北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

野遊びの心得は人生を豊かにする

2016-05-31 23:35:37 | Weblog

 先日の原野キャンプでの一コマ。

 持参したシュラフについて、一緒に行った知人から「それって耐寒度が弱いんじゃない?それじゃ今夜は寒いと思うよ」とニヤニヤしながら脅かされました。

「えー?『マイナス二度まで耐えられる』とのことでしたけど」
「その表示温度って『死なない限界』じゃない。もうワンランク上の方がいいね」

「ゴアのシュラフカバーもあるんですけど」
「どうかなー、きっと寒いよー。ウフフ」

 散々脅かされた原野の夜は銀マットを敷いても手足の先が冷たくて、昼間の忠告が強く思い出されました。

 翌朝、「確かに寒かったですけど何とか耐えられました」と多少強がって言うと、横からガイドさんが「これありますよ」と、用意してくれていた使い捨てカイロを渡してくれました。

「あー、ありがとうございます」
 喜んでそれを受け取ると、知人はそれを見て「なんだー、僕はそれは好きじゃないな」とちょっと渋い顔。

 ちょっとだけ後ろめたい気がして「まずいですかね」と言うと彼は、「うん、まあ寒いからしょうがないけど、やっぱり"使い捨て"はこの場に似合わないでしょ」

 せっかくここまで来て何もない自然の原野を堪能しているのに、そこで文明の利器を使ってしまうのが残念なんだと。

「白金カイロならいいかな。そうだ、今回は持ってこなかったんですけど家に小さな湯たんぽがありますよ」
「湯たんぽならいいんじゃないですか。やっぱり道具勝負になるけれど、使い捨てずに今を快適に過ごす工夫って大事だと思うな」

 その日の夜はとりあえず使い捨てカイロのおかげで快適に過ごせましたが、今度から寒い時期のキャンプは湯たんぽ持参で行こうと思います。

「キャンプは暖かく寝られるためのマットとシュラフ、それに雨対策のレインギアが大事ですね。そうしたらあと日中は野遊びと行きましょう」

 そう、キャンプの目的は野遊びでした。


          ◆ 


 現代人は野遊びをして魂を洗濯しないとどんどん汚れがたまってしまいそう。

 釣りは釣れても楽しいけれど、魚を待つ間の会話もまた豊かな野遊びの時間。オートキャンプなどが成熟してきた今日、ステージアップするキーワードは『野遊び』に違いない。

 そのスキルは人生や社会を豊かで意味あるものにします。

 

【スノーピーク流「経営は野遊びだ!」】

 http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16nv/052700009/

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北海道の観光を栄えさせる"ライセンスビジネス"

2016-05-30 23:45:45 | Weblog

 

 二泊三日で参加した「原野キャンプ」。公園のような整備されたところでは絶対に味わえない野趣あふれる時間を大いに堪能しました。

 原野も、質の高いプロと呼べるようなガイドさんがアレンジすればこんなに魅力的な場所と時間に変えられるということを体感して、やっぱり来て良かった。

 東京から参加された方は、「この風景を見せたくて友達を誘って今年も来た」と言っていて、やはり特に都会にいる人たちこそ心から憧れる場所に違いない、と思いました。

 流行りのオートキャンプと違って、見渡す限りの原野風景の中で、車で手軽には来られない秘境だからこそ価値が上がるサービスは、大量販売で大量輸送の旅行商品では得られない価値をもっています。

 しかしこの手の旅は、行政が目標とするような「産業としての北海道観光」とは今は対極にあるものでしょう。

 そこで暮らす生活者と来訪者との関係は、隔絶、交流、迎え入れといった距離感による分類ができそう。しかし「理想はどれか一つ」ではなく、これらが組み合わされる多様なコンテンツ。そしてガイドがビジネスになるのかどうかが重要なポイントです。


          ◆ 


 海外のアウトドア事情に詳しい方と話をしていると、海外ではガイドが同行しなくてはいけない場所やできない釣りがあるということが当たり前で、それに高額の料金を払うのも常識になっているとのこと。

