北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

三日遅れの土用の丑

2005-07-31 23:01:27 | Weblog
 一応今日も夏らしくほどよい暑さの一日。久しぶりに西瓜を買って夏を堪能です。

 さて今日は、
■土用の丑と暦の知識 の1本です。

【土用の丑と暦の知識】
 夕ご飯を何にしようかという話になって、そういえば先週の28日が土用の丑の日だった事を思い出して、「うなぎが食べたい」と言うと、うちの奥さんが申し訳なさそうに「お父さんが出張中の28日に私たちは食べました…」と言う。

 なにー!くそー、おやじのいぬ間に美味しい思いをしていたとは。

 ところで土用の丑の日にウナギを食べるようになったのは、江戸時代に発明で有名な平賀源内がウナギ屋からコピーライトを頼まれて「土用の丑にウナギを食べよう」というキャッチコピーを作ったことが最初、という説が有力。


 夏の暑い時期にビタミンが豊富なウナギを食べてスタミナをつけるのはなかなかに生活の知恵である。

 ところで「土用の丑」と言われながら案外知られていないのが「土用」の方。

 夏休みに海水浴場へ行くとよく「土用波が立つともう泳いじゃダメ」などと言われたもので、なんとなく夏だけの様な気がするが、実は春夏秋冬が立つまえの18~19日(つまり各季節の最後の18~19日でもある)は全部土用というのだ。

 これは陰陽五行説から来ていて、物質は全て木火土金水の五つの要素からなっていると説明する考え方がベースになっている。

 この考え方では四季を五つの要素に当てはめようとして、春を木、夏を火、秋を金、冬を水にあてている。しかし季節は突然に春が夏に、夏が秋になるわけではなく、その中間に変化をする時があるのであって、それが土用というわけである。

 土の気の重要なところは、一方で万物を土に還す作用と他方で万物をはぐくみ育てる季節という作用があって、殺すと生かす・育てるという両方の性質を持っていると考えられたのである。

 そこで、季節の変わり目に土の気をあてて、過ぎ去る季節を殺し、来るべき季節をはぐくみ育てるのが土用、というわけ。

 だから四季の循環の変わり目には必ず土用があるのだが、今ではもっぱら夏の土用しか生活の中で関心を呼ばなくなり、土用の期間の間の丑の日にウナギを食べる事くらいしか生活の中には登場しなくなったのだ。

 俳句でも「土用」はもう夏の季語として定着していて、そういう面からももう「四季全部にあるのですよ」と言っても無理なのかも知れないね。

 でもまあそんなわけで、夜にはしっかり鰻を食べて元気もりもりなのでありました。


 土用鰻息子を呼んで食はせけり   草間時彦


    *   *   *   * 
 
 そうそう、上述の木火土金水という順番は「もく・か・ど・こん・すい」と覚えておくといろいろと暦を読む上で役立ちます。

 子、丑、寅…の十二支の他に十干というのがあって、甲(こう)乙(おつ)丙(へい)丁(てい)戊(ぼ)己(き)庚(こう)辛(しん)壬(じん)癸(き)の十個の漢字を充てる。

 昔の通信簿は甲乙丙丁戊でつけられていたのを知っているのはもうだいぶお年寄りかな。

 今でも年号はこの十干と十二支の組み合わせで60年に一度の年回りを示している。十干はコウ、オツ、ヘイ…という読み方の他に、キノエ、キノト…という読み方もあって、ちなみに今年は乙酉(きのととり)というわけ。

 十干の読み方が分からないという方は、木火土金水のそれぞれに「兄(え)」と「弟(と)」をつけると読み方になる。

 つまり、甲は「木の兄」で「きのえ」、乙は「木の弟」で「きのと」と読むという法則がある。これさえ覚えれば、丙は(ひのえうまの)「ひのえ」、丁は「ひのと」…と続くというだけのこと。

 問題は「木火土金水」という順番と「甲乙丙丁戊…」という漢字が覚えられない事。

 これだけはちょっとだけ努力をする必要があるかも知れないけれど、これを覚えているだけで、甲子園が作られた大正13年8月1日が、奇しくも、十干、十二支のそれぞれ最初の「甲(きのえ)」と「子(ね)」が60年ぶりに出合う年で、そのおめでたさをこういう形で伝えたのだ、なんてことも分かったりする。

 鰻を食べるとすこしは頭も冴えるかもよ。

 


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真夏に雪を思う

2005-07-30 23:47:33 | Weblog
 そろそろ夏らしく暑くなってきました。大通りの遊雪館は明日までですが行きましたか?

