●『呉子』
◆概要
『呉子』は、シナ文明の武経七書の一つ。『孫子』と並び称されてきた兵法書である。
◆著者
著者は、戦国時代の兵法家・呉起(前440年頃~前381年)に帰せられる。
呉起は魯で孔子の弟子の曽子に学び、魯の将軍となった。その後、魏の文侯に仕え、秦を破り、政治家としても成果を上げた。だが、讒言にあって楚に亡命し,悼王に仕えて宰相として改革を断行したものの、王の没後、反乱によって非業の最期を遂げた。
◆テキスト
呉起が著述したものか、門下の著作か、後人の手になる偽書かについては、諸説がある。『漢書』芸文志には四八編、『郡斎読書志』には六編三巻と記されているが、現存は唐の陸希声が編集した六編一巻である。
◆構成
『呉子』は、呉起と魏の文侯との対話形式で記されている。以下の6篇からなる。
序 章: 呉起と文侯との出会いを述べる。
図国篇: 政治と戦争のあり方を述べる。
料敵篇: 敵情の分析の仕方を記す。
治兵編: 軍の統率の原則を記す。
論将篇: 将軍について論じる。
応変篇: 臨機応変の大切さを説く。
励士篇: 士卒を励ますことを述べる。
◆思想
#不和をなくして団結する
『呉子』は、最初に国家・組織はどのようにあるべきかを説く。重要なのは、どのようにして不和でなく調和を生み出すかである。そこには儒教の教えの影響がみられる。
呉起は、『呉子』の図國篇で、次のように述べる。
「呉子(ごし)曰(いわ)く、昔の国を図(はか)る者は、必ず先に百姓を教えて万民に親しむ」
(大意:昔、国のことを考えた者は、必ずまず庶民を教化し、万民に親しむようにした)
この一節に『呉子』の思想の特徴がよく出ている。庶民に教育を行って、知識や道徳を身に着けさせるとともに、為政者が万人に親しむようにして、国家に和を生み出すことが政治の目的であり、それが軍事の基本でもあるという考え方である。
そして、国家や組織に不和がある場合に、行ってはいけないことを戒める。
「不和には四有り。国において不和あれば、以(も)て軍を出すべからず。軍において不和あれば、以て陣(じん)を出すべからず。陣において不和あれば、以て進み戦うべからず。戦いにおいて不和あれば、以て戦いを決すべからず」
(大意: 不和には四つある。国において不和があるならば、軍を出してはならない。軍において不和があるならば、陣を敷いてはならない。陣において不和があるならば、進んで戦ってはならない。戦いにおいて不和があるならば、戦いを決着しようとしてはならない)
そこで、君主がなすべきことを次のように説く。
「是(ここ)を以て有道の主は、将(まさ)に其(そ)の民を用(もち)いんとするに、先ず和して大事を造(な)す。其の私謀(しぼう)を敢(あ)えて信ぜず。必ず祖廟(そびょう)に告げ、元亀(げんき)を啓(ひら)いて、天時に参(まじ)え、吉にして後挙ぐ」
(大意: このようなわけで、物事の道理をわきまえた君主は、人民を戦争に用いようとする時に、先ず人民との調和を生み出しから大事をなそうとする。
君主は、自分の考えが正しいものと過信せず、必ず先祖代々の霊廟に計画を報告する。また、亀の甲羅を割って天の時にかなっているかを占い、吉であるという結果が出てから挙兵する)
君主がこのようにする時、人民はどういう反応をするか。
「民、君の其の命を愛するを知り、其の死を惜(お)しまず。若(も)し此(こ)こにありて之とともに難に臨めば、則ち士は進み死ぬを以て栄と為(な)し、退(ひ)きて生くるを辱(はじ)と為す」
(大意: 人民、君主が自分たちの命を愛している事を知り、君主のために死ぬことを惜しまなくなる。もし、このような状態になってから人民と行動を共にするのであれば、難局に臨んで、士卒は進み死ぬことを自らの栄誉とし、逃げて生きることを己の恥とする)
これによって、強い団結が生まれる。国家が一丸となって戦いに向かうというわけである。
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『細川一彦著作集(CD)』(細川一彦事務所)
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◆概要
