北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

日光そばまつり初日

2009-10-31 23:03:48 | Weblog
 今日から11月3日までの4日間は、日光市(旧今市市)での日光そば祭りに参加してきます。



http://www.city.nikko.lg.jp/kankou/imaichi/others/imaichisoba.html




 今年も全国から腕に覚えのある蕎麦打ち団体が、軒を連ねて蕎麦を食べさせてくれます。

 私が参加するのは北海道蕎麦研究会。北海道に数多ある蕎麦打ち愛好会でも老舗中の老舗の団体です。

 蕎麦粉は蕎麦研究会が自ら畑を作って育てた幻の品種「ぼたん」蕎麦。このぼたん種は、味は良いものの身がこぼれ落ちやすい性質をもっています。それゆえ、蕎麦農家ではキタワセなどの品種に取って代わられつつある中で、やはり蕎麦と言えばぼたんだろう、という愛好会ならではのこだわりで栽培された貴重な粉なのです。

 他のブースでは決して食べることの出来ない蕎麦をたくさんのかたに味わって欲しいものです。

     ※    ※    ※    ※

 もっとも、この団体にあってはまだ若い私としては蕎麦を打たせてもらえるわけではなく、イベント要因として、食器を洗ったり、盛りつけをしたりという役回りに徹しているわけです。

 蕎麦の趣味も、食べさせるというシステムになると、茹でから盛りつけ、種物をつくったり券を売る人から食器を洗うところまで、多くの手間が必要になります。

 幹事長からは「明日はみんな三つくらいの役回りを経験するように心がけましょう」という発言があり、何でも出来るマルチな人材の育成が始まります。

 日光そばまつりにぜひお越しください。
 

 
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丸の内 一丁倫敦(いっちょうろんどん)

2009-10-30 23:48:52 | Weblog
 この9月に復元された東京丸の内の「三菱1号館」へ行ってみました。

 丸の内地区は、一体が三菱財閥によって開発された三菱村とも言うべきもので、明治27年にイギリスの建築家ジョサイア・コンドルによって赤レンガ積みの三菱一号館が出来て以来、周辺に同じような外観のビルを建て、その外国的な景観から「一丁倫敦(いっちょうろんどん)」と言われたのでした。

 この一丁倫敦、周辺のビルが建て替えられて行く中で三菱1号館が昭和43年に撤去されたことでその風景が残っていませんでした。

 それを後ろの近代的超高層ビルの建設と同時に、当時ジョサイア・コンドルが設計したままに限りなく近づけた三菱1号館として2009年9月に復元したのでした。



 古い丸の内を語る時には必ず出る「一丁倫敦」という表現ですが、私自身今のどこに当たるのかをずっと探しあぐねていたのですが、なんと今回はまさに昔にあったところにそのままの位置で復元されました。

 そんなときによく出るこの写真ですが、皇居の馬場先門に向かって東からみた風景なのだそう。今はその風景が現実に見られるのです。





 建物の中は、当時を知るための博物館機能が中心になっています。この展示も明治期から今までの変遷をよく教えてくれていて楽しめました。

 しかしながら、さらに私がうなったのは、この1号館の裏手に広がる広場のあしらいです。

 すぐ後ろには超高層のオフィスビルが建てられているのですが、L字型をした1号館との間のスペースが極めて上手に作られています。

 オフィスビルの一階~三階はレストランなどで埋められて、広場にせり出したテーブルと椅子で笑顔で食事をする人たちも楽しそう。

 よく見ると超高層ビルの本体もこのカフェの屋根の役割を果たしているのです。これほど見事な広場はなかなかありません。広場マニアの私としては大感動ものでした。東京駅周辺へお越しの際は是非一度ご覧ください。





    ※    ※    ※    ※

 さて復元された三菱一号館の博物館では来年の1月11日(月・祝)までの期間、「一丁倫敦と丸の内スタイル」と題した展示も行っています。

 明治期の東京がノスタルジックに伝わってきますよ。

 http://mitsubishi-ichigokan.jp/ 


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遺言ジョーク

2009-10-29 22:25:05 | Weblog
 世の中には言って良い冗談と悪い冗談がありますが、違った意味に取られるとまた誤解を生じるものです。

 毎度お馴染みの「らばQ」に、こんなジョークがありました…。


---------- 【ここから引用】 ----------
らばQ  遺言ジョーク  2007年11月11日 10:49
 http://labaq.com/archives/50813463.html





