北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「日本人として知っておきたい近代史」を読む

2010-04-30 23:57:04 | 本の感想



 「日本人として知っておきたい近代史」(中西輝政著 PHP文庫)を読みました。

 吉田松陰から乃木希典まで、8人の英傑の人となりと歴史の中で成し遂げたことを紹介することで、明治という時代を浮き彫りにしようという試みです。

 歴史というと、ともすると年表を暗記して出来事の繋がりを覚えるという教養のようになりがちです。しかし本当の歴史とは、一つ一つが人間の行いと営みによって出来上がる物語のことのはず。

 この本で紹介されているのは、吉田松陰、岩倉具視と大久保利通、伊藤博文、桂太郎、児玉源太郎、小村寿太郎の「明治の三太郎」、乃木希典の8人。

 著者の中西輝政さんは、この時期の日本の歴史の中に「大きな三つの筋」を読み取ります。

 一つ目は、芸術や文化の領域だけではなく思想や道徳観、人生観にまで及ぶ『日本人特有の繊細で美的な感性』です。

 二つ目は、日本において政治は現実的で実用的な統治の手法であって、決して特殊なイデオロギーに支配された理想論に陥ることはなかったということ。

 そして三つ目は、『日本とはこういう国家である』という国家意識です。山があり谷があり急峻な河川があり、しかも台風や洪水、地震などの災害に見舞われやすい国土で、狭い平野部にたくさんの人が住んでいます。
 おまけに資源もなく周囲を大陸のロシアや中国などの大国に囲まれているという地政学的条件も加わります。

 そんななかにあって、長く続いた鎖国時代の太平の時期から一気に、国が国を飲み込んで行く列強の帝国時代に放り込まれた日本のリーダー達の苦悶と挑戦の姿を省みることは、いつの時代においても重要な知識と言って良いでしょう。

    ※    ※    ※    ※

 この本で紹介されている8人は大きく三つに分けられています。

 一つ目は江戸時代を終わらせて日本を近代国家に脱皮させた立役者としての吉田松陰から大久保利通まで。次にそうした建国の父達の偉業を受け継いで苦難を乗り越えて明治国家の感性に力を尽くした伊藤博文と「明治の三太郎」たち。

 特に著者は、この明治の三太郎を「現代の歴史観では不当に軽く扱われている」として、日清日露戦争を戦い抜いて崩れるように若くして無くなった三人の「太郎」を賞賛しています。

 そして三つ目は、日本という国柄の精神を生ける人間として体現した吉田松陰と乃木希典に代表させています。

 特に乃木希典については、司馬遼太郎の「坂の上の雲」などの影響が強く、愚鈍な将軍として紹介されている風潮が強いのに対して、説得力ある反証の書物なども出始めていて、当時の上層部などの事情などを勘案すると決して無能な将軍などではなかったし、彼の真骨頂はどのような苦境にあっても部下からの信頼が決して崩れない『統率力にあった』としています。

 明治天皇の崩御に際し、妻共々自決して明治という精神を全うしたその生き様は、日本人の心に深く刻まれ、愛され続けました。

 しかし第二次大戦の敗戦と同時に戦前の教育が否定されたことで、これらの歴史的偉人達の業績も教えられることが禁止され、いつしかそれが当たり前の風潮になってしまっていることにも、著者は強い危機感を感じています。

 歴史を、人が大きな責任を背負って悩み苦しんだ物語として捕らえれば、事件や出来事の羅列とは異なる国家の建設作業として見えてきます。

 「日本人として知っておきたい近代史」というタイトルがそのままの内容。

 長いゴールデンウィークの中で自分を成長させる一冊です。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無料紙媒体最前線

2010-04-29 23:54:38 | Weblog
 宅配してくれる新聞の大きな魅力の一つが地域のお店の安売り情報が載っているチラシです。
 
 なんといっても、この情報で買い物の行く先をどう変えるかは家計を預かる主婦の皆さんなどにとっては極めて重要なはずです。

 そんなチラシの世界に新たな動きが出てきたようです。

---------- 【ここから引用】 ----------
【産経新聞】地図、特売チラシ…変わり種“一芸”宅配フリーペーパーが話題 
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100429-00000538-san-bus_all

 ゼンリンが6月に戸別配布を始めるフリーマガジン「Actiz mi-ru-to(アクティズ・みると)」
 以前はちまたにあふれていたフリーペーパー、フリーマガジン。広告費の減少でかつての勢いが薄れつつある中、“一芸”を売りにしたフリーの媒体が話題となっている。地域の詳細な地図や、新聞折り込みの特売チラシなど、これまでなら独立した媒体にはならなかったコンテンツで、業界関係者も新たな動きとして注目している。(佐久間修志)