 さて今日は、
■遊雪館の見学 の1本です。

【遊雪館の見学】
 札幌ファクトリーで映画を見た帰りに、大通りで開かれている「真夏の遊雪館」へ行ってみた。
 この施設は札幌商工会議所がスポンサーとなって、真夏に行を楽しんでもらうアトラクションとして開設されているものである。

 中は長さ15メートル、高さ3メートルのトンネルとなっていて、内部の気温はマイナス5℃というから、外の30℃から見ると気温差35℃にもなる。

 内部には札幌国際スキー場から運んだといわれる雪が張られていて、まさに雪のトンネルとなっている。氷の彫刻や雪だるまが迎えてくれて、楽しい雰囲気だ。

 実はこの施設は、今回我々が雪氷輸送物流システム検討調査でお世話になっている室蘭工業大学の媚山(こびやま)先生の協力の下で作られたもので、媚山先生からも「是非行ってみてください!」と言われていたものである。

 開設期間が明日の31日までと聞いて、「今日行かなくては!」と思った次第。

 北海道が雪や氷を楽しめば外からのお客さんももっとうらやましがるに違いない。

 雪まつりや氷まつりなどは数あるけれど、観光に特化する以前に道民自身が雪や氷をもっと楽しむような取り組みが広まって、それらが相互に連携して行けばよいのにと思う。

 私もおもしろがって氷のツリーや、クリスタルドームなどを作っている知人とアイディアを出し合っているが、これこそが内地との絶対的な違いであり、差別化のキーワードの一つには間違いない。

 夏に冬の楽しみを考えさせてくれる遊雪館でありました。

 
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コンセントは抜けるか?

2005-07-29 23:25:14 | Weblog
 今日は、8月25日に東京で開催予定の雪氷輸送システムシンポジウムのコーディネーターをお願いしている木元教子さんに、いろいろな説明を行う事にしているのである。

 今日は、
■コンセントはまめに抜きましょう…? の1本です。

【コンセントはまめに抜きましょう…?】
 今回のシンポジウムのコーディネーターをお願いした木元教子さんは、実は北海道の苫小牧生まれ。

 お父さんが王子製紙にお勤めだったそうで、その関係で満州へ渡ったのだそうだ。幸い、「戦争が始まる少し前に帰国できたので、終戦の悲惨さは味わわずに済んだのよ」とおっしゃるが、そのときに中国にいた人たちの三分の一は殺された、というから悲惨さの度合いが違う。

 今では国の原子力委員会を始め、エネルギー問題に造詣の深い立場で活躍しておられる方だ。
 テレビでは月曜日の「朝ズバ!」に出ているから、見た事のある人も多いだろう。

 さて、今日はそんなわけでシンポジウム当日の流れや、パネルディスカッションでの各パネラーの発言順や発言内容を打ち合わせたのだが、この木元さんはなかなか愉快な方で、我々の脱線にもノリが良く付き合ってくださって、げらげら笑いながらの楽しい打ち合わせとなった。

 なかでも傑作だったのは「環境省がチームマイナス6%を作ったのはご存じ?」という話。

「この中の6つのアクションプランというのがあるのよ。それの6番目が『コンセントはまめに抜きましょう』というのがあるの。あなた達、何か変だと思わない?」とおっしゃるのだが、こちらはなにが変なのか分からない。

 すると一人が「コンセント…は抜けるんですかね?」と言い出して、やっと一同「なるほど、抜くのはプラグなんですね?」と言って「そうなのよ!」と正解を出す事ができた。

「コンセントって和製英語みたいで、外国ではアウトレットとか言うみたいね。でも日本語の辞書を引いても、抜けるものとは出ていないのよ」と言う。

 なるほど、試しに私もインターネットで三省堂の大辞林を引いてみると『〔和 concentric+plug〕電気の配線器具の一。電気器具のコードを配線に接続するため、壁などに設けるプラグの差し込み口』と出た。

「結構みんな気にしないものなのよね」と言われると、お恥ずかしい限り。

 そんなわけで、ではチームマイナス6%のホームページはどうなっているかと調べてみると、なんとしっかり直っていて、「コンセントからこまめに抜こう」になっているではないか! 