昨晩、私と妻は居間で座っていました。

 二人で話をしていて、遺言の話になったときに彼女に言ったんです。
「脳が動いてない状態になってまで生きていたくないね。得体の知れない機器と、ボトルに入った液体に依存して生き延びた所で、何になるって言うんだい? もし僕がそういう状態になったら、コンセントを抜いてくれ。」

 妻は、やおら立ち上がると、私のPCのコンセントをぶち抜いて、僕が飲んでいたビールを捨てました。

jimboykin.com: Non SEO: Living Willsより

---------- 【引用ここまで】 ----------

 なるほど、機械と液体に依存する生活ですか。もう私も似たような生活になってしまっているような気がします(笑)

 このセリフが「コンセントを抜いてくれ」で終わっていて良かった。これが「コンセントを抜いて殺してくれ」だったらと思うと…、ぞっとしますね。
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妥当な価格ってなに?

2009-10-28 23:30:31 | Weblog
 日頃の買い物ではお買い得なものを選びたいのは当たり前。

 じゃあその「お買い得」な価格って一体なんだろう?と思うと、同じような品物でも価格にはピンからキリまであって、一概には言えません。

 実は価格には、「自分にとって正当化できる価格」と「自分には正当化できないバカげた価格」の2つしかないんだそうです。

 まあこの記事をご覧ください。

---------- 【ここから引用】 ----------

お得感のトリック “妥当な価格”は幻想?
 http://money.jp.msn.com/newsarticle.aspx?ac=IT20091026004&cc=07&nt=25





 何かの値段を聞いた時、「高い」もしくは「安い」と感じる個人の金銭感覚には大きなバラツキがあります。収入や資産など経済力の差に加えて価値観の違いもあり、同じ値段でも「高い」と思う人、「安い」と思う人がいます。さまざまな人が持つ“妥当な値段”という感覚。これを考えてみると結構面白い。

 例えば、衣料品やファッション雑貨の価格帯は、きれいにいくつかの「層=レイヤー」に分かれています。

(1)普段は数千円の衣服、雑貨、かばんを買っている人なら、一点2万円のバッグやセーターは高級品に思えるでしょう。

(2)2?3万円のものは普段からよく買う。でも、5万円を超えると高いと感じ、「ブランド品だから」などと自分を納得させないと買えない、という人もいます。

(3)5?10万円のものを買うことはよくある。でも30万円を超えるスーツやコートは「高いなあ」と思う人もいる。

(4)ごく日常的に20?40万円のものを買っているが、「この指輪は200万円です」と言われると、「ちょっと高い」と感じ、買うためには「限定品だから」「記念日のプレゼントだから」といった特別な理由が必要という人たちもいる。

 ここから先の人は数は少ないですが、でも確実に存在していて、

(5)日常的に100万円単位の買い物をする。でも、「この宝石は1000万円」と言われると、「主人に相談してからにしようかな」と思うレベルの人もいます。このレベル以上になると、行きつけのブランド店でお店に入ると、すぐに奥のソファに通され、お茶を出してもらえるでしょう。

(6)買い物をする時に値段なんて見ない人たち。宝石箱には数百万、数千万円の指輪が並んでいるし、着物から置き物まで一級の芸術品。ご主人は数千万円の車に改造費をたっぷりかけて注文し、しかも複数台保有という人です。

●誰しも2つの“価格”しか認識していない

 しかし、どのレイヤーにいる消費者も「自分にとって正当化できる価格」と「自分には正当化できないバカげた価格」の2つしか認識していません。

 例えば(3)の「5万円程度の洋服やかばんはよく買っているが、30万円のコートは簡単には買えない」というレベルの人は次のように考えます。

 「この5万円のかばんは作りもいいし、皮も上質。使い勝手もいいし、それだけの価値はある。一生モノだから安物買いの銭失いになるよりはよっぽどお得だわ。

 でも、こっちの30万円のコートは、あきらかにブランドマークの値段よね。実際それだけの価値があるとは思えない。はやりすたりがあるし、汚れてしまうかもしれない。こんな値段のものを買うのはバカげているわ」

 この人にとって、30万円のコートがバカげた値段に思える本当の理由は、「それが自分には簡単に手に入らないものだから」なのですが、人はそれを「バカげた価格」と呼ぶことで自分がそれを買わないことを正当化します。「私の経済力では買えない」のではなく、「賢い消費者の私は、あんなバカげた値段のものは買わない」と理解しようとするのです。

