北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

グランスタ~ここまで来たエキナカビジネス

2007-10-31 23:39:38 | 東京ウォーク
 用事があって東京駅に降り立ちました。目的の時間までは少し余裕があったので、つい最近東京駅にオープンしたという駅ナカのショッピングセンター「GranSta(グランスタ)」を見学してきました。

  

 商店街は駅前というのが当たり前で、駅ナカでの買い物といえばせいぜいキオスクやお弁当屋さん、立ち食いソバというのが昔の駅のスタイルでした。

 しかしここへきて、せっかく通行している電車の乗降客を買い物客として見過ごす手はない、というので駅ナカのお店が充実する動きが旧でした。

 そういう意味で、もともと東京駅はおみやげ屋さんは食事どころも充実していたのですが、『洗練されたショップを集めて駅に魅力あふれる買い物スポットを作る』という明確なコンセプトの一角が作られるようになりました。

 JR東日本ではこの駅ナカでの小売りという形態を、2005年の2月にJR大宮駅でスタートさせました。JRの発表では『駅全体の環境空間や機能を見直し、駅構内開発小売業(エキナカビジネス)という新しいビジネスモデル』ということで、その第一号が『ecute大宮』です。

 第2号は2005年7月のecute品川、第3号は2007年10月のecute立川、そして第4番目に登場したのが東京駅でのグランスタというわけです。

 他の駅ナカのホームページを見ると、アクセサリーや小物を扱うショップも入っているのですが、東京駅のグランスタは全部が飲食のお店。

 それも和洋菓子、総菜・弁当などのお店をできるだけ固めて、同業店の集合による賑わいをねらったお店の配置になっています。

 弁当を買おうと思うと、向かいにも隣にも似たようなお弁当屋さんが並んでいて目移りして、結構迷うのが楽しかったりするものです。お客の心理をつかんだ上手な商売をしていると見ました。

  

  

 また全体のデザインも洗練されていて、目の肥えた東京の若い女性たちにも人気が出そうです。

    ※    ※    ※    ※ 

 ここグランスタは駅で言うと地下二階にあたります。買い物に疲れた人には休憩コーナーも用意されていますし、新しい待ち合わせ場所としての新しい『銀の鈴広場』もできました。

  

  

 ステーションコンシェルジュという案内所もあるし、有料ながら手荷物を預かってくれるクロークまで用意されています。

 あまりに好調なため、固定資産税強化まで話題になるようなエキナカビジネス。駅の外にある八重洲一番街商店街の行く末がちょっと心配ですが、東京駅のグランスタは一見の価値がありますよ。

 
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公園でキャッチボールをしよう

2007-10-30 23:24:16 | Weblog
 今日は都市緑化月間を飾る、都市公園全国大会が日比谷公会堂で開催され、出席してきました。

 この大会はもう51年も続く伝統ある大会で、主催者は社団法人日本公園緑地協会。全国の都市公園や緑化など緑に関わる団体や地方自治体から多数の関係者が参加して、都市公園・緑化行政に関する意識をさらに高めようというものです。

  


 こういう大会には大抵客寄せの講演会やアトラクションがつき物ですが、今日は三人の著名人による鼎談が催されました。

 三人のうち司会・進行を務めるのは涌井史郎さんという方で、造園家から今は桐蔭横浜大学教授となり名古屋で開かれた「愛・地球博」の会場演出総合プロデューサーとしても活躍されました。
 今は日曜日の朝8時からTBSテレビ系列で放送されている「サンデーモーニング」でコメンテーターとして登場しています。

  

 次はスポーツキャスターの田中雅美さん。水泳選手としてアトランタ、シドニー、アテネの三つのオリンピックに平泳ぎの日本代表選手として出場。シドニーでは400mメドレーリレーで日本の銅メダルに貢献しました。彼女は北海道生まれだったんですね、知らなかった。

 最後は日ハムの元監督で愛称は「親分」といえば、ご存知大沢啓二さん。ガラッパチな話し方でいまだに人気がありますね。

   *   *   *   *

 このお三方での鼎談ですが、テーマは「キャッチボールのできる公園づくり」。実は今日の司会の涌井さんが中心となって、日本にキャッチボールができる公園を取り戻そう、という運動を行っているのです。