『呉子』は、シナ文明の武経七書の一つ。『孫子』と並び称されてきた兵法書である。
◆著者
著者は、戦国時代の兵法家・呉起(前440年頃~前381年)に帰せられる。
呉起は魯で孔子の弟子の曽子に学び、魯の将軍となった。その後、魏の文侯に仕え、秦を破り、政治家としても成果を上げた。だが、讒言にあって楚に亡命し,悼王に仕えて宰相として改革を断行したものの、王の没後、反乱によって非業の最期を遂げた。
◆テキスト
呉起が著述したものか、門下の著作か、後人の手になる偽書かについては、諸説がある。『漢書』芸文志には四八編、『郡斎読書志』には六編三巻と記されているが、現存は唐の陸希声が編集した六編一巻である。
◆構成
『呉子』は、呉起と魏の文侯との対話形式で記されている。以下の6篇からなる。
序 章: 呉起と文侯との出会いを述べる。
図国篇: 政治と戦争のあり方を述べる。
料敵篇: 敵情の分析の仕方を記す。
治兵編: 軍の統率の原則を記す。
論将篇: 将軍について論じる。
応変篇: 臨機応変の大切さを説く。
励士篇: 士卒を励ますことを述べる。
◆思想
#不和をなくして団結する
『呉子』は、最初に国家・組織はどのようにあるべきかを説く。重要なのは、どのようにして不和でなく調和を生み出すかである。そこには儒教の教えの影響がみられる。
呉起は、『呉子』の図國篇で、次のように述べる。
「呉子(ごし)曰(いわ)く、昔の国を図(はか)る者は、必ず先に百姓を教えて万民に親しむ」
(大意:昔、国のことを考えた者は、必ずまず庶民を教化し、万民に親しむようにした)
この一節に『呉子』の思想の特徴がよく出ている。庶民に教育を行って、知識や道徳を身に着けさせるとともに、為政者が万人に親しむようにして、国家に和を生み出すことが政治の目的であり、それが軍事の基本でもあるという考え方である。
そして、国家や組織に不和がある場合に、行ってはいけないことを戒める。
「不和には四有り。国において不和あれば、以(も)て軍を出すべからず。軍において不和あれば、以て陣(じん)を出すべからず。陣において不和あれば、以て進み戦うべからず。戦いにおいて不和あれば、以て戦いを決すべからず」
(大意: 不和には四つある。国において不和があるならば、軍を出してはならない。軍において不和があるならば、陣を敷いてはならない。陣において不和があるならば、進んで戦ってはならない。戦いにおいて不和があるならば、戦いを決着しようとしてはならない)
そこで、君主がなすべきことを次のように説く。
「是(ここ)を以て有道の主は、将(まさ)に其(そ)の民を用(もち)いんとするに、先ず和して大事を造(な)す。其の私謀(しぼう)を敢(あ)えて信ぜず。必ず祖廟(そびょう)に告げ、元亀(げんき)を啓(ひら)いて、天時に参(まじ)え、吉にして後挙ぐ」
(大意: このようなわけで、物事の道理をわきまえた君主は、人民を戦争に用いようとする時に、先ず人民との調和を生み出しから大事をなそうとする。
君主は、自分の考えが正しいものと過信せず、必ず先祖代々の霊廟に計画を報告する。また、亀の甲羅を割って天の時にかなっているかを占い、吉であるという結果が出てから挙兵する)
君主がこのようにする時、人民はどういう反応をするか。
「民、君の其の命を愛するを知り、其の死を惜(お)しまず。若(も)し此(こ)こにありて之とともに難に臨めば、則ち士は進み死ぬを以て栄と為(な)し、退(ひ)きて生くるを辱(はじ)と為す」
(大意: 人民、君主が自分たちの命を愛している事を知り、君主のために死ぬことを惜しまなくなる。もし、このような状態になってから人民と行動を共にするのであれば、難局に臨んで、士卒は進み死ぬことを自らの栄誉とし、逃げて生きることを己の恥とする)
これによって、強い団結が生まれる。国家が一丸となって戦いに向かうというわけである。
次回に続く。
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『細川一彦著作集(CD)』(細川一彦事務所)
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