 この言い方を本当に過去に間違っていたのかどうかはもう分からないのだが、「チームマイナス6%」で検索した他のホームページを見ると、例えば環境省の4月の記者発表資料でも「六つのアクション紹介」としていながら、6番目に「コンセントをこまめに抜こう(電気の使い方で減らそう)」と書かれているので、4月時点では間違っていたんだな、きっと。


 しかし別に表現が間違っていたからと言って、その主張の価値が下がるものではない。表現の正誤はともかく、省エネ・環境問題への取り組みに協力して、良い環境を次世代にバトンタッチしたいものだ。

 単語のミスは、この運動を知らせるエピソードとして広まれば、それはそれで意味があるかも知れない。日本には珍しいジョークをまぶした記者発表である。


  
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築地市場を見学する

2005-07-28 23:46:42 | Weblog
 今日から明日に掛けて一泊二日で東京出張。暑い東京で雪と氷を語るのです。

 今日は、
■築地市場を視察する の1本です。

【築地市場を視察する】
 今日は雪氷輸送システム調査の利用システム部門の会議を東京で行う事として、その前段で築地市場を見学するのである。

 ところで、築地といえばなんと言ってもまずは場外市場の食堂街でマグロ丼を食べたいものと、少し早めに築地に到着して良さそうなお店を物色。

 …と言ってもその数も半端ではないし、値段はどこでも大体同じなので適当なところでお店に入って空いているイスに座るとマグロいくら丼を注文。

 なるほど、ほいと出される丼のうまい事! 日本中のマグロがまずは東京へ来るというのだから無理もないか。これで800円が高いか安いかは感動の具合によるかも。
 私は十分に堪能しました。

    *   *   *   * 

 さて、築地市場である。


 東京の市場の歴史は、江戸に幕府を開いた徳川家康が場内の台所をまかなうために、現在の大阪市佃町から漁師たちを呼び寄せて、魚を幕府に納めさせる一方で、日本橋のたもとで売る事を許可したのが始まりとされているのだそうである。

 今では築地と言えば卸売市場の代名詞と言える存在になっているが、ここの敷地面積は約23haで、業務を始めたのは昭和10年2月とのこと。

 大正12年の関東大震災で民営市場が壊滅的に打撃を受けた事で、計画を前倒しして建設が進められたのだという。

 築地市場は、上からの図を見るとよく分かるのだが、建物がアルファベットのJの字のようにカーブしているのだが、これはなぜかというと、様々な品物の輸送に鉄道を想定していて、かつての新橋駅から引き込み線で貨車が着けるようにしたからなのだそうだ。(写真参照)

 ところが次第に物流が自動車になるにつれて、貨物列車による物流は少なくなり、今では引き込み線も廃止されすっかり車による荷の出し入れがされるようになっている。

 ところがそうなると元々車の動線計画がしっかりとなされていたわけではないので、いろいろと不都合も生じてきて、様々な要因はあるだろうけれど、都としては7年後の平成24年にはこの築地市場を閉鎖して、豊洲市場に移設する計画を進めているのだそうだ。

 早くしないと場外市場もどうなるのか分からない状態である。行くなら早めがよろしいようですよ。

    *   *   *   * 

 この日はさらにビルを水蓄熱冷房で行っている芝浦アークビルの見学も行った。

 夜間に水や氷を作って昼に建物内の冷房をするというのは電気利用のピークカットをする意味では有効だが、ヒートアイランド現象から見ると夜も都市を冷やさない形になるので、いただけないことになってしまう。

 都市に住むという利便が生む負の部分を解消しようと言うのはなかなかに難しいものだ。 


   
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まちの差別化

2005-07-27 23:43:40 | Weblog
 掛川市議会のメンバーが道内視察です。久しぶりに旧交を温めました。

 今日は、
■北海道のまちがうらやましい

【北海道のまちがうらやましい】
 掛川市議会の総務委員会が道内視察の二日目で今日は札幌宿泊だという。「会えますか?」というお誘いがあって会合に参加させていただいた。

 掛川は合併して、一市二町による新しい市になったのだが、4月の末に市長選挙と同時に市議会選挙も行い、それまで総勢54人だった市議、町議の数が新市の議員数は30人になったのである。

 その結果、元の市議、町議の多くが再び議員として当選し市議会議員として活躍をしているのだが、私にしてみれば合併協議会で様々な会合を繰り返してきた町議の皆さんとも十分に親しくて、新市の市議会議員というよりも、昔懐かしい戦友に会ったような気持ちだった。

