北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

映画「僕等がいた」を見に行くべき理由

2012-04-10 23:30:13 | Weblog
 釧路を舞台にした映画「僕等がいた」は3月17日の公開以来、好調を続けているようで喜ばしい限り。

 釧路人なら「若い男女の恋愛ドラマでしょ」などと馬鹿にせず、まずは見てからものを言ってほしいところです。

 この映画が封切りになった直後に開かれた「庁議」と呼ばれる市役所の部長以上の会議では私から、「単に映画だと馬鹿にせずに、まちづくりへの参加だと思って是非見に行ってほしい。そのうえで職場の中で『見に行った?』と話題にしてください」と発言したのですが、さて実際に行ってくれたのはどれくらいになるのやら。

 この庁議の時にはまだ市長自身もこの映画を見に行っていなかったため、「ぜひ市長にも率先して見に行っていただきたい」と釘を刺しました。

 まちづくりはリーダーの率先垂範する姿勢が大切だからです。

 ところが市長自身、夜まで忙しいというのもあるでしょうが、なかなか映画に行こうとしませんでした。

 しかも、生田斗真と吉高由里子の凱旋舞台挨拶があるとのことでワーナー・マイカル釧路まで出かけたところ、「いやあ、ここに入るのは初めてだなあ…」とポツリ。

「市長はここで映画を見たことがないの!?」とまたまたびっくりした次第。
 
「早く行かないと前篇は終わっちゃうよ!」と私が言うと、「この俺に映画は無理だろう…?」と訳の分からない理由でのらりくらり。なかなか埒が明きません。


    ※     ※     ※     ※     ※


 しかしそんな市長もついに覚悟を決めて、昨夜のレイトショーでついに「僕等がいた」を観たのだそう。

 一緒に行ったメンバーは市議会議員一期生の男ばかりというからなんとも濃い映画鑑賞団になったようです。

 観た市長の感想は上々で、「へ~、釧路がこういう風に映っているんだ、と思ったよ」とのこと。

 おまけにエキストラとして出演し、画面でもちらっと映っていた秘書課の女性職員二人を捕まえて、「どこにいるか分かったよ」と上機嫌。

 さらに昨日までとは打って変わって、「まだ見に行ってないの?早く行った方がいいよ」ですと。まあ見たもん勝ちなのです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 それにしてもまだまだ釧路市民の映画に対する盛り上がりは不十分と言わざるを得ません。

 実は今日の午後に、釧路湿原シニア大学で生涯学習をテーマに講演をしてきたのですが、講演の場で「釧路を舞台にした映画『僕等がいた』を観に行った人はいますか?」と訊いてみたところ、手の上がった人は45人中わずかに2人きり。

 今日の会場には高齢の方が多かったからとはいえ、やはりちょっと寂しい数字です。

 
 今日の講演の中でも言ったことは、「目の前にある些細なことを粗末にせずに一生懸命にやってみましょう」ということ。

 せっかく釧路を宣伝してくれて、日本中でヒットしている映画なのに肝心の釧路っ子が盛り上がらないというのは市民のレベルが問われます。

「ねえ、そう思うでしょ?」と、帰り際に部屋を訪ねてきた市役所担当の新聞記者に半分憤りながら言ってみたところ、答えは、

「あ…、ワタシモマダイッテマセン…」 もう!

 
 
 さてさて、そろそろ前篇は公開が終わってしまいます。

 前篇を見てからじっくりと後篇を楽しみましょう。


【僕等がいた 運命の完結編 公式ホームページ】 http://bokura-movie.com/index.html

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阿寒地熱発電をめぐって

2012-04-09 23:45:56 | Weblog
 先週の土曜日の北海道新聞に「釧路市長が阿寒の地熱発電に反対」という記事が掲載されました。

 まずこちらからどうぞ。


《釧路市長、阿寒地熱発電に反対表明 「自然環境守る」 開発は困難に》 http://bit.ly/IA61Hq 環境省の規制緩和を受けて石油資源開発(東京)が釧路市の阿寒国立公園内で建設を検討している地熱発電所について、同市の蝦名大也市長は6日、「阿寒の自然環境は地域資源で、しっかり守っていくことが次世代への責任だ。無理なことは無理だ」と反対を表明した。同日、開発反対の要望書を提出した地元のNPO法人阿寒観光協会まちづくり推進機構と阿寒湖温泉旅館組合の役員に答えた。

