北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ヌッチ川(余市市)で釣り

2013-08-31 22:22:51 | Weblog

 ここのところ週末に天気が悪い日が続いていてなかなか釣りに行けませんでした。

 ストレスもたまり始めていて、今日も午後から天気が悪いという予報の中、「それなら午前中だけでも」と余市方面へ釣りに行ってきました。

 今日のポイントは、余市市内のヌッチ川。

 

 ヌッチ川とは、いかにもアイヌ語由来の地名らしい名前です。

 家に帰ってきてから、手元にある山田秀三さんの著書「アイヌ語地名辞典」を開いてみましたが、そこでもどうもその意味ははっきりしないよう。

 同署によると、「西蝦夷日誌は、『ノツ。ヌウチ川と云。訳て沙の岬の事なり』と書いたが、それには砂の意味はない。ノッ(岬)を考えた解らしい。あるいはノチ(その岬)と読んだものか。

 永田地名解は『ヌ・オッチ。豊漁場。豊漁をヌーと云ひ、漁獲多き処をヌーウシ或は又オッチと云ふ。ヌツチと云ふは訛なり』と書いた。音から見てむりのない解らしい。

 なお、知里博士地名アイヌ語小辞典には『nut,-i。川が一様の深さでゆるやかに流れている所;とろ』という語がある。『そのヌッ」という時はニチ(nuchi)となる。この川は大川ではないが、ゆったりとした川なので、もしかしたらと思って参考のために書き添えた。』

 と記されています。(以上、「アイヌ語地名辞典」より)

 
   ◆   


 アイヌ語の地名って、本州から来た人にとってはとても不思議な感じがするようで、「それってアイヌ語でどういう意味なんですか」とよく訊かれます。

 すぐに「それはね…」と答えられるとかっこよいのですが、「川はペツとかナイとかいいますね」くらいのことは言えても、細かな地名の全てにスラスラと答えるのはなかなか至難の業。

 実はアイヌ語地名は、北海道遺産の一つにも挙げられていて、北海道を代表する歴史的文化遺産です。

 道庁の説明では、「北海道の地名の約8割はアイヌ語に由来するとされている。アイヌ語の地名は、知らない場所でも、その名から地形や位置づけなどが分かるものとなっており、現在は片仮名や漢字で表記され原音と異なる場合もあるが、本来はアイヌ民族の自然と調和した伝統的生活の中から歴史的に形成された。アイヌ文化の意義を理解する重要な手がかりとなっている」となっています。

 日頃から気になるアイヌ語地名の由来などを勉強しておいて、いざというときにパッと答えられたらcool!ですね。


   ◆   ◆   ◆


 さて、肝心のヌッチ川の釣りですが、護岸に囲まれた中でも大きな石から落ちる瀬があって、それなりの渓相ではあるのですが、いるのは小さな新子(シンコ)ばかりで、フライをつつきはするものの食うにはいたりません。

 たまにかかるのはウグイばかりで、ちょっとがっかりでしょうか。

 最上流の端まで行ってみると、さらに渓相は良くなるのですが、ここでも魚影なし、魚信なし。

 餌釣り者がたまに入っているようなので、もっていかれたのかも。

 堤防が続いていて歩きやすい川なのですが、もう少し魚がいてほしかったです。

 川筋はそろそろ秋の風情が漂ってきました。

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LED化とカセットテープの退場

2013-08-30 23:23:07 | Weblog

 家の中の照明のLED化を少しずつ進めています。

 それまで80w相当の蛍光管で照らしていたところが、LEDの照明だと10w程度の消費電力で済むとは驚き。

 照明の値段もだいぶ下がってきたこともあって、普段使う機械の多いところから順番に交換をしてきました。

 しかし実際に器具の入れ替えを始めると、丸くて鍵のような爪で取り付ける汎用的な天井照明であれば大抵は取り付けが可能なのですが、埋め込み型のしゃれた照明器具にはしばしばサイズの関係でLEDランプが入りません。

