北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

【過去のアーカイブ】地獄を見た男

2011-06-10 15:46:09 | 過去のアーカイブ
 もうすぐ行う講演のために、昔書いたブログの記事を検索してみました。

 なんだかんだ言っても、8年間ほぼ毎日書いていると膨大な記事があって、中には(ええ?こんなこと書いたっけかなあ)と書いたことを思い出せない不思議な記事や、改めて読んで「良いこと書いてるなあ」と感心する記事があったりします。

 もしかして私じゃない誰かが私のブログを借りて書いていたりして…


 そんな過去のアーカイブから心に残った一編をときどきお届けします。タイトルは「地獄を見た男」ですが一部改変してお届けします。


【地獄を見た男】
 かつて札幌にいたときに仕事の面で大変お世話になった先輩のKさんと一杯飲んだ。

 Kさんとは親子ほども年が離れているのだが、不思議にお互いに気があって、時々お会いしていたのだが、さすがに振り返ると会うのは4年ぶりであった。つい先日会ったような気もしたが、月日の経つのは早いものである。

 四方山話に花が咲いたが、Kさんが会っていないときに大病をしたという話に及んだ。

「いや、こままささんよ、おれは地獄を見たよ」
「大病ってそんなに苦しかったんですか?」

「そうじゃないよ。俺は大病で意識がなくなったときに心臓が止まりかけて血圧が50位まで下がったんだ。そうしたら腎不全だわ、肝不全だわで多臓器不全という状態になったんだそうだ、もちろん俺は覚えてないんだけどね」
「…」

「医者も『近親者を呼んでください』と言うくらいのところまでいったらしいんだけど、俺は覚えていない。でもその昏睡状態の時にずっと夢を見ていたんだよ」
「夢…ですか」
 
「ああ。それがな、いまでもはっきりと覚えていて小説として書けるくらいの風景が広がっているのよ。そのときに俺は地獄の釜を見たのさ。死体がぷかぷか浮いてるんだよな。色まで覚えているよ」
「そこへ行くのに三途の川は渡らなかったんですか?」
 
「うん、不思議に三途の川は出てこなかったな、まっすぐ地獄へ行っちまったみたいだ」
「はあ…」

「その地獄の釜というのが実に大きいんだが、縁に幅50センチくらいの土の道があって、俺はそこを誰かと二人連れで歩いていたんだ。そうしたら向かいから5人連れが歩いて来たんだ。『これじゃすれ違えないな』と思い、やり過ごそうとして脇道に入ったのよ」
「…」

「そうしたらなんとそこで意識を取り戻して生き返ったというわけさ。誰と歩いていたかは今もわからない。だが確かに俺はそのときに地獄にいたし、あの道をずっと歩いていたら死んでいたんだと思ったよ。可笑しいかな?」


 いえいえ、そういうことってあるのかも知れません。自分のちょっとした行動が運命を分ける分岐点になっていて、自分はただ偶然に良い分岐点を選んで歩いているだけなのかも知れません。

 そのときに誰かが道案内をしてくれたり一緒に歩いてくれているのかも気づいていませんし。

 今度から脇道へはいる時はちょっと深呼吸してからにしてみます。

 そこで目が覚めるかも知れないので。

 
コメント
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