北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

道東を近世の歴史から見てみよう

2012-07-31 23:45:50 | Weblog
 「まちと暮らしネットワーク」という会で講話をする機会をいただきました。

 この会どんなテーマでも良い、ということでしたので、かねてより一度話してみたかった「近世における東蝦夷地の国境外交」についてお話をしました。

 私の基本的な問題意識は、①なぜ道東は日本の中で辺境(と思われているの)か、②国境の地域は国としてどのように関わるべきか、というようなこと。

 そうしたことを想起させる出来事があったのが、18世紀後半からのこの道東地帯でした。

 「ロシアが千島列島を南下しつつあり北辺の警備を強化すべし」と唱えたのは「赤蝦夷風説考」を著した林子兵ですが、それを受け止めた幕府の実力者が田沼意次。

 田沼は天明5~6年に蝦夷地に大探検隊を送り込んで北辺の情勢を探らせるとともに幕府の財政に貢献できる道筋を探りました。

 しかし田沼は天明6年に失脚、次に老中となった松平定信は田沼色を排除し、北方警備や蝦夷地開拓も沙汰やみとなりました。

 しかしその後、日本からの漂流民大黒屋光太夫を送り返すという名目で根室にロシアのラクスマンが訪れたり、室蘭にイギリスのブロートンが立ち寄るに至って、北方は捨て置けなくなり、幕府として新たな探検隊を送ります。

 この探検に参加したのが近藤重蔵と最上徳内のコンビで、彼らは北辺警備の要諦は蝦夷地や千島の島々にすむアイヌの人たちを日本の味方にするかロシアの味方にするかだ、と見抜きます。

 その頃アイヌ交易の権利を買っていた場所請負の商人たちの中にはアイヌの人たちに厳しい仕打ちをする者がいて、幕府はそれを放ったらかしにし、かつ北辺警備も軽んじている松前藩には蝦夷地経営を任せられないと判断して、直轄化を図りました。

 その後は、交易を求めるロシアのレザーノフ来航、なんとかごまかした日本への報復としてのフヴォストフ事件と次第に国境の関係はきな臭くなってゆきます。

 その流れの中で最大の事件は、クナシリでディアナ号艦長だったゴローニンを日本側が捕えたゴローニン事件です。

 彼らは松前まで護送されてそこで囚われの身となります。

 それに対するロシア側の報復が、高田屋嘉兵衛を捕虜としたことでしたが、ここで高田屋嘉兵衛の人間力が力を発揮します。

 彼はロシア側の信用を得て、幕府側と掛け合ってゴローニン事件を解決に導きました。

 ペリーが黒船で浦賀にやってきた40年以上も前に、ここ道東を舞台にした辺境の外交の歴史があったのです。

 
    ※     ※     ※     ※     ※


 この歴史から推し量れることは、一つには国境の辺境の地は地方ではなく国がしっかりと関わらなくてはいけない、ということです。

 また二つ目にはそういう目で見た時に、国における現在の根室をはじめとした北方領土隣接地域の振興にはシンパシーが足りないのではないか、と思えます。

 東京から見るから北海道は辺境で、札幌から見るから道東は辺境に見えます。

 しかし環オホーツク海で見れば、樺太も宗谷も道東も千島列島もみな同様に見えますし、この中での日本は発展した地域と言えるでしょう。

 地域の歴史をしっかりと見据えながら、自らの可能性を磨いてゆきたいものです。
 

 【環オホーツクで考えれば一番発展している】
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釧路市自治基本条例を考える

2012-07-30 23:45:15 | Weblog
 第一回の(仮称)釧路市自治基本条例検討委員会が開かれました。

 釧路市にとっての自治基本条例とは、自治体運営の基本原則や基本理念を明確にして、まちづくりを進める過程での市民の権利や責務とか市民と行政の関係など基本的なルールを定めようというもの。

 地域主権という言葉がよく聞かれるようになった昨今、それぞれの自治体におけるまちづくりは他と横並びを基準とするようなものではなく、それぞれが市民と良く話し合って、納得したうえで協働で進められるべきものが理想です。

 その理想に近づくためには、話し合いのための情報公開や説明責任、納得を得るための手続き論、協働を果たすためには市民の側も協力の姿勢を見せるというようなレベルアップが必要ということ。

