北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

技術士たちのまちづくり

2006-01-31 23:58:58 | Weblog
 いよいよ道路はつるつる。大きな道路が雪を削って除雪をしているのはよいのですが、脇道との間に段差が出来て、それをつなぐ坂がつるつるでもう大変です。

 今日は
■技術士の会合 です。

【技術士の会合】
 技術士という資格を持っている知人から、「地域の事をいろいろと勉強しているのですが、覗いてみませんか」というお誘いがあったのでおずおずと参加してみた。

 人数は15人ほどで多くはだいぶ年上の先輩諸氏だが、同世代あるいはもっと若い人もいてほっと安心。

 今日の会合は前回に宿題が出ていたらしく、いくつもあるテーマから自分が論じてみたいテーマを挙げて、各自の問題意識を語ることで始まった。

 テーマの例は、「地方の経営と社会資本」「人口減少下の社会資本整備」「道州制」などだが、やはり社会資本の整備や維持管理に関する関心事が多い。

 現状認識としては、地方経営・都市経営の感覚が少なく中央依存体質なのではないかとか、地方の経営資源の発掘・育成の努力不足などといったものが多い。

 「経営」というとなにか収支バランスの取り方のように思われがちだ。しかし「経営学」という学問分野の書物を読んでいると、持っている資源を最大限に活用して最大限の効果を得るということのように思われる。

 そしてそれには市民や役場の職員といった人的資源の共感やモチベーションの持たせ方、リーダーシップなども当然話題になってくるのである。資源の中でも一番運用が難しいのが人間ということなのだろう。

 技術士という資格は長くそれぞれの分野で実践的に物作りに関わってきた人たちが多く、そう言う意味ではどちらかというとハード偏重の傾向があるのはやむを得ない。

 しかしもはや人間ドックで調べられるようなまちの社会資本整備率のような数字に一喜一憂しても、まちの本当の健康状態や病巣は分かるものではなく、もう一歩踏み込んだ触診のようなことが大事だし、触診したことで変調を指摘し、治療まで導いて行くというのは容易ではない。

 敢えて言えば笑う事で治癒力を高めることに似たような、とにかく明るい社会を維持出来ればいろいろなデータの数字は悪くても、それはそれで健全ということも言えそうである。

 衣食足りて礼節を知る、とは言うが、衣食が足りてみてやっと礼節とはどういう事かを知る、というのが現実なのかも知れない。

 我々には住民の幸せとは何か、ということがまだまだ分かっていないのではないか、という意見もあり、幸せな社会を作るなどというのは畏れ多い事なのかもしれない。

 それでも私には、掛川での生涯学習の体験やその真髄としての「関係するということの社会資本の増強」こそが地域の幸せの極意なのではないか、という直感がある。 
 ハードとそれを使うソフト、そしてそもそもそれを仲介する人間(とその良好な関係性)に注目しなくてはならない時代になったと言う事だ。

 公園事業を長くやっていると、公園を作るという事は「人間が楽しむ場所」を作っているという事に思い至る。いくら花が咲き乱れていても人間がそれを美しいとか素晴らしいと思わないのならばそれは公園ではないとさえ思う。

 だから便利だとか思いやりだとかもてなしの心、などといった単語が飛び交うのだけれど、根っこにあるのは「幸せにしてあげたい」という信念のはずだ。

 さて我々はそれを邪魔する障害をどれだけ取り除いてあげられるだろうか。

 これからのまちづくりもそれがスタートなのだと思いますが、どうかな。


    *   *   *   * 

 さて明日からは上越二泊、美瑛一泊の連続出張です。上越はどんな感じでしょうか。聞くところによると市内は雪が少ないのだとか。友人にも会ってきますよ。
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雪氷輸送の委員会

2006-01-30 23:12:54 | Weblog
 午前は暖かくて雪が解け加減のところへ来て午後は寒波襲来。道路がかちんかちんに凍って、本当に歩いていて危ないです。これは年を取ったら確実に転んでけがをしそうです。

 今日は
■雪氷輸送物流システム第三回委員会 です。

【雪氷輸送物流システム第三回委員会】
 苫東でいよいよ始まった氷づくり。今日は雪氷輸送物流システム検討調査の第3回委員会である。

 そろそろ氷を作る産地部会、氷を運ぶ輸送部会、氷を冷房システムに入れる利用部会の三部会それぞれの課題を示して各委員から質問を受けご意見を伺う。

 まだまだそれぞれのパートでコストが高い試算しかできていなくてこのままではビジネスにはできない段階なのである。
 
 しかしとにかく現状で考えられる機械や道具、設備を利用しての試算なのでこれがベースになるはず。ここからどれだけの改善を重ねてコストを下げることができるかというのがポイントだろう。

