ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

「中露連携強化」をアップ

2014-06-16 08:48:08 | 国際関係
 6月8~13日にブログとMIXIに連載した中露の連携強化について書いた拙稿を編集して、マイサイトに掲載しました。まとめてお読みになりたい方は、下記へどうぞ。

■クリミア併合後、プーチン訪中で中露は連携を強化した
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12.htm
 目次から53へ

人権100~領主民族のデモクラシー

2014-06-14 08:42:12 | 人権
●領主民族のデモクラシー

 米国建国の祖は、イギリス各地から渡来した移民だった。彼らは、カルヴァン主義を初めとするプロテスタント諸宗派を信仰していた。カルヴァン主義は、人間を神によって予め来世の救いに選ばれた者と、選ばれていない者とに峻別した。これを救霊予定説と呼ぶ。アメリカ建国の祖は、この説に立って、自らを神に選ばれた者とした。エマヌエル・トッドはこれを「宗教的差異主義」と呼ぶ。救霊予定説は、人権と正反対の思想であり、生まれながらの絶対的不平等を説く思想である。
 建国の祖の宗教的差異主義は、イギリスの絶対核家族の家族制度を土台としていた。絶対核家族の価値観は、自由/不平等であり、相続における兄弟の平等には無関心である。
 家族型的かつ宗教的な差異主義は、旧約聖書の神の言葉によって増幅され、インディアンや黒人との混交を禁じることになった。アメリカ植民地は、厳しい差異主義の社会だった。ところが、そのアメリカ社会が「独立宣言」では人間の平等をうたう。そして、白人男性の普通選挙を実現した。これは、明らかに普遍主義の表現である。もともと差異主義的な社会でありながら、ある種平等主義的なデモクラシーを建設したわけである。
 トッドは、この点をファン・デン・ベルへの「領主民族のデモクラシー」という概念を用いて説明する。「領主民族」とは、成員一人ひとりが「領主=奴隷主」であるような民族をいう。「領主民族のデモクラシー」とは、「領主=奴隷主」のみが政治に参加するデモクラシーである。デモクラシーの発祥の地、アテネでは、ポリスの政治に参加し得る者は、異民族を奴隷として支配する領主民族だった。アメリカのデモクラシーは、この構造を近代において再現したものである。
 独立宣言には、「すべての人間」という言葉がある。それゆえ、独立宣言は、いわゆる人権を高々と掲揚したものと思われがちだが、宣言における「人間」には、先住民のインディアンや、奴隷労働をさせていた黒人は、含まれていない。人間は、二つに分けられている。キリスト教徒と異教徒、白色人種と有色人種である。より明確に言えば、白人キリスト教徒である「人間」と、有色人種の異教徒である「間」に分けられている。それゆえ、ここにおける権利は、人間一般の権利では、決してない。インディアンや黒人を「人間」とみなしていないからである。
 白人は先住民から土地を奪って、駆逐したり、アフリカから大陸間強制連行されてきた黒人を購入し、奴隷労働をさせたりしていた。独立運動の指導者たちは、黒人奴隷を所有していた。ジェファーソンは数百人の黒人奴隷を抱えるプランテーションを所有していた。数名の黒人奴隷の女性に婚外子を孕ませた。ワシントンも奴隷農場主だった。ワシントンは、アメリカ先住民族であるインディアンを人間扱いせず、「猛獣 (beasts of prey)」と呼んで殺し合わせるようにした。
 独立宣言は、人間一般の平等をうたっているのではなく、非白人を差異の対象とすることで、領主民族としての白人の平等を宣言したものだった。そのことで白人間の差異が解消され、白人の間に平等の観念が成立した、とトッドは解釈する。いわば差異の上に立った平等である。トッドは、白人の平等と黒人への差別の共存は、「アメリカのデモクラシーの拠って立つ基盤」である、と指摘する。ここには、デモクラシーの「暗い秘密」とも呼べる構造がある、と見るのである。
 第5章の国家の起源の項目に書いたが、国家の類型の一つに、ある民族がほかの民族を征服・支配してできた征服国家がある。征服国家では、支配階級と被支配階級は民族が異なる。アメリカは植民によって作られた国家だが、白人は先住民のインディアンを駆逐し、アフリカから連行した黒人を奴隷とした。それによって、アメリカは征服国家に似た民族間の支配構造を持つ。支配―被支配の上下関係には差異主義、支配層の内部では普遍主義という立体的な関係がある。これがアメリカのデモクラシーの基本構造であると言えよう。

 次回に続く。

プーチン訪中で中露は連携を強化した4

2014-06-13 08:49:51 | 国際関係
●安倍首相はG7で中国問題を主導した

 最後にわが国の対応を書きたい。南シナ海問題を中心とするわが国の外交については、拙稿「荒れる南シナ海と米中のせめぎ合い」に書いた。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12u.htm
 特筆すべきは、6月4~5日にブリュッセルで行われた先進7か国(G7)首脳会議(サミット)における安倍首相のたぐいまれなる外交的手腕である。日・米・英・独・仏・伊・カナダの先進7か国は、クリミア併合への制裁としてロシアをG8から一時除名としている。
 今回のサミットは、ウクライナ東部のドネツク州、ルガンスク州で独立宣言が出され、市庁舎等を占拠する武装した親露派とウクライナ軍が武力闘争を繰り広げているという状況で行われた。ウクライナでは5月25日に大統領選挙が行われ、親欧米派のポロシェンコが大統領に選ばれたが、ウクライナはロシアの軍事的圧力を受け、またロシアに多額の債務を負っており、新大統領が東部を含めて政権基盤を固め、欧州寄り路線を進め得るか、注目されている。一方、ロシアが併合したクリミア半島南部は、日を追うごとに既成事実化が進んでいる。
 こうした状況ゆえ、今回のサミットはウクライナ問題が中心となるというのが、大方の見方だった。しかし、安倍首相はウクライナに集中している欧州諸国の目を中国にも向けさせることを狙っていたようである。中国の南シナ海の大半を領海視した行動は、国際法を破って一方的に力を行使する点で、ロシアによるクリミア併合と変わらない。首相は4月23~25日にオバマ大統領を国賓として迎えた後、5月のゴールデンウィークには、サミット加盟国の英独仏を含む欧州6か国を歴訪した。この動きは、G7首脳会議を視野に入れたものだったのだろう。
 6月4日の首脳会議はウクライナ問題に大半が割かれた。安倍首相は「力を背景とする現状変更は許されず、クリミア併合やウクライナ東部の不安定化などのロシアの行為は許されない」と発言。同時に「ロシアを責任ある国家として国際問題に関与させていくことが重要だ」と対話の必要性を訴えた。そして、安倍首相は「ウクライナ問題は他の地域の問題に連動してくる」と中国の問題へ首脳の関心を向けさせ、議論を主導したと伝えられる。続く5日の会議では、地域情勢と世界経済に関する二つの討論のそれぞれの冒頭で、安倍首相は中国の海洋進出問題とアベノミクスの成果について発言を求められ、サミットの「主役」になった模様である。過去のサミットでわが国の首相がこれほど指導性を発揮したことはないだろう。
 会議後の記者会見で、首相は「ウクライナ情勢も東アジア情勢も『力による現状変更は許さない』と私が申し上げ、G7で一致した。東アジア情勢については私が議論をリードした」と語った。首相は覇権主義的な行動をとる中国を念頭に「航行の自由、空路の自由について発信していく必要がある」と指摘し、「南シナ海、東シナ海では緊張が高まっている。いかなる主張も国際法に基づくべきであり、力による威嚇は認められない」と会議で強調したという。
 首相はG7が結束して中国に対応することを求めのに対し、サミット首脳はかなり理解を示した。その結果が、首脳宣言の内容である。首脳宣言は「東シナ海や南シナ海での緊張を深く懸念」すると述べ、「威嚇、強制または力により領土または海洋に関する権利を主張するための、いかなる者によるいかなる一方的な試みにも反対する」と明記し、「全ての当事者に対し領土または海洋に関する権利を国際法に従って明確にし、また主張することを求める」として法の支配に基づく平和的な解決を訴えた。こうした内容は安倍首相の主張をかなり反映したものと言えるだろう。安倍首相によるトップ外交の大きな成果である。
 ただし、宣言は名指しでの中国批判はしていない。抑制した表現となっている。それは、わが国や米国と他のG7諸国ではアジア太平洋における利害関係が異なり、また直接中国の軍事的脅威を受けない英独仏は自国と中国との経済関係を重視することによるだろう。現にフランスは中国にヘリ着艦装置を中国に提供し、ロシアにも強襲揚陸艦2隻を売却しようとして、米国のから強い反対を受けている。それゆえ、今回のG7でわが国が欧州を「対中包囲網」に引き込んだとまで言えるかどうかは、疑問である。また、G7はシリア内戦やイランの核問題を解決できないでいるように、国際社会における影響力は低下している。しかも、欧州諸国は、ウクライナ問題でのロシアとの関係に注力しており、中国への対応は外交の場での言葉とポーズに留まる恐れもある。やはりわが国としては、自国は自国で守るという独立主権国家の基本体制をしっかり充実させ、唯一の同盟国である米国と緊密に連携しながら、中露への対応を行っていくことが最も重要な課題である。(了)

プーチン訪中で中露は連携を強化した3

2014-06-11 08:45:24 | 国際関係
●米国が中国への姿勢を硬化

 プーチン大統領が訪中している時、米連邦大陪審は中国人民解放軍将校の5人をサイバー攻撃によるスパイ行為を行ったとして起訴した。米国政府は、人民解放軍のサイバー攻撃部隊「61398部隊」の上海の拠点の動向を数年にわたり監視してきた。昨年2月、米コンピューターセキュリティー企業「マンディアント」は、米企業や政府機関へのハッカー攻撃に「61398部隊」が関与している可能性を指摘する報告書を発表した。昨年6月、オバマ大統領は、習近平国家主席と首脳会談した際、初めてサイバー攻撃への警告を発した。それ以来、米政府は中国に繰り返し対応を迫る一方、起訴に向けて捜査を進めてきた。今回、人民解放軍将校を起訴したことで、ネット空間での中国のスパイ活動に徹底的に対抗していく姿勢を明確に打ち出した。
 米国の国益は中国のサイバー攻撃で安全保障、経済の両面で著しく侵食されており、米政府は今年3月、昨年1年間で3千社以上の米国企業がハッキングの被害にあったと発表した。米国がサイバー攻撃で被る損害は年間240億~1200億ドル(約2兆4000億~12兆円)に上るともいわれ、米国は危機感を強めている。だが、中国はサイバー攻撃を仕掛けているとの指摘を一貫して否定している。ロシアに亡命した元CIA職員スノーデンの証言等を引用し、中国こそが米国のサイバーテロの被害者だと反論している。
 サイバー空間では日常的にサイバー攻撃が行われている。ミサイルを撃って施設を破壊することよりも、ハッカーによる攻撃は、相手国に深刻な打撃を与える。実弾は飛ばないが、これは新たな種類の戦争である。中国はこうした米国へのサイバー攻撃だけでなく、急激な軍拡、東シナ海での防空識別圏の一方的宣言、尖閣諸島での領空領海侵犯の恒常化、南シナ海での無法な領有権拡張、さらにクリミアを併合したロシアへの接近等について、米国は忍耐の限界を超えつつあるようである。
 そのことを伝えるのが、産経新聞ワシントン駐在客員特派員・古森義久氏の5月25日の記事である。古森氏は、次のように書いている。
 「『中国はいまや全世界の平和と安定と繁栄への主要な脅威となった!』
米国議会下院外交委員会の20日の公聴会ではこんな強硬な言葉が出た。米国の対アジア政策についての討議、かねて対中強硬派とされる共和党のデーナ・ローラバッカー議員の発言だった。だが他の議員らからは反対の声は出ない。
 しかもオバマ政権を代表する証人のダニエル・ラッセル国務次官補も、ベトナムの排他的経済水域(EEZ)内での中国による石油掘削を『一方的、武力的、違法』などと激しく非難した。いまやワシントンの国政の場では中国への姿勢が超党派で劇的に硬化した。オバマ政権の誕生以来5年半近く、ついに米中新冷戦が本格的に始まったようなのである。(略)
 オバマ大統領は4月のアジア歴訪でも中国の領土拡張への堅固な対応を語る一方、中国への平和や友好のアピールを繰り返した。だがオリーブの枝は中国の無法な言動に排され、米国内部で中国への反発が高まった。『中国はアジアの平和と安定の基礎となってきた国際秩序を確実に侵食している』(アジア安全保障専門家ブラッド・グロサーマン氏)という認識が定着したといえる。その背後にはオバマ政権の対応が弱すぎたことが中国の拡張を許したという批判が広がっている」と。
 古森氏は「ついに米中新冷戦が本格的に始まったようなのである」と書いているが、米中が新たな冷戦に入ったという見方は、今から8年ほど前、2006年にはすでに日米の識者の間に現れていた。中国の地域覇権構想は、米国を排除して、中国が主体となる東アジア共同体の構築である。東アジア共同体とは、シナ文明による東アジア支配である。古代シナの帝国による華夷秩序・冊封体制の再現である。この野望の実現のために、中国の工作の最重点は、アジア及び西太平洋からアメリカを追い払い、日米関係を悪化させて日米同盟を解消させ、日本を属国化することにあると思う。
 オバマ政権は、当初中国に宥和的であったが、途中からヒラリー・クリントン国務長官が中国を厳しく批判するように変わった。ヒラリーが退任すると後任のジョン・ケリーによって、中国宥和姿勢に戻った。政府スタッフもやや親中的な人員が増えた。だが、今年に入って、米国政府の姿勢が再び、中国に対して厳しさを取り戻した。この間、中国側は対米・対日強硬的な習近平指導体制に代わり、従来の政権以上に覇権主義的な姿勢を強めている。米国側の態度の揺れ動きは、中国認識の浅さと対応の甘さの表れである。
 だが、米国の姿勢の変化を最も強く後押ししたのは、ロシアによるクリミア半島南部の併合である。このロシアの力による現状変更に対し、中国は米欧に協力せず、それどころか、ロシアと一層の接近を進めている。オバマ大統領のアジア歴訪は、中国をけん制し、リバランス政策を具体的に進めるものとなったが、中国は大統領の歴訪後、南シナ海で石油掘削を始め、船でベトナム船に体当たりして沈没させた。そして、訪中したプーチン大統領と習主席が共同声明を発表し、合同軍事演習で中露の連携を誇示した。オバマ政権は、これまで中国に対してかなり低姿勢に出ていたが、そういう配慮をことごとく裏切られ、衰えつつあるとはいえ超大国としてのプライドを傷つけられて、怒りを燃やしつつあるように見える。
 6月5日米国防総省は5日、中国の軍事行動に関する年次報告書を発表した。報道によると、報告書は「中国人民解放軍は台湾海峡有事、さらに南シナ海、東シナ海での潜在的有事に備えている」という認識を示し、中国海軍が「沿岸戦闘能力を強化しており、昨年新型コルベット艦(江島型)9隻が就役した」こと、中国海警局は「2011~15年の計画で、少なくとも30隻の巡視船を追加する」ことを根拠に挙げ、米国の同盟国を含む周辺諸国との間で「摩擦を増加させている」と指摘した。さらに、昨年10月から11月にかけ、西太平洋の公海上で行われた大規模軍事演習を実施するなど、「実際的な戦闘シナリオに基づく訓練」を行っていることも、根拠として例示している。中国が東シナ海上空に一方的に設定した防空識別圏については「中国の運用を、米国は受け入れも認めもしない。米軍の行動は変わらない」と改めて強調した。これらの動きを踏まえて、報告書は「中国軍の能力、戦略決定の透明性の欠如が、地域の懸念を増加させている」と批判していると伝えられる。
 前防衛相で拓殖大学特任教授の森本敏氏は、中国の行動について、次のような見解を述べている。
  「中国はこの海域(註 南シナ海)での石油採掘を目的に2012年6月に資源鉱区の国際入札を求め、13年7月にはパラセルに大型埠頭を完成させている。今回の石油掘削は前から計画していた兆候がある。中国は、ロシアのクリミア併合への対応をみて米国は軍事的な動きはしないと踏む一方、4月のオバマ米大統領のフィリピン訪問時に両国が結んだ新軍事協定で米軍が比基地に戻ってくる前に、採掘を既成事実化しておこうとしたのだろう。
 中国は、戦略的には米リバランス(再均衡、アジア重視)政策をはね返して南シナ海を、さらには西太平洋をも影響下に置き、国内的には海洋資源確保の実績を積み上げていくという狙いだろう」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140606/chn14060603090001-n1.htm

 中国は、南シナ海、東シナ海、サイバー空間等で一方的に挑戦的な行動を展開している。計画的、組織的、戦略的である。米国の外交は、しばしば大統領と議会、国務省と国防省、民主党と共和党それぞれの間の見解の不一致によってギクシャクする。その点、現在の中国の動きへの評価及び対応については、これら六者の間でかなり方向性が一致してきているように見える。最大のポイントは、米国を率いるオバマ大統領に本気で中国の覇権主義的行動を抑止する意思があるかどうかだろう。

 次回に続く。

プーチン訪中で中露は連携を強化した2

2014-06-10 10:47:26 | 国際関係
●プーチン・習両首脳は中露合同軍事演習とCICAに参加

 5月20日習主席とプーチン大統領は中露首脳会談後、中露合同軍事演習の開始式にそろって出席し、軍事面での協力強化を誇示した。
 中国海軍とロシア海軍は20日から26日まで、上海沖の東シナ海で合同軍事演習を行った。両国海軍の合同演習は平成24年から3年連続で3回目となった。ロシア側は、太平洋艦隊のミサイル巡洋艦ワリヤーグを旗艦に揚陸艦、補給艦など艦艇6隻が海軍特殊部隊スペツナズを伴って参加した。中国側は、ミサイル駆逐艦など軍艦計14隻と潜水艦2隻のほか、戦闘機スホイ30、ヘリコプター、海軍特殊部隊等が参加した。ロシアは、クリミア併合で国際社会の制裁を受けている中で、中国との関係を見せつけ、欧米等を牽制する。一方、中国としても、南シナ海でベトナムやフィリピンと衝突し、尖閣諸島の問題で日米と対立する中で、ロシアとの提携を示して周辺国を威圧する。こうした狙いがあったものと見られる。
 中国共産党機関紙の人民日報は、合同演習について、中国が東シナ海上空に一方的に設定した防空識別圏を「ロシア側が承認したことを意味する」と伝え、防空圏を認めていない日米への牽制も込めた演習であることを明らかにした。
 5月21日には、同じく上海でアジア信頼醸成措置会議(CICA)の首脳会議が行われた。議長国・中国の首脳として習主席がプーチン大統領とともに参加した。
 CICAは、中央アジアのカザフスタンが提唱して1993年に発足した。欧州安保協力機構(OSCE)のアジア版を目指すものといわれる。現在、中国、ロシア、韓国、インド、イランなど26カ国・地域が加盟する。先進7カ国(G7)は加盟していない。日米はオブザーバーの立場にとどめている。
 CICAは、上海協力機構とは異なる。上海協力機構は、多国間協力組織で、軍事同盟に近い性格を持つ。CICAの設立後に、2001年(平成13年)6月、中国がロシアとともに設立し、中央アジアのイスラム諸国、カザフスタン・キルギス・タジキスタン・ウズベキスタンと合わせて計6か国が参加している。イラン・インド・パキスタン等もオブザーバーとして参加している。
 上海協力機構よりも、アジア信頼醸成措置会議の方がゆるやかな組織である。「信頼醸成措置(CBM)」とは、安全保障のため、軍事演習や国境線近くの部隊移動を事前に通告したり、オブザーバーを受け入れたりすること等を各国に義務づけるもの。このたびのCICA首脳会議は、アジアの安全保障協力の新たな枠組み構築を念頭に、各国の対話強化などを盛り込んだ「上海宣言」を採択した。上海宣言は「主権、独立、領土保全の尊重、内政不干渉など国際関係の基本原則を厳守しなければならない」と明言した。ところが、ロシアや中国は、力の行使によって現状を変更し、領土・領海の拡大を行っているのだから、欺瞞はここに極まる。
 習主席は、首脳会議で演説し、「アジアの安全はアジアの人民が守らなければならない」「いかなる国家も安全保障を独占し、他国の正当な権益を侵害することはできない」と述べ、アジア太平洋重視のリバランス政策を進める米国を牽制した。また、「アジアは運命共同体である。CICAをアジア全体の対話の場にしよう」と訴え、CICAをもとにした安保協力機構の創設を提案し、「中国は新アジア安全観の提唱者であり実践者だ」と強調した。アジアにおける米国の影響力を排除し、米国への対抗軸をアジア地域を中心に形成し、中国主導の安全保障体制づくりを進めようとするものだろう。
 CICAは、首脳会議を4年に1度しか行っておらず、これまでは緩やかな会議体だった。しかし、中国は今年、議長国として会議を取り仕切る機会をとらえて、CICAの性格を大きく変え、中国の意図に沿った機構に発展させようと狙っている。
 だが、習主席の演説は、共同声明に盛り込まれることなく、一方的な発言に終わった。ロシアは、中国に全面的に同調してはいない。ロシアは大国意識が強い。中国の格下と見られることはプライドが許さない。しかし、今回はクリミア併合で圧力をかけられている中で、中国と天然ガス輸出契約を結び、経済的実利を取った。250億ドルの前払い金を受け取ることで、米欧による経済制裁への備えとした。米欧の銀行が融資を控えれば、中国の銀行から借りるぞという脅しもできる。だが、ロシアは、シベリア、サハリン等で中国人移民が増え、人口の圧力を受けている。あまり中国に接近すれば、中国の経済に飲み込まれるおそれがある。ロシアは、中国と連携を強めつつも、日本ともエネルギー輸出や経済協力の取り付けをもくろんでおり、日本との全面的対立は望んでいない。日本との対立が深くなると、ロシアは中国への依存を強めざるを得なくなる。そうなると、中央アジアでの権益を中国に侵食される可能性もある。ロシアにとって中国は、盟友であるとともに脅威なのである。
 アジア信頼醸成措置会議は、ロシア以外の加盟国のイランにせよ、イスラエルにせよ、トルコにせよ、みな一筋縄ではいかない国であり、簡単に中国に服従することはないだろう。さまざまな思惑で上海に集った国々を、中国は自らの覇権主義の道具として利用しようとするつもりだろうが、「法の支配」という理念がない中国が、軍事力と経済力に物を言わせて無理を通そうとすると、抵抗・離反を生じるだろう。

 次回に続く。

プーチン訪中で中露は連携を強化した1

2014-06-08 08:36:26 | 国際関係
●はじめに

 プーチン大統領は、5月20~21日に中国・上海を訪れた。ロシアはウクライナで欧米等との摩擦を生じ、中国は南シナ海で東南アジア・日本との確執を生じている中での出来事だった。プーチン大統領は、平成24年(2012)11月の習近平指導部発足後、初めての訪中となった。
 プーチン大統領は、20日中国の習近平国家主席と首脳会談を行い、共同声明を発表した。両首脳は、20日中露合同演習の開始式に参加し、中露の軍事的な提携を示した。また、21日に北京で開催された「アジア信頼醸成措置会議」(CICA)に参加し、ここでも連携を示した。中露にとって、一連の首脳会談、合同軍事演習、CICAは、対米対日牽制のデモンストレーションの機会となった。
 ロシアは3月18日のクリミア併合後、G7の外交・経済制裁を受けており、国際的な孤立化を避けるため、友好国の中国の支援を確保したいところだったろう。また、中国も、南シナ海でのベトナムやフィリピンとの衝突により、米国・東南アジア諸国の反発を受けて孤立しつつあり、ロシアの支持・協力を獲得したいところだったろう。
 オバマ大統領は、4月23~28日にアジア4か国を歴訪したが、プーチン大統領の訪中は、これに対抗するものともなった。
 ロシアは大陸で領土の拡張を図っており、中国は海洋で領域の拡張を図っている。ともに国連安保理の常任理事国であり、拒否権という特権を行使できる立場にある。そうした国々が外交的・軍事的に連携を強化していることは、世界の平和と安定にとって大きな脅威である。
 中露の連携強化とこれへの日・米・欧の対応について、4回の予定で短期連載する。

●日・米・欧への対抗を示した中露首脳会談

 
 習近平国家主席とプーチン大統領は20日、上海で中露首脳会談を行った。両首脳は会談後、共同声明を発表した。
 声明は、中露が戦略的協力関係の「新段階」に入ったとして、連携の強化を謳った。「歴史を歪曲し、戦後国際秩序を破壊するたくらみに反対する」と表明し、日本を念頭に来年中露が合同開催する戦勝70周年記念行事は「ドイツのファシズムと日本軍国主義」への勝利を祝うものであることを明記し、対日歴史観で中露が共闘する姿勢を鮮明にした。
 ウクライナ情勢については、米欧日に対し、「他国への内政干渉」や「一方的な制裁」への反対を表明し、「他国の憲法制度を変更させるための支援に反対する」と述べ、中露が互いの対外的な懸案に関し、共同で対抗していく姿勢を打ち出した。
 また、「情報通信技術が国際的安全という目的を外れ、国家主権や個人のプライバシーを侵害している」と言及し、CIA元職員のスノーデン容疑者が暴露した米政府による情報収集活動を間接的に批判した。
 習主席は、本年2月に冬季五輪が行われたロシアのソチを訪れ、プーチン大統領と首脳会談を行った。その際、主席は大統領に「中露共闘体制」を求めた。今度はプーチン大統領が中国を訪れ、主席の要求に応えたものと見られる。すなわち、中国はウクライナ問題でロシアに理解を示すことの見返りとして、歴史改ざん、戦後秩序破壊への反対と戦勝70周年記念行事の開催を共同声明に盛り込むことに成功した。安倍首相は、G7の首脳で唯一ソチ五輪開会式に参加し、ロシアとの領土交渉・経済関係拡大の道を保ったが、中国は日露関係の切り崩しを図った。中国は、ロシアの支援を受けて一段と対日攻勢を強めるつもりだろう。一方、ロシアもウクライナ情勢を前提として、「他国への内政干渉」や「一方的制裁」に反対するとの内容を中露共同声明に盛り込むことができた。欧米の制裁を受けるロシアは、資本の国外逃避など経済面での打撃が懸念される。そうした中で親露的な中国の存在が重要性を増しており、中国との連携強化は、ロシアにとって大きな成果となった。
 首脳会談による中露の連携強化は、外交面だけではなく経済面でも行なわれた。その一つが、ロシアが併合したウクライナ南部クリミア半島と、ロシア側との間にあるケルチ海峡に橋を架ける計画について、中国側と覚書を交わしたと報じられることである。観測によると、費用は12億~30億ドル(約1200億~3000億円)で、中国企業の投資会社や建設会社が参加する。橋梁建設への参加は、中国がロシアの領土拡張を承認したことを意味する。これをきっかけに、ロシアの他の地域の主要プロジェクトに中国企業が積極的に進出する可能性が出てきている。
 もう一つは、ロシアの天然ガスの対中輸出交渉の妥結である。ロシアの国営天然ガス企業ガスプロムと中国石油天然ガス集団(CNPC)との間で進められてきた交渉が、両国首脳会談で合意に達した。ロシアはエネルギー資源の輸出先をEUからアジア諸国へとシフトしようとしているが、ウクライナ問題がその傾向に拍車を掛けた。この機をとらえて、中国は輸出価格を大幅に値切った。ロシアは欧州向けには、千立方メートル当たり平均380ドルで天然ガスを販売しているが、中国はその自国向け価格を350ドルへ引き下げさせた。相手が困っている時に、買いたたくしたたかな交渉術である。ロシアは相場より大幅に安い価格で30年間輸出する総額4千億ドルの契約を中国と結んだ。ロシア経済は天然資源頼りである。クリミア併合による米欧の経済制裁、米国のシェールガスによる価格下落等による経済悪化を防ぐために、ロシアは中国の出す条件をのんだ。
 中露は今後、戦略的協力関係を越えて、本格的な中露同盟へと進むのか。そういう見方もあるが、そうは容易に進まないだろうと私は思う。両国はそれぞれの思惑を以て、自己の利益のために相手を利用しようという利己的な動機で動いているからである。専門家の中では、北海道大学名誉教授の木村汎氏が今回の中露共同声明について、ロシア側の変化を指摘している。
 「注意深く観察してみると、微妙かつ興味深い変化の現れが看取されるからだ。例えば、プーチン氏は、日本に対する共闘姿勢を中国と取ることには必ずしも賛同していない様子がうかがえる。メドベージェフ前露大統領訪中(2010年)、プーチン大統領訪中(12年)、習近平・中国国家主席訪露(13年)の折に採択された中露共同声明では、必ず『両国の“核心的利益”についての立場を支持する』という一文が盛り込まれるのが常だった。ところが、今回の共同声明には、そうした文言が見当たらないのである。中国は、台湾、チベット、新疆ウイグル両自治区での己の立場を自国の“核心的利益”と見なし、最近ではそのリストに尖閣諸島さえ加えている。プーチン氏は、この点に関し、中国の立場に同調することは得策でないと考えるようになったのではなかろうか」と。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140527/chn14052703290001-n1.htm

 次回に続く。

人権99~英米間の主権と民権

2014-06-07 10:16:46 | 人権
●英米間の主権と民権

 独立宣言公布の翌年、大陸会議は連合規約を採択し、13植民地の連合によるアメリカ合衆国の成立を詠った。独立戦争で当初、アメリカ側は苦戦したが、フランス・スペイン・オランダがアメリカを支援したことで戦局が逆転した。特にフランスの支援が大きかった。植民地が独立すればイギリスが弱まると考えたフランスは財政・軍事の両面で植民地側を援助した。
 1781年10月、ヨークタウンの戦いで、米仏連合軍が英国軍に大勝し、勝敗は決定的となった。翌々年のパリ条約でアメリカの独立が承認された。87年には国民主権、連邦主義、三権分立を柱とする合衆国憲法が採択された。その2年後、ワシントンを初代大統領とする連邦政府が成立した。
 アメリカ合衆国は、新大陸に移民が建国した国である。この特殊な条件が、自然権に基づく社会契約による国家の建設を可能にした。ロックの思想は、彼の想定を超えた場所で現実化された。
 植民地人民は本国から独立して独自の権力を獲得して、国家を建設した。王政から離脱し、共和政を樹立した。国王から人民へと主権が移動した。主権と言っても、独立した植民地における統治権、自治権である。本国の主権は存続している。主権を実力によって分割し、領土を分離し、人民が独立したものである。主権を獲得することによって、人民の権利を宣言することができた。人民と言っても、実態は米国の国民の権利である。集団としての権利を獲得することなくして、個人の権利を樹立することはできない。
 イギリス・アメリカの両国において、権利はそれぞれの社会の伝統・文化のもとに発達した。米国の人権思想は、移民による思想であり、移民が作った国家における思想である。それゆえに、米国民の権利であって人間一般の権利ではない。当然イギリス臣民の権利ではない。両国民は別々の権利を持つ。それを両国の政府が自国民に対して保障するものである。
 イギリス国民の権利とアメリカ国民の権利は、根拠が異なる。イギリスの臣民が歴史的に形成してきた権利と、アメリカの人民がイギリスから独立し、臣民としての歴史を断ち切って獲得した権利は別のものである。だが、米国で権利に新たな根拠づけをしたからと言って、イギリス国民の権利が根拠を失ったわけではない。それ自体は何も変わらない。それぞれの国民が違う考え方で権利を持っているだけである。
 人権として観念された権利は、実際には、その国の国民の権利であり、国民の権利として確保・拡大されてきた。ユダヤ=キリスト教における神の下の主権に対し、同じく神の下の人権という宗教的な思想が、観念的な普遍性をまとわせたのである。しかし、それは英米両国の間でさえ、共有されるものではない。まして、極東の島国・日本に住む武士や百姓のことなど、まったく考慮していない。非西洋の諸文明・諸国家・諸民族の人民を想定していない。
 米国は国民主権の国である。ただし、神の下における国民主権であって、神を否定した国民主権ではない。神の下における植民地の主権を英国王から奪い取ったものである。米国民は米国の主権を持つ集団的主権者となった。連合王国から独立したことによって、国王を頂かぬ国民が神の下で主権を共同所有する国家を築いたのである。今日も米国は移民に対して明確な方針を示している。広く移民を受け入れるが、参政権を与えるには厳しい条件を設けている。理念としては自由と人権を謳いながら、現実としては国民の権利を厳格に定めている。
 国民主権によって、集団的主権者となった国民は、互いに個人の権利を主張する。集団における権利の協同性は失われ、権利の闘争性が顕在化し、個人の権利と権利がぶつかり合う。資本主義は、市場における競争によって、この権利の闘争を常態化した。米国は神の下での国民主権を政治原理とする国家だが、キリスト教の信仰が大都市を中心に低下し、また徹底した競争社会において個人の利害意識が先鋭化したことによって、個人主義的なリベラリズムが、社会規範になっていった。この状況は、20世紀にいたって、個人の選好を集団の利益より優位に置く思想を生みだす。それが、アメリカを中心とした現代のリベラリズムである。
 政治体制について言えば、米国は主権在民のリベラル・デモクラシーであり、英国は君民共同統治のリベラル・デモクラシーである。リベラル・デモクラシーは、政治体制の違いに関わりなく発達した。

 次回に続く。

バブル崩壊進行の中で、中国は天安門事件25年を迎えた

2014-06-04 08:53:39 | 国際関係
 1989年(平成元年)に天安門事件が起こった。民主化を求めて天安門広場に集まった学生・青年に対し、中国共産党は人民解放軍を動かして、虐殺を行った。多くの学生・青年が天安門事件で殺された。
 シナ系評論家の石平氏は、次のように語っている。「天安門事件は、建国史上最大の民主化運動だった。共産党は戦車部隊まで出して自国の学生運動を鎮圧し、虐殺した。どれだけ殺されたか不明であり、いつ明るみに出るかも分からない」
 目撃者の証言を総合すると、人民解放軍は天安門広場に集まった学生・青年が逃げられないように出口を防いだうえで、学生・青年を無差別に射殺し、また戦車で轢き殺したようである。中国政府当局は死者319人としているが、事件発生の3日後に中国赤十字の広報担当者が外国メディアに対して2600人と言明している。その後、重傷者が多く死亡したことから、実際は3千人に上るとの見方がある。
 昨25年10月28日、北京中心部の天安門前で車両突入事件が起きた。中国共産党政府は事件を「テロ事件」と断定し、ウイグル族への弾圧を強めている。この事件をきっかけに、1989年の天安門事件の写真がネット上で広く閲覧されている。それによって改めて事件の残虐さが注目されている。





 下記のページの写真には凄惨なものがあるので、閲覧には注意されたい。
http://shar.es/IULyJ
 89年の天安門事件当時、欧米や香港等の新聞・雑誌・書籍が事件を報じる写真を掲載した。下記のページは、多くの写真とその出典を掲載している。出典には、「タイム」「ニューズウイーク」「ロサンゼルス・タイムズ」等、著名な媒体もある。やはり残虐な写真が多く閲覧には注意されたい。
http://www.cnd.org/HYPLAN/yawei/june4th/
 中国の人民解放軍は、人民のための軍隊でも国家のための軍隊でもない。共産党のための軍隊である。共産党軍は国民党軍との内戦を通じて権力を獲得した。もともと同胞に銃を向け、殺戮してきた軍隊である。
 天安門事件後、中国共産党政府はこの事件の真実を隠すことで、政権の維持を図った。 それまで中国共産党は、「人民のための人民の政権」という論拠で中国を支配してきた。しかし、天安門事件で多数の学生・市民を虐殺したことによって、人民の信頼を失い、「正統性の危機」に直面した。そこで小平と江沢民は、共産主義に代わる国民統合の思想として愛国主義を打ち出し、民衆の不満を日本に向けるため、反日教育を推進した。愛国主義・反日教育は、天安門事件を隠すために考え出されたものである。中国共産党が日本帝国主義に勝利したという虚偽の歴史を作り上げ、中国共産党の正統性を強調し、共産党の独裁が必要という思想を民衆に吹き込んだ。また、1992年(平成4年)、小平が南巡講話を発表し、本格的な市場経済への移行を断行した。高度経済成長のもたらす繁栄は、共産党の一党独裁に新たな正統性の根拠を与え、政権安定の基盤をつくった。
 ところが、一党独裁と市場経済の矛盾を抱えたままの経済成長は、腐敗の蔓延、貧富の差の拡大、農村の疲弊等を生み出し、平成23年(2011)には、暴動・騒動事件の発生件数が18万件を超えたと伝えられる。これは毎日全国どこかで約500件が発生している計算になる。暴動の内容も警察の車両や地方庁舎を襲撃する暴動が続発している。習政権になって、爆破事件が続くなど、行動は激化している。背景には、中国経済の悪化がある。多くの農民が土地を失い、大学生は深刻な就職難に苦しみ、住民は環境汚染で生活に不安を持っている。そうした中で、不動産バブルの崩壊がいよいよ現実になってきている。
 昨年後半から不動産バブルの崩壊が現実となってきており、今年の2月ころから、バブルの崩壊が本格化している。不動産価格の暴落は2月半ばから浙江省の中心都市の杭州で始まった。3月10日には、大都会の南京で2つの不動産物件が25%程度の値下げとなった。21日には江蘇省の常州市、23日には無錫市で値下げ以前に不動産を買った人びとが販売センターを襲う「打ち壊し事件」が起きた。
 石氏は、今後の展開を大意次のように予想している。今後広がる不動産開発企業の破産あるいは債務不履行は、そのまま信託投資の破綻を意味する。それはやがて、信託投資をコアとする「影の銀行」全体の破綻を招く。金融規模が中国の国内総生産の4割以上にも相当する「影の銀行」が破綻すれば、経済全体が破滅の道をたどる以外にない。「生きるか死ぬか、中国経済は今、文字通りの崖っぷちに立たされているのである」と。シナ大陸は、広大である。それゆえに、バブルの崩壊は一気には進まない。地方都市から各地域の主要都市に波及し、徐々にしかし確実に全土に広がっていくだろう。そして、全土の規模でバブルが崩壊した時、中国経済はどん底に落ちる。
 こういう進みゆく危機の中で、中国は天安門事件25年を迎えた。民主化への兆しが、ないわけではない。中国版ツイッター「微博」での政府批判や、ノーベル平和賞授章者・劉暁波氏の解放を求める国際運動、香港での天安門事件25年の真実究明デモ等である。だが、別の方向に進む可能性は遥かに高い。それは、中国共産党のファッショ化である。中国は、平成元年(1989)から猛烈な軍拡を続けている。共産党政府は、江沢民のもと反日愛国主義の教育を行なった。国民は、統制の中で、日本への憎悪と敵愾心をたきつけられている。特に若い世代がそうである。それが、過激な反日的行動となって現われている。胡錦濤政権の10年間は、政府による反日政策は少し抑えられていたが、習政権になると、江沢民時代に逆戻りしつつある。習政権は、現状に不満を募らせ、各地で暴動を起こしている国民のエネルギーを、国外に向ける可能性が大きい。増大する国民の不満をそらすために、中国政府がファッショ化し、対外的に強硬な行動を行う可能性がある。
 中国経済がどん底に落ち、窮状打開のために、人民解放軍が周辺諸国に侵攻する。わが国及び日本人は、そのことを警戒し、しっかり備えをしておくべきである。経済政策とともに防衛政策を強化し、しっかりと国益及び領土・領海を守るための備えをしなければならない。
 以下は関連する報道記事。

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●共同通信 平成26年6月3日

http://photo.sankei.jp.msn.com/kodawari/data/2014/06/03china/
武力弾圧、今も正当化 天安門事件から25年の中国
2014.06.03

 中国当局が学生らの民主化運動を武力弾圧した1989年の天安門事件から4日で25年となる。中国政府は当時の民主化運動を「政治風波(騒ぎ)」と位置付けて武力弾圧を正当化し続けている。習近平指導部は犠牲者の家族や民主活動家を拘束したり、軟禁したりして発言の機会も封じ込んでいる。
 中国政府の宣伝部門幹部は「(民主化運動を)果断に抑え込んだことが現在の経済発展につながった」と強調。別の幹部は「触れられたくない過去」と指摘した上で「体制批判につながる可能性が今も高い」と述べた。当局は「事件封印」のためメディア規制を強化している。
 中国では新疆ウイグル自治区などで無差別暴力事件が頻発。習指導部は天安門事件から四半世紀という「デリケートな日」(中国政府関係者)を控え、北京で警察や武装警察を総動員して厳戒態勢を敷いた。(共同)

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140603/chn14060319590005-n1.htm
「天安門事件の犠牲者は3千人」 遺族が香港紙に
2014.6.3 19:59

 香港紙、明報は3日、天安門事件で子供を亡くした親の会「天安門の母」の創設者、丁子霖さんのインタビューを掲載した。丁さんは当局が319人としている死者数について、実際は2600~3千人に上るとの見方を示した。
 丁さんは現在、江蘇省無錫市で軟禁下に置かれ、同紙も最近は連絡が取れなくなっているとしており、インタビューが行われた時期は不明。
 死者数の根拠について、丁さんは事件発生の3日後に中国赤十字の広報担当者が外国メディアに対して2600人と言明したと指摘。その後、重傷者が多く死亡したとして「信用できる数字だ」と強調した。(共同)
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関連掲示
・拙稿「中国経済は破滅の道を進んでいる~石平氏」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/2a4648f3f584dc37f86adc41d64b0785

竹島は昭和初期の旅行ガイド本にも掲載

2014-06-03 08:54:14 | 時事
 竹島は、歴史的にも国際上もわが国固有の領土である。そのことを示す資料は、江戸時代からある。以前から長久保赤水(せきすい)が作製した地図「改正日本輿地路程(よちろてい)全図」(1779年初版)が知られていたが、本年1月には、島根県の竹島問題研究会の調査で、他にも18世紀末から19世紀初めに作製された複数の地理学者らによる地図5点に、竹島が日本領として記載されていることが分かった。これらの地図は、江戸時代から広く竹島は日本領という認識が定着していたことを示すものである。詳しくは、本年2月24日の日記に書いた。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/8dbf859f8e6057a8ad39afd7021fb183
 さて、今度は、旧鉄道省(現・国土交通省)が昭和9(1934)年に発行した旅行ガイド本「日本案内記」に、竹島が紹介されていることが島根県の調査で分かった。
 報道によると、「日本案内記」は国の機関の観光本で、昭和初期、東北編や中部編、近畿編などに分けて出版された。鉄道駅ごとに沿線の見どころを紹介し、年中行事や産業、モデルの旅行日程などを記載している。この本に、中国・四国編の鳥取-米子間の駅周辺の紹介に続いて、竹島が載っているという。
 「日本案内記」は、昭和17、29両年に改訂版が出るなど広く活用されていた。島根県の竹島研究会は、「昭和初期に竹島が国内の景勝地の一つと国も認めていた証拠」「全国に広まった旅行ガイド本で竹島が取り上げられ、当時の多くの人が景勝地の一つとして認識していたことがうかがえる」と述べているという。
 こうした資料をもとに、竹島はわが国固有の領土であることを国民に周知し、特に青少年に対してしっかり教育すべきである。
 本年4月、来年春から使われる小学校教科書の検定結果が公表された。小学校教科書では、従来竹島と尖閣諸島を説明する教科書はほとんどなかったが、今回の検定では、社会科で竹島と尖閣諸島について全社が取り上げた。また竹島と尖閣諸島について、はじめて「日本固有の領土」と明記された。竹島について韓国が不法占拠していることを書く教科書も増えた。
 一方、中学・高校の教科書は、竹島や尖閣諸島について、韓国や中国がそれぞれ領有権を主張していることを強調しながら、日本固有の領土であることをはっきり書かない教科書もあるのが現状である。これについては、本年1月28日、下村博文文部科学相は、教科書作成や教員による指導の指針となる中学校と高校の学習指導要領解説書を改定し、尖閣諸島と竹島を「固有の領土」と明記したことを正式に発表した。改定したのは、中学校の社会科、高校の地理歴史と公民の解説書で、中高の地理と公民で、尖閣と竹島を「固有の領土」と明記した。その上で、竹島は韓国に不法占拠され、尖閣には領土問題が存在しないとの政府見解に沿った内容を追加した。高校日本史などでも竹島と尖閣を領土に編入した経緯を取り上げることを求め、領土教育を強化する方針である。今後の検定に反映される。
 単に教科書に掲載するだけでなく、先に書いた江戸時代の地図や昭和時代の旅行ガイド本などを資料として用い、効果的な教育を行ってもらいたいものである。
 以下は報道記事。

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●産経新聞 平成26年5月9日

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140509/waf14050907300003-n1.htm
竹島は「日本の景勝地」昭和初期には認知裏付け 国の旅行ガイドで紹介
2014.5.9 07:30 [韓国・北朝鮮]

 旧鉄道省(現・国土交通省)が昭和9(1934)年に発行した旅行ガイド本「日本案内記」の中国・四国編で、竹島(島根県隠岐の島町)が紹介されていることが8日、島根県の調査で分かった。国の機関の観光本で竹島の記載が見つかった最初の例とみられ、県の竹島問題研究会は「昭和初期に竹島が国内の景勝地の一つと国も認めていた証拠」としている。

隠岐の一部…多くの国民が認識
 日本案内記は昭和初期、東北編や中部編、近畿編などに分けて出版。鉄道駅ごとに沿線の見どころを紹介し、年中行事や産業、モデルの旅行日程などを記載している。
 竹島は中国・四国編の鳥取-米子間の駅周辺の紹介に続いて登場。隠岐の一部として取り上げられ、「隠岐島の西北一五七粁(キロメートル)、日本海中にあり、二箇の岩嶼(がんしょ)より成り、断崖峭立(しょうりつ)、處々(ところどころ)に洞門あり、海底深くして(とうびょう)困難である」と記している。
 「海驢(あしか)の蕃殖地(はんしょくち)で、西郷町(現隠岐の島町)の竹島漁撈会社がその捕獲を営んで居る。住民はない。この島は洋人の称するリヤンクール岩で、邦人はもと松島と呼んだが、明治三十八年島根県の所属となって、現名に改まった」と続き、「日本海大海戦(日露戦争)の際、我が艦隊は露国の第二艦隊をこの附近で追撃捕獲した」と記述している。
 日本案内記は、研究会の関係者が国内の図書館などで戦前の観光関係の書物を調べた際に見つけた。昭和17、29両年に改訂版が出るなど広く活用されていたことも確認。研究会は「全国に広まった旅行ガイド本で竹島が取り上げられ、当時の多くの人が景勝地の一つとして認識していたことがうかがえる」としている。
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関連掲示
・拙稿「竹島は江戸時代から日本領と広く認識」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/8dbf859f8e6057a8ad39afd7021fb183