 ガイドを資格ビジネスにして質を高めて育成しつつ、その人たちが生活できるだけのフィーを確実にするのが釣りやフィールド侵入へのライセンスビジネスというわけ。

 キングサーモンやスチールヘッドといった希少な魚を釣るためには、二人で一人のガイドを雇って、釣るためのライセンスを購入するのが当たり前。それが日本では当たり前になっていないのと、漁業との折り合いをつけきれずにライセンスビジネスという形が定着していないのが現状。

 たとえば北海道の川ではサクラマスは釣っちゃいけない魚になっていますが、それをライセンス料を払えば釣っても良いという制度はできないものか。もちろんその裏側にはライセンス違反をした者は厳正に罰するという取り締まりの力が必要ですが、それを誰が担うか、というシステムも問題。

 犯罪を取り締まるという観点では警察が機能するのか、それとも駐車違反の取り締まりを駐車監視員に委託しているのと同じような外部法人がやれるのか。

 「北海道を観光の島にする」

 それならもっと魅力を尖がらせる方法を試行してみるのが良いと思いますし、行政はそういうところにもっと力を尽くすような新しい方策に挑戦してほしい。

 新しい時代にふさわしい観光スタイルを模索してほしいものです。

 

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魂の洗濯~原野でのワイルドキャンプ

2016-05-29 22:30:51 | Weblog

 二日間の御無沙汰ですが皆様お変わりありませんか。

 私の方はこの三日間、一切の電子的なつながりを断ち切って、道北の原野キャンプへ行き、無事に帰ってまいりました。

 この原野キャンプは、知人で北海道指折りのネイチャーガイドさんが主催するまさに原野でのキャンプです。フルの参加ならば三泊四日なのですが、私はそのうち後半の二泊三日に参加。天気にも恵まれてすばらしい時間を味わってきました。

 この原野キャンプとは、文字通り原野の中にテントを張り、そこを拠点にしてカヌー、釣りを中心としたアウトドア活動で時間を過ごすというもの。

 その原野たるや、集合場所から荷物をボートに積み込み一時間かけて移動しなくては到着しない場所で、イタドリが繁茂する窪地を使いますが一年の中でこの時期の四日間しかやらないという期間超限定キャンプです。

 自動車では到底到達できない人里離れた土地なので、テントや衣服はもちろん、水すらも全部持参で、しかもボートに詰める量にはかなり制限があります。

 しかし料理などは一流のネイチャーガイドが三人でサポートしてくれて、ワイルドな野外料理の三食付き、飲み放題付き、カヌー、釣りはし放題。人工物が一切見えない北海道ならではの原野風景も最高ならば、鳥たちの声に囲まれてのどかな時間が過ぎゆく最高級の時間が味わえました。

 カッコウ、ホトトギスはいいとして、ジェット機が降下してきたかと思わせるようなオオジシギの求愛行動にはびっくり。

 参加者全員が釣りをしますが狙いは何といっても野生のイトウ。11人のゲストのうち4人がイトウを見事にヒット。すかさずガイドが大きなタモ網をひっつかんでカヌーを漕ぎだし、ランディングをサポートするのですがそれもまた見事。

 釣った人の達成感はもちろん最高ですが、そのカヌーの操船技術一つを見ていても「プロガイドとはこういうものか」、とその動きに感動を覚えずにはいられません。
 
 全員でカヌーでの川下り川上りをしながら風景を楽しみ、酒を楽しみ、初めて会った人たちとの会話を楽しむ。何もない原野での時間は魂が研ぎ澄まされて、細かいことはどうでもよくなります。


          ◆  


 北海道は原野ばかり。地方の自治体はどうしたら地域振興ができるかを一生懸命考えていますが、なかなか答えは見つかりません。
 
 こうしてみると原野も立派な資源、いや原野だからこそ都会の人たちが憧れる時間を提供できるということがあるのではないか。

 ただし、そんな自然と人を結び付けるには確実な力量を持ったインタープリター(翻訳者)として、自然や時間を楽しさに結び付ける仲介者としてのガイドが必要だということ。

 観光振興とは大手の旅行代理店が商品としての旅を売ることだ、と思いがちですが、そういう概念ではとらえきれない自然の楽しみ方をしたい人たちがたくさんいる。そしてどうもそのあたりに、需要と供給、あるいは人材のつながりのミスマッチがあって、求める人にうまく縁がつながらないようだ、というのが私の見立てです。