 今日は都市公園を作ろう、という大会なのですが、公園を作っても実は管理面でキャッチボールを禁止している公園がほとんどなのではないでしょうか。

 それは、ボールがそれると道路に出てしまうような、キャッチボールができるような備えになっていないという設置面での不備もあるでしょうし、むやみにキャッチボールをされると危ない、という管理面での苦情もあるでしょう。しかしそれはまた、公園は本当は利用者のもののはずなのに、利用者同士のコミュニケーションが取れなくて、トラブル調整が利用者間ではできないということに原因があります。

 そこで涌井さんたちが中心となって、社団法人全国野球振興会理事長である大沢親分に相談をして、ここの全面的協力の下に「キャッチボールのできる公園づくり推進協議会」という組織を作り、全国でイベントとして公園でキャッチボールをするという運動を展開してきたのです。

 平成18~19年度にモデル事業として、全国29箇所の公園で行、全国野球振興会に参加している元プロ野球選手などの力も借りて公園でキャッチボールをして、大好評を得ているのだそう。

 実際そうやってやってみると「イベントじゃなくて恒例化して欲しい」という要請が相次いでいるとのことで、いよいよ意を強くしてこれを国民運動に展開したい、とみんな張り切っています。

    ※    ※    ※    ※
 
 そもそも「キャッチボールをする」という事自体になにかロマンがあります。

 大沢親分は「キャッチボールというのは、相手が受けやすくて投げやすいところにこちらが投げる練習なんだ。俺なんか野球と出会わなかったら、本物のオヤブンになる素質があったね」と会場を笑わせました。

   

 涌井さんからは「今は子供達の中から三つのま(間)が無くなったように思います。それは、時間、仲間、そして空間の三つです。特に父親とのコミュニケーションを取る上でキャッチボールというのは良いですよね」という発言。

  

 田中さんからは「私たちが子供の時もまだ友達は家の外にいました。私もシドニーの時に調子のピークを持って行けなくて個人では記録が全く出なかったのですが、メドレーでは助け合って銅メダルが取れました。そういう仲間を作ると言うことの大切さを伝えたいです」と語られました。

  

 どうでしょう、公園でキャッチボールをして心が通う時間を過ごしてみてはいかがですか。

    ※    ※    ※    ※

 佐藤倫朗著「いつもキャッチボールが教えてくれた」(東洋経済新報社)にはこんな一節がありました。

 『日本では野球ほど普及したスポーツはないかも知れない。しかし、一般に普及しているのはキャッチボールというべきだ。これはもはや野球から独立して別種の国民スポーツと見るべきではなかろうか(坂口安吾/作家)』
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首都直下型地震に備える

2007-10-29 23:48:11 | Weblog
 帰省の飛行機の予約を忘れていて、仕方がないので空席待ちができる便に登録をしておいたところ、朝にメールが届いて予約が取れました。もっとも、28日の夜などというまことに都合の良い便は到底取れず、前日の夜にしました。
 御用納めは休暇を取る羽目に。


 今日の夜は「首都圏直下自身・震災復興グランドデザイン研究会」に参加してきました。

 首都直下型地震は、元禄関東地震(1703年)、関東大震災(1923年)という、2~300年間隔でマグニチュード8クラスの地震が襲うということがある程度分かっています。しかしこのタイプの地震は今は静穏期にあって、現在の震災対策の対象にはなっているものではありません。

 対象としているのはこの2~300年間隔の大地震の間に散発的に発生するマグニチュード7クラスの地震。1854年の安政の大地震もマグニチュードは7と推定されていて、この散発地震の一つと考えられています。

  

 首都に直下型地震が起きると、その被害は、首都中枢の機能に障害がでることが予想されます。つまり、人・モノ・金・情報(データ)などの被災、喪失があり、経済被害の波及が膨大です。

 首都東京には人もモノも集中しているのでその被害は甚大。避難者は最大で700万人、帰宅困難者も最大で650万人に達すると言われています。

 そこで最近は「事前復興」という概念が生まれてきています。

 震災の前に何をやっておけばよいか。震災時の被害を予想して復興マニュアルを作るということは重要で、東京では平成11~12年にかけて復興のグランドデザインも作られています。

 阪神淡路大震災では、被害にあった人たちに対して復興対策として区画整理を提案し、生活再建に心を奪われている被災者から批判を浴びた、ということがありました。

 これだけの被災と、そこからの復興の経験がなかったことが災いしたわけですが、この経験から「被災したときにはこのようなまちづくりによって復興を進める」という事前のアナウンスはそれなりに意味があることでしょう。

