北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

骨髄移植について(5/5)

2006-08-04 23:15:30 | 骨髄移植について
 今日も夏らしい暑い一日となりましたが、夜は窓を開けて寝ていると朝は寒いくらいです。これが北海道の夏です。
 今日は全5回にわたる骨髄移植のお話の最終回です。
 
【後遺症の心配】
 この日一日を休養に当てると、翌日の入院四日目の朝にはもう退院です。

 手術後二日を経過した腰は、押せば痛いものの日常生活で我慢できないほどの痛みではないので、もう問題はありません。医師や看護士、コーディネーターの皆さんはしきりに「手足のしびれはありませんか?」「身体の具合の悪いところはありませんか?」と訊いてくれます。

 後遺症がないかどうかはやはり心配ごとの一つです。なにか不都合があれば、このときに正直に伝えておくことが重要で、無理な我慢は無用です。幸い私の場合は後遺症も全くなく退院することが出来ました。病院のスタッフの皆さんには本当にお世話になりました。

【骨髄提供を支えるもの】
 手術後三週間ほどで改めて術後の健康診断を受け、体の調子や手術のことなどについて医師といろいろと言葉を交わしました。

 おそらく担当の医師には提供を受けた患者さんのその後の状況が伝わっているのでしょうが、それが成功なのか失敗なのかも含めて私に知らされることはありません。

 ドナーと患者の間で知らされているお互いの情報は、九州とか関西とかいった日本のどのあたりで、年齢が何十代かということと、あとは男性か女性か、ということだけです。

 コーディネーターのAさんからは、ドナーと患者の間には二往復だけ手紙のやりとりが許されていると教えられました。しかし手紙の中には互いの名前や住所など個人を特定する内容は書くことが許されません。

 そしてそれも互いに出さなくてないけないという義務はありませんし、返事を書く義務もありません。人生には知らない方が良いこともあるものです。

 ボランティアでも、個人が特定されることが互いの不利になるような性格のものでは、一切身分を明かさずに行われる方が良いのです。

    *   *   *   * 

 さて、ではこのことは誰から誰へのボランティアということになるのでしょうか。私はこれを社会全体が構成員を助けるという社会の力として認めたいと思います。「誰が誰を」ではなく「誰かが誰かを」支え助けているのです。

 このときに構成員一人ひとりに求められるのは、そういう社会を支えようという、一構成員としての勇気ある振る舞いなのではないでしょうか。


 そしてこうした経験を踏まえて、なんと自分たちの先人たちが素晴らしい社会を築き上げてくれてきたかということに改めて気付くのです。

 見知らぬ仲であっても、誰かを助けようとする誰かがどこかにいること。そしてその間を取り持つ組織が連絡を取り合いながら一生懸命に支えているということ。

 高度な医療を支えるだけの医療機関と能力を持つ医師たちが全国に巡らされていて、間違いなく的確な処置を受けるだけの医療サービス水準を我々が享受しているということ。
 朝一番で採取した骨髄液を、医師が抱きかかえるように運んで、その日のうちに自分の患者に移植することが出来るだけの交通ネットワークが整備され確実に運営されていること、などなど。

 こういう豊かな社会を築こうとして多くの先人たちがたゆまない努力を重ねてきたのに違いありません。そしてそうやって作られてきた社会をこれからも支えて行くべきなのは、誰あろう自分たち一人ひとりなのです。

 骨髄提供などという特殊な分野だけのことではなく、私達は現代日本のこの社会の力を信じ、支えるべきです。そしてこの社会の力を失わないように、こうした「誰かが誰かのために力を尽くす」という社会を支える、自分たち一人ひとりの振る舞いが試されているのです。

    *   *   *   * 

 私自身、一連の骨髄提供という医療行為を終える以前は、「本当に大丈夫だろうか」という気持ちが全くなかったと言えば嘘になります。しかし実際に終えてみると「実にあっけないものだ」というのが正直な感想です。

 自動車の免許や何かの資格を取ったりするときに、取る前はとても難しそうに思うけれど、取ってみると案外大したことはないように思うのと同じようなものです。自分の人生のたった三泊四日で一人の命が救えるのならばお安いご用です。

 非日常の出来事に出会うと、ものごとの原点がよく分かるものです。社会の豊かさとは何かということをもう一度考えてみようではありませんか。

 最後に、今回の私のボランティアを支えてくださった多くの関係者の皆様に改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

