北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

住民力で防災を

2009-01-21 23:41:19 | Weblog
 ご心配をおかけしましたが、なんとか風邪からの回復局面に入りました。筋肉痛と関節痛も治まってきました。とにかく暖かくして寝ることと、食べることに努めます。

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 さて今日は、新潟市をベースに検討を進めている住民力により被害者ゼロを目指す防災まちづくり検討委員会に委員として出席してきました。

 この委員会は、住民による地域の力を高めることで犠牲者の出ない防災対策はどのようにできるのだろうか、という問題意識から始まった委員会。私は防災公園の立場と、まちづくりの観点からこの問題を考えてアドバイスをする立場です。

 今日は、防災専門の大学教授のKさんからの意見が面白いと思いました。

 K先生は、「防災のために行政が一生懸命仕事をするのは十分に分かるのですが、行政が頑張りすぎることで、逆に住民の力を弱めていることになるのではないか、という問題意識があります」とおっしゃいます。

 それは「例えば、水害が予想される時に行政側が避難勧告をしますが、いつ頃に水位がどれくらいになりそうだという情報を提供するということは、逆に『危ない時には行政が避難勧告を出してくれるものだ』という思いこみ情報を与えていることにもなります。情報の中身ではなくて『情報が出る時には危ないという情報』に関する情報を知ってしまうのです。そしてそれは逆に作用すると、『情報がない時には安心だ』という思いこみにつながることがあるのです。ある町で水害の後に避難しなかった住民にインタビュー調査をしたことがあります。そこでこんなやりとりがありました」

「なぜ逃げなかったのですか?」
「避難するように誰からも言われなかったからです」
「でも床上浸水までして危険だったのではありませんか?」
「そうなんです、こんなに危険だったのに、誰も避難するように言ってくれなかったのです」

 K先生はこういう事になってしまう事例を「災害過保護」と呼びました。災害に対して周りが助けてくれるという期待を前提にすると、自らの危険を察知しもう危ないと判断する能力を育てないのではないか、という問題意識です。

 住民力を強化する、というのは行政が上から目線で指導するのではなく、住民の側に内発的な力から育てなくてはならないということです。今日の住民にはその点からの力を育てなくてはならないのかも知れません。

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 もう一つ興味深かったのは、「忘却」について。

 災害が発生した時など、我々は良く「この災害から得た教訓を後世に活かし…」と言いますが、一方で我々はその教訓を記憶に長くとどめておくことが難しく、それらを忘却の彼方に追いやってしまうものだ事実です。

 しかし忘却というのはそれ自体悪いことではなく、日々を安寧に過ごすために最も効果的なことは、思い出したくない嫌なことは忘れることです。そしてそれもまた心の防衛能力の一つなのです。

 しかしその効果が逆に働くことも多くあります。日本の場合、何百年かに一度は必ず地震津波が海っぺりの町を襲います。

 地震津波によって家や街並みが壊滅をした直後には、町を高台に構えて「二度とこの悲劇を繰り返しません」という誓いの碑を建てても、何十年かの後にはそれが忘れられて、漁業には海に近いところが便利だといつしか海沿いの町が復活してしまったりします。

 また地震津波がそんな町を襲った後に、誓いの碑ばかりが増えるというようなことでは困るのです。

 教訓を正しく伝え、真の住民の力を継続して行くにはどうしたらよいのか。実際には誰もがそこを悩んでいて、効果的な答えがあるわけではありません。

 まず現実的な対応としては、家の耐震性を確認したり、水害の起きそうなところには住まないという、災害リスクを軽減・あるいは除去する努力が一番です。まずは自分自身がそのことに気づくことが一番。

 しかし物事に気づくことも能力の一つであって、これを全ての人が備えるというのは難しいことなのですねえ。

 住民力というのも実現の難しい単語です。 
コメント
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