 今日は主に札幌近傍の市や町を訪ねて情報を交換したようだが、掛川の議員さんは一様に「北海道のまちが羨ましい」と半分皮肉をこめて言う。

 その心は?と尋ねると、「人口に比べて職員数が多い印象だ。人口が多かった時代の職員規模を改善出来ていないようだ」「財政力指数が小さくても、まちは下水道がほぼ完備している(ちなみに掛川は下水道整備率がまだ8%ほどなのだ)」「道路が広い」という感想が帰ってきた。

 「ある市では市立病院の赤字解消に年間30億円を投入しているそうですが、掛川ではせいぜい数億円でなんとかがんばっている」という反応も。

 私が見ても、道内の市町村は行政と市民の距離感が遠い印象で、あまり真剣に市民に対して窮状や現状を説明してはいないように思える。

 それは「説明をしても無駄」と思っているのか、説明をする能力がないのか、説明をして市民の怒りを買うのが怖いのか…、など様々な理由があるのだろうけれど、いずれにしても、説明が少ないようだ。

 地方交付税という国からのお金の性質も、財政力指数が0.2のところでは自治体ががんばって一億円の支出を削減したとしても、8千万円は国の金が来なくなるだけで、実質市民税などが節約出来たのは2千万円にとどまるのだ。

 それならば、2千万円出せば市として1億円使えるのだから節約しない方が市としてはやりたいことがやれる、と思うのも無理はない。
どちらを真に「もったいない」と思うか、という考え方次第であろう。

 以前にカーシェアリングを進めようとしている方を紹介した事があったが、そのときの車に対する考え方として「持っているのだから使わないともったいない」というものと「持っていなければ使うのがもったいない」という相反する思考になるのだ、という話を聞いて、なるほど、同じ「もったいない」でも考え方には消費を助長する方向と抑制する方向の二つがあり得るのだと思ったのだった。

 北海道は面積が広く、人口密度は希薄、おまけに冬は雪が降り除雪にお金がかかるという条件不利地域ではあるが、その「あたりまえ」をあたりまえと思わずに、どう改善出来るかという知恵や将来への備えが必要なのだろうと思う。

 除雪の問題にしても、根本的な都市構造や都市施設との組み合わせで費用が軽減されるような手だてはないものかといつも思うのだが、なかなか良い知恵も出ないものだ。

 雪を遠くまで運ばずにすます技術の開発や、季節を超えた冷熱エネルギーとしてもっと利活用がされても良いように思う。

 そういうことがあたりまえになったときに、北海道のライフスタイルは本州と異なった異国情緒が誕生するような気もする。

 本州と違うあたりまえの自分をどう表現し、磨いて行くか。
 
 これから先を地域が生き抜いて行くためには、他との差別化を図らなくてはならないのだ。歴史性など差別化のための資源があるところは幸いである。ないところはこれから作らなくてはいけないのだから。

 しかしその差別化は良い方向でやられなくては。どちらがよりひどいまちかを比べるようにはなって欲しくないものである。  

 明日と明後日は東京出張です。雪氷輸送の会合に出てきます。
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フランス流エスプリ

2005-07-26 23:52:38 | Weblog
 台風が本土直撃か。今日から明日は緊張です

 今日は、
■エスプリ
■本をいただく の2本です。

【エスプリ】
 石原都知事が「フランス語は数を数えるのに不便なので国際語として失格」と発言して、フランス語関係者から提訴されるという騒動になっているが、明治大学の有志が都知事にフランス語学習セットをプレゼントしたという記事があった。

 何か問題になるような発言があったときに、すぐ反対者は提訴するということが非常に増えて、何かというとすぐに法律に訴える社会になりつつあるが、このようなしゃれっ気のある不満の表明の仕方は気が利いていて良い。

 批判に対してそれをさらりとかわしつつ、反論を世間に印象的に示すというやり方にはまさにフランスのエスプリを感じさせる。

 世の中をぎすぎすさせない大人の社会ってこういうことではないか、と思わせる爽快な対応でした。



【本をいただく】
 帯広で北の屋台を大ヒットさせた坂本和昭さんから新著の「北の屋台繁盛記」を送っていただいた。

 以前から「今度本ができるので差し上げますよ」と言われていたもので、サイン入りの謹呈である。

 208ページの中には、屋台の発想からいろいろなハードルをクリアした経緯が述べられていて、推進に当たってのいろいろな苦労談が明るく語られている。

 ぜひご一読をお薦めします。

 「北の屋台繁盛記」 発売は株式会社メタ・ブレーン 204P
  定価1800円
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懇親会の意味

