●領主民族のデモクラシー
米国建国の祖は、イギリス各地から渡来した移民だった。彼らは、カルヴァン主義を初めとするプロテスタント諸宗派を信仰していた。カルヴァン主義は、人間を神によって予め来世の救いに選ばれた者と、選ばれていない者とに峻別した。これを救霊予定説と呼ぶ。アメリカ建国の祖は、この説に立って、自らを神に選ばれた者とした。エマヌエル・トッドはこれを「宗教的差異主義」と呼ぶ。救霊予定説は、人権と正反対の思想であり、生まれながらの絶対的不平等を説く思想である。
建国の祖の宗教的差異主義は、イギリスの絶対核家族の家族制度を土台としていた。絶対核家族の価値観は、自由/不平等であり、相続における兄弟の平等には無関心である。
家族型的かつ宗教的な差異主義は、旧約聖書の神の言葉によって増幅され、インディアンや黒人との混交を禁じることになった。アメリカ植民地は、厳しい差異主義の社会だった。ところが、そのアメリカ社会が「独立宣言」では人間の平等をうたう。そして、白人男性の普通選挙を実現した。これは、明らかに普遍主義の表現である。もともと差異主義的な社会でありながら、ある種平等主義的なデモクラシーを建設したわけである。
トッドは、この点をファン・デン・ベルへの「領主民族のデモクラシー」という概念を用いて説明する。「領主民族」とは、成員一人ひとりが「領主=奴隷主」であるような民族をいう。「領主民族のデモクラシー」とは、「領主=奴隷主」のみが政治に参加するデモクラシーである。デモクラシーの発祥の地、アテネでは、ポリスの政治に参加し得る者は、異民族を奴隷として支配する領主民族だった。アメリカのデモクラシーは、この構造を近代において再現したものである。
独立宣言には、「すべての人間」という言葉がある。それゆえ、独立宣言は、いわゆる人権を高々と掲揚したものと思われがちだが、宣言における「人間」には、先住民のインディアンや、奴隷労働をさせていた黒人は、含まれていない。人間は、二つに分けられている。キリスト教徒と異教徒、白色人種と有色人種である。より明確に言えば、白人キリスト教徒である「人間」と、有色人種の異教徒である「間」に分けられている。それゆえ、ここにおける権利は、人間一般の権利では、決してない。インディアンや黒人を「人間」とみなしていないからである。
白人は先住民から土地を奪って、駆逐したり、アフリカから大陸間強制連行されてきた黒人を購入し、奴隷労働をさせたりしていた。独立運動の指導者たちは、黒人奴隷を所有していた。ジェファーソンは数百人の黒人奴隷を抱えるプランテーションを所有していた。数名の黒人奴隷の女性に婚外子を孕ませた。ワシントンも奴隷農場主だった。ワシントンは、アメリカ先住民族であるインディアンを人間扱いせず、「猛獣 (beasts of prey)」と呼んで殺し合わせるようにした。
独立宣言は、人間一般の平等をうたっているのではなく、非白人を差異の対象とすることで、領主民族としての白人の平等を宣言したものだった。そのことで白人間の差異が解消され、白人の間に平等の観念が成立した、とトッドは解釈する。いわば差異の上に立った平等である。トッドは、白人の平等と黒人への差別の共存は、「アメリカのデモクラシーの拠って立つ基盤」である、と指摘する。ここには、デモクラシーの「暗い秘密」とも呼べる構造がある、と見るのである。
第5章の国家の起源の項目に書いたが、国家の類型の一つに、ある民族がほかの民族を征服・支配してできた征服国家がある。征服国家では、支配階級と被支配階級は民族が異なる。アメリカは植民によって作られた国家だが、白人は先住民のインディアンを駆逐し、アフリカから連行した黒人を奴隷とした。それによって、アメリカは征服国家に似た民族間の支配構造を持つ。支配―被支配の上下関係には差異主義、支配層の内部では普遍主義という立体的な関係がある。これがアメリカのデモクラシーの基本構造であると言えよう。
次回に続く。