ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権156~愛国心とアイデンティティ

2015-05-30 08:52:03 | 人権
●愛国心とアイデンティティ

 郷土愛や祖国愛は、郷土や祖国を対象とした感情や意識である。そうした感情や意識と、自己の同一性を意味するアイデンティティには、深い関係がある。郷土に対して、人はローカルなアイデンティティを抱く。郷土との関係で「自分は、○○生まれの人間である」という時、この規定を肯定的に感じるのは、郷土愛を抱いている場合である。また祖国との関係で、「自分は、○○国の国民である」という時、この規定を肯定的に感じるのは、祖国愛を抱いている場合である。
 郷土的なローカル・アイデンティティは、民族的なエスニック・アイデンティティと同様、国家的・国民的なナショナル・アイデンティティのもとになるものである。ナショナル・アイデンティティはエスニック・アイデンティティを排除しないのと同様に、ローカル・アイデンティティを排除しない。これらは並立し得るし、また互いに他を強化することもできる。なお、イギリスでは、連合王国のレベルの忠誠心をパトリオティズムといい、スコットランド、ウェールズ等への忠誠心であるナショナリズムと対置される。そのうえ、英語圏にはパトリオティズムを健全な愛国心、ナショナリズムを独善的または狂信的な愛国心と対比して使う人がいるので、議論が錯綜しやすい。注意を要する。
 ネイションの最も強固なあり方は、運命共同体としてのネイションである。ネイションでありながら、複数の言語が使用される多言語社会、複数の文化が混在する多文化社会、複数の宗教が併存する多宗教社会、階級で利害が違う階級社会など、ネイションの実態はさまざまである。しかし、こうした違いを超えて、自分たちは運命を共有し、生死・興亡をともにしているという意識が、ネイションを強固にする。そして、運命共同体としての自覚は、他の集団からの侵攻・外圧・課税等への反発、それらからの防衛において強まる。国民という集団は、生死・興亡を共にする運命共同体となることによって、家族や氏族のような共有生命的な共同体と意識される。
 こうした運命共同体となったネイションにおいて、ナショナル・アイデンティティは、最も深くまた強いものとなる。自己の生命と集団の生命が不離一体のものと感じられ、自己は集団のために生き、集団は自己のために存在すると確信される。また、生きる自己と死せる祖先は、心霊的なつながりの中にあると感じられる。集団のために貢献し、献身した者は、尊敬され、死後も感謝と崇敬の対象となる。自己は、集団への貢献・献身によって、死後も子孫の感謝と崇敬を受けるものと信じられる。この信念によって、人は、死の恐怖と、死による生の無意味化への疑いを、乗り越えることができる。そこに、ナショナリズムとアイデンティティの関係の最も深いポイントがある。ネイションは、集団としてのアイデンティティを確立し、さらに構成員の内面にその集団の一員であるというアイデンティティを確立してこそ、安泰と繁栄を実現することができる。個人もまた死を乗り越え、生に有意味を確認することで、安心と喜びを得ることができる。
 この点で、ナショナリズムは近代国家の宗教になったという見方がある。もし宗教性を認めるとするならば、本来人間がそこに生まれ、死ぬ共同体が持っている文化が、宗教という形態に特化したのであり、宗教の原型には生命を共有する共同体の精神文化があると言わねばならない。ヨーロッパについて言えば、古代のラテン民族もゲルマン民族も、そうした共同体の文化を持っていた。そこに、ユダヤ民族に表れた創唱宗教であるキリスト教が普及したことにより、本来の先祖伝来の文化を失った。人々は、先祖の生命とつながる神ではなく、先祖とはつながりのないアブラハムの神を信仰することになった。そうした社会が近代化・産業化したことによって、ますます生命を共有する共同体の精神文化から遠ざかった。共同体が解体され、アトム的な個人に分解された人々を国家と資本の論理によって再び結集する必要が生じた時、ナショナリズムは、社会の共同性を回復する働きをした。近代化・産業化する社会において、集団としてのアイデンティティを確立し、構成員の内面に集団の一員であるというアイデンティティを確立して、個人が死を乗り越え、生に有意味を確認することができるようにする役割を果たすことになったのである。
 死すべきものとしての人間は、死の恐怖を乗り越え、自己の生が無意味になる不安から逃れることを望む。この恐怖と不安からの自由は、人間が目指すべき一個の権利である。ナショナリズムは、宗教とともに、その権利の実現を可能にするものとなってもいるのである。これは近代に特有の現象ではない。ナショナリズムはエスニシズムの特殊近代的な形態であり、エスニック・グループにおいて、また家族的・生命的共同体において実現されていた権利が、ネイションという集団においても実現可能となっているものである。

 次回に続く。

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