2005-07-25 23:46:45 | Weblog
 このブログを読んでくださっている方から「ブログの左側にいろいろとついているのは何ですか」という質問があった。
 そういえば説明していませんでしたかねえ。

 今日は、
■ブログの見方
■「懇親会」の意味 の2本です。

【ブログの見方】
 私はgooというプロバイダのものを使わせてもらっている。

 画面の左側には英語でなにやら書かれているが、触った事もない、という方も多いようなので少しだけ説明をしておきたいと思います。

 まずEDITと書かれているのは、ブログ本体への書き込みですが、私はここへの書き込み方法を公開してはいませんので、基本的には皆さんには関係ありません。

 つぎのCATEGORYは、私の日々の日記の分類です。三つだけ登録したのですが、読書感想などのようなものも分類出来るかも知れませんね。
 読者の興味ある分野だけを取り出す事ができます。私はあまり使ってません。

 ENTRY ARCHIVEは、月単位で過去のブログにジャンプ出来ます。まだ3ヶ月しか続いていないのよね。

 RECENT ENTRYは直近過去の10編が出てきます。毎日読んでいない方はここをクリックして、読んでいないタイトルに飛び込みましょう。

 RECENT COMMENTは、私のブログに対して寄せられた読者からの最近の感想文が出てきます。熱心に読み込んで真剣な感想を寄せてくださる方もいるので、こちらも真剣に応答しなくてはいけません。
 私の文章を読んで「そうそう!」と言う方も「そうじゃねーんだよなあ!」と言う方も、感想を寄せていただければ幸いです。

 コメントの仕方は簡単で、その日の文章の一番下にCOMMENTと書かれていてその横にかっこの中に数字がありますが、この数字をクリックしていただけると、コメントを打ち込むシートが出てきますので、そこに文字を書き入れてくださればよいのです。

 名前は匿名で結構ですし、URLというホームページのアドレスを打ち込むようになっているところは空欄で構いません。自分が誰であるかを明かす必要は全くありませんし、誰が
書き込んだかを追跡するシステムもありませんので、安心して書き込んでください。

 ただし、あまりにひどい誹謗中傷と判断されるときは管理者である私の権限で削除する事もあります。ごく普通に書き込んでいる場合は全く問題はないのですがね。

 
 次のRECENT TRACKBACKというのは、私のブログと関連するような他のブログを繋ぐ事ができるのです。ブログを上手に使う人はこうして自分のアクセス数を増やす事ができますよ。

 BOOKMARK以下はあまり使わないので省略しますが、読者からのコメントだけはチェックしてみてくださいね。真面目なご意見も多いですよ。

【「懇親会」の意味】
 職場で全道の担当者に一同に集まってもらう会議があった。

 日中は上部機関から降りてくる様々な事業や制度の説明に終始することにして、それはそれで大事な時間だが、同じくらい肝心なのは夜になってからの懇親会である。

 こういう形でもっと互いに胸襟を開いておかないと、スムースな業務運びができないのであるから、顔と名前が一致するくらいの親近感を持つためにはとにかくコミュニケーションを図る事が大事なのである。

 我々の仕事のいくらかは、上から作業依頼として降りてくるものが多く、それらをスムースに下部機関に伝えて、現場の最前線から上がってくる情報や状況を上手にコントロールして上部機関の期待に応えられるような成果をあげる、というのが我々の重要な使命である。

 しかし中には「○○への応募団体を探して欲しい」というような、いかにも応募の少ないようなものを探せ、という無理難題な作業依頼もあったりして、下におろすのも気が引けるようなことがあるのだが、案外そういうときに現場ががんばってくれて、無理と思った案件の期待に応えてくれることもあったりする。
 こういうときの思いは感謝感激で「良くやってくれた!」と担当者としては感激をするものだ。

 ところが中には逆に、「これくらいは簡単にできるのでは」と思うような案件にも関わらず現場が拒否反応を示して動いてくれない、ということもときどきある。

 その原因は依頼が通り一遍のメールだけだったりして、こちらからの作業依頼の意味が正しく、または熱意を持って先方に繋がっていないという事が多いようだ。

 そういうときには「できません」「該当ありません」といった回答そのものもそっけなかったりして、互いにメールのやりとり陰で「何を考えているんだ!?」と憤慨したりしているものである。

