北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

世代交代は難しい…のか?

2023-10-30 23:13:11 | Weblog

 

 地域には地元を振興しようといろいろな会が作られて、様々な活動が行われています。

 ボランティアの環境整備から、地元の意識を高めるような勉強会、地域にいろいろなインフラ整備を求めるような要望活動など、実に多岐にわたります。

 それらは始まってから長年にわたって熱心に続けられているものが多いのですが、次第に参加者の年齢が上がってきます。

 リーダーも高齢化してどこかで世代交代を考えるようになります。

 そうしたときに構成員の新陳代謝がうまく進めば良いのですが、熱心な会ほど構成員の連帯と紐帯が強くて、後から参加した人たちがその輪に入りづらくなるということもあります。

 結果的に、思いが強く熱心な人たちの集まりであるほど、構成員の新陳代謝が進まなくて構成員の平均年齢が年々上がり高齢化、やがて会員が減って行き、会の活動も低迷してゆくというのが悲しい筋書きです。 

 例えば「次世代に譲る」と称して、会長の座を若い人に譲ったとしても、初期のメンバーが残っていると自分たちの活動との温度差を疎ましく思ったり、逆に任された若い世代の人たちも、活動に常に目を光らせている上の世代がいるとうっとうしく感じることもあるでしょう。

 次世代に委ね、任せたのなら、上の世代はもうそれ以降は会の活動に絶対に口を出さないことです。

 若い世代から敢えて質問や意見を求められたらなにがしかのアドバイスをすることはあるでしょうが、求められもしないのに意見や文句を言っているようでは、新陳代謝は進みません。

 そもそも、構成員の世代が変わるのと同時に、課題の質も変わっているでしょうし、社会情勢も変わっています。

 なにより構成員の世代が変われば考え方や行動様式、使う道具だって変わります。

 何もかもが次第次第に変化している中で、創業の時の思いだけが変わらないというのは柔軟性に欠けてゆきます。

 会そのものの継続が目的化してゆくのも考えものです。

 なんのための会だったのか、始まった当時の思いや課題は、現在の時世に照らしてどのように変わってゆくべきか。

 それらも全て次の世代に委ねなくてはなりますまい。


 初期に会を率いた人たちの目から見ると、次世代はどことなく熱量が少なく、頼りなげに見えるものです。

 いつの世も年寄りは「今の若者は…」と言われながら育ってきたのですから。


      ◆


 自然の野山に生えている植物は長い年月の中でその構成種や個体数が変わってゆきます。

 これを植生の遷移と言います。 

 火山の噴火や火災などで現状の植生群落のない場所ができると、そこには様々な植物が入り込んでゆきます。

 初めには地衣類や苔など土壌に栄養がなくても育つ植物が入りやがて草本類、樹木類などが生えてくるようになります。

 また条件によってはシラカバやヤナギのような陽の光を好む陽樹の種が入り込み一気に陽樹林になるようなところもあります。

 しかしそれらもやがては自らのつくる木の陰に、陽の光がなくても育つ樹木(陰樹という)が入り込み、植生が変化してゆきます。

 こうした植物群落の遷移では、草そのものが木になることはありません。

 陽の光が好きな樹木が、日陰でも育つようになることもありません。

 群落で見ると、草は樹木に淘汰されて無くなって行き、陽樹は陰樹に押されて次第に勢力を失ってゆきます。

 すなわち、自らが変化するのではなく代替わりによって群落がその時代の環境にマッチしてゆくという移り変わりを示すのです。

 人間の集団である社会も、同じように年寄りが若者になることはありません。

 年寄りはその役割を終えれば、好むと好まざるとにかかわらず新しい世代にとって代わられるだけのことです。

 次の世代が前の世代から何を受け継いでくれるのかも全世代がコントロールできるものではありません。

 ただ見守るだけ、いざというときには盾になって守るということで十分ではないでしょうか。

「世代交代は難しい」と言いますが、交代してしまえばそれだけの事だったりもするものです。

 自分たちの役割がいつまでのことなのかの見極めが一番難しいのかもしれません。

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道展を観てきました ~ 人の心を掻き立てる何かとは

2023-10-29 23:13:31 | Weblog

 

