお裾分けをしてあげるような気分で、この空間を守っていって欲しいものだ。ありがとうございました。

【ザ・タワーに登る】
 札幌へはちょうどお昼に到着。雪は風景を楽しませてくれる程度に降ってくれて、交通の障害になるほどではなかった。
 東京からのお客さんも雪を存分に楽しめたことだろう。

「お昼をどうしましょうか」と尋ねたところ「典型的な札幌味噌ラーメンが食べたいですね」ということだった。「典型的な」というのは、「あまり豚骨の強くないやつで…」ということのようである。

「おいしい味噌ラーメン」とずばっと単刀直入に言われて、しかもチャンスは一度しかないので、職場の職員も近場で美味しいラーメンや情報を交換して候補を決めた。

 結局は札幌駅地下にある、旭川ラーメンの「Y」と決めてそこへお連れした。久々に食べるYの味噌ラーメンは確かに昔ながらの味がして、感想も上々。
 連れて行った側としても面目躍如だが、自分の中のお店リストをしっかりと持っていないといざというときに対応できないものだと改めて思った。

 頼りになるお店リストというのを誰か作ってくれないかな。

    ※    ※    ※    ※

 帰りがけにまだ時間があったので、JRタワーの最上階展望台まで行ってみることにした。いつも通勤の途中で見上げているタワーだが、これまたあまりに近すぎていつでも行けるという思いから、まだ一度も行ったことがなかったのである。これは絶好の機会だ。

 展望施設は入場料が700円で、一度違うビルから入らないと展望エレベーターに迎えないのでちょっとややこしい。

 6階で入場して、長い廊下を歩き展望エレベーターにやっと到着。エレベーターはここ6階と最上階の38階しか押しボタンがない、極めてシンプルなものである。

 最上階に到着すると、札幌市街が一望のパノラマが広がる。今日も天気が良くて良かった。

 最上階は四面の窓に向けた約30mほどの通路からなっていてぐるぐる回ると札幌の東西南北が遠くまで見渡せるのである。

 ここまで上がると朝までいた富良野地域の十勝岳までが見えるというが、さすがに今日はその遠くは雲に隠れていた。

 それでも札幌市内のちょっとした施設は手に取るように、いかにも近そうに見えて楽しいものだ。馬鹿は高いところに登りたがるというのが、これなら馬鹿でも良いかと思う。

 最上階の一角にはドリンクや軽食コーナーもあって、もし恋人と一緒ならばビールでも飲みながら札幌の夜景を眺めたりすると素敵な気分になれることだろう。

 札幌にもこういう場所があるのだということを、好奇心を持って経験して行くことが大事だろう。

 私自身、札幌にもまだまだ行ったことのないところが多くて、この都会の多様さもまた都市の魅力である。
 
 みんなこの都会の魅力に負けちゃうんだよなあ…。

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旭山動物園~富良野のやさしい時間

2005-11-21 23:15:32 | Weblog
 今日から明日は、東京からのお客さんを案内しての旭川~富良野、一泊二日の旅です。昼間は快晴なのですが、午後の天気が心配です。

 今日は
■やっと「旭山動物園」にゆけた
■富良野の風景 の2本です。

【やっと「旭山動物園」にゆけた】
 冒頭でも書いたように、今日から明日に掛けては一泊二日の出張です。

 今回随行のお客さんも観光のお仕事関係の方で、今回の出張のポイントは「観光」という切り口です。

 旭川空港でお昼の飛行機を待ち合わせして、昼食の後は旭山動物園へ向かう。旭山動物園は私もなんと初めて。

 ご存じ旭山動物園は、月間利用者数が東京にあり、なおかつ人気のパンダのいる上野動物園を越えた地方動物園としてつとに有名で、来園者が鰻登りである。

 しかし近場にいるほどに、「いつ行っても混んでいるよ」と言われてなんとなく足が遠のいていたもので、今回は平日に訪問出来る格好の機会となった。

    *   *   *   * 

 動物園に到着した頃には天気はまだ快晴で、絶好の行楽日和だ。現地では小坂副園長さんと市役所の方が応対に出てくださって、案内をしていただいた。

 旭山動物園は昭和42年に開園して、そのときで年間約46万人の入園者を迎え、昭和50年代後半に遊園地遊具を導入して利用者が伸び昭和58年には年間約60万人の利用者を迎えて中興のピークとなったのだが、そこから先は次第に利用者が減少していった。

 平成6年にはエキノコックスが動物に発生して途中閉園となり、平成8年には年26万人にまで落ち込んで、最大の危機を迎える。

 しかしそこから発憤して新しい発想による動物の見せ方を少しずつ実践して、次第に利用者が回復、平成15年に年82万人まで回復し、平成16年にはおらんうーたん館とあざらし館をオープンして大ブレークし、年145万人まで達した。

 そこにある視点は「私たちは,動物の姿形ではなく,「動物たちの特徴的な行動を展示する」ことにしたのです(旭山動物園ホームページ『園長室』より)」というものだ。まさにそれまでにはない新機軸である。 

 
 この日はまずホッキョクグマ館を見学。建物の地下にはいると、半分が水中に潜っている。大きなシロクマ君が二頭水の向こうの陸にうろうろしているが、丁度2時のもぐもぐタイムで、これを目当てに100人以上のお客さんが楽しみに待っている。