 一人の若いガイドさんが言っていました。「この仕事をしていると、夜寝ていても意識があるというか、何かあると飛び起きれるような意識レベルになっちゃうんですよ(笑)」

 そこまでのレベルでサポートしてくれるガイドに、都会の人たちなら一日何万円も払います。そういう時代がすぐそこに来ていそうでなかなかたどりつけない。

 行政の課題、情報提供の課題、人のつながりの課題…などなど、二泊三日の原野キャンプでしたが、キャンプ仲間たちとの会話の中にたくさんのヒントがありました。 

 ガイドさんたちは次のキャンプガイド先へと向かってゆきましたが、我々は夜になってわが家へ到着。さて体も精神も娑婆にもどれるのかなあ。

 
  ※諸般の事情により、現地を特定するご質問にはお答えできませんのでご容赦願います。

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素人とプロの違いを知る旅に出てきます

2016-05-26 22:44:46 | Weblog

 今月の日経新聞に、「人手不足で規制緩和 保育士比率下げ・ガイド通訳資格不要」という記事がありました。

 これまで私たちの社会は、は資格要件を厳格に運用していてサービスの質を保とうとしてきました。ところが人口減少によって有資格者が増えないことで、そもそもサービスそのものが提供できないという事態が発生しています。

 この問題を解決するためには、サービスの質を落としてでもこの世界に人を呼び込む必要があり、そのためにはこれまで門戸を狭めていた資格要件を緩和する必要が出てきたというわけです。

 記事では保育士と外国語で観光案内をするガイド通訳について、資格がなくても業務をできるようするという内容が掲載されていました。

 今まで資格を取るために一生懸命勉強してきた人たちにとっては肩透かしというか、「今までの苦労は何だったのか」という声が聞こえてきそうです。

 先日の榛村さんとの問答の中で私は「人口減少局面では、一人ひとりが二役も三役もこなして社会参加をして支えなくてはならないのではないでしょうか」と問いを発しました。

 すると榛村さんは笑いながら、「それじゃ社会全体が素人ばっかりになっちゃうね」と言いました。確かにプロがプロの力量でやっていたところに人数が足りないからという理由で素人がまかり通る社会になってしまうのかもしれません。

 ある意味怖いことですが、そのためにはその世界に入ってからも力量を伸ばすような工夫や取り組みが必要になることでしょう。これも社会の変化です。
 

          ◆   ◆   ◆


 さて、五月に入ってからあちこちへ旅に出てきましたが、明日から二泊三日で道北秘境の旅に出てきます。

 私も参加するのは初めてでドキドキしているのですが、移動はカヌーで宿泊は自前のテント、水道もトイレもない原野の中で過ごします。

 今回の旅は北海道でも指折りのガイドさんが企画・サポートしてくれるスペシャルツアーで、これに憧れて本州からの常連さんも多いとか。今回は東京の売れっ子小説家の方も急きょ飛び入り参加するのだとか。

 主たるアクティビティは釣りなのですが、相手はイトウ。持っているタックル(釣り道具)ではちょっと歯が立たないかもしれませんがいいんです。

 これからの北海道は観光を一つの柱として人を呼びたいと鼻息は荒いのですが、では我々は本当の北海道をどれだけちゃんと知っているのか、と問われるときわめて心もとないのではないでしょうか。

 しかし素人が突然大自然の中に飛び込んでわかるという代物でもありません。我々と大自然を仲介してくれるのがプロのネイチャーガイドの存在です。

 そんなプロのガイドさんが北海道の大自然をどのようにガイドして、もてなしてくれるのか、そんなことを実体験して来ようと思います。


 ネイチャーガイドも明確な資格とはいえないような世界ですが、"資格"の対角には"評判"というものがあります。「資格があろうがなかろうが彼は本物」という世間やファンからの評判こそがプロの証。