 そういうときにこそ互いに「どういうことかもう少し詳しく教えてくれる?」という電話一本があれば良いのだが、それを気安くさせる雰囲気がお互いにあるかどうか、上下関係ではなく「司司(つかさつかさ)で仕事をしているという」気安い関係を保てているかどうかがその瞬間に仕事を無事にこなせるかどうか、のポイントになるのだ。

 だから電話の向こうの顔が頭に浮かんでいるかどうかは重要なポイントで、そういう観点からすると、懇親会で自分の席にどっかりと座り続けて知らない人のところへ行って話しかけないというのは損だと思わなくてはならない。

 「自分はたいしたことがない」という謙遜はよして、「この一瞬に知らない人と仲良くなる事が仕事をスムースに行う上で、職務上重要なことなのだ」と思う気持ちが重要なのである。

 会議の場では、向こうが自分を知っていればよいのではなく、自分が向こうを知らなくてはならないのだ、という気持ちが大事なのだ。
 私が偉そうにやたらにでかい(私費で買った)名札をつけて歩いて
いるのも、少しでも自分を印象づけるツールだし、その気持ちはとにかく知らない人がいたら話しかけてみるという行動で示さなくてはならない。

 そういう意味では昨日はやや時間配分を間違えて、半分しか回れなかったのは私自身失敗だった。反省と自戒をこめて次はもっと立派に対応したいと思う。

 実は少し前に作業依頼を出したところ、消極的な答えが約半分の現場から帰ってきたということがあって、どういうことかをじっくりと意見交換してみたかったのだが、若手に「自分の地域を愛していますか?」「自分の地域を応援したくならないきゃ」と言っても、あまりピンと来ていなかったようで、ややそのあたりのマインドを伝えるには時間が足りなかったようだ。

 まあ次の宿題にしようと思うけれど、上部機関の事情、我々の事情、それを伝える現場の事情を背景としつつ、成果にまとめ上げるための考えを上は下へ的確に伝え続けなくてはならないのだ。

 さぼる気持ちが見受けられたら、その事はすぐに指摘しないと「それで上も納得したのだ」というサインになってしまうから。

 そんな言いづらい事をばんばん言い合う関係の構築がある意味では先に重要になるのであって、懇親会という意味は大きいものがある。

 ただ酒を飲んで自分が楽しむのは「飲み会」と言う。懇親会とは「知らない人と互いに懇親を図る」という重要な仕事が含まれた時間である事を自覚しなくては。

 こんなことも言う上司が少なくなっているんだな、昨今は。うーむ。 

     
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地震への備えはできていますか?

2005-07-24 23:15:12 | Weblog
 東京の地震で首都圏の交通は大幅に麻痺。集積の弱みではある。

 今日は、
■日本は地震大国 の1本です。

【日本は地震大国】
 関東地方で震度5という比較的大きな地震があってびっくり。知人の多い掛川にメールで「大丈夫ですか?」と打ってみたところ、「全然気づきませんでした」という返事が返ってきたくらいなので、たいしたことはないのだろう。まずは良かった。

 私が掛川で助役をしていた三年間で一番恐ろしかったのが「今来てもおかしくない」と言われた東海大地震である。

 これは昭和51年に発表されたもので、マントルの上に置かれたプレートがマントルの対流に伴って沈降と乗り上げる部分でひずみを解消するときに大地震になると言う説である。

 過去の文献を調べてみると日本列島の太平洋側を伊豆半島から遠くは四国までの広い範囲でほぼ定期的に大地震が発生している事が分かっている。

 伊豆半島以西の太平洋側は大体三つのブロックで考えられている。それは、東の伊豆半島から浜松市あたりまでの東海地震ブロック、浜松から紀伊半島串本町くらいまでの盗難開示心ブロック、そして紀伊半島の半分から西側の南海地震ブロックの三つで、これらがある時はほぼ同時に、あるときはブロック単位で大きな地震を繰り返しているのである。

 このあたりで歴史上有名な大地震が安政の大地震で、これのおかげで掛川城も石垣が崩れて天守閣もなくなってしまったのだが、このときの被害状況を表す図面が幕府に提出されていたおかげで天守閣の存在が証明され、復元のための大変有効な資料になったというのは皮肉な話である。