 地元の自治体や関係団体が反対姿勢を明確した地域では環境省は開発許可を出さない方針で、阿寒地域での地熱開発は極めて困難となった。<北海道新聞4月7日朝刊掲載>


    ※     ※     ※     ※     ※


 この要望書提出の席には私も同席していましたが、阿寒湖畔関係者の懸念は、「温泉資源などにどのような影響が出るかが分かりません。さらに心配なのは、影響が出るのは何年も後になるのかもしれず、そうなると決断した我々が責任を取れることではなくなります。前田一歩園さんを始め、多くの先人が保全し残してくれたからこそ今があるのであって、これを何としても守ってほしい」ということでした。

 これに対して市長は上記の趣旨の発言をしたものです。

 記事からはかなりきついニュアンスも伝わってきますが、阿寒の皆さんとの会談は穏やかなものでした。

 しかし、釧路市がこの阿寒国立公園内での地熱発電開発に極めて消極的であることに変わりはありません。

 そもそも、以前から国立公園内での地熱発電開発は法律上は可能であって、それは「斜め掘り」という形で、「国立公園の外から国立公園内の熱源めがけてボーリングすることは個別の許可を認めていたもの。

 それが今回の改正で急に、「国立公園内での垂直ボーリングも認める」となったもので、どうやら霞が関内部での力関係のなかで、環境省としては白旗を上げ、「現地の許可さえ得られれば」という形で地元に下駄を預けた、という印象が強く感じられます。

 方やでマリモ群落の阿寒湖が世界自然遺産に向けた登録調査を始めようか、というときに、周辺環境が守られないという相反する動きになることは決してプラスにはなりません。

 阿寒湖の球状マリモ群落が守られているのも、湖の環境や温泉環境などが複雑に絡んだ偶然によって形成されているということもわかってきましたが、こうした自然環境の改変がどのような影響を長期にわたってもたらすのかは推し量ることができません。

 地元としても不安と懸念を抱くのは当然で、こうした声を行政が無視するわけには行きません。

 行政としては情報収集活動まで拒否するつもりはないので、開発主体の意見を聞くつもりは十分にありますが、地元を始めとした関係者は多数いるので、行政だけが聞き置くということにもなりません。

 関係者全体が情報を共有する場が必要になるかもしれません。

 
 既に日経などでは、「福島県に次いで、日本で二番目にポテンシャルの高い地域だ」などという記事が出ていますし、一部の情報によると、すでに今年度中の調査費もついているのだ、とか。

 こうした既成事実の積み重ねは、地元にとっては寝耳に水のことで、訝しく思うのも当然と言えるでしょう。

 この問題はこれからも注視してゆかなくてはなりません。
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道東、春の釣行~釣果きたー

2012-04-08 22:51:18 | Weblog
 朝から近郊の川に連れて行ってもらって釣り三昧の一日。

 そろそろ暖かくなってきたものの、週半ばの大雨がどう川に影響するかは行ってみなくては分かりません。

 現地へ到着してみると、幸い水の透明度はかなり高く、釣りにはもってこいの状態でまずはほっとしました。ダメならほかの川へ行くことも考えなくてはなりません。 

 川の環境は大水や運ばれる土砂などによって常にその姿を変えるのだそう。なので昨年釣れたポイントが今年も釣れるとは限りません。

 今日行った川も、大水で川の地形の一部が変わってしまったのだそうで、これがどう釣りに影響するかはやってみてデータを蓄積するしかありません。

 水と風はまだ冷たいのですが、川へ入るためのウェーダーという胴長着を履いて川の真ん中まで進み、対岸の岸めがけてフライを投げ込みます。

 流れは緩やかで、魚を狙うドキドキ感は至福のひと時です。


    ※     ※     ※     ※     ※


 今日は春の釣りのために作ってきたフライを懐に入れて魚たちに通じるかどうかの挑戦をしましたが、案外反応は上々で嬉しくなります。

 釣れる状態って時間帯によって波がある、と言われます。それは潮の満ち引きだったり気温の上下動だったり、様々な要因があるようですが、私のような素人にはまだ全然読み解くことはできません。