 住宅地図などを手がける「ゼンリン」は6月、埼玉、兵庫県内の3地域で新たなフリーマガジン「Actiz mi-ru-to(アクティズ・みると)」の発行に乗り出す。メーンは、同社が長年ノウハウを蓄積してきた地図だ。

 最大3千分の1の縮尺の地図が、全約80ページのうち約20ページで掲載。その他のページの地域の医療、買い物などの生活情報とリンクしている。厚手の紙で上質感を出し、「決して捨てられないフリーマガジン」と秋本則政事業開発本部長は胸を張る。年1回、地域世帯に無料配布し、平成25年までに360地域3千万世帯への普及を目指すという。

 特売チラシとテレビ番組表が入った袋を無料配達しているのは、大手情報会社「リクルート」。毎週金曜日、東京、神奈川の2都県10地域で「Town Market」という緑色の袋を希望する世帯に配る。特売チラシの数は、多いときで約40部にもなる。

 一昨年3月に神奈川県の2地域で始めたところ、新聞未購読の世帯中心に人気を呼び、発行部数が2万3000部から1年で22万部と約10倍になった。今年3月現在、10地域で50万部を発行する。担当者は「近所のチラシを実際に手にとれるところがいい」と話す。

 フリーペーパー・マガジンの業界団体である日本生活情報紙協会によると、地域情報を発信するという役割は以前と変わらないが、最近のフリーの媒体はクオリティーが有料媒体並みになってきたという。広告費は19年の3684億円をピークに減少傾向(情報メディア白書2010)にあるが、目的を絞ると「目を皿のようにしてみてもらえる」(ゼンリン)ため、広告効果も高い。

 同協会では「ターゲットと分野を特化した媒体は今後も増えるのではないか」と分析している。

---------- 【引用ここまで】 ----------

 最近はこういうチラシ情報の多くをインターネットでも取れるようになり、「チラシ インターネット」で検索してみると数多くのチラシ情報サイトが出てきます。

 漫才で「ヤホーで検索しました…」とネタになっているyahooにだって「yahooチラシ情報」というサイトがあり、住んでいる地域を入力すると住まいの近くでyahooに登録しているお店のチラシを見ることができます。




 これだけでもすごいサービスで、「新聞ピンチ!」と思っていたのですが、今度はなんとチラシ情報をフリーペーパーで配るというビジネスが登場したというわけ。

 今のところフリーペーパー配布はまだ関東周辺だけのようですが、ネット配信による情報ではお年寄りやネットが見られないよう多くの人には縁がないわけです。機械を使わず(使えず)に、手元で見られる紙媒体を頼りにしている人はまだまだ多いのです。

 まちなかでお店のチラシ配りだってほとんどもらわない私ですが、この手の情報の載ったフリーペーパーだったらもらってしまうかもしれません。
 
 紙(既存マスコミ)→ネットと来た情報の流れに、→紙(無料のフリーペーパー)という新たな流れが登場し、それも無料になって巡ってくるというわけで、ビジネスモデルの変化の早さに驚くばかりです。

 ネットもうかうかしていられない時代になったとはまさに驚き。生き馬の目を抜くビジネス最前線です。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心のスイッチ ~ kinjiro's way

2010-04-28 23:02:40 | Weblog


 掛川から冊子が届きました。タイトルは「心のスイッチ~kinjiro's way」とあります。

 掛川には明治時代以来、二宮尊徳(幼名金二郎)の教えを体系立てた報徳思想が社団法人大日本報徳社の本社という組織と、報徳社の木造による講堂という建築物という形で強く残っています。

 二宮尊徳は江戸末期の農村経営アドバイザーとも言うべき人ですが、古今の書物や神道・儒教・仏教の良いところを取り入れて融合発展させた独自の報徳思想によって人心を鼓舞して飢饉で苦しむ幾多の村々を救済したことで知られています。

 掛川でのその思想性は、集落によっては日曜日に人々が集まる「講」が開かれることで残されているところもありますが、さすがに今日は教養の分野の範囲に狭まっているのも事実。

 しかしこうした報徳ゆかりのものが地域に残っているというのは貴重な文化的資源だということは疑いのないもので、これをいかに上手に魅力として高め、さらには住民達の絆を深めることに役立つのかという取り組みが大切なところです。
 
    ※    ※    ※    ※

 掛川市でもこの資源性を活かす活動はいろいろと行われてきましたが、今回は地域の商業者を中心に、交流が他産業を推進するために立ち上げた「交流型産業創造会議」がこの報徳の教えを、もっと分かりやすく知らせる工夫をして冊子を作ったというわけです。