 そんなプロの力量も楽しみな明日からの旅。電波も通じないかもしれませんし、電源は取れずもちろんパソコンを持ち込む余裕もありません。

 よって二、三日ブログや各種の書き込みが途絶えることと思いますが、そののちのレポートをお楽しみに。では行ってきます。

 

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「もうあなたがお考えなさい」~榛村さんとの対話その2

2016-05-25 23:45:45 | Weblog

 

 榛村さんとの対談は続きます。

 私が今回榛村さんに聞きたかったことは数多いのですが、その一つが「人口減少下でのまちづくりはいかにあるべきか」ということでした。

 榛村さんは新幹線駅を作ったりお城を木造で復元したりするのに市民寄付を募り見事にそれをやってのけました。しかしそれらは人口がまだまだ増加する側面で、経済の調子が良かったということが背景にあるのではないか。

 だとすると、今日のように人口減少社会の下で首長をはじめ、いわゆるリーダーと呼ばれる人たちはどのようにして社会を導いてゆけばよいのでしょう。榛村さんだったら一体どう答えてくれるだろうか、ということをとても楽しみにしていました。
 そしてついにその問いをする時が来ました。

「榛村さん、かつて榛村さんが市長をされたときと異なり今は人口が減る社会となりました。そのときに生涯学習の思想はどのように生きるでしょうか。また榛村さんならどのようなまちづくりをされますか?」

 すると答えは「お釈迦様が亡くなろうとするときに弟子たちが悲しみながらわんさか集まってきたんだよ」。榛村さんはときどきまるで飛び跳ねたような逸話を話してはぐらかすことがあります。

「はい」
「そしてお釈迦様が死期を悟ったときに、周りの弟子たちが嘆き悲しんで『お釈迦さま、お釈迦様に死なれたら私たちはどうすればよいのでしょうか』と問うた」

「…その答えは…」
「お釈迦様の最後の答えは、『怠ってはならない、怠るな』という一言だったという。しかし『怠るな』とは言っても、何を怠るなというのかまでは言わなかった。思うにそれは『あなたが期待されて社会でなすべきことを怠るな』ということなんだということだろう。もっとも、『あなたが期待されていること』を正しく理解することは難しいのだろうけれど」

 すんなりとは答えを教えてくれないところが榛村さんらしい。いつまでも他人に頼らずに、「もうそれはあなたが考えなさい」ということなのかもしれません。

 
       ◆   


 次の問い。「首長、あるいはリーダーとして大切なことはなんだとお考えですか」。

「…そうだな。人々や地域の声をちゃんと聴いてリードするということだろうな」
「声を聴いてリードする、ですか。なるほど」

「まあもう僕もいい歳になって、妻からは『もう声を聴くのもリードするのも両方おやめなさい』と言われているけどね、はっはっは…」

 人々の声を聴くということは、彼の徹底した現場主義によく表れています。人からの伝聞だけでは頼りにならないというので必ず自分で再確認をして自分なりに理解することを常にしていた人です。

 リードする、という意味では、「榛村さんは新幹線新駅や高速道路のインターづくり、そして掛川城の木造でも復元など、次から次へと市民にテーマや課題を与え続けることで市民に飽きられるような暇を与えなかった、と思うのですがいかがですか」と問いました。

「ははは、それはそうかもしれないね。でもお城に関していえば僕は木造でやれ、なんて言ってはいないんだ。『これからのお城は本物でなくてはならない』とは言ったけどね(笑)」

 
 榛村さんとたっぷり四時間にわたるインタビューは忘れていた記憶をよみがえらせてくれる時間でした。

 世のリーダーのみなさん、大切なことは『しっかりと声を聴いてリードする』だそうですよ。どうかよろしくお願いします。

 

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生涯学習について榛村さんと対談する

2016-05-24 23:45:45 | Weblog

 今回の掛川訪問は、私の使える時間があってなおかつ榛村元市長さんにも余裕のあるうちに、榛村さんが言い出した"生涯学習"について振り返ったお話を聞きたいと思ったものでした。

