●仏教系新宗教の諸団体
戦後日本に現れた新宗教には、神道系、仏教系、キリスト教系、諸教(独立系、混交系等)がある。仏教系では、日蓮宗系・法華経系の創価学会、霊友会、立正佼成会等があり、特に創価学会は新宗教最大の教団となり、政治に進出し、社会的に大きな影響を与える団体となっている。真言宗系では阿含宗、真如苑等、天台宗系では念法眞教、孝道教団等の新宗教団体がある。また、諸宗教混交型だが仏教の影響を強く受けている教団に、オウム真理教、GLA、幸福の科学等がある。
次にこれらのうち10の団体について記し、戦後日本における仏教系新宗教団体の概要を述べる。読者は、現代における仏教の法と力の限界を知るだろう。
なお、仏教系の新宗教団体は、既成の宗派の信仰が土台になっていて、その宗派・寺院の在家集団という性格を持つものが多い。その場合は、純粋な新宗教とはいえない点があるが、宗教学ではそれらを含めて新宗教と扱うのが通例なので、それに従う。
◆日蓮系・法華経系
#創価学会
創価学会は、もともと日蓮正宗の在家信者の集団であり、日本最大の新宗教団体である。
初代会長・牧口恒三郎は、1930年(昭和5年)に創価教育学会を創立した。それを母体として、2代会長・戸田城聖が1946年(昭和21年)に創価学会と改称して宗教団体として再組織した。
牧口は教育者・教育学者で、同じく教育者の戸田とともに「創価教育学会」を設立した。この団体は、牧口の教育理論に基づく教育改革運動を行っていた。だが、牧口は、以前から宗教に関心を持ち、田中智学の講演を聴いたが、国柱会ではなく日蓮正宗に入信した。日蓮正宗は、日蓮本仏論を信奉し、日蓮の教えはその法主にのみ継承されているとする。また、国柱会の影響を受け、国立戒壇の設立を唱えていた。牧口は当初、教育改革を唱えていたが、教育による社会改革の根底には日蓮の教説に基づく宗教革命が必要であるとの主張を強く掲げるようになった。そのため創価教育学会は、1937年(昭和12年)に発会式を行なった後、布教を活動の中心とするようになっていった。当時の宗教統制政策に反対し、宗門の合同や伊勢神宮の大麻(神札)の拝受を拒否したり、神札を焼却させたりした。そのため、1943年(昭和18年)に治安維持法違反と不敬罪の容疑で、牧口・戸田等の幹部が検挙・投獄され、牧口は獄中で病死した。
敗戦直前に釈放された戸田は、牧口の志を生かすべく、獄中での宗教体験をもとに生命論を説き、人生の究極の目的は信仰による生命の変革、すなわち「人間革命」であると主張した。1946年(昭和21年)に創価教育学会を宗教団体として再建した。
創価学会が団体名に上げる「創価」とは、牧口の言葉で、「価値創造」を意味する。牧口は、「美利善」の価値を創造することによる幸福の追求を説いた。西洋哲学の価値論では「真善美」を説くが、牧口は「真」の替わりに「利」を掲げ、現実的な価値の実現を求めた。創価学会は、この価値論に基づき、現世利益の実現を強調する。
創価学会では、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮を末法の本仏と仰ぐ。日蓮が表したという「本門戒壇の大御本尊」への信仰と南無妙法蓮華経の唱題行を実践する。他の法華経系新宗教団体と異なり、霊的な救済には否定的であり、先祖供養を重視せず、現世における幸福の実現を主たる目的とする。他の宗教・宗派の信仰を受け入れず、その儀式に参加することを「謗法」として禁止する。
第2代会長となった戸田は、信仰の実践として、日蓮正宗の本尊の唱題と折伏を強調し、精力的な布教活動を進めた。戸田は、もともと教育者というより実業家肌の人間だった。本尊は「幸福製造機」と、およそ宗教的ではない表現で呼んだ。だが、その手腕によって、急激に信徒数を拡大した。その過程で、創価学会は布教対象の家に集団で押しかけ、しつこく説得し、他宗の仏壇を焼くなど、強引な布教方法を行なったため、社会問題になった。それによって、新宗教に対する社会的なイメージをひどく悪くした。
日蓮は、末法の世における仏国土の建設を目標とし、立正安国・王仏冥合を説いた。立正安国とは正を立てて国を安んじることであり、王仏冥合は世俗の法である王法と釈迦の説いた仏法が融合されることである。ともに法華経を宣布し、日本を仏教国にすることを意味する。牧口はそれを受けて、「大善生活」という社会的公共善の実現を掲げた。次いで戸田は、王仏冥合論を説き、現世に仏教の思想に基づく平和な理想社会を建設することを主張した。さらに、国立戒壇を国民の総意によって建立することを目標に掲げた。これは、日蓮正宗を事実上の国教とすることを意味する。日蓮正宗の総本山大石寺に国立戒壇が建立された時には、日蓮正宗に帰依した天皇の勅使が寺を訪れると考えていた。大石寺には、勅使のための勅使門が作られており、戸田の考えは、日蓮正宗の教義によるものである。
戸田のもと、創価学会は1955年(昭和30年)から政界に進出し、教団の幹部たちを地方議会や国会に議員として送り込んだ。政界進出の目的は、国立戒壇の設立だった。
戸田は、1958年(昭和33年)に死亡した。彼の死後、池田大作が1960年(昭和35年)に第3代会長に就任した。池田は、政治活動を本格化し、1964年(昭和39年)に公明党を結成した。公明党は、結成宣言で基本理念として「王仏冥合・仏法民主主義」を掲げた。中道政党として躍進し、短期間に野党第二党にのし上がった。
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