 もぐもぐタイムが始まると、シロクマ君の豪快な水の中へのダイビングが見られて、観客は喜びの声をあげる。シロクマ君が水の中を上手に泳ぐ姿は早々見られるものではないだろう。

    *   *   *   * 

 アザラシ館では部屋の真ん中に置かれた円筒の中をアザラシたちが面白そうに上下する。

「彼らは何のためにこの筒の中を上下に泳ぐのですか?」と副園長さんに訊いてみた。
「好奇心でしょうね。彼らはものすごく好奇心が強いので、ここに来ると人間を見られると思っておもしろがっているのです。時間外にこの部屋で一人で作業などしていると、彼らがずらっと並んでこちらを見ている事がありますよ」との事。
 そういう彼らの好奇心を上手に活かす施設との組み合わせの妙もまた技の内だ。

    *   *   *   * 

 ペンギン館では陸上で微動だにしないペンギンの群がいるかと思うと、水中を泳ぎ回る何匹かがいる。

 地上からではよく分からないのだが、彼らの水中の様子を見てみると、水の中では地上のよたよたした頼りない風とはうってかわって生き生きとして泳ぎ回っている。

 彼らがその流線型のスタイルや飛行機の翼のような羽を上手に使って水中を自由自在に泳ぐ様は、まさに「ペンギンは鳥だ」という事がよく分かる。
 彼らは水中を飛んでいるのである!

 ペンギン館の壁にも「ペンギンは水の中を飛ぶ鳥だ」と書いてある。こういう姿は水の中から見なくては見られない事だ。動物たちの姿形ではなく、行動を見せたいという思いがシンボリックに見られるシーンであった。

 しかしここまでこういうスタイルが人気になると、日本中の動物園や自治体からも視察が殺到するのも当然だ。心配になって、「全国で視察に来て、真似をされるという心配はありませんか?」と訊いてみた。

 すると副園長さんは「いえ、私たちはどんどん真似をしてください、と言っています。日本中の動物園が面白くなるのはよい事です。それに施設だけを真似しても動物が同じように行動するとは限らないのですよ。私たちはここにいる動物を理解したうえで、彼らの姿を見せるための施設を作っているのですから」と自信たっぷりの様子である。

 聞けばまだまだ構想があるのだそうで、まだ全体の構想の半分ほどしか完成していないのだとか。こういう施設は魅力を小出しにするのも長続きするための秘訣である。

 人気がバブルではなく、長く続くようにお祈りをしています。

【富良野の風景】
 旭川を後にして次は富良野市の訪問である。

 富良野市では今年国土交通省が募集した観光地域づくり実践プランに応募してくれたのだが、審査員の皆さんからの受けは良く無事合格。委員の皆さんの反応も大いに支援すべし、というものだったそうだ。期待は大きいものがある。
 そんな富良野の状況を知る絶好の機会でもあったので、今回の出張では宿泊を富良野市に決めたのである。

 富良野市内には夕方4時に到着して、まずは富良野市役所を表敬訪問。最近の富良野の観光の状況などを伺う。

 富良野観光の目玉はいまでもやはり「北の国から」なのだそうで、これをきっかけにして富良野市に住んでくださっている倉本聡さんの恩は計り知れないものがあるようだ。

 冬の観光でいえば、冬タイヤがスタッドレスになった時に急激に落ち込んで、それ以来スキー客は減少傾向なのだという。
 冬期の移動制約に加えて、若者人口の減少や冬期レジャー嗜好の変化など、様々な要因があるだろうけれど結果として富良野の冬期観光の入れ込みは減少してきたということである。

 これを何とか打破しようということで今回の実践プランに応募したのだが、作業の過程で市内の関係各団体とも連携が強化されたし、特にシーニックバイウェイで意識の高まった民間団体やNPOの参加が目立つという。

 この件では市長さんご自身もかなり真剣に取り組まれているようなので心強い。自治体の多くの施策は担当者は真剣なのだが肝腎の首長はどうもイマイチという例が多いのだが、富良野の観光に関しては高いレベルでお話しが出来そうだ。

 夜に市長さんと懇親会を終えた後には、今年放映された倉本さんのドラマ「やさしい時間」の舞台として有名になった喫茶店「森の時計」へも連れて行っていただいた。

 この日は平日でしかも夜遅くの訪問という事でなんと貸し切り状態。自分で豆を挽いてコーヒーをいれてもらうのだが、ゆったりした時間がよい。

 ここのマスターも富良野塾の卒業生なのだそうだが、話を伺うと、ドラマ放映後の開店以来大人気で、朝10時開店に向けて8時半から並んでいるお客さんもいるそうだ。

 またカウンターは9席しかないのでなかなか空かないのだが、次のお客さんはじっと列をなして空くのを待っているのだそうて、2時間くらいは待つ事もしばしばだとか。

 まさにメディアミックスによる富良野の付加価値向上作戦だ。倉本さんの力は大きいし、本当に降って湧いたような地域の財産だ。

 外の雪景色も風情を増してくれた。うーん、素晴らしいぞ、富良野。

 今日はゆったりした時間を心ゆくまで味わいました。
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