 電球タイプの蛍光管は旧来の電球に合わせてあるので、使えたのですが、それがちょっとずんぐりしてゴロンとしているLEDランプでは入らなかったりするのです。

 やがてはLEDランプの形状を標準とするようなタイプの照明器具が優勢になってくるのでしょうが、まだそうではなかった十年前の器具の悲しさと言えるでしょう。

   
  ◆   ◆   ◆


 今日の新聞に、TDKが2014年3月末をめどに大容量データのバックアップに使う磁気テープ事業から撤退すると発表したという記事が出ていました。

 大学生のころまではお世話になったカセットテープでしたが、MDが出たところで、ランダムに曲を再生できるメディアが出たのでは、もうカセットテープの未来はないだろうと思っていました。

 さすがに磁気テープ市場も急速に縮小しているようで、もうこの手のメディアに将来性はないのでしょうね。

 技術の急速な進歩は仕方がありませんが、昔の機械の不便な中にもまあいろいろなロマンがありました。  

 自分の好きな曲を詰め合わせたカセットを誰かに贈ったなんてことはありませんでしたか。

 現実のモノが醸し出すロマンってありますね。

 

 

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尾車親方の悲劇~今月の「致知」より

2013-08-29 23:28:30 | Weblog


 大相撲の尾車親方(現役時代は大関『琴風』関)は、昨年二月に相撲協会の巡業部長に就任をしたのですが、そのわずか二ヶ月後の4月の巡業中に転倒して脊髄損傷、首から下が全く動かない四肢麻痺になっていたのでした。

 しかしそこからあきらめずに手術をしリハビリに励み、今ではなんとか杖を使って立っていられるところまで回復したのだそう。

 それはまさに専門医も「奇跡」と驚く回復力といえ、さすがは土俵で鍛えた精神力と頭が下がります。


    ◆   


 四肢が麻痺していたときには、排泄物の世話も看護師さんにお願いすることになり、それが嫌なのと気力も湧かずに食が細り、一時は25kgも痩せてしまったのだそう。

 そうしてある日、風呂に入れてもらうことになったときには、鏡で見た自分の体が惨めなほど変わり果てた姿を見て愕然とし号泣したといいます。

 しかしんなある日、弟子たちが見舞いに来てくれたときに、「ああ、やっぱり自分はこの子たちを守ってあげなくてはならぬ。少なくとも生きていなければ預けてくださった親御さんたちに申し訳が立たん」と気を取り直し、絶対に頑張ろうと思うようになりました。

 そうして壮絶なリハビリの後、11月の九州場所で杖で歩くほどに回復したのだそう。

 実際はかなり辛かったようですが、相撲とは、土俵の上で体の一部でも痛いそぶりをすれば、そこを狙われるだけの世界。

 現役時代は痛さや辛さを見せずにいただけに、土俵の前では辛そうな姿は見せられない。自分の現役時代など知らない弟子たちには、今の自分が頑張る後ろ姿を見せて、そこから何かを感じ取ってもらうしかないと親方は思っています。


 尾車親方は師匠から、「"心技体"とは、心も技も体も優れていることじゃない。順番なんだと教わった」と言います。

 つまり、心が一番、技が二番、体が三番というわけで、技や体が優れていても、心がだめなやつは相撲がダメだ。心がしっかりしていれば、少しくらいケガがあっても勝てるものだ、と教えられたのだ、と。

 現役時代は、頼まれた色紙に「稽古に泣いて土俵に笑う」と書いていたそうですが、今は「怪我に泣いて、最後に笑う」そんな気持ちでいるそうです。


   ◆   


 今月号の「致知」に掲載されていた、尾車親方の苦難の記事ですが、尾車親方のこの災難は全く知りませんでした。

 気持ちの持ちよう一つで人は変われると言いますが、どん底の逆境からの復活劇。

 心技体の意味が改めてよくわかりました。

 

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都市はスマートになる

2013-08-29 00:50:17 | Weblog

 かつて江戸時代は、江戸から出る住民の糞尿を江戸周辺の野菜農家用の肥料としてリサイクルするシステムを完成させ、衛生環境を保つと同時に食料の調達を果たすというミラクルをやってのけました。

 なかでも江戸の糞尿でも大名屋敷など良いものを食べている地域の糞尿は庶民のものよりも高値が付いたとか、糞尿の値段高騰が野菜の高騰につながったとか、まあ面白い話が満載。

