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再びの巨木巡礼 40 天満宮のクロマツ


下小杉の天満宮



10月2日、4本目の巨木は、「天満宮のクロマツ」である。則心寺のすぐ隣に天満宮の境内があり、クロマツが何本も立っている。今しも、境内の草地を草刈りしているエンジン音が複数聞こえた。玉垣をぐるりと回って正面から入った。境内のマツは何れもそこそこのマツの大木で、どれが一番太そうなのか、見て回った。結果、拝殿の右手少し奥にあったマツが一番太そうだったので、それを「天満宮のクロマツ」と決めて写真に撮った。




ところがその松だけ幹が赤っぽく見える。これはクロマツなのか、あるいはアカマツではないのか。境内にある次に太そうな松(上写真右側)と比較しても、赤さが目立つ。他のマツより確かに太いのだが、疑問が残る。


則心寺側から見た天満宮のマツ

今どこでも松枯れが頻発しているなかで、天満宮のマツは元気そうで、頼もしく感じた。「静岡県の巨木」のデーターで、幹周囲3.9メートル、樹高15メートル。

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明後日再開する、はりはら塾の古文書講座の準備終わる。
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再びの巨木巡礼 39 則心寺のクスノキ


則心寺山門
山門左奥にクスノキの上部が見える



10月2日、4本目の巨木は、焼津市下小杉の「則心寺のクスノキ」である。国道150号線、大井川に架かる富士見橋を渡って焼津市に入る。3.5キロ、北東に進んだ、大島の交差点を右折、航空自衛隊静浜基地の北側を2,4キロ東へ進み、一色交差点を右折、県道31号焼津榛原線を南へ600メートル行くと右手に則心寺がある。静浜基地の滑走路の東の延長上になる。

「則心寺のクスノキ」は本堂の左側、墓地の最奥にある。墓地にあったのでは、一般に広く公開するという訳にはいかないから、これからもひっそりと時を累(かさね)てゆくのであろう。



「静岡県の巨木」のデーターによれば、幹周囲4.5メートル、樹高20メートルのクスノキである。この辺りは旧大井川町で、「静岡県の巨木」で巨木に数えられているのは、このクスノキとクロマツが1本の2本だけである。そのクロマツが近くにあるはずと見まわすと東隣に神社があって、何本もマツの大木が見えた。次はあそこと見当をつけた。

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掛川の娘から秋の味覚、栗をたくさんもらってからしばらく経つ。聞けば、去年までは猪がたくさん来て、落ちた栗をほとんど食べてしまったのだが、なぜか猪が姿を消して、落ちた栗が大量に取れたのでお裾分けとの話であった。渋皮煮を作って先日娘に御返しにして、今日は栗ご飯にした。美味しく頂けた。

読書:「南町奉行と大凶寺 耳袋秘帖」 風野真知雄 著
読書:「のっとり藤兵衛 はぐれ長屋の用心棒 52」 鳥羽亮 著
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再びの巨木巡礼 38 円成寺のクスノキ


円成寺のクスノキ
左手奥に円成寺山門が屋根だけ見える
右手にクスノキ



10月2日、3本目の巨木は「円成寺のクスノキ」である。「静岡県の巨木」には所在が「榛原町谷ノ口」とあるだけだった。調べると、谷ノ口は牧之原市細江の一部、字名のようで、樹高30メートルといえば、近くまで行けばクスノキの方から所在を知らせてくれるはずと思った。

国道150号線を南へ、牧之原市に入る坂口谷川を渡ってすぐに、旧道に入り南西へ2キロほど進むと、右手山際にそれらしい背の高い樹が見える。まるで手招いているようだ。それに導かれて小道を進めば、円成寺前に出た。クスノキは円成寺右脇の山際に、とびぬけて高く幹を伸ばしていた。後日調べたら、「円成寺のクスノキ」は牧之原市の天然記念物に指定されていた。



生育地が小山の山際で、家がすぐそばまで建ち、窮屈そうである。唯一明いている天空に、思い切って枝を伸ばしているように見える。





細間を入って根元に至るも、草やひこばえが邪魔で、幹部分が良く見えない。眼を凝らして見れば、何とか幹の太さが判って来る。細間側に根が露出してクスノキの巨大さが感じられる。

