クレジットスコアという単語があります。クレジットカード会社が個人の信用評価を、借金をどれだけ返す力があるかで計るというものなのだそうです。
今やアメリカではこの数字が良いか悪いかで、人生の生き方まで決まってしまうという恐ろしいことになっているのだそう。
予備知識として、経済アナリスト森永卓郎氏のブログ「構造改革をどう生きるか」にちょうど良い記事がありましたので、まずはこれをご覧ください。
第163回:人間の価値を金で測る「クレジットスコア」導入に大反対する
(2008年12月8日)
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/163/index1.html
※ ※ 【以下引用】 ※ ※
…クレジットスコアとは、いわば個人の信用評価点で、個人ごとに300点から850点の点数がつけられている。もともとは融資やクレジットカードの審査効率化のために導入されたもので、その点数によってどれだけお金を貸してもいいかを測る目安としているわけだ。
クレジットスコアを審査する機関はいくつかあるが、算定基準は公表されていない。ただ、基準の一つとして明らかなのは、クレジットカードの利用履歴である。カードの引き落としができなかったり、キャッシングの支払いが遅れたりするといった返済事故が起こると点数が落ちる。
確証はないが、借金の額が増えるとクレジットスコアは下落し、収入や資産が増えると上昇するといわれている。ただし、どの要素がどれだけウエイトを持つかという詳細は分からない。
クレジットスコアは、個人の格付けと考えると分かりやすいだろう。点数が高ければ優良顧客であり、低ければ信用力の劣った客である。だから、銀行で住宅ローンを借りたくても、クレジットスコアが一定以上ないと受け付けてもらえない。そうした信用力の低い客に対するローンがサブプライムローンだったわけだ。
そして、クレジットスコアの高低によって、ローンの金利が違ってくる。いま述べた住宅ローンだけではなく、自動車ローンでも、400点台の人と800点台の人とでは金利が倍ぐらい違ってくる。
厄介なのは、いったんクレジットスコアが落ちると、社会生活がスムーズにいかなくなっていくことだ。新たにクレジットカードがつくりにくくなったり、金利が高くなったりという悪循環を繰り返し、ますます暮らしにくくなってしまう。米国の格差社会をつくっている一因と言っても過言ではない。
そんな数字は気にしなければいいと言われるかもしれないが、そうはいかないのが米国の実情なのである。個人の信用を測る物差しとして、クレジットスコアほど明確な数字はないからだ。
※ ※ 【引用おわり】 ※ ※
翻って日本で、個人の信用を何で計っているかと考えてみれば、働いている企業や官庁、学歴、出身学校、収入、既婚か独身か、身につけているブランド品…などといったところでしょうか。
最後の方の既婚か独身かやブランド品などは書いては見たものの、あまり当てにはなりません。
「あの人今度、大手の○○産業に就職が決まったんだって、すごいねー」というように、やはり働いている職業・企業、学歴などがぼんやりとした個人の評価と言ったところでしょう。
ところがそれを、クレジットカードをどれくらい使って、それをまたどれくらい誠実にちゃんと返したか、という実績で評価しようと言うのがこのクレジットスコア。
森永氏は同ブログの中で「(クレジットスコア導入を)米国政府が日本政府に求めた「年次改革要望書」に記されていた」ということから類推して、いずれ日本政府もアメリカの圧力によって導入することになるのではないか、と考えていて、「それに断固反対する」と述べています。
※ ※ ※ ※
アメリカがそれを要望する理由として森永氏は、
「では、なぜ米国政府はそのような要求をしているのか。それは、外資系金融機関が、日本の膨大な個人資産を狙っていることと深い関係がある。つまり、クレジットスコアを導入することで、外資系金融機関に対して、日本の消費者金融市場へ参入しやすくするわけだ。なぜなら、そうした外資にとって、日本市場参入への最大の壁になっているのが、個人の信用情報を得にくいという点にあるからだ。
本当に金を貸してもいい相手なのか、それが分からなければ消費者金融などできない。しかし、それをクレジットスコアという数字で簡単に得られるようにすれば、外資でも簡単に金が貸せるというわけだ。
これまでは、時価会計制度の導入も郵政民営化も、米国の狙いは日本の企業が中心だった。だが、企業レベルではほぼ甘い蜜を吸いつくしてしまった。そこで、今度は日本の国民の資産を狙っているのだろう。わたしは、そう思えてならないのである」と述べています。
あたらずとも遠からずといったところでしょうか。アメリカにとって都合の良いことだから要求をしているわけで、アメリカの金融資本がねらっているのが日本の個人資産ということになるのでしょう。
クレジットスコアがちゃんと借金を払う人にとって有利なのは、スコアが高い人は借金を低い利率ですることができ、そのかわりスコアが低い人は高い利息で借金をすることになるからです。
日本では、貸すかどうかのところで与信審査をしますが大丈夫となれば借金の利率は大抵一緒です。これを踏み倒されるリスクの度合いによって金利を変えるというのですから、今までの日本にはないくらいますます自己責任を問うシステムとなるわけです。
そしてこれは、自己責任とはいえちょっとした収入格差が大きな実際生活上の格差となって跳ね返ってくる恐ろしいシステムとも言えそうです。
現実にはいくら周りが止めても、一定の割合で必ず借金をルーズに考える人がいるわけで、借金をしてそれを返せなくなった人が高利の利率によって借金地獄に陥る可能性を高めるシステムだからです。
健全な人にはメリットを与え、その分を不健全の人から稼ぐというのは、資本主義の理論としてはあり得るのでしょうが、実際にそれを実行すると社会の安定性を欠くことは必定です。
もはやそれが導入されていて、社会の常識となっているのがアメリカ国民の姿だとしたら、これは相当に恐ろしい社会不安を招くでしょう。