 そこでそうした一定の理念やルールを条例という形で議会とともに議論をして定めて、これ以下にはなるまいという標準を定めようというのが、自治基本条例というものなのです。




    ※     ※     ※     ※     ※


 今日は第一回の委員会ですが、委員は学識者や経済界、行政、まちづくり団体、そして一般公募などで選ばれた合計11名。

 会の議長としては私自身が就任して、委員会の会務を総括する委員長には北大の山崎幹根先生、副委員長には弁護士会の簑島さんが選ばれました。

 山崎委員長からはまず自治基本条例とはなにか、について約一時間の講義をいただいてそののちに意見交換。

「真面目に行政をやっていれば、そのような決まりはいらないのではないか」という質問には、山根さんは「行政の暴走を防いだり権力者の統制を図るべきだ」と言います。

 しかし行政をつかさどる側の私の立場としては、黙して語らないサイレントマジョリティとしての市民や、町内会にも入らず地域社会にも無関心な市民像が気になるところ。

 自助・共助・公助と言われる中で、市民の責務として地域社会に関わるということがあってもよいのではないかと思います。

 今日から二年間をかけてこの委員会で検討を進める釧路市の自治基本条例。

 どんどん情報を発信してゆきますので関心と注目をしていただきたいものです。 
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子どもには職業体験を ~ くしろキッズタウン2012

2012-07-29 16:47:35 | Weblog
 今日の釧路は日中の気温が25℃近くまで上がる暑い一日。

 湿原マラソンもさぞ暑かったことでしょうが、快晴で最高の行楽日和となりました。

 釧路川河口の耐震岸壁の広場では霧フェスティバルが最終日を迎え、笑顔の親子連れやカップルも出店の料理や飲み物を買いながら、ひと時の夏らしさを味わっておりました。

    ※     ※     ※     ※     ※


 【開会の合図はクラッカー】

 そんな会場近くの国際交流センターでは子供向けの職業体験イベント「くしろキッズタウン2012」が開催されました。

 このイベントは、釧路とまちづくり協定を結んでいる北海道コカコーラ(株)さんの主催で、釧路市も元気創造交付金で支援して共催という形を取っているもの。

 北海道コカコーラさんでは既にこのイベントを、札幌、函館、旭川で開催しており、釧路は全道で4番目の開催都市となっています。

 対象は市内の小学校3、4年生で、事前に募集を行って約350名ほどの子供たちが参加するとのこと。

 今回のイベントでは釧路信金さんも後方支援に務められ、市内の18業者さんが19のブースを出して、それぞれの企業のお仕事を子供たち向けに優しくアレンジして、それをやってもらおうという趣向。 

 出展された企業さんは、金融機関、広告会社、警備会社に大工さん、ガス会社や郵便局などがありますが、市の消防も加わってそれぞれの仕事に参加してもらいます。

 また飲食関係の企業として、お菓子屋さんにお蕎麦屋さん、お寿司屋さんにザンギ販売、もちろん主催者であるコカコーラさんのドリンク販売ブースもあります。


 【お蕎麦は駅そば風】


 【お菓子屋さんではシュークリームを作ります】

 また、「釧路の地元らしい企業を」ということで、水産加工の会社にも登場していただきました。わが町の産業を改めて知る良いきっかけにもなりますね。


 【たらこに似せたものを詰め合わせてもらいます】


 子供たちは、ここで1コマ30分~45分ほど働くことで、会場内で今日だけ使える給料をもらえ、それを会場内の飲食店ブースで使えるというわけ。

 会場名でのお金は釧路らしく「まり~も」という単位。給料は一コマ200~300まり~もで、お蕎麦が一杯200まり~もや巻き寿司が一パック200まり~も、シュークリームは一個100まり~も、と言った相場感です。


 【これが会場内のお札です】

 会場内でおそばを食べている子供さんに、「どこで働いて給料をもらったの?」と訊いてみると、「お蕎麦屋さんです」とのこと。

 お蕎麦屋さんで働いて200まり~もを受け取って、その給料でお蕎麦を食べているなんて、働いているときから食べたかったのでしょうか(笑)