 北海道で一番歴史があって規模の大きな公募展、「道展」を観てきました。

 毎年芸術の秋のこの時期に札幌市市民ギャラリーで開催されて今回が97回目。

 元々は「全北海道美術展覧会」と称していたのですが、当時の新聞が「道展」と書いたことでその名前の方が一般的になってしまい、今では協会自らが「道展」と呼んでいます。

 高校生の時に工芸同好会を仲間と共に設立し、当時の美術の先生から金工を教えてもらったことは良い思い出です。

 なので、どちらかというと絵画よりは工芸や彫刻、版画などの方に興味を惹かれるのですが、やはり大きな絵は良いものです。


     ◆

 
 受付を終えて最初の部屋に、工芸作品群とともに最高の賞となる北海道美術協会賞の栄誉に輝く「最後の足掻き」という絵がありました。

 水彩で、牙をむき出しにしたサメの絵ですが、白黒を基調にして大胆な構図ですが、細部は非常に細やかに描かれていてと共に作者の船井勇佑さんは若干19歳とのことで、若いながら大変な才能の持ち主です。

 
 工芸でも絵画でも版画でも、古くからの技法の中で巧みに作られた作品も良いですが、そのジャンルの中で新たな技法を投げかけてみる人に「そう来たか!」と驚きを与えるものもあり、そういう作品を見ると心がざわめきます。

 今回は版画の作品の中で、作者自身の版画を切り貼りした作品が応募され、審査員のなかで物議を醸しだしたという説明がありました。

「そう来たか!」もあれば、案外シンプルな技法で「これでいいの?」というようなものもあり、それもまた作者の意思を表した作品なのですね。


       ◆

  
 油彩の作品の中に道路舗装の割れ目を描いた「滲み寄る」という作品がありました。

 作者は小樽市の増子芳朗さんと言う方ですが、道路舗装の傷みすらこうしてみると人の心を動かす何かがあって、芸術家の手にかかるとそれが人の心を動かす絵になるというわけです。

 絵の中に道路を描いている作品は数あれど、敢えて舗装の傷みを描いている作品に初めて出会いました。

 何でもいいのです。人の心を掻き立てる何かがありさえすれば。

 道展の札幌開催は11月5日(日)までです。

 芸術の秋をご堪能ください。

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稚内・宗谷地域の定点観測

2023-10-28 22:29:54 | Weblog

 

 縁のある町は定点観測が欠かせません。

 お店の顔ぶれは変わっていないか、建物に変化はないか、古くなったり新しくなったポイントはどこか…、などをチェックします。

 地元の人だと毎日少しずつの変化なので気がつきにくいところも、たまに行く人間にとってはその変化が分かりやすいということがあります。

 稚内では今の市役所庁舎の北隣に新しい庁舎を建設中。

 今は基礎工事ですが、やがて上物の姿も見えてくることでしょう。

 昨日の昼ご飯に、稚内塩ラーメンの名店である「青い鳥」に行こうと思いました。

 一応グーグルマップでナビをしながら歩いたのですが、どうも変なところへ案内してゆきます。

 そしてナビ通りに案内された場所には確かに「青い鳥」の赤い暖簾がかかっていたのですが、お店の場所は記憶の中の場所とは違います。

 怪訝な感じで暖簾をくぐり、カウンターに座って「ホタテ塩ラーメン」を注文、味は確かに青い鳥そのものです。

 支払いを済ませてからラーメンを作っていた女性に「青い鳥のお店はここではありませんでしたよね」と言うと、「ええ、今年の7月にこちらに移ってきたんです」とのこと。

「あ、やっぱり。でもどうしてお店の場所を変えたのですか?」
「はい、以前のお店の大家さんが『もう大家をやめたい』というので、そこにいられなくなって急きょお店を探してこちらに移りました」

「以前のお店はあそこで何年やられてました?」
「20数年でしょうか、私が母からお店を任されてもう10年になりますけど」

 子供の時に良く聞かされて、少し成長してからは美味しく味わうようになったラーメン、お店は変われど味は変わっていませんでした。

 
      ◆


 今日は朝から宗谷地域を定点観測しながら札幌へと戻ってきました。

 クッチャロ湖にはもう白鳥やカモなどの水鳥がもう訪れていました。

 枝幸の港で鮭釣りでもしていないかと思って来てみると、鮭釣りは一人もいなくて、チカを釣っているお年寄りが数人。

 しかもみんな入れ食いで爆釣状態。オホーツク海沿いも北よりは南の調子が良いようです。

 
 道の駅もちょっと間を空けると結構リニューアルされて新しくなった外観や内装、さらには売っている商品も洗練されてスマートになっていたりします。

 定点観測って大切なのです。

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信用でお金を貸す ~ 信用事業のルーツは報徳の五常講にあり