 また、地震で発生する被害を想定して、それと比較してより少ない予算で事前に災害が拡大することを予防するようなまちづくりもあるのかも知れません。

 後からお金をかけるかそれとも前にかけるか、という時間差の問題だということで片が付く議論なのかどうかはまだ分かりません。しかし地震で失われるモノの価値を考えると、事前の投資も十分検討に値すると言えるでしょう。

 この研究会では若手の研究者やコンサルタント、まちづくりの専門家たちも参加して、今後2年間ほど勉強や意見交換をしてみて、社会に対する提言をまとめ上げようと言うことになっています。

 なんでも勉強ですなあ。 
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雑司ヶ谷の宣教師館

2007-10-28 23:30:41 | 東京ウォーク
 朝から快晴。5階の宿舎からは雪をかぶった富士山がくっきりと見えました。やっぱり綺麗だなあ。



 今日は西側で山手線の外を巡ってみようと、いつものとおり春日から出発。途中で豊島区の南端部の雑司ヶ谷界隈で、『雑司ヶ谷旧宣教師館』を探索。地図にはあるものの、周辺は込み入っていて分かりづらかったのですが、やっとのことでたどりつきました。

 ここは、明治40年にアメリカ人宣教師のマッケーレブという方が、自宅として建てたもので、豊島区内に現存する最古の近代木造洋風建築であり、東京都内でも数少ない明治期の宣教師館として大変貴重なものなのだそうです。



 マッケーレブさんは明治35年に新婚の奥さんデラさんと日本に渡り宣教し活動を行いましたが、明治40年からはここ雑司ヶ谷に住んだのだそう。その後約50年にわたってキリスト教の布教に努め、多くのヒューマニズムあふれるエピソードを残しています。

 この建物も、その当時は回りは畑でこの建物だけが一際目立っていたのでしょうが、関東大震災以降は周辺に家が建ち始め、住宅地の中にあまり目立たない形で残っているのです。
 戦災でも周辺は焼けてもこの家だけは残ったそうですよ。

 ここは今は豊島区が管理する資料館のようになっていて周辺の歴史や情報なども提供する場所になっています。

 展示方法で、なるほど!と思ったのが、様々な情報を多くのページにしてめくれるような冊子にして置いてあったこと。普通は情報を詰め込んだパネルをつくってそれを壁に掛けるところですが、こういう冊子の形であれば、情報を増やしたり表現を変えたりするのも簡単です。
自分で好きなところを見ると効率的です。これは良い方法ですね。



 雑司ヶ谷周辺は大正時代のプロレタリアート文学の著名人に縁の多い土地柄なのだそうで、そういう文化マップも飾られていました。
 以前トキワ荘を紹介したときに触れた手塚治虫さんは、トキワ荘での住まいを藤子不二雄さんに譲って、こちらの雑司ヶ谷の並木ハウスというところに移り住んだのだそうで、そんなことも紹介ページに載っていました。





 身の回りの文化を大事している様子が伝わってきました。

    ※    ※    ※    ※

 そんな風に今日も東京を巡り、家に帰ってきてから、今日解禁になる年末12月28日の飛行機の予約を忘れていることに気付きました。

「しまったー!」と思ってネットで探してみても、良い時間帯の便はもう満席。特に値段の安い便はもう空きがありません。

 とりあえず空席待ちをかけておいていますが、どうなりますか。まずいなあ、うーむ…。

 
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戦略的である、ということ

2007-10-27 20:56:58 | Weblog
 関東沖に台風が近づいているのだそうで、朝から暴風雨。さすがに外出は控えて家仕事です。

中国へ行っている知人に、中国と日本の間で、ものの考え方の違いについて訊いてみたところ、こんなコメントが返ってきました。

    ※    ※    ※    ※

中国について、次の3つを感じています。
1)戦略好き。
2)追い込まれることを嫌う。常に選択の余地を残したがる。広く布石を打つことを好む。
3)『原理原則』は曲げない。しかし、『暫定措置』により大胆な妥協をし、新たな状況に対応する。先送りに利があると思えば、大胆に先送りする。