 榛村さんも今年で八十二歳になり、また地方行政の一線から退かれて十年以上経つということで、いろいろなことを忘れてしまわないうちに記録や記憶しておきたいと考えたのです。

 もともとは三十代の後半に、森林組合にいて住民が都市へ行ってしまって過疎になる現実を憂い、なんでもかんでも都会志向を再考して都会へ出ずに地方で暮らすことも良いのだと価値観を変えたい、と思ったのが始まり。

「そのためには都会志向の教育を変えなくてはだめだ、と思ったんだよ。それが生涯教育、生涯学習の始まりだね」 そう榛村さんは回顧します。

「すぐに反応は出ましたか」
「いや、それを言い出してからは、地元に残った若い人たちが、地域に残って村づくりをしてきた先人たちの批判勢力になるという負の面がありました。『あなたたちがちゃんとしないから、地域が疲弊した』ってね。そうではないんだけれど、そういう側面があったということだなあ」

「そこから始まって生涯学習の体系が少しずつ出来上がっていったのですか」
「さっき言った森林組合での活動が、政治をする人たちの目に留まって『こいつに市長をやらせてみたらどうか』ということでまとまって偶然市長になったようなものだった。しかし市長になってみると、市民の幸せとか良い地域を考えるうえでいろいろな課題があった。
 そのころから高齢者問題は本人も地域社会も大変になると思ったが、それを乗り越えるためには一人一人の問題として頭を使ってボケないようにすることが基本で、そのためには各人が自分の健康をちゃんと考えることが必要で、それも生涯学習の一つの目的になった。そうやって自覚をもって勉強を続けて、後世に良い地域社会を残すよう貢献して死んでゆこう。そういうことを体系立てたのが生涯学習になったようなものだね」


 そういう意味では、生涯学習という語感から文部科学省が彼らの所管としてとらえた行政領域なのですが、テーマはまちづくりであって、決して教育とか学習ということにとどまるものではありません。

「中央省庁でも、学校教育は文科省の所管なんだけど、それが緑や森林学習ということになると農林省の所管とか、環境教育は環境省が担当するとか、結局教育も各省庁の所管通りの縦割りなんだよ。だからそれらを統合してしっかりとまちづくりにつなげるためには地方自治体が頑張らなくちゃいけないんだよ」

 
      ◆   ◆   ◆


 かつて何度も聞かされた話もありましたが、それでもなお「なるほど」と思わせるような興味深い話もありました。

「榛村さんは地方行政を担わないといけないという責任感が強いように思いますが」と水を向けると、「明治維新って、薩長土肥が徳川憎しで潰したんだけど、潰してみたところで何をどう作ったらよいか、ということが分からなかったんだ」とおっしゃいます。

「考えてみればそうですよね」
「そのときに、うちもそうだけど地方には十代以上続いた家が"豪農牧民官"として『こりゃなんとかしなくちゃいかん』ということで地域を支えた。全国で七~八千軒くらいあったと思うけど、地域を混乱に陥れないようにと頑張って支えたんだよ」

「豪農牧民官…ですか」
「はは、旧自治省は牧民思想と言って、『民を牧(やしな)う』ことが自分たちだという考えだったんだよ。しかし第二次大戦の敗戦によって財閥が解体されたのと、農地解放で豪農が力を失ったね。今は地域社会を支える力のあるような存在がなくなったんだろうな」

 
 エリート意識ではなく、良い意味で弱い民を養うという側面が出されれば良い行政になりそうです。

 榛村さんは「地方の首長はそのまちの中で一番生涯学習をしてどんなテーマでもどこに書いてあるか、くらいはしっておかないといけない、と思ってやってきたがなあ」と言い、一瞬舛添都知事のことが一瞬頭をよぎりました。

 四時間のインタビューでしたが、あっという間に感じました。

 