 報徳の教えは古典的なところでは「二宮翁夜話」などもありますが文章量も多く、取っつきにくいところがあるのも事実なのです。

 今回の「心のスイッチ」と題された冊子では、尊徳先生が語った多くのたとえ話から26編を選び出し、それを学生のミサコさんと叔父のキンジローさんとの会話形式で伝える工夫がされていてとても分かりやすくなっています。

 報徳の教えで代表的なものに「積小為大(せきしょういだい)」という言葉があります。大きな事も小さな事の積み重ねによって成し遂げられるというものです。

 これを表した第五編はこんな感じ。

  田植えをしたことはないけれど、 
  地道で大変そうだよね。

  でも一本一本丁寧に
  苗を植えることによって
  着実に面積も大きくなっていくんだ。

  1,000坪に植えられた田んぼだって
  始まりは一本植えることからか。

  そうなんだ。どんなことでも、
  始めから大きくはない。
  小さな事の積み重ねが、
  次第に大きくなっていくものさ。


 イラストには《大きな事は小さな事の積み重ね》とありました。

 興味のある方は事務局のある掛川市の商工会議所へお尋ねください。 


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国と日本の教育

2010-04-27 23:29:04 | Weblog
 万博開催でいよいよ盛り上がる中国。6月にはスマップも5人揃って初の海外公演を万博会場でするそうです。

 そんな中国から日本人が見た中国の姿が届きました。


* * * 【ここから引用】 * * *
【レコードチャイナ】<日本人が見た中国>「習ってないから描かない」!図画で自由テーマ忌避する中国の児童

http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=41531


 時々、田舎の小さな村に遊びに行く。絵が得意なのでよく子供に絵を描いてあげたり、地元民の似顔絵を描いたりしている。

 そうやって、だんだん仲良くなっていくと、5歳くらいの子供がやってきて「絵の描き方を教えて」と、かわいらしい申し出をしてくれる。それからその子供は、「金魚の描き方は習ったから」などと言いつつ、とても上手に「金魚」の絵を描いてアピールする。何か別の絵を描かせようとすると、「それは習っていないから描けない」と言って、描こうとしないことがよくある。描くのは、「習ったことがある」モチーフのみだ。

 普通、5歳くらいの子供ならお母さんの似顔絵などを描いてキャッキャと遊んでいるものだが、中国の子供は、「その絵はまだ習っていないから」と頑なに拒絶する。私の描く絵は率先して真似するのだが…。すごく、すご~く、不思議だ。

 中国の子供たちは、自由にのびのびと絵を描かせてもらったことが無いのだろうか。こちらの親子を見ていると、「うちの子は絵を描くのが大好き!絵の教室に通わせて、能力を伸ばしてあげましょう!」と、親は率先して子どもを絵の教室に入れる。講師のほうは、子供の絵を伸ばさなければならないので、手っ取り早い“成果”を出すために、「こう描くほうが上手に見えるから、こう描け!」と、一から百までを教えこむ。モンペア(モンスターペアレンツ:教育機関に理不尽な要求をつきつける保護者)の中国人に「子供の絵が上達した」と納得させるために、講師は子どもたちの個性をつぶしてまで“技術屋”を育てるのだ。己の保身のために。しかし個性とは、「自分で考えて自分で描ける」ということではないのか?

 それと同様のことが、あらゆる教育機関で行われている。国だってその教育方法は“よろしくない”と分かっているはずだ。かといって、「自分の頭で考える賢明な市民」を育成してしまえば、自身の足元をすくわれる可能性があるので、先手必勝で手を打っているのだろう。その辺を改めれば、この国が抱える様々な問題は一挙に解決しそうなものだが、それは難しい注文だろうか…。(25歳女性/中国在住7年/自由業)

* * * 【引用ここまで】 * * *

 絵の描き方ひとつで国の教育方針全てを語ってしまって良いのかな、と思いますし、このことが「自分の頭で考える賢明な市民の育成」を阻害しているのか、というのもいささか疑問です。

 振り返って我が国の教育を見ると、著者が言うように自分の頭で考える子供たちを育てているようではあるものの、大人になった我々は自分の頭でものを考えているのかどうか。

 教育によって知識や技能は充実するモノの、「大切なことは何か」という価値観をどれだけ伝えられるのでしょう。また逆に教育で価値観を与えてしまうことの危険性もあって、これは学校などの機関教育というよりはやはり親から子へ伝えられる家庭教育が受け持つ部分なのかもしれません。

* * *    * * *

 その昔、「おまえは常識がないなあ」と言われて「じゃあ常識を教えてくれよ」と言った友人がいました。常識とはなんだろう?と改めて調べてみると、yahoo辞書では大辞泉で「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力」とありました。