2023-10-27 22:44:27 | Weblog

 

 今日は稚内で営業周り。

 普段なかなか会えない人たちと直接会って地域の現状をヒアリングします。

 人口減少、担い手不足など様々にネガティブな条件もありますが、それを前提にして我々はどう課題を解決してゆけばよいでしょうか。

 答えはなかなか見つかりませんが、まずは人に会う事から始めましょう。


     ◆


 夜は稚内信用金庫さんからの依頼で、二宮尊徳と報徳について1時間の講演を行いました。

「ちょうど支店長会議があるので、皆にぜひ二宮尊徳のお話をしていただきたいです」と依頼を受けたのですが、ただ漫然と彼の生涯や人となり、その思想などをお話しても面白くありません。

 実は参加者がお金を持ち寄って、それを借りたい人に貸して稼ぎのスタートアップを支援するという「信用事業」は、そのルーツが小田原藩時代の二宮尊徳に遡ることができます。

 お金を貸してくれるという点だけ観れば銀行も信用金庫も同じように見えますが、銀行は営利団体として資金を運用しますが、信用金庫は会員の出資による共同組織の非営利法人と言う形態になっています。


 実はこうした会員(=思いを同じくする地域の人たち)が集まって資金を持ち寄り、困窮している人に貸して事業を始めさせ儲けてもらって貸した金を返してもらう、というやり方は、二宮尊徳が始めた「五常講」というやり方そのものです。

 二宮尊徳が唱えた「五常」とは、「仁義礼智信」とされ、可哀想に思ってお金を貸す(=仁)、借りたものは返すという心がけ(=義)、支えてくれたことへの感謝の気持ちとお礼金をつける心根(=礼)、借りたお金を活かして儲けること(=智)そして、お互いに約束を守り合うこと(=信)とされ、これらが揃うことで、お金はいつまでも減らずに皆を救うことができる、としました。

 特に、初期の小田原藩では借りた人たちがお金を返さなくなって事業そのものが失敗した、ということもあったようで、そのことにより尊徳さんは、「このお金を貸し借りするシステムを成立するための前提は道徳にあり」と悟ったとのこと。

 後に「経済と道徳の一円融合」と唱えることの経験にこうしたことがあったのでしょう。


 実際信用金庫さんでは、お金を貸すにあたっては「担保を前提にお金を貸すことはない」とされているそうで、「どうやってお金を貸しても大丈夫か判断するのですか」と訊くと、「それが目利きの腕ということでしょうか」というお答でした。

 今日のお話の肝は、地域の会員たちが共同して信用を基礎として支え合う金融システムが信用金庫であり、決して「資金を貸し借りしてお金が儲かる就職先」というようなことではなく、資金融通を通じて地域を支援し救済するための金融団体だというその原点を理解して、改めて事業の意義を感じてもらうということでした。

 
 信用金庫に務めていても、そのルーツとしての「五常講」という単語は聞いたことがない、と言う方がほとんどでしたが、私自身も報徳と信用事業のルーツを今回改めて勉強できて報徳への理解がさらに深まりました。

 もっとも、今回の講演に当たっては、大日本報徳社に五常講に関する資料を依頼したりして頭を整理するのにちょっと時間がかかりました。

 しかしいろいろな課題をいただけると自分もそれなりに勉強してまだ成長できそうです。

 懇親会でもいろいろな感想などを聴くことができ、良い機会をいただきました。

 関係の皆様に感謝申し上げます。

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3カ月ぶりの稚内出張 ~ 今日は暖かい一日でした。

2023-10-26 23:34:18 | Weblog

 