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道産米が美味しいお茶をつくる

2016-05-23 23:45:45 | Weblog

 懐かしい掛川旅を終えて戻ってきました。
 
 以前掛川へ来たのはいつだったかな、とブログを見返してみると、2013年12月のことでした。二年半ぶりの掛川ということになりますが、記録を取っておくといろいろと便利ですね。

 今日は朝一番で市役所を訪ねて昔一緒に仕事をした職員の人たちと会談しました。市役所を離れて12年になりますが、当時は若かった人たちもそれなりにベテランや重鎮になっていました。これからも掛川市民のために市政を支えてほしいと思います。


    ◆   ◆   ◆   


 お昼には、お茶アンバサダーを引き受けている御前崎市へ行き柳澤市長を訪問してきました。市長はこの春に選挙で当選された一期目の方ですが、「御前崎にはお茶もカツオなどの魚も農産品もあるので、これらをしっかりと情報発信したい」と意気込んでおられます。

 そのために御前崎市茶商組合では、あえてお茶の穫れない北海道に着目して北海道のスイーツとお茶の組み合わせなどを提案。日常の暮らしの中ではお茶のことなんかほとんど考えていないのが道産子ですが、説明されればお茶の面白さと深さはわかります。

 そんな御前崎が一押しなのが"つゆひかり"という品種のお茶。スーパーなどで売っている煎茶はほとんどが"やぶきた"という品種なのですが、その向こうを張って、より緑色が映える"つゆひかり"を推しているのです。

 そんな"つゆひかり"が北海道のお米"ゆめぴりか"とコラボレーションしたのがこの玄米茶。お互いの良さを交えてより魅力を高めています。

 地産地消といいますが、お互いにないものは組み合わせれば良いじゃないか、というので彼らは「互産互消」と言っています。北海道の産物が美味しいお茶づくりの助けになっているというのは実に面白いことです。

 今日も暑い一日でしたが、そんなときは冷茶を大いに楽しみたいですね。

 一泊二日の慌ただしい旅でしたが思い出を確認できたのと、新しい出会いもありました。お世話になったみなさん、ありがとうございました。

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久しぶりの掛川訪問

2016-05-22 23:44:44 | Weblog

 

 今日から一泊二日で懐かしの掛川市を訪問中。

 目的はお世話になった榛村元市長さんと生涯学習についての意見交換だったのですが、その昔の話もたくさん出てきて懐かしい思いをしました。
 詳しい中身は後日お届けしたいと思います。


 夜は昔の知人たちが集まってくれて、懐かしい居酒屋で一杯やりながら旧交を温めました。

 スローライフを共に苦労しながらやり遂げたNPOの仲間や、蕎麦打ちを教えてあげて掛川蕎麦研究会を立ち上げた仲間たちも駆けつけてくれました。

 掛川を離れてから12年。かつての仲間たちも自分も年をとりましたが、一たび会えば昔の話で大いに盛り上がります。

 私が掛川市役所の助役をしていた頃は札幌の自宅へ帰省するのに、新幹線→羽田空港→新千歳空港→札幌駅という行程にならざるを得ず、ドアトゥドアでは7時間以上かかったものですが、静岡空港ができた今日、片道は四時間半になりました。

 これならもっと頻繁に帰省したかもしれません。インフラは行動の様式を変えますね。

 また来たいと思います。掛川よありがとう。

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貯金箱を開けて

2016-05-21 23:45:45 | Weblog

 私の個人パソコンがそろそろ時代に合わなくなってきたので買い替えを決心しました。

 OSもwindows10になったこもあり、パソコンは大体数年で更新していかないとセキュリティが保てなかったりソフトも時代遅れになります。

 これまで使っていたのは釧路市に赴任した時のものなので約6年前のものですが、ショップで見てもらったところ、「なんかパーツの組み合わせが珍しいですね」と不思議がられました。おいおい、お宅のお店で買ったんだよ。

 私はいつも行くパソコンショップがあって、昔は自作もしていましたがサポートをちゃんとしてもらう意味でも、今では組み立てられて売られているものを買うようにしています。