これは個人的な感覚だが、巨樹のある社寺は歴史が感じられ、無い社寺よりも格上にみえる。巨樹は建物のようにお金をかければ作れるというものではない。巨樹は長い年月を掛けなければ育たない。当然、社寺がその間、綿々と続いてきたを示している。人々はそれを感じるからで格上に思う。折角の巨樹が顧みられていない社寺を見ると、残念でしかたがない。「円成寺のクスノキ」もひこばえや周りの草を刈れば、その雄姿を顕わすのだが。

「静岡県の巨木」によれば、幹周囲6.6メートル、樹高30メートルで、牧之原市最大のクスノキである。

後日、牧之原市担当に問い合わせた所、何年か前に元気がなくなり、枯れるかと心配したが、枝打ちして養生した所、今のように元気を取り戻したという。市の天然記念物の表示がないのは、所有者のお寺の意向だという。

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午後、「駿遠の考古学と歴史」に出席する。先月、コロナで中止となり、2ヶ月ぶりの講座であった。

読書:「異形の山 南アルプス山岳救助隊K-9」 樋口明雄 著
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再びの巨木巡礼 37 長源寺のクスノキ


長源寺の山門
門の右手にクスノキが見える



10月2日、二本目の巨木は、吉田町神戸の長源寺のクスノキである。長源寺は東名吉田インターから、東名沿いに南へ1キロ進んだ東名の東側にある。かと言って東名沿いに道があるわけではない。説明し難く、自分もカーナビ頼りになる。駐車場に車を止めると、喪服の人が数人、お寺から出て来た。法事でもあったのだろう。クスノキを探したところ、山門脇に二股に分かれたクスノキがあった。

さらに、本堂へ進むと、墨染の僧衣の老僧に呼ばれた。堂前、階(きざはし)下に二つ置かれたパイプ椅子に、まず座れと勧める。自分は目線の合う2段目あたりに座り、話し始めた。

今まで納骨の法要が終ったばかりで、一息ついた所だ。自分は、今78歳だが、リュウマチの持病があって、病院通いをしていて、一時間仕事をしたら一時間休む。一日仕事をしたら、一日休むというように、決めている。今は納骨の法要が終り、休む時間である。

法事の椅子を並べたり、お茶やお茶菓子を出すのは、四人いる孫たちがやってくれる。お茶は法要の前は熱いお茶、法要の後は冷えたペットボトルのお茶を出す。ぺットボトルならそのまま持ち帰ることが出来るから便利だろう。息子は役所勤めを兼務していて、休みの日には手伝ってくれる。

保険は3割負担だったが、収入を息子に移して、自分の収入を3割に減らしたら、1割負担になった。定期的に入院加療で病院に入るが、注射が15万円、施薬が10万円と高額で、保険がきいても、従来はその度に7、8万かかった。高額の患者だったので、ある時、院長が新しい知識が豊富な若い医師を付けると、もったいをつけて言った。あとで考えると自分は研究対象にされたようであった。

また、特別に若い看護師を付けると言い、実際若い看護師が二人でやって来た。入浴の介助をすると言って、身体の隅々まで洗ってくれるというのだが、これはさすがに気が引けて、風呂は家で入ったばかりだからと断り、以降は中年の看護師に代えてもらった。

ヘリコプターの操縦資格を取ろうとした話とか、富士山静岡空港の新幹線地下駅の話とか、爺さんの畑が東名に取られ、補償金が数百万円、すべて自分の学費になったとか、水道工事を自分で勝手にやって、メーターを通らない水を使っていて、水道課に叱られた話とか、話しが次々に飛び、話に時間軸が抜けているから、78年間のいつの話なのか、解らない。ただ、それぞれ面白おかしく、この老僧は説教もこんな感じなのだろうと、檀家さんたちに同情した。

クスノキの巨木を見に来たと告げると、クスノキは昔切って袈裟箪笥を作ってもらったことがある。その香りが虫よけになるし、柔らかく加工がしやすい木だが、今は伐る積りはないという。どうやらクスノキの買い付けに来たものと勘違いしたようだ。巨木を見て回るのが趣味で、夫婦で見て回ってると説明すると、買い付けではないことは理解してくれたが、趣味に付いては理解できないようであった。

町のお昼を告げるチャイムに、老僧の話は終わった。別れ際にも、草履が本堂にも庫裏にも幾つも置いて、好きな所から境内へ出られる。また境内のあちこちにパイプ椅子が置いてあり、疲れたらそこに座って休み、訪れた人と話し込んだり出来ると話す。

お話は、ほぼ一方的に、半刻近く続いた。この間、富士山静岡空港に近く、飛行機の爆音に、何度か話を遮られた。後日、地図でみると、空港の東端に近く、離着陸する飛行機の通り道に当っていた。


長源寺のクスノキ
右の白壁は山門の袖塀


そばによるとその太さが分かる

ここでクスノキといえば、山門脇にあるものだけという老僧の言葉に、最初に見たクスノキの所へ戻り、写真を撮った。「静岡県の巨木」のデーターによると、幹回り4.5メートル、樹高30メートルのクスノキである。

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第9回目の「再びの巨木巡礼」に女房と出かける。今日は焼津、岡部、藤枝方面である。

読書:「平蔵の首」 逢坂剛 著
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再びの巨木巡礼 36 山王神社のヤマモモ

吉田町神戸の山王神社
鳥居の左手に最も太いヤマモモが見える



10月2日、台風一過の好天に、女房と第8回の「再びの巨木巡礼」に出掛けた。まずは吉田町神戸、東名の吉田インター入口の、県道を隔てた斜向いの平地にある「山王神社」。そこに幹回り5.0メートルのヤマモモの木があると、「静岡県の巨木」のデーターにあった。ヤマモモの木で、それ程の巨木は珍しいので、ぜひ見たいと思った。


境内で最も太いヤマモモ

なるほど、神社の杜にはクスノキなど、巨木にもう一息の木々がたくさん立ち並んでいた。中に、ヤマモモの木も何本かあった。しかし、杜を隅々まで探したが、幹回り5.0メートルのヤマモモは見つからなかった。中で、最も太いヤマモモは鳥居の左手、境内東の隅に一本あった。幹回りは何とか3メートルを越えているとは思うが、樹高は6メートルほどしかない。どこかに幹回り5メートルのヤマモモがないかと、もう一度、境内を探してみた。


この2本、ヤマモモに違いないけれども、2本束ねて測っても、5メートルには足らないようだ。



こういう木なら胸高で測れば5メートルにはなりそうだが、これがヤマモモの木なのかどうか、確認できなかった。モチノキのようにも見える。

結果、山王神社のヤマモモは、最初の写真で、幹回り3メートル、樹高6メートル。山王神社の由緒によれば、正徳元年(1711)、江戸の日枝神社より勧請というから、樹齢は300年と考えられる。
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再びの巨木巡礼 35 石雲院の大スギ

石雲院の大スギ
右に見える屋根が裏門、裏道が斜面奥へ続く



第7回5本目の巨木は「石雲院の大スギ」である。

富士山静岡空港のすぐ南の山中に、石雲院はある。石雲院を通って少し登った先に、石雲院展望デッキがあって、富士山静岡空港を展望できる観光スポットとなっている。

「石雲院の大スギ」は石雲院裏門と呼ばれる小さな門の脇に立っている。かなり上部まで枝打ちされている様子から、建物材として植林された中で、途中から御神木となったのだろうかと思う。

竜門山石雲院は勝間田氏の菩提寺として崇芝性岱(備中洞松寺五世)により開山された。以後、今川氏、武田氏、徳川氏と、有力な大名に庇護されたほか、全国に800ヶ寺を超える末寺を抱える中本山となった。崇芝以後は石雲院七哲と呼ばれた弟子たちの門流による輪住が、明治の初めまで続いたという。

石雲院の大スギ
大スギが石雲院の最も太い巨木とするならば、「静岡県の巨木」より、幹周囲5.03メートル、樹高30メートル。天然記念物には無指定の巨木である。

龍門の滝の彫刻
天童山老典座和尚と若き日の道元禅師

竜門山石雲院には、山名にちなんだ「龍門の滝の彫刻」(牧之原市指定文化財)が、本堂の玄関の両袖にある。また、 本堂前の左手には「天童山老典座和尚と若き日の道元禅師」と銘打った銅像がある。それぞれ、このブログ中に、詳しく記しているので、参照。

第7回、9月25日の「再びの巨木巡礼」は、これにて終わり、帰路に付いた。

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来年度の講座継続の届けと、発表会出品及びミニ講座開催の届けを出してきた。
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再びの巨木巡礼 34 賀茂神社のクスノキ


坂部賀茂神社社殿と御神木のクスノキ



9月25日、第7回、4本目の巨木は、牧之原市坂部の賀茂神社のクスノキである。ルートは、今回は東名に乗せたいナビに騙されて、遠廻りをして、賀茂神社に至ったのだが、分かり易いのは、牧之原市細江の国道150号線から坂口谷川の右岸に沿って2キロほど遡った右手の山腹にある。東名や小糸製作所の工場の手前である。

樹々の間に、まっすぐな、勾配が緩やかな石段があった。参道両側の樹々には、樹木名と幹周が記された札が立てられていた。手書きでかなり古びていたが、有難い配慮である。子供たちも樹木の名前を覚えれば、その人生はもう一つ豊かになるに違いない。




賀茂神社のクスノキ

境内の右手に「賀茂神社のクスノキ」はあった。御神木として最高の位置を占めて、その存在感を示していた。注連縄の位置は、ほぼ人の背の高さで、クスの直径もほぼ同じくらい、その三倍を幹周囲とすれば、6メートル弱の幹周と計算できる。手書きの立て札によると、幹周囲5.4メートル、樹高12メートル。このクスノキに天然記念物の指定はない。

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大井川水道から水道漏れがあり、水道料金が異常に増えていると連絡あり、業者に頼んで、今朝修理をしてもらった。手続きをすれば過大支払分は返してくれるというが、手続きに5000円ほどかかると聞き、取りやめた。

夜、金谷宿大学教授会。30周年記念誌の事。公民館民営化のこと。

真鍋淑郎さんにノーベル物理学賞。

読書:「抵抗 総目付臨検仕る 1」 上田秀人 著
読書:「空ろ蝉 秋山久蔵御用控 5」 藤井邦夫 著
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再びの巨木巡礼 33 今瀧寺のソテツ 2本

生垣門の左のソテツ
写真左手奥に右のソテツが写っている
背後の緑は生垣門


生垣門の右のソテツ
写真右上隅に生垣門が写っている



9月25日、「再びの巨木巡礼」第7回、三本目の巨木は「今瀧寺のソテツ2本」である。8月27日、第2回の巡礼で掛川市今滝の今瀧寺を訪れたが、あいにく庫裏の解体中で、生垣門を見学するに止めて、ソテツはまたの機会にしていた。今回、カーナビ通りに、「賀茂神社のクスノキ」に向かっているとき、ナビの画面に、「今滝」の地名が出て来た。今瀧寺が近いことを知って、急遽、行き先を今瀧寺に変えた。覚えのある道である。

今回は逆方向から来たが、今瀧寺は掛川市街から来ると、県道38号掛川大東線を南へ、子隣(こどなり)の交差点を右折、県道249号掛川大東大須賀線を南へ4キロ進み、落合橋交差点を右折、600メートル行って左折すれば、今瀧寺のある今滝の集落に入る。

「今瀧寺のソテツ2本」は、本堂前の左右にあるとばかり思っていたが、実際には、生垣門の背後(境内内)、左右に、それぞれ植わっている。それはまるで、山門代りの生垣門には住みづらくて、境内へ出て来た仁王像のようで、ソテツはそれぞれ力感にあふれていた。どちらが阿(あ)像で、どちらが吽(うん)像であろうか。

樹齢400年、平成2年4月6日指定、掛川市の天然記念物である。
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再びの巨木巡礼 32 如意庵のソテツ


如意庵のソテツ



9月20日、第6回の巡礼では、「如意庵のソテツ」は見つけられなかった。「所有者、龍眠寺」とあったので、龍眠寺に行ってみたが、大きなお寺だったが、ソテツらしきものはなかった。