 またそれらのシステムが可能になったのは、桶という国内の産物で作れる軽量の容器が発達したから、という説もあり、いろいろな技術の発達が都市の稠密な暮らしを支えていたのだ、と灌漑深いものがあります。


   ◆   


 さて、ひるがえって現代社会。今日の日経新聞には、日経新聞社が開催した「スマートシティシンポジウム」の様子がまとめられた広告記事が掲載されていました。

 実際に参加していればもっと詳しい話も聞けたのでしょうが、記事自体がツボを押さえてコンパクトにまとめられているので、全体の様子が大まかにはわかります。

 ここでは、エネルギーの問題、情報の問題、コミュニティの問題、など様々な切り口から各界の有識者たちが持論を展開されていて興味深い話題が満載でした。

 これからの技術としては、燃料電池によるCO2を排出しないコージェネ発電技術が注目されます。

 自賄で各家庭や企業が質の高い発電と余剰熱ができれば、これを地域全体でコントロールして最適なエネルギー配分や省エネルギーを実現できるというのです。

 ここでも一軒一軒が算出するものを都会がまとめて大きな量にして地域を潤すという構図が出来上がりそう。江戸時代の下肥と同じようなものに見えます。

 都会と言えば密度が高いために便利な反面ゴミの量など廃棄されるものも多いことが弱点とされていましたが、その弱点を超えて、やはり集積は魅力なのだ、ということのようです。

 
 できればこうした技術革新、情報革新が、コンパクトシティのような都市構造を変革する動機やモチベーションに繋がればよいのになあ、とひそかに思います。

 都市に住むことがなお一層便利になるようで、地方都市にすればちょっと複雑ですが、こうした便利をでは地方なりにどう生かすか、という知恵も問われているように思います。

 それにしても、昔下肥、今電気、とはちょっと笑えますね。
 


 

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採用試験に思う

2013-08-27 23:45:45 | Weblog

 先週は国家公務員試験合格者発表があり、それと同時に各省庁や地方部局では採用のための面接が行われました。

 過去十年ほど、国家公務員は定数削減のために新規採用が抑えられてきたのですが、今年はその枠が大きく緩められて、事務、土木、農業、建築、機械、電気と、久しぶりに新規採用を受け入れることができました。

 しかしながら、国家公務員試験合格発表の後に、都道府県や市町村などの合格発表があって、就職を希望する学生さんたちにとっては、ここが人生の判断の分かれ目。

 我々としては、我が組織に迎え入れたいところですが、今も昔も多いのは、「転勤が気になります」という声。

 国の面接に来て好感触を与えても、その後に「自治体が合格したので、申し訳ありませんがそちらに行きたいと思います」という人は今も数多くいます。

 我々としては、「やりがいのある大きな仕事ができますよ」とか、「人生の視野が広がりますよ」などと言っても、これから人生を経験しようとする若者たちにはなかなか伝わりにくく、残念な思いをすることもしばしばです。


 今日はそんな各部門で採用試験にあたった関係者が集まって情報交換と共に慰労を兼ねた飲み会がありました。

「昔は大量に採用していたので、厳しく接してついてこれる人を使えば仕事はできた」という人がいますが、今はそういう時代ではありません。

 一人一人の人生や個性を考えながら、適正な人事配置を工夫し、やりがいと充実した公務員生活を過ごしてもらわなくては後に続く若者が増えることはないでしょう。


 散々飲んだ後に、ある技術系の方がぽつりと言いました。

「それにしても、僕自身は振り返ると良い公務員人生を歩めたと思うなあ」

 立場上の制限もあるし、一たび不適切な行為をしようものなら大いに批判される息苦しさは多少ありますが、それを越えて、地図に残るような、心のなかで誇りに思える仕事も数多く携わることができます。

 もちろん、規模が大きいので、最初のスタートの時だけだったり、途中だったり、最後の仕上げだったりと関わるタイミングには運・不運もあります。

 しかし、連綿と続く組織の力でモノづくりを通して国民生活を改善しようとする営みに加わることができる充実感は何物にも代えがたい思いがあります。

 一部の職種ではまだ採用枠が埋まっておらず、引き続き募集を継続しているようですが、次の世代と組織を担う、志を持ち能力溢れる若者を私たちは待ち望んでいます。

 来たれ若人! 