 これまで使っていた6年前のパソコンなんて中古で売れるのかな、と思って査定してもらったところ「うーん、1万円ですね」とのこと。

 ただで処分してもらうことも覚悟していったので思いのほか高値になって下取りを即断し、新しいパソコンを買うことにしました。

 財源は、缶の貯金箱にコツコツと貯めた500円貯金。大体十万円くらいは貯まっていると見越したうえで買いに行きましたが、つい上位のバージョンにしたりパーツを良くしたくなって予算を少しオーバー。

 今まで使っていたSSDにwindows10のシステムを移し替えるのにソフトを買ったりして苦労しましたが、まあなんとか動くようになりました。まだメールが使えなかったり、微妙なメンテナンスが必要でもう少し時間がかかりそう。

 windows10へのアップグレードが強制的だ、という批判もありますが、まあ時代の変化と思って必要な投資をしたもの。時代についていくのも大変ですね。

 


    ◆    ◆    ◆

 
 さて、明日から明後日にかけて一泊二日で掛川へ行ってきます。

 お世話になった榛村市長さんにもご挨拶かたがた、これまでの生涯学習運動についての今日的意義、これからの役割などについてインタビュー形式で意見を交わしてみたいと思います。

 聞けば聖地掛川でも「最近は生涯学習ってあまり聞きませんね」ということのようで、ちょっと寂しい限り。

 掛川では懐かしい人たちに会えると良いのですが。

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それは根性じゃないです。単なる頑固です。

2016-05-20 23:39:44 | Weblog

 

 先日知人と飲んでいて、昔はやっていたけれど今はもうやらなくなった趣味の話で盛り上がりました。

 その典型はスキューバダイビングで、本州にいた頃と違って北海道へ戻ってきてからはとんとご無沙汰です。

「大体小松さんなんて、北海道に住んでいるんだから無理して遠くの暖かい海へ行くよりも裏山のスキー場で憧れの北海道スキーを楽しめばいいんじゃないの」
「そういいますけど、なんだかスキーはもう楽しくなくなっちゃって」

「どうして?」
「もういくらやっても一向に進歩がみられなくってモチベーションが湧かないんです」

「それは頭の中がまだ二十代だからじゃない?もうあなたも還暦間近だよ(笑)。ゆるいスロープを上手に滑るんでも良いじゃない」
「そうですねえ。多分今若い時の気持ちで急斜面に入ったら確実にケガをすると思いますが、頭の中は若い時のままなんですよ」

「まあ敵はその辺にありだな(笑)」


       ◆ 


 続いて話題は家の話に。「単身赴任が終わったのに家の荷物が整理しきれない」という話をしたところ、「実はうちも似たようなことがある」と言います。

「もう子供は独立して家を出たにもかかわらず、その部屋が無駄に子供のモノで占領されているんだ。スペースの無駄だなとも思うんだけど、さすがの妻も『子供が返ってきたときに可哀想だ』なんていって、整理しようとはしない」
「なるほど、うちは娘の部屋を整理して僕の部屋にしちゃいました」

「それは立派だね。うちはなんだか子供たちが小さかった時の家のイメージを拭いきれないね。ハウスじゃなくてホームなんだなあ」
「つまりは自分たちの家族のステージが変化していてもう昔には戻らないのに、昔にこだわっている…と」

「本当にそうかもしれないな。周りが変化しているのに自分の頭の中だけが頑なに変化を自覚することを拒否しているのか」
「さっきの私のスキーの記憶と一緒ですね。もう体のステージは変わっているというのにそれを自覚しようとしないというあたりが」


 そう気づいて二人で爆笑しましたが、考え直すと深い気づきがありました。

 周りはもう変化しているのにそれについていこうとしない頑迷で意固地な気持ちが新しい行動を起こさせない一番の敵であること。

 下手をすると、そういう頑迷さを持ち合わせているということにすらしばしば気が付かないでいること。

 自分の頑固さを根性などの良い気質と思ったり、わざと混同させてごまかしていないでしょうか。

 まさにそれを振り切れるのが「断捨離」です。気が付いた時が行動を起こすとき、ですね。

 

 

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