 私への波は昼頃に訪れてきて、40センチ級のウグイが三匹連続してかかるようになり、興奮が高まってきます。


  【40センチのアメマス】


 しかし周りの見ているなかで、フライに食いついてくれたのに三匹連続して針が外れる(いわゆるバレる)体たらくにちょっと落ち込んでいたところ、俄然アメマスがかかるようになりました。


  【やはり40センチ級のウグイも】


 相変わらずバレてしまうことも多かったのですが、とにかく私のフライに食いついてくれたし、何匹も釣れてくれたりでとても楽しい釣りとなりました。

 同行した師匠のHさんはといえば、私と同様釣りの波があったものの、かなりの好成績。一日で30匹はいったでしょうか。時間帯によっては入れ食い状態にもなるほどでした。

 釣れているポイントを譲ってもらっても、結局釣れるのはHさんの方。一体どういうこと?


「アメマスは重いから釣れすぎると腱鞘炎になりますよ」と冗談とも本気ともつかないようなセリフもあながちウソではないと思わせます。

 
 朝9時から始めて、途中30分ほどの昼食休憩を入れてからはずっと川の中に立ち続けたおかげで全身はすっかり冷え切ってしまいましたが、魚が釣れる興奮でアドレナリンが出まくっていて、釣りを終えるまでほとんど気にならないのですから人間の体は不思議です。

 
 さて、せっかく作った春先用のフライですが、川底に引っかかったりしてほとんど全てを失ってしまいました。

 次回までにまた巻いて用意をしておかなくては。

 
 やっと道東の川に春の訪れが感じられるようになりました。



  【ちゃんと釣れてます】  
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野生鳥獣との共生への戦い~野生生物保護センターの活動

2012-04-07 23:41:43 | Weblog

  【保護されているオオワシ】


 先日、環境省の野生生物保護センターを訪ねました。

 ここは北海道東部の野生生物や湿地の保護などについてパネルを展示する一般向けの展示室と、野生生物の保護・育成などの研究施設が同居しています。


 【野生生物保護センター】


 こちらにいる斉藤慶輔先生は有名な野生動物専門獣医師で、市の事業でも野鳥の保護などに関していろいろとアドバイスをいただいているのです。

 斉藤先生はケガをしたり病気になった鳥を救う熱心な活動で有名で、NHK番組「プロフェッショナル仕事の流儀」などに出演されたり、ドラマのモデルにもなっている超有名人。

 仕事の関係もあって、挨拶かたがた最近の鳥獣保護についていろいろと伺ってきました。

 斉藤先生は、傷病鳥が多く持ち込まれる中でいかに人間活動と鳥たちの保護を両立させることができるかを真剣に考えています。

 そしてそのためには、人間側を一方的に悪者扱いするのではなく、「双方がwin-winの関係にならないといけないと思います」ときわめて現実的な解を模索されています。


「そのためにはまず事故に会った動物からデータを集め、それを治療しつつ、『なぜ鳥たちがこんな目にあったのか、なくすにはどうしたらよいか』を考えるアプローチをとらなくてはなりません」
「なるほど」

「例えば道東では大型猛禽類が二本の電線に触れて感電死するという事故が多発しています。これを少なくすることは猛禽類保護でもありますが、同時に北電にとっても停電事故の修理にかかる経費を少なくすることができます。感電事故対策を取ると、鳥と電力会社の両方にとってwin-winの関係が成立するので、電力会社にはそのために経費をかけても良いという判断が成立するのです」
「それはすばらしいですね。具体的にはどのような感電対策があるというのですか?」

「まだ研究中ですが、鳥たちが止まれる木(電柱)と止まれない木(電柱)に分ける工夫をして、感電しないほうへと誘導することを考えています。金属の突起などを設置することがかなり有効だとわかってきました」

 ちょっとした付属物を取り付けるだけで鳥の感電死を防げるならば企業としても投資に値するというわけ。極めて現実的なアプローチです。


  【たとえばこれを電柱に取り付ける】


  【保護されている鳥たちで実験中】


    ※     ※     ※     ※     ※


 実は私もかつて公園を建設しているときに、希少猛禽類の巣が見つかって対応に苦慮したことがありました。

 そのときは人間活動のストレスが鳥たちにどのような影響を与えるのかわからず、専門家の意見を聞きましたが、まだ鳥の専門家と呼ばれる人たちも知見や知識が十分ではなかったように感じられたのでした。