 委員の中には採算性に加えて環境面での貢献度合いを数値化して評価する事が必要だと応援をしてくださる方もいるが、まずは堅実な採算性をあくまでも追求し尽くす事がなによりも大事なのである。

 別の委員からは「採算性の不足を環境貢献に押しつけるのは間違いですよね」という意見もあって、まだ委員の中でも様々な考えの方がいるのだ。

 ところで苫東の氷は現在40センチと少しまで成長したが実験のスタートが年明けと遅くなったのと、製氷ということに慣れていなくて出足でもたもたしたところがあって、氷の成長が期待を下回っている。

 高さ2メートルの氷を作りたかったのだが、どうやらこのままではそこまで行かない可能性が出てきた。氷をたくさん作って融けるのを防ぐというのも一つのポイントなので気になるところである。

 今日のように暖かい日になると氷の成長は遅くなってしまう。寒くなって欲しいと思うというのもなんだか自分の中では矛盾した感じだが仕事とあれば仕方がないところだ。

    *   *   *   * 

 ガーデンアイランド北海道の後援の決済が降りてきた。正式に組織としても認知して応援をするので、いよいよ頑張ってもらわなくてはなるまい。

 そろそろ打ち合わせが目白押しになってきた。年末恒例とは言いながら頑張りどころである。今日の頑張りが明日に繋がる事を信じよう。

 
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友遠方より来たる

2006-01-29 19:29:59 | Weblog
 スキマスイッチの「全力少年」という曲をレンタルして聞いています。元気が出る歌はいいね。

 今日は
■友遠方より来たる です。

【友遠方より来たる】
 九州からの友人二人がこの週末を利用してニセコにスキーに来ていた。

 昔から東京勤務時代の同僚らが中心になってシーズンに一度は北海道でスキーツアーをしようと言うことでもう何年も続いているのだ。

 昔は若い女性なども誘って10人くらいで賑やかにやっていたのだが、最近は男は年を取るわ女性達は結婚してしまうわで次第に寂しいツアーになりつつある。

 かくいう私も地元にいながら、今回は週末に会合が入ってしまったために参加出来ないという情けない体たらく。今日の飛行機で帰るというので空港まで見送り方々出かける事にした。

 互いに会うのは3年ぶりくらいで旧交を温めあった。

「今は観光も担当しているので、本当はニセコの現状を見ておきたかったんだけどどうだった?」と私。
「いやあ今回はニセコアンヌプリで一日半滑りましたけど、すいてましたねえ。もうスキーは日本人のレジャーじゃなくなっちゃったのかと思いましたよ」と友人の一人」

 するともう一人が「でも今日のヒラフはすごく混んでいましたよ。それにオーストラリア人が本当に多かったですよ。ニセコから倶知安までナイトバスが出ていると聞いてさらに驚きです。倶知安に夜楽しめるようなところがあるんですかね」と驚いている様子。
「そうみたいですね。英語で対応出来るかどうかが心配されているみたいですけど」

「いえいえ、おばちゃんがやっているような食堂で食べていたらメニューに全部英語の訳が付けられていて分かるようになっていましたし、おばちゃんも"How are you?"って英語で注文を取っていましたから大丈夫じゃないですか。必要に迫られたらたくましいものですよ」
「そうですか、それは心強いね」
「今度は是非参加してくださいよ」「そうですね。次はきっと」

 男三人で昼間っから北海道の地ビールを飲みながら懐かしい話に花が咲いた。友達が折角来てくれたのにできることはこれだけ。

 残念至極。来年はきっと富良野かニセコで会いましょう。

 あ~昼間から飲んだくれてしまったが、こういうのもたまには良い。

 
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土地との関わりということ

2006-01-28 23:52:16 | Weblog
 今日また雪。北陸ほどではないにせよ、毎日しょぼしょぼと降ります。今冬はこの調子で過ぎそうです。

 今日は
■土地との関わり です。

【土地との関わり】
 娘の成人式の写真を見せびらかしに親類回りをしていて、義兄のところへ立ち寄ってみるとご近所のお友達が来ていた。聞けばお隣さんとの事だったが、新しく家を建てて引っ越していって、すぐにご近所に親しい友達が出来るのは義兄の優れた能力だ。

 今回はかまくら完成とのことで、家の横には雪の固まりの中がきれいにくりぬかれたかまくらが立派に出来ていた。中にはキャンプ用の小さな椅子が置かれていたが、大人の背が立つほどだから立派なものだ。
 かまくらも大人の、というよりも昔の子供の遊びになってしまったようだ。

 今夜はご近所で鍋をするということで、地域づくりの核となる実践をしてくれている。「地域に義兄さんみたいな人がもう少しいると安心で安全なまちになるのにね」と言うと「まあな」とにやり。義兄は警察官である。