骨髄移植について(4/5)

2006-08-03 23:35:34 | 骨髄移植について

 北海道でも夏らしい暑い一日となりました。
 今日も全5回にわたる骨髄移植のお話の④です。
 
【いよいよ入院、そして手術】
 いよいよ骨髄採取のための入院の日となりました。入院中の予定ですが、入院当日は血液採取の簡単な検査をして、あとは何もすることはありません。夜の食事を食べるとあとは寝るだけです。

 翌朝の入院二日目がいよいよ手術日となります。朝食は食べずに、絶食状態で待っていると、朝八時に医療チームが部屋まで迎えに来てくれました。医師、スタッフと挨拶をすると、歩いて手術室へ移動です。

 妻も朝から付き添いに来てくれましたが、やはり少し不安な様子をしていて、医師から「そんなに不安な顔をされると、なんだか悪い事をしているような気がしますねえ」と励まされました。

 確かに何もなければ全身麻酔までして腰に針を刺す事はないわけですから不安なことでしょう。妻にもすまない気持ちになります。

    *   *   *   * 

 手術室では医師団と数人の看護士さんに囲まれて、台の上に仰向けに寝ます。いよいよ麻酔の始まりです。

 麻酔はまずは静脈麻酔で、朝から腕につけられた点滴のチューブに麻酔剤を注入する事で意識を失わせます。そこで意識を無くしておいてその間に口から気管に柔らかいプラスチック管を挿入してガス麻酔に切り替えます。
 今回は事前の浣腸や尿道への管の挿入はしないとのことでしたので、体への負担はそれほど大きくならないだろうということでした。

 手術室内のスタッフとも目で挨拶をします。
「緊張していますか?」との医師の問いかけには
「いえ、もうこれから先の私の仕事は眠るだけですから。よろしくお願いします」
「ははは、そうですね」という短い会話で答えました。

「じゃあ行きますよ。冷たい液が入っていきますからね」
点滴に麻酔剤が注射器で入れられると、確かに腕に冷たい液体が入るのが分かります。数を数えようと思っていましたが、十まで数えることなく意識が無くなりました。実にあっけないものです。
 
    *   *   *   * 

 意識が戻ったのは、自分の病室へストレッチャーで運ばれてベッドの上に載せられるところからでした。朝8時からの手術でしたが、病室に帰ってきたのは10時半くらいでした。

 実際自分では覚えていないのですが、帰ってきた時は、点滴から自己血を輸血し口では酸素吸入が行われていたそうです。仰向けに寝かされてこのまま「三時間は絶対安静ですから」と言い渡されます。麻酔が覚めても最初のうちは意識が朦朧としていますが、やがて感覚が戻ってくると腰の針を刺したところが痛み始めます。
 患部を下にして痛い思いをしながら仰向けに寝かされているのは、早く傷がふさがるように、とのことからです。痛みの質はジンジンとする痛さです。しかし痛いといってもこれ以上にならないという希望があれば耐えられるものです。絶望の淵にいる患者さんに希望の光を与える治療のためなのです。

 ある意味ではもっと強烈に痛いかと思いましたが、この程度のことかな、というくらいのもので、あとはこれが治まるのを待つだけだと思えるのでした。


 痛みのこともありましたが、予想していなかったのはガス麻酔が切れる時の吐き気の方でした。医師からは「安静時間が終わったら、飲めるようなら水を飲んでも良いですし、食べられるならお昼を食べても良いですよ」と言われていました。

 そこで、午後一時半頃で安静が解けた頃にお茶を一口含んで飲み込んでみましたが、その瞬間にもう吐き気で戻してしまいました。その後で吐き気止めを点滴から入れてもらいましたが、あまり効果が無く、結局夕食も食べられないままぐったりと寝ているだけの一日となりました。麻酔を受けるとこうなるのかという事が初めて分かりました。


 しかしそんな吐き気や痛みもせいぜい一日か二日のことですから、生き死にを思う患者さんの事を考えると、ずっと気が楽であることに間違いはありません。

 あとは定期的に看護士さんが患部の消毒をしにきてくれます。看護士さんが消毒をしくれている最中に妻に傷跡を見てもらいましたが、「ここが患部ですと言われて余程しっかりと見ないと気付かないくらいだよ」とのことですから、それほど大きな穴がいつまでも開いているということではないようです。