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戦後日本に現れた新宗教には、神道系、仏教系、キリスト教系、諸教(独立系、混交系等)がある。仏教系では、日蓮宗系・法華経系の創価学会、霊友会、立正佼成会等があり、特に創価学会は新宗教最大の教団となり、政治に進出し、社会的に大きな影響を与える団体となっている。真言宗系では阿含宗、真如苑等、天台宗系では念法眞教、孝道教団等の新宗教団体がある。また、諸宗教混交型だが仏教の影響を強く受けている教団に、オウム真理教、GLA、幸福の科学等がある。
次にこれらのうち10の団体について記し、戦後日本における仏教系新宗教団体の概要を述べる。読者は、現代における仏教の法と力の限界を知るだろう。
なお、仏教系の新宗教団体は、既成の宗派の信仰が土台になっていて、その宗派・寺院の在家集団という性格を持つものが多い。その場合は、純粋な新宗教とはいえない点があるが、宗教学ではそれらを含めて新宗教と扱うのが通例なので、それに従う。
◆日蓮系・法華経系
#創価学会
創価学会は、もともと日蓮正宗の在家信者の集団であり、日本最大の新宗教団体である。
初代会長・牧口恒三郎は、1930年(昭和5年)に創価教育学会を創立した。それを母体として、2代会長・戸田城聖が1946年(昭和21年)に創価学会と改称して宗教団体として再組織した。
牧口は教育者・教育学者で、同じく教育者の戸田とともに「創価教育学会」を設立した。この団体は、牧口の教育理論に基づく教育改革運動を行っていた。だが、牧口は、以前から宗教に関心を持ち、田中智学の講演を聴いたが、国柱会ではなく日蓮正宗に入信した。日蓮正宗は、日蓮本仏論を信奉し、日蓮の教えはその法主にのみ継承されているとする。また、国柱会の影響を受け、国立戒壇の設立を唱えていた。牧口は当初、教育改革を唱えていたが、教育による社会改革の根底には日蓮の教説に基づく宗教革命が必要であるとの主張を強く掲げるようになった。そのため創価教育学会は、1937年(昭和12年)に発会式を行なった後、布教を活動の中心とするようになっていった。当時の宗教統制政策に反対し、宗門の合同や伊勢神宮の大麻(神札)の拝受を拒否したり、神札を焼却させたりした。そのため、1943年(昭和18年)に治安維持法違反と不敬罪の容疑で、牧口・戸田等の幹部が検挙・投獄され、牧口は獄中で病死した。
敗戦直前に釈放された戸田は、牧口の志を生かすべく、獄中での宗教体験をもとに生命論を説き、人生の究極の目的は信仰による生命の変革、すなわち「人間革命」であると主張した。1946年(昭和21年)に創価教育学会を宗教団体として再建した。
創価学会が団体名に上げる「創価」とは、牧口の言葉で、「価値創造」を意味する。牧口は、「美利善」の価値を創造することによる幸福の追求を説いた。西洋哲学の価値論では「真善美」を説くが、牧口は「真」の替わりに「利」を掲げ、現実的な価値の実現を求めた。創価学会は、この価値論に基づき、現世利益の実現を強調する。
創価学会では、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮を末法の本仏と仰ぐ。日蓮が表したという「本門戒壇の大御本尊」への信仰と南無妙法蓮華経の唱題行を実践する。他の法華経系新宗教団体と異なり、霊的な救済には否定的であり、先祖供養を重視せず、現世における幸福の実現を主たる目的とする。他の宗教・宗派の信仰を受け入れず、その儀式に参加することを「謗法」として禁止する。
第2代会長となった戸田は、信仰の実践として、日蓮正宗の本尊の唱題と折伏を強調し、精力的な布教活動を進めた。戸田は、もともと教育者というより実業家肌の人間だった。本尊は「幸福製造機」と、およそ宗教的ではない表現で呼んだ。だが、その手腕によって、急激に信徒数を拡大した。その過程で、創価学会は布教対象の家に集団で押しかけ、しつこく説得し、他宗の仏壇を焼くなど、強引な布教方法を行なったため、社会問題になった。それによって、新宗教に対する社会的なイメージをひどく悪くした。
日蓮は、末法の世における仏国土の建設を目標とし、立正安国・王仏冥合を説いた。立正安国とは正を立てて国を安んじることであり、王仏冥合は世俗の法である王法と釈迦の説いた仏法が融合されることである。ともに法華経を宣布し、日本を仏教国にすることを意味する。牧口はそれを受けて、「大善生活」という社会的公共善の実現を掲げた。次いで戸田は、王仏冥合論を説き、現世に仏教の思想に基づく平和な理想社会を建設することを主張した。さらに、国立戒壇を国民の総意によって建立することを目標に掲げた。これは、日蓮正宗を事実上の国教とすることを意味する。日蓮正宗の総本山大石寺に国立戒壇が建立された時には、日蓮正宗に帰依した天皇の勅使が寺を訪れると考えていた。大石寺には、勅使のための勅使門が作られており、戸田の考えは、日蓮正宗の教義によるものである。
戸田のもと、創価学会は1955年(昭和30年)から政界に進出し、教団の幹部たちを地方議会や国会に議員として送り込んだ。政界進出の目的は、国立戒壇の設立だった。
戸田は、1958年(昭和33年)に死亡した。彼の死後、池田大作が1960年(昭和35年)に第3代会長に就任した。池田は、政治活動を本格化し、1964年(昭和39年)に公明党を結成した。公明党は、結成宣言で基本理念として「王仏冥合・仏法民主主義」を掲げた。中道政党として躍進し、短期間に野党第二党にのし上がった。
次回に続く。
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『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
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