「地域の子供を一列に並ばせてさ、みんなで敬礼!だもの」と笑うのはお隣のMさん。地域の安全は地域のコミュニケーションが一番だ。

    *   *   *   * 

 札幌市議会議員の方とお話をする機会があった。市役所への一番の苦情はなんと言っても除雪なのだそうだ。

「もう雪の置き方が悪いとか、なんでウチの前に置いてくんだという話ばっかりさ」
「地元に説明をしたりもするんですか?」
「しますよ。『雪は計算通りに降らないんですよ』ってね。しかしそういう事ばっかり言ってたら人気が落ちるんだわ。でもそう言っても分かんない人は分かんない。苦情が多いと言っても、苦情を言う人は一人で何度でも言いますしね」

「我々市民の雪に対する意識も軟弱になったと言う事でしょうかね」
「そうですよ。以前地下鉄駅前に雪像を作ろうと市民に呼びかけて集まってもらったのですが、鉄製の先のとがった剣先スコップを持ってきた人が一人もいなかったのには驚きました」

「何を持ってきたんですか?」
「みんなプラスチックの柔らかい雪かきかアルミ製のスコップなんですよ。固い雪を相手にして雪像を作るなんて時には先のとがった鉄製のスコップじゃなきゃ無理だと言う事も分からなくなってるんですね」

「なるほど」
「そのうえ、苦情が来るのはほとんどが新興住宅地の住民からなんです。道路は充分に広いはずでしょう?でも明治の始め頃からの商店街だとかその頃の狭い道路の住宅地からはそんな苦情は出ませんよ。そういう生活だと思っているんですよ」

    *   *   *   * 

 内地の田舎ではまだまだ自分たちの道路に感謝して年に一度くらい集まって補修をするという習わしが残っている。いわゆる「道普請」というやつである。

 掛川ではそういう事をする人たちを「けぶ役」と言っていた。作業の合間に一服して煙をくゆらす様から来ているのだとか。

 ここ数十年の間に日本の社会が変化した大きな事の一つは土地との関わり方なのだと思う。その土地に由来した自分、その土地が自分に与えてくれる恩恵、その土地に生きるしかない自分を感じられる限り、土地に祀られる神社や祠との関係が切れる事はないしその感謝の形である祭りも廃れる事はない。

 しかし現代人の多くは土地が自分に恩恵をもたらすとはもはや思ってはいない。どこへでも転居が可能で、外に出る事などなくても過ごせる住宅地と社会環境、買い物は自分の町内である必要がなくてドライブかたがた遠くのショッピングセンターに行けば良く、ネット環境が整備されれば土地などなくても商売すら出来てしまうのだ!

 まるで現代人が、値段が高くて権利が強力になってしまった「土地」に対して反乱を起こしているかのようだ。社会の担い手が特殊技術化して、土地を必要とする産業であることを感じられる人が少なくなってしまったからなのかもしれないが。

 土地の呪縛を離れたときに愛着と敬意も一緒に取り払う事はないのだけれど。

 故郷のない私だからそう思うのかもしれないが、ないのならそこから始めるしかないよね。北海道だって明治以来もう140年の歴史があるのだから。

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ローマ人の手紙第9巻を読む

2006-01-27 23:24:59 | Weblog
 今日は朝から東京です。昨夜は前泊で行こうとした同僚が飛行機が飛ばなかったとか。冬は新千歳空港も大変です。

 今日は
■ローマ人の手紙 です。

【ローマ人の物語】
 出張は本を読むのに最適な時間です。今読んでいるのは毎回おなじみ、塩野七生さんの「ローマ人の物語第Ⅸ巻」。

 ローマ人の物語は塩野さんが1992年から2006年にかけて一年に一冊ずつ刊行して全15巻にわたる壮大なローマ帝国の物語である。

 新刊本一冊を三冊に分けた文庫で第Ⅷ巻の分までが文庫化されているのだが、それ以降がなかなか文庫化されないので我慢できずにとうとうⅨ巻を買ってしまったのである。

 第Ⅸ巻は「賢帝の世紀」で、紀元1世紀末からの五賢帝と呼ばれる、傑出した皇帝が続いた時代の物語である。

 ローマ人の物語は、一人一人の魅力的な登場人物に加えて、著者である塩野さん自身の歴史観や人物観、多くの引用文献に見られる歴史家達のローマ観が伺えて、二千年以上の時を超えた人間の有り様が生き生きと描かれているのである。

 私自身がこれまでに読んだ本のシリーズの中でも、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」と双璧をなす傑作である。

 最近は読書の際に「ここだ!」と思ったフレーズには鉛筆で片っ端から線を引いて、後からたどれるようにする癖がついてしまった。だから新刊本なのに、線が引かれるわ耳は折られるわで、本好きのonimasaさんなどからは「本になんてことを!」と怒られるかも知れない。