 そして(4)や(5)の人も、(1)や(2)の人も同じように思っています。“客観的な妥当な値段”なんてものは存在しないのです。

 食べ物でも同じですよね。「1人10万円のコース料理なんてバカげている!」と思う人でも、「やっぱりお値段だけのことはある」と言って1万円のコースを食べにいったりします。

 でも、毎日のランチが500円以下という人からすれば、「1万円の食事なんて無駄遣いの骨頂」となります。一方、「やっぱり10万円くらい出すとまともなモノが食べられるよね。素材もいいし、シェフも一流だし、価値があるよね」と言う人もいます。

 ここでも、“絶対的に妥当な値段の水準”なんてないのです。誰もが「自分がお金を出しているものは、質がいいからそれだけの値段を払っている。妥当な値段なのだ」と考え、自分がお金を出さない一段上の値段のものに関しては「あんなバカ高い額を払って食事をするなんてバカみたいだ」と思うわけです。

 なぜこんなことが起こるのかといえば、市場が分断されているために、消費者には自分が手の届くレベルと、その一段上しか見えていないためです。市場の分断により、消費者は“自分がバカげていると思う値段のもの”を日常的に買う人に会わないし、“自分がお得だと感じているもの”を「バカげた値段」と言い切る人とも会いません。

 市場を分断するための方法の1つが“情報の遮断”です。超高級店は“関係のない層の人の目に付きやすい場所”に店を出すことを慎重に避けているし、広告も“誰でも見られる”テレビや新聞には出しません。

 高級ホテルのインハウスマガジンへの広告や、ハイクラスのクレジットカードホルダー、特殊な会員制クラブメンバーへのDMしか出さなければ、違う層の人に広告さえ見つからずにすみます。また、店舗の入り口を重厚感と威圧感のある作りにし、“間違った人”が入ってこないように工夫したりもします。

 こうして消費者は、まるで世の中には「自分が考える妥当な値段のもの」と「バカげた値段のもの」しか存在しないかのように感じ、楽しくお買い物できるというわけです。


  【以下略】




---------- 【引用ここまで】 ----------

 世田谷に住んでいたときには環状八号線沿いに、高級な食材を売っているお店がありました(今でもあると思いますが)。たまに様子を見に行ってみると、そこにはベンツやジャガー、BMWなどの外車で乗りつけて品の良い母子連れが買い物をしていたりして、「うーむ、住む世界が違うんだよなあ」などと思ったものです。結局そういう人たちと自分とは暮らしている層が違うんだということなのでしょう。


 実はこの記事の後半部分では、実は経済成長とは、“人々が妥当だと思う値段”が全体として少しずつ上がっていくプロセスでもあるのだ、というようなことが書かれています。

 そのことだけが経済成長でもありませんが、今まで食べたことのなかったものがたまに食べられるようになったなどということが身近に分かりやすい経済成長ということなのです。

 それまで不便を我慢していたことが、パソコンを買ってインターネットを初めて便利になったというような生活の質を上げることにお金を使い、その使ったお金が巡り巡ってさらに質の高い生活に繋がるという循環こそが経済成長。

 これが逆に、外食の回数を減らして家でつましく食べるようになったなど、気持ちが縮小して生活の改善に皆がお金を使わないようになるとどうなるでしょう。物が売れにくくなって仕方がないので企業は価格を下げてでも売るしかなくなり、従業員の給料はさらに下がる・・・。

 企業としては消費者に「欲しい」と思わせる魅力的な商品を開発して買ってもらうというのが社会的な使命です。

 自分自身でできることは、物の価値を高めるということです。原材料100円の蕎麦粉を手打ち蕎麦にして一杯600円で売ることも、100円の画用紙に絵を描いて1万円で売るという芸術も価値を創出し、高めているということ。常に、どうやったら自分や社会の価値が高まるかと考えるのが経済成長の原点なのです。

 今や「ムダ撲滅」がスローガンになり始めていますが、それは経済成長のための手段であって目的ではないはず。

 評判をあげることだって立派な価値増進。自分たちにできることはなにかな。 
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参加すると良いことが ~ ゲリラ豪雨予報

2009-10-27 23:45:34 | Weblog
 地球温暖化のせいなのかどうか分かりませんが、最近の天候は振れ幅が昔よりも大きくなりました。

 昔では考えられなかったような集中豪雨があったり、その回数が増えたりしています。

 最近の気象用語でよく出てくるのが「ゲリラ豪雨」。天気図などからは判断出来ないようなごく狭い地域に発生する積乱雲によって、一部だけに集中的に雨が降る現象です。

 これをなんとか予報しようと言うので、新しい試みが始まって成果を上げています。そのキーワードが「市民参加」って…?
 