 知識と同時に判断力、つまりここでも価値観が問題なのです。価値観って自分で決めつけるものではなくて、多くの経験をし多くの書物を読み多くの人に会って話を聞くことで醸成されてゆくもの。だからたぶん若さはそうした醸成の期間という意味であまりプラスには働かないようにも思えます。

 儒教の世界で世の中の年寄りや経験者、長老が尊敬の対象となったのはそうした価値観念が豊かだからということだったのでしょうが、それが形式化してしまうとこれまた堕落してしまいます。

 年寄りになってなお価値観念がないとは言われたくないものです。

 さて今日も事業仕分け第二弾の真っ最中ですが、ネット動画を見ていると仕分け人の皆さんが持つ価値観がどこにあるかがときおり垣間見えて興味深いものがあります。

 自分の頭で考える教育を受けている日本国民にはどう映っているのでしょう。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

URの事業仕分け

2010-04-26 23:31:23 | Weblog
 今日の午後は都市再生機構による都市再生事業が事業仕分けを受けました。

 ネットでの視聴を許可されたのでどのような意見が出るかを注視していましたが、総じて厳しい意見はなく、事業実施基準を厳格に運用すべきなどといった意見に留まりました。

 仕分け人(この表現も品がない感じですが)の中にも事業に詳しい方がいて、高度な専門用語が飛び交う中、事業に詳しくない方はあまり意見が出ませんでした。

 高度で複雑な事業の現状を、基本的な知識がない方に説明するのは難しいと思いましたが、やはり予備知識がなければ判断は難しいところでしょう。

 しかし賃貸住宅事業や関連企業との関係については厳しい意見が出され、強い見直しが求められることに。

 ここへ来て、仕分けの趣旨は無駄を省いて財源をひねり出すことではなく、事業の適正化を勧告するようなものにいつの間にか変わってきました。細かい指摘でさほど大きな財源にはならないようなことでも良いのでしょうか。

 注目を浴びている分、トンチンカンな質問が出来ない雰囲気にはなっているようですが、各事業が背負っているものを短時間で議論するのは難しいところです。

 折角ネットで配信されているのですから多くの国民の皆さんにも見て欲しいところ。

 それにしても、こういうコンテンツを中継出来ないテレビは、リアルな一時情報を提供することを諦めたかのようです。

 生情報はネットに限ると思われることの怖さはあるでしょうに。

  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花の日露交流史~北大総合博物館企画展示

2010-04-25 23:44:43 | Weblog
 


 先日は1860年に日本を訪れたイギリスのプラントハンター、ロバート・フォーチュンについて記事を書きましたが、同じ1860年に函館を訪れたのがロシアのプラントハンター、カール・ヨハン・マキシモヴィッチ先生でした。

 奇しくも同じ年に日本の函館を訪れて日本のそして特に北海道の植物分類学に大きな貢献を果たしたのでした。

 マ先生は日本以前にはアムール川周辺の植物相を調査していたのですが、日本が開国したと聞いて日本に乗り込んできたのです。

 ところが当時はまだ攘夷の気分が蔓延していた時だったので、外国人は港から十里(約40km)程までしか移動することが許されませんでした。

 そこで現地で須川長之助という当時18歳の少年を雇い入れて、彼に周辺の植物採取の方法を教え、それを元に日本の植物相を研究したのでした。

 長之助少年はマ先生の薫陶を受けて(後には故郷岩手県のロシア正教会で洗礼を受けている)、マ先生が函館~東京~長崎と日本にいた6年間に亘って、箱根や富士山、阿蘇山や霧島山地にまで足を伸ばして標本を採取して歩きました。

 長之助はマ先生が帰国してからも信州や岩手県・秋田県などを訪れて標本をマ先生に送るなど献身的に尽くしました。

 マ先生はこの働きに感謝する意味で日本から送られてきた植物に長之助の名を付ける献名という形で応えるなど主従を超えた結びつきがあったのです。

  *    *    *    *    *

 動植物の分類は「リンネによる二命名法」といって、「属名+種小名」で表す方法が用いられています。例えばお米ならば”Oryza sativa”と言いますが、 Oryzaはアラビア語でいう米に由来する「イネ科イネ属」を表し、sativaは「栽培された」という意味のラテン語でつけられています。

 長之助の名は、例えばシロバナエンレイソウ(Trillum tschonoskii Maxim)の”tschonoskii(チョウノスケの)”という表現に表れています。