 【働いて得たお金で食べる蕎麦は美味い!】

 稼いだお金は大いに会場内で消費してほしいもの。お金は使わないと経済が回らないということも分かるかな。



    ※     ※     ※     ※     ※


 子供たちが対象ということで、各企業ブースでは子供専用の制服を用意するところもありました。

 消防士や警備会社などの体育会系職場では制服や消防服に身を包んで挨拶や敬礼などをしっかり訓練されるなど、子供たちの顔も真剣そのもの。






 金融機関の女子用制服には大人のお姉さんと同じスカーフが良く似合っていて可愛さも倍増。お菓子屋さんの帽子も決まっています。


 【コスプレだけじゃなく、カウンターもこのための特注です】


 ちょっとしたコスプレ風味がなお一層その職業に就きたいという気持ちを強くさせるようで、コスプレの力は将来の優秀な就職希望者を引き寄せるためのツールとして侮れません。


    ※     ※     ※     ※     ※


 さて、会場は子供たちが自主的に活動するということを建前にしていて、保護者の皆さんはブースの外周に追い出されてしまいます。

 一緒にいると、保護者の方が「ほら、あそこが空いているからあそこにしたら?」などと、ついアドバイスをしてしまって、子供たちの自主性が阻害されるからだそう。

 そこで外から写真を撮るしかないのですが、そういう目で見ると、外から写真を撮りたい保護者への気配りがちょっと不足と感じました。

 企業名やお仕事などの看板は、みな会場の内側に配置されているので中にいる子供たちは見えますが、外の保護者には見えません。

 仕事も内側を向いて行うところが多くて、残念なことに子供たちの後ろ姿しか写せません。


 【後ろから見るとこんな感じ。ちょっとさびしい】

 このあたりは各ブースの中の配置を変えるとか、看板は後ろ向きにも作るなど工夫の余地がまだありそうです。家庭内での話題としても良い写真や映像を撮れるような配慮があった方が良いですよね。

 ところで、会場の中に入れない保護者の皆さんたちには会場内を巡るツアーがあって、このツアーコンダクターを子供たちがするという職業も旅行会社さんが用意しています。

 「中で写真を撮るツアー」なんてのがあれば多くの保護者の皆さんも参加しそうですね。


    ※     ※     ※     ※     ※


 お店を回っていて、売り子の子供たちは最初は「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」といった声を大きく出せませんでした。

 それがだんだん慣れてくると、「いらっしゃいませー」とか「ありがとうございました!」などという声も次第に大きく元気になってゆきます。

 お父さんやお母さんが働く現場は子供の世界からは切り離されて効率化が進んでしまいました。

 こういうイベントを通じて、働くこと、稼ぐこと、使うこと、人のためになることをすること、お客さんとコミュニケーションを取ることなど、得るものは大きくあることでしょう。

 来年以降もさらに充実させたイベントに育てたいものです。

 関係者の皆さん、協賛してくださった企業の皆さん、そして参加してくれた皆さん、お疲れ様でした。 


 ※なお、このイベントでの写真映像掲出は原則保護者の許可を得ております。


 【自動販売機の充填も実は人気なんだとか(笑)】
 



 
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阿寒湖を自然遺産候補地に~地域連絡会議

2012-07-28 23:45:38 | Weblog
 朝一番の飛行機で東京から戻り、空港からは直接阿寒湖畔へと向かいました。

 阿寒湖畔では午後から第一回の阿寒湖世界自然遺産登録地域連絡会議を開催するのです。

 この会議は、阿寒湖の世界自然遺産候補地選定に向けて、地域での情報共有を図り、併せて一体的な取り組みを進めるために、関係機関や団体との連絡調整を行うことを目的に、本日設立するというわけ。

 会の構成は、釧路市、地元関係団体、環境省、林野庁、北海道、弟子屈町などで、およそ世界自然遺産に向けて関係のありそうなところは皆さん趣旨に賛同して参加してくれることとなりました。


 【市長のあいさつ】


 国においては、世界自然遺産候補地として十年前に知床、小笠原諸島、琉球諸島を剪定し、ユネスコの世界遺産委員会に推薦を行いました。

 その後既に、知床は平成17年に、また小笠原諸島は平成23年に世界自然遺産に登録されました。

 世界自然遺産を担当する環境省としては、残りが琉球諸島の一つとなったことで、次に推薦をすべき対象について検討を始めようとしています。

 実は阿寒湖は、かつて阿寒・屈斜路・摩周という組み合わせで、世界有数のカルデラ地形として世界自然遺産登録を目指しましたが、他の地域でもっとすぐれた地形・地物があるということでこの切り口では国内予選を通過しなかったという過去があります。