 今日から二泊三日で稚内への出張です。

 前回の稚内訪問は7月だったので3カ月ぶりの来稚で、もう少し頻繁に来たいところですが、なかなか難しいところ。

 仕事が重なるときは重なるもので、一泊では済まなくて二泊することになっています。

 今日は前回の釧路管内での試験施工に続いて宗谷管内での舗装修繕試験施工の立ち合いで、天気が絶妙に良い感じで助かりました。

 地元の方に伺うと、昨夜はすごい雨が降って災害警報も出たほどでしたが今日は気温も上がってお日様も見えています。

 しかし今夜半から明日にかけてはまた雨だろう、とのことで、昨日ではダメでしたが明日もダメ、というなかでの最高の施工日和の今日でした。

 日程を決めてくれた同僚が天気の神様に見込まれているのか、絶妙な日程の設定になりました。

 
 同僚はきょう東京から稚内への直行便で駆けつけてきてくれましたが、「席は8割くらい乗っていた感じでしたよ」とのこと。

 稚内の10月って、もうウニ漁の期間は終わりあまり魅力的な旅行対象がないように思えますが、それでも日本最北の地と言うのはそれだけで魅力的だという事でしょうか。

 
 宿泊したホテルには団体客の方々がどやどやと乗り込んできました。

 ホテルの受付で、「観光客の数も戻ってきているみたいですね」と言うと、「今はそれなりに宿泊代の値付けを下げて企業努力をしています」とのこと。

 最北の地の魅力をもっと発信してほしいところですが、仲間内で話すのは
「もっと飛行機の便を増やして乗客の枠を増やさないとね」と輸送能力への不満でした。

 バスの運転手さんの減少によりバスの減便が話題になっていますが、公共交通で動ける輸送力が減る社会ってどんなことになるのでしょうか。

 地方の観光振興のためにも輸送力の確保は大切なのですが。

 
 稚内の海原を見ていても魚の影は見えません。

 稚内では今年の鮭釣りの季節も終わったようです。残念…

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ベニテングダケを巡る動物たちの争い ~ 滝野公園のおもしろ動画

2023-10-24 18:17:02 | Weblog


   【動画のアドレスは一番下に貼ってあります】

 

 私の古巣である滝野すずらん丘陵公園で撮影された面白い動画が話題になっています。

 滝野公園では過去に何度も園内にクマが出没したことがあり、フェンスを施したり電気柵を設置したりと園内に入ってこないような措置を講じているのですが、その一環で主要なポイントには定点観測カメラを設置しています。

 そしてその延長で、園内の動物の行動や夜の様子など人の気配のないところでの動物たちの様子を定点カメラで撮影し、面白いものを公式ホームページで公開しているのです。

 今回公開されてテレビやネットニュースで話題になったのは10月10日に撮影された動画で、エゾリスがなんと人間には猛毒のベニテングダケをもしゃもしゃと食べる様子が映っていました。

 ベニテングダケは、真っ赤な傘に米粒のようなブツブツがついていていかにも毒々しいキノコで、人間が食べると吐き気やめまいがし、量が多ければ死にも至るというちょっとヤバイやつです。

 しかしそれをエゾリスは前足で押さえてムシャムシャ食べます。

(猛毒なんじゃないの!?)と驚きますが、どうやら野生の動物にはこうしたものに耐性をもっていることがあるようで、驚くべことではないのだそう。


 ところがこの動画には続きがあって、ベニテングダケを移していた定点カメラは、その二日後にエゾシカがリスの食べ残したベニテングダケを食べる様子を捉えていました。

 (エゾシカにも毒キノコへの体制があるのか~)と感心していたら、なんとその次には、エゾリスが再びキノコのあったところに出てきて、食べ残したはずのキノコを探す様子が映されていました。

 リスって本来は忘れん坊のことが多いのですが、このキノコのことは覚えていたようで、楽しみにやってきたらなんと先客に食べられていて、「あれ?あれれ?」と探す様子がなんともコミカルで笑えます。

 この一連の動画はテレビのワイドショーなどでも面白く取り上げられたようで、撮影した滝野公園の担当者の方は「思いのほかバズリました」と反響に驚きつつも嬉しそう。

 
 こういう動画コンテンツが充実してゆくのは滝野公園のような大きな自然がありながら人間による管理運営が充実している公園の貴重な財産であり資源のように思います。

 幸か不幸か、熊の動画も結構たくさん撮れていて彼らの行動の一端をつかむことにも役立っています。

 動物園って、動物単体の姿や生態を見ることができますが、滝野公園の今回の動画のように、動物どうしが食物を介して争ったり競争をしたりするような関係性がわかる姿って動物園では得られない価値があります。