---------- 【ここから引用】 ----------

ゲリラ雷雨予想を70%的中!メール&WEBサービスとは 2009年7月21日 東京ウォーカー
 http://news.walkerplus.com/2009/0721/13/





 梅雨は明けたけれど、次に心配なのはいつどこで起きるかわからないゲリラ雷雨。そんな突発的な被害を最小限に抑えるための2つの画期的サービスがウェザーニューズで本日7/21からスタートした。

「当社の調べによると、ゲリラ雷雨は昨年非常に多く、8、9月に東京だけで172回も起こりました。今年も例年よりは多く、120回程度の発生が予想されます」とはウェザーニューズ広報の上山さん。それではどのようなサービスで対策をとれるのだろう。

 まず1つ目は、登録した地点にゲリラ雷雨が発生する可能性がある場合、メールで知らせてくれる「ゲリラ雷雨メール」。昨年に引き続き2度目の実施だが、昨年は登録できる地点が1か所のみだったものを、3か所に増加。“自宅&会社&スポーツクラブ”というようによく利用する場所を登録すれば、事前にゲリラ雷雨発生の可能性がメールで届き、事前に対策できるというワケ。

 しかも昨年、同社はこのシステムにより東京で76.7%のゲリラ雷雨を捕捉し、平均38分前のメール配信に成功! 5万6542人が本サービスを利用し、92%が“役に立った”と評価しているという。ちなみにサービスの利用は携帯サイト「ウェザーニュース」の月額315円会員の登録が必要で、今年は10万人の登録が目標だそう。

 こんな高い捕捉率なら、さぞかしもの凄いコンピューターが確率をはじき出しているのだろう、と思うかもしれないが、実はそうではない。意外にも“クチコミ”による情報が主になっているのだ。

 情報源は、“ゲリラ雷雨防衛隊員”と呼ばれる携帯サイト登録会員。隊員が“現在の天気”“雲のある方角”“雲の成長具合”“雷鳴の有無”“肌で感じた感覚”などを入力し、写真などと併せて送信。現地からのリアルタイムな情報をもとに気象予測を行うことで、従来の観測機では捉えることが難しかった局地的な積乱雲の発生・発達を捉えることに成功したのだ。

 まさにネット社会の賜物といえる。「昨年は1万人以上の方が隊員として参加してくださり、全体で約70%の捕捉率となりました。会員数が多ければ多いほど捕捉率は上がります。昨年、捕捉率90%のエリアもありました。今年は会員数2万人、捕捉率を全体で90%まで高めることが目標です」と、上山さん。

 また、もう1つのサービスは、同じく隊員からの情報を元に今、どこでゲリラ雷雨の危険があるかが一目で把握できるという“日本初”の試み、「ゲリラ雷雨情報」もWEB上でスタート。ゲリラ雷雨防衛隊員から寄せられる、“今”の空の情報をリアルタイムに更新し、雲の様子をもとに、“ゲリラ雷雨”の危険性を表示するのだ。

 危険が無いと判断される“無色エリア”、3時間~1時間以内に発生の可能性があると見込まれ、注意を意味する“黄色エリア”、1時間以内に発生の可能性があると判断され、発生直前を意味する“赤色エリア”の3段階で表示。外出先を事前にチェックしてから出かけることができて便利だ。こちらはウェザーニューズのサイトの無料登録で閲覧できる。

 ただズブ濡れになるだけでなく、落雷や土砂崩れ、水害など深刻な被害も問題となっているゲリラ雷雨。事前情報をキャッチして、各々で対策を練る必要性を、そろそろ考えてみては?【東京ウォーカー】

---------- 【引用ここまで】 ----------

 どうでしょう、おわかりいただけましたか。自分に役立つ情報が欲しければ、自分自身も身の回りの情報を提供する側に回ることが大切。そしてそう言う人たちが増えることで情報の精度が上がり、自分自身もより質の高い情報が得られるというわけです。