 ちなみに二命名法と言っておきながら、最後の三番目につけられているのは命名者の名前で、マキシモヴィッチ先生が命名したことを記すためにMaximと表現されています。私が学生の頃学名を調べていて、(なぜインスタントコーヒーの名前が付けられているのだろう?)と疑問に思ったのは内緒です。

 日本の植物はマ先生以前には18世紀に来日したツンベルクや19世紀初頭と幕末に二度来日したシーボルトなどによっても調査研究が進められています。

 学名にもよくthunbelgii(ツンベルクの)とか「sieboldii(シーボルトの)」などといった単語が出てくるのはそういう歴史があるから。植物の学名で近世における外交史が見えて来るというのも面白い話です。

  *    *    *    *    *

 ところで、このマキシモヴィッチ先生が函館の地を踏んだのが1860年と言うことで、今年はそれから150周年を数える節目の年。北海道大学の二期生にして北海道の植生の大家だった宮部金吾博士もマ先生とは交流があって大変お世話になったのでした。

 そこで北大の旧理学部建築を改装した北大総合博物館では現在、「日露花の交流史」と題した企画展を開催中。
 http://133.50.141.58/exhibition/kikaku69/


 【北大総合博物館】


 【三階で開催中】

 こんなに興味深い内容で無料とはありがたい企画です。

 開催期間が5月9日までということで、残り少ないものですから、ゴールデンウィークには札幌にいられれば訪ねたいところです。故郷の歴史を知る絶好の機会です。どうぞお見逃しなく。
 

 【唯一撮影が許される記念撮影コーナー:左がマ先生、右は須川長之助】
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おやじの会の総会

2010-04-24 23:06:46 | Weblog
 札幌へ三年ぶりに帰ってきたので、早速以前関わっていた地域活動も復活。今日は地元中学校の「おやじの会」の総会です。

 三年ぶりということで懐かしく迎えてくれる人もたくさんいて、仲間の元へ帰ってきた感じがひしひしとします。

 おやじの会って、幼稚園や小学校ではよくあるのですが中学校でのおやじの会は珍しいのです。それは一つには、子供が大きくなると父親も人生で一番仕事が充実していて忙しい時期に重なること、そして二つ目には、子供も多感になり父親との会話が成立しない時期でもあるということなのだと思います。

 学校側も最近では学校評議員制度などを作って地域社会との連携を深めようとしていますが、逆に地域から先に学校側にコミットしようとして10年前にできたのがこのおやじの会なのです。

 親との連携ではPTAもありますが、こちらは大抵母親の会になっているということと、子供が学校を卒業してしまうと関わる術が無くなってしまいます。

 おやじの会ではOB会員を認めていて、卒業してもこの会で培った地域ネットワークをずっと大事にして楽しんでいこうということにしています。ただし会長だけは子供が学校に在籍している現役父親でなくてはなりません。会が新鮮さを失わずに、しかもOBが率先して会を支えるという実に美しい構造です。

 今日は年度初めの総会と懇親会が行われましたが、総会には校長先生、教頭先生、転勤した前教頭先生、また会員となった先生たちも参加してくださって総勢40名くらいが集まった賑やかな会となりました。

 校長先生も教頭先生も、この中学校での自慢がこの会であることや、新任の先生にとっては「おやじの会」がある中学校としてドキドキしているという挨拶があって、会場が沸きました。

 会も満十年を過ぎ、いよいよ充実してきたようです。




    ※    ※    ※    ※

 総会では今年の役員を決めるのですが、会長はだいたい前会長からの指名ですんなりと決まっています。

 そして環境委員、交流委員、広報委員の委員長は会長からの独断による指名で決まり、指名を拒否してはならないという伝統と慣習があります。

「委員長を指名するのには、本人に『指名しても良い?』と訊かなくていいんですよ。会長の独断による指名は拒否出来ないから」と新会長にアドバイスをした人自身も交流委員長に指名されて爆笑を誘っていました。

 また、同じ職場にいながらお互いに知らなかった人に出会えたり、友達が増えるのもこういう会にいることの喜びです。

 今日は10年くらい前に一緒に仕事をした緑のプロと会えました。挨拶をしていて(あ~、Sさんだ)と気づきお互いに懐かしく旧交を温めました。

 総会の後の懇親会でも盛り上がって、「中学校の校内に植えられている樹木の手入れが悪いよね」という話で意見が一致して、「おやじの会で樹木剪定講習会と剪定を実施しましょう」という話で盛り上がりました。

    ※    ※    ※    ※

 その一方で、以前一緒に活動していた仲間が会社の合併で千葉県に単身赴任になってしまったとも聞きました。

 社会の変化は仲間達にもいろいろな変化を招いています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワンプライス居酒屋の戦略