 さてこの安政の大地震は、上記の三つのブロックがほぼ同時に動いてエネルギーを放出した大地震だったのだが、その次はと見てみると南海地震は昭和21年にM8級の地震を起こしている。

 またまだ大東亜戦争真っ盛りの昭和19年12月には東南海区域でM7.9の地震が発生しているのだが、その後の調査でこのときのエネルギー解放は東南海区域にとどまっていて、掛川を含む東海ブロックは安政の大地震以来150年以上もエネルギーを解放せずため込む一方で推移しているのである。

 このあたりの地震は約100年ごとに発生していて、最近で一番離れたときで1707年から1854年までの147年が最長という事になっていて、今や東海地震の区域はこれまでの最長記録を日々伸ばしている状況なのである。

 このことが世に知られるようになった昭和53年(1978)に政府は大規模地震対策特別措置法を施行し、静岡県等を地震防災対策強化地域に指定し、観測の強化や監視の充実を行うとともに、判定組織を作る事にしたのである。 

 とは言いながら、その後そのような準備をしていない日本各地で断層型の大地震が数多く発生して、突然来る大災害の恐ろしさをまざまざと見せつけているのだが、こういった断層型地震と違って、東海地震だけは事前に発生の予測ができるのではないかと言われているのである。

 その可能性を支える観測事実が実は掛川にある。

 それは、昭和19年(1944)12月7日13時35分に発生した東南海地震の前日の午
後と当日の午前に、掛川からその北西の三倉への水準路線の一部が軍部によって偶然往復で測定されており、このときに水準測量が合わなかったという事実が記録されているのである。

 このときの往路と復路の差からは、700mで約4mmの海側が隆起する地殻変動を生じたと推定されている。

 つまり東海地震のようなプレート型の地震であれば急激に歪みを解消する大地震の前に予兆減少として沈み込んだプレートがゆっくりと跳ね上がる現象が見られるのではないかと考えられているのである。

 たったいちどの観測結果に一縷の望みを掛けているような状況なのだが、事前に予知出来るのなら十分に研究する値はあると言えるだろう。

 しかし何分、十分な観測網ができあがってからはまだ一度も大きな地震が起きていないので、地震学者もその予想を確かめられずにいるのである。

 我々とすれば、予想ができるかも知れない東海地震の行方を見守るよりは、この瞬間にも起きるかも知れない断層型の地震に備えて、三日間だけは救援なしで生きられるだけの水や食料を用意して防災意識を持ち続けたいものだ。

 防災は自助、共助、公助の順なのであって、まずは自分や家族の命は自分たちで守る強い気持ちが大事なのだ。

 災害は忘れた頃にやってくるのである。
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町内会から始めよう

2005-07-23 23:42:44 | Weblog
 天気は良し。少し家の中を片づけようと思ったが、なかなか作業がはかどらない。まったく。

 今日は、
■町内会力 の1本です。

【町内会力】
 私の住んでいる地区は第23町内会ということになっていて、そのために毎月23日は廃品回収の日と決めて、業者さんが来てくれて町内会役員を中心に地区の中をスピーカーで呼びかけながら古新聞や段ボール類を集めて回るのである。

 23日と日を決められてしまうと平日に当たる事が多く、なかなか手伝いにも出られないのだが、今日は幸い休みの日だったのでトラックについて回る事にした。

 今まで参加した事がなかったのでちょっと気恥ずかしかったのだが、まあ何事にも最初と言う事があるものなので、転校生の気分を味わいながら、途中から一団に加わらせてもらった。

 庁内をぐるぐると回りながら、玄関先に置いてくれている廃品を持ち上げては車の荷台に積み込む。車の上には業者さんの若い人と役員が乗っていて荷台に効率的に積み込みながら次の来るのを待っている。

 こちらは車と共に歩きながら積み込む作業をするのだが、こうやって実際にやってみると、上手に紐で縛られているものと、ちょっとルーズなものとがあるのに気がつく。

 こうしてみて自分自身が作業に参加して、初めて「自分が出すときは持ちやすいようにしてあげなくては」とやっとのことで思うのだから、なかなか人間というのは想像力が働かないものだ。 

荷を求めて先を走っていると「あまり無理しなくて良いよ」と後ろから声がかかる。

 無理と言われても、参加者の役員の平均年齢はざっとみただけで70歳以上。これじゃ一番若い自分が動かなくてはならない、と思うのだが、どうしてどうして、皆手慣れている事もあって、要領よくほいほいと動いているから馬鹿にはできないのである。