 熊の映像は怖いけれど、エゾモモンガとかシマエナガなどかわいい系の動物や鳥なんかも魅力的でしょうね。

 このような付加価値がもっと増して、環境学習や動植物の生態学習などの教育に役立つとともに、それが観光資源となって場の魅力を増してゆくような活躍を大いに期待したいところです。

【一連の動画】 「ベニテングダケを食べるエゾリスの動画が取れました」
 

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「さもさもしい」って方言を初めて聞きました。

2023-10-23 23:02:04 | Weblog

 

 先日道産子の友人と飲んでいたら、「それ、さもさもしいんだ!」と聞きなれない方言を使いました。

「今なんて言ったの?」
「"さもさもしい"だよ」

「何それ?聞いたことがないよ」
「言わない?さもさもしいってさ」


 私も北海道に生まれて65年が経ちましたが一度も聞いたことのない方言です。

 聞けば、「一見上手そうに見えるような恰好をしているけれど、実はあまり上手ではない」というようなときに使う言葉なんだそう。

「例えばだけど、釣りなんかで、かっこいいウェアを身にまとって道具も良さそうなものを使っているけれど、キャストの仕方を見たら(あれれ、あんなもんなの?)と、思ったほどではないようなときに『さもさもしいよな』っていう風に言うんだ」

 "さもしい"と言うと「あさましい」というような意味になってしまいますが、「さも(上手そうに見せて)」×2くらいな感じでしょうか。

 方言って、その瞬間の様子や感情を表すものなので、必ずしも標準語にうまく訳せないのですが、どうやらそんなことらしいです。

 もし違っていたらご指摘してください。


      ◆    


 さて「さもさもしい」


 どうやらあまり良い意味ではなさそうなので、「さもさもしい」なんて言われないようにする方が良いですね。

 初めて聞きましたが、北海道でもまだ知らない方言っていっぱいありそうです。

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「振り返り」を大切にしましょう

2023-10-21 23:34:18 | Weblog

 

 歳と共に忘れっぽくなったから、というわけでもありませんが、最近は特にいろいろなことを手帳にメモするようになりました。

 年間スケジュール手帳には、仕事の事、趣味の事、親の事、日常の出来事など、気がついたことを細かくメモしています。

 これを見開きで一年を一枚で見られるページに分かるように小さく書くのと同時に、月間予定、週刊予定のところにさらに細かくメモしています。

 趣味などでは、年間手帳と別に「釣りノート」「アウトドア活動ノート」「庭作業ノート」などを作っています。

 特に釣りは、歳を取ってから始めたこともあって毎回新しい気付きや教えられてハッとしたことなどをメモするようにして、次につなげようと努力をしています。


     ◆


 そうしたところ、日能研が開発した「YWT」という振り返りのフレームワークがあることを知りました。

 YWTというのはそれぞれ
Y=「やったこと」
W=「わかったこと」
T=「つぎにやること」の頭文字。

 「やったこと」は、これまでの取り組みを具体的に書き出して、努力・工夫したこと、発見したこと、学んだことなどを確認します。

 「わかったこと」では、考えたこと、気づきなどを書いて、一つのイベントが終わったところで成長した点を確認します。

 そうして「次にやること」では、良かったことは継続し、悪かったことは改善の方法を検討します。

 チームで仕事をしているときなどは、各人がそれぞれYWTを書き出して皆で確認することで、お互いに気がつかなかった人それぞれの価値観や感性に気がつくとともに、コミュニケーションの材料にも使えそうです。

 私がつけている「釣りノート」などはまさにわからなくて恥をかいて、おうぃ得られて気がついて次につなげようとする記録なわけで、(知らず知らずのうちにYWTをしていたのだな)と思いました。

 
 今日は自家用車のタイヤ交換をしました。

 車関係のイベントでは、ガソリンを入れたりタイヤ交換をするたびに、日付、走行距離、きがついたことなどを車ノートにつけています。

 昨年は10月9日に冬タイヤへの交換をしたと記録にありました。

 また夏タイヤでの走行距離は、偶然にも昨年も今年も6,200キロとほとんど同じでした。

 昔の車の記録を見ているだけで、懐かしい思い出がよみがえることもあります。

 振り返りって大切なことですね。

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人材育成は可能なのか? ワークショップで気づきを得よう

2023-10-19 22:54:06 | Weblog

 