「実はそんな経験が私にもあるのですが、猛禽類が人間活動でストレスを受けるとどうなるのですか?」と積年の質問をしてみました。

 すると斉藤先生は、「実は私の専門は動物心理学というもので、動物がどのような行動をするかを研究してきたのです」とのこと。動物心理学という研究分野があるとは知りませんでした。

「猛禽類が卵を産んで子育てをするときには周囲の環境にものすごく敏感になります。観察を続けていると分かるのですが、近くの人間活動による影響を受け始めると、まずチラ見をするようになります。これが第一段階です」
「はあ、なるほど」

「ストレスがさらに増すと、代償行動と言ってやらなくても良いような行動に出ます。羽づくろいなどを始めるなどいらいらしてきて、それが進むと伏せたり固まったりするのです」 
「うーむ…」

「さらにストレスが強くなると、卵を抱いていなくてはいけないのにその人間活動の近くまで行ってそれに対する示威行為を始めます。こうなると卵が冷えてしまったりして繁殖に大きな影響を与えます。それを過ぎるともう卵を抱くのをやめて巣を放棄して、子育ては失敗に終わります。巣も放棄して別ナスに移るかもしれません。こうしたストレスの段階をしっかりと見定めることで鳥の様子がかなり分かるようになりました」


 鳥もただ逃げ出す前にストレスを感じている段階があるというのはとても興味深いお話でした。


    ※     ※     ※     ※     ※


 フクロウの話も興味深いものでした。

「時々自動車事故によるフクロウの死骸が持ち込まれるのですが、それを詳細に見ると皆、車の方を見ている状態でバンパーにぶつかっているのです。その時のフクロウの胃の中からは食べられたカエルが多く出て来るんです」
「それはつまりどういうことなのですか?」

「このことは、道路を渡るカエルを食べようと降りたところで車のヘッドライトのまぶしさに目がくらんで動けなくなり、車の方を見ていて被害にあっている、と思われます」
「なるほど!その事故を減らす工夫というのは考えられるのですか」

「はい、実は道路を管理している方たちとは話し合いを行って、カエルの通り道の手前で道路に溝を掘ってもらって、音が出るように工夫をしてみています。車が近づく前に大きな走行音が出ることで逃がすことができないか、という工夫です」

 野生動物と人間活動を両立させるための工夫の余地はまだまだありそうです。

 もっとこうしたことにより多くの人たちの関心を寄せてもらわなくてはなりません。


    ※     ※     ※     ※     ※


 
 斉藤先生は続けます。

「さっき言った感電防止やフクロウの事故防止のための工夫などは、実は外国からの見学者に説明をすると大感激されるような説明コンテンツなんですよ。『この道東という地域は鶏たちとの共生のためにこんな工夫をしている』ということには、熱心なバードウォッチャーであればあるほどとても強い関心と興味を持って受け入れられることなのです」
「それは地域の魅力にもなるというのですね」

「はい、その通りです。野生動物保護のための地域パッケージというわけです。こういうことを市民がみんな知っていて誇りとして自慢できるなんてすばらしい地域だと思いませんか」
 

    ※     ※     ※     ※     ※


  【斎藤先生と またお訪ねしてお話を伺いたいものです】


 斉藤先生は、こうしたご自身の地道な研究や知識の普及啓発活動とともに世界中を飛び回って世界中の研究者たちと交流をしながら、渡り鳥の保護などにも大活躍。

 長身でハンサムで、なおかつ情熱的な仕事ぶり。天は二物も三物も与えたもうときがあるのですね。

 野生動物との共存・共生を果たしている道東地域、と呼ばれるための努力には限りがありません。

 まずはこの分野への関心を広げることでしょう。

 ぜひこちらの展示室も訪ねてみてください。
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北海道100の道~釧路赤ちょうちん横丁

2012-04-06 23:59:52 | Weblog



 四月四日の北海道新聞朝刊に、『創刊70周年を記念し選定された「ほっかいどう 100の道」』という記事が見開き二ページで掲載されました。

 記事には選定にあたっての考え方として、「委員会はまず基準を『通ってみたい道』『後世に残したい道』『安全でアクセスが容易な道』『PR活動が活発な道』などとしました」としたうえで、「北海道ならではの自然や文化に出合えるコースが多数盛り込まれました」と紹介しています。