 

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シャワートイレと企業存続の法則

2013-08-26 23:45:00 | Weblog

 壊れて修理を頼んでいたシャワートイレが直りました。

 シャワートイレも今やいろいろなメーカーが作っていて、値段もピンきりですが、修理屋さん曰く、「やっぱり研究の深さではTOTOに一日の長がありますよ。ノズルから水が出れば何でもよい、というわけではなくて、使用感も良いですよ」とのことで、元々TOTO製のものを使っていたので、今回も以前と同じシリーズのもので機材を取り寄せてもらっていたのです。

 同じシリーズとはいえ、11年前にとりつけたものと比べると、新しいものには格段の進歩が見られます。

 ノズルを洗浄する機能だとか、使わないときはノズルを収納して汚れないようにする工夫だとか、そうしたちょっとした工夫がこらされていて、しかもしれが使いやすい装置として完成していて感心してしまいます。

 昔のものも良い製品だったのですが、いくら良い製品ができても、企業としてはそこで立ち止まってしまっては次がない。

 そこからいかに自分自身をさらに改善してゆけるかというたゆまぬ努力の結果、良い製品を世の中に出して買ってくれた人を喜ばせ、その代金で企業が成長する。

 ちょっとしたより良くするためのアイディアの積み重ねによる製品が提案され、それが支持されて企業が企業として成長を続けるこれこそが無限の成功ループであるわけです。

 そしてこのループに入るためには、成功した体験をもっと良いもののために一度捨てなくてはなりません。

 同じところにはひと時も留まらず、常に動いているところにこそ新しくて新鮮な価値が誕生するのです。


   ◆   ◆   ◆


 たかがシャワートイレのことでしたが、ちょっとした工夫の積み重ねに驚くとともに、ここにこそ単に儲ける為だけではなく、社会をより良くして支持される、という企業存続の大法則があるような気がしました。

 今日もお尻は快適です。

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セミに似せたフライなんてのもあるのです

2013-08-25 22:37:15 | Weblog

 洞爺湖方面へ渓流釣りに行こうと、友人と示し合わせていたのですが、今朝の天気予報ではほぼ全道的に大雨注意報や雷注意報が出されていたので判断に迷いました。

 結局、ツアーなどで泊りがけで来ていたなら強行したのかもしれませんが、地元にいるのであれば無理しなくても良いか、ということになり、今日は中止としました。

 北海道マラソンの開催された札幌は、朝方は曇りだったのが午前中には日差しも差してきて、「あちゃー、これなら行けば良かったか…」と後悔も半分あるくらいの天気。

 それが昼過ぎから雷が鳴りはじめ、突然強いにわか雨が断続的に降る天気。

 マラソン的には暑すぎなくて良かった、ということらしいのですが、やはり外で川の中に入って釣りをするというのは無理がありました。

 また次回のためにじっくりフライも作っておくことにします。


   ◆   ◆   ◆


 そんなわけで、釣りに行くのは中止として代わりにフライショップへ行って、情報交換をすることにしました。

 植物園近くにある「Thames(テムズ)」というお店ですが、様々なフライフィッシングにまつわる品々が置いてあって、充実しています。

 一緒に釣りに行くはずだった友人ともここで合流して、最近の釣り情報を教えてもらいましたが、友人曰く、「前回の釣りで魚が食べているものが印象的でした」とのこと。

「はあ、一体何を食べていたんですか?」
「それがね、セミなんですよ」

「セミですか」
「ええ、30センチのイワナを釣り上げて、これは食べてみようということになって腹を割いたんです。すると胃の中から5センチほどのセミが二匹も出てきたんです」

「30センチのイワナが5センチのセミを飲みこんでいるとは」
「この時期、そろそろ寿命が尽きて水に落ちる虫たちは魚たちの格好の餌ですからね。それにしても、魚の口は案外大きいものです。フライを選ぶときも、(小さくないと食いつけないんじゃないか)と思うことがありましたが、彼らは案外大きな虫も平気で飲みこんでいるのがよくわかりました」

「大きいフライでも良いってことですね」
「はい、さらに言えば大きいほど良いのかもしれません。それを見てからセミのフライに替えたところ、やっぱり魚が出るようになりましたからね」