 今日は某団体が行った「人材育成パートナーシップ研修」の講師を行いました。

 全部で三日間の研修では、道内のワイン普及活動に携わる方やシーニックバイウェイの担当者、観光業の方、地域の情報発信を行っている方など様々な方たちが講師としてお話をされたようです。

 私はそんな三日間の研修の最終日の最後のコマを担当。

 テーマとして「人間力」を掲げました。

 「人間力」が何かというのは漠然としたイメージのようですが、実はすでに内閣府がこれに関するレポートを出していて、人間力とは、①知的能力的要素、②社会対人関係力的要素、③自己制御的要素、という三つの要素があるとしています。
 ※2003年 内閣府「人間力戦略研究会報告書」
 
 このうち、①の知的能力的要素とは、基礎学力、専門的知識、創造力などが挙げられています。

 ②の社会対人関係力的要素としては、コミュニケーション力、リーダーシップ、公共心、規範意識などがあります。

 また③の自己制御的要素としては、意欲、忍耐力、成功を追求する力などが掲げられています。

 いずれも社会を生きていくうえで高く評価される徳目と言え、これらを伸ばすためにはどうするかという事がテーマです。

 しかしながら、矛盾するようですが、そもそも人材育成などという言葉自信がおこがましい話で、「人材を育成することなどできない」というのが私の考えです。

 人材として周りから認められるような人になるためには、自分自身で何かに気づき、人生のテーマを追求するような情熱/パッションが必要です。

 それを他者が与えようなどと言うのは到底無理なこと。

 そうしたテーマに自分自身が前向きに取り組むようになるきっかけは本人自身の中にしかないからです。

 ただ、なにかに気づくためのヒントの提供くらいならできるかもしれません。
 
 私の講義はせいぜいそこまでと割り切ったうえで、講義の形態は、グループ討議でお互いに話し合う形にすることにしました。


 他の講師の授業の進め方を聞くと、講師のお話を聞くという座学の講義が多いようなので、ただ黙ってお話を聞くよりも、たまにはおしゃべりをして隣の人と意見を交わすという場がある方が良いだろうという判断です。


      ◆


 さて、講義は全部で1時間30分。

 まずは道徳的な心に響く読み物(400文字~1000文字程度)を4編選び、後半は二宮尊徳の伝記的な人となりを示す「二宮翁夜話」から4編を選んで受講生に事前に配布しました。

 そのうえでそれぞれを読んで、まずは前半の4編について意見を交わしてグループの代表者が発表、後半は二宮尊徳の人となりや業績・思想などについて軽く触れた後に、二宮翁夜話からの物語を読んでまた意見交換・発表をしてもらいました。

 それぞれがどれだけ心の琴線に触れたのかどうかもわかりませんが、熱い人生を送った人の物語を読んで自分事として考えることを繰り返すことで、自分の中に何かの気づきなどが起きることを期待するものです。

 まあ受講生の皆さんは笑い合ったり経験を語り合ったりして熱心に話し合ってくれ、またそれぞれが要領を得たまとめを発表してくれました。

 人との会話を楽しみながら、読んだ文章の中に、あるいはグループの仲間の一言になにか気づきはあったでしょうか。

 それは自分でも読書や前向きに生きようとする訓練でできるようになるものなので、今後の受講生の人間力向上に期待したいところです。

 
 ちなみに報徳仕法では、こうした各人がお互いに話し合うことで何かに気づくようなやり方を「芋こじ」と呼んでいます。

 里芋を大きな桶に入れて棒をさしてかき混ぜることで、里芋同士がこすれ合って汚れが落ちるということを指していますが、何かに気づくのは対話の中での自分自身の問題だ、ということを尊徳先生は看破していたのだと思います。

 今日のワークショップも芋こじになったでしょうか。

 

 

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行政も褒めて伸ばしてあげましょう

2023-10-18 21:52:43 | Weblog

 

 先日道内のある自治体を訪問して、道路管理の実態についてのヒアリング・意見交換を行いました。

 こちらの趣旨としては、「道路の維持管理を行政が頑張りすぎずにもっと民間に委託してはどうか」、「やり方としては、様々な業務を一本化して民間に委託する『包括的民間委託』という形がある」というものでしたが、その自治体では「うちでは既にそれに近い形でやっています」という回答でした。