2010-04-23 23:36:50 | Weblog
 最近は居酒屋でも低価格競争がますます激烈です。

 夕方の早い時間ならば一杯100円のビールなども登場し、中身が「ビール?発泡酒?」とやや疑わしいものもあるのですが、安くする事への飽くなき追求がエスカレートしています。

 そうなると当然、「これで儲かるの?」と思うのですが、結構お客さんが入っていたりするので、「これだけ入ればなんとかやれるから」なんだろうな、とも想像がつきます。

 そんな安売りお店が儲かるからくりはこちらです。

---------- 【ここから引用】 ----------
【プレジデント・ロイター】【儲かる会計思考入門】
 「ワンプライス居酒屋」が大繁盛するカラクリ プレジデント 2010年3.29号
    公認会計士・税理士 柴山政行 構成=高橋晴美 図版作成=ライヴ・アート
 http://president.jp.reuters.com/article/2010/04/22/5DE39DF0-45FF-11DF-B2C1-01C13E99CD51.php



 デフレの出口が見えてこない。元気があるのは低価格で勝負する企業群だが、不景気だから安いものが支持される、ということで片付けていいのか。

「ワンプライス居酒屋」の儲けの仕組みの一例ユニクロは次々とヒットアイテムを生み出し、完売するアイテムも少なくない。安くて高品質というから怖いものなしだが、高品質のものを安く提供できるのは、「合理的経済人にいい情報が集まる」という経済原則が働いているからにほかならない。

 つまりユニクロには、生地や生産技術など、トップクラスの情報がどんどん入る。コストを抑えた製品を供給するのには効率的な体制を構築する必要があり、そのための選択肢が豊富に揃っているのだ。その結果、「多売が見込めることで、より有利な条件で取引ができ、魅力のある商品を次々と打ち出せる」という好循環が構築されている。

 また品質に対する認識が変化した影響もあるだろう。

 私はファッションにはほとんど興味がないが、女性もの、男性ものを問わず、ファッションには流行がある。お洒落を意識するなら、同じ服を何年も着るわけにはいかず、シーズンごとに服を買い替えることになる。そうなれば高い服を買うことは難しいし、何より、1~2年着るだけの服に5年間もの着用に耐える品質はいらない、ということになる。「安かろう、悪かろう」では困るが、「安くて品質はまあまあ」なら合格。もはや、「高くてもいいもの」の必要性は高くないのである。

 同じように100円均一の店が繁盛するのも、品質に対する認識の変化の表れだろう。

 知人が100円ショップで郵便物に使う「速達」のスタンプを買った。上から押すと判面が下りて捺印できる簡単な仕組みだが、家で試してみると判の部分が動かず、一度も使えなかった。普通なら店に文句を言って交換を要求するところだが、知人は「100円だから仕方ないさ」と、そのまま処分したという。たしかに目くじらを立てる額ではないし、クレームをつける時間のほうが惜しい。

 使えないというのは極端な例だが、モノによって、国柄によっては、品質の高さより安さのほうが喜ばれることは少なくないだろう。これまで「メード・イン・ジャパン」の製品は高品質を売り物にしてきた。しかし、世の中には、不良品が多少混ざるリスクがあっても安いほうがいい、という人も存在する。いうなれば、ベストではなくて「ベター」志向だ。そんな「安いのだから品質が高くなくても仕方がない」という心理を前提にすれば、安くて高品質なら評価はさらに高くなる。ユニクロの製品はその代表例だろう。

 安いように見せるマジックを使って業績を伸ばしている企業もある。タネを明かせばなんのことはない。一部の商品を値下げすることで、全体的にお買い得だと印象付けているのだ。





 たとえば最近、ビールから各種つまみまでオール290円、280円といった「ワンプライス居酒屋」が大流行だ。しかし、ビールと目玉商品の鳥のつくねといった特定のメニューのみ原価割れで提供し、あとのメニューでは薄利とはいえきちんと利益をとっている。もちろん、ビールと鳥つくねだけ頼まれてしまったら大赤字。しかし、たいていの人はそれでは飽き足らずに、ハイボールやサワー、それに魚や野菜のつまみも頼んでしまう。ましてや、単価が低いから財布の紐もゆるみがちになる。

 結果的には、一部のメニューで赤字を覚悟したとしても、トータルでは利益を獲得できる。

「280円で味は期待できないだろう」と思って箸をつけてみたら、意外とおいしい。値段が値段だけに、心理的なコストパフォーマンスのメーターは跳ね上がる。そんな心理を利用し、値下げによって集客をはかること。それこそが、デフレを乗り切る重要な戦略にもなるわけだ。