こんな気風が国家としての意思のようなものを強く感じさせることにつながっているのだと思います。

    ※    ※    ※    ※

 なるほど、長い歴史を経て蛮族の侵略を受けながら歴史を刻み、人間力を磨いてきた国のお国柄はこういうところに現れるようです。

 戦略的とはどういうことか、ということについて友人との会話。

「戦略的というのはどういうことなのかな」と知人。
「うーん、たとえば電車で席が空いていれば座る、ということではないかな」

「それはどういう意味?」
「次の駅でお年寄りや障害のある人が乗ってくるとするだろう。そんなときに座っていれば席を譲ることができるじゃないか。席が空いているのに自分は我慢して立っていると、若い学生さんに座られてしまったり、ということは良くあること。そんなときに心の中で(この子が席を譲ってくれないかなあ)と思ったり、『席を譲ったらどうだい』と言っても、そうなるとは限らないだろう」

「そうだな」
「でも自分が席に座っていて譲ることができる立場にいれば自分の意思の通りになるものだ。戦略的な立場にいるということは、自分が思うとおりになるような立場にいるという事だと思うよ」

 ちょっとしたことにすぐ抗議をするというのも、それで相手が消極的になるのなら意味があるというもの。

 日本人の国民性は「武士道」が好きで、一度原則を決めたらそれに合わないことをヒステリックなまでに原則に合わせようと追求しようとするところがあって、戦略的な思考や行動が苦手のように思います。

 もう少し視野を広げることが大事なのではないでしょうか。
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うれし泣き

2007-10-27 01:23:03 | Weblog
 午後になって、普段は電話などかけてこない長女から携帯に電話が。

「もしもし、お父さん?」
「おう、どうした」

「試験に受かってた…」
「お~、そうか…、良かったなあ」「うん…(TーT)」

 娘に就職採用試験の合格通知が来たのでした。電話の向こうはもう涙声です。

「お母さんには?」「今電話した」

 私の方は、唐突な知らせだったので、(こういうときはやっぱり父親より先に母親に電話をするもんなんだな)などとなぜか変なことを考えていました。

 娘の試験は一次試験があまりよくなくて、半分あきらめていた時期もあったのですが、なんとか二次試験にたどり着いて、今日はなんと嬉しい合格の知らせです。よかったなあ。

 娘の場合、一時学校へ行けない時もあっただけに、そのときのことを思うと今こうしていることが夢のようです。思い返せば随分たくさんの人に支えてもらいました。そういうたくさんの人への恩返しができるスタート台に立てたということでしょうか。

 心配してくれる人、手をさしのべてくれる人、遠くから見ていてくれる人…。そういうたくさんの人の縁のおかげで今こうしていることができる。そうした人たちへの感謝を忘れずにいて欲しいと思います。

 私からもお礼を申し上げます。ありがとうございました。
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コンパクトシティになるために

2007-10-26 00:47:53 | Weblog
 コンパクトシティの続き。

 コンパクトシティという言い方は、いろいろな意味を含んでいるので、「コンパクトシティ?いいですねえ、これからはそうでなくては」と言う一人一人の頭の中には様々な都市像が描かれているに違いありません。

 しかしそこからなんとなく浮かんでくるイメージは、郊外に広がった一戸建て住宅地から、都心近くの集合住宅に移り住んで来るというものです。

 それは一つには郊外に住むお年寄りは高齢化が進むことで車の運転もできなくなり、今のように車がないと逆に生活しづらい層の人たちが、暮らしやすい場所に移動してくるだろう、という予想です。

 特に北海道などでは、冬期の除雪もあって、お年寄りの一戸建て住まいは雪かきなどが大変なのに、次第に都市サービス力が衰えてくると、集合住宅に住むほうが便利に感じるのではないかということです。

 とくに介護の助けを借りて生活するようになると、介護機能を備えた集合住宅に魅力を感じることになるのではないか、ということです。

 高齢化と人口減少が同時に進行すると、郊外のお年寄りは市内中心部に住むようになり、郊外住宅が空いてくると予想される → 郊外の一戸建ての資産価値が下がる → それでも若い世代は一戸建て指向がまだ強いので、郊外に住みやすくなる → 郊外は案外減らないかも → 魅力のない地域の集合住宅地から郊外への人口移動か…。