 話を聞くと、業界の受け皿として地元の業者さんが集まって道路維持協同組合を形成していて、パトロールや夏の維持管理、冬の除雪まで様々な業務を一本化して随意契約をしているとのこと。

 しかも一期3年間の契約で、年度ごとにお互いに課題を持ち寄って意見交換を行い改善しているとも。

 自治体の中には、市町村合併による経過措置として、合併前の自治体の管理形態をそのまま引き継いで、契約も旧自治体単位というようなところがあるのですが、こちらは「合併後の全域を対象とした契約で一本化しています」と言います。

 まあ合併した自治体はそれぞれ中心集落が離れているということもあって、それぞれに地域性のある地域業者さんが支えていたという歴史があるのですが、そうした地域業者さんも協同組合の名の下に一本化されているというのは立派なものです。

 いくつもの自治体を巡って、道路管理の課題をヒアリングしてきた私の目から見ても、この自治体の管理水準はかなり高いものがあると高く評価しています。

 除雪に関しても住宅地の細い街路まで効率的に回っていますし、年に一度は路肩に貯まった雪を運搬排雪してくれるのですがそれも余計な地元負担はなく、税金による予算の範囲で施工してくれます。

 札幌市などは「パートナーシップ除雪」という名称で道路脇に貯まった雪を運搬排雪する制度を作りました。

 これは「地域・札幌市・受託業者が、それぞれの役割を分担しながら連携し、生活道路の排雪を行う制度」とされていますが、要はこれを利用したいという町内会に一定の金銭的負担を求めるもので、住民の少ない町内会などからは「負担が重い」という声が上がり始めています。

 現状の市民税だけでは市民が満足するレベルの除雪水準を保てないという行政判断で、市民に負担を求める制度ですが、今回訪問した自治体では「そういう負担を住民に求めずに運搬排雪もしていますので頑張っている自負はあります」とのこと。

 繰り返しますが、私から見ても冬に雪の降る北海道での暮らしを守る自治体としてはかなり高いレベルの道路管理サービスをしているようにみえます。


 ところが担当者は「それでも最近は住民からの道路管理に対する苦情は増えていて頭が痛いです」と言います。

「そういう方は自分たちが他の都市と比べてもより高いサービスを受けているという実感や感謝の気持ちがないということでしょうか」と訊ねると、「クレームをつける方も二極化している」と言います。

 それは「お年寄りでは高齢で『体が動かないのでもっとちゃんとやってほしい』という声や注文で、一方で若い方は他から転入してきた方が『税金を払っているのだからもっとちゃんとやってほしい』というクレームが多いです」とのこと。

「そういう方は他の市でこちらよりはレベルの低い水準の管理も知っているわけですよね?」
「そうだと思うのですが、感じるのは他から移って来られた方には今の地元に対する愛着が少ないのかな、ということです」

「ほう」
「札幌でも古い住宅地ではまだ除雪へのニーズが少ない頃から『自分たちで頑張って支えよう』という機運があるように思えますが、新しいところほど行政に依存する意識が高まっているようです。こちらには割と若い人が移転してくる方が多いので余計にそういうことなのかな、と感じてしまいます」


    ◆


 行政に対してというよりも、地元への愛着が薄いから自ら協力して支えようという気風が生まれない/育たないというのは面白い視点でした。

 そういうことは国全体を見ても、国民が国を/行政を支えようと思うか、もっと貪ろうと思うかによって振る舞いが代わってくるようにも思えます。

 より多くの行政サービスを受けようと思うと、適切な負担も甘受しなくてはならないところですが、そのバランスを社会全体がどう考えようとしているのか。

 今はあまりにも議論が不足しているか、あるいは支えようとしている人たちとむさぼろうとしている人たちのバランスが悪いようにも思えます。

 二宮尊徳は「推譲せよ(自分の余剰を他に譲れ)」と言いましたが、改めてそうした気風の確立が求められるように思います。


 最後に「私は他の都市も数多く回ってお話を聞いていますが、こちらは非常に頑張っているように感じます」というと、担当の方は「褒めていただく話ってほとんど聞きませんので、励みになります」と嬉しそうでした。

 地域を愛して良いところを見つけ出す方が明るい社会になりますよ。

 

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