【道新ウェブ上の記事】  
  http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/100roads/


 しかし…!「北海道の100の道」と大きく出た割には、実際に選定された道はかなりバラエティに富んでいます。

 表現を変えれば、選ばれなかった道の不思議と、どうして選ばれたのかが分からない道がいろいろある、ということ。

 関心のあるところで道東の釧路管内を見てみると、5つの道が選定されています。列挙すると、

91 硫黄山をめぐる道(弟子屈町)
97 難読地名ロード(釧路町又飯時~浜中町恵茶人)
98 赤ちょうちん横丁(釧路市川上町)
99 釧路川リバーサイドプロムナード(釧路市の幣舞橋~旭橋)
100 湿原の夢ロード(釧路市昭和~阿寒町)

 の5つです。

 個人的な感想ですが、硫黄山と難読地名ロードはまあ分かる、釧路川リバーサイドと湿原の夢ロードは「?」。赤ちょうちん横丁に至っては「なんで?」という印象です。

 しかも考えてみると私自身、赤ちょうちん横丁の前は何度も通ったことがあるものの、一度も小路の中やお店に入ったことがありません。

 これはいけない、と思い、若い職員を誘って彼らが行ったことのあるお店ということで、赤ちょうちん横丁の「みかさ」というお店に連れて行ってもらいました。




    ※     ※     ※     ※     ※

 
 そもそもこの赤ちょうちん横丁とは、もともと他の地区でリヤカー屋台で開業していたものがこの地に移り、昭和42年から道内最古の屋台村として商売を始めた一角。いまでも昭和の趣を残すノスタルジックな場所です。



 一軒のお店はせいぜい四畳半くらいの面積しかなくて、カウンターの周りにお客は6人で満席。しかしこの距離感が店主のおじさんと絶妙な距離感で会話が楽しめます。



「考えてみると、注文した料理を目の前で作ってくれるのを見るなんて経験は少ないですね。まさにこういうところならでは、です」
「いやあ、見られるから結構緊張するんですよ(笑)」


 帯広で始まった屋台村は有名になりましたが、まさにそのモデルがここにあったのです。

 この日は、もうすぐ食べられなくなるかもしれない牛レバー刺しや、焼き鳥、鱧(ハモ)の蒲焼などに舌鼓を打ちながらこの狭い空間を大いに楽しみました。

 そもそも「赤ちょうちん横丁ってなんだよ~」という思いでしたが、おかげで実際に赤ちょうちん横丁へ行くことができました。




 『北海道の100の道』の選定。

 その良し悪しはともかく、結果として地域経済の発展につながると良いですね。

 道内読者の皆さんには、自分の住んでいる地域で、あるいは関心のある土地でどの道が選ばれたのかを探してみて、実際に訪ねてみてはいかがでしょうか。

 
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石川啄木離釧の地、記念碑除幕式

2012-04-05 23:45:49 | Weblog
 昨日までの荒天が嘘のような快晴の一日、今日は「石川啄木離釧の地」のモニュメント除幕式が行われました。

 石川啄木は明治41年1月21日、雪降る寒い夜に今の釧路市役所のすぐ近くにあった、当時の釧路駅に降り立ちました。


  さいはての 駅に下り立ち 雪あかり
      さびしき町に あゆみ入りにき


 これが、彼が釧路駅に降り立った時に詠んだ歌。彼が友人にあてた手紙には、「雪が五寸ほど積もっていた」のだそう。今よりもずっと寒かったことでしょう。

 ここで少しだけ石川啄木の北海道、そして釧路での足跡をたどっておくことにします。


   ※    ※    ※    ※    ※


 啄木は全部で三度北海道へ来たことがありましたが、前二回はお金の無心などでの短期の訪問で、三度目こそ約一年にわたる、いわゆる北海道放浪時代でした。

 彼は明治40年5月5日に函館に着き、当初は雑誌の編集や代用教員などをし、8月に『函館日日新聞』の遊軍記者となります。

 ところがすぐその後(8月25日)に起きた函館大火のために紹介を受けて札幌へ転出することを決意。

 9月には札幌に到着しますが、すぐに半月程で『小樽日報』へと移ってしまいます。

 しかしながら小樽でも周りの人間関係がうまくいかず、『小樽日報』の社長でありながら、『釧路新聞』の社長でもあった白石義郎の誘いによって、釧路新聞の主筆という形で釧路へと赴任したのでした。