 「市民参加」などというと、能力があって頑張りやの市民達がボランティアで参加する、というイメージが強くて、自分とはあまり関係がないなどと思っている人も多いのでは。

 そんな肩肘張った無理をした参加ではなく、自分自身が良いものを得ようと思ったら、自分も出来る範囲で差し出せばよいのです。

 相田みつをさんも、「みんなが欲しがれば足りなくて、みんなが差し出せば余る」というようなことを言っていましたが、同じような考え方ですね。

 一人一人に繋がりがなくても、ネットを利用して繋がれば、コミュニティに類する役割を果たせるというのが面白いですね。

 日本人に合いそうな情報収集のやり方かも知れません。
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北海道花暦 ~ 曜日のない万年カレンダー

2009-10-26 22:52:43 | Weblog



 北海道花暦(はなごよみ)を作ったMさんに会いました。

 曜日の入っていない月日だけのカレンダーに日々の植物画が書き込まれていて、毎年使える花暦です。描かれている植物はもちろん北海道の自生種ばかり。きれいな植物画に目を奪われます。

 もともとこれを企画したMさんは、植物写真を365枚集めて、植物写真による花暦を作ろうと思ったのだそう。

 そこで北海道の植物の権威である辻井達一先生に相談に行ったところ、「Mさん、『図鑑』っていうでしょう?植物を表現するのは絵の方が良いんですよ」と言われたのだそう。

「そ、そうは言われても、植物画なんて今からはとても…」とMさん。
すると辻井先生は「はは、そういう植物画を描くことを楽しんでいる人たちがいるんですよ。紹介状を書いてあげるから行ってご覧なさい」と笑ったのだそう。

    ※    ※    ※    ※





 辻井先生に紹介されてMさんが向かったのは北海道植物画協会というところで、植物画を描くことを楽しみに日々活動している方のグループなのでした。

 そこで描かれた植物の数々から365点を選び、日々のカレンダーにした北海道花暦が出来ました。

 実はこの協会で植物の絵を描いていても、画集はなかなか売れるわけでもなく世に発表をする場というのはあまりないよう。それがこのカレンダーにしたところ思いのほか売れているのだそうです。

 このカレンダー、売れれば絵を採用された方に少しだけマージンも渡るようになっています。でもそんなお金よりも、自分の名前が載った絵がたくさんの人の目に触れる事の方がずっと嬉しいのです。

 この花暦、季節の花を出来るだけあてていますが、実は作者の誕生日にはその作者自身の絵を載せているんだそう。

 植物も、きれいな花はもちろんですが、枯れ葉、シラカバの樹皮、昆布まで植物画の対象は実に広範囲。

 今売られているのは、札幌駅前の大丸デパートと道立近代美術館が中心でお値段は1,575円。近代美術館では一番売れるお土産なのだそうですよ。

 描き溜めた植物画という資産が日の目を見て、描いた人、企画した人、買った人みんなが喜ぶ日めくり画集が出来ました。

 北海道花暦、北海道をこういう形で味わえるのは良いです。   



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最近のプリンター ~家中どこからでも印刷

2009-10-25 23:49:03 | Weblog



 娘が新しいプリンターを買うというので大手家電量販店Yへ一緒に行ってきました。

 同居する娘は自分の部屋にパソコンがあるもののプリンターがなく、印刷したい時は一度ファイルをメールで自分に送り、それをプリンターが繋がっている我が家のパソコンで受信して印刷をするという手間を掛けていたのです。

「仕事上でも印刷をすることが多くなってきた」というのが決意の理由ですが、我が家のパソコンもだいぶ古くなってきて機能が劣ってきたので、ものによっては家計と折半ということで品定めをしてきました。

 最近の複合プリンターと呼ばれる機械は、パソコンやメモリーカードからの印刷はもちろん、携帯やデジタルテレビからの印刷もできるなど、デジタルデータの印刷がかなり簡単に出来るようになってきたのが特徴。
 もちろんコピーにもなればスキャナーもあたりまえ。

    ※    ※    ※    ※

 今年のモデルの特徴は無線LANによる接続が主流になったことが大きいように思いますが、インクの入れ方がさらに簡単になったりして、細やかな改善の努力も見受けられます。






