北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

北海道をダメにしたのは北大だからな ~ 藤井治芳元道路公団総裁のこと

2023-03-31 23:20:37 | Weblog

 

 今朝の日経新聞に一つの訃報記事がありました。

「元建設所事務次官、元道路公団総裁の藤井治芳(ふじいはるほ)氏が逝去、86歳」

 藤井元総裁は、「道路建設のドン」とあだ名され様々な道路行政に通じたいわゆる道路族のトップにいた方でした。

 ちょうど彼が道路公団総裁だった時に私は掛川市の助役をしていて、故榛村純一市長に連れられて霞が関での挨拶・営業周りにお付き合いをしたときにも何度か藤井総裁のもとを訪れたことがありました。

 榛村さんは若くして市長になりたての頃から、将来出世する官僚にあたりをつけて、まだ若いときからつきあっている官僚が出世して力が付いてくるのを見るのを楽しく思うのと同時に、市政にも力を借りるという実利的なところもあったのです。

 その際に話の接ぎ穂として榛村さんが「この小松助役は建設省からお借りしている方で、北海道から来ていただいているんですよ」と言うと、藤井総裁の目がギラリと光りました。

「北海道から来た?北大か?北海道をダメにしたのは北大だからな!」

 皮肉を込めた口調でしたが苦笑いと言うほどにも笑ってはいません。

 おずおずと「なぜ北大がダメにしたとおっしゃるのですか?」と訊くと、「北大の連中が卒業してからそのまま北海道開発局に就職したからだ。『北海道のことは知っている』などとうそぶいているが、北海道のいろいろなことを当たり前に感じすぎている」

「どういうことでしょう?」
「除雪だよ。北海道のやつらは雪が降るのを仕方がないことだと思って、何とかしようと思わないじゃないか。道路の雪対策をやったのは九州育ちの俺だよ」

 
 具体的に何をどうしたのかはよくわかりませんでしたが、北海道の人間は雪が降るのを仕方がないと思っている、という言葉は心に響きました。

 人はしばしば運命には逆らえないものだと諦めてしまいがちですが、それには「こうしたい」と主張して、解決する道を探り政策として実現させるのが役人の務めではないか、という言葉は染みました。

「良く知っている」ということはしばしば周りが見えなくなることでもあるのだ、と知り、視野を広く持つよう務めるようになりました。

 まあ昭和時代の官僚という感じでしたが、ある意味私は藤井さんから良い意味で影響を受けた一人と言うわけです。


     ◆


 藤井さんはその後、小泉政権の道路公団民営化に反対した形になり、建設省からの聴聞を受けるという政治ショーに巻き込まれました。

 マスコミが周りを囲みフラッシュがたかれる中で、建設省の担当者からの質問に応える姿を晒されている姿を見るのはちょっと辛いものがありました。

 彼はその後総裁を解任されるなど、さらに続く政治ショーのいけにえになった感がありました。

 ご冥福をお祈りします。

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直せるものは直しておきましょう ~ 新しい春を迎える季節です

2023-03-30 23:06:49 | Weblog

 

 4月を控えて、新しい年度を迎える準備に心が向かいます。

 先日、靴底の修理をしてもらいました。

 私は通勤には4足の靴を履き回していますが、このうち1足は踵の内側の皮がすり減り、別な2足は靴底がすり減っていました。

 私の靴は修理が効くものなので、通いなれた靴屋さんへいって踵の内側の皮を貼り換えてもらう修繕を依頼。

 靴底が減った2足は、まちなかで靴の修理をしてくれる「シュリーの店」で靴底を直してもらいました。

 本来は靴底全体を貼り換えるところですが、靴底だけであれば一度くらいは町の修理でもOKです。

  お店に靴を持ち込むと、お店の方は靴底を眺めて「もう少し早く持ってきていただければ簡単に直せたんですが、ちょっと減りすぎたので一度盛り上げてから底を貼りなおしますね」と修理方針を説明してくれました。

 お昼に持ち込んで夕方には修理は完了。

 これだけやってもらって両方で2,400円ほどはお安い修理費です。

 これで新しい春が迎えられます。

 身の回りの道具で修繕が効くものはちゃんと直して、新しい春を迎えます。 

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転勤のあった我が身が懐かしい

2023-03-29 23:14:15 | Weblog

 

 年末のこの時期は、古巣の職場で4月に転勤になるような後輩たちを訪ねて歩きます。

「今度は札幌から釧路に転勤で単身赴任です」とか「稚内での初勤務になります」などという声を聞くと、行く先の風景が頭に浮かんできます。

 引っ越しも値段が高くなったり、そもそも引っ越し業者さんが忙しくて引っ越しの日程が組めないような悩みを聞くと、近頃の転勤は以前に増して余計な苦労があるのだなあ、と思います。

 転勤そのものも最近は職場で嫌われる要素になっていて、「転勤が嫌なので公務員を辞めて地元の市町村役場に再就職します、という職員がいるんですよ」と言う話を聞くことも増えました。

 転勤生活というのは、新しい人間関係に飛び込んでそこで新たな関係性を構築するうえでは苦労が多い反面、それがうまくいけば人間力を向上させる格好のチャンスとも言えます。

 幼い時から親の転勤によって転校生活を余儀なくされた私としては、転校することも「よくある話」でした。

 昔はそれほどいじめなどの問題も大きくなくて、あまり苦労した記憶もありませんが、それが私自身の性格なのか、鍛えられていった結果なのかも今ではよくわかりません。

 公務員になったことで転勤も当然で仕方のない事だと思っていましたが、子育て期間になると自分はともかく子供の転校や終の棲家はどこになるのか、家族と離れる単身赴任などが家族の問題として浮上してきます。

 そんなことも少子化問題の原因になっているのだとしたら、昔の人はどうしてやれたのだろうか、と思わざるを得ません。

 皆それなりに苦労をしつつ、それが定めと現実に折り合いをつけていたのですから。


       ◆


 転勤生活が当たり前になると、転勤そのものを何とも思わないどころか、同じところに3年もいるとその雰囲気に飽きてくるようになります。

「3年間をこの土地で頑張れ」と言われると、400m走くらいのスピードで走り抜けられそうですが、「一生この土地で、周囲の先輩後輩に囲まれているから頑張れ」と言われると、走るスピードはマラソンくらいのペースになるような気がします。

 有期だからこそ頑張れるという事もあると思います。

 この土地をいつか離れなくてはならないという切迫感があると、少ない機会を作って地域を回ったり、住まいを拠点にして積極的に旅行に行ったりするようになります。

 それでも子供たちが多感な時期に単身赴任で家を離れて暮らすというのは、振り返れば寂しいことだったようにも思います。

 結局は「人間万事塞翁が馬」と思って、降りかかってくる運命を面白く受け止めて前向きに過ごすことが一番良いのではないか。

 まだまだ苦労の多い後輩たちや若い人たちの幸多い4月になるよう祈るばかりです。

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アドバンス・ケア・プランニング(=ACP)という実践活動

2023-03-28 23:12:46 | 介護の世界

 

 以前(3月8日付ブログ)もご紹介した、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)のお話。

 ACPとは、アドバンス(あらかじめ)、ケア(世話・介護)、プランニング(計画を立てる)を組み合わせた言葉で、自分のこれからの姿をあらかじめ考えておきましょう、という実践活動のこと。

 自分が病気になったり、介護が必要になったりしたときに、「自分はどう生きたいか」をあらかじめ元気な時に考えて、家族や介護・医療チームと共有しておくことでもあります。

 前回のブログでは、東京都で作成しているACPを進める「私の思い手帳」を東京都の担当部所に申し込んだところまで書きました。

 その後、東京都から封筒が送られてきたのですが、中には手帳と手紙が入っていて、手紙の文面は「この手帳は都民の皆様用です。都外からの4冊のご要望でしたが、ご参考までに2部をお送りします」とのこと。

 本来は東京都の税金で作られているものなので都民以外には渡せないのだけれど、参考という事で送っていただきました。

 周りの家族用にと4冊をお願いしたのですが、現物があればコピーもできるし参考にもできます。

 東京都のご担当者のご配慮に感謝します。

 
 ところで私からは「私の思い手帳」という、ACPの理解を深める冊子をお願いしたつもりだったのですが、実はこの手帳には「書き込み編」というペアの冊子があってこちらも送ってくださいました。

 まずは「私の思い手帳」で理解を深めたら、実際に書き込んで思いを現実の形にしてみましょう、ということなのですね。

 まず気になるのは、私自身のこともありますが、それよりはこれを親に届けてどう感じるかという事です。

 これに似たような記録帳でエンディングノートというものがあります。

 しかしこちらはどちらかと言うと、お葬式や連絡先などを記録するのが主たるイメージの冊子です。

 それに対して「私の思い手帳」は、自分の大事にしていることや希望、もしものときの処置などへの意思を示しておくもので、エンディングノートよりはもっと広範囲の関心ごとを記録しておこうというものになっています。

 「書き込み編」の最後のページには、見直した時の日付などの記録を書き込む欄もありました。

 考えは何度変わっても良いのです。

 そのたびごとの自分の思いを明らかにしておくことが大切なのですね。

 アドバンス・ケア・プランニングという考え方がある、こういう手帳がある、そのことに気がついていればいつか本気になるのではないでしょうか。

 

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介護について勉強しておくと、介護をうけにくくなるのでしょうか

2023-03-27 22:58:36 | 介護の世界

 

 先日の介護の授業での一コマ。

「睡眠をちゃんととらないと健康でいられなくなる」という話から、質問で「先生はこれだけ勉強されて経験を積まれていますが、ご自身が高齢になった時にちゃんと睡眠をとって健康でいられる自信がありますか?」と訊いてみました。

 すると先生は、「やっぱり自覚なんだと思います」ということから、下記のような話をしてくれました。

 それは先生が介護をした高齢の女性の話。

 その方は98歳まで生きられたのですが、90歳を過ぎても料理も家事も自分でやるという方でした。

 その方は普段はソファに座って生活をしていたのが、怪我をして入院することになり座っているのではなくベッドでの生活を余儀なくされました。

 その結果、寝ていたことで脚力が低下して、退院してからは満足に日常生活を送れなくなってしまいました。

 子供たちが気を利かせて、家のソファは取り除かれてベッドに替えられてしまいました。

 そこで今日の先生が介護に入ってお手伝いをしていると、「やっぱりこのままじゃ駄目よね」と言い出して、それからはベッドに座ると背もたれができるようにクッションを置いて、できるだけ座るようにしたところ少しずつ筋力が回復して再び料理ができるところまで回復したのだそう。

「だから、気構えと意識改革なんだと思うんです。このままじゃ筋力が衰えてしまって思うように動けなくなる、ということが分かっていれば、そうならないために体を動かすという事の大切さがわかり、動くようになる。でも勉強していないと、ただ日常に流されてしまってどうしたら良いかがわからない。歳を取っても勉強をするってそういう事だと思うんです」

 歳を取るとどうなるのか、という、自分のこれからゆく道のことを知って準備しておくような気構えが大事なのだと先生はおっしゃいます。

 介護の勉強を通じて、肉体と精神はどんな変化をしながら衰えてゆくのか、を知っておくのはやっぱり意味があるのだと思います。

 まだ元気なうちに、体系的に老化と介護について学ぶことをお勧めします。 

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介護における「睡眠」ということ ~ ちゃんと寝られるありがたみ(介護授業7日目)

2023-03-25 23:29:34 | 介護の世界

 

 毎週土曜日の介護スクール、今日で全15回のうちの7回目となりました。

 今日の授業テーマは「睡眠について」

 私自身も歳を取るにつれて、睡眠時間が短くなってきました。

 私の場合は入眠障害はなくて、夜眼を閉じるとすぐに眠りにつくことができます。

 しかし夜中に尿意で目が覚めることもしばしばで、夜中に目が覚めるとしばらく寝付けなくなったりもします。

 授業では「中途覚醒」や「早朝覚醒」などと呼ばれる状態で、まさに教科書通りの体質になりつつあるようです。

 中途覚醒や早朝覚醒を予防するには、あまり早く寝ない方が良くて、少し頑張って遅くまで起きることで朝まで睡眠を引っ張ることができるといいます。

 昼寝も良し悪しで、あまり長く寝ると夜寝られなくなりますし、すぐにウツラウツラするような眠りも、やはり夜の睡眠にはよろしくない。

 今日の講師の女性の先生はヘルパー歴20数年とのことで、「ウツラウツラするお年寄りはどうしたら良いですか?」という質問に、「介護で家にいる時間は限られていますが、その間にウトウトされているときは『ちょっとお手伝いしてくださいますか』などと声をかけて、その間だけでも寝てしまわないようにするよう心掛けています」とのこと。

 眠りの時間や質にも頓着しないのではなく、意識して良い睡眠をとるように心がけなくてはいけないようです。


     ◆


 睡眠用具についての講義では、ベッドと和床のそれぞれのメリットを列挙しましょう、という問いがありました。

 私などは普段ベッドに寝ているので、「寝たいときに寝られる」「立ち上がりやすい」「介助しやすい」などのメリットを挙げて、「その逆が和式の布団ではないでしょうか」と意見を述べました。

 すると先生は、「ベッドには通気性が良い、という事も覚えておいてください」と言って、ある和式の布団に寝たきりの方でに初めて介護に入った時には、湿気が布団を通じて畳まで及び、「人の形に畳が腐っていました」とのこと。

 またその一方で、「和式の布団には"転落事故がない"ことや"這って移動ができる"というメリットがあるんですよ」とも言われました。

 体にまひのある方などは、家の中を経って歩くことができなくて、それでも這って移動することで日常生活を送っている方もいるのだそう。

 介護現場は想像を超えるところがあります。


     ◆


 今日の午後からは体を動かす実習が始まりました。

 今日は「睡眠」がテーマなので、ベッドのシーツを交換するやり方を学びます。

 まずはシーツを交換時に扱いやすいように畳むやり方を学び、それから二人で誰もいないベッドでのシーツ交換、さらに人が寝ている状態で一人でシーツを交換するということを教わりました。

 シーツのしわや、パジャマの縫い目などのちょっとした段差が寝たきりの方には褥瘡の原因になると言われると、おろそかにはできません。

 「三角コーナー」と言って、シーツの四隅の角をピシッとつくる方法を学び、これは家庭でも使えそうです。

 またベッドに寝た状態で同僚にシーツを替えてもらうと、ちょっとした手の動きが振動として体に伝わってくることが分かり、交換作業を手荒にはできないことも学びました。

「手の油がつくのでシーツは掌でさわらずに手の甲で作業をすること」「次にする作業をベッドにいる人には声掛けで知らせながらすることで不安を取り除ける」など、細かな注意も教えられないとわからないものです。

 普段睡眠が取れていることも、決して当たり前のことではないと知ると、寝られていることがありがたくもなります。

 健康で健常でいられるというのはありがたいものです。

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北前船による沖縄と釧路の関係 ~ 北前船寄港地フォーラム

2023-03-24 22:45:59 | Weblog

 

 水曜日から今日の金曜日まで道内出張。

 水曜日は旭川から帯広へ、木曜日は帯広から釧路へ、そして金曜日は釧路市内を巡って帰ってきました。

 年度の替わり目という事で、この3月で退職をする友人・知人に会ったり、4月からの新しい年度に向けての情報交換などをしてきました。

 釧路でマスコミ系の友人に「釧路の名前が登場するような観光イベントはありますか?」と聞いてみたところ即座に「ありますよ」と答えてくれました。


「まずは9月に釧路とはちょっと違いますが、厚岸町で全国豊かな海づくり大会が開催されます。天皇皇后両陛下に行幸啓をいただく事業なので、大きな話題になりますよ。
 次がアドベンチャートラベル・ワールドサミット(ATWS)です。これも9月に北海道で開催されてメインは札幌ですが、釧路はそれらを支える重要なエリアなのでこれにも期待を寄せています」

 なるほど、アドベンチャーツーリズムは昨年開催だったのがコロナで今年に延期になったということもあって、コロナが収まった今いよいよ観光の起爆剤として期待したいところです。

 
     ◆


「まだありますか?」 すると友人は「面白いのがありますよ。それは『北前船寄港地フォーラム』です」

「北前船って、江戸時代から明治にかけて日本海を貿易して渡った船による物流ネットワークだと理解していますが、釧路に関係あるのですか?」
「小松さん、何言ってるの、北前船で何を運んでいたと思いますか?北海道と言えば昆布でしょう。その主産地の一つがここ釧路ですよ」

「あ、なるほど。米の取れない蝦夷地が産物として売ったのがいわゆる『俵もの』というナマコとかアワビなどに加えて昆布でしたね」
「そうなんです。今年の北前船寄港地フォーラムは沖縄で開催されたんですが、沖縄には北海道の昆布が運ばれて、今では琉球料理を支える重要な食材ですよね。で、これを来年北海道で開催しようという事で、釧路市の蝦名市長やお隣釧路町の小松町長なんかが沖縄にまで行っていましたよ」

 調べてみると北前船寄港地フォーラムは、2007年から始まったフォーラムで、かつて北前船で栄えた自治体や企業などが賛同して開催され、今年2月の沖縄の開催はもう32回目になるのだそう。

「これを来年の6月に釧路市をメイン会場に開催する運びになっています。実は沖縄そのものには北前船は行っていないのですが、北前船で運ばれた昆布が下関~薩摩~琉球、そして中国へと渡っていた歴史があるんです。そういうご縁で今回は沖縄での開催の運びとなりました」
「へえ」

「沖縄では市場で普通に『森の昆布』という名前で昆布が売られているんですが、この"森"というのは実は釧路町の"昆布森"のことなんです。だし昆布ではなくて食用の長昆布で、この名産地が釧路町昆布森なんですよ」
「そういうことなんですか」

「釧路町の小松町長は、10mくらいある本物の長昆布をそのまま持参して、テープカットを昆布で行う昆布カットを演出して大うけでしたよ(笑)」

 地場の産品がどこでどのように重用されて文化を形成しているかなんて案外気づかないものですね。

 昆布~北前船を縁とする地域や企業の連携って面白そうですね。

 来年6月に釧路で開催予定の北前船寄港地フォーラム、注目です。

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WBCで「サムライジャパン」日本チーム、優勝!

2023-03-22 23:11:34 | Weblog

 

 侍ジャパンの戦士たちがやってくれましたね。

 WBCの対アメリカ決勝戦、がっぷり四つに組んだ横綱同士の相撲のような息詰まる試合でした。

 私は旭川への移動の車の中で、画面の見えないテレビ音声で実況を聞いていました。

 打ち合わせが終わって車に戻るともう8回でダルビッシュ選手がピッチャーを務めているところでした。

 最終回に大谷選手が出てトラウト選手を押さえて優勝した瞬間は車を停めてテレビで見ることができました。

 最後まで大谷劇場のような感じもありましたが、それを演出するためには若い投手陣が目の前の一人を押さえ、打撃陣も一人ひとりが塁に出てホームランを放つという積み重ねの結果の優勝です。

 最後まで劣勢だった準決勝のメキシコ戦では漫画のような村上選手の逆転サヨナラ弾。

「最後まで諦めない」という気持ちとは言うけれど、勝利と言う結果に結びつけたのは勝利の女神にも愛された結果のように思えます。

 有名になった大谷選手の曼荼羅チャートと呼ばれる、夢をかなえるための積み重ね行動を書き記した絵図には、「運をつかむため」に、「挨拶」「ゴミ拾い」「部屋掃除」「審判への態度」などを行うと描かれていました。

 今回もアメリカ戦を終えた後の日本チームのダッグアウトはきれいに掃除されているように見えました。

 同じように、「人間性」を養うためには「感謝」と「思いやり」が記されています。

 日本チームが戦いを終えた相手に対するリスペクト、敬意の念は見ていても清々しくて気持ちの良いものでした。

 戦って勝つことももちろん大事ですが、戦いに向かう姿勢そのものがもう「野球道」のような求道者のように見えました。

 大谷選手、ダルビッシュ選手、栗山監督、そして今回活躍した多くの選手たちと、同じ時間を過ごせたことが幸せです。

 WBC優勝、おめでとう、そしてありがとう。

 本当に勝ったのは野球ファンかもしれませんね。

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朱鞠内湖の澤田会最終日 ~ WBCの準決勝を聞きながら

2023-03-21 23:24:08 | ワカサギ釣り

 

 いよいよ朱鞠内湖でのワカサギ釣りの最終日。

 ワカサギ釣りと言いながら実際はWBCの中継を聞きながらの釣りで、正直気持ちの半分は野球にもっていかれていました。

 東京から参加した人たちの中には、スポーツ動画中継を契約している人がいて、音声を大きくして周りも聴こえるようにしてくれていました。

 前半は3ランホームランを打たれて劣勢で、吉田正尚選手のホームランで追いついてもまた追加点を奪われる苦しい展開。

 釣り仲間の中には「ナカムラ」さんという大先輩の御大がいるのですが、試合中はこのときとばかり「ムラカミ~、オラー」という罵声が聞かれました。

 しかし見事に逆転サヨナラを村上選手が決めた瞬間は、「やっぱり村上だー!」と掌返しの称賛の声。

 三日間とも天気の良い中での釣りに料理に野球観戦と思いがけなく楽しい時間が過ごせました。

 澤田会の皆さん、来年もまた朱鞠内湖でお会いいたしましょう。

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朱鞠内湖でのワカサギ釣りの二日目 ~ テントはやっぱり便利

2023-03-20 18:10:43 | ワカサギ釣り

 

 朱鞠内湖でのワカサギ釣りの二日目。

 今日も朝から快晴です。

 釣り仲間の中には、暖かいダウンジャケットを着こんでテントなしで釣る人たちもいるのですが、私たち夫婦はワカサギ釣りをテントの中で行います。

 先にドリルで穴を開けて、一応魚群探知機を入れて魚の群れがいるかどうかを確認して、良ければその穴の上にテントを張って一日を過ごします。

 ワカサギ釣りの「あるある」は、朝に良さそうな穴でもワカサギの群れは移動するのでやがて釣れなくなることです。

 しかし一度テントを設営してしまうと、新しい穴を開けてテントを設営しなおすのは億劫なものです。

 少しは我慢して釣り続けますが、やっぱり釣れない穴は釣れません。

 今回も朝一番の穴の様子は良かったのですが、すぐに釣れなくなってしまいました。

 すると隣の大きなテントの友人が、「いいよ、こっちの穴が釣れるからこっちへ来るといいよ」と釣れる穴を譲ってくれました。

 おかげ様でそこからは釣れる釣りが楽しめました。

 私たちの小さなテントは、一緒にやってきた赤ちゃん連れの友人たちのベイビーの休憩所とお昼寝の場所になりました(笑)。

 お日様が照り付ける中、それはそれで必要な空間だったので、やっぱりテントがあって良かったというわけです。

 しかし今日も釣れていたのは外で釣っていた人たちの方でした。

 穴の見定めはなかなか難しいですね。 

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