 そして冒頭でも書いたように、明治41年1月21日夜に啄木は釧路駅に降り立ちました。

 
   ※    ※    ※    ※    ※


 釧路新聞での彼の立場は主筆という、今でいうところの編集長てきな役回りであり、当時の主筆の月給25円は、22歳の若者にしては破格の待遇であり、社長白石義郎の彼への期待が大きかったことが想像されます。

 また自分の文章の発表の場を釧路新聞紙上に得て、彼は時事評論、随筆、論文、詩、短歌と多岐にわたってその文学才能を開花させることになりました。

 彼の才能を一気に花開かせた地がここ釧路であることはだれも否定できないことであり、単に女遊びばかりしていたという評価が彼のほんの一面でしかないのは明らかです。


 しかしながら彼の喜びあふれる日々は短いものでした。

 3月末に、彼の身に釧路での生活に絶望する出来事が降りかかり、釧路を離れることを考えるようになります。

 その理由については諸説ありますがここではそこには触れずにおきましょう。

 ひとたび彼が釧路を離れる決意をした後の彼の日記は、きわめて淡々と書かれていて、放浪癖が身についた彼の転身術はそれなりに見事、とさえいう人がいます。


   ※    ※    ※    ※    ※


 啄木は、釧路を去る決意を固めたものの旅賃の工面ができませんでした。

 結果、頼んでおいた金が知人から届いた4月2日に新聞の情報によって、その日の夜六時に酒田川丸という船が釧路から出帆するということを知って、その船に乗り込もうとします。

 ところが船の都合で出帆がなかなかなされず、4日に啄木が乗り込んだ酒田川丸が釧路を離れたのは結局、翌5日の朝7時半のこと。啄木の釧路在住期間は76日でした。


 
   ※    ※    ※    ※    ※
 

 さて、このように釧路に風のようにやってきて嵐のように去った啄木ですが、釧路市民は彼の事を非常に愛し、彼が釧路にいたことを大変誇りに思っています。


 今日行われたのは、「石川啄木が釧路を離れた地」という碑の除幕式。




 この碑は地元の濱谷建設㈱さんの敷地の中に建てられたのですが、実は啄木が酒田川丸に向かう筏に乗り込んだのはこのあたりのかつての砂浜だったのだそう。

 北畠先生はじめ啄木会の方が古地図をもって濱谷建設さんを訪問して、「実はかつてここが…」とお話をしたところ、濱谷社長さんの「じゃあうちで作りましょう」という鶴の一声が。



  【盤面には啄木の釧路の思い出がいっぱい】


 こうして今日のこの日が迎えられることと相成った次第。釧路28基目の啄木の記念碑ができました。何しろ今日は、その啄木が釧路を離れてから104年目の記念日。また今年は啄木の没後百年に当たります。

 
 除幕式のあいさつで北畠先生からは、「釧路にどうしてこんなに啄木の碑が多いのか、とよく訊かれるのですが、それは丹波節郎さん、鳥居省三さん、と先輩がご苦労をされてきたからです。これもまた釧路の歴史です」というご紹介がありました。

 今年の1月21日には、『石川啄木 釧路第一泊目の地 記念碑』が建てられましたが、これで76日間にわたる啄木の釧路在住期間の最初と最後を飾るモニュメントができました。

 石川啄木の事績を活かして、釧路観光がさらに充実するよう願うばかりです。


 ちなみに、啄木研究家であり釧路啄木研究会会長である北畠立朴先生の調査によれば、啄木に関する記念碑は東北・北海道を中心に数多くあります。

 自治体別でみると、平成24年1月21日現在で出身地を合併した盛岡市が70基とダントツで多いのですが、2位が何と釧路の27基、3位は岩手県西根町の8基ということになるのだそう。釧路もすごいですね。


 濱谷建設様、啄木会の皆様、その他関係者の皆様に心から感謝を申し上げます。 


  【関係者で記念写真です】
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近き友、遠き友

2012-04-04 23:45:13 | Weblog
 昨夜は雪が降ってからの大雨で、側溝は雪でふさがったところに水が溜まって、道路はいたるところで冠水状態。まあ大変な天気でした。

