経営の神様と言われた松下幸之助は、ある意味宗教的な見えない力を信じていたようです。
彼が座禅を組んで瞑想をしていた時、ある人に「何をお祈りされているのですか?」と訊かれて「一つは根源に対する感謝や。今自分がここに生まれているということも根源の力のお陰げやからね」と行ったという話はつとに知られています。
彼は昭和37年2月に京都の真々庵(しんしんあん)の一角に「根源の社」という宗教施設を建立しました。
この「根源の社」はさらに1981年に松下電器本社の敷地に建設された創業の森の一隅にも設けられ、その設立の趣旨については社前の掲示に、下記のように説明されています。
「宇宙根源の力は、万物を存在せしめ、それらが生成発展する源泉となるものであります。
その力は、自然の理法として、私どもお互いの体内にも脈々として働き、一木一草のなかにまで、生き生きとみちあふれています。私どもは、この偉大な根源の力が宇宙に存在し、それが自然の理法を通じて、万物に生成発展の働きをしていることを会得し、これに深い感謝と祈念のまことをささげなければなりません。
その会得と感謝のために、ここに根源の社を設立し、素直な祈念のなかから、人間としての正しい自覚を持ち、それぞれのなすべき道を、力強く歩むことを誓いたいと思います」
物を作って売ることで利益を得る会社の創業者が、物の充実だけではなく、精神的な充実こそがより良い社業と社員教育に繋がると考えていたことがよくわかります。
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ところで松下幸之助は、二宮尊徳の報徳の教えを良く学んだことでも知られています。
その報徳には二宮尊徳が作った「報徳訓」という唱え文があります。
漢字108文字からなる構成ですがこれを訓読みにして、常会ではまず参加者一同がこれを唱えてから会議が始まるというのが習わしで、ここには二宮尊徳の報徳の精神が凝縮して込められています。
この報徳訓の一番初めに登場するのが「父母の根元は天地の令命にあり」という一文です。
今私がここに存在するのは父母がいたからこそなのですが、その父母がいたことの根源が天地の令名だというのです。
「令名」という単語を辞書で引くと、今では名声だとか良い評判というような意味しか出てきませんが、ここでは「天地の計らい」と理解すべきでしょう。
その運命的な計らいによって父母が存在し、続いて「身体の根元は父母の生育にあり」と親の恩が述べられ、「子孫の相続は夫婦の丹精にあり」と子孫のために自分たちも夫婦になって子孫を育てるのだ、と述べられます。
報徳訓では「根元」と言い、松下幸之助は「根源」と表していますが、その意味は「物事の一番もとになっている始まり」ということでは同じです。
物事が始まるという不思議とその力を信じることができるでしょうか。
だんだん若者が結婚しなくなり子供が生まれなくなり人口減少社会が進んでいますが、自分を生んでくれた両親がいたという不思議な始まりの力を「信じる気持ち」も薄れているのかもしれません。
学校に置かれていた二宮金次郎の銅像を学習すれば、その奥には「父母の根源である天地の令命」にまでたどりつくのですが、もはやそのような教養が失われつつあるようです。