 しかしもう自分の中で、本はそう言う使い方をしようと決めてしまったのだ。古本屋には売れないに違いないけれど、その分自分の血や肉になるような気もする。

 今回登場するのは、ローマ帝国の版図を最大にしたトライアヌス、帝国をくまなく視察して統治システムの再構築に励んだハドリアヌス、穏やかな人柄ながら見事な政治を行ったアントニヌス・ピヌスの3人で、帯には「世にいう五賢帝のなかでも傑出した三者の人物像を浮き彫りにした、極め付きの指導者論」と書かれている。

 ローマが最も幸せだった時期を支えた皇帝達の物語として非常に優れたものになっている。

 ローマ帝国はなぜ滅びたかがよく話題になるが、それは裏を返せば「なぜこんなにも続いたのか」ということである。

 なぜこんなにも続いたのかについては著者の塩野さんも様々に書いているが、ローマ人という人種にこだわらずに併呑した部族がローマシステムを採用する限り、一切の差別をせずにローマ市民として扱ったということが最大の要因ではないかということが随所に出てくる。

 日本という国のことに置き換えても考えさせられることである。我々は日本という国を永続させるために、何にこだわることが必要で、こだわる必要がないことは何なのかを考える必要があるだろう。


 出張は読むにはありがたい時間でもある。有効に利用しなくてはね。



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ガーデンアイランド北海道セッション

2006-01-26 23:20:51 | Weblog
 連日夜遅くの帰宅になり更新が遅れてしまいました。どうもすみません。

 今日は
■ガーデンアイランド北海道セッション です。

【ガーデンアイランド北海道セッション】
 北海道を花の島にしようというガーデンアイランド北海道の実現に向けて、来る2月17日に講演会とトーク会による北海道セッションが開催される。

 会場はセンチュリーロイヤルホテルの20階で、

 講演会の講師は川勝平太さんで、現在の肩書きは国際日本文化研究センター教授ということになっているが、国土審議会委員でもあり、多くの公職に就かれている。

 ご専門は比較経済史なのだが、狭い分野に留まらずに、ソフトな見た目と語り口で日本の文化についていつも目からウロコの落ちるようなお話しをしていただけるのだ。

 川勝さんは21世紀の日本文明にふさわしいビジョンとして美しい国土を持つ世界に誇りうる日本列島、庭園の島としてガーデンアイランズ構想を提唱されていて、北海道でもそれを実現したいね、というのが現在の民間有志の運動になっている。

 当日のセッションでは今年度の活動の報告の後、川勝さんから「ガーデンアイランズ構想」というお題で基調講演を一時間お願いしている。

 その後に休憩をはさんだ後は川勝さんをコメンテーターに迎えてトークセッションを行う予定である。

 私も一応パネリストとして参加要請されていて、「北海道はどんな庭園の島になれるか」というテーマのもとに、恵庭市長の中島興世氏、釧路シーズンフォー主催の野原隆子さんとともに意見交換を行うこととしている。

 お時間が許して興味がおありの方は是非ご参加してみて下さい。私などが出るトークセッションはともかく、川勝平太さんのお話は非常に良いお話が聞けますよ。

 川勝さんはこの運動に非常に共感して下さっていて、聞くところによると今回の講演会も講演料はほとんどなしだとか!これだけの方をタダで動かすエネルギーもすごいものがある。

 この運動も、過去3年にわたって道内4カ所でフォーラムを行うなどして盛り上げに努めてきたものの、まだまだ知名度は低いままである。こういう良質なイベントをきっかけにして少しずつでも良いから「知っているよ」という人を増やしたいものである。

 掛川でスローライフ月間のイベントを行った時も、スローライフという傘の下に市民や市役所、民間の多くのイベントがそれぞれのスローな思いを果たす催しを行ってくれたものだ。

 掛川ではその運動がNPO活動という形でまちづくりに姿を変えて現在も繋がっているが、まさにそんな動きになることを期待したい。

 北海道の夏の花は紫外線が強い分、青が綺麗に出るのだそうだ。2008年は全道各所で庭園が花開くことを夢見たい。


(参考)
 『ガーデンアイランド北海道』
 日時 平成18(2006)年2月17日
     14:00~16:30
 場所 センチュリーロイヤルホテル20階 白鳥の間
     (札幌市中央区北5条西5丁目)
 問い合わせ先 ガーデンアイランド北海道を実現する会事務局
     電話 011-233-2008
 
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アジアの宝 北海道

2006-01-25 23:59:51 | Weblog
 市内の幹線道路が雪祭りにあわせてか、運搬排雪が始まっています。道路横の雪山はなくなりつつありますが、今度は滑りやすくなっています。