 何が人口の移動を後押ししたり引っ張ったりするのでしょうか。

 地域の不便さや家賃の高さ、交通利便性、買い物不便性などの不満はそこから離れる力となりうるでしょうし、逆に地域に魅力のあるところは人口が増えてくるでしょう。

 そういうときの地域の魅力とは、単純な中心からの距離ではなく、環境だったり、良い学校があったり、交通が便利だったりなど、かなり多様なことでしょう。

 お年寄りにとって不便な郊外住宅も、『住宅すごろく』の上ではまだまだ『上がり』と感じる人が多いに違いありません。子育て世代にとっては、近くによい学校があるかどうか、ということが居住地を選択する重要な要素だったりするでしょう。

 お年寄りだって、単なる不便さはあっても、その地域で長く暮らしたご近所づきあいがあればいまさら見ず知らずの土地に行くことが最良の選択とも思えません。

 つまり、マクロで見たときに人口減少と高齢化が進んでも、居住人口の変化は緩やかなものになると考えられます。逆に、犯罪が多かったりするような地域の魅力に欠けるような地域は一気に減少が進むかも知れません。

 コンパクトシティを実現させようというのは簡単なことではありません。

    ※    ※    ※    ※

 私は、規制的な都市計画的手法では人口減少に対処するのが難しく、人口移動を促進するのはまちづくりの手法による魅力作りなのだと思います。

 つまりまちづくりがうまくいけば不便でも人口を減らさずに住み、逆に便利なところでも人口が減るということがある、と言うことです。

 人口が減ることや居住ニーズが減るということが恐ろしいのは、その地域や土地の資産価値が下がるということです。マクロでみた都市の資産価値が下がるということは税収も減少し、住んでいる一人一人の資産も減少するのです。

 都市の資産価値を下げさせないためにも魅力あるまちづくりが必要になるでしょう。収支の均衡だけを求めるような行政経営から、市民を巻き込んで総力を挙げて魅力あるまちを作り上げなくてはなりません。

 そうして魅力によって人口移動を促して、いくつかの核ごとに集積を導くような政策も必要です。

 コンパクトシティとはそういうことなのではないでしょうか。 
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集約型の都市に、というけれど

2007-10-24 23:00:26 | まちづくり
 今日水曜日は職場の定時退庁日。できるだけ残業はせずに帰りましょう、という趣旨の日です。
 こういう日には、外で勉強会に参加するのが良いでしょう。

 今日の勉強会は、国土交通省街路課から担当官をお招きして、「集約型都市構造への再編を目指す都市・地域総合交通戦略」についてのお話。

 つまり、人口減少や少子高齢化という来るべき時代に供えるために、今までの外へ外へと広がっていた都市構造を改めて、機能を集中させるような方向にしなくてはならない。

 それを『集約的都市構造』と言い表して、中心市街地の活性化や自動車に頼らないような都市生活ができるように都市を再編しようという理念なのです。





 今までは「自動車に依存した生活になる」→「道路混雑を緩和するために道路を整備し、自動車に便利な都市作りをする」→「自動車が便利なので公共交通を使わなくなる」→「自動車に依存した生活になる」→…、というサイクルが繰り返されて、公共交通システムがどんどん低下をしてきました。

 自動車社会を便利にすることが住民のニーズだったわけですが、その程度はもう一線を越えてしまっていて、地方都市ほど公共交通が衰退して自動車中心の都市になってしまいました。

 人口減少は特に地方都市に容赦なく襲いかかってくる社会現象なので、もうそろそろ未来を見据えて、コンパクトで便利なまちに都市構造を変えて行かなくてはならない、と皆が思い始めているのですが、この実現はなかなか用意ではありません。

 いまそれを公共交通の地位向上をキーワードに進めようと言うのが今日のお話です。

 実際には集約型の都市構造にすることが公共交通の整備だけで行えるものではなく、同時に都市計画を上手に運用して、むやみな開発をさせないという市街地整備に対する強い姿勢も同時に行わなくてはなりません。

 そしてそのためには、行政、地権者、市民、交通関係者などが、目標を共通に定めて総力戦で挑まなくてはならない、という宣戦布告でもあるのです。
 敵は人口減少と高齢化社会というわけです。

    ※    ※    ※    ※

 しかもそのために残されている時間はあまりありません。公共交通が成立するために必要なインフラ整備は行わなくてはならないし、実行不可能な都市計画であればさっさと見切りをつけるという決断も必要です。

 公共交通には一般に民間事業で行っているので、これに対しては軽々しく補助を出すべきではないという考えが一般的でしたが、それにこだわるあまり結局公共交通が完全に撤退するという事態になると、単純に民間企業が撤退するのと同じと考えるわけにはいきません。なんらかの支援策もそろそろ考えなくてはならない時期が近づいているようです。