---------- 【引用ここまで】 ----------

 なるほど、まずはとにかく客を安さで引き付けておいて、財布の紐をゆるめさせるのが第1。まず入り口はそこなのだと。

 そのうえで、安かろう悪かろうという予想を裏切る質の良さでお得感を演出し、トータルで儲けを出すという作戦でしたか。

 まあ安い値段で予想を裏切る品質を提供するのが難しいというところで普通は思考停止しているのですが、損を続けると立ちゆかなくなると言うのが企業の宿命なので、とにかく何らかの利益を出し続けること=継続出来ること。

 まあスーパーの○○セールやタイムサービスなんてのは昔からの常道手段でもありましたけどね。それを居酒屋でやってのけようとするとこういう形になるわけですね。

 温故知新というところでしょうか。  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「幕末日本探訪記」を読む

2010-04-22 23:49:31 | 古典から



 ロバート・フォーチュンの「幕末日本探訪記」を読みました。

 ロバート・フォーチュンについては、3月末に東京の飛鳥山公園へ行った際に、この地を訪れて非常に喜んだ外国人として紹介されていたのでした。

 幕末に日本を訪れた外国人がその文化の違いに驚きつつ、日本人の特質を高く評価しているのはつとに知られているところです。こうした外国人の評価をまとめて日本人を泣かせる名著としては渡辺京二さんの「逝きし世の面影」がありますが、これなど日本人ならば是非読んでおきたい一冊です。

 さてロバート・フォーチュンさんですが、彼はイギリス政府からの派遣によって幕末の1860年と1861年の二度にわたって日本を訪れています。日本の珍しい植物を本国に持ち帰ることを仕事とする、いわゆる「プラントハンター」(植物収集家)です。

 プラントハンターはヨーロッパでは16世紀以降世界各地の行けるところはどこでも訪れて有用な植物を探して歩きました。そしてこの時期、日本が開国したと言うことで何人ものプラントハンターが日本を訪れているのです。

 ペリー提督による黒船来航が1853年で、日米和親条約が結ばれたのが1854年の3月、そしてその年の9月には日英和親条約が結ばれましたが、フォーチュンは1860年に初めて日本を訪れています。

 もっとも、まだこの時期は日本の開国の動きを快く思わない攘夷派の武士も多かったわけで、だいぶ力の衰えた幕府による護衛の監視を受けながらの日本探訪でした。 

 フォーチュン氏は、横浜に入港し、江戸を訪問した際には染井や向島まで足を伸ばして園芸屋からいくつもの植物を買い取って収集をしていますが、それらの様子を今で言うエッセイ風に書き記したものが、この「幕末日本探訪記」というわけです。

 フォーチュン氏はこの日本探訪と前後して中国の天津と北京も訪れてそこでも植物収集を行っていますが、この本では日本に関する記事が全体の8割ほどを占めていて、日本の関心を表しています。

 外国人の目から見た日本の風俗に関しては、先に述べた「逝きし世の面影」でも何人もの外国人による記事が引用されていますが、このロバート・フォーチュン氏の「幕末日本探訪記」の特徴は、プラントハンターとして日本を季節の植物と園芸文化の側面から捉えていることです。

 今は染井霊園になっているあたりの染井村では、アロエやサボテンなどを見つけて、「これらの南米の植物は、シナではまだ知られていないのに日本へは来ているのである。実際それは識見のある日本人の進取の気質をあらわしている」と驚いています。

 また、イギリスでは斑入りの植物はアオキしか知られていなかったのに対して日本では、斑入りのラン、斑入りのシュロ、斑入りのツバキ、そして斑入りの茶まである!と歓喜の声を上げています。

 花好きの国民性としては、「日本人の国民の著しい特性は、下層階級でも皆生来の花好きであると言うことだ。気晴らしにしじゅう好きな植物を少し育てて無上の楽しみとしている。もしも花を愛する国民性が人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人々は、イギリスの同じ階級の人たちに較べるとずっと勝って見える」としています。
 
 この当時の江戸の庶民がいかに自由で花好きをほしいままに町を飾り、それを無上の喜びとしているかが驚きをもって描かれています。こうした花の文化で日本を捕らえているのがロバート・フォーチュンの文章の特徴です。

 昔の表現から今の植物へと和訳をするのは大変だったでしょうが、しっかりとした訳で表現されています。

 150年前の祖先の姿を花の文化を通じて見て取った記録。機会があったら是非ご一読ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「亭主力」とはなにか

2010-04-21 23:36:00 | Weblog
 本を読むだけでいろいろなイザコザが解決するなんて事があるのでしょうか。

 そういうタイトルがあると思わず目が行くというのは情報提供者の作戦だと分かっていても、つい「なんだろう?」と思うのは仕方のないところです。

 家庭内のイザコザ解決…って、ほー、どんなものなんでしょう?