(2)に続く![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_oro.gif)
今やアメリカではこの数字が良いか悪いかで、人生の生き方まで決まってしまうという恐ろしいことになっているのだそう。
予備知識として、経済アナリスト森永卓郎氏のブログ「構造改革をどう生きるか」にちょうど良い記事がありましたので、まずはこれをご覧ください。
第163回:人間の価値を金で測る「クレジットスコア」導入に大反対する
(2008年12月8日)
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/163/index1.html
※ ※ 【以下引用】 ※ ※
…クレジットスコアとは、いわば個人の信用評価点で、個人ごとに300点から850点の点数がつけられている。もともとは融資やクレジットカードの審査効率化のために導入されたもので、その点数によってどれだけお金を貸してもいいかを測る目安としているわけだ。
クレジットスコアを審査する機関はいくつかあるが、算定基準は公表されていない。ただ、基準の一つとして明らかなのは、クレジットカードの利用履歴である。カードの引き落としができなかったり、キャッシングの支払いが遅れたりするといった返済事故が起こると点数が落ちる。
確証はないが、借金の額が増えるとクレジットスコアは下落し、収入や資産が増えると上昇するといわれている。ただし、どの要素がどれだけウエイトを持つかという詳細は分からない。
クレジットスコアは、個人の格付けと考えると分かりやすいだろう。点数が高ければ優良顧客であり、低ければ信用力の劣った客である。だから、銀行で住宅ローンを借りたくても、クレジットスコアが一定以上ないと受け付けてもらえない。そうした信用力の低い客に対するローンがサブプライムローンだったわけだ。
そして、クレジットスコアの高低によって、ローンの金利が違ってくる。いま述べた住宅ローンだけではなく、自動車ローンでも、400点台の人と800点台の人とでは金利が倍ぐらい違ってくる。
厄介なのは、いったんクレジットスコアが落ちると、社会生活がスムーズにいかなくなっていくことだ。新たにクレジットカードがつくりにくくなったり、金利が高くなったりという悪循環を繰り返し、ますます暮らしにくくなってしまう。米国の格差社会をつくっている一因と言っても過言ではない。
そんな数字は気にしなければいいと言われるかもしれないが、そうはいかないのが米国の実情なのである。個人の信用を測る物差しとして、クレジットスコアほど明確な数字はないからだ。
※ ※ 【引用おわり】 ※ ※
翻って日本で、個人の信用を何で計っているかと考えてみれば、働いている企業や官庁、学歴、出身学校、収入、既婚か独身か、身につけているブランド品…などといったところでしょうか。
最後の方の既婚か独身かやブランド品などは書いては見たものの、あまり当てにはなりません。
「あの人今度、大手の○○産業に就職が決まったんだって、すごいねー」というように、やはり働いている職業・企業、学歴などがぼんやりとした個人の評価と言ったところでしょう。
ところがそれを、クレジットカードをどれくらい使って、それをまたどれくらい誠実にちゃんと返したか、という実績で評価しようと言うのがこのクレジットスコア。
森永氏は同ブログの中で「(クレジットスコア導入を)米国政府が日本政府に求めた「年次改革要望書」に記されていた」ということから類推して、いずれ日本政府もアメリカの圧力によって導入することになるのではないか、と考えていて、「それに断固反対する」と述べています。
※ ※ ※ ※
アメリカがそれを要望する理由として森永氏は、
「では、なぜ米国政府はそのような要求をしているのか。それは、外資系金融機関が、日本の膨大な個人資産を狙っていることと深い関係がある。つまり、クレジットスコアを導入することで、外資系金融機関に対して、日本の消費者金融市場へ参入しやすくするわけだ。なぜなら、そうした外資にとって、日本市場参入への最大の壁になっているのが、個人の信用情報を得にくいという点にあるからだ。
本当に金を貸してもいい相手なのか、それが分からなければ消費者金融などできない。しかし、それをクレジットスコアという数字で簡単に得られるようにすれば、外資でも簡単に金が貸せるというわけだ。
これまでは、時価会計制度の導入も郵政民営化も、米国の狙いは日本の企業が中心だった。だが、企業レベルではほぼ甘い蜜を吸いつくしてしまった。そこで、今度は日本の国民の資産を狙っているのだろう。わたしは、そう思えてならないのである」と述べています。
あたらずとも遠からずといったところでしょうか。アメリカにとって都合の良いことだから要求をしているわけで、アメリカの金融資本がねらっているのが日本の個人資産ということになるのでしょう。
クレジットスコアがちゃんと借金を払う人にとって有利なのは、スコアが高い人は借金を低い利率ですることができ、そのかわりスコアが低い人は高い利息で借金をすることになるからです。
日本では、貸すかどうかのところで与信審査をしますが大丈夫となれば借金の利率は大抵一緒です。これを踏み倒されるリスクの度合いによって金利を変えるというのですから、今までの日本にはないくらいますます自己責任を問うシステムとなるわけです。
そしてこれは、自己責任とはいえちょっとした収入格差が大きな実際生活上の格差となって跳ね返ってくる恐ろしいシステムとも言えそうです。
現実にはいくら周りが止めても、一定の割合で必ず借金をルーズに考える人がいるわけで、借金をしてそれを返せなくなった人が高利の利率によって借金地獄に陥る可能性を高めるシステムだからです。
健全な人にはメリットを与え、その分を不健全の人から稼ぐというのは、資本主義の理論としてはあり得るのでしょうが、実際にそれを実行すると社会の安定性を欠くことは必定です。
もはやそれが導入されていて、社会の常識となっているのがアメリカ国民の姿だとしたら、これは相当に恐ろしい社会不安を招くでしょう。
(2)に続く
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