 入院三日目となる翌朝には吐き気はすっかり治まって食欲も戻っていました。腰の痛みも少しずつ少なくなっていて、押せば痛いけれど触った程度ではもうなんともないくらいに回復をしています。人間の回復力はすごいものです。

 午後に妻が病室を訪ねてきてくれた時に看護士さんから消毒の仕方を教わりました。これから先は一週間くらい家庭で消毒をすることになります。消毒は良かったのですが、消毒後に貼る絆創膏がかゆくてたまりませんでした。

 この日の回診で担当の医師からは「いやあ濃くて良い骨髄液が採れましたよ。予想より五割くらい濃かったので非常に良い状態でした」というお褒めの言葉(?)を頂きました。
「骨髄液はどうしたのですか?」と訊ねると
「向こうの患者さんの担当医師が待ちかまえていて、そのまま抱きかかえるようにして自分の患者さんの元へ走りましたよ。その日の内に患者さんの身体に点滴で注入されるように準備していたのです」とのことでした。

 どうやら一連の作業は滞りなく進んでいるようです。あと私にできることは、自分の体の回復を待つ事と、見知らぬ患者さんの手術の成功を祈ることだけです。

 うまくいきますように。 (5/5 最終回に続く

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

骨髄移植について(3/5)

2006-08-02 23:25:41 | 骨髄移植について

 全5回にわたる骨髄移植のお話の③です。
 長くなりますけどお許しを。

【自分だけの覚悟ではない】
 さて、この間の経緯を目の当たりにしている妻に改めて「ドナーになっても良いかな?」と問うてみました。

 実は妻も骨髄ドナー登録をしていたうえ、一度はドナー候補者として選定された経験がありました。

 ですから、このことへの理解は少なくとも頭では分かっていたはずなのですが、実際に自分の夫が手術をするという事になると心配な感情がわき出てしまい、なかなか気持ちの整理がつかないのでした。

「どうしてもやらなくちゃ駄目?」
「今の自分にこの役が回ってきたのはそれなりに意味があると思う。やらせてくれないか」
「言い出したら聞かないもんね…」
 妻は最後にあきらめるようにうなずいてくれました。

 実家の親にも電話でこのことを伝えました。母親の反応は「あんた、大丈夫なのかい?」の一言でしたが、親にもさぞ心配をかけた事でしょう。自分だけの覚悟なら簡単に出来ても、自分以外の人にまで同じ覚悟を求めるのはなかなか容易ではないものです。

    *   *   *   * 

 「家族も了解してくれました。先へ進んでください」
 「分かりました。それではその旨を医師に伝えて、治療の計画を立てましたらまたご連絡します。ご自身の予定で、どうしてもこの時期だけは避けたいという日がありましたら教えてくださいますか」
 「それは考慮していただけるのですか」
 「ドナーの事情をできるだけ考慮します。しかし事が事ですので、ことによると患者さんの容態や治療方針から日時のリクエストがある事もあります。そのときはまたご相談します」
 「分かりました」

 こうしているうちについに日程調整の知らせが届きました。
「○月△日頃に手術をお願いしたいという要請が届いていますが、ご都合はいかがですか」
 「そうですか、なんとか仕事の都合をつけてみます」

 いよいよ日程が固まってきました。事前にある程度職場でも、周囲や上司などには話をしてありましたが、仕事の分担などを相談して日を決定させる事になります。

 この段階でもまだ自分を含めてこちら側の事情で提供を取りやめる事はできます。しかしそうして準備が進むといよいよ最終同意のときが近づいてきます。

 最終同意とは、ここから先は取りやめる事が出来なくなる「ポイント・オブ・ノー・リターン」であり、もう後戻り出来ない時なのです。

【ポイント・オブ・ノー・リターン】
 最終同意には一般的に第三者である立会人の同席が必要で、ドナー側からも一番身近な家族・親族が同席して医師から改めて説明を受けます。

 そのうえでこのことに同意する場合は、定められた書類に本人と家族が署名・捺印をして意思の確認の契約をします。

 第三者の立会人は、コーディネーターと調整医師が十分な説明を行ったかどうか、ドナー本人と家族が説明内容をしっかりと理解しているか、骨髄提供が自発的な意志によるものであるかどうかを確認する事が役割です。