 同じ理屈ではもう無理ということですが、そこで登場したのがマリモを群落で生成させる世界で最も特徴ある生態系を有する湖というプレゼンテーションができないか、というのが今回の我々の思惑です。


    ※     ※     ※     ※     ※


 今回の会の中では、環境省釧路自然環境事務所の中山次長にお願いをして、世界自然遺産の概論と、阿寒湖の可能性について、あくまでも【個人的なアドバイス】ということでご意見を伺いました。

 中山次長は相談を受けた当初は、「マリモの阿寒湖では無理だ」と思ったそうですが、これまでの研究成果を受けて、いかにマリモが球状にしかも大群落を形成することが実に多くの偶然の産物なのか、ということを知って上手なストーリーができる可能性が次第に高まるのを感じている、とのこと。

 しかしやはりマリモだけでは弱い印象で、特に生物としてのマリモは研究が進んでいるものの、それを育む森林生態系や地質学的な研究がまだまだ不十分と感じられるとのこと。

 今後の積み重ねが重要です。


    ※     ※     ※     ※     ※


 今回の地域連絡会設置については、せっかくの機会なので、マリモの群落の現状を見学したい、と環境省にお願いをしていたところ、許可が下り、阿寒湖のチュウルイ湾にある群落を見学することにしました。




 マスコミ各社も注目をしてテレビも各社来てくれ、一緒に現場の見学に参加してくれました。




 チュウルイ湾からは漁船を出して大群落のある周辺まで向かいましたが、今日は青粉(アオコ)という浮遊性の藻が発生していて透明度が悪く、残念ながら水面上から湖底の群落を見ることができませんでした。




 群落があるという周辺は葦が茂っているのですが、マリモ研究をしている学芸員の若菜さんは、いつ見ても同じところに同じ大きさのマリモ群落があることを不思議に思っていたそう。

 ところがそれは研究を進めるうちに、もう少し大きくなると転がりやすくなって岸に近づいて来るし、小さければそこまで転がってこられないのだ、ということに気が付いたそう。

 
 若菜さんは、「自然はそういうフィルターを偶然に創っているんですねえ」と研究すればするほど新しいことが分かってくるマリモの世界を巧みに案内してくれます。


    ※     ※     ※     ※     ※


 大群落は見られないためにもっと浅い岸辺付近を探索。すると直径25センチくらいのお供え餅のようにぺったんこのマリモを発見しました。

「これくらいの大きさになると中が空洞になってくるのと、上手く転がらないと上は厚く下が薄くなります。すると薄いところが弱くなって穴が開いてしまうんです」




 それでも岸辺には俵のような形の小さいマリモも見られました。

「地球上の生物で、自然に球状になるものってマリモだけなんです。植物としてのマリモは、全体を維持するためには表面で光合成を行わなくてはなりませんが、球状になるともっとも表面積が小さい形なので不利になるからです。しかしこの岸辺に打ち寄せる波が絶妙な転がりを誘発して、それが外的刺激として丸いマリモを形成していますが、これは実に微妙な条件の積み重ねなんです」



 
 マリモの現場はなかなか見ることができないものですが、すばらしい機会をいただきました。

 世界自然遺産も、その目的は世界に唯一の自然を後世に保全して残すということが本来です。

 マリモのいる阿寒湖を世界自然遺産にして、いつまでも残したいと思います。 
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東京での要望活動

2012-07-27 23:18:57 | Weblog
 一日掛けた東京での地元要望活動が終了。

 私は午前中を市長達とは別行動で回り、午後に市長の班と合流。

 訪ねた省庁の部課等は一日で約30箇所以上に及びました。
 これらの予定は、全て若手の職員がお膳立て。先方へのアポ取りから各省の建物中では何階のどちらの棟に目的地があるかを詳細に調べ上げて、案内までしてくれます。

