北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

下ることを楽しむのだ

2009-01-11 23:07:30 | Weblog
 私の知人が五木寛之の著書「人間の覚悟」(新潮新書)を読んでいるとブログに書いていました。

 この本には、目次で章のタイトルにちょっとした一言がついているのだそう。私の知人は写経気分で紹介をしてくれていました。


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第1章 時代を見すえる

時代は地獄に近づいている。資本主義が断末魔の叫びをあげ、あらゆることが下降して行く中、「命の実感」が薄らいでいる。

第2章 人生は憂鬱である

どこの国でも、いつの時代であっても、だれの内にも棲みつづけているもの。人が生まれながらに抱えた「悲苦」を見つめなおす。

第3章 下山の哲学を持つ

権利とは、何かを保障されることではない。安心・安全はありえない。下り行く現代、自分を見つめる「哲学」が必要ではないか。

第4章 日本人に洋魂は持てない

神はあるのか。罪とはなにか…。その答えは、洋の東西で根本的にちがう。21世紀にこそ活かされるべき日本人の心性とは。

第5章 他力の風にまかせること

人間は、生と死の間で引き裂かれた存在である。不条理で、ままならない日々を生きるために、「他力」という意味を知る。

第6章 老いとは成熟である

アンチ・エイジングはあり得ない。だが、老いることは人間が成熟して行く過程なのだ。「玄なる世界」で豊かに変わる関係性を知る。

第7章 人間の覚悟

いかに生きるか、ではなく、生きて在ること。そのことにこそ価値がある。その思いが、わたしたちの唯一にして経滅の光明である。

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 書いたご本人もコメントはせず、このままを紹介してくれました。

 読んだ瞬間の感想は、なるほど、「時代は地獄に近づいている」、「人生は憂鬱である」、「下り行く現代」、「人間は、生と死の間で引き裂かれた存在である」…と、ちょっとうつむきたくなるフレーズだなあ(笑)、というものでした。

 「人間は死に向かう存在」と言ったのはハイデッガーでしたっけ?でも「存在と時間」は読んだことがありません。

 人生は上から下に下っていると考えるか、下から上って行くと考えるのの違いで、生きることへのイメージもだいぶ違ってきそうです。どうせならどこまで上れるかを試しているんだ、と考えて、死の床についた時が今生の頂上だ「ただいま登頂!」と思うのもありなあ、などと考えました。

    ※    ※    ※    ※

 「下る」と言えば、今はもうだいぶ離れてしまいましたが、若い頃はスキーにのめり込みました。子どもの時は本当にへたくそだったのですが、大学に入ってからは教則本を何冊も買い込んで何度もスキー場へ行き、技術をマスターして行きました。

 そんな教則本の中の一節に、「スキーというのはブレーキをかけながら下るしかないんだよな」というフレーズがあったのを非常に印象的に記憶しています。

「そうか、スキーって斜面をただ下って行くための技術なんだ!」当たり前のことなんですが、スキーに対して目からウロコが落ちたような気がしたものです。
 みんながみんな下るしかないのに、その下り方の上手下手、技術のあるなしで楽しみながら下っている人もいれば苦しみながら下って行く人もいます。でもとにかくみんな下ることを楽しむためにスキー場に来ているんです。
 しかも下りきったらまた上ればいいや、と思っているのです。

 この考え方のポイントは「下る=マイナスイメージ」を前提にするかどうか、ということです。下ろうが上ろうが、要は未来に向かっていることだけは確か。

 未来が今より酷い社会だなんて誰が見てきたんでしょう?誰もそんなことを知っちゃいないし、未来は変えられますしね。


 スキーの感触を思い出しました…、私って本当は上手いんだけど体力がついてくるかなあ。 

 
コメント
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