 一夜明けた朝は晴れていたものの強風が治まりません。

 港ではうねりを伴った高い波が荒れ狂い、満潮に低気圧が重なって潮位が上がり、やはり港湾道路に冠水が目立ったそう。

 人的な被害がなかったのが幸いでした。


    ※     ※     ※     ※     ※


 新年度になっての第一週目は飛び込みでの転任ご挨拶も多く、新しく来られた方に早くお会いできるのはこれから共に仕事をしてゆく上でもありがたいことです。

 「釧路は初めて」という方もいれば、「十年ぶりです」というような、過去に釧路にいたことがある方もいらっしゃいます。

 同じところを時間を置いて見続けることを「定点観測」と言いますが、定住民にはわからない微細な変化の積み重ねも、定点観測者には良くわかるものです。

 アドバイスをくれる人は身近にいてくれて良かった、と思う場合と、遠くにいて定点観測をしてくれるので良かった、と思う二つの場合があります。

 身近にいることの良し悪し、遠くにいる事の良し悪しはそのバランスの中で、自分たちの立ち位置や変化の方向を見定めるのが良いでしょう。

 友達は近くにも遠くにも欲しいものですね。

 
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男の料理で生涯学習

2012-04-03 18:44:43 | Weblog
 先日、自ら撃ったエゾシカの肉をくれた知人のハンターから声をかけられました。

「この間あげた鹿肉、どうでした?」
「すみません、まだ食べていないんです。ブロックが大きくて切らないまま冷凍してあるんですが、一人だと一度にこんなに食べられないし、毎回焼くだけというのもなんだか飽きそうだし、どうしたものかと思っていました」

「なんだ、切らないで冷凍しちゃったの?そりゃ大変だ。でもこちらもわざわざ切ってあげるわけにもいかないしね」
「野生鳥獣を狩猟した肉をジビエ(gibier[仏])と言って欧米では贅沢な楽しみと言われていると聞きますが、北海道ではまだまだ身近で一般的ではないようですね」

「いやほんと、ジビエって食べるのが結構大変でしょう。それに内地に比べると北海道はジビエに対する日ごろの関心が薄いですよね。内地の方は農地によくイノシシが出てきて獲るし、農家が自家用に鳥や豚を飼っている人がいたりして、日常生活の中に鳥獣の肉が北海道よりは入っている感じがしますよ。北海道の人はスーパーで売っている肉じゃないと安心して食べられない、という人が多いのじゃないでしょうか」

 口でジビエを唱えても、自分自身の日常生活に当たり前に入ってくるにはまだ時間がかかりそうです。

 エゾシカのハンターさんたちにも頑張ってもらって、日常生活に鹿肉が取り込まれるようになると良いですね。



   ※    ※    ※    ※    ※



 四月の人事異動で、釧路市内でありながら自宅からの距離が遠いために単身赴任となる方と話をしました。

 聞けば、本庁舎での会合もあることから、週の半分は現地で過ごして半分は自宅へ泊るという生活になるかなあ、というイメージなんだとか。

「食事はどうします?単身赴任の経験なんて無いでしょう?」
「学生のときに一人で過ごして以来ですね。食事はまあ適当に外食かコンビニで済ましますよ」  

「それはもったいない、。食事と料理を考える絶好の機会を逃しますよ。それに決まった範囲での食事はやがて飽きてきますからね」





  ☆    ☆    ☆    ☆


 最初は珍しくて美味しく感じられたものでも、快適な刺激は繰り返されることでやがて効果が減少して行きます。これを心理学では「心的飽和」と言って、要は「飽きる」ということ。