 フライフィッシングは、常に季節の状況を判断しながらフライを選んだり釣りの方法を替えたりとトライ&エラーを重ねて引き出しを増やして行くものだと良くわかりました。

 友人は、「今度はセミのフライ作りにも挑戦してはいかがですか」とニヤリ。

 ううむ、また素材ばかり増えそうで怖いです。

 そろそろ秋の釣りの始まりです。 

 

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マラソンを地域でおもてなし

2013-08-24 23:04:39 | Weblog

 明日の北海道マラソンに参加するという女友達が東京から来たので、地元のおやじ3人が迎える飲み会を行いました。

 彼女は今年になってから三度目のフルマラソンとのことですが、夏マラソンは今年初めて。

「明日は気温は下がるようなので、楽になりそうですよ」という声に笑顔を浮かべましたが、にわか雨の続く道内。さて明日の天気はどうなりますやら。 

 晴れて皆楽しいマラソンになると良いですね。


   ◆   ◆   ◆


 一緒に飲んだ友人は、道外からの転勤者でしたが、「7年前に一度道内勤務をして、一昨年また北海道勤務になりましたが、その変化に驚きました」とのこと。

「へえ、何が変わりましたか?」
「料理の質が圧倒的に高くなりました。そしてまた安い!逆に安すぎるくらいなので、もう少し取っても良いと思うくらいですよ(笑)」

 なるほど、熾烈な競争は価格だけでなく質の向上ももたらしていたようです。

 さすがはよそ者の視点は違いますね。こういう話が聞きたかったのです。


     ◆   


 折角北海道へ来てくれたのだから、北海道のワインでおもてなしを、とお店に尋ねたところ、「それでは奥尻島のワインはいかがですか」というお勧め。

 ピノグリという白のワインでしたが、なぜか塩味がします。

 一度味わいたかった奥尻ワインは、明日のマラソン参加のエールになったことでしょう。


     ◆  


 マラソンが地域の振興にどう役立つか、ということが話題になりました。

 すると、明日参加するという男性の友人が、「以前は北海道マラソンは9月に行われていたのを、実験的に8月の夏マラソンにした、と聞きました」という。

 マラソンをしない私には全く分かりませんが、冬のマラソンと夏のマラソンは過酷さにおいて全く別ものなのだそうです。

 北海道ならではのこの時期のマラソンは、ランナーにとっては稀有な存在でそれだけに人気も高く、この時期札幌はホテルがとても取りにくい状況なのだそう。

 宿泊だけでも大きな経済効果をもたらしそうですが、友人によるとまだまだ甘い、とのこと。

「そもそもこうしたスポーツイベントは、自治体の教育委員会が関わることが多いので、経済効果がどうなるか、という視点があまくなる傾向があるのです。私は経済担当の部局が担当して、もっと経済効果を生むような取り組みをするべきだと思いますよ」
「ははあ、なるほど」

「ハワイのホノルルマラソンは、JALが関わるようになって日本人にも大人気ですが、そこでは完走者に対して"フィニッシャーズ Tシャツ"をプレゼントするんです。そして、それを着ていれば、町で食事をするときに割引があったり、飲み物のサービスがあったりします。こういう取り組みがあれば、参加者はホテルの中で食事をするよりはマチに出ようという気になりますよね。主催者だけのイベントにするのではなく、地域全体でもてなすような取り組みにすると良いのですよね」

 さて、明日の北海道マラソン。地域はどのように参加者を迎えることができるでしょうか。

 天気が良くて、思い出に残る大会になるように祈っています。
 

 

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ある官僚の生き方

2013-08-23 23:17:59 | Weblog

 国土交通省の元高級官僚だった方が、復興現場に身を置いて地域貢献をしているという、ちょっと良い話があります。

  朝日新聞東海版の記事です。


 ------【引用開始】------


 「行政マンOB『復興は現場から』」
           朝日新聞(東海版)平成25年6月25日付け

 旧建設省河川局長の尾田栄章さん(71)がこの春、福島県の任期付き職員に採用され、同県広野町役場で働いている。

 尾田さんは中部地方建設局長などを経た後、河川局長時代に河川法改正(1997年)にかかわり、長良川河口堰(三重県)の建設をはじめ、批判の強かった河川行政に、環境配慮や市民参加の道を開いた。