 私も横断歩道橋の下りでスリップして転びそうになりました。雪国の皆さんは気をつけてください。


 今日は
■シンガポールからの来道観光 です。

【シンガポールからの来道観光】
 観光関係者との懇談会で、昨年開発局が行った観光調査の記録ビデオを見た。

 観光調査とは、シンガポールの人たちに北海道を4泊する旅で、その旅というのが宿泊場所だけは決めておいて、あとはカーナビを用いながらのレンタカーによるフリーの旅というのである。

 これには日本人で地元に住んでいるある観光業者さんが協賛してくれて、結構な持ち出しもしてくれて成り立った企画なのだ。

 これが人気で約50人もの家族や夫婦、恋人たちが参加してくれたという。

 一行は新千歳空港で十分な説明を受けて、あとはカーナビを頼りに道内の各観光地へと出発。実はシンガポールは英語も中国語も通じるので英語表記や漢字がある程度分かるということもあり、また国内は右ハンドルで左側通行という日本に似たところがあって運転に慣れやすいという事なのだとか。

 ビデオは一行の中からいくつかの家族連れに密着して道内での感動や喜びを写し出していた。

 シンガポールのような常夏の国には乾期と雨期の区別はあるものの、日本のような四季はないので北海道の自然は本当に豊かに写るのだそうだ。

 また我々にしてみれば北海道は広くて観光地まで行くのに時間がかかると思いがちだが、彼らにすればたった2時間くらいのドライブで山があり海があり湖があるという景観の変化は次々にかわるパノラマなのだそうだ。

 考えてみればオーストラリアなどではあまりに風景が雄大で、走れども走れども何日間もひたすら砂漠とか、そういう光景を経験している人たちが多いので、北海道などはスケールが小さいのだろう。
 そういう感覚は道民にはないので、そういわれると案外新鮮なものだ。

 食事も大変美味しそうだったが、英語のメニューがないのには困った様子だった。また観光地にも最低英語の説明があればよいのに、というのも感想の一つ。

 まだまだおもてなしの心が不足しているという事なのだろうか。

 何気ない夕焼けにも「きれいだ!ワンダフル!」を連発されるとなんだか恥ずかしくなってきたが、自分たちの財産に改めて気づかされた思いがする。

 小学生の女の子などは毛虫をつつきながら「シンガポールにはこんなに毛むくじゃらの毛虫はいないの」といって嬉しそうにしていた。まったく何に感動するのかなんて異国の人間には想像もつかない事がある。

 かつてドイツへ視察に行かせてもらったときに、わが一行は現地の墓地がきれいに管理されていて彫像などを上手に配置しているのに感動してやたら写真を撮りまくっていた事があったが、確かにバスの運転手さんがあきれ顔でいたことが忘れられない。

 自分たちの感覚にはない風景こそが財産なんだな。

 
 海外からのチャーター便などは、帰りにどれくらい安定的にお客さんが乗ってくれるかというのが商売の最大のポイントだ。そういう意味では来てくれるお客さんが日をずらして帰るというパターンが安定して機能するか、もしくは北海道の人たちが逆にシンガポールへ行くという観光交流が盛んになればよいのだ。

 こちらばかり良い目を見ようとせずに、お互いがwin-winの関係でいたいものだ。

 人呼んで「アジアの宝 北海道」。これを本当のものにするのは道民一人一人のおもてなしの心からだ。
 
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スローライフ掛川を調べた卒論

2006-01-24 23:20:44 | Weblog
 なんだかんだいっても雪は降るもので、毎日少しずつ降っています。常夏の国からの観光客の皆さん、いまならほぼ確実に雪の降る姿が見えますよ。


 今日は
■卒論のテーマは掛川のスローライフ です。

【卒論のテーマは掛川のスローライフ】
 掛川で一度だけあった事のあるI君から「卒論が完成しましたのでお送りします」というメールとともに卒業論文が送られてきた。

 三年間の助役生活を終えた私と入れ替わるように掛川のスローライフ界に現れたのがI君だった。彼は掛川出身で地元の大学に進学したのだが、卒論のテーマを探しているうちにスローライフ掛川の関係者の元へと導かれるように入っていったのだ。

 掛川のスローライフの関係者であれば大抵は運命の赴くままに「なだれ込んでくる」人たちを待っている。しかし世の中の人たちは二通りに別れていて、その瞬間に運命に身を任せて踏み出せる人と、思いとどまって後戻りする人のどちらかだ。

 I君の運命は偶然にもそこから先になだれ込んだ事で広がりを見せ、その結果としてNPO法人スローライフ掛川の存在を知り、どうやってその活動が成立してきたかという過程から、それがまちづくりの中にどのように活かされているか、そしてそもそも何の縁もなかった人たちがいつの間にか繋がっている事の価値をどう考えるか、といった点に興味をもち、そのことが卒業論文のテーマになったのだ。 