 これに対して、不快な刺激でも繰り返されることで不快感はしだいに大したことがなくなって行きます。これを心理学では「馴化」と言って、つまりは「慣れる」ということ。

 いつも料理を作ってくれる妻のことを考えても、食事は日々のことで、いかに飽きさせずに献立を作るかは実に創造的でしかも料理というのはスキルフルな仕事です。

 折角ならば、単身赴任の時間とチャンスを活かして、奥様への感謝も込めて手料理を作れるようになると、人生の幅はもっと広がると思うのですがいかがでしょうか。

 ただし、ひとたび料理の世界を味わって困ることが一つ。それは『調理道具が増える』こと。

 良い道具は作業を劇的に楽にするので実に魅力的。油断するとどんどん増えてしまいますからね。

 さて、冒頭のジビエの肉も、調理方法をネットなどで情報収集して、飽きないように豊かな食生活を工夫してみたいもの。

 これもまた食生活という生涯学習でありますぞ。

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【おまけ】釧路新聞『巷論』 ~ 父の思い伝わらず

2012-04-02 23:29:59 | Weblog
 平成24年3月31日付の釧路新聞「巷論」欄に、私の投稿が掲載されました。

 タイトルは「父の思い伝わらず~あの日言えなかった一言」

 以前書いたブログのリライトですが、記録として掲載しておきます。





 ではまた。
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成長と生長~クリエイティブに行こう

2012-04-02 23:04:26 | Weblog
 今日から事実上の新年度が始まりました。

 新しい特別職や新規採用者への辞令交付式と市長からの年度当初の訓示など、年度の始めならではの用務に改めて気が引き締まる思いです。

 新規採用の諸君はいかにも初々しくかつ緊張も露わですが、わが身を振り返ると、自分が新規採用されたのはもう四半世紀以上も前の事。

 新人の彼らと自分との違いは何か、この間自分はどう成長したのか、少しは社会に貢献できたのかと、過ぎた時の流れに改めて感慨とわが身を省みる心が沸き起こります。


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 生き物が育つことを表すのには、「成長」と書くときと「生長」と書くときがあります。

 私がかつて習ったときは、哺乳類など生育を重ねて大人としての姿が決まっているものがその姿になった時のことを「成長」と言い、植物など生育を重ねれば重ねるほど巨大になり最終の大きさが定まらないものについては「生長」と言う、とされていました。

 だから人間であれば成長と言い、植物や魚などについては生長と言うのだと。

 辞書を引くと、いまは「成長」に統一されていてどちらでも良くなっていて、植物などが育ってゆくときの「生長」は旧学術用語であって、今はあまり使わないとされている説明もあるようです。

 こうした細かい意味の違いを現代はあまり区別しなくなっていて、ある意味使うのには便利な反面、言葉の持つ微妙なニュアンスの違いを大切にしないのは寂しくもあります。

 人間としての私は、見かけ上は成長したというのかもしれませんが、その中身になるととても覚束なくて未熟な限り。まだまだ勉強が足りません。

 見た目の成長は達成されても、経験と勉強の積み重ねで生きている限り心は生長を続けられるようにと願うばかりです。

 
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 【クリエイティブに行こう】

 

 さて自分自身はここ数年、「生涯学習の実践」ということをテーマに日々を過ごしていて、少しでも前向きに生きようと心掛けています。

 我が心の師匠の元掛川市長榛村純一さんは、生涯学習の5つの目的として、以下の五項目を掲げました。

1 教育改革としての生涯学習
   (学歴社会からの脱皮、大器晩成社会)
2 楽しむ・たしなむ生涯学習
   (自己実現と多様に豊かな生活を目指す生き方)
3 勉強を求められる生涯学習
   (高度情報化、地球環境問題など今日を生きる術)
4 高齢化に対する生涯学習
   (社会的コストをかけずに死ぬための自己規律)
5 まちづくりへの生涯学習
   (周辺や子孫に尊敬される舞台としての地域)


 最近これを見ていて、自分自身の自己修練としての生涯学習はこれで良いのでしょうが、「生涯学習」とはどこかただ内面に取り込む勉強という印象が強いと思うようになってきました。

 人が生涯学習をしてその成果は、物事をただ学んで内に取り込むだけではなく、それを自分の中で化学反応を起こさせて創造性として外に発するとよりよくなるのではないでしょうか。

 つまりそれは物を自分の中から生み出す創造性であり芸術性ということになるのではないか。

 取り入れたことを活かして、もっと創造性にあふれた物事や情報を発信する生き方を志向するとさらに前向きな生き方ができそうです。

 自分でなくてはなしえない、自分自身のオリジナリティを、自分自身の中から生み出されるものを大切にしてはどうでしょう。

 ブログなども日々文章を捜索するという意味では確かにクリエイティブでやらないよりはマシですが、さらなる飛躍を考えるとどうなるものか。

 自分がこの時代を生きている証とはなにか。

 今年度のテーマとして掲げておきたいと思います。

 日々を創造的に生きて参りましょう。


 
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