 無線LANによる接続は、複数台からの印刷の指令を一台のプリンタで受けることが出来ますから、いままでのような面倒くさいデータの移動はいっさい要りません。設定も案外簡単で、ルーターという電波を出す機械のボタンを押すだけ。こりゃ簡単。
 
 パソコン本体とのケーブル接続も不要になったことで、電源さえ取れれば家のどこに置いても良いことになり自由度が大幅に上がりました。





 スキャナーも複数のパソコンから操作出来るので、これ一台で様々な用が足りるようになりました。
 毎回新しい機械を導入する時は、「これ以上何がどう進化するのだろう?」と思うのですが、新しい機械が出るとやはり全機種よりはどこかが改善されているものです。

 まったく、技術と工夫の進歩はすごいものがありますねえ。

 結局支払いは娘と我が家で折半となりました、はは。

 
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「備えよ常に」が合い言葉

2009-10-24 23:39:43 | Weblog



 ガールスカウト北海道支部の皆さんの研修会に参加してきました。

 ガールスカウトとは、世界145カ国で約1千万人の会員が活動している、少女と女性のための世界最大の社会教育団体。

 ボーイスカウトとも似ていますが、ベーデン・ポウエル(団員は『B-P』と呼んでいます)という方が1908年にボーイスカウトを立ち上げて、1909年に大きな大会を開いたときに女の子たちも参加して「ガールスカウトとして活動したい」と申し出たことから、B-Pの妹(後にB-Pの妻オレブさん)が継承してガールスカウト活動が始まったのだそう。

 日本には大正9(1920)年に活動が始まり、第二次大戦中の中断を経て昭和22年から活動を再開、現在は約4万5千人がその活動に参加しています。

  *    *    *    *    *

 しかしながらこの4万5千人という人数は、本場イギリスでは12万人が参加していることや他の先進国での参加人数に比べると非常に少ないものとなっていて、最近ではその活動もやや沈滞気味。

 そこでどうしたら活動が活発になるだろうか、と相談を受けて、会の研修の場で意見交換をする機会をいただいたのでした。

 参加者の皆さんに「活動をする上での敵は誰ですか?」と訊いてみると、社会の風潮や、保護者たちの時間のなさ、保護者の考え方、塾などという答えが返ってきました。

 社会の風潮や保護者に時間がない、というのはマイナス要因でなかなか自分たちで変えられるものではありませんが、そんななかでもビジネスは行われているわけで、あきらめる要因ではありません。

 そんなときにこそスローライフ運動で、なんでもかんでも「早く・安く・便利・効率」が良いのではなく、「ゆっくり、ゆったり、豊かな心で」という考え方を利用したいもの。

 特にスローエデュケーションを考えると、途中をはしょったり、結果を急ぐよりも、植物が生長するのを待たなくてはならないように、適切な措置をすることで結果を待つという忍耐も必要になるのです。

  *    *    *    *    *

 お話を聞いてみても、「中学生のときに塾やクラブ活動が楽しいのは仕方がなくて、そんな時期は年に1度でも2度でも切れない関係でいてくれればよいのです。大人になって時間が出来たときにまた参加してくれるようになってくれる子もいますし」

「塾でもクラブ活動でも、そこに自分の居場所が見つかる子はいいんです。でも皆が皆そういう場所を見つけられるわけではないし、私もガールスカウトに居場所があって救われたんです」


「ガールスカウト活動を通じた人間形成の塾度が見えると良いのですがね」と私。
「そうですね、級や段が上がって行くとか、点数があがるとか言えばやる気に繋がるのかも知れませんが、そういうことも全部自分の中の満足の問題ですからね」

  *    *    *    *    *

 女性の団体だけあって、ITやホームページなどの情報提供に弱い傾向があるかも知れません。でもこれからの若い女性はそのあたりも詳しい人が増えてくるのでそれに期待したいものです。

「ところで、改めて『ガールスカウトの売りはなんですか』と問われたらどう答えられますか?」
「そうですね、一つは日常の当たり前のレベルが高いことでしょうか。団体行動でも自分の身の回りのことは当たり前にしていますから」

「まだありますか?」
「はい『備えよ常に』の精神だと思います」


 「備えよ常に」ですか。このことをいつも考えて過ごすというのはいざというときにものすごい力になりそうですね。

 ガールスカウトの会員が増えることを願う、というよりも、ガールスカウト活動で笑顔が手に入る人が増えることをお祈りします。
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セレンディピティ