 各省庁の建物に入るだけでもそれぞれ警備と入館システムが異なるので、その用意も手間がかかるもの。

 おまけに、相手先での消費時間や移動時間も細かくスケジュール管理されていて、次のところへ行く予定は分単位。

 大事なことは、この要望活動をきっかけとして先方との関係性をメンテナンスすること。一定の時期に会っておかないと覚えてもらうことなど覚束ないものですしこちらも忘れてしまいます。

 しっかりと企画立てしてくれて、なおかつスマートに事を運んでくれた担当職員の努力に感謝します。


    ※    ※    ※    ※


 さて、そんな要望活動の会話の中で、「僕は先日釧路へ行ったんですよ」などという情報が入るとしめたもの。こちらに一定のシンパシーを持ってくれて、なおかつ土地勘もあるというわけ。

 なかには「私の叔母がついに釧路へ移住してしまいましたよ」などという特別な出来事がある課長さんまでいました。

「そうですか、釧路は最近涼しいことが評判になっていて、夏期の長期滞在が北海道の中でも群を抜いて多いと言うことが話題になりつつあるんですよ」
「まさにそれですよ! 十年くらい夏の間釧路で長期滞在をしていたんですが、ついに釧路駅近くのマンションを購入して移り住んでしまいましたよ」

 こういう方は大事にしたいものです。


    ※    ※    ※    ※


 また、今釧路が取り組もうとしている課題を扱っている課の課長に、私の大の仲良しの方が着任していることも分かりました。

 これはとってもありがたいことで、ありがたいというのはお願いを聞いてくれるなどという直接的なものではなくて、いろいろな判断のための情報が入りやすくなるという意味です。

 ほんのささいな情報を得るために、札幌の出先の方に伝え、それを本省の担当者に伝え、それが上司に上がっていって、考え方がその逆ルートで降りてくるというわけで、それだけのために実は情けないほど時間がかかるもの。

 おまけに伝言ゲームが繰り返される中で、途中に介在する仲介者の考え方や思惑が加えられたりすると、本当の真実から次第に遠ざかってしまうと言うことが良くあるのです。

 こういう情報の中枢に直接接触ができるということがどれだけ助かるのかは、この世界に身を置く者なら誰しもが感じること。

 本当に持つべき者は友達で、友達でいるためにも関係性の維持管理が大切になるのです。

 熱波の東京を走り回った甲斐がありました。関係の皆さん、お疲れ様でした。 



 【打ち上げはこいち祭が繰り広げられている新橋駅前でした】
 
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【おまけ】懐かしい帽子遊び

2012-07-26 21:47:45 | Weblog
 小学生になって初めて被った学生帽。

 校章のバッジを買って取り付けたのは懐かしい思い出です。

 学生帽にはツバの上に長さを調節出来るあご紐があって、それを伸ばしてあごに掛けて、「運転手さん~!」といって良く遊んでは笑いあったものです。

 今日羽田空港から乗った京浜急行線、先頭車両から運転席が見えましたが、運転手さんが、あご紐をあごに掛けているのを見て、子供の時の懐かしい思い出が蘇ってきました。写真で分かるかなあ。


 【写真であご紐が分かりますか?】


 今の子供さん達はこんな遊びをするのでしょうか。

 さあ今日から夏休み。熱中症に気をつけて大いに遊んで欲しいものです。

 
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都会の一コマ

2012-07-26 21:24:58 | Weblog
 午前中に道庁への要望を終えてから今週二度目の上京。札幌ですら暑いのに、東京はなお一層しんどい暑さです。


 友人と飲もうと待ち合わせをしていましたが、回りには何人か同じく待ち合わせとおぼしき人々がたむろしています。

 そんななか、50歳過ぎの男性が一人いたところへ、同じくらいの年齢の女性が近寄っていきました。

 何気なくその女性の口元を見ていると、喧噪で声は聞こえないものの(はじめまして)と喋っています。

 男性はにこっと笑うと、一緒に連れ立ってそこを離れて行きましたが、何か不思議な感じに襲われました。


 【都会にはドラマがある】


 まず、初めて会うのならなぜその人が目的の人だと分かっていたのか。

 初めてなのにすぐにうち解けた様子で話をしながら歩いていったのはなぜなのか。

 出会い系というのは経験がありませんが、あまりそういう感じには受け止められませんでした。

 ミステリー小説だったら、ここからいろいろな話が膨らみそうですが、素人にはとても想像力が働きません。

 さて、一体どういうことだったのでしょうか。

 都会にはいろいろな謎がありますね。

 明日は一日、猛暑の都内での要望活動です。 
 
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津波堆積物から津波被害を考える

2012-07-25 23:45:01 | Weblog
 北大大学院理学研究院地震火山研究観測センターの西村裕一先生を訪ねて津波防災について意見交換をしてきました。

 西村先生は、津波に関する津波堆積物を長年研究されていて、この道では第一人者。

 道庁が津波被害想定の見直しを、津波堆積物をベースにして大きく見直したことについて意見を伺いに来たのです。

 …と言いながら、実はこの西村先生、ネットでの写真を見る限り、私が北大に入学した時の教養課程で同じクラスだった方ではないか、とずっと思っていたのです。

 そこで事前にメールで連絡を取ってみると、「ええ?あのドイツ語が得意だった小松さんですか?懐かしいですね」という答えが返ってきて、やはり思った通りの元学友。

 北大の研究室を訪ねましたが、会っていない32年間が一瞬にして吹っ飛びました。

「なんだー、釧路にいたんだ。釧路へはしょっちゅう津波災害の講演や地域での勉強会に行っていたのに、小松さんがいるとは思いもよらなかったよ」
「こちらは、(多分あの西村さんじゃないかなあ)と思っていたけどね(笑)。それにしても心強いよ。いろいろと津波についてアドバイスをお願いします」

「もちろんですよ」


    ※    ※    ※    ※


「今回の道庁が公表した津波被害想定は、これまでに比べると随分大きな津波を想定しましたが、これについてどう思いますか?」と早速訊いてみました。

 すると、「想定というと、これしかない、と言う印象になりますが、全ては前提となる条件次第である幅を持った答えになりますし、所詮は仮定を重ねた結果でしかありません。だから、津波の高さ一つを考えても、ある幅を持たせた公表になるべきだと思います。雌阿寒岳防災を考える時も、想定とは言わずにシナリオを言う言い方をしているんです。これなどは参考になる考え方だと思います」

「私はそもそも津波堆積物なるものを見たことがないので、どうにも信じられないのですが…」

 すると西村先生は、「じゃあ見に行きましょう」と言って、別の部屋に案内してくれて、板に貼り付けた地層のサンプルを見せてくれました。




「これはジオスライサーという、薄い調査用具を土壌に突き刺してそれをジャッキで持ち上げて引き抜きます。それの片面にメッシュと樹脂を塗りつけて固めると、これで土壌サンプルが出来上がります」
「ははあ、なるほど。初めて見ました」


 【これがジオスライサー】


 【このジャッキで持ち上げる】
 



「このなかには、砂など海由来と思われる地層もあれば、樽前や駒ヶ岳などの火山噴火に由来する火山灰も見られます。これで大まかに何百年前の地層がどこにはいっているかが分かるので、それよりは新しいとか古いとか言うことが分かるんです」

「なるほど、では海の砂が厚いということは津波が大きかったと言うことですか?」
「そうではありません。津波が堆積物を残すためには陸上の地形が重要になります。平らなところにはある程度残りやすいですが、斜面だと流れてしまいます。また窪地だったら、津波の時だけではなく、その後からも流れ込んだりもします。それよりは、堆積物があるところがどのくらいの標高か、ということが重要になってきます」

「高いところに堆積物があれば高い津波が来たと言うことですか」
「ところがそれもまた簡単ではありません。それは津波が来た時に、その地層はどれくらいの標高だったかを正確に押さえることが難しいからです。だから、研究調査では一点のみのサンプルで全てを推察するようなことはありません。何点もサンプルを取ることで初めて全体像が少しずつ明らかになってくるのではないか、という感じで、極めて慎重な姿勢で臨むべきだと思っています」

「しかし今回は、その津波堆積物の分布によって津波のモデルを想定し、さらにそれから発生する津波を想定したことで、随分と大きな津波が来るという想定が打ち出されました」
「今問題なのは、『想定外を無くす』というある種の殺し文句のために、想定を大きめに大きめにとって、どんな被害も包含するような過大な想定に偏っているのではないか、と危惧されることです。もう少し科学的な視点を加えることで、冷静で慎重な視点を守る方が良いと思います」