 回収に歩く事小一時間で大体集め尽くして終了。

 参加者の皆さんは、以前町内会の総会に参加したときにこちらは見ているので大体顔は見覚えがあるのだが、役員の皆さんにしてみれば見慣れない小僧が混じっているという印象。

「あのうどちらの方でしたっけ?」と言われたので
「6班のTさんの隣の小松です」と答えると、「あー、あの黄色い家ね」と言われる。

 こうして町内を回る機会が多ければ、どんな家かぐらいは分かるのだろう。またお隣のTさんも有力な町内の役員活動を続けている方だから、ということもあるのだろうけれど。

「平日だとなかなか手伝えずにすみません」と言うと「休みだけでも結構ですよ。平均年齢を下げてくださってありがとう」とおっしゃる。なかなか粋な答えだ。

 お母さん方には「公園デビュー」という言葉があると聞いた事があるが、町内会デビューというのは無いのだろうか。

 そういえば、昨日の講演会でも会場の地方自治体出向経験のある人から質問があって「私が地方自治体にいたときに、『開発局の官舎街は誰も出ないんですよ』と言われた事がありますが、どう思いますか」ときつい質問が出されたのを思い出した。

 なるほど、「地域の皆さんと共に地域作りをしましょう」と言っていながら、地域とはそういう関わりでしかない、ということも多いのだろう。

 転勤が多く、地域に短期間しかいることのできない運命と言い訳もできそうだが、そういう一つ一つの事に存在を見せてこつこつ積み上げれば、さらに信頼もされるのだがなあと思う。

 地域の住民の皆さんと接する機会も増えつつある昨今、どういう関係を地域と作る事ができるのか、ということは仕事を進める上で実に重要な事になりつつある。

「こうしたらもっと地域に顔を見せる事ができるのではないか」と思う事も多いのだが、組織として対応するのはなかなか容易ではない。

 人に会う事が得意な人と苦手な人もいるだろう。話をする事が得意だという人も苦手だという人もいるだろう。

 そういう能力は練習すればきっと上手になるに違いない。でも本当に大事なのは、その地域に住んでいて自分の住んでいる地域を愛しているかどうか、好きかどうかということではないだろうか。

 実は自分が住んでいる町が嫌いなのでは、良くしようとも思えないのじゃないだろうか。

 好きになれるかどうか、そこが一番難しいんだな。好きじゃなくても一生懸命やってやれればよいのだけれど。

 最近「マインド」という言葉を口にする事が多くなった。「意識」とか「意欲」といったような意味で自分自身使っているのである。

 好きでも嫌いでも、まずやってみたらよいのじゃないかと思うのだけれど、これまた人によるのである。

 人の心は濡れたろうそくの芯みたい。なかなか火がつかないんですよねえ、これが。うーん。

 町内会から始めて見たらどうかなあ。 

 
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政治家の持つべき特質

2005-07-22 23:05:09 | Weblog
 天気はよいけれど、あまり暑くはならないよう。そろそろ学校は夏休みの時期です。もう少し暑くてもよさそうよ。

 今日は、
■生涯学習まちづくりのお話 の1本です。

【生涯学習まちづくりのお話】
 夜に社団法人北海道開発技術センターの招きを受けて、会員を対象にした講演会の講師としてお話をする機会を得た。

 掛川の生涯学習とは何だったのか?生涯学習のまちづくりとは何なのか?

 「人と人、人と社会を繋げようとする努力が生涯学習だ」というのが私なりの一つの結論なのだが、今日的にはソーシャルキャピタルという言い方が、個人主義の国アメリカで言われ出していて、「繋がっている事は社会にとって善である」というごく当たり前の事が研究されているというのは面白い。

 またその事を行政としてどう実現するか、という取り組みが掛川だったのだが、それはかなりの部分を首長というリーダーに負うところが大きく、これを一般化してなにか法則のようなものが見えるのだろうか、ということも興味深いポイントである。

 結論から言うと、個人としての魅力が住民の信頼に繋がるというのが私なりの実感である。

 故松下幸之助が生前、人から「政治家の持つべき特質とは何でしょうか」と問われたときに、彼は少し考えてから「そうですなあ、愛嬌でっしゃろなあ」と答えたと言われる。

 そろそろ国では人事異動の季節。新しい職場でリーダーになるべき皆さんにお送りしたい言葉である。

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