2009-10-23 23:42:15 | Weblog
 「セレンディップの三人の王子」という童話があります。

 セレンディップとは地名で今のセイロン島のこと。ここに三人の王子がいて、王の命令で宝を探しに世界中を巡るのですが、宝には行き当たらずに国に帰ってきます。しかしその途中で経験したり身につけた能力で国の難題を解決するというお話。
 
 ここから、期待したこととは違う成果が得られることを「セレンディピティ」と言うようになりました。

 世界を大きく変えたセレンディピティは数知れません。有名なところでは菌を培養しようとして青カビが混じってしまい、培養に失敗したところから青カビの滅菌能力に気がついてペニシリンができた、なんていうものもその一つ。

 このペニシリンのお陰でその後どれだけの病人が命を救われたことでしょう。

 ことほどさように、何かを求めよう求めようとして巧くいかず、でもその過程でいろいろな体験や望まない結果に導かれて人生が変わるなんて事もおおいはず。皆さんだって、自分の人生を振り返れば一度や二度そうした経験が思い出されることでしょう。

 デートに遅れたために出会った人と結婚なんてラブロマンスはありませんか?最近ではそのまんま「セレンディピティ」という映画もありますしね。

    ※    ※    ※    ※

 先日掛川で景観シンポジウムを行った後に打ち上げを行った時にもそんな話が出ました。

 シンポジウムは市からの委託で私もお世話になったNPOが企画運営してくれたのです。その中の中心的なSさんが「こままささんと会う前には、まさか自分がNPO活動のど真ん中にいるなんて思いもしませんでしたよ」と言うのです。

「それをセレンディピティと言うのかも知れませんね。ほら、青カビからペニシリンが出来たみたいに…」
「そうか! 僕たちは青カビかぁ!(一同大爆笑!)」

    ※    ※    ※    ※

 なにか人の話を聞いたり本を読んだりした時も、全部を覚えたりメモを取る必要なんて無くて、その中のワンフレーズに心打たれたり、目からウロコが落ちることで人生が変わったりすることがあります。

 人生には目標を定めてそれに向かってなすべき事をコツコツと積み上げてゴールにたどり着く「山登り型」と、出会った人や経験に影響されながら行く道が変わって行く「いかだ下り型」の二種類があるとか。私は後者かな。

 何かに気づけ、と言うけれど、「気づく」のにだって能力がいるのです。

 能力のある人はすぐに気がつくけれど、気づく能力がない人はなかなか気づけないものです。青い鳥はすぐ身近にいたのに、です。

 人間がなにか変わるには外からの刺激が必要です。

 明日は札幌で、ガールスカウトの世話人の皆さんとちょっとした話し合いをする機会があります。こういう機会がなければガールスカウトって何なのか、全く知らずに終わったことでしょう。

 お互いに知らない同士が会って話をしてみると、互いにセレンディピティが生まれるかも知れません。

 おっと、そろそろ飛行機が着陸します。それではまた明日。 

 
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日本の教育を外から見ると

2009-10-22 23:32:22 | Weblog
 日本がおかしくなったのは教育が悪いからだ、という意見が増えています。

 私自身はそこまで教育が悪ければ自分で学ぶという自助努力があっての自分自身の人生だと思っているのですが、どうも何かにつけ他人が悪いから自分も良くならないという被害者意識を持つ人も多いようです。

 中国の方が日本の教育現場を見た感想がブログに乗っていました。


---------- 【ここから引用】 ----------
【サーチナ】中国人が語る「日本の教育に余裕がある理由」 2009/07/26(日) 13:23
 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0726&f=national_0726_010.shtml





  中国人ブロガーが「日本の幼稚園、小学校の教育には余裕がありすぎる」とする文章を掲載した。それによると、「多くの在日華人たちは中国で教育を受けさせるために子供を中国に帰している」のだという。中国人ブロガーがなぜ日本の幼稚園、小学校時における教育には余裕があるのかを考察した。以下は、その要約。
--------------------------------------------------------------
  日本の小学校では、子供たちは何を学んでいるのだろうか。小学生たちが学んでいるのは理科や算数などの知識だけではないのだ。私の娘は二歳で来日し、幼稚園、小学校、中学校と日本の教育を請けてきた。