 タイトルは「NPO法人スローライフ掛川における社会関係資本の蓄積─つながりがもたらす価値とは何か─」である。まさに私が掛川で唱えてきた事を社会学的にまとめてくれた一書になっている。

 我々自身には当たり前になってしまっている暗黙知を、論文という形で公開知にしてくれたという意味でこの論文はわがNPOにとってもこれまでの活動の総括として最適な位置を占める事になるだろう。

    *   *   *   * 

 さて彼の論文から本人の承諾を得たのでいくつか抜き出してみよう。

 「『スロー』という言葉は、そのあいまいさによって参加者の幅を限定せず、多角的な参加を可能にしながらも、ゆっくり、ゆったりという言葉から連想される一定の方向性を活動に与えている」

 ☆これは「スロー」の持つ曖昧さがかえって多くの人のその人なりの共感を持って迎えられているという意味だ。あまりかっちり目的主義になりきっていないのが良いとも言える。

 「スローライフ掛川ではスローライフの普及を活動の内容としているが、『ファースト』の価値を否定しているわけではない。メンバーは普段忙しい生活を送っているし、ファーストフードも食べる。スローライフに絶対的価値を見出しているわけではないし、まちを良くするためにしゃかりきになって活動しているわけでもない。スローライフ掛川の人々はファーストな世界に生きながらも、スローであることに価値を見出してNPOに参加しているのだ」

 「メンバーいわく『なんちゃって』な活動なのだという。スローな価値やまちづくりに対して非常に熱いメンバーは多いが、それを『広めなければ』と力むのでなく、自分がいいと思うことや好きなことを自分のスタンスでやっている。したがってスローライフというものに対してメンバーそれぞれの認識が一致しているわけではない。むしろばらばらといっても良いくらいだ。スローライフ掛川のメンバー間のつながりは、スローライフという一点に関しては非常に緩やかなつながりであるといえよう。特に決まりごとがないことで参加者個人によってスローライフを様々な形で解釈することができ、様々な興味関心を持った人が集まるための求心力となっているのだ」

 ☆…といっても、それぞれがお互いに共感をもちながら活動をしているから、協力するところは大いにするし、決してそっぽを向いて自分勝手に行っているわけではない。その距離感が心地よいのである。

 私の知人も登場しているぞ。

 「O氏は肴町という掛川の中心街に生まれ育ち、掛川の街のコアな部分に精通した人物である。掛川で最初にスローライフの運動が始まったとき、実は彼は「街の外の人間が何をしているだ」と冷ややかな目で見ていたという。しかし、前助役の小松氏と神社のことに対する興味から知り合うこととなり、佐藤氏と出会った。そして活動の内容を知り、掛川の街のためになるなら、と活動を支えることとなった。だが、彼はNPOの会員ではない。中に入ってしまうと活動を伝えようとする言葉が安っぽくなってしまうと考えたからだ。あえて中に入らず、外から見てその活動がいいことをしていると街中の人に伝えていうと考え、影ながら大きなサポート役となっている」
 ☆ふふふ、随分なほめられようですね。一見フーテンの寅さんみたいなんだけど。

 「また、コンセプト事務所はスローライフ掛川のネットワークの中心として大きな役割を果たしている。コンセプト事務所ではスローライフ掛川に興味を持ってやってきた人を受け入れるだけでなく、中まで引き込んでしまう。スローライフ掛川の人々が『なだれ込み』という言葉を使って表現することであるが、スローライフ掛川のネットワークは外に開かれていながらもそこにやって来た人を閉じたネットワークの中に引き込んでいく」

 「また、やってきた人も自ら選択して入り込んでいく。このような形でスローライフ掛川とそこに対して興味を持って訪れた人同士が互いに関心を持ち合うことで、スローライフ掛川のネットワークは拡大しながら閉じていっているのである。それによって『オープン型』ネットワークの特徴である外部の多様な情報にアクセスしやすく、グループの交渉能力が高いという利点を持ちながら、同時に『クローズ型』ネットワークの特徴であるコミュニティ内の結束が強く、規範が成立し、情報の共有が促進される状況が生み出される」

 ☆我々自らはなかなかそこまで見えないものだが、外部からの新鮮な目で見たままの感想は我々にとっても新鮮だ。NPOの活動経過をいずれ本にするときが来たら、これをリライトすればそれまでの経緯がはっきりと浮かび上がるだろう。

 普段の活動をいちいち文章にしようと思うと相当な労力を必要とするが、だれかが義務感や責任感を感じてこのような形で適当なタイミングで記録を取っておいてくれるという事は本当に意義深い事だ。


 天はその瞬間に必要な人を必要な場所に送り込んでくれるものである。I君、本当にありがとう。 

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「それでいいのか蕎麦打ち男」を読む

2006-01-23 23:08:23 | Weblog
 今週も荒れ模様の一週間になりそうです。

 今日は
■これでいいのだ蕎麦打ち男 です。

【「それでいいのか蕎麦打ち男」を読む】
 知人の残間里江子さんが「それでいいのか蕎麦打ち男」という本を出版した。

 残間さんとは掛川時代のシンポジウムで知り合いになって青山のオフィスを二度ほど訪ねて仕事の話をした事がある。それだけならどうということもないのだが、どうしたことかこんなタイトルの本を出されてしまった。
 なにか私自身に向かって例のギャースカ口調で言われているようで気になって仕方がなかったのだ。

 そもそも出会いも行けなかった。国土交通省では地域作りを支援する「全国地域作り実践プラン」という集まりを主催していて、そこで一昨年の12月にシンポジウムを市長が掛川へ持ってきたのだった。

 メイン講師は東大経済学部長の神野直彦教授だったから、それもすごい人選でありなおかつ掛川へ来る事を承諾させるのだから市長のコネクションはすごかったと改めて思う。

 そしてこのシンポジウムで行われたパネルディスカッションに女性パネリストとしてお招きをしたのが残間里江子さんだったのだ。

 会場は400人ほどの人で満員状態だったが、彼女の発言のなかで何を思ったか「大体男もだらしないのよ!蕎麦打ってNPOばっかりやっているようじゃダメなのよ!」というせりふがあったのだ。

 掛川で蕎麦を打ってNPO活動をしていると言えば掛川の人たちは皆私を頭に浮かべて、会場の右側の端に座っていた私を見てげらげらと笑い出した。

 私の方は突然に名指しこそしないもののほぼ私と思われる非難に当惑して「えぇ?」という思いだった。

 壇上の残間さんの方は自分の発言が随分と会場で受けた事が意外だったようだが、気分を良くしてさらに言いたい放題を言っていた。イベントが終わった後で会場を離れるときには多くの市民から「助役さん、随分な事を言われていましたね(笑)」と声がかかったものだ。

 私の方はと言えば、なぜ残間さんがそんな発言をしたのかという真意が分からず苦笑いをするしかなかったのだけれど。

    *   *   *   * 

 それが、イベント後の残間さんを駅まで送るのはちょうど私の役回りだったので帰りの車の中ではついさっきの発言が当然話題になった。

「残間さん、さっきの『蕎麦打ってNPOばっかりやってちゃダメなのよ』という発言はどういう意味ですか?」
「え?どうして?」

「会場はみんな私の方を見て笑っていたじゃないですか。掛川で蕎麦を打ってNPOをやっているといえば、皆『あれは助役の事だ』と思ったはずですよ」
「なんだ、それで随分受けてたんだ。でも私はあなたが蕎麦打ちかどうかなんて知らないわよ」

「なんだ、僕の事じゃないんですね」
「あったり前じゃない!でも私の回りにも多いのよ、蕎麦打ってNPOやってますっていって喜々として満足しちゃっている男達がね。まあいいわ、いつか小松さんの打ったお蕎麦を食べさせてよ」
「はいはい。その世界に逃げ込んでいる訳じゃない蕎麦をごちそうしますよ」

 …という会話をしたのがもう一年前の事である。

 それがあろうことか彼女の本のタイトルは「それでいいのか蕎麦打ち男」と来た。これは読んでみなくてはなるまいと思ってさっそく手にしたのである。

    *   *   *   * 

 本の帯には「団塊世代に喝!」とあってさらに「人生80年、まだまだ老け込むには早すぎる。”小さな幸せ”に引き籠もるな」とある。

 タイトルは目を引くように書かれているが、中身は彼女と同世代である団塊の世代論である。自分の回りに実際にいる知人達の姿に世代全体の縮図をみて、ともすると下の世代から疎まれているかも知れない(という)自分たちの世代を客観視しようと努めている。

 それでいて、仕事の定年を迎えて(自分の社会での役回りは終わった)と半ば人生をあきらめてしまっている多くの同僚に女性の視点でカツを入れる一書になっている。

 蕎麦打ちもNPOも、陶芸も世界遺産巡りもヨン様のおっかけも、そういったあきらめた後にくすぶっている状態に過ぎない。だから「団塊の世代よ、そんなものに興じている暇はない。主役に踊り出す最後のチャンスを逃すな」というのが著者のメッセージである。

 あとがきで「タイトルとは別に、蕎麦打ちを誹謗しているつもりは全くない」と書かれているし、蕎麦打ちの世界も丹念に調べてあって誇張はないのでまあ良しとしよう。

 残間さんは昨年7月にシニアに向けた新しいライフスタイルを提案する会社クリエイティブ・シニアを設立してますます意気軒昂。しょぼくれている同年代の男性女性に対して相変わらずギャースカと毒のある言葉を吐き散らしているようだ。

 毒の矛先はこちらにも向かっているような気がして、自分自身もしょぼくれている暇はないと思い直した。

 団塊世代が読めば私よりもさらに身につまされるエピソードも満載です。そうだ、いつかサインをもらいに行こうっと。残間さーん…。

    *   *   *   * 

 ホリエモン逮捕のニュースに驚く。彼のブログを開いてみると「ざまを見ろ犯罪者!」という罵倒派と「信じています。がんばってください」という擁護派にはっきり分かれて興味深い。

 彼がときどき不機嫌そうに「金を儲けた方が勝ち」という口ぶりに私自身は違和感を持ってはいたがこういう人が成功するんだな、という評価の気持ちもあった。

 まだ何かが決定したわけではないが、可哀想でもありもったいなくもあり、複雑な心境だ。実ほど頭を垂れれば良かったのに…。
 
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支えて支えられているということ

2006-01-22 23:01:01 | Weblog
 今日も一日比較的穏やかな日。

 今日は
■支えられて支えている です。

【支えられて支えている】
 午後になって中国のお土産を実家や身内に配達。実家のある近くのまちは雪が本当に多くて、普段は広い道路が一車線になってしまっている。

 実家の父は「車同士がすれ違いづらいのだけれど、脇にどけて譲った方が雪の柔らかいところにタイヤを取られて埋まって動けなくなっているのを何度も見たよ」とのこと。道路は適切に除雪をしないとどんどん雪が厚く踏み固められてしまう。

 実家でも、普段は家と同じ高さの道路のはずが家よりも30センチも高いところに中心部の高いカマボコ状の道路になるものだから「滑って家から道路に出るのに苦労するんだよ」という事になってしまっているのだ。

 実家のあるまちでは今度の週末には運搬排雪を行うということになっているようだが、ある程度我慢をして除雪の予算と冬の残り期間との兼ね合いを考えないといけないのだろう。

    *   *   *   * 

 札幌では一年で除雪費用が150億円もかかっていて、春になると融ける雪のためにこれだけのお金が使われているということに対して、内地の人たちからは驚きや呆れ気味の声も聞かれるかも知れないが、それは単に日本は広くて各地には各地での暮らし方があるということに他ならない。

 北海道でも道路除雪を東京のように暮らすための贅沢と捉えたり、北海道なりの我慢をすべきという考えもあるかも知れないが、今日の道路は通勤や観光のような私的活動を支えるだけのものではなくて、経済活動を裏方で支える物流にとって欠かせない施設なのだという認識が必要だ。

 現代日本の物流ではものをどこかに全部品揃えしてストックしておくよりも、必要な時刻に必要なだけものがあればよいというトヨタ自動車の「ジャスト・イン・タイム方式」が増えてきて、それを支えているのは「道路」という施設そのものではなく、「通れる道路」という機能が重要なのだ。

 それは「通れなければ自分は車を使う事を我慢する」ということでカバー出来るものではなくて、もはや食べ物から日用品、エネルギーまでが物流によって支えられているということだ。それはまるで血管の中を血が通っている状態が担保されなくては健康ではないという事に似ている。

 今年の大雪で通行が不可能になった新潟県と長野県の山奥に関する報道では「雪国の知恵で食料などはしっかりと備蓄されていた」という事が言われていたが、そのインタビューで住民が口にしていたのは燃料がなくなる事への不安であった。

 「人はパンのみにて生きるにあらず」とはキリスト教の聖書の言葉だが、意味こそ違え現代日本では食料だけで生活を維持して行く事は難しい。

 公共施設や社会資本などは量的な充足だけではなく、それらが適切に機能するように常にメンテナンスされているということへの思いや認識をもっと多くの人に持ってもらいたいものだ。またそれらが万が一にも使えなくなったときの代替機能や補完機能をどうするのかという危機管理上の課題にも答えを見出しておかなくてはならない。

 一般市民が枕を高くして寝ている間にもそれらの機能保持を一生懸命に行っているのが我々の仲間だが、管理のためのコストが年々減らされて行くのに耐え、自分たちの役割を伝えようとしても我田引水ということで片づけられてしまうのが残念だ。

    *   *   *   * 

 先週の木曜日に、大雪で通行がしづらくなっている道路を改良するための資料として現場の現況写真を撮ろうとして職員の一人が交通事故で殉職した。家庭も子供もある40代の職務に忠実で優秀な人だったが、こういう職員を失った事は組織にとっても大きな損失だ。

 身の回りで、世の中が当たり前に機能する事を支えているのが誰かということにときどき考えてみてそのことに気づくときっと謙虚になれるだろう。
 世の中は決して自分だけで成り立っているわけではない、そして自分もこの社会を支える一人になっていると思えれば、世の中はやはり生きるに値するものだ。

 亡くなった職員に心からの冥福をお祈りしたい。 合掌 


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