帰宅後調べてみると、如意庵は旧横須賀町の役場や図書館などが集中している近くにあることが分かった。9月25日、第7回、二本目の巨木として、「如意庵のソテツ」を探す。車で回ったが判らずに、旧図書館前に駐車して、近辺を清掃していたおじさんに尋ねると、如意庵では分からずに、「あゝ、龍眠寺の」と言い、「もうお墓はないよ」と答える。どうやらお彼岸でお墓参りに来たと思ったらしい。「ソテツを見に来た」と聞いても理解してくれず、「巨樹巨木を見て回っているので」と説明すると、ようやく分かってくれて、「すぐ近くだ」と教えてくれた。

「もう一つ聞きたいのですが、西大渕にマツの巨木があったはずだがと聞くと、「ここからは少し離れているが、5、6年前の大風で倒れてしまった」「根株だけでも残っていませんか」には「根こそぎ、きれいにして何も残っていない」とすげない。根まで掘ってしまうことは考えにくいので、何れ根株だけでも見に行かねばならないと思う。


如意庵のソテツ/如意庵は破屋寸前、無住のようだ

掛川市のHPには、「根回り2.8メートル、地上0.8メートル付近から8本に枝分かれした巨大なソテツ」とある。無住になって人はいなくなったが、ソテツの樹勢はなかなかのようだ。平成16年1月28日指定、掛川市の天然記念物である。

車を駐車した空き地は如意庵のすぐ裏手で、大木が周囲を囲み、先程のおじさんの話から判断するに、元は墓地だったのかもしれない。この寺地は周囲の大木も残して、市民の憩いの場に残してほしいと思う。今の時代、宅地はどんどん空き地になって行くので、今更、木を伐採して宅地を増やす必要など全くない。

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読書:「密封 奥右筆秘帳 1」 上田秀人 著
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再びの巨木巡礼 31 小笠神社参道スギ

小笠神社社殿、小笠山山頂へ続く尾根上


小笠神社より遠州灘を望む

9月20日の巡礼で、車で小笠神社に近い駐車場まで登って、参道を歩いて小笠神社まで登って見たが、それらしい巨スギは見つけられなかった。小笠神社から小笠山へ至る途中、鞍部になった辺りにスギ林があって、太い杉もあったが、市指定の「参道スギ」に当たるようなスギは無かった。

翌日、掛川市 文化・スポーツ振興課 文化政策室 文化財係に電話して聞いてみたところ、「参道スギ」は一般道から参道に入った所、ふもとにあった。説明してくれるが、目標物のない山道では中々ピンと来ない。結局、スマホの地図アプリで「参道スギ」で検索すれば、地図上にポイントされるとの説明で、電話を切った。さっそく慣れたパソコンの地図検索を掛けたら、地図上に一発でポイントされた。さっそく係へ分った旨、伝えた。



9月25日、第7回目の「再びの巨木巡礼」に出掛ける。今日は、過去何回かの落穂拾いのような巡礼になった。まず、一番にカーナビに「小笠神社参道スギ」の場所をポイントした。

掛川市街地から県道38号掛川大東線を南へ、子隣(こどなり)の交差点を右折、県道249号掛川大東大須賀線を2キロ進み、三叉路で新しい広い道へ右折、すぐに、小笠神社参道へ右折して下る。突き当たった丁字路を小笠山とは逆の左折すると、すぐ左手に「小笠神社参道スギ」はある。


緑の葉に被われた小笠神社参道スギ

スギらしき全容は窺えるが、枝が垂れて隠し、太い主幹は見えない。昔から、参道の目印として、保護されてきた御神木のスギだったのだろう。枝打ちもされなかったので、下部にも太い枝が残り、下の枝は地面に達するほどで、杉全体が緑の葉に被われていた。路肩駐車して近づくと太い幹も見え、掛川市の案内標杭も見えた。


小笠神社参道スギ

目通り4メートル、樹高20メートル、樹齢400年以上。平成2年4月6日指定、掛川市の天然記念物である。

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朝から第8回目の「再びの巨木巡礼」に出掛けた。今日の予定は牧之原市と吉田町の残りと、大井川を越えて焼津市へ廻る予定であった。結果、6本の巨木を巡礼した。

留守の間に、掛川の娘から、栗がたくさん届いていた。放置された栗畑を手を入れたのであろうか、久し振りにたくさん取れたという。
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