---------- 【ここから引用】 ----------
【プレジデント・ロイター】家庭内のイザコザを一夜で解決「亭主必読」虎の巻
夫婦関係:「わが家の困った!」を救う書物ガイド プレジデントフィフティプラス 2009年7.15号別冊
 http://president.jp.reuters.com/article/2010/04/19/DDACF96E-4794-11DF-AC90-050A3F99CD51.php


 亭主の心構え次第で、熟年夫婦の危機はいとも簡単に回避でき、セカンドライフがより楽しいものになることを確約しておきたい。
             全国亭主関白協会会長 天野周一


 このページに目がとまった貴殿はなんと運が良いのだろうか。不肖、天野周一、全国7500名の会員数を誇る全国亭主関白協会の会長である。夫婦関係論を述べさせていただくなら右に出る者はいないと自負している。なぜならば、夫婦間に横たわる様々な問題はあまりにも恐ろしくて、誰も語ろうとしなかったからだ。だが亭主の心構え次第で、熟年夫婦の危機はいとも簡単に回避でき、セカンドライフがより楽しいものになることを確約しておきたい。

 あれだけ愛し合っていた2人が、いがみ合い、罵り合うようになるのはなぜだろうか。この永遠の謎を解くカギは、2つの真実を理解することから始まる。それは、結婚とは、一番合わない者同士を結びつける神のいたずらであり、その試練を乗り越えた者だけが永遠の愛を手に入れることができるということ。

 そしてもう一つは、その神こそ誰あろう、あなたの奥様であるということだ。神でなければ、どうして毎日毎日、手を替え品を替え亭主に試練を与え続けることができようか。そういう意味では、まず神の正体を知ることが先決である。敵、じゃなかった、「神を知り己を知れば百戦危うからず」である。

 それには『ああ正妻』(姫野カオルコ著、集英社)を読まねばならない。現代における「悪妻」というものを小説化した本である。主人公の小早川正人氏を自分に置き換え、妻の雪穂さんを自分の奥様に置き換えて読むだけでいい。雪穂さんは、見事な悪妻であり、誰もが亭主の小早川氏にシンパシーを感じるだろう。それはあまりにも浅はかな読後感だと言わざるをえない。女性が妻になれば、多かれ少なかれ雪穂さん的要素が出てくるものである。それこそが女性の可愛さであり、逆に魅力であると受け止めるべきなのだ。妻ほど可愛い生き物がこの世にいるだろうか……機嫌の良いときは。

 この本で女性の本質の一端を学習したら、余韻さめやらぬうちに、『妻を愛するということ』(生井利幸著、WAVE出版)を熟読しよう。本書には円満な夫婦を目指すための日常的なやりとりが書かれているが、作者はきっぱり言っている。「妻を大切にする夫が幸せになれる」と。そしてたたみかける。「今こそ、あなたは、あなたの妻を“世界一幸せな女”にしてあげて下さい」。ある人が言った。結婚とは判断力の欠如であり、離婚とは忍耐力の欠如、そして再婚とは記憶力の欠如である。言い得て妙ではあるが、それは結婚をゴールととらえた視点なのだ。

 読めばわかるが、夫婦の危機の原因はすべて亭主がつくってきたことに気付くべきであろう。そう、結婚とは本物の夫婦になるためのスタートにすぎないことを再認識させられる良書である。

 それよりも何よりも、この本の帯に大きく書いてある、「妻は、なくてはならない存在である」という活字が役に立つ。私は、夫婦喧嘩の後に、表紙を愛妻の目につくところにさりげなく置くことにしている。何度命拾いしたことか。

 そこで、仕上げは拙著『亭主力』(角川SSC新書)をサクッと読むだけだ。夫婦や家族関係の本は、非常に真面目に書かれているのが普通ではあるが、唯一、この本だけが心底笑え、しかも号泣する本と断言しておこう。著者本人が言っているから間違いない(笑)。拙書を貫いている、“家庭内のイザコザを一夜にして解決する心とワザ”は、実践で必ず役に立つ。亭主諸君、くれぐれもご自愛召されい。

---------- 【引用ここまで】 ----------

>夫婦の危機の原因は全て亭主が作ってきたことに気づくべきであろう
 
 「全て!」というのがすごいですが、立ち読みくらいしてみましょうか。

 最後に紹介された『亭主力』は読んでおいたほうがよいのかなあ。「心底笑え、しかも号泣する本」って一体どんなものでしょう。

 あー、なんだこの記事を書いた天野さんご自身の本なんですね。上手な宣伝です。
 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする