ほそかわ・かずひこの BLOG

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宗教14~ユング心理学における自己実現

2018-04-04 09:35:15 | 心と宗教
●ユング心理学における自己実現

 マズローが提唱したトランスパーソナル学は、カール・グスタフ・ユングの心理学を一部摂取し、継承し、発展させている。ユング心理学は、宗教的実践を通じて自己実現をめざす際にも、多くの示唆に富んだものである。
 ユングは、精神分析学者ジークムント・フロイトの最大の弟子だった。フロイトは、人間の心を、「意識」「前意識」「無意識」の三層に区別し、これを発展させて、 「エス (イド)」「自我」「超自我」という心の構造論を説いた。フロイトは、無意識を、生物学的・衝動的なものであり、意識によって洞察され、打ち克たれるべきものと考えた。意識としての自我とは、本能に対する理性であり、理性的な自我意識である。フロイトは、理性的な自我を中心として、意識が無意識を支配すべきものと考えた。
 ユングは、無意識を意識によって支配すべきものとは考えなかった。むしろ、無意識は超個人的な人類的生命につらなる創造的なものであり、個々人の精神活動は無意識からエネルギーを得て創造性を発揮すると考えた。
 ユングによると、心には、「意識」「個人的無意識」「集合的無意識(collective unconscious)」の三つの水準がある。フロイトのいう無意識は、このうちの個人的無意識のことである。ユングは、臨床心理学者として患者の治療に当たりながら、世界諸民族の神話、宗教、文学、美術等を研究し、宗教や民族・文化等の違いを超えて共通して現れる象徴があることを発見した。そして、個人的無意識の底に、個人を超えた集合的無意識を想定した。「集合的」とは、個人だけではなく、民族・人類などに共通する無意識という意味である。そして、ユングは、夢や精神病者の妄想、神話、宗教、芸術等に共通して現われる主題は、集合的無意識に由来するものだと考えた。
 「集合的無意識」が働くときには、特有のイメージが現われる。ユングは、それを「元型的イメージ」と呼んだ。元型は、archetypeの訳語である。元型的イメージは、集合的無意識の内容となるものである。元型的イメージには、影、アニマ、アニムス、老賢者、太母、神聖な少年、自己などがある。
 ユングによると、人間の心は、意識と無意識の相補作用による自動調節的な体系である。彼は、意識の中心点を「自我(ego)」と呼び、意識・無意識を合わせた心全体の中心を「自己(self)」と呼ぶ。そして、個人が意識的な自我の殻を突き破って、無意識の領域をも統合した全体的な「自己」を実現することを目指した。ユングは、これを「自己実現(Self-realization)」という。ユングのいう自己は、集合的無意識に根ざしている。そして、自己実現は、各個人の意識の奥にある自己が象徴や隠喩を通じて自覚化されていく過程である。この過程は、自我と自己が一体化し、不可分な状態になっていくことであり、これをユングは、「個性化(Individualization)」とも呼んだ。
 自己実現の過程は、個人に内在する可能性を実現し、人格を完成していくことである。ユングは、それが「人生の目標」であるとし、「すべて良いものは高くつくが、人格の発展は最も高価なものである」と述べている。ユングによれば、意識的な自我と集合的無意識に内在する自己とが不可分化することが、人格の発展である。
 ユングは、自己実現には二つの主要な側面があると言う。一つは、「内的・主観的な統合の過程」であり、他の一つは「客観的関係の過程」であり、「時として、どちらか一方が優勢となることもあるが、どちらも欠かすことができない」と言う。自己実現とは、自分の中に引きこもったり、隠遁者のように孤立した環境で追及するものではなく、家族や社会において他者との関わり合いの中で、自他ともに相助的に努力していくべきものである。この点において、ユングの心理学は医師が精神病者の治療に用いる理論であるとともに、宗教的実践において健常者が自らの人格の発展のために参考にできる理論ともなっている。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「人類の集合的無意識を探求~ユング」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11e.htm

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