  日本の教育について、人々からの評価は一定ではないものの、多くの在日華人たちは日本の教育は緩すぎであり、英才教育ではないと評価しており、自分の子供たちの前途が暗いものとならないよう、子供たちを中国へ送り返しているのが現実だ。しかし私は親と離れて成長する子供たちの心への影響や、日本の教育の本心を考慮すると、日本の教育を簡単に否定することは出来ないと思っている。

  私の認識では確かに日本の幼稚園や小学校における教育は余裕がありすぎると感じる。しかし、日本の教育では基本的な知識を学ぶほかに、教育を通じて基本的なマナーや礼節を学ぶことが出来、結果的に良好な生活習慣を要請することが出来るのである。例えば、様々な挨拶や人に謝ること、食前食後には手を洗うこと、食後に歯を磨くこと、公共秩序を乱さないよう気をつけること、他人に迷惑をかけないようにすることなど、枚挙に暇がないほどだ。

  また、小学校の成績表は他人と順位付けすることもせず、単に◎(とても良い)、○(普通)、△(努力しましょう)で表現するだけである。私の見解では日本の小学校では本から知識を得ることだけではなく、子供たちに対して良好な生活習慣と学習習慣を養成することに重きをおいているのではないだろうか。(編集担当:畠山栄)

---------- 【引用ここまで】 ----------


そうかと思うと、こんな記事もありますよ、


---------- 【ここから引用】 ----------
【サーチナ】小学生「なぜ」で始まる課外授業は「素晴らしい」   2009/10/13(火) 12:50
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1013&f=national_1013_015.shtml





  小学2年生の子どもを持つ、日本在住の中国人ブロガー「唐辛子(ペンネーム)」さんはこのほど、子どもの通う小学校で行われた生活科の課外授業の取り組みに感心、「日本の教育方法は中国も参考にすべきでは?」との考えをつづっている。

  「唐辛子」さんは、「スーパーや飲食店、書店などで働く人にインタビューする」という課外活動のために、教師、保護者、子どもが一丸となって取り組む様子を紹介、「教師はインタビュー先への事前アポイントや、当日の子どもの移動に付き添う、保護者による安全ボランティアの募集などを行った。また子どもたちも、自分たちで“取材活動マップ”を作成し、取材前の注意事項を確認していた」など、活動の段取りのよさに感心する様子を示した。

  また、生活科での課外授業の取り組みについても、各学年ごとに「動物・自然愛護」、「地域の建築・道路」、「環境問題」、「外国への理解」、「社会福祉やその施設」などの異なるテーマに沿って活動を展開することや、どの公立の小学校においても、同様の活動があるらしい、との状況を紹介し、「日本人の子どもに対する教育方法は、中国人にとっても参考になるのでは?」と提起、「身近なものへの“なぜ?”を通して、他人や世界への関心を高めることは、子どもの未来にとって、とても重要なことだと思う」と述べた。

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  江蘇省蘇州市が発表する、小学2年生の時間割によると、生徒は1日6コマの授業の中で、国語や算数、外国語(英語)、体育、品徳と生活(道徳)、美術、音楽、興趣活動(ゆとり)などに取り組むという。

  しかし近年、中国でも学習熱の低学年化が進み、子どもの睡眠不足や体調を崩すなどの多発する事例が問題視されている。江蘇省では2009年9月から「江蘇省学生体質健康促進条例」により、学齢児童の学校での勉強時間や、宿題に要する時間を学年別に制限するなどの条例を設け、子どもの学業負担や睡眠不足の解消を目指す取り組みを始めた。

  一方、中国では、中央政府による全国統一的な教育制度が進められているが、地域による経済、社会、文化的差異の影響もあり、一元的な制度施行は望めないことから、江蘇省による同条例も、全国に波及するかは未知数とも見られる。(編集担当:金田知子)

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 国内の教育に対する見方では、「ゆとり教育でおかしくなった」とか、「国際比較で学力が低下した」、「基礎学力のない大学生増えた」など、どうもあまり芳しくありません。

 どうやら外国の方が見ると、隣の芝生は青く見えるのでしょうか、日本の教育も素晴らしいという賛辞が送られ、一方日本人が外国の教育を見るとこれまた素晴らしく見えるという事のような奇がします。

 つまり、身内は過小評価しがちで、隣の芝生は青く見えるという過大評価気味のバイアスが働くと言うことです。

 過小評価も過大評価もどちらも困ったものですが、常にこの両極端から離れて偏らない中庸の目をもって、自分たちの有り様を見つめたいものです。

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