 また、中心市街地に車を入れやすくするために市民が公共交通を使わなくなると言う側面もあるでしょう。それに対しては、駐車場をまちなかには作らないとか、利用料を高くする、あるいはまちなかからは自家用車を閉め出す、などという方策だって考えられます。
 あらゆる手だてを尽くさなくてはなりません。

    ※    ※    ※    ※

 しかしこういうやり方には問題もあります。まず、そうした中心市街地だけを見て、公共交通の充実とともにそちらへ誘導しようとしても、まちなかを不便にすると逆にお客さんは郊外のもうできているショッピングセンターにいってしまうのではないか、ということも当然考えられます。

 そのためにはまちなかが魅力ある場所になっていなくてはならず、単に公共交通と自動車だけの問題ではないのです。

 これまでの都市計画法の体系は、拡大しようとする都市をいかにコントロールするか、ということに主眼が置かれていたので、縮小しようとする社会に対して有効に機能しなくなっています。

 都市が拡大するということは経済が拡大するということ、持っている資産の価値が上がる社会だったと言うことです。

 それが持っている資産の価値が下がる社会に向かっていくというときに、どういうやり方だと市民が『喜んで』参加してくれるようなことになるでしょうか。

 人口減少社会での事業は難しい局面に向かうことが予想されるのです。

    ※    ※    ※    ※

 都市計画の事務の多くは地方自治体の自治事務に変わりました。自分たちの街の将来は自分たちの責任で決めなくてはなりません。民主主義の実力が一番試される場面です。

 これまで以上に、自分たちのまちの行く末に一人一人が関心を持たなくてはなりません。
 
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友遠方より来たる

2007-10-23 23:11:14 | Weblog
 札幌から友人が上京。「一杯やろうぜ」と声をかけてくれるのが嬉しいね。

 建築屋の彼は黒川紀章が亡くなったのが残念だといいます。

「なんてったって、あれだけ施主をだまくらかして、造ることを認めさせる能力がすごいんだから。いろいろな建築物を彼はやったけれど、作るだけならやれる人はそこそこいるはず。でも施主に納得させることができたのは彼だけなんだよな」

 へーなるほど、そういう見方がありましたか。

 そういえば彼のほぼ最後の作品である、六本木の国立新美術館にまだ行っていませんでした。まだまだ見ていないものがたくさんありますねえ。

 
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横浜みなとみらい

2007-10-22 23:21:16 | Weblog
 夕方に横浜で打ち合わせ。この時期、年度の半分を終えたところで全国各地の業務の状況を聞き取っておくというものです。

 仕事を終えた後は当然近くで懇親を深めるのが常識。打ち合わせの場では言えないことも、お酒があれば冗談も交えて語り合えます。人間的にも、ぐっと近くなるのがこの時間を共有したかどうか、ということによります。

 横浜の馬車道駅の近くの飲屋街は野毛地区。先週のアド街っく天国でも紹介されていたとか。私は野球を見ていて見逃しましたが。

    ※    ※    ※    ※

 一番近くの中華料理屋さんに入りましたが、『今日は鶏の唐揚げと台湾の紹興酒が半額よ』とのこと。「それそれ、それ持ってきてー!」

 6人でさんざん飲んで食べたと思ったのですがお勘定は一人3千円に届かず。半額の紹興酒はいいなあ。気取らない商売が野毛の良いところです。

    ※    ※    ※    ※

 家までの帰りにみなとみらい地区を練り歩きました。考えてみると、こんなに近くにいながらここを歩くのは初めて。クイーンズモールなどは東京にも引けを取らないエリアデザインがなされています。

  

  

 それでも歩いている人の数がやや物足りないのが東京都の一番の違いでしょうか。

 同じ方向の同僚と歩いていて教えてもらったのが、ここ、みなとみらい駅は、上から地下鉄ホームが見える設計になっているとのこと。エレベーターで降りながら本当に地下鉄ホームが見えることにびっくり。

 なるほど、これもまたエリアデザインの新しい発想なのか。自分だけが知らなかったこととは言え、教えてもらいながら歩くとなかなか感動がありますね。

  

 観覧車が綺麗でした。今度は横浜も少し巡ってみることにしましょうか。

  
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