 被害想定を大きく見ておけば、想定外はなくなるだろうというのは案外安易な考え方ではないか、とかねがね私も考えていたところです。

 西村先生は、「つなさっぷ」という活動の中で、津波防災や避難行動に対する住民との対話などに尽力されています。

 今後は是非釧路での活動を充実させて頂くようお願いをしてきました。

 それにしても持つべき者は友だちです。

 三十数年ぶりの再会がこういう形になるとは。

 次回は釧路での再会を約束しました。地震津波対策を充実させて行かなくては、ね。

 

 【ここに海由来の砂の層がある。プロにはすぐ分かるらしい】
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孫誕生、お返しの品のアイディア

2012-07-25 08:52:52 | Weblog

 【面白いアイディアです】

 娘夫婦から、孫誕生のお祝いのお返しが届きました。

 お返しの品はお米なのですが、生まれた時の体重と同じ重さのお米。

 こんなサービスもあるんだ、と思ったら、サービス会社によっては重さに関係なく一律の値段のところもあれば、重さによってグラムいくら、というところもあるのだそう。

 誕生写真と名前などの情報もはいっていて、もらって嬉しいお返しになっています。

 いろいろなアイディアがあるものですねえ。
 
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北方領土隣接地域の現実

2012-07-24 23:45:23 | Weblog
 暑い東京を一日かけて釧根の要望活動をしてきました。

 どこの建物へ行っても冷房は今ひとつ効いていなくて、心地よい涼しさを寸止めしているような感じ。

 関東地方も節電モードに突入していて、霞ヶ関でもエレベーターを間引きしたり、明かりを消したりと省エネムード満点は良いのですが、じわりとくる熱風にはさすがに閉口しました。

 この時期の東京は、一分一秒たりともいたくないところに感じますが、もうすっかり体は釧路仕様になってしまったようです。


    ※    ※    ※    ※ 

 
 さて、今日も根室管内の首長の皆さんと共に、要望活動をご一緒しました。
 
 根室管内の市町村とは、根室市、別海町、中標津町、標津町、羅臼町の一市四町のことで、実はこの市町村はそっくりそのまま、「北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律」という法律の対象地域となっています。

 この法律は、北方領土問題がなかなか進展を見せないなかにあって、「北方領土問題その他北方地域に関する諸問題についての国民世論の啓発、交流等事業の推進、北方地域元居住者に対する援護等の措置の充実並びに北方領土隣接地域の振興及び住民の生活の安定に関する計画の策定及びその実施の推進を図る等のために必要な特別の措置を定めることにより、北方領土問題及びこれに関連する諸問題の解決の促進を図り、ひいては北方領土の早期返還を実現して我が国とロシア連邦との間の平和条約を締結し、両国の友好関係を真に安定した基礎の上に発展させることに資すること」を目的とすると定められています。

 つまり、北方領土の対岸であり日本側ではそれらの自治体の振興策や北方領土問題の啓発活動を行うという定めがあるわけです。

 ところがいろいろな方の話を聞くと、どうもこの振興策が政府内でもなかなか支持が広がらないのだ、と言います。

 関係する地域が限られているのと、北海道という大きな島の東部に限られていて、沖縄のようにはっきりとイメージ出来ない、ということ、さらには、この地域を振興させなくてはならない、と言う強いメッセージを端的に説明することになかなか苦労している、という状況が見えてきます。

 国交省の北海道局を中心に、この地域の振興については政府内で要望作業を行ってくれていますが、これを後押しするパワー溢れる説明がうまくできないものでしょうか。

 「この地域振興をやらないと何が困るのか」「それをすると、何がどう変わるのか」という具体的な説明に説得力をもたせるような工夫は何でしょうか。


 根室市の長谷川市長さんは、「かつては北方領土返還運動と言えば、一声で三千人くらい集まったものです。それが最近では、千人を集めるのがやっとになりました。運動に参加してもどうせ帰って来やしない、という諦めとともに、やはり元島民という方の高齢化と減少がそうした変化をもたらしていると思います」とため息をつきます。

 知恵が出ない、と言う方は、まずは根室の納沙布岬を訪れてみて、現場の風を感じ取ってみてはいかがでしょうか。

 国境を接する町の現実は文字や口ではなかなか説明のできるものではありません。

 情報発信にも若くて新しい知恵が必要かもしれません。
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