 98年に退職後、天下りを断り、無給で「日本水フォーラム」事務局長を務めるなど水関係のNPO団体に関わってきた。

 東日本大震災が起きて思い出したのは、阪神大震災の時の経験だ。他省庁の職員とともに神戸に派遣され、毎朝の兵庫県の災害対策本部に出席。その場で要望を受け止め、現地側の立場で本省と掛け合った。

 東日本大震災の際も、政府の対策本部を現地に置くべきだなどとネットなどで提言したが、復興庁が十分に機能せず縦割り行政の弊害の話が聞こえてきた。

 同省の出先機関だった旧福島工事事務所や旧東北地方建設局に勤務したことがあり、やきもきしていた。

 偶然、都内の地下鉄で目にしたのが、洋野町に派遣される県職員募集の広告だ。「年齢制限なし」とあり、すぐ応募を決めた。

 若手と一緒に筆記試験や面接も受けた。任期は一年更新で最長5年。妻と一緒に町営集合住宅に移り住んでいる。

 新卒職員と共に積算や設計、公務員の心構えなどの研修も受け、町建設課の復興建設グループ員として大部屋で同僚と机を並べる。

 求められれば、かつての部下が事務次官を務める復興庁をはじめ、霞が関への陳情にも同行する。

 広野町は原発事故で一時、5300人の全町民が町外に避難した。県沿岸部では放射線量が比較的低いが、再び事故が起こる琴への不安などから住民は約1千人しか戻っていない。

 各省庁の支援策、各町村の復興計画はバラバラにすすむ。地域の将来はなかなか見えてこないが、だからこそ一緒に考えたい。

「東京や福島市にいて何が分かるのか。復興は現場から発想するべきだ」


 -------【引用終わり】-------

 尾田さんは「用地交渉にも出ますよ」と話していて、まさに率先して行動する公務員の鑑と言えるでしょう。

 公務員でいることの経験や仕事上のノウハウは、独特なものですが、復興の現場など人員が不足して困っているところでは光り輝く能力であるはず。

 元公務員としての一つの立派な生き方だと思います。

 なかなか真似のできるようなことではありませんが、一方で年齢制限さえなければまだまだ活躍できるということがあるのかもしれないと考えさせられました。

 津波被災地の一日も早い復興をお祈りします。

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次に来る家庭用エネルギー源はなに?

2013-08-22 20:54:04 | Weblog

 ここ何日か、トイレ掃除をする際に便器の横の床の上に水がたまっているという現象が起きていました。

(水なんかこぼしたかなあ?)と不思議に思っていたのですが、妻が水道修理業者さんに診てもらったところ、シャワートイレの故障だとのこと。

 家を建ててから11年目を迎えて、そろそろいろいろな設備関係にガタがきている予兆の一つかもしれません。

 部品を取り寄せて直すという選択肢もあったのですが、次第に部品も少なくなってゆき、また別の部分が壊れる可能性も高いとのこと。

 予期せぬ出費で財布には痛いのですが、この際新しいシャワートイレに交換してもらうことにしました。


 これらの外にも、灯油による瞬間湯沸かし器とセントラル暖房器なども同じく11年目を迎えているわけで、点検はしていてもいずれ交換を余儀なくされることでしょう。

 そうなると今度は、エネルギー源を何に求めるかがカギになってきます。

 

 

 今は家の中に、電気、灯油、ガスという三種類のエネルギー源を引き込んでそれぞれ使い分けていますが、灯油と電気の高騰や逆にシェールガス革命によるガスの値下げ基調などが気になるところ。

 電気ならばヒートポンプによる効率化も気になりますし、ガスでは発電や燃料電池による余剰熱源の利用による熱効率の向上なども見込まれるでしょう。

 いずれにしてもコストパフォーマンスと将来のエネルギー価格の変化を見越した決断をしなくてはならない時期が来るでしょう。

 私は心がややガスに傾きかけているのですが、皆さんは、これからの家庭用エネルギー源を何に求めたら良いとお考えでしょうか。

 アドバイスなどありましたらよろしくお願いします。

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