 ドナーが最終同意書に署名・捺印をしてくれると、それをもって患者さんの側は骨髄移植を前提として治療の体制に移行します。

 骨髄移植を行う前には事前処置として、患者さん側の骨髄細胞を抗ガン剤や放射線治療で一度全て破壊します。そしてそこへドナーから提供された正常な血液を作る事の出来る骨髄幹細胞を移植するのです。

 ですからこの治療途中でなんらかの原因で骨髄が提供されないような事になると、患者の側では白血球の抵抗力を失った状態になり、感染症を起こしやすくなり命取りにもなりかねないのです。

 ですから、ドナーの最終同意というのはもう引き返す事の出来ない大事な決断です。唯一移植がなされない事があるとすれば、それはドナー側の健康と安全が保証されないという状態が予想されるときだけです。この段階に至っても、ドナー側の健康は最優先されます。
 お互いにできるだけそういうことはあって欲しくないものですが。

 最終同意をした後は自分の健康管理はもちろん、事故などにも気をつけなくてはなりません。ひと一人の命がかかっている大事な期間なのです。

【自己血採取】
 骨髄採取の日が決まったら、その3週間ほど前に自己血の採取を行います。骨髄手術によって失われる体液を補充するのに他人の血液を輸血すると様々なリスクを伴いますので、自分自身の血を先に取っておいて保存し、手術に当たってはこれを輸血するのです。

 私の場合は400ccを一度で済みましたが、二度行う事もあるそうです。説明や事前の処置などのために、病院へは何度も行かなくてはならないのですが、これら全てが命のためなのです。

【健康診断と麻酔の説明】
 いよいよ採取が近づくと健康診断を行ってくれます。健康に問題があれば採取はできません。あくまでもドナーの健康第一です。またこのときに麻酔科の医師から麻酔についての説明と質疑応答の時間を取ってくれました。

 麻酔科の先生は「手術中は全身麻酔で行いますが、全身麻酔だから何か事故が起こるという事はありません。麻酔中の容態の変化に対する処置を怠るという事が一番事故に通じると言えますが、骨髄移植では麻酔医の経験が全てです。今回は麻酔経験が1万回以上もあるベテラン医師が手術中をサポートしていますから安心してください」と励ましてくれました。手術は多くの人たちの協力によって行われるのです。

 そしていよいよ手術の日がやってきます。 (4/5に続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

骨髄移植について(2/5)

2006-08-01 23:06:55 | 骨髄移植について

 全5回にわたる骨髄移植のお話の②です。
 もし読者の皆さんの中で私の経験の時期、場所などをご存じの方がおられても、それらを明らかにする書き込みはどうぞご遠慮ください。


【一通の手紙から】
 突然来る手紙には「あなたと適合する患者さんが見つかりました」と書かれていました。

 この段階でまずドナー登録者は一つの判断を要求されます。次の段階に進むのか、それとも今回は自分に提供する意志がないので止めるのか、という選択です。辞退することが恥ずかしいという事は一切ありません。あくまでも自分自身の都合や事情は最優先されます。

 しかし自分の経験ではこの手紙が来たときが一番迷いが出る瞬間でした。

 骨髄提供をしたいという思いでドナー登録をしていたはず。しかし実際に提供するのかと思うと医療には必ずリスクもあるだろうし、やはり一抹の不安はつきまといます。(最悪死んじゃったらどうしよう)とさえ思う、心の葛藤が生まれるのです。
 そして辞退する事は決して恥ずかしい事ではないのです。

 それに家族の同意も必要です。独身ならば親、結婚していれば配偶者や子供などの理解が必要です。どんな理由で止めてしまっても構わないのですが、進む事に迷う自分と崇高な使命を果たしたいという思いが一番ぶつかる瞬間です。

 実際骨髄提供をしようとすると、通常で三泊四日の入院が必要で、休業補償はありませんし当然報酬もありません。しかし一定規模の大企業や官庁などであれば特別休暇制度がありますから、有給休暇で休む必要はないのがせめてもの救いです。

 私の場合は、過去に一度提供しようという思いから、候補の一人としてこの先に進んだことがありました。このときには最終的にはなんらかの理由で最終候補者にはならなかったのですが、この経験があったので、今回もこの先へ進んでみようと決心ができました。


【コーディネーターとの出会い】
 骨髄移植推進財団からの手紙が来て数日のうちに、財団のコーディネーターの方から電話が来ます。ここから先は手続きから疑問・質問、様々な相談事などは全てコーディネーターを通じて調整が図られます。私の場合はAさんという女性がついてくださりました。

 私が提供の意志を示した事で、まずは近くで指定の医療機関で採血して、登録された情報よりもさらに詳しく遺伝子レベルまでの検査が行われます。そしてその際に調整してくれる医師の立ち会いの下で、コーディネーターから今後のことについての医学的な説明が行われます。

 説明はマニュアルに沿って行われ、医学上の質問や疑問は医師が答えてくれるという形になります。

 コーディネーターは説明に漏れがないか、ドナー候補者は本当に内容を理解しているかを入念に確認します。説明責任を厳格に果たさなければ後々医療トラブルになりかねないので真剣です。

 しかしコーディネーターも医師も、決して「提供してくれるとありがたい」などというような勧誘の言葉は一言も発しません。あくまでも事実を淡々と述べるにとどめ、背中を押すようなことは決してしない、それがルールです。

 ドナーからの骨髄採取は骨盤の後ろ側から行われるという事も教えられます。
 一般に一番多い誤解は、骨髄と脊髄を混同しているものです。このことから骨髄採取の針は背骨に刺すと思いこみ、そこから神経を損傷する事があって危ないと考えがちですが、これは全くの誤解なのです。

 骨髄液は骨盤の腸骨と呼ばれる大きな骨から取ります。

 採取の位置は、背骨を中心にして左右に10センチくらいの間隔で、ベルトの位置からは5センチほどの下の位置が一番骨が皮膚に近いことや骨が大きい事からそこから採取するのです。

 採取のための針はボールペンの先くらいといいますから、それなりの太さがあります。
 骨髄移植では一番欲しい骨髄幹細胞が含まれる骨髄液は、針を刺して吸引しても一カ所からは数mlしかとれないのだそうです。そのため実際の採取は、皮膚と骨にあけた同じ穴から角度と方向を変えて骨のなかをぐさぐさと刺しながら採取するそうです。

 骨髄液の必要量は約800~1000mlだそうで、患者さんの体重1kgあたり15mlという基準で採取量が決まるのだそうです。相手が体格の良いプロレスラーだったりすると、相当量の骨髄液が必要になります。

 調整医師は訊ねないのに、死亡のリスクも教えてくれます。これまで世界では骨髄移植の手術に起因して4人の死亡例があるとのことです。そう説明をする医師はあくまでも淡々としています。

 危ないとも危なくない、とも言いません。最後の決断はあくまでもドナー候補者本人の意志でなくてはならないのです。

 術後のしびれや痛みが続くといった後遺症例も報告されているそうで、そうした事故への備えとしてドナーには骨髄バンク団体傷害保険がかけられます。手術による事故や後遺症などへの補償はもちろん、骨髄移植に関係して通院をする途中での事故も補償の対象となります。こうした制度も何年もかけて少しずつ充実してきたのです。

 こうして最初の血液検査時の説明が終わります。そうして1~2ヶ月が過ぎた頃にドナー選定の結果がやはり黄色い封筒で通知されてきました。

 選定されない場合はお知らせが来ません。届いた手紙は「先日の検査の結果、最終的なドナー候補者に選ばれました」という内容です。

 私には先へ進んだ段階から「今回こそは当たるのではないか」という予感めいたものがありましたので、至極当然のように受け止める事が出来ました。

 コーディネーターからは再び意思確認の連絡があります。
「先に進まれるかどうかは、ご家族とも相談してご判断してください」という電話が来ます。

 だんだん事が進んでくると、最後には家族の同意が必要なので、ある程度の段階でしっかりとお互いの意思の確認をとっておかなくてはなりません。

 しかしこのこともこの先へ進むのには難関なのです。 (3/5に続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

骨髄移植について(1/5)

2006-07-31 23:48:24 | 骨髄移植について

 今週は全5回にわたって私がかつて経験した骨髄移植のお話をいたします。
 もし読者の皆さんの中で私の経験の時期、場所などをご存じの方がおられても、それらを明らかにする書き込みはどうぞご遠慮ください。

 また本内容については、骨髄移植推進財団からの許可も得ている事を申し添えます。

【骨髄移植のお話】
 もう時効だと思うのですが、私は過去のある時に骨髄提供者となりました。現代医学の進歩は多くの治療法を生み出し多くの人命を救っていますが、それでもまだ人の骨髄移植でしか治癒が臨めない患者が大勢いてまた発病しているのです。
 今回は私が実際に骨髄提供者として経験したことをお伝えして、その事でこの崇高な事業と、それを支える社会についての理解が深まる事を願うものです。

    *   *   *   * 

 私は若いときから献血を数多く行っていました。そのことは自分にとってはボランティア精神を満たすと同時に、送り返される血液データによる健康チェックの手段でもありました。骨髄移植については、それまでも献血センターでは宣伝を目にする機会がありましたが、白血病と言われても実感を伴わず、それほど気にも留めずにいたのでした。
 それがある時、地域社会に大変お世話になったあるきっかけを経て、その恩返しの意味で骨髄バンクにドナー(提供者という意味)登録をすることにしたのでした。

 そもそも「骨髄」とは何かということについてお話ししておきましょう。骨髄とは、骨を輪切りにしたときに固い外側に包まれたスポンジ状の柔らかい造血組織です。

 ここには骨髄液の中に造血幹細胞が含まれていて、ここで赤血球、白血球、血小板などの血液細胞が作られて体中に送り込まれています。白血病などに代表される血液のガンはこれらの造血幹細胞に異常が起こり正常な血球を作れなくなる事から様々な障害が起こる病気です。

 古くは女優の夏目雅子さんや格闘家のアンディ・フグ選手、最近ではアイドル歌手の本田美奈子さんなど多くの有名人が白血病で亡くなっています。そのことはこの血液の難病が有名人に限らず、今日ごく日常にありふれていて、いつ自分の身内がなるかも分からない病気なのだということを教えてくれます。

 そして、確かに誰にでも起こりうる難病なのだとしても、それは社会の力と骨髄移植という現代医療の力で治療をすることが可能になりつつある病気でもあるのです。

 しかし後から述べるように、骨髄移植が成立するためにはドナーと患者の白血球の型が同じでなくてはならないという絶対的な条件があります。患者さんがいくら骨髄移植を希望しても型が合うドナーが現れなければ移植は出来ないのです。幸い日本人はこの白血球の型の合いやすい民族だと言われていていますが、まだすべての患者さんが骨髄移植を受けられる社会環境にはなっていません。

 このことについて、2006年7月7日に骨髄移植推進財団は、前月の6月末時点で日本における骨髄バンクのドナー登録者数が25万人に達したことを発表しました。
 同財団によると、ドナー登録を開始したのは1992年1月のことですが、それから14年6ヶ月を経て今年6月末にドナー登録者数が25万1,040名となり25万人を超えたのだそうです。そしてこれまでに、延べ7,500人に対して骨髄移植手術が行われているそうです。

 しかし読売新聞では、「骨髄移植には移植希望者とドナーのHLA型(白血球の血液型)が一致しなければならず、移植を希望する全ての患者と適合するHLA型のドナーを提供するには30万人の登録が必要とされ、2005年に移植を希望して登録した患者の半数は移植が受けられていない」と報じています。

 テレビで「メンバーが足りません」と訴えているのはまさにこのことです。


 さて、前述のように骨髄移植のためには一人一人の白血球の型が問題になります。単なる献血による血液製剤の利用であれば赤血球のABOタイプとRhタイプの区別さえ合えば利用出来るのですが、白血球にも同じように型があるのです。

 その型の事をHLA(Human Leukocyte Antigen=ヒト白血球抗原)と呼んでいますが、このHLAにはA座、B座、DR座など数種類の型の区分があり、それぞれが数種類から数十種類に分けられていて、全ての組み合わせは数万通りにもなるのです。

 しかもこの型はそれぞれ半分ずつを両親から遺伝によって受け継ぐことから二つのタイプが対になっています。従って同じ親からの子供同士であれば四種類の組み合わせがあり得ることから、子供同士であれば四分の一の確立で適合しますが、両親と子供が同じ型になることはあり得ません。親であっても子供を救えないのが血液の難病です。

 ドナー登録の仕方は簡単で、献血の時と同じようにドナー登録のための数十ccの血液検査で行われます。血液検査ではこの数種類ある座の中からA座、B座、DR座の3つについて、対になった6種類の抗原を検査して登録しておきます。 ここまでがドナー登録の準備です。

 そしてその手紙はある日突然にやってくるのです。つづく

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする