北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

良い答えは良い質問から

2009-01-22 23:05:12 | Weblog
 国会では連日論戦が繰り広げられていますが、20日の参議院予算委員会で、民主党の石井一副代表が麻生総理に漢字テストをした、ということでちょっとした批判を浴びているよう。

 『民主・石井氏らに批判殺到 首相への「漢字テスト」』 MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090121/stt0901212304012-n1.htm

 関係者によると、21日までに電話や電子メールで寄せられた声は「経済が大変なときに税金を使って何をやっている」「何の目的があるのか」といった批判的な内容が大半。(引用終わり)

    ※    ※    ※    ※

 国会が選挙を控えて妙な人気取り合戦の様相を呈し始めているのはちょっと滑稽ですが、その議論結果に振り回される国民としてはもう少し議論の中身に注目をしたいところです。

 大体、良い答えを引き出すためには良い質問が必要なのであって、そこに攻めてと受け手の阿吽の呼吸を踏まえた『型』のようなものもあるのです。

 本当ならば講演会やシンポジウムなどでも、1時間という時間枠があれば、講演者はまず30分くらい問題提起や意見を述べて、残りの30分を意見交換にあてるくらいの時間配分が必要なはず。

 ところが日本では講演が終わってもほとんど質問が出ないので、講演者の方が気を利かせて1時間のうち55分位をサービスでしゃべってしまうのが常なのです。

 この場合は、あきらかに聴衆の側の備えの悪さに責任があるのであって、講演者の話を聞きながら「さて、質問時間になったら何を訊いてやろうか」と手ぐすねを引いて耳をそばだてていなくてはなりません。

 講演者が述べたことを質問するのは恥ずかしいし、今日のテーマからはずれた突拍子もないことを質問するのも野暮です。

 講演者が言い足りないであろう事を読み取ってそこに誘導をしたり、この人とこのテーマならば、自分に答えが出ない常々考えている疑問をぶつけてみようといった、心の準備が絶対に必要。

 こんなときは「質問者に恥をかかせてはいけない」というような日本的奥ゆかしさはまったく意味がありません。 

 そう言う意味では、美しい講演時間の過ごし方のようなことは、誰も教えてくれないし、素晴らしいと思わせてくれるようなお手本も身の回りに少ないことに気づきます。実はこの丁々発止のやりとりにこそ醍醐味があるのですがね。

 講演者自身が話をする冒頭に「話が終わったら必ず質問をしてください。質問の手が上がらなければすぐに帰ります!」という宣言をするのも手かもしれませんが講演者に取ってみれば、逆に質問が出ないということは聴衆の興味をそそらなかったのかも知れない、という恐怖もこれあって、なかなか微妙なものです。

 質問者と回答者の火花が散るような論戦こそが一つの醍醐味。

 オバマ大統領なら、時にユーモアをちりばめながら受け答えをするのでしょうね。

 政治的な討論で、アメリカの論戦の方が楽しみって一体…。うーん 

コメント
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