北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

転勤はいやですか

2014-07-31 23:45:53 | Weblog

 今日は網走へ出張中。網走も日中の気温が30℃ほどになり蒸し暑く、通り雨がざっと降りました。

 日中は暑くて飲み会でもビールが美味しいのですが、夜になるとすっと気温が下がるので帰り道はさわやかです。

 今回の網走訪問の途中では北見工大に立ち寄り、就職担当の先生を訪問。学生さんたちが国家公務員の世界に興味を持ってもらえるような活動についての意見交換をしてきました。

 北見工大はもっぱら製造業を主体とする企業への就職が多く、景気の上昇とともに企業からの視線は熱くなる一方とのこと。

「公務員となると試験を受けなくてはなりませんが、民間企業だったら面接と推薦で決まることが多く、おまけに面接のための旅費なども持ってくれることが多いです。しかし公務員はそういうのはないでしょうし、関心が高いとは言えませんね」とのこと。

 自分も学生の頃は、社会に出るということがどういうことなのかとか、どんな企業や職場があって自分がどう社会に貢献できるのかについて十分な情報があるとはいえません。

 我々もしっかりとした情報提供を行ってきたとはとても言えないので、これからは気を引き締めてリクルート活動に精を出したいと思います。

 

      ◆   


 北見工大の卒業生はほとんどが道外へ就職するそうですが、そもそも道内には有力な企業が少ないということの裏返し。

 道内で力を発揮するうえでの選択肢を提供したいところです。

 ところで気になる点を一つ先生に訊いてみました。

「最近学生さんたちを面接していると、とにかく転勤のないほうが良いという気持ちを感じることが多いのですが…」

 すると先生は、「それは私も感じます。特に学生本人の気持ちというよりも、親の意向が強く反映されているように感じますね」と言います。

 何をしたいかということよりは、転勤のない職場に行きたいという気持ちが強いようですが、一度の自分の人生をどういうところで輝かせるかという、与えられた命の燃やし方について誰かしっかりと伝えてもらえないものでしょうか。

 我々も仕事の意義や誇りをしっかりと伝えたいものです。

 

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転勤はいやですか

2014-07-31 23:45:53 | Weblog

 今日は網走へ出張中。網走も日中の気温が30℃ほどになり蒸し暑く、通り雨がざっと降りました。

 日中は暑くて飲み会でもビールが美味しいのですが、夜になるとすっと気温が下がるので帰り道はさわやかです。

 今回の網走訪問の途中では北見工大に立ち寄り、就職担当の先生を訪問。学生さんたちが国家公務員の世界に興味を持ってもらえるような活動についての意見交換をしてきました。

 北見工大はもっぱら製造業を主体とする企業への就職が多く、景気の上昇とともに企業からの視線は熱くなる一方とのこと。

「公務員となると試験を受けなくてはなりませんが、民間企業だったら面接と推薦で決まることが多く、おまけに面接のための旅費なども持ってくれることが多いです。しかし公務員はそういうのはないでしょうし、関心が高いとは言えませんね」とのこと。

 自分も学生の頃は、社会に出るということがどういうことなのかとか、どんな企業や職場があって自分がどう社会に貢献できるのかについて十分な情報があるとはいえません。

 我々もしっかりとした情報提供を行ってきたとはとても言えないので、これからは気を引き締めてリクルート活動に精を出したいと思います。

 

      ◆   


 北見工大の卒業生はほとんどが道外へ就職するそうですが、そもそも道内には有力な企業が少ないということの裏返し。

 道内で力を発揮するうえでの選択肢を提供したいところです。

 ところで気になる点を一つ先生に訊いてみました。

「最近学生さんたちを面接していると、とにかく転勤のないほうが良いという気持ちを感じることが多いのですが…」

 すると先生は、「それは私も感じます。特に学生本人の気持ちというよりも、親の意向が強く反映されているように感じますね」と言います。

 何をしたいかということよりは、転勤のない職場に行きたいという気持ちが強いようですが、一度の自分の人生をどういうところで輝かせるかという、与えられた命の燃やし方について誰かしっかりと伝えてもらえないものでしょうか。

 我々も仕事の意義や誇りをしっかりと伝えたいものです。

 

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永続きしないものは力にならない

2014-07-30 22:28:28 | Weblog

 今日札幌市役所と道庁の関係者と懇親会をしていたら、市役所の方から、「実は私、先日小松さんが二宮尊徳について講演されたときに会場にいたんです」と言われました。

「初めて聞く話ばかりで感動しました」と言って下さって嬉しかったのですが、いつも思うのは、「さてさて、この話を聞いてくれた中の何人にそんな生き方を自分もしよう、と思ってくれただろうか」ということ。

 講話や講義などを何度もしたことがありますが、単なる物語の紹介に終わってしまってはいないかと反省しつつ、まあ結果はせいぜいそんなもの。

 本当に人の行動を変えるまでに思いを募らせるというのは難しいことです。

 イギリスの教育学者ウィリアム・A・ワードは、「教師の四態」として次の言葉を示しました。
 
  凡庸な教師はよくしゃべる
  良い教師は説明する
  優れた教師はやってみせる
  偉大な教師は心に火をつける


 物を伝えようとして一番大切なことは、聴いている側に「本当にそうだ、よし、自分もそれで行こう」と思ってもらうこと、つまり心に火が着くことです。


       ◆   


 明治時代の教育学者森信三先生は、大阪の天王寺師範学校で生徒たちに「哲学倫理」を教えるに当たり、週に一時間時間が余るので何か話をしてほしい、と言われ、それでは、と修身について講義をするようになりました。

 その際には、「言いっぱなしではなく、一言一句が生徒たちの『実践』に繋がらなくてはならず、そういう話をしよう」と心に決めました。

 そして学級の中で書写力の一番遅い生徒を最前列の窓辺に座らせて、その生徒の書く速度を見ながら話すことにしたと言います。

 そうして生徒が書きとめた講義録がもとになってできた本が名著「修身教授録」です。

 この本の中には、やがて教師になるであろう生徒たちに対する心構えが森先生の炎の言葉となって書き記されています。

 そんななかの一節に「人間というものは単に受け身の状態で生じた感動というものは決して永続きのしないものだ。そして永続きしないものは決して真の力とはならない」という言葉があり愕然としました。

 人はしばしば、良い話を聞いてもその場では「感動した」と思っても、次の瞬間にもう気持ちは他のことに移ってしまっていて、その感動は長続きするものではありません。
 そしてそれではダメなのだ、と。

 森先生は、ではどういうところから手を付けたら良いか、と言うことに対して、「偉人の伝記を読むことだ」と言います。

 その偉人をしてそのような一生をたどらせた真の内面的動力はいかなるものだったかを突き止めるということだ、と。

 自分自身の中の内面的動力とは良い言葉ですね。では自分は一体なんなのでしょう。

 改めて自問自答してみたいと思います。
 

 

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親類の通夜の席で

2014-07-29 23:09:45 | Weblog

 遠い親戚が亡くなって、今夜は通夜に参列してきました。

 久しぶりの親戚や初めて会う人たちもいて、それはそれで賑やか。

「どうも、お久しぶりです(笑)」と声をかけてきた青年が小学校高学年だった紅顔の美少年のM君だというのに気が付いて思わず吹き出しました。

 当時はスリムな少年だった彼ですが、今はすっかり恰幅が良くなり、年齢を聞くと「もう38歳ですよ」とのこと。「ええ!?25年以上会っていなかったってこと?つい昨日会ったように思うんだけどなあ」
「ひどいなあ(笑)」
 
 亡くなったのは90歳近い方でしたが、自宅で眠るように息を引き取られたとのこと。

「なんだか理想的な人生の畳み方だよね」
「でも病院で亡くなったのではないので、一応不審死として扱われることになるんだって。それって死ぬなら病院の方が良いってことなのかねえ」

 病院のベッドに縛り付けられずに、そして苦しまずに人生の週末を迎えたいというのは誰しも願うことですが、こればかりは自分の意思通りにはいかないものです。

 自分の人生を畳む「終活」という言葉をよく聞くようになりました。ある知人は、親が亡くなり貯金通帳の一冊一冊を相続するための手間の多さを嘆いていました。

「専門の方に頼むと相当なお金がかかるみたいで、手間を取るかお金をかけるかという選択ですが、かなりの事務量ですよ、実際は」

 そろそろ明確な終活のマニュアルが整備されても良さそうです。


      ◆  


 本当に久しぶりに会ったご遺族とは、「こんな形で会うだけじゃなくて、また会いましょうね」

 しかし普段なかなか会えない日常を脱して会わせてくれるのが冠婚葬祭とも言えます。

 それぞれに老い、それぞれに成長し、親戚がこれだけいるんだという確認の時間。そんな意味をかみしめた一日となりました。 

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仕事の仕方を変えましょう

2014-07-28 23:38:33 | Weblog

 今日は留萌市へ出張。道内巡業もほぼ終盤です。

 昨日までの荒天とは打って変わって、涼しくてさわやかな一日。前線が過ぎると北方のさわやかな風が吹いてきました。

 地域の職場を巡って意見交換をするテーマは、人材の減少にどう対応するか、ということ。

 今後定年退職で経験豊かな人たちが退場してゆきますが、採用数がそれほど増えるわけではありませんし、減るほどには補えないとなれば、何年か経つと組織全体の人数は減ってゆくわけで、それでも全道を管理できるような仕事のやり方に変わっていかなくてはなりません。

 しかしすぐに答えが出るような問いでもなく、近未来に向けた様々な試行錯誤を行う準備をしている段階です。

 
 そんな中、現場に人を置けない状況を話していたところ、「警察の交番が同じ状況らしい」ということが話題になりました。

 最近、交番を覗くと警察官の方は常駐していなくて、電話に貼り紙があってそこには、「御用の方はお電話ください」となっています。

 交番の数よりもおまわりさんの数が少ないので、少人数のお巡りさんが複数の交番を受け持って巡回しているのです。

 少人数で複数の現場を管理するためにはそのような体制が必要なことはよくわかります。

 しかし道内の拠点となる事務所間は100km単位の距離があります。この距離と時間のハンデを克服するためには新しい発想のICTツールの開発や、思い切った仕事のやり方の見直しが必要になりそうです。

 現状でいる分には楽なことはよくわかりますが、思い切った仕事の仕方の改革を行わない限り、手順を踏んで勇気をもって実行に移してゆかなくてはなりません。

 そんな意識を共有するのも地域を巡って意見交換をする目的の一つです。

 人手不足を補うための準備体制づくり。どんなことが考えられるでしょうか。

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機械化・効率化が経済成長を妨げる~?

2014-07-27 21:03:47 | Weblog

 先週の7月23日付日経新聞の「経済教室」という紙面で、東京大学の柳川範之教授が、『供給能力の天井 克服を』というタイトルの記事を書かれていました。

 これからの経済の方向について書かれた記事ですが、内容のポイントは、
①日本は供給能力の限界が成長抑制する懸念
②IT普及で労働者が雇用の場を失う可能性
③新たな能力開発の仕組みと女性支援が重要、の三つでした。

 「景気」が「景気回復」と言われるのは、「景気は循環するもの」という捉え方があり、波のようなサイクルを描き谷になり底を打てばまた再び伸び始めるという考え方が背景にあるといいます。

 しかし現実には経済は単なるサイクルではなく、時代とともに一定の方向に変化しています。特に近年の先進国経済は、大きな構造変化に直面していて、回復しても元の場所には戻れない、と著者(柳川先生)は言います。

 日本でいうと、財政支出と金融緩和によって需要不足が回復し(物が売れ、モノが不足し)ているように見えますが、最近見えてきたのはどうやら供給能力の限界(=潜在成長率)が近づいているのではないか、ということ。

 政府はデフレ脱却を目指した経済運営を行い、どうやらインフレになりつつあるようですが、これが経済成長の結果なら良いけれど、経済成長を伴わない物価高にとどまるとなればこれは問題だ。

 そして経済成長を抑制させる要因が供給力不足なのだ、と著者はいいます。 

 
 では何が先進国の潜在的な成長を妨げているか、という問いに著者は、(1)機械との競争と(2)新興国との競争の二つの要因を挙げました。

 (2)の新興国との競争を先に例にとると、東アジアを中心とした新興国は成長率が高く、技術獲得のスピードが早く、生産力も製品の品質も向上し続けています。これが先進国の所得や労働環境に影響を与え、経済成長を妨げる要因となっているのです。

 そして私が気になったのは、(1)の機械との競争という単語。

 この意味は、社会構造の変化の中で効率化の名のもとに様々な労働が機械化され、労働者が不必要になっている側面のこと。

 つまり『人口減少への備え』→『効率化の必要性』→『機械化』→『労働者が不必要』→『雇用のミスマッチ』→『経済浮上せず』→『さらなる効率化』→…、というループに入り込んでいる可能性があります。

 つまり単純な労働は次々に機会に取って代わられて、それまでその仕事をしていた労働者は市場にあぶれます。

 あぶれた労働者が、社会が求める必要な労働に着いてくれれば雇用のミスマッチは解消されますが、社会が求める労働力とは語学だったり高度な専門知識だったりすると、それらを取得して移動できる労働者は限られてしまいます。

 より少人数でものが生産されるということは生産性の向上ということですが、それは余剰の労働者が他の労働に着けることを前提とした物言いであり、現実にはそれは困難で、労働者が人材として新しい活躍の場を見つけられる能力開発ということがもっとまじめに語られなければいけないだろう、と著者は言うのです。

 そのためには女性、高齢者の活躍が期待される、と著者は言いますが、どうしても女性や高齢者が担えない職種や場面と言うのは多いはずで、若者でなくてはならないところと、若者でなくてもよいところをうまく峻別するような社会システムはできあがるのでしょうか。

 またさらに「年齢や性別によって差別すべきではない」という「平等の概念」は適切な労働力の配分を阻害する要因になりはしないか、ということも心配されます。

 逆に、「女性にもっと活躍の場を」というスローガンが、敢えて女性でない方が良いところにまで女性を置かなくてはならないような不都合を生じたりはしないでしょうか。


 適切で正しい価値判断が政治家や社会のリーダーの中で行われないと、スローガンや教条主義が蔓延しかねない心配があります。

 日経の記事を読んで、老若男女にかかわらず、労働者が生き生きと仕事をしてお金を稼ぎ、日々を安定して暮らせるために何が必要なのか、もっと考えなくてはいけないと思いました。

 
 

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蝦夷ヶ島の源流をゆくイワナ釣り

2014-07-26 23:48:48 | Weblog

 知人に誘われて、ある山岳河川の源流部へイワナ釣りに行きました。

 釣りを始める頃には小雨が降ってきて時折雨脚が強くなる雨中の釣りとなりましたが、現地に詳しいAさんは「いや、却って雨粒で酸素が供給されたり、葉の裏の虫が水面に落ちたりするので魚の活性は上がることがありますよ」というので、なんだか釣れそうな予感です。

 山岳河川の源流部は川幅が広いところで1mくらいしかなく、渓相は岩による段差が多くなります。

 落差10センチから1mほどの段差があるとその下流に1.5m×1.5mほどの大きさの小さなプールが形成されていて、その一つ一つがイワナの住むポイント。

 川のすぐ横は植物が生い茂り、川の上部もときおり木の枝が広がり、釣竿を振ってフライを前面に投げ入れるのは一苦労。それでも大の大人が身をひそめながら上流のポイントを狙いながら渓流を遡上していきます。

 こんな小さな川ですから、幅の広い道東の河川の様な豪快なキャストはできず、竿は出来るだけ短く、釣り糸もできるだけ余計な部分をカットしてごくごく短めのシステムでポンポンと目の前のポイントへ投入してゆく釣りなのです。

 今日は4人での釣行でしたが、一つのポイントで釣れれば、次のポイントは別な人に譲り自分は列の最後尾に回るのがマナー。ポイントは全員で分け合いながら楽しみを分かち合います。

 北海道の川の源流部の釣りとはこういう形の釣りです。


       ◆   


 しかし!今日は出ました。

 二つポイントがあれば一つには必ずイワナがいて、投入するフライにことごとく反応してくれました。しかも水深が浅くて水面の小さなプールだと思っても、出るイワナは25センチクラス以上の良型ばかり。

 今日の最大はガイド役のAさんの32センチで、私の妻も尺イワナを釣り上げて大喜びでした。

「4人の中で尺(30cm)が出ていないのは小松さんのご主人だけだね(笑)」とAさんに笑われましたが、その私ですら28センチまではあげました。要はポイントの巡り合わせの運不運と言えるかもしれません。

 できるだけ遠くに投げ入れるロングキャストの技術がなければ通用しない釣りもあれば、身をひそめながら次から次へとポイントを追求する釣りもある。

 また北海道の豊かな渓相を見る引き出しが一つ増えた思いです。   

 


  
 
 

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道路パトロール ~ お父さんの気持ちに涙

2014-07-25 21:55:54 | Weblog

 豊平川で花火大会が行われる今日、札幌市内は日中から煙っていて遠くの山が見えませんでした。

 仕事帰りに街を歩いていても、なんだか昆布の様な匂いがして、(変な天気だなあ)と思っていたところ、誰かが「札幌にPM2.5が来ているみたいですよ」と教えてくれました。

 PM2.5だなんて中国大陸や西日本のことだと思っていたので、驚いたのと他人事ではないな、と改めて思った次第。

 アウトドア活動をされる方はマスクをするかどうか悩みそうですね。


       ◆   


 昨日道路維持を担当している皆さんと意見交換をした後の懇親会のこと。

 地元にはもうこの世界に入ってくれる人材がいない、と嘆く事業者さんが多い中で、私は「工業高校や専門学校などにこだわらずに、普通科の高校だってあるだろうし、あるいは障害を持っている人でもやれることがあるのではないでしょうか」と訊いてみました。

 するとある事業者さんが、「うちにそういう方がいますよ」とのこと。

「おお、どういう方ですか」
「その方は役場を退職した方なんですが、三十歳過ぎの息子さんがひきこもりで普通のお仕事につけなかったんです。それで退職されたお義父さんが心配されて、二人で一緒に働けないか、と相談に来られたので、雇用することにしました」

「ほお、建設業で引きこもりの方ができる仕事というのは…?」
「道路パトロールです。これは運転手と助手がセットになって道路を巡回して、変わったことや異常があればそれを伝えてくれる仕事です。これなら二人きりの空間で、他の人と接することも少なく済みますし、お父さんと息子さんの間ではコミュニケーションが成立していたので、任せてみることにしました」

「成果はいかがですか」
「ええ、上々で期待通りに役をこなしてくれています」

「息子さんは運転免許は持っているのですか?」
「はい。ですからうまく導いて、お父さんの代わりに運転してくれたり、いずれ一本立ちができればいいなと見守っているところです」

「周囲の方の反応はいかがですか」
「そうですねえ、正直言っていろいろな人がいます。物わかりが良くてすぐに状況が理解できる人もいますし、距離を置く人もいます。でも時間をかけるしかないんじゃないでしょうか」


 とても良い話だなあと思って感激しました。

 息子を心配するお父さんの気持ちや、頑張って一緒に車に乗っている息子さんの気持ち。

 いろんな人ができることをできる範囲で仕事をすることで、社会に貢献して正当な対価を得る。

 人気のない職種でも、このようなニッチな状況の人たちに手伝ってもらうことができるのです。

 いろいろな人の受け皿となって、地域を支える建設業であってほしいと思います。

 

 

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維持管理と教育は似ている

2014-07-24 22:50:02 | Weblog

 道路を維持管理している業者さんたちの団体と意見交換会をしました。

 作ったものは必ず誰かが維持管理しているのですが、今日、「それも商売、ビジネスでしょ」と言うのでは、あまりにも実際にその業務に携わってくれている人たちへのリスペクトを欠いていると言わざるを得ません。

 24時間×365日の間、いつ何があるか分からず、一たび事故や災害があれば真っ先に駆けつけて状況を把握、連絡して対応をする仕事は気が休まる暇がありません。

 一日を9時~17時で仕事をしている人たちの食料や医療や生活を支えている道路がちゃんと機能しているのは、こういう縁の下の力持ちがいるからです。

 しかしそういう辛い仕事だけに、なかなか次の時代を担う若者がこの世界に入ってきてくれないという悩みを各社皆抱えています。

 地域によっては、「そもそも周りに若者がいないためにどうやって将来この路線を維持しようか、絶望的になります」という業者さんもいます。

 
 モノづくりの仕事はとかく、作る人、作る事業者にスポットライトが当たり、作ったものを維持管理する苦労が表に出ることは滅多にありません。

 初めての珍しい施設を作ろうとする人はいても、管理しやすいものを作ろうという人は少ないものです。

 光の当たらないところにこそ真実がありそうです。


       ◆   


 そもそも教育というのは、生まれてきた子供たちをより良い人間として育て上げる作業です。

 生まれた子供を放ったらかしでは真っ当に育つことは期待できないと分かっているので、目をかけ手をかけ慈しみながら面倒をみるのが教育です。

 公共施設だって、だれかがちゃんと目をかけ手をかけて慈しみ面倒を見るからその機能を発揮するはず。

 それを一たび怠ると、求められる姿にならないというのは教育も維持管理も同じです。

 この世界に期待と誇りを持って次世代が入って来るために何をすればよいのか。

 残り時間が多いとは言えません。 

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注文の外~もう一歩の詰め

2014-07-23 23:45:37 | Weblog

 昨日も今年二度目の職場内研修講師。お題はいつもの「地方自治体から見た北海道開発局」ですが、そのたびにパワポと講義内容はブラッシュアップさせているので中身は少しずつ変わっています。

 今日もポイントは、地方自治・地方自治体というものに対する一般的教養、国(北海道開発局)と地方自治体との関係、そして地方自治体の信頼と共感を得るために地域で必要なふるまい、ということを中心に話をしました。

 今回は各開発建設部の課長級の人たちの研修ということで、それなりの立場になる人たちばかり。地域での影響力も増えるということで、開発局を代表する立場で人や地域に接することも多くなることでしょう。

 自分自身が組織を代表するという自覚をもって、これからの行動に繋げてほしいものです。


       ◆   


 さて、講義そのものは1時間の時間しかないので、私の思いが十分に伝わったかどうかがわかりません。

 もしかしたら質問や意見もあったかもしれませんが、それだけの時間を取ることができませんでした。

 そのため、ということでもないのですが、研修初日の今日開かれた研修員と研修室による懇親会にはいつも私も参加させてもらっています。

 昔一緒に仕事をした仲間も受講してくれていたので、感想を聞いたり質問を受けたりはこの時間での仕事となります。

 講師と受講者となると上下のある一方的な関係になってしまいそうですが、懇親会に出て身近に会話をすることで、相手のとらえ方や感想、意に反して伝わり切っていないようなことについても突っ込んだ会話ができるのです。

 つまり、講義をしたことのおさらいと復習をする機会があることで、二重に刷り込むことができて、講義内容をさらに印象深く伝えることができるのです。

 実は研修が終わった時に受講者にはアンケートを取っていて、その中に「もっとも印象的だった講師は誰か?」という質問があるのですが、私の名前を書いてくださる方が結構多くいます。

 アンケート結果をチェックしている研修室の知人は、「これって小松さんが懇親会にも出ているからだと思うんですよね(笑)」と笑っていましたが、私はそれを、講師と受講者との関係性が懇親会に出ることによってより深まり、講義内容がさらに印象深いものとして捕えられたと前向きにとらえています。

 つまり、それだけやらないと講義内容は一過性の話を聞くばかりに終わってしまって心の中に重みをもって残らないのではないか、という反省と、関係性を深めることで研修効果を上げようという私なりの一歩踏み込んだ行動であるわけです。

 そんなことは誰も求めていないのかもしれませんが、それでも思いついた中でできる最善の事をする。

 二宮尊徳先生は、報徳のお話の中で、「注文の外」という単語を使っています。
 
 あることを求められたら、その相手のことを慮って(それならばさらにこうやっておくと相手は喜ぶだろう)という想像性を働かせて、求められる以上のことを返す生き方をしよう、という意味です。
 こんな歌が一首詠まれています。


  陰膳に 蠅追う妻の 操かな

 亡くなった人に備える供物にはハエがたかっても本人が食べられるわけではないのだからもうどうでもよいようなことです。しかしそれを敢えてその蠅を追うことが亡くなった人への操なのだ、ということです。

 人生、思いついてしまったからにはできるだけのことをしてやろうと思いませんか。

 時代を次の人